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迷い家の記憶⑤
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僕らは、気味の悪い偽物の空から目を逸らすと廊下を歩いた。突き当りには二階に続く階段と、地下へと続く階段がある。
僕の本能が地下へと続く階段に足を踏み入れてはならないと頭の中で警鐘を鳴らしていた。薄暗い階段の下はまるで、深い地獄の穴のように漆黒の闇が広がり、目を凝らして、ただそこ見つめているだけで、なにか得体のしれない物が這い出してきそうで怖ろしい。
僕には、この地下に克明さんがいると言う漠然とした確信がある。
「健、とりあえず先に二階へ行くよ。できるだけこの洋館の力を削いでおきたいからねぇ」
「そうだね……、二階からも嫌な気配がしているから何か彼女のことが分かるかもしれない」
僕はうんざりとするように溜息を付いた。この遠山邸の過去を霊視する度に、気のせいかもしれないが、とてつもなく疲労感を感じる。
ばぁちゃんの言う通り、生きた人間が霊体のまま長居をするのは危険なのかも知れない。僕を思い体を引きずるように先頭に立ち、手摺を持って階段を登り始めた。
すると、廃墟同然で傷んでいた手摺と黒く焼け落ちていた階段が、逆再生のように元の姿へと戻る。そして階段を登るまで気付かなかったが、壁にかけられた肖像画がみるみるうちに再生していった。
「この人達は、遠山家のご先祖かな……、いや、違う……これは早瀬さんのノートにあった遠山千鶴子の家族だ」
遠山銀蔵、妻の昌子、長男の達郎そして長女の千鶴子が描かれた四人の肖像画が飾ってある。また、他には当主である銀蔵のモノクロの写真や、娘や息子の幼い頃の写真も飾られていたが、なんだか不気味に感じられた。
僕に絵の才能が全く無いが、絵柄や雰囲気の違いくらいならば何となく素人でも理解する事ができる。この絵はおそらく、浅野清史郎の描いたものだろう。
「あんまりその絵を凝視するんじゃないよ。ほら……そいつ等はあんたに気付いてしまうからねぇ」
ばぁちゃんに、後ろから急かされ慌てて顔を前方に向けたが、チラリと横目で絵画を見た。
霊視しても、この絵画に遠山家の人々の魂が入っているようには思えないが、突き刺さるような生々しい視線が僕を追ってくる。
聞き取れない程の男女のヒソヒソとした話し声が耳に届き、そのうち千鶴子の目が徐々に紅く光り始めたような気がして、僕は急いで階段の上まで駆け上がった。
「あ、あの絵画って……全く関係ない悪霊が憑いてるの?」
「あの悪霊どもは、あそこから出られないみたいだけどねぇ、憑いていると言うよりあの絵の中に封じられているのか。無意識かもしれないけど、浅野清史郎っていう画家には霊能力があったのかも知れないよ」
一体どういう事だろう。
絵の中に霊を閉じ込められるような能力者なんて聞いたことも無い。僕は息を切らし、首を傾げながら前方を見た。
偽物の太陽の光が入る窓に、上品な赤の絨毯が廊下真っ直ぐ伸びている。古い柱時計が時刻を知らせるボーン、ボーンと言う音が響いて心臓が止まりそうになった。
「あの部屋から、蓄音機の音がしてる……ばぁちゃん行こう」
「遠山千鶴子はサロメが好きだったのかねぇ。ばぁちゃんは前川きよしのほうが好きだよ」
演歌歌手や男性アイドルが好きなばぁちゃんにして見れば、つまらない選曲だったかも知れない。それにしても先程と言いどうしてこの曲が頻繁にかかるのだろう。
確かサロメは、自分を拒絶した預言者ヨカナーンの首を欲しがり、切り落とされた彼の生首に口付け、狂気から処刑されると言う結末だ。
僕がその部屋に近付くと、扉がゆっくりと開いて中の様子が見えた。
三十代前半位のいかにも画家と言う風貌の男性がいた。芸術家らしい、どこか影のある容姿は現代人である僕から見ても、俳優のように見える整った顔立ちをしている。
いや、そんな事より僕が一番驚いたのは彼が、克明さんにそっくりだった事だ。
「清史郎さん、休憩にしませんこと? 私、もう疲れましたわ」
千鶴子が、そう言って笑うと浅野清史郎らしき画家は思わず絵筆を止めた。
「ああ、すまない……絵を描き出すと夢中になって時間を忘れてしまうんだ。休憩にしよう、千鶴子さん」
広い部屋は、浅野清史郎の為に開けられたアトリエのようだった。普通ならば、モデルのほうが画家の元へと通いそうなものだけど、遠山家のような懐に余裕のある華族は絵を完成させる間、空いた部屋を貸し出すのだろうか。
油彩道具の独特な香りと、予備の白いキャンパス、いつくかの作品が壁に置かれている中にモデルの千鶴子が日傘をさして佇んでいる。
清史郎さんの一声で、吐息を吐き日傘を畳むと呼び鈴を鳴らして支給係にお茶の準備を申し付けた。
「ふふっ、清史郎さんらしいわ。貴方の真剣な顔を見て、吹き出さないようにするのも大変ですのよ」
千鶴子の表情は、今まで見た彼女の印象とは異なるもので、まるで少女のような笑顔だった。僕みたく、恋愛から程遠いような人間だって彼女が清史郎に恋をしていると言う事は、何となく察する事は出来るくらいの幸せそうな表情だ。
鶏の首を切り落とすような人間には、とても見えず僕の霊視が間違えたかと思うくらいだ。
女中が、紅茶とショートケーキを持ってくると、千鶴子はそれをフォークで切り清史郎の口元へと運んだ。
その場からさり際に、女中にジロジロと訝しむように見るのを気にしながら、千鶴子が運んだケーキを一口食べる。そして女中が去ったのを見計らって困惑したように言った。
「千鶴子さん、悪ふざけがすぎるよ……。あの女中の目を見たかい。僕と君が密通していると思われるよ。君はまだ嫁入り前のしかも遠山家のご息女だ。僕には妻も子もいるのだし……」
僕の本能が地下へと続く階段に足を踏み入れてはならないと頭の中で警鐘を鳴らしていた。薄暗い階段の下はまるで、深い地獄の穴のように漆黒の闇が広がり、目を凝らして、ただそこ見つめているだけで、なにか得体のしれない物が這い出してきそうで怖ろしい。
僕には、この地下に克明さんがいると言う漠然とした確信がある。
「健、とりあえず先に二階へ行くよ。できるだけこの洋館の力を削いでおきたいからねぇ」
「そうだね……、二階からも嫌な気配がしているから何か彼女のことが分かるかもしれない」
僕はうんざりとするように溜息を付いた。この遠山邸の過去を霊視する度に、気のせいかもしれないが、とてつもなく疲労感を感じる。
ばぁちゃんの言う通り、生きた人間が霊体のまま長居をするのは危険なのかも知れない。僕を思い体を引きずるように先頭に立ち、手摺を持って階段を登り始めた。
すると、廃墟同然で傷んでいた手摺と黒く焼け落ちていた階段が、逆再生のように元の姿へと戻る。そして階段を登るまで気付かなかったが、壁にかけられた肖像画がみるみるうちに再生していった。
「この人達は、遠山家のご先祖かな……、いや、違う……これは早瀬さんのノートにあった遠山千鶴子の家族だ」
遠山銀蔵、妻の昌子、長男の達郎そして長女の千鶴子が描かれた四人の肖像画が飾ってある。また、他には当主である銀蔵のモノクロの写真や、娘や息子の幼い頃の写真も飾られていたが、なんだか不気味に感じられた。
僕に絵の才能が全く無いが、絵柄や雰囲気の違いくらいならば何となく素人でも理解する事ができる。この絵はおそらく、浅野清史郎の描いたものだろう。
「あんまりその絵を凝視するんじゃないよ。ほら……そいつ等はあんたに気付いてしまうからねぇ」
ばぁちゃんに、後ろから急かされ慌てて顔を前方に向けたが、チラリと横目で絵画を見た。
霊視しても、この絵画に遠山家の人々の魂が入っているようには思えないが、突き刺さるような生々しい視線が僕を追ってくる。
聞き取れない程の男女のヒソヒソとした話し声が耳に届き、そのうち千鶴子の目が徐々に紅く光り始めたような気がして、僕は急いで階段の上まで駆け上がった。
「あ、あの絵画って……全く関係ない悪霊が憑いてるの?」
「あの悪霊どもは、あそこから出られないみたいだけどねぇ、憑いていると言うよりあの絵の中に封じられているのか。無意識かもしれないけど、浅野清史郎っていう画家には霊能力があったのかも知れないよ」
一体どういう事だろう。
絵の中に霊を閉じ込められるような能力者なんて聞いたことも無い。僕は息を切らし、首を傾げながら前方を見た。
偽物の太陽の光が入る窓に、上品な赤の絨毯が廊下真っ直ぐ伸びている。古い柱時計が時刻を知らせるボーン、ボーンと言う音が響いて心臓が止まりそうになった。
「あの部屋から、蓄音機の音がしてる……ばぁちゃん行こう」
「遠山千鶴子はサロメが好きだったのかねぇ。ばぁちゃんは前川きよしのほうが好きだよ」
演歌歌手や男性アイドルが好きなばぁちゃんにして見れば、つまらない選曲だったかも知れない。それにしても先程と言いどうしてこの曲が頻繁にかかるのだろう。
確かサロメは、自分を拒絶した預言者ヨカナーンの首を欲しがり、切り落とされた彼の生首に口付け、狂気から処刑されると言う結末だ。
僕がその部屋に近付くと、扉がゆっくりと開いて中の様子が見えた。
三十代前半位のいかにも画家と言う風貌の男性がいた。芸術家らしい、どこか影のある容姿は現代人である僕から見ても、俳優のように見える整った顔立ちをしている。
いや、そんな事より僕が一番驚いたのは彼が、克明さんにそっくりだった事だ。
「清史郎さん、休憩にしませんこと? 私、もう疲れましたわ」
千鶴子が、そう言って笑うと浅野清史郎らしき画家は思わず絵筆を止めた。
「ああ、すまない……絵を描き出すと夢中になって時間を忘れてしまうんだ。休憩にしよう、千鶴子さん」
広い部屋は、浅野清史郎の為に開けられたアトリエのようだった。普通ならば、モデルのほうが画家の元へと通いそうなものだけど、遠山家のような懐に余裕のある華族は絵を完成させる間、空いた部屋を貸し出すのだろうか。
油彩道具の独特な香りと、予備の白いキャンパス、いつくかの作品が壁に置かれている中にモデルの千鶴子が日傘をさして佇んでいる。
清史郎さんの一声で、吐息を吐き日傘を畳むと呼び鈴を鳴らして支給係にお茶の準備を申し付けた。
「ふふっ、清史郎さんらしいわ。貴方の真剣な顔を見て、吹き出さないようにするのも大変ですのよ」
千鶴子の表情は、今まで見た彼女の印象とは異なるもので、まるで少女のような笑顔だった。僕みたく、恋愛から程遠いような人間だって彼女が清史郎に恋をしていると言う事は、何となく察する事は出来るくらいの幸せそうな表情だ。
鶏の首を切り落とすような人間には、とても見えず僕の霊視が間違えたかと思うくらいだ。
女中が、紅茶とショートケーキを持ってくると、千鶴子はそれをフォークで切り清史郎の口元へと運んだ。
その場からさり際に、女中にジロジロと訝しむように見るのを気にしながら、千鶴子が運んだケーキを一口食べる。そして女中が去ったのを見計らって困惑したように言った。
「千鶴子さん、悪ふざけがすぎるよ……。あの女中の目を見たかい。僕と君が密通していると思われるよ。君はまだ嫁入り前のしかも遠山家のご息女だ。僕には妻も子もいるのだし……」
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