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【霧首島編】

第四十一話 神裂の日②

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『見つかった……! 健、御神刀で迎え討つんだよ! ばぁちゃんはこの子たちを守るので精一杯だ!』

 ばぁちゃんは緊迫した様子でそう言うと、梨子と安藤さんを抱きしめた。梨子にも強いご先祖様の守護霊はついているけれど、ばぁちゃんほど霊力は高くない。ましてや安藤さんは、お腹の子に掛かった呪詛のせいで、守護霊の力が弱くなってる。
 民俗資料館で、華夜姫の気配を打ち消すほど強い生命力を持つ梨子も、本体を前にしたらどんな影響が起こるか分からないな。
 けど……そうか、菜々さんが呟いていた『禍津神』って、華夜姫と融合した利華子さんの事か。だけど、操るとは………?
 あれは誰かが操ったりできるような、存在なんかじゃない。

「お鎭まり下さいませ華夜姫様……! どうか、お許し下さいませ。必ずきちんと正当な儀式を行います!」
「なんまいだ、なんまいだ。どうか裕貴だけでもお助け下さいまし!」
「お二人共、しっかりして下さい! 僕の背中に隠れて。なんとか僕が……浄化します。ばぁちゃん! 梨子と安藤さんを頼んだよ」

 額に意識を集中させると、僕は外の様子を霊視する。
 僕はこちらに向かってくる、禍津神となった利華子さんを伺う。地下の階段を、ヒタヒタと濡れた白い足がゆっくりと降りてきた。
 高貴な紅い着物を着た女の長い逆立った黒髪が、火柱のように、ゆらゆらと天井まで揺れていた。顔は曖昧で、ぼんやりと歪んでおり、良く見えないが、あれは間違いなく華夜姫の器なのだろう。
 彼女の腹部には虚ろな目をして微笑む、利華子さんの顔が生えていた。まるで妊婦のように、華夜姫は利華子さんの頬を、鱗の生えた両手で優しく撫でている。
 すでに華夜姫の想いを飲み込み、呪いの中心となった利華子さんが、華夜姫にそうさせているのかもしれない。

『ふふ………遼太郎さん……ふふ……あはは……そこにいるんでしょう……隠れても無駄よ』

 まるで、恋人と隠れんぼでもしているような、無邪気で楽しそうな台詞だった。だけど、その声音は冷たく、湿っていて、おぞましい。
 御神刀を持つ手が無意識に震えてしまう。
 僕は恐怖で、心が押し潰されそうになったけど、そんなことよりも、妙な違和感を感じ、冷や汗をかきながら、更に意識を集中させて霊視した。

「え……?」

 禍津神を凝視すると、うっすらと間宮さんの姿が視えた。華夜姫の器だと思ったのは間宮さんで、まるでゆっくりと光が点滅するように、華夜姫と間宮さんが入れ替わり、不安定で姿が定まらない。
 これは、憑依されているんだ。
 一緒に居たはずの明くんの姿は相変わらず見えず、僕は内心焦る。

「ま、間宮さん……!? どうして……明くんは一体」
「えっ……た、健くんどういう事!?」
「間宮さんが憑依されてる!」

 僕は内心焦りながら、意識をさらに集中させて目を凝らす。華夜姫の腹部に生えていた利華子さんの首の位置には、どうやら間宮さんが何かを持っているようだ。禍々しい気配がする。あれは一体何だ……御神鏡?
 僕の神社にある御神鏡と、良く似たものだったが、鏡の部分は漆黒の闇で、そこから嫌な煙のようなものが立ち込めている。
 もしかして、オカルトマニアで、民俗学の教授の間宮さんは、職業柄、好奇心を抑えられず霧首海神神社に行って、つい御神鏡を盗んだんだろうか……?
 いや、学者がその場で取材を申し出、研究のために持ち出し許可の交渉をするならともかく、無断で御神鏡を持ち帰るなんてことするのか、という疑問はある。けれど、神社には近寄るなと口を酸っぱくして言う霧首島の人たちが、許可するとは思えない。
 間宮さんが、魅入られてしまった可能性もありうるな。
 ともかく、僕は今回の『神裂の日』はあれが原因だと、直感的に思った。

『ふふ……見つけた…見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた』

 地下室に『見つけた』という言葉が響き渡ると、梨子と安藤さんは、悲鳴をあげて床に伏せる。裕貴さんの母親は、車椅子から転がり落ちて、恐怖のあまり心臓を抑えていた。裕貴さんは母親に駆け寄ると、青褪め覚えた様子で周囲を見渡し、祝詞を唱えていた。
 パニックになる彼らを見ていると、僕は逆に冷静になってくる。
 今までだって、僕は悪霊から恐ろしい魔物と化した者と、対峙してきたんだ。
 札が破れる音がして、扉が荒々しく開け放たれると、黒髪と煙が、蜘蛛の糸のように地面と床に張り巡らされる。

『許さない……許さない……返して……遼太郎さん……神埼家……を……許さない……霧首島の畜生共……全て……滅びるがいい……根絶やしに……』

 二人の女性の苦しげな声が響く。
 そして、贄にされた男性の手がニュッと華夜姫の背中から、蜘蛛の足のように生えてわらわらと、宙を掴むような動きをした。
 僕は龍神の御神刀を持つ手に力を込めながら、怨嗟の風の中で一歩ずつ彼女達に近付く。皮膚が剥がれ落ちそうなくらいに、霊力が強い。まるで荒れ狂う暴風の中を歩くように苦しい。
 凄い……御神刀で結界を作って、怨嗟の風を防がなければ、直ぐにでも正気を失ってしまうような禍々しさだ。
 少しでも当てられたら、この場にいる全員がお互いを殺し合い、残った者も迷わず自害してしまうだろうと思うくらいの、霊力だ。

「っ……利華子さん、華夜姫。貴方がたに起こったこと、僕が全て……把握しました。遼太郎さんと……依華寿を鎮めたのは僕です!」

 僕の声は、彼女たちに届いているだろうか。
 男女の混じった苦しげな声が、響いている。恐ろしい祟神に取り込まれ、贄にされ、禍津神として、厄災を引き起こしてしまう呪われた存在は、人間の理不尽な身勝手さで作られた者だ。
 遼太郎さんたちもそうだ。
 彼らは因習の被害者じゃないか。
 僕は恐ろしさよりも、この霧首島に縛り付けられ、怒りと憎しみに永遠に囚われた、彼らの魂が哀れに思えた。
 ――――安息を与えてやりたい。

「くっ……、きっと……遼太郎さんもっ……依華寿も、終わりにしたかったはずです……! 憎しみに飲み込まれながら、この永遠の苦しみから、貴女を解き放つ事を考えていたはずだ」

 僕は、歯を食いしばり御神刀を前に掲げながら、僅かに後退った彼女たちのもとへと向かう。
 もし、梨子が悪霊になったら。
 もし、恐ろしい禍津神になったら、僕は彼女を救うために、なんだってする。
 永遠に片思いでもいい、自分の命を削ってでも、好きな人を苦しみから解き放ちたいと願うだろう。

『解き………放つ………』
「依華寿が僕に貴方がたの過去を見せたのは、過去を知って欲しかったからです! 遼太郎さんの気持ちは僕にも分かります。永遠に憎しみと怒りに囚われ、贄の痛みを感じ続けるのは地獄だ。愛してる人を救って欲しい、それが彼らの願いです!」
 
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