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第二十二話 女郎蜘蛛―弐―

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 ここ、どこなの。
 ふくらい先生の研究所じゃない。
 すごく体が重たい……。
 ぼく、ずっと眠ってたのかな。誰かの足音がしてのぞき込んでくる人を見た。 

「――――っっ」
「あら、その目は郁人あやとさんだわね。福来博士から聞いてた通りだわ……。催眠術なんて眉唾まゆつばだと思っていたけれど、私でも、暗示をかけることができたじゃない。しばらく、あの三人には眠ってもらいましょう」

 タバコを吸いながら、ぼくを見下ろしたのは、うめこおばさんだった。
 それから、こわい顔をした男の人たちが部屋にはいってきた。うめこおばさんは、ぼくにとても嫌なことをしてくるからきらい。
 いやだ!って言ったらぼくをぶつんだ。
 だから怖くて起き上がると、へやの隅まで走って膝を抱えた。
 アヤトはどこに行ったの。
 もう、うめこおばさんや、じょちゅうの相手はしなくていいって言ったのに。

「あ……ぅ……うめこおばさん……」
「そんなに怖がらないでくださいな、郁人さん。久しぶりなのに悲しいじゃない。これから福来博士の力を借りて、新しい人格を作るのよ。綾斗さんはちょっと、お利口過ぎたわね。薫さんも一也さんも手にあまるし、なんとかしなくちゃいけないわ」

 カヲル、カズヤ?
 ぼんやりと顔は浮かぶけどわからない……。
 ここはどこ? 今日は何曜日?
 たしか……、そうだ。
 あのときなにもかも嫌になって、逃げたくなって、頭が真っ白になったんだっけ。
 けんきゅうしつの置いてあるものが勝手に空中に浮いたり、燃えたり、かんごふさんたちもぼくの思い通りに動かせた。
 ぜんぶ、ぼくの力だった。
 うめこおばさんが、きもち悪いことをぼくにさせるたびに、こわくて、かなしくて、嫌になる。
 だから心なんてなくなればいいんだ。
 ふくらい先生や、かんごふさん、おかあさんが真っ青になってさわいでた。
 おとうさんは怖い顔をして、ぼくを見下してたたくの。
 もう、おねがいだから、ぶたないで!
 だって、力が勝手に出てとめられないんだよ。おかあさんも、お化けでも見るみたいにぼくを見てる。
 ごめんなさい、おかあさん。
 おかあさんはぼくがいい子じゃないから嫌いなの?
 アヤトが、ぼくと変わってくれたから嫌なことからぜんぶ逃げ出して、ようやくちゃんと眠れるようになったのに。

「あら、勘違いしないでちょうだい。薫さんはあの通り自由人で言うことを聞かないし、一也さんはとても頑固で手が掛かるわ。けれどみんな愛しい甥っ子だったのよ。だけど、あの孤児の西洋女に熱をあげちゃって、いやらしい。メアリーと駆け落ちして、結婚するなんて言い出すのよ、ご先祖様が泣いちゃうわ。あの女に惑わされておかしくなってしまったのね。お兄様たちを殺したのも……、あの中の誰かよ」
「めあ……りぃ……?」
 
 メアリー……メアリー……。
 なんて、かわいい名前なんだろう。
 すごく安心するひびき。
 心がウキウキする、だいすき。
 ああ、おもいだしたよ。
 夢の中でぼくに手を差し伸べてくれた、優しい女の子だ。
 白いドレスを着た天使みたいな可愛い子
 砂糖菓子みたいにふわふわで、そうだ硝子玉みたいなキレイな青い目の異人さん。
 あの子はほんとうに天使なのかな。
 だってメアリーはぼくをぶったりしなかったよ。ぼくを、おばけみたいに怖がったりしないし、おばさんたちがするような、きもち悪いこともしないんだ。

「そうよ。だからね、郁人さん……きちんと、妃咲家の長男として、小春と結婚して貰うわ。あの時、力を暴走させて研究所をめちゃくちゃにしたでしょう。貴方は精神を安定させるために、別の人格を生み出した……。綾斗さんと福来博士は協力して、能力を分散させようとしたみたいね。それが成功したのか薫さんが生まれたわ。それからずいぶんたって一也様が生まれたわね。気の優しい郁人さんはお兄様に軍人として、強い男になるように厳しく育てられたのが嫌だったのかしら?」
「ぁ………ぅ………」

 うめこおばさんは、いじわるな笑みを浮かべて、ぼくのほうにくるの。
 そしてタバコの煙をふきかけた。
 ケホ、ケホと咳き込むと、男の人たちがぼくの体をおさえつける。

「私と一緒に行きましょう、郁人さん。そして、生まれ変わるの! 強い『妃咲の長男』ができれば、能力も全部制御できるでしょう? お兄様みたいに強くおなりなさいな」
「ゃ、やめ……」

 メアリー、たすけて!!
 男の人が口に布を当てると、いやなにおいがしてぼくはくらくらする。
 うめこおばさんの声が、ゆらゆらと揺れて聞こえた。
 いやだ、メアリー! たすけて!
 メアリーからぼくたちを離さないで!

「貴方は、お兄様より優秀で素晴らしい殿方だってことを自覚なさってね。ようやく私のものになるのね……愛してるわ、郁人さん。もう、離しませんわよ」

 そこでぼくの記憶はとだえた。

✤✤✤

 私が二階に上がると、大きな男の人が門番みたいに扉の前に立っていた。パーティーに来た人たちの中にこんな人いたかな?
 それにとっても怖いお顔をしてるから、話しかけるのを戸惑ってしまったの。なんだか嫌な予感がするな……。
 この奥に書生さんと、梅子叔母さんがいるの?

「あ、あの……すみません。ここに綾斗さんと、梅子叔母様がいらっしゃるのですか?」
「ええ。綾斗様のご気分が優れないという事で梅子様が介抱していらっしゃいます」
「えっ? 大丈夫なんですかっ、私もお部屋にいれてください。私は、妻の芽亜里めありです」
「細君は入れないよう、梅子様から申し受けております。すでに、医者を呼んでおりますのでご安心を。お客様の方にも我々から事情をご説明し、帰って頂きます」

 どうして、私が入ってはいけないの?
 お医者さんを呼ばれるくらい具合が悪いのかな。でも、そんなに書生さんの体調が悪いなら、小春ちゃんだって気づくと思うの。
 下の階が、ガヤガヤしてだんだんと人の気配が無くなっていくと、心細くて怖くなってきちゃった。この扉の奥に書生さんたちがいるのに……どうして会っちゃ駄目なの?
 下で待つように怖い顔の男の人に言われたけど、心配でここから動けない。

「あの、せめて……梅子叔母様とお話しさせて下さい。すごく心配なの。ねぇ、お願い」

 私が縋り付くように言うと、ガチャリと後ろの扉が開いて担架たんかに乗せられた書生さんが見えた。
 眠ってるみたいで、私が声をかけても反応しない。担架を担いだ男の人たちは私を無視して、階段を降りていく。追いかけようとしたら、誰かに腕を掴まれて思わず振り向いたの。

「い、痛っ……あ、貴女は」

 たぶん、この人が梅子叔母さんだ。
 とっても綺麗な人だけど、まるで……般若のお面みたいな表情で怖い。私を振り向かせると見下すようにして言ったの。

「メアリー、久しぶりですわね。と言っても貴女は小さな子供だったから、私のことなんて覚えてらっしゃらないわよねぇ」
「梅子叔母様……ですか? あの、綾斗さんは大丈夫なんですか」
「いやだわ、叔母様だなんてよしてちょうだい! 私は貴女の身内じゃなくってよ。あの子は病気で、もう貴女とは一緒には暮らせないのよ。この結婚は破棄ね」
「そ、そんな……なんの病気なの? お医者さまはっ……お医者さまはなんて言ってるの? ほんとうに『結婚』しないって書生さんたちが言ったの?」

 そんなこと、うそ。
 書生さんたちは私のことをとっても愛してくれてたよ。時々、恥ずかしいこともされちゃうし、振り回されたりもする。
 三人とも普通の人とは違うかもしれないけど、一緒に暮らしていけるし、私にとっては大切な人なの。
 書生さんたちから、結婚しないなんて言葉は絶対出るはずない。そんなこと言わないって私、知ってるもん!
 それに、お医者さんなんてどこにいるの?

「本当よ。それに西洋人の貴方が旧家の嫁として妃咲を支えるのは無理でしょう? でも英国に帰ったところで、言葉も喋れなければ親族も見つけられないわね。安心なさい、この家に置いてあげるし、使用人も残してあげるわ。鷹司が援助してあげるわよ。その代わり愛人の一人として鷹司の相手をなさいな」
「い、いやだもん! うそつきっ……! みんなをどこに連れて行くのっ」
「煩い小娘だわ! 忌々しいったらありゃしない」

 こんなに風に誰かに怒ったのははじめて。
 でも、この人が良い人じゃないのはわかる。
 絶対みんなにひどいことするもの!
 梅子さんは、私を突き飛ばすとあの男の人と一緒に階段を降りた。
 私は、突き飛ばされてこけた時に足をくじいたみたいで、なんとか立ち上がると二人を追いかけたの。

「小春は鷹司の邸に送ったのね、私たちは教授のところに向かいましょう」
「待って!」
「それじゃ、ご機嫌よう片桐芽亜里さん。もう私たち、逢うことも無いでしょうけれど……。短い間でしたが、妃咲がお世話になりましたね。また絵葉書でもおくって差し上げますわ」

 梅子さんはまるで嘲笑うように言うと、お屋敷から出ていったの。支給係の人たちがその様子を呆気に取られた様子で見てる。
 車の音がして、私は涙がボロボロと溢れて座り込んでしまったの。
 どうしたらいいの。
 みんなを、みんなを助けなくちゃ。
 だって、私……みんなが居ないと生きていけない。知らない鳥籠で、知らない人になんて飼われたくないよ。
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