【R18】月に叢雲、花に風。

蒼琉璃

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第三部 天界編

漆、狂華が散る―其の弐―

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 自ら今上帝と名乗った鬼蝶の目は、鞍馬山でみたあの時よりも狂っていた。白露から右目を若菜によって傷つけられたと聞いていたが、蝶の刺繍が施された珍しい眼帯をつけており、四人は鬼蝶の執着の深さを感じた。
 血まみれの寝間着に、刀から滴り落ちる血は今しがた、誰かを殺めてきた証だろう。

『お前が法眼ほうげんを殺して総大将になったときは、ありえへん話しやないと思うたけどな。せやけど、今上帝になるほどトチ狂ってるとは思わへんかったわ』

 顔をあげた由衛の皮肉に、鬼蝶は美しい顔を醜く歪ませてニヤリと笑った。そして軽やかに彼らに近付くと、全員の顔を舐め回すようにして拝む。
 ようやく、若菜に繋がる情報源に辿りつけたのだ、鬼蝶はありとあらゆる拷問を使い、彼らの口を割らせたいと考えたことだろう。

「うーん、確かに全員僕が知ってる奴らと同じ顔だけどぉ。あやかしの術とも限らないよねぇ。あははっ、誰か一人の首を切り落としたらぁ、本物かどうかわかるかな♡ だってお前たちのうちの誰かが死んだって、情報源はあと三人いるからねぇ!」

 鬼蝶は刀をゆらゆらと揺らしていたが、白露の所で止まると、彼の髪を掴み顔を寄せた。若菜が女神となって眷属の力が強くなったと言っても、他の三人に比べて白露は戦闘が不得意で、剣術の能力は劣る。
 狂った鬼蝶と目を合わせないようにしても、無意識に白露はつばを飲み込んでしまった。

「あぁ……ああ、この香り。白露、お前から若菜の香りがするぞ。あははっ! 本物の証拠だっ。若菜の匂い、懐かしいなぁ。でもさぁ……お前から僕の囚われの蝶の香りがするのは許せないんだよねぇ!」
『おい、鬼蝶。てめぇは嬢ちゃんの居場所を知りたいんじゃあねェのかい。白露をいたぶってもわかりゃあしねェぞ。そいつはなんにも知らねェからな』

 いたぶるように、刀の先端を白露の喉元に突き刺そうとした時、吉良が挑発するように言った。
 ギロリ、と視線をそちらに向けると鬼蝶は気怠げに吉良のほうへ向かう。そして、蝶の刺繍が施された眼帯を愛しげに触れながら、空想の世界に入るかのように嘲笑った。

「――――白露を庇ったってぇ、どうせお前たちは死ぬ運命なんだけど。ねぇ、僕の若菜はどこにいるの? いい加減、僕を手こずらせるな。キョウの都は僕が支配したし、いずれ幕府も僕の手に落ちる。あはははっ、そうしたらもう、何処にも逃げられないよねぇ……若菜。お前たちを殺したら、だぁれも若菜を助けになんて来ないんだ。あははっ! 僕と同じように右目を潰して、壊れるまで犯してあげるね。どんなに泣き叫んでも逃さない。僕のことだけを愛するようにするんだよぉ!」

 鬼蝶は、そう言うと吉良の頭を足で蹴り飛ばした。不意打ちで頭を強打し、地面に転がったものの、吉良はニヤリと笑う。
 そして起き上がるついでに鬼蝶に頭突きをかました。鬼蝶はよろめき、鼻血を抑えながら鬼の形相で吉良を見ると怒り狂った。

「ぐっあ!! 貴様ぁぁ、よくもザコ式神のくせに、僕の美しい顔を傷つけやがって!」
『哀れな野郎だなァ、てめェは。この国を支配した所で、お前が朔と同化した第六天魔王に勝てる訳ねェだろ』
『俺たちがこの間と違うことに気付けへんのか? 天狗の頭じゃあ、理解が追いつかへんかもしれへんな。お姫さんはもう神の繭から神さんに羽化したんや。せやから、お前みたいな天狗がお姫さんに触れようなんて、身の程知らずにもほどがある』

 由衛と吉良、そして紅雀と白露がゆっくりと立ち上がる。妖術がかけられていたはずの縄が四人の体からするすると抜け落ちた。
 彼らにかけていた陰陽術は、すでに強い神使として能力の上がった彼らには子供騙しにしか過ぎない。
 烏天狗たちが慌てて由衛と吉良を取り押さえようとするが、いとも簡単に手首を捻りあげて刀を奪い取ると殴りつけた。

『私たち、天界兵とやりあって修羅場を抜けてきたのよぅ。あんた達なんて赤子と同じもんさ。ちょいと、気安くこの紅雀さんに触れるんじゃあないよ!』
『――――鬼蝶、若菜様は天界にいらっしゃる。妖魔が人のまつりごとに……しかも、帝に干渉すれば八百万の神々も黙ってはいない。もう、諦めたほうがいいです』

 紅雀を取り抑えようとした烏天狗に啖呵たんかをきると目が怪しく光る。蛇に睨まれた蛙のようにその場で痙攣し、泡を吹いて倒れた。
 白露は、華奢きゃしゃな体で烏天狗を投げ飛ばすと愕然とする鬼蝶に言い放った。
 若菜が『神の繭』から女神になったと聞いた鬼蝶は、唇を噛みしめ目を見開く。だが、しばらくして腹を抱えて笑い出した。

「あっははは! 嘘をつけ、若菜が女神になったんなら、なんでお前たちがここにいるわけ? 捨てられちゃったとかぁ? み・え・す・い・てるんだよぉ! またこの間みたいに痛い目に合いたいんだぁ、ひはっ! いいよ、切り刻みながら若菜の居場所を聞くからさ!」

 鬼蝶の合図で、烏天狗たちが一斉に襲いかかった。しかし、鬼蝶たちが陰陽寮の最深部で彼らを尾行し天魔界の扉の前で襲撃した時より、明らかに軽々と敵を相手にして斬り捨てている。
 由衛と吉良の動きは軽く、素早く烏天狗を斬りつけては息の根を止めた。
 また、紅雀の妖術や吉良の触手で敵を捕らえ壁に叩きつけ、握り潰す。あの白露でさえ、黒羽部隊の首に隠し持っていた小刀で仕留めることができるほど強くなっていた。

「くそっ、くそっくそ! せっかく僕が精鋭部隊として選んでやったのに……すぐに死にやがって、この役立たずどもがぁ! 絶対に許さない……僕に歯向かったことを後悔させてやる! 誰か分からないくらい切り刻んでやるからなぁ」

 鬼蝶は、怒りの形相で叫ぶと天狗の羽を背中に生やし、由衛と吉良に突っ込んでいく。二度も鬼蝶に敗退した二人だったが、今は体の奥から霊力がみなぎるような気がした。
 天魔界で霊力の籠もった愛液を口にし、彼女が女神として生まれ変わったことで、細胞の一つ一つが変化していく感覚。
 天界へと向かった彼女に焦がれて、側でお仕えし、そして命にかえても主人を守護するという揺るぎない思いが、互いの結束を強くした。
 由衛と吉良は鬼蝶の刀を受け止め、弾き飛ばす。ぶつかり合う激しい金属音が何度も周囲に響き、バランスを崩した鬼蝶を二人が追いかける。
 これまでの鬼蝶なら、敵を嘲笑いながら斬りつけ命を奪っていただろう。
 しかし、明らかにその美しい顔からは余裕がなくなり、歯を食いしばりながら応戦していた。三つ巴で戦う中、紅雀と白露は黒羽部隊を次々と駆逐くちくしていく。

『えらい大きなこと言うてたけどしょうもないなぁ……俺たちを切り刻むんやなかったんか? 言うてるやろ、お前ごときの手がお姫さんに届くはずがないんや!』

 鮮血を浴びた乱れた寝間着を切り裂くように由衛の刀が振り下ろされると、鬼蝶の胸板から血しぶきが舞った。
 鬼蝶は胸元を抑えてよろめき、後退すると、周囲で息絶える黒羽部隊の屍たちを見た。もはやこの御所に味方は生き残っていない。

「はぁ……っ、はっ……僕の、僕の邪魔をするなぁっ……! 若菜、若菜を……僕の囚われの蝶を出せっ。僕が死ぬ時はあの女と一緒なんだよぉ!」
『もう、とどめ刺をしてやらねェとな。どんなにてめぇが嬢ちゃんを愛したって、答えるはずがねェ。今から黄泉の国で、てめぇが殺した奴らに侘びな』

 吐血しながら苦し紛れに叫ぶ鬼蝶に、吉良は憐れみさえ感じる。反対に由衛は無慈悲で冷酷な表情のまま、最愛の主人を傷つけた美少年を見た。
 よろめく鬼蝶が反撃しようと動いた瞬間、由衛は刀を振り、鬼蝶の右腕を切り落とした。

「ぎゃあぁぁぁぁぁあ!!!」

 そして吉良が鬼蝶の背後から刀を突き刺すと、腹を突き破り抜き放った。そして、すべての音が消えて倒れ込む鬼蝶。
 晴れた星空に浮かぶ大きな満月は、若菜の髪と濡れた蜜の瞳のようだ。
 どれほど穢しても魂は、綺麗なままだった儚い蝶々。壊せない清らかな存在。
 自分と正反対の彼女と接する度に、強烈に惹きつけられていく。それは彼女の霊力の影響もあったが、光への憧れと初めて感じた他人への執着、そして歪んだ愛があったからだ。

 ――――若菜、もし僕と別の形で出逢えていたら、愛してくれてた?

 式神として出逢えていたら。
 もし鬼蝶が、命を殺めることに罪悪感を感じられる妖魔であったなら、人間だったなら若菜と出逢って愛し合えただろうか。
 鬼蝶は口から血を流しながら、満月に手を伸ばした。

「死ぬ……時は……一緒……愛してる……若菜……」
 
 ありもしない現実を夢見て、視界はやがて暗くなっていく。ゴブッと濁った音を立てて吐血した瞬間、鬼蝶の目に光がなくなり息絶えた。絶命した宿敵を見て、ようやく大きな溜め息を吐き出し、吉良は座り込む。
 あたりは烏天狗のしかばねと血の匂いが充満していて、ようやく因縁の相手との決着がついたことを由衛は実感した。
 偽りの帝と、ここにいる黒羽部隊は殲滅せんめつさせた。あとは皇族の血を引く帝を再び即位させるのみ。

『これで本当に、天照大御神は私たちを天界に招き入れてくれるんだよねェ』
『そのはずですが……』

 紅雀と白露がそう呟いた瞬間、地面にあぐらをかいた吉良と、絶命した鬼蝶のそばに立っていた由衛が何かを感じたように顔をあげる。
 瞬きをした瞬間、そこは清らかな花の香りがした。
 ひらひらと風に乗って横切る花びら、そして澄んだ空気。自分たちが立ち尽くしている場所が、分厚い雲の地面だと気付いた四人は、一斉に背後を振り返る。
 太陽と社を背にした天照大御神アマテルが立っていた。その神々しい姿に、思わず無意識に彼らは平伏してしまう。

「良くやった。さぁ、お主らを高天原に向かい入れよう。これ以降、私が若菜姫に変わりお主らの滞在を許可する」

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