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麗しき毒婦①
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清史郎は、困惑したように彼女に接していた。既婚者のようだし、画家として雇われた職場で、変な噂を流されたくないと言うのがその態度から見てもよく分かる。
だけど、そんな事はお構い無しで千鶴子はフォークをそっと置くと、彼の胸元にすり寄った。
「あら、お堅い人ね……清史郎さん。芸術家なんて冒険してこそではありませんの?」
「千鶴子さん、本当に……」
「今夜、私の部屋にいらして。良いブランデーが手に入りましたの」
真面目な性格なようだが、押しに弱い性格なんだろうか、それても欲望に負けたのか、次の瞬間には場面が変わって清史郎はベッドの上で半裸のまま頭を抱えていた。
隣には、千鶴子が着物を直していて艶やかに微笑んでいた。
「こんな事は許されない……僕は、妻を佐知子を裏切ってしまった。ずっと支えてくれた妻の事を……僕は、この邸を出る。別の画家を雇ってくれるよう、君のお父上に掛け合う」
「貴方は、子供がいるんでしょう。売れない画家が遠山邸を出て、安い賃金で家族を養えると思っていらっしゃるの?」
千鶴子の言葉に、頭を抱え自分の髪を掴んでいた清史郎が顔をあげる。彼女を肩越しに振り返り信じられないと言う様な表情で凝視した。
後れ毛を直しながら、妖艶な眼差しで振り返った彼女の唇は血のように赤くて、僕は寒気がした。現代に生きていても、彼女は銀幕の名女優のように美しいのに何故か不気味で恐ろしい。
「一体……君は何を言ってるんだ。これは僕の過ちなんだ。千鶴子さん、君も一時の気の迷いで僕を誘ったんだろう。こんな不健全な関係はだめだ。君のお家も、君自身の名にも傷を付けてしまう」
「気の迷いなんかじゃないわ! 私は貴方が好きなのよ。この邸を以前訪れたことがあるでしょう。女学生の時から清史郎さんをみていたわ!」
千鶴子は、脅迫が通じないと知るやいなや、涙を浮かべながら彼の情に訴えかけた。
清史郎は突然の告白と、泣き出す彼女に戸惑うように目を逸らした。
この優柔不断さが、彼の駄目な所ではないかと思う。
「だが、僕には佐知子と娘がいる。君の気持ちには答えられないよ……千鶴子さん。今描いてる君の絵が出来上がったら、僕は出ていくよ」
罪悪感に苛まれるように清史郎は上着を着ると千鶴子を残して、部屋を出ていった。
部屋に一人残された彼女を、僕は振り返ると思わずドキッてして肩をすくめる。
その美しい顔はまるで、般若のように歪んでいて、唇を強く噛み締めたせいで、蒼白になり血が滲んでいる。
「そうか……やっぱりあの女と子供がいるから、あの人は私に振り向かないのね。あの女とガキがいるからか………。他の男で気を紛らわせても、あの人みたい完璧じゃないのよ。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い! 殺してやる殺してやる殺してやる」
その瞬間、千鶴子の体は不自然にガクガクと関節が折れ曲がり、中腰になると首を傾げてギョロリとこちらを見た。
その目玉を飲み込むように、肌色の絵の具を掻き混ぜたように赤い唇も全て、ぐるりと円を描くように渦巻いた。女性のヒステリックな笑い声が聞こえて、僕はあまりの不気味さに後退った。
「ま、まずい……見付かった!」
「健、この部屋から逃げるよ!!」
何度もいうが霊視中に、この館の主であるもはや悪霊を通り越して、魔物と化した千鶴子に気付かれた。過去の情景を映し出す霊視中に、その場にいない人間を認識できる悪霊は、かなり強いものだ。
僕とばぁちゃんは、急いで部屋から飛び出した。着物姿のまま、壁を這い上がり天井を伝って僕たちを追いかけてくる。
階段まできて、降りようとした瞬間まるで生き物のようにうねうねと階段が踊って、絞られた雑巾なように捻れた。
「ばぁちゃん!! 階段が!!」
「仕方ないね、とりあえず一時的にこいつを祓いのけるよ! 教えた祝詞を同時に唱える。あんたの強い霊力をばぁちゃんが後押しするよ」
『高天原に坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は
大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て
萬物を御支配あらせ給う王神なれば
一二三四五六七八九十の十種の御寶を己がすがたと変じ給いて
自在自由に天界地界人界を治め給う……』
僕の龍神の巫としての素質はばぁちゃんのお墨付きなんだから大丈夫だと、何度も言い聞かせた。
四つん這いで走り寄ってくる千鶴子を見ないように目をつむり、僕は龍神の祝詞をあげた。
この閉ざされた現世と、あちら側の狭間でも龍神への祈りは届くのだろうか。
すべての祝詞が終わる頃には体がポカポカと熱くなり、目を開けた瞬間に、自分の目の前まで迫っていた歪んだ顔の千鶴子が、廊下の奥まで吹き飛ばされて消える。
それと同じくして、捻れた階段が元へと戻っていき、僕は思わずへたりこみそうになった。
「やった! 浄霊できたの?」
「いや、外の世界に弾いただけだから、暫くしたら戻ってくるだろうねぇ」
膝から崩れ落ちそうになったけど、あのアトリエは焼け崩れて天井が抜けていた。先程の浅野清史郎との記憶はとても重要なものだったのだろう。
奔放な彼女は、浅野清史郎に一方的な片思いをしていたようだ。それも、彼の奥さんや子供に殺意を抱くほど夢中になっていた。
清史郎に容姿が似ている克明さんに固執するのもわかる気がするが、まだ分からないことが沢山ある。
「さっきの霊視は清史郎さんのものだと思っていたけど、千鶴子のものだったんだ。彼の魂はここには無い……呪い殺されたんじゃなくて、奥さんと一緒に関東大震災で亡くなってるから。
娘さんだけが生き残って、戦火をくぐり抜けた彼の作品を集めたんだ。千鶴子にはこの絵に悪霊として封じられるような、何か大きな出来事があったんだよね?」
「そうだねぇ……なんたってここには、閉じ込められた人間の数が多すぎるのが気になってね」
僕とばぁちゃんは、互いに顔を見合わせた。
だけど、そんな事はお構い無しで千鶴子はフォークをそっと置くと、彼の胸元にすり寄った。
「あら、お堅い人ね……清史郎さん。芸術家なんて冒険してこそではありませんの?」
「千鶴子さん、本当に……」
「今夜、私の部屋にいらして。良いブランデーが手に入りましたの」
真面目な性格なようだが、押しに弱い性格なんだろうか、それても欲望に負けたのか、次の瞬間には場面が変わって清史郎はベッドの上で半裸のまま頭を抱えていた。
隣には、千鶴子が着物を直していて艶やかに微笑んでいた。
「こんな事は許されない……僕は、妻を佐知子を裏切ってしまった。ずっと支えてくれた妻の事を……僕は、この邸を出る。別の画家を雇ってくれるよう、君のお父上に掛け合う」
「貴方は、子供がいるんでしょう。売れない画家が遠山邸を出て、安い賃金で家族を養えると思っていらっしゃるの?」
千鶴子の言葉に、頭を抱え自分の髪を掴んでいた清史郎が顔をあげる。彼女を肩越しに振り返り信じられないと言う様な表情で凝視した。
後れ毛を直しながら、妖艶な眼差しで振り返った彼女の唇は血のように赤くて、僕は寒気がした。現代に生きていても、彼女は銀幕の名女優のように美しいのに何故か不気味で恐ろしい。
「一体……君は何を言ってるんだ。これは僕の過ちなんだ。千鶴子さん、君も一時の気の迷いで僕を誘ったんだろう。こんな不健全な関係はだめだ。君のお家も、君自身の名にも傷を付けてしまう」
「気の迷いなんかじゃないわ! 私は貴方が好きなのよ。この邸を以前訪れたことがあるでしょう。女学生の時から清史郎さんをみていたわ!」
千鶴子は、脅迫が通じないと知るやいなや、涙を浮かべながら彼の情に訴えかけた。
清史郎は突然の告白と、泣き出す彼女に戸惑うように目を逸らした。
この優柔不断さが、彼の駄目な所ではないかと思う。
「だが、僕には佐知子と娘がいる。君の気持ちには答えられないよ……千鶴子さん。今描いてる君の絵が出来上がったら、僕は出ていくよ」
罪悪感に苛まれるように清史郎は上着を着ると千鶴子を残して、部屋を出ていった。
部屋に一人残された彼女を、僕は振り返ると思わずドキッてして肩をすくめる。
その美しい顔はまるで、般若のように歪んでいて、唇を強く噛み締めたせいで、蒼白になり血が滲んでいる。
「そうか……やっぱりあの女と子供がいるから、あの人は私に振り向かないのね。あの女とガキがいるからか………。他の男で気を紛らわせても、あの人みたい完璧じゃないのよ。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い! 殺してやる殺してやる殺してやる」
その瞬間、千鶴子の体は不自然にガクガクと関節が折れ曲がり、中腰になると首を傾げてギョロリとこちらを見た。
その目玉を飲み込むように、肌色の絵の具を掻き混ぜたように赤い唇も全て、ぐるりと円を描くように渦巻いた。女性のヒステリックな笑い声が聞こえて、僕はあまりの不気味さに後退った。
「ま、まずい……見付かった!」
「健、この部屋から逃げるよ!!」
何度もいうが霊視中に、この館の主であるもはや悪霊を通り越して、魔物と化した千鶴子に気付かれた。過去の情景を映し出す霊視中に、その場にいない人間を認識できる悪霊は、かなり強いものだ。
僕とばぁちゃんは、急いで部屋から飛び出した。着物姿のまま、壁を這い上がり天井を伝って僕たちを追いかけてくる。
階段まできて、降りようとした瞬間まるで生き物のようにうねうねと階段が踊って、絞られた雑巾なように捻れた。
「ばぁちゃん!! 階段が!!」
「仕方ないね、とりあえず一時的にこいつを祓いのけるよ! 教えた祝詞を同時に唱える。あんたの強い霊力をばぁちゃんが後押しするよ」
『高天原に坐し坐して天と地に御働きを現し給う龍王は
大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て
萬物を御支配あらせ給う王神なれば
一二三四五六七八九十の十種の御寶を己がすがたと変じ給いて
自在自由に天界地界人界を治め給う……』
僕の龍神の巫としての素質はばぁちゃんのお墨付きなんだから大丈夫だと、何度も言い聞かせた。
四つん這いで走り寄ってくる千鶴子を見ないように目をつむり、僕は龍神の祝詞をあげた。
この閉ざされた現世と、あちら側の狭間でも龍神への祈りは届くのだろうか。
すべての祝詞が終わる頃には体がポカポカと熱くなり、目を開けた瞬間に、自分の目の前まで迫っていた歪んだ顔の千鶴子が、廊下の奥まで吹き飛ばされて消える。
それと同じくして、捻れた階段が元へと戻っていき、僕は思わずへたりこみそうになった。
「やった! 浄霊できたの?」
「いや、外の世界に弾いただけだから、暫くしたら戻ってくるだろうねぇ」
膝から崩れ落ちそうになったけど、あのアトリエは焼け崩れて天井が抜けていた。先程の浅野清史郎との記憶はとても重要なものだったのだろう。
奔放な彼女は、浅野清史郎に一方的な片思いをしていたようだ。それも、彼の奥さんや子供に殺意を抱くほど夢中になっていた。
清史郎に容姿が似ている克明さんに固執するのもわかる気がするが、まだ分からないことが沢山ある。
「さっきの霊視は清史郎さんのものだと思っていたけど、千鶴子のものだったんだ。彼の魂はここには無い……呪い殺されたんじゃなくて、奥さんと一緒に関東大震災で亡くなってるから。
娘さんだけが生き残って、戦火をくぐり抜けた彼の作品を集めたんだ。千鶴子にはこの絵に悪霊として封じられるような、何か大きな出来事があったんだよね?」
「そうだねぇ……なんたってここには、閉じ込められた人間の数が多すぎるのが気になってね」
僕とばぁちゃんは、互いに顔を見合わせた。
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