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二十二話 禁忌②
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美雨は着物に着替え、妙子に髪を整えて貰うと、友人たちがいる屋敷へと向かった。道中、いつものように出逢う村人たちが、柔和な笑顔で頭を下げている。美雨はようやくそれが、どういうことなのか理解できた。
悪樓が『穴戸神』で、自分が神様の花嫁。
彼らにとって、美雨は同じく信仰の対象になるのだろう。
美雨は、まるでどこかの国の王妃にでもなったような気になり、不思議とこの島の村人たちを守りたいという、責任感のようなものまで生まれた。ポツポツと駄菓子屋や商店が立ちならぶ緩やかな坂道を下って、海を見ながら集落の方へ行くと、奥まった屋敷へと向かう。
「美雨、おはよう。今日も悪樓さんは来てないの? 一緒に来れば良かったのに」
「おはよう、穂香ちゃん。うん、悪樓さんは忙しいみたいだから、遠慮せずにお話しておいでって言ってくれたの。悪樓さん、心配性だからお屋敷へ続く階段は踏み外したらいけないって、途中までついてきてくれたんだけどね」
穂香に挨拶する美雨は、悪樓のことに触れられると、はにかんでそう答えた。忙しいというのは、美雨に気を遣わせないように悪樓が言ったのだろうと思う。
穂香は美雨の表情を見ると、自分の悪樓に対する不安感や警戒心なんて、ただの杞憂なんだろうと思った。彼女はとても幸せそうで、こんなに輝いて見えるのは初めてだった。
穂香の後ろから、遅れて樹が顔を出すと、笑顔で迎えてくれる。
「美雨ちゃん、おはよう。実はね、大地は漁に出て行ったんだよ叔父さんは資料纏めるとか言って、朝早くから島の人たちに話を聞き回ってるみたいだよ。本気でこの島の研究家にでもなる気なんじゃない?」
「そうなの? すっかり島に馴染んできたみたいで嬉しいな。結衣ちゃんと陽翔くんはいる?」
「結衣は散歩に行ったよ。たぶん、あの双子くんのところじゃない。陽翔くんは部屋にいると思う」
美雨は、なんとなく二人が結衣と陽翔に関して、よそよそしく話しているような気がして、不思議に思ったが、彼らに案内され、居間の方まで行くと、冷たいお茶を用意された。格好からして、これからどこかに出かけるように見えたので、美雨は問う。
「もしかして、穂香ちゃんたちも出かけようとしてたの?」
「うん。実はこのお屋敷に畑があるから、畑仕事お手伝いしながら農業ノウハウを教えて貰おうかなってね。その代わり子供たちに勉強教えようと思う。ほら、家庭教師のバイトしてたから。そうそう、美雨を誘おうと思ってたの」
「僕たちも、美雨ちゃんみたいに永住してもいいかなって考えているんだ。大地もあいつの叔父さんも、ここで暮らしたいって言ってるんだ」
樹はともかく、穂香の反応を少し意外に思ったが、友人がこの島に居てくれることは、美雨にとっても過ごしやすい環境になる。
この島や悪樓の不思議な力が関係しているのかもしれないが、彼らは昨日よりも、これからの未来を決断したことに明るい表情を浮かべているし、楽しそうに見えた。
「あのね、私……。突然だけど悪樓さんと結婚することにしたの。祝言は別の日になるけど、明日この島の婚姻の儀式をして夫婦になる」
「え、悪樓さんと結婚?」
さすがに悪樓と結婚する、というと二人は驚いたように互いの顔を見合わせた。当たり前の反応だと感じ、美雨は受け入れてもらえないかもしれないという、不安が込み上げる。
穂香はふと美雨の手に触れると、言葉を選ぶようにして、視線を合わせるように、親友の顔を覗き込んだ。
「これは……おとぎ話だと思って聞いてね。大地くんの叔父さんがあの小嶌神楽を見て言っていたことなんだけど。神様に愛されて『嫁入り』をすると、寿命が短くなるんだって」
穂香は、第六感的に何かを察している。けれど確たる証拠もないので、遠回しにこのようなことを警告するしかできなかった。
悪樓が言ったように、この島の住人になると、自然と彼の存在を受け入れ、理解するのかもしれないが、友人として美雨を心配して念を押す。
引き返すなら今しかない、悪樓と結婚しなくても、彼の側に居て、この島で生きていけると穂香は言いたいのだろう。
美雨は、彼女の手を握り返した。
「悪樓さんには私が必要で、私にも悪樓さんが必要なの。もし私なら……」
「私なら?」
「人と神様の命の長さは違って、短い間しか生きられなくても、大切な人の側で生きていられるならそれでいいよ。自分の片割れみたいな、大事な人と一生巡り合えなかったら。心のどこかでいつも何かが足りなくて、満たされなくて、その人の影を探して長生きするほうが、ずっとつらい」
「…………」
美雨の言葉に、穂香と樹は黙った。この短期間に、二人の中でどんなやり取りがあったかは分からない。けれど、間違いなく美雨と悪樓には、見えない強い絆が存在しているのを感じた。それは、赤の他人が、立ち入ってはいけない領域のように思える。
美雨も、悪樓に対する思いをはっきりと言葉にすることで、今まで感じていた心の満たされない理由がなんだったかも言葉にできた。
「美雨ちゃん、おめでとう」
「おめでとう、美雨。祝言には呼んでね。きっとみんなも祝福してくれるよ」
樹の祝の言葉に、穂香はハッとして我に返り、涙を浮かべて祝の言葉を告げた。
少し頼りない美雨を、いつも穂香は心配していたが、この島に流れ着いてから、彼女なりに成長したように感じる。悪樓に愛され、悪樓を愛して自分に自信を持てたなら、もう他人がどうこう言うことではない。彼女の選んだ道だ。
美雨は、彼らの反応を少し恐れていたけれど、少し胸を撫で下ろした。
「私、陽翔くんにもきちんと報告するよ。ちょっと、昨日は喧嘩みたいになっちゃったから。きちんと説明しようと思う」
「え……陽翔くんに? 私たちから言うよ」
「美雨ちゃん。陽翔ね、なんか昨日変だったんだよ。この島から出たがっていたし。心配だから僕たちも一緒に行こうか?」
「ううん。大丈夫」
樹と穂香はなんだか歯切れ悪く、居心地の悪そうな顔をした。けれど、彼らを連れて行くと陽翔はよけいに機嫌を悪くする。だから、美雨は自分できちんと『この島から出ない』『悪樓と結婚する』ことを告げなくてはならないと思った。
美雨は、ゆっくりと立ち上がり陽翔の部屋へと向かった。
✤✤✤
美雨が描きあげた絵を、悪樓は指でなぞりながらそれを大事にしまう。美雨に飾っても良いかと尋ねると、それならきちんと色を塗って、綺麗に描いたものを、と断られた。
朝方の慌てて恥ずかしがる美雨の顔を思い浮かべると、悪樓の冷たい心に、温かな灯火が宿ったような柔らかな気持ちになる。彼女との日常はその幸せの連続だ。
「華姫の生まれ変わりは、どの人間も大事に思うが、美雨は特別愛い……。どの瞬間も記憶に刻みつけておきたくなる。鬼灯の実が好きならばもう少し植えようか。できるだけこの屋敷は、嫁御寮が好きな花を植えて、ゆるりと過ごしやすいようにしたいものだ」
悪樓は独り言を言うと、庭に出て花菖蒲や、青色の朝顔に水をやる。美雨が好きな花を植えてやり、彼女の好きなように過ごせるようにしてやりたい。
ここは、悪樓と美雨が住まう大事な憩いの場所だ。
ふと、足音を感じて振り向くと、そこには妙子が困惑した様子でこちらを伺っていた。
「悪樓様」
「妙子、どうしたのだ。なにか問題でも? 玄関先が騒がしいようだが……私に客人か?」
「はい。八重お婆ちゃんが応対しているのですが、美雨様のご友人の方が来られていて。ぜひ、悪樓様にお会いしたいと……」
「そうか。わざわざこの私に会いにくるのだから、何か折り入って『願い』でもあるのだろう」
悪樓の涼しい声音に、妙子は深々と頭を下げる。そして、お客様をお屋敷にお招きしますか、と問う。悪樓は庭から部屋に上がり、頭を横に振って妙子に告げた。
「ここは私と嫁御寮の聖域。出入りできる者はお前たち巫女の一族か、美雨が招いた客人だけよ。私が会ってやろう」
ふと、一瞬皮肉めいた微笑みを浮かべると悪樓は屋敷の廊下を通って、玄関まで向かう。
そこには、八重が困った様子で美雨の友人である結衣と話していた。村人たちに用意して貰った和服ではなく、漂着時に着ていた洋服で悪樓を見ると、目を輝かせた。
悪樓が時おり村民たちの様子を伺うことはあっても、よほどのことがない限り島民たちが、悪樓の屋敷に向かうことはない。
なにか困ったことがあれば、神社に参拝すれば良いし、小嶌神楽のような特別な行事の日には、神楽殿に悪樓が姿を現してくれる。人々は皆、彼に手を合わせて願いを聞いてもらうのだから。
「――――あんたはもう、真秀場の村に馴染んでおるんだから、無闇にこの屋敷に近付いてはならん。なにか用があるなら、儂が聞いておくよ」
「もういいってば、悪樓さん出てきてくれたし。八重さん、ありがとうね」
八重は、悪樓の姿を見ると申し訳無さそうに頭を下げた。悪樓は、八重に下がるように言うと結衣を見る。
「あまり年寄りの手を煩わせるな。八重の寿命は残り少ない。お前は美雨の友人の……結衣だったな。私に話しがあるなら、外で聞こう」
「不思議なことを言うんですね、悪樓さんって。寿命が見えるのかな? それじゃあ、外でお話し聞いてもらっても、良いですか」
悪樓は無表情のまま答えた。結衣はそれにまったく動じない。つれない異性を見ると逆に燃え上がってしまう性質だ。
ほとんど村人の前でも表情を崩すことのない悪樓だったが、海底のように冷たい雰囲気や、どこか月を連想させるような、神秘的な美しさも結衣にとって興味深く、出逢ったことのないタイプの男だった。
こんな田舎の島で網元をやるより、都会に出てモデルでもした方がいいだろう。
恋人が居てお金持ち、そして顔もいい、まさに悪樓は理想の相手だ。
島の中で一番高い場所にある屋敷の外まで歩くと、くるりと後ろを振り返り、悪樓を見上げる。結衣は自分を、どんなふうに見せれば男が揺らぐかを良く知っている。
「悪樓さん、私……この島の人たちとあんまり馴染めなくて悩んでるんです。仲良くなれるコツを教えて欲しいなって。網元の悪樓さんに聞くのが一番でしょ?」
悪樓が『穴戸神』で、自分が神様の花嫁。
彼らにとって、美雨は同じく信仰の対象になるのだろう。
美雨は、まるでどこかの国の王妃にでもなったような気になり、不思議とこの島の村人たちを守りたいという、責任感のようなものまで生まれた。ポツポツと駄菓子屋や商店が立ちならぶ緩やかな坂道を下って、海を見ながら集落の方へ行くと、奥まった屋敷へと向かう。
「美雨、おはよう。今日も悪樓さんは来てないの? 一緒に来れば良かったのに」
「おはよう、穂香ちゃん。うん、悪樓さんは忙しいみたいだから、遠慮せずにお話しておいでって言ってくれたの。悪樓さん、心配性だからお屋敷へ続く階段は踏み外したらいけないって、途中までついてきてくれたんだけどね」
穂香に挨拶する美雨は、悪樓のことに触れられると、はにかんでそう答えた。忙しいというのは、美雨に気を遣わせないように悪樓が言ったのだろうと思う。
穂香は美雨の表情を見ると、自分の悪樓に対する不安感や警戒心なんて、ただの杞憂なんだろうと思った。彼女はとても幸せそうで、こんなに輝いて見えるのは初めてだった。
穂香の後ろから、遅れて樹が顔を出すと、笑顔で迎えてくれる。
「美雨ちゃん、おはよう。実はね、大地は漁に出て行ったんだよ叔父さんは資料纏めるとか言って、朝早くから島の人たちに話を聞き回ってるみたいだよ。本気でこの島の研究家にでもなる気なんじゃない?」
「そうなの? すっかり島に馴染んできたみたいで嬉しいな。結衣ちゃんと陽翔くんはいる?」
「結衣は散歩に行ったよ。たぶん、あの双子くんのところじゃない。陽翔くんは部屋にいると思う」
美雨は、なんとなく二人が結衣と陽翔に関して、よそよそしく話しているような気がして、不思議に思ったが、彼らに案内され、居間の方まで行くと、冷たいお茶を用意された。格好からして、これからどこかに出かけるように見えたので、美雨は問う。
「もしかして、穂香ちゃんたちも出かけようとしてたの?」
「うん。実はこのお屋敷に畑があるから、畑仕事お手伝いしながら農業ノウハウを教えて貰おうかなってね。その代わり子供たちに勉強教えようと思う。ほら、家庭教師のバイトしてたから。そうそう、美雨を誘おうと思ってたの」
「僕たちも、美雨ちゃんみたいに永住してもいいかなって考えているんだ。大地もあいつの叔父さんも、ここで暮らしたいって言ってるんだ」
樹はともかく、穂香の反応を少し意外に思ったが、友人がこの島に居てくれることは、美雨にとっても過ごしやすい環境になる。
この島や悪樓の不思議な力が関係しているのかもしれないが、彼らは昨日よりも、これからの未来を決断したことに明るい表情を浮かべているし、楽しそうに見えた。
「あのね、私……。突然だけど悪樓さんと結婚することにしたの。祝言は別の日になるけど、明日この島の婚姻の儀式をして夫婦になる」
「え、悪樓さんと結婚?」
さすがに悪樓と結婚する、というと二人は驚いたように互いの顔を見合わせた。当たり前の反応だと感じ、美雨は受け入れてもらえないかもしれないという、不安が込み上げる。
穂香はふと美雨の手に触れると、言葉を選ぶようにして、視線を合わせるように、親友の顔を覗き込んだ。
「これは……おとぎ話だと思って聞いてね。大地くんの叔父さんがあの小嶌神楽を見て言っていたことなんだけど。神様に愛されて『嫁入り』をすると、寿命が短くなるんだって」
穂香は、第六感的に何かを察している。けれど確たる証拠もないので、遠回しにこのようなことを警告するしかできなかった。
悪樓が言ったように、この島の住人になると、自然と彼の存在を受け入れ、理解するのかもしれないが、友人として美雨を心配して念を押す。
引き返すなら今しかない、悪樓と結婚しなくても、彼の側に居て、この島で生きていけると穂香は言いたいのだろう。
美雨は、彼女の手を握り返した。
「悪樓さんには私が必要で、私にも悪樓さんが必要なの。もし私なら……」
「私なら?」
「人と神様の命の長さは違って、短い間しか生きられなくても、大切な人の側で生きていられるならそれでいいよ。自分の片割れみたいな、大事な人と一生巡り合えなかったら。心のどこかでいつも何かが足りなくて、満たされなくて、その人の影を探して長生きするほうが、ずっとつらい」
「…………」
美雨の言葉に、穂香と樹は黙った。この短期間に、二人の中でどんなやり取りがあったかは分からない。けれど、間違いなく美雨と悪樓には、見えない強い絆が存在しているのを感じた。それは、赤の他人が、立ち入ってはいけない領域のように思える。
美雨も、悪樓に対する思いをはっきりと言葉にすることで、今まで感じていた心の満たされない理由がなんだったかも言葉にできた。
「美雨ちゃん、おめでとう」
「おめでとう、美雨。祝言には呼んでね。きっとみんなも祝福してくれるよ」
樹の祝の言葉に、穂香はハッとして我に返り、涙を浮かべて祝の言葉を告げた。
少し頼りない美雨を、いつも穂香は心配していたが、この島に流れ着いてから、彼女なりに成長したように感じる。悪樓に愛され、悪樓を愛して自分に自信を持てたなら、もう他人がどうこう言うことではない。彼女の選んだ道だ。
美雨は、彼らの反応を少し恐れていたけれど、少し胸を撫で下ろした。
「私、陽翔くんにもきちんと報告するよ。ちょっと、昨日は喧嘩みたいになっちゃったから。きちんと説明しようと思う」
「え……陽翔くんに? 私たちから言うよ」
「美雨ちゃん。陽翔ね、なんか昨日変だったんだよ。この島から出たがっていたし。心配だから僕たちも一緒に行こうか?」
「ううん。大丈夫」
樹と穂香はなんだか歯切れ悪く、居心地の悪そうな顔をした。けれど、彼らを連れて行くと陽翔はよけいに機嫌を悪くする。だから、美雨は自分できちんと『この島から出ない』『悪樓と結婚する』ことを告げなくてはならないと思った。
美雨は、ゆっくりと立ち上がり陽翔の部屋へと向かった。
✤✤✤
美雨が描きあげた絵を、悪樓は指でなぞりながらそれを大事にしまう。美雨に飾っても良いかと尋ねると、それならきちんと色を塗って、綺麗に描いたものを、と断られた。
朝方の慌てて恥ずかしがる美雨の顔を思い浮かべると、悪樓の冷たい心に、温かな灯火が宿ったような柔らかな気持ちになる。彼女との日常はその幸せの連続だ。
「華姫の生まれ変わりは、どの人間も大事に思うが、美雨は特別愛い……。どの瞬間も記憶に刻みつけておきたくなる。鬼灯の実が好きならばもう少し植えようか。できるだけこの屋敷は、嫁御寮が好きな花を植えて、ゆるりと過ごしやすいようにしたいものだ」
悪樓は独り言を言うと、庭に出て花菖蒲や、青色の朝顔に水をやる。美雨が好きな花を植えてやり、彼女の好きなように過ごせるようにしてやりたい。
ここは、悪樓と美雨が住まう大事な憩いの場所だ。
ふと、足音を感じて振り向くと、そこには妙子が困惑した様子でこちらを伺っていた。
「悪樓様」
「妙子、どうしたのだ。なにか問題でも? 玄関先が騒がしいようだが……私に客人か?」
「はい。八重お婆ちゃんが応対しているのですが、美雨様のご友人の方が来られていて。ぜひ、悪樓様にお会いしたいと……」
「そうか。わざわざこの私に会いにくるのだから、何か折り入って『願い』でもあるのだろう」
悪樓の涼しい声音に、妙子は深々と頭を下げる。そして、お客様をお屋敷にお招きしますか、と問う。悪樓は庭から部屋に上がり、頭を横に振って妙子に告げた。
「ここは私と嫁御寮の聖域。出入りできる者はお前たち巫女の一族か、美雨が招いた客人だけよ。私が会ってやろう」
ふと、一瞬皮肉めいた微笑みを浮かべると悪樓は屋敷の廊下を通って、玄関まで向かう。
そこには、八重が困った様子で美雨の友人である結衣と話していた。村人たちに用意して貰った和服ではなく、漂着時に着ていた洋服で悪樓を見ると、目を輝かせた。
悪樓が時おり村民たちの様子を伺うことはあっても、よほどのことがない限り島民たちが、悪樓の屋敷に向かうことはない。
なにか困ったことがあれば、神社に参拝すれば良いし、小嶌神楽のような特別な行事の日には、神楽殿に悪樓が姿を現してくれる。人々は皆、彼に手を合わせて願いを聞いてもらうのだから。
「――――あんたはもう、真秀場の村に馴染んでおるんだから、無闇にこの屋敷に近付いてはならん。なにか用があるなら、儂が聞いておくよ」
「もういいってば、悪樓さん出てきてくれたし。八重さん、ありがとうね」
八重は、悪樓の姿を見ると申し訳無さそうに頭を下げた。悪樓は、八重に下がるように言うと結衣を見る。
「あまり年寄りの手を煩わせるな。八重の寿命は残り少ない。お前は美雨の友人の……結衣だったな。私に話しがあるなら、外で聞こう」
「不思議なことを言うんですね、悪樓さんって。寿命が見えるのかな? それじゃあ、外でお話し聞いてもらっても、良いですか」
悪樓は無表情のまま答えた。結衣はそれにまったく動じない。つれない異性を見ると逆に燃え上がってしまう性質だ。
ほとんど村人の前でも表情を崩すことのない悪樓だったが、海底のように冷たい雰囲気や、どこか月を連想させるような、神秘的な美しさも結衣にとって興味深く、出逢ったことのないタイプの男だった。
こんな田舎の島で網元をやるより、都会に出てモデルでもした方がいいだろう。
恋人が居てお金持ち、そして顔もいい、まさに悪樓は理想の相手だ。
島の中で一番高い場所にある屋敷の外まで歩くと、くるりと後ろを振り返り、悪樓を見上げる。結衣は自分を、どんなふうに見せれば男が揺らぐかを良く知っている。
「悪樓さん、私……この島の人たちとあんまり馴染めなくて悩んでるんです。仲良くなれるコツを教えて欲しいなって。網元の悪樓さんに聞くのが一番でしょ?」
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