【R18】月に叢雲、花に風。

蒼琉璃

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第二部 天魔界編

壱、籠鳥雲を恋う―其の参―

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 朝日を浴びた黄金の稲穂のような緩やかな髪が、波打ってなだらかな曲線を描く腰に絡みついていた。長い睫毛から見える蜜を溶かしたような甘い瞳は愛しく、瑞々しい柔らかな薄桃色の唇は優しく微笑んでいる。
 彼女は、裸体のまま自分を愛しげに見つめていた。指先を伸ばして稲穂の髪を耳にかけ、柔らかな頬を撫でると、何かが弾け飛んだように熱い感情が溢れ出してきた。そして彼女の名を呼ぶように口を開いた。

「……若菜……」
「サク様、ワカナって誰ですの?」

 不満そうな声が聞こえ、サクは薄っすらと瞳を開けた。どうやら眠りに落ちていてようだ。
 目の前にいたのは、美しく長い黒髪と黒蜜のようなパッチリとした瞳に杏のような唇、陶器のような肌、そして尖った耳を持つ天魔の美少女がいた。その上品な容姿と高貴な装飾の羽織から見ても、この美少女が高い身分の上級天魔である事は疑いようもない。
 頬に指先を伸ばされ、少し照れた様子だったが、まさか見知らぬ女の名を呼ばれて、口を尖らせていた。サクはバツの悪そうな顔をして仰向けになると体を起こして、天蓋付きのベッドにもたれかかれ煙管キセルに手を伸ばした。

「何でもねぇよ。藍雅あいか。で、お前はいつまで俺の寝床にいるつもりなんだ?」
「まぁ、酷いですわ! サク様。何千年ぶりに再会致しましたのに、婚約者に少々冷たくありませんこと? それに……私を抱いて下さらないのですもの。長い間眠りにつかれてお疲れになっているのだから仕方ありませんけれど……」

 頬を膨らませながら、藍雅は豊満な胸と美しい裸体を隠すように天女のような服に身を包んだ。そして悪戯に魔王の頬に口付けると首元に絡みついてきた。サクは無関心に少し伸びた髪をかきあげると、煙を吐いた。激しい天界との争いで第六天魔王の肉体が消滅し、その魂が虚無の世界に繋がれる前、上級天魔の貴族が魔王との繋がりを求め、幼馴染でもあった藍雅を妃として迎えて欲しいと求められた。
 魔王サクが望めば、どんな女も妾として迎えられたし、藍雅に惚れ込まれ、自分を抱いて欲しいと頼まれれば、望まれるままに抱いていた。この天魔むすめを妃にしてやっても別段、問題は無いと考えていた。
 そもそも、誰が正妻になろうとも魔王にはなんの興味が無かった。好みの女を抱いて、欲望を叶えてやる。人も妖魔も天魔も望むままに彼らの願いを叶えてやり、その欲望を糧にしていたのだ。この世の全ての生き物の根底にあることわりは欲望であり、それは生きる為の原動力だと朔は考えていた。
 だが、気が遠くなるほど長い時間魂が虚無の空間に封じられ、自分と全く同じ容姿、同じ生まれ、そして波長の合うを見つけ、いざ天魔界に帰ってみれば、全くこの婚約者むすめに反応しなくなってしまったいた。あろう事か、あの若菜とか言う人間の女の名前を口走っていたのだ。

「まだ、こいつの体に慣れてねぇんだ。時々朔の記憶が蘇ってくる。で、関わりのあった女の名を反射的に呼んだ……そんだけ」
「それなら良いですの。私が聞いた事の無いような声音で名前を呼んだりして……妬いてしまいましたわ。って、あらもうこんな時間ですのね! 勉学と狩りのお時間ですわ。爺やが先生を連れてきますので、もう行きます、サク様」

 直ぐに機嫌を直した藍雅は、鼻歌を歌いながら寝具から降りた。第六天魔王の正妻になる事を夢見て教養を学び下級妖魔相手に、弓や剣を習っているのだという。健気な娘たが気は強い女だ。

「はい、いってら~~!」

 朔はひらひらと手を振って藍雅を見送ると入れ替わりで入ってきた男を見た。漆黒の髪を結い上げ、片目を髪で隠し、金の瞳を持った無骨な男だ。第六天魔王の腹心であり長年の友人でもある霧雨きりさめだ。
 鎧に体を包んだ霧島は、上半身裸体を晒す主に近付くと上着を手渡した。無言のままそれを取るとちらりと溶岩のような赤い瞳で霧雨を見る。

「藍雅様が、上機嫌でお部屋から出てこられるとは珍しい。
「あ? してねぇよ。あの女と寝てもどうも気分が乗らん。勃たねぇんだ」
「は? 何を言い出すかと思えば……。他の天魔の女は抱けるが、と言うことでしょうか」
「いや、他の女も試してみたが反応しない」
「もしや、サク様。以前の器の記憶で男色に目覚めたとか……?」
「ああ、それも試してみたが、結果は同じだったわ。それで、天界の方の動きはどうだ」

 朔は溜息をつきながら服を受け取ると着込む。夢の中で見た義姉わかなの柔らかで陽だまりのような優しい笑顔を記憶の隅に追いやるように、朔は甲冑を着込んだ。霧雨は相変わらず、朴念仁ぼくねんじんといったところで愛想が無い。魔王の着替えを手伝うように、霧雨が背後に回ると言う。

「部下の話によれば、天界人の監視者が空を飛び回っているのだとか。天帝てんていの兵士もまだ動いていません。天界きっての荒くれ者の阿修羅アシュラが率いる兵士達が、秘密裏に天魔や妖魔を狩っているという噂を耳にしましたが、おそらくそれは、安倍晴明と勘違いしている可能性もあります」
「――――なるほどな。天帝はまだしも阿修羅は高みの見物か。俺の動向でも伺っているんだろうよ。それにしてもハエのように煩い妖魔どもが、俺の復活に便乗して、好き勝手やってくれるじゃねぇか」
「貴方が娑婆世界しゃばせかいに降りたてば、下等な妖魔どもは皆怯えて、尻尾を丸めるでしょう」

 正装に着替えた魔王は鼻で笑った。天魔より格下の妖魔など眼中には無いが、朔が、娑婆世界を支配する前に好き勝手人間を狩るのが気に入らない。今すぐにでも駆逐してやりたいが、長年この天魔界を離れていたせいで、部下の間に面倒な派閥が生まれていた。娑婆世界にいる全ての人間を奴隷エサとして天魔界に繋いでおく第六天魔王過激派と、娑婆世界を支配し、人間の欲望を叶えて持続的に摂取できる環境を整えようとする、第六天魔王穏健おんけん派だ。
 何れにせよ、戦は免れないが天界をあざむく為には結束力が必要だ。

「今回ばかりは、阿修羅クソ野郎に負ける訳にはいかねぇからな。倍返しにして殺してやる」
「それでこそ我が主……。友として貴方が会議中、精力剤でも探しておこう。――――それともあの人間の娘を連れて来るべきか?」

 部屋を出る直前に、霧雨が一人の友としてかけた言葉に思わず立ち止まった朔だが、腕を組んで見送る彼を肩越しに振り返ると、こちらを見つめる霧雨に鼻で笑った。

「あの女は、こいつの希望通り救ってやったろ? それ以上でもそれ以下でもねぇよそこで終わりだ、煽るな」
「――――ただの思い付きですよ、サク。戯言ざれごととして聞き流して頂きたい」

 そう言って魔王は再び歩き出すと、ひらひらと手を振った。

✤✤✤

 以前よりも荒れたキョウの都を、やつれた白子の少年が歩いていた。顎下で切り揃えられた稚児髪に白い水干姿で歩いていた。土御門光明が死に、双子の妹が消滅して半年が経つ。白露しらつゆは、主不在の式神となっていた。本来妖魔であるなら、あやかしの世界に戻れば良いが、白露しらつゆは元々神の使役である白蛇だった。遠い昔、光明によって美しい双子の白蛇は、無理矢理彼の忠実な式神にされてしまっていた。
 主が死に、術が解けてしまった後に白露は戻るべき神社を見失い、神の気配も感じる事か出来なくなってしまっていた。体と心に刻まれた邪なモノは、もはや神の使役としては相応しくないという事だろう。
 この半年感、白露はずっと若菜を探し求めていた。あの日光明が気紛れに与えた清浄の蜜は甘露で、まるで天界の女神の蜜を分け与えられたような、五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るものだった。そして不思議なことに若菜の蜜は白露に加護をもたらし、消滅する筈だった存在に奇跡が起こって、死を回避する事が出来たのだ。白露にとって若菜は命の恩人であり、あの日から忘れられない、抗い難い渇きを満たしてくれる唯一の存在ニンゲンとなった。

(……若菜様は一体何処におられるのか。僕が死んでいないのだから、あの方はきっと生きていらっしゃる筈だ。……やはり、この辺りに若菜様はいる)
 
 フラフラと美しい少年が歩いていても、誰も気に止める事は無かった。と言うより、誰も白露が見えていないかのような素振りで素通りしていく。力の弱った状態では人間相手でも命取りになってしまう場合があるので、他の人間には見えない様は術を使っていた。そのお陰で人間にも妖魔にも気付かれる事が無い。五感の全てを研ぎ澄まして、白露はこのあたりで若菜の気配を探した。
 暫くして、微かに忘れもしない天上の華のような甘やかで上品な香りがしたような気がして目を泳がせると、そこには安倍晴明その人がいた。白露しらつゆ目を見開き、彼の背後を気づかれぬように息を殺して尾行する。

 小道を歩き、寂れた神社の前に来るとぐにゃりと空間が歪んで晴明の背中は透明な空間に吸い込まれた。ゆるゆると締まりゆく透明な隙間に白露は慌てて手を伸ばすと、吸い込まれるように結界の中へと前転して、侵入した。
 既に晴明は屋敷の中へと向かったのか姿は見えない。結界の中へ入った瞬間、若菜の霊力を感じで肌が熱くなり、体が震えるような感覚に漆黒の瞳が濡れた。まるで、媚薬を飲まされたように吐息が乱れる。

『若菜様……ようやく、ようやく見付けました』
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