迷い家と麗しき怪画〜雨宮健の心霊事件簿〜②

蒼琉璃

文字の大きさ
上 下
24 / 39

麗しき毒婦①

しおりを挟む
 清史郎は、困惑したように彼女に接していた。既婚者のようだし、画家として雇われた職場で、変な噂を流されたくないと言うのがその態度から見てもよく分かる。
 だけど、そんな事はお構い無しで千鶴子はフォークをそっと置くと、彼の胸元にすり寄った。

「あら、お堅い人ね……清史郎さん。芸術家なんて冒険してこそではありませんの?」
「千鶴子さん、本当に……」
「今夜、私の部屋にいらして。良いブランデーが手に入りましたの」

 真面目な性格なようだが、押しに弱い性格なんだろうか、それても欲望に負けたのか、次の瞬間には場面が変わって清史郎はベッドの上で半裸のまま頭を抱えていた。
 隣には、千鶴子が着物を直していて艶やかに微笑んでいた。

「こんな事は許されない……僕は、妻を佐知子さちこを裏切ってしまった。ずっと支えてくれた妻の事を……僕は、この邸を出る。別の画家を雇ってくれるよう、君のお父上に掛け合う」
「貴方は、子供がいるんでしょう。売れない画家が遠山邸を出て、安い賃金で家族を養えると思っていらっしゃるの?」

 千鶴子の言葉に、頭を抱え自分の髪を掴んでいた清史郎が顔をあげる。彼女を肩越しに振り返り信じられないと言う様な表情で凝視した。
 後れ毛を直しながら、妖艶な眼差しで振り返った彼女の唇は血のように赤くて、僕は寒気がした。現代に生きていても、彼女は銀幕の名女優のように美しいのに何故か不気味で恐ろしい。


「一体……君は何を言ってるんだ。これは僕の過ちなんだ。千鶴子さん、君も一時の気の迷いで僕を誘ったんだろう。こんな不健全な関係はだめだ。君のお家も、君自身の名にも傷を付けてしまう」
「気の迷いなんかじゃないわ! 私は貴方が好きなのよ。この邸を以前訪れたことがあるでしょう。女学生の時から清史郎さんをみていたわ!」

 千鶴子は、脅迫が通じないと知るやいなや、涙を浮かべながら彼の情に訴えかけた。
 清史郎は突然の告白と、泣き出す彼女に戸惑うように目を逸らした。
 この優柔不断さが、彼の駄目な所ではないかと思う。


「だが、僕には佐知子と娘がいる。君の気持ちには答えられないよ……千鶴子さん。今描いてる君の絵が出来上がったら、僕は出ていくよ」

 罪悪感に苛まれるように清史郎は上着を着ると千鶴子を残して、部屋を出ていった。
 部屋に一人残された彼女を、僕は振り返ると思わずドキッてして肩をすくめる。
 その美しい顔はまるで、般若はんにゃのように歪んでいて、唇を強く噛み締めたせいで、蒼白になり血が滲んでいる。

「そうか……やっぱりあの女と子供がいるから、あの人は私に振り向かないのね。あの女とガキがいるからか………。他の男で気を紛らわせても、あの人みたい完璧じゃないのよ。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い! 殺してやる殺してやる殺してやる」

 その瞬間、千鶴子の体は不自然にガクガクと関節が折れ曲がり、中腰になると首を傾げてギョロリとこちらを見た。
 その目玉を飲み込むように、肌色の絵の具を掻き混ぜたように赤い唇も全て、ぐるりと円を描くように渦巻いた。女性のヒステリックな笑い声が聞こえて、僕はあまりの不気味さに後退った。

「ま、まずい……見付かった!」
「健、この部屋から逃げるよ!!」

 何度もいうが霊視中に、この館の主であるもはや悪霊を通り越して、魔物と化した千鶴子に気付かれた。過去の情景を映し出す霊視中に、その場にいない人間ぼくを認識できる悪霊は、かなり強いものだ。
 僕とばぁちゃんは、急いで部屋から飛び出した。着物姿のまま、壁を這い上がり天井を伝って僕たちを追いかけてくる。
 階段まできて、降りようとした瞬間まるで生き物のようにうねうねと階段が踊って、絞られた雑巾なように捻れた。


「ばぁちゃん!! 階段が!!」
「仕方ないね、とりあえず一時的にこいつを祓いのけるよ! 教えた祝詞を同時に唱える。あんたの強い霊力をばぁちゃんが後押しするよ」 



『高天原に坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は

 大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て

 萬物を御支配あらせ給う王神なれば

 一二三四五六七八九十の十種の御寶を己がすがたと変じ給いて

 自在自由に天界地界人界を治め給う……』


 僕の龍神のかんなぎとしての素質はばぁちゃんのお墨付きなんだから大丈夫だと、何度も言い聞かせた。
 四つん這いで走り寄ってくる千鶴子を見ないように目をつむり、僕は龍神の祝詞をあげた。
 この閉ざされた現世と、あちら側の狭間でも龍神への祈りは届くのだろうか。
 すべての祝詞が終わる頃には体がポカポカと熱くなり、目を開けた瞬間に、自分の目の前まで迫っていた歪んだ顔の千鶴子が、廊下の奥まで吹き飛ばされて消える。
 それと同じくして、捻れた階段が元へと戻っていき、僕は思わずへたりこみそうになった。

「やった! 浄霊できたの?」
「いや、外の世界に弾いただけだから、暫くしたら戻ってくるだろうねぇ」

 膝から崩れ落ちそうになったけど、あのアトリエは焼け崩れて天井が抜けていた。先程の浅野清史郎との記憶はとても重要なものだったのだろう。

 奔放な彼女は、浅野清史郎に一方的な片思いをしていたようだ。それも、彼の奥さんや子供に殺意を抱くほど夢中になっていた。
 清史郎に容姿が似ている克明さんに固執するのもわかる気がするが、まだ分からないことが沢山ある。


「さっきの霊視は清史郎さんのものだと思っていたけど、千鶴子のものだったんだ。彼の魂はここには無い……呪い殺されたんじゃなくて、奥さんと一緒に関東大震災で亡くなってるから。
 娘さんだけが生き残って、戦火をくぐり抜けた彼の作品を集めたんだ。千鶴子にはこの絵に悪霊として封じられるような、何か大きな出来事があったんだよね?」

「そうだねぇ……なんたってここには、閉じ込められた人間の数が多すぎるのが気になってね」

 僕とばぁちゃんは、互いに顔を見合わせた。
 

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

無能な陰陽師

もちっぱち
ホラー
警視庁の詛呪対策本部に所属する無能な陰陽師と呼ばれる土御門迅はある仕事を任せられていた。 スマホ名前登録『鬼』の上司とともに 次々と起こる事件を解決していく物語 ※とてもグロテスク表現入れております お食事中や苦手な方はご遠慮ください こちらの作品は、 実在する名前と人物とは 一切関係ありません すべてフィクションとなっております。 ※R指定※ 表紙イラスト:名無死 様

こちら御神楽学園心霊部!

緒方あきら
ホラー
取りつかれ体質の主人公、月城灯里が霊に憑かれた事を切っ掛けに心霊部に入部する。そこに数々の心霊体験が舞い込んでくる。事件を解決するごとに部員との絆は深まっていく。けれど、彼らにやってくる心霊事件は身の毛がよだつ恐ろしいものばかりで――。 灯里は取りつかれ体質で、事あるごとに幽霊に取りつかれる。 それがきっかけで学校の心霊部に入部する事になったが、いくつもの事件がやってきて――。 。 部屋に異音がなり、主人公を怯えさせる【トッテさん】。 前世から続く呪いにより死に導かれる生徒を救うが、彼にあげたお札は一週間でボロボロになってしまう【前世の名前】。 通ってはいけない道を通り、自分の影を失い、荒れた祠を修復し祈りを捧げて解決を試みる【竹林の道】。 どこまでもついて来る影が、家まで辿り着いたと安心した主人公の耳元に突然囁きかけてさっていく【楽しかった?】。 封印されていたものを解き放つと、それは江戸時代に封じられた幽霊。彼は門吉と名乗り主人公たちは土地神にするべく扱う【首無し地蔵】。 決して話してはいけない怪談を話してしまい、クラスメイトの背中に危険な影が現れ、咄嗟にこの話は嘘だったと弁明し霊を払う【嘘つき先生】。 事故死してさ迷う亡霊と出くわしてしまう。気付かぬふりをしてやり過ごすがすれ違い様に「見えてるくせに」と囁かれ襲われる【交差点】。 ひたすら振返らせようとする霊、駅まで着いたがトンネルを走る窓が鏡のようになり憑りついた霊の禍々しい姿を見る事になる【うしろ】。 都市伝説の噂を元に、エレベーターで消えてしまった生徒。記憶からさえもその存在を消す神隠し。心霊部は総出で生徒の救出を行った【異世界エレベーター】。 延々と名前を問う不気味な声【名前】。 10の怪異譚からなる心霊ホラー。心霊部の活躍は続いていく。 

日常怪談〜穢〜

蒼琉璃
ホラー
何気ない日常で誰かの身に起こったかもしれない恐怖。 オムニバスの短編ホラーです。エブリスタでも投稿しています。

月のない夜 終わらないダンスを

薊野ざわり
ホラー
イタリアはサングエ、治安は下の下。そんな街で17歳の少女・イノリは知人宅に身を寄せ、夜、レストランで働いている。 彼女には、事情があった。カーニバルのとき両親を何者かに殺され、以降、おぞましい姿の怪物に、付けねらわれているのだ。  勤務三日目のイノリの元に、店のなじみ客だというユリアンという男が現れる。見た目はよくても、硝煙のにおいのする、関わり合いたくないタイプ――。逃げるイノリ、追いかけるユリアン。そして、イノリは、自分を付けねらう怪物たちの正体を知ることになる。 ソフトな流血描写含みます。改稿前のものを別タイトルで小説家になろうにも投稿済み。

オカルト嫌いJKと言霊使いの先輩書店員

眼鏡猫
ホラー
書店でアルバイトをする女子高生、如月弥生(きさらぎやよい)は大のオカルト嫌い。そんな彼女と同じ職場で働く大学生、琴乃葉紬玖(ことのはつぐむ)は自称霊感体質だそうで、弥生が発する言霊により悪いモノに覆われていると言う。一笑に付す弥生だったが、実は彼女には誰にも言えないトラウマを抱えていた。

二人称・短編ホラー小説集 『あなた』

シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』 そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・ ※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。  様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。  小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。

5A霊話

ポケっこ
ホラー
藤花小学校に七不思議が存在するという噂を聞いた5年生。その七不思議の探索に5年生が挑戦する。 初めは順調に探索を進めていったが、途中謎の少女と出会い…… 少しギャグも含む、オリジナルのホラー小説。

呪配

真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。 デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。 『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』 その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。 不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……? 「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!

処理中です...