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二十一話 禁忌①

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 美雨が目を覚ますと、悪樓が自分の隣で横になったまま静かな寝息を立てていた。長い睫毛が呼吸をするたびに動き、綺麗な髪がサラリと畳に流れた。神様でも眠りにつくのか、と思うと美雨は不思議な気持ちになる。
 穏やかな寝顔は人と変わらず、じっと眺めていても飽きない。

(悪樓さん、綺麗だな。悪樓さんの髪……本当は、夢の中で出てきたみたいに銀色なんだよね。早く見たい)

 髪が朝日に照らされて、キラキラと光っている。美雨は彼の寝顔にすっかり魅入ってしまっていたが、眠っている彼を起こさないようにして、布団をめくる。アンティークな書斎机の引き出しを開けると、画用紙と鉛筆を手に取った。

(悪樓さんを、描きたい)

 真秀場村に来てから、美雨はまだ一度も絵を描いていなかったけれど、彼を眺めていると唐突とうとつに、何気ない仕草や悪樓の佇まいを、絵に描きとめておきたい衝動に駆られた。

(きっと、萩原薫が自分の小説に悪樓さんを出したのは、思い出を残したかったんだ。どうして彼だけ、男性に転生したのかな)

 悪樓の絵を描きながら、美雨は萩原薫のことを考えた。あの小説のあとがきまで、まだ読んでいない。けれど、今なら彼の気持ちが、よく分かる気がする。

(もしかして同性なら、親友としてできるだけ長く、彼のそばにいてあげられると思ったのかも)

 大方のデッサンが終わり、髪の色を真剣に塗っていると、ふと視線を感じて美雨は顔を上げた。悪樓が、薄っすらと目を開けて自分を、優しいまなざしで見ていた。
 とたんに恥ずかしくなった美雨は、赤面して画用紙を膝の上に置く。

「おはよう。美雨、絵を描いておるのか?」 
「は、はい。おはようございます、悪樓さん」
「庭に咲いた花でも描いていたのか? 嫁御寮、私に貴女の絵を、見せてくれまいか」

 そう言うと、ゆっくりと悪樓が体を起こして美雨の顔を覗きこむ。彼が眠っているのをいいことに、勝手に絵のモデルにしてしまった。
 悪樓の寝顔を描いていたことを恥ずかしく思って、美雨はうつむく。悪樓は決して無理強いをするようなことはない。
 美雨は、気恥ずかしさで彼に見せることを迷っていたが、勇気を出してそっと彼に画用紙を渡した。悪樓は美雨の絵を見て少し、驚いた様子でいたが嬉しそうに柔らかく微笑む。

「あ、あの。まだ描きあげてないし、私自身がいろいろと練習途中なので、上手くないかも……です」
「美雨、上手に描けている。貴女の絵は私の特徴をとらえているし、とても綺麗だよ」

 そう言うと、悪樓は美雨の髪を指で梳き、額に口付けた。自分の絵を褒められた美雨は、心の中に温かく、淡い炎が宿ったような気がしてとても嬉しくなった。
 大好きな人に肯定されると、こんなにも幸せな気持ちになるのかと、美雨はぼんやりと夢見心地になった。

「ありがとうございます、悪樓さん。また悪樓さんの絵を、描いてもいいですか?」
「もちろんだ。貴女の好きなものを描くといい。私も美雨の描いた絵を、宝物にしても良いだろうか。もちろん、これから描く絵も全て……私たちの思い出にしたい」
「はい」

 抱き寄せられると、美雨は幸せでどうにかなりそうになってしまった。悪樓は思いやりがあり、彼女が大事にしてくれているものも、同じように大事に扱ってくれる。
 美雨は生まれてからこれまで、こんなふうに幸せに包まれ、一日一日を大切にして生きようと、思ったことはない。

「美雨、明日は私たちの婚姻の儀がある。今日のうちに、友人たちと話しておくといい。私の正体のことは、皆には言わずに。いずれ彼らも村の掟や、私のことを自然と受け入れるだろうから」
「はい。あの……結婚の儀は夢で見たように、夜の海へ向かうのですか? 姿を見られたらだめだから、友だちを呼んだりはできないんですよね」
「嗚呼。満月の夜に村長が祭主となって嫁御寮の貴女を連れてくる。私の本当の姿は貴女以外は、見てはならぬ掟になっているからな。美雨が望むなら、後日貴女の友を集めて人の『祝言』のまねごとをしよう」

 悪樓の口から『祝言』という言葉を聞くと美雨は、ようやく結ばれるのだという喜びで、心の中が震えるような感覚がした。
 まるでそれは、前世から積み重ねられた魂の喜びのように感じる。

✤✤✤

 小嶌神楽が終わり、漂流者たちは屋敷へと戻ってきた。
 穂香は、激高した陽翔の様子に違和感を覚え、気分がモヤモヤとしている。
 陽翔の口から、美雨に関して話題が出たことなんて、高校の時からほとんどない。彼女には同性の幼なじみがいたが、意外と異性同士だと、年齢と共にドライになるものかと思ったくらい、美雨と陽翔は幼なじみらしくなかった。
 それに、あんなふうにキレている陽翔を見たのは初めてで、気分が悪くなる。

 縁側で、蛍を見ていた穂香は、廊下を歩く音がしてそちらを見ると、足音の主は樹だった。こんな夜更けにどうしたのだろうと不思議に思うと、彼は頭をかきながら言う。

「穂香ちゃん、隣に座ってもいい?」
「あ、樹くん。樹くんも眠れないの」
「そうなんだよ。穂香ちゃんも一緒みたいだね」

 小嶌神楽が終わったあと、結衣はお風呂に入って、そうそうに寝てしまった。不機嫌な様子だったのは、美雨が悪樓とともに彼の屋敷に行ったからだろうか。悪樓を狙っている様子だったので、さすがに身近な友人の相手を寝取るなと、穂香が釘をさしたのも機嫌の悪さの原因かもしれない。
 樹ともほとんど話していないようだし、小嶌に来てから、二人の関係はギクシャクしているようだ。

「実はさ……僕、結衣ちゃんと別れたよ。というか、本土にいる時に告られて、ここに来て別れたって感じ。向こうもあっさりしてたな」
「そっか……あの子、軽いから。私は陽翔くんと小嶌にきて付き合ったけど、もしかしたら別れるかも。陽翔くんの考えてることが分からなくて」

 虫の声と、蛍の光を見ながら二人はしばらく沈黙した。この島に来てから、友だちや好きな人の本性が見えてきた。

「友人の僕が言うのもなんだけど、陽翔はやめておいた方がいいと思う。ごめん」
「うん。そっか……。私、美雨が陽翔くんのこと好きなのを、薄々勘づいてたんだよね。だけど、あの子何も言わないから。静かに身を引いちゃうタイプなんだよ。それをいいことに見せつけるようなことをしたから、罰が当たったのかも。ほんと嫌な女だった」

 美雨にはきちんと話して欲しかったが、彼女の性格では、無理だろうと思っていた。だからわずかに罪悪感を感じながら、自分が先に彼へアプローチをかけた。
 陽翔も自分と付き合えることを喜んでいたはずなのに、本命は美雨だったのだろうか。
 けれど、悪樓と去る美雨の態度を思い出すと、美雨の心はもうすでに悪樓に向いていて、陽翔にない。長年の片思いも、悪樓によってすべて塗り替えられている。
 それに、美雨のあの怯えよう。それが穂香に違和感を感じさせた。第六感というべきか、本能的に陽翔が危険な相手なように思えた。

「でも、美雨ちゃんは、悪樓さんが好きみたいだよね。僕でも分かるよ」
「うん……美雨、なんか雰囲気変わったよね。明るくなったし」
「美雨ちゃんは、この島に来てのびのびしているよね。穂香ちゃんこの島から出られないなら、ここで生活していかなくちゃならなくなる。僕らはこの島で生きるためには、彼らのルールに従わなくちゃいけないと思うんだ」
「従う……か。大地くんはノリノリだよね。もともと田舎出身だし、叔父さんが一緒にいるからここで生活するのも悪くないって。あの叔父さんは独身でしょ。両親ももう他界してるし、この島のことを研究したいみたい」

 大地はどこででもやっていける、順応型のようで村に馴染んでいた。美雨に望みがないと分かると、村の娘や沙奈恵と仲良くしている。

「すごいよね。僕は明日にでもこの島の農業を手伝って、学ぼうかなと思うんだけど、穂香ちゃんもどう? この屋敷の裏に使われてない畑があるのも見つけたんだ」
「うん。食材もただで貰ってるし、いつまでも遊んでられないから、私も行こうかな。なにか、私が村でできること見つけないと体が鈍るよ。美雨が来たら一緒にいこう」

 この島はどこかおかしい、そういう気持ちは穂香の心の片隅にあるが、人間は環境に慣れようとする。だんだんと時間がたつにつれて、あれほど帰りたかった都会のことも、会いたい家族のことも霧がかかったように、よく思い出せない。 
 そして寂しい、という気持ちも湧いて来なかった。
 もしかして自分たちが思うよりも、外の世界は時間が過ぎていて、なんておとぎ話のような考えも浮かぶ。

「……?」

 不意に、ガサカザと言う音がして、二人はぎよっとして前方を見る。外に続く庭から陽翔が息を切らしながら出てきて、目を丸くした。

「は、陽翔……くん?」
「陽翔、どうしたんだ。どこか出かけてたのか?」
「お前ら、すげぇもん見たんだよ。マジでこの島はやばい。悪樓は人間じゃねぇ、化け物だ! 明日みんなでこの島から逃げるぞ。美雨をつれて、海を渡るんだ!」

 陽翔の様子を見て、穂香は少し寒気を感じた。目がらんらんと光っていて、訳のわからないことを口走っている。樹と穂香の困惑した反応を見ると、陽翔は舌打ちをして部屋へと戻っていった。

「なんだあいつ。この島に来てからずっと変なんだ。様子を見てくる」
「う、うん」

 穂香はその場から動けず、樹に頼むことにした。
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