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拾参、奈落の底へ―其の弐―
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陰陽寮に戻る前に、朔は奉行所の仲村とキョウの外れの柳の下で落ち合う事にした。岡っ引きの男を一人従え、人目を気にするよう腕を組み立っていた。朔は、さり気無くそちらに向かい反対側に立つと紅雀と恋仲のふりをして距離を保ちつつ、仲村に話し掛けた。
「仲村様、お呼び出しして申し訳ありません。紀子様の件に関して、あれから進展があったのかお聞きしたく、任務中に関わらずお声を掛けさせて頂きました」
「全く、式神とやらは便利なものだな。美人に頼まれれば男は断れぬものよ。女房の件に関してようやく何人かの下女が思い口を開けてな。愛人だった証拠も出てきた。御主が証言すれば、罪は免れまい。さらに、久苑寺琥太郎の遺体が発見された。
この男は、御主と共に側近になっていた男だな。エドに派遣される事になったが、そちらに向かわず行方不明になり、遺体となって発見された」
やはり、琥太郎の謀りは光明に筒抜けとなっており、怒りを買って殺害されてしまったようだ。しかし、琥太郎は家柄も良く何者かによって命を絶たれれば、遺族が黙っていないのでは無いか、と思い朔は、僅かな希望の光が見えたような気がした。
「仲村様は、久苑寺琥太郎の殺害も、光明の指示だと睨んでいらっしゃるのですね」
「その通り。久苑寺は生粋の男色家で、陰陽寮に身を寄せた時から土御門光明に熱あげていたようだな。側近と言う地位を失い、痴情のもつれで殺害されたと見ておる。この辺りの物取りの犯行とは違い、拷問された痕があった」
この際、若菜を巻き込まない為にも細かい事実はどうでも良かった。ともかく光明が奉行所の裁きを受けて、陰陽寮から退き打首や流罪になってくれれば、若菜を魔の手から護る事が出来る。
「となると……、いよいよ光明も年貢の納め時になりますね。これ以上、あの男をのさばらせていても幕府のお荷物になります」
「ふむ。西園寺殿よ……しかしな。どうやらあの男は、与力に賄賂を渡しているようでな。この件から手を引けといっておる」
「っ……! しかし、帝に対する呪詛を行っているのですよ。呪煌々と言う、怪しげな宝珠を集め、キョウの都に混乱をもたらしています」
光明は抜け目無く、仲村の上司である与力の役人に賄賂を渡して圧力をかけていたようだ。やはり、知らぬ存ぜぬと言う涼しい顔をしていても抜け目無く、自分達を監視しているだと思うと唇をかみ締めた。光明は愛する玩具達の忠誠を何よりも望むが、その相手を心の底から信じる事は無い。秘密裏に、謀反を起こそうと計画を練っていた事も全てお見通しと言う事なのか、と拳を握りしめた。
「まぁ、落ち着け。与力が買収されておるなら町奉行に直訴するのみ。呪詛を使い帝のお命を狙い、幕府転覆までも願って犯罪を犯しているのならば、動かぬ訳には行かぬはずだ……。儂は随分と前から黒い噂の絶えぬ土御門光明を追っている。引く気は無い。もう暫く待たれよ。――――くれぐれも、突っ走るなよ」
仲村は、まるで自分の息子と年齢の変わらない朔の心の声を読むように釘を刺した。光明の権力がキョウの町奉行まで及んでいなければよいが、仲村の助太刀が間に合うのか疑問が残る。それでも最愛の義姉を守る為に、陰陽寮に戻らねばならない。呪煌々をあの男に手渡し忠犬のように尻尾を振り、足を舐めろと言われれば従うだろう。だが、若菜が側にいない分何時でも寝首を掻ける。
「――――ご心配なく、仲村様。必ずあの男に報いを受けさせましょう」
そう言うと、朔は仲村と別れて陰陽寮へと歩き始めた。背後から無言のまま付き従っていた紅雀は気遣うように、朔に話し掛ける。
『あのお役人の言う通りサ。あんた、本当にこのまま陰陽寮に戻るつもりかい? 私は何だか嫌な予感がするんだよぅ』
「紅雀、お前は少し隠れているといい。俺が呼ぶまで安全な場所にいろ」
朔は、紅雀の言葉には答えず半ば強制的にそう命ずるとふわりと気配が消えた。光明は他人の式神など消耗品程度にしか考えていない。彼女との付き合いは長く、女への接し方も学ばせて貰った。家族も同然のような式神の安全を考え、強制的に姿を消させた。
自分が死ねば、紅雀も無事ではいられないが光明に、拷問や辱めを受けさせる訳にはいかない。
そして、それとは別にあの館に帰らねばならないと言う強い気持ちが、心の奥底から湧き上がっていた。魂の奥が仄暗く共鳴するような、不可思議な感覚だ。
陰陽寮の門の前に立つと、いつの間にか黒い雲が空を覆い、重苦しく垂れ下がっていた。何処か心はここにあらずの門番、生気の抜けた中居、そしてぶつぶつと呟きながら歩く陰陽師達がいる。どれもこれも奇妙で不気味、まるで魑魅魍魎の百鬼夜行のようだ。
「魅入られたか……。この場所で正気でいられる奴は、元より狂ってるのかも知れないな」
朔はそう自嘲気味に言って笑うと、光明の部屋へと向かった。道中、仲間に斬りつけられたのか座り込んで息絶えている陰陽師もいる。仲村がこの陰陽寮に役人達を向かわせる頃には、死屍累々になっているか、妖魔達の遊び場になっているかも知れない。
若菜の優しい慈愛に満ちた笑顔と、柔らかな香りを思い浮かべるように目を閉じた朔は、種違いの義姉に愛を誓って、襖を開けた。
「おや、ようやく手負いの狼が主人の元へと戻ってきましたか。そのまま逃げ果せると考える程、愚かではありませんものね」
中央にいるのは白髪の毒蛇のように艶やかな美青年、光明の器に入った芦屋道満だった。帝の元へと向かう時にのみ着る、陰陽頭の清掃姿で妖艶に座っている。
禍々しくも美しい光明の唇が蛇のように裂けて赤い口腔内が見えた。最早この男はすでに天魔のようにも見えて、朔は怖気だった。光明の目の前には、これほど澱んだ気が満ちる場所にいても、屈託の無い笑顔を浮かべる愛弟子となった夕霧がいた。
この美少年もどうやら、光明と同じく壊れているようだ、と朔は心の中で苦笑した。
「勿論です、光明様。呪煌々は無事に入手致しました。どうやらこれで全てが揃ったようですね」
「――――ええ。ようやく私の本懐を果たす事が出来ます。それはそうと、若菜の姿が見えませんが……?」
「姉は……、狼藉者に襲われ、致命傷を負って……常世へと逝きました」
不意に光明が立ち上がり、ゆるりと朔の元まで行くと正座をしたまま両手を膝の上に置く、朔の頬を掌で殴り付けると、腹を蹴り入れうずくまった朔の髪を掴んだ。
「嘘はお止しなさい。若菜を失ってお前が正気でいられる筈が無いだろう。お前は、やすやすと……あの忌々しい男、安倍晴明に若菜を奪われたのだ。全くお前が、私の器で無ければ今すぐにでも殺してやりたい位ですねぇ」
光明は唇を噛みながら、乱暴に手を離すと睨みつける朔を見下ろし鼻で笑うと、自分の乱れた髪を整えると何時もの調子で妖艶に微笑んだ。夕霧は、狼狽える様子も無く無感情に二人のやり取りを見ていた。
やはり、芦屋道満は朔を器に、と考えているようだが呪煌々とやらを使うとなると今までもものとは違うやり方か、と一人心の中で呟いていた。
「俺を器に、とは一体どういう意味ですか? 芦屋道満殿」
「ふふふ、せめてもの強がりか? この国を泰平に導く為に、いつの世にも歴史の裏で束ねる者が必要になるのです。私のような者がね……。ですが、残念な事に人の器は脆く永遠ではない。お前達にも見せてあげましょう……聖なる儀式の間に案内します」
妖艶に微笑むと、夕霧と朔を連れて祈祷の間へと向かった。そこに近付けば近付く程に闇が深くなるような気がする。
陰陽師達は何処か落ち着きが無く、まるで中身が下等天魔に変わってしまったかのように舌を出して目をギョロギョロと、忙しなく動かしている。あまりに異様な光景に朔は息を飲んで警戒するように辺りを見渡す。いつ、この陰陽師達の中に巣食う化け物達が溢れて、襲いかかってくるかわからない。その時の為に常に腰元の刀に手を置いていたが、光明は顔色一つ変えない。この男も、遥か古代を生き延びた化け物のようなものだろう。
歪な永遠の命を繋ぎ、時代の闇の中生き残り続ける為には、器が必要なのか、と朔は内心憎々しげに呟いた。
相変わらず顔色一つ変えずに廊下を歩く夕霧をちらりと横目で見る。
「夕霧、お前はこの惨状を見ても顔色一つ変えないな」
「えっ、も、もちろん怖いですってば! でも僕は光明様を信じていますから……あの方ならこの世を導けるんじゃないかって。それに一体何が起こるのか楽しみなんです」
夕霧は慌てたように、そう取り繕うが『一体何が起こるのか楽しみなんです』と言って笑った瞳が妖しく光る事を、朔は見逃さなかった。
儀式の間の重い扉を開き、神聖な祭壇を通り抜けると奥の隠し扉へと向かう。結界を張り何人たりとも近付けさせなかった扉を開けると、地下から冷たい空気がふわりと上がってくる。
二人は先頭の光明に付き従うように、階段を降りると、そこは地下洞窟があり、ぼんやりとした灯籠の明かりに彩られて大きな祭壇が置かれていた。間隔を開けながら、呪煌々が袱紗の上に並べられ鈍い光を放っている。
その後方に、仁王像のように険しい表情を浮かべた巨大な仏像が鎮座していた。
荘厳な甲冑に、四つの腕と六枚の羽を持って剣と弓を持ち勇ましく構えていた。さらにその後ろには、到底人では開く事が出来ないだろう大きな鋼の扉が、固く閉じられている。
「光明様、この象は……僕の記憶が正しければ、第六天魔王ですか?」
「ええ、察しが良いですねぇ、夕霧。この像は第六天魔王様です。私が古来より信仰する天魔界の王です……人々の欲望を叶える慈悲深き神ですよ」
「――――なるほどな。貴様はこの邪神を信仰して、他人の器を乗っ取って悪事を働いていた訳か。そしてお前はその死にぞこないの体から離れて、俺に取り憑こうって訳か……道満」
古代の死にぞこないの魂が、自分の体を乗っ取る気でいると分かれば、最早この男に媚びへつらう必要も無い。帝を裏切り、邪神を信仰して呪煌々で呪詛を行っているならばこの国に対する謀反だ。
光明は、肩越しに振り返ると狂気じみた笑顔を浮かべて妖艶に微笑んだ。
「その体は、とても感度が良くて気に入っていますが……お前とは私の霊力は波長が合い、転移がしやすい器なのです。呪煌々を集める事で、お前の器は永遠となり……私は、新しい体でこの国を導くのですよ。そして憎き晴明から若菜を奪還する。あの娘はもう子は宿せぬが、私が存分に可愛がって正式に娶ってやりましょう、喜びなさい」
「ふざけるな! 俺の器で若菜を穢すなど、絶対にさせはしない。死にぞこないのお前など……やがて裁かれる」
怒りに任せて、朔が刀を抜くとひらりと夕霧は距離を置いた。どこか冷めた目で二人のやり取りを見ていた。晴明と殺し合おうが朔と殺し合おうがどうでも良い。
あの稀有な小鳥さえ捕まえる事が出来ればそれで良いのだ。だが、人間の器を強化できる仙術など天狗でも扱えないものが、本当に呪煌々で出来るものなのかと疑問だ。
この儀式の間に来てから、天魔の気は濃くなっていくばかりで、夕霧の第六感がそろそろ、この場をお暇したいという気持ちで一杯になっていた。
「刀をおさめなさい朔。最早、私の力は第六天魔王様のご加護でお前の霊力など毛ほどにもなりません」
「くっ…………!」
心臓を押し潰すような圧迫感が体に走り、朔は思わず体をついた。光明の瞳は鈍く光り白髪の長い髪は生き物のように、ふわりと巻き上がった。全身から赤黒い妖気が漂い、その形相もまるで鬼のようだった。
がチャリ、と朔の刀が冷たい石の床に落ちると額に汗が伝った。
「仲村様、お呼び出しして申し訳ありません。紀子様の件に関して、あれから進展があったのかお聞きしたく、任務中に関わらずお声を掛けさせて頂きました」
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この男は、御主と共に側近になっていた男だな。エドに派遣される事になったが、そちらに向かわず行方不明になり、遺体となって発見された」
やはり、琥太郎の謀りは光明に筒抜けとなっており、怒りを買って殺害されてしまったようだ。しかし、琥太郎は家柄も良く何者かによって命を絶たれれば、遺族が黙っていないのでは無いか、と思い朔は、僅かな希望の光が見えたような気がした。
「仲村様は、久苑寺琥太郎の殺害も、光明の指示だと睨んでいらっしゃるのですね」
「その通り。久苑寺は生粋の男色家で、陰陽寮に身を寄せた時から土御門光明に熱あげていたようだな。側近と言う地位を失い、痴情のもつれで殺害されたと見ておる。この辺りの物取りの犯行とは違い、拷問された痕があった」
この際、若菜を巻き込まない為にも細かい事実はどうでも良かった。ともかく光明が奉行所の裁きを受けて、陰陽寮から退き打首や流罪になってくれれば、若菜を魔の手から護る事が出来る。
「となると……、いよいよ光明も年貢の納め時になりますね。これ以上、あの男をのさばらせていても幕府のお荷物になります」
「ふむ。西園寺殿よ……しかしな。どうやらあの男は、与力に賄賂を渡しているようでな。この件から手を引けといっておる」
「っ……! しかし、帝に対する呪詛を行っているのですよ。呪煌々と言う、怪しげな宝珠を集め、キョウの都に混乱をもたらしています」
光明は抜け目無く、仲村の上司である与力の役人に賄賂を渡して圧力をかけていたようだ。やはり、知らぬ存ぜぬと言う涼しい顔をしていても抜け目無く、自分達を監視しているだと思うと唇をかみ締めた。光明は愛する玩具達の忠誠を何よりも望むが、その相手を心の底から信じる事は無い。秘密裏に、謀反を起こそうと計画を練っていた事も全てお見通しと言う事なのか、と拳を握りしめた。
「まぁ、落ち着け。与力が買収されておるなら町奉行に直訴するのみ。呪詛を使い帝のお命を狙い、幕府転覆までも願って犯罪を犯しているのならば、動かぬ訳には行かぬはずだ……。儂は随分と前から黒い噂の絶えぬ土御門光明を追っている。引く気は無い。もう暫く待たれよ。――――くれぐれも、突っ走るなよ」
仲村は、まるで自分の息子と年齢の変わらない朔の心の声を読むように釘を刺した。光明の権力がキョウの町奉行まで及んでいなければよいが、仲村の助太刀が間に合うのか疑問が残る。それでも最愛の義姉を守る為に、陰陽寮に戻らねばならない。呪煌々をあの男に手渡し忠犬のように尻尾を振り、足を舐めろと言われれば従うだろう。だが、若菜が側にいない分何時でも寝首を掻ける。
「――――ご心配なく、仲村様。必ずあの男に報いを受けさせましょう」
そう言うと、朔は仲村と別れて陰陽寮へと歩き始めた。背後から無言のまま付き従っていた紅雀は気遣うように、朔に話し掛ける。
『あのお役人の言う通りサ。あんた、本当にこのまま陰陽寮に戻るつもりかい? 私は何だか嫌な予感がするんだよぅ』
「紅雀、お前は少し隠れているといい。俺が呼ぶまで安全な場所にいろ」
朔は、紅雀の言葉には答えず半ば強制的にそう命ずるとふわりと気配が消えた。光明は他人の式神など消耗品程度にしか考えていない。彼女との付き合いは長く、女への接し方も学ばせて貰った。家族も同然のような式神の安全を考え、強制的に姿を消させた。
自分が死ねば、紅雀も無事ではいられないが光明に、拷問や辱めを受けさせる訳にはいかない。
そして、それとは別にあの館に帰らねばならないと言う強い気持ちが、心の奥底から湧き上がっていた。魂の奥が仄暗く共鳴するような、不可思議な感覚だ。
陰陽寮の門の前に立つと、いつの間にか黒い雲が空を覆い、重苦しく垂れ下がっていた。何処か心はここにあらずの門番、生気の抜けた中居、そしてぶつぶつと呟きながら歩く陰陽師達がいる。どれもこれも奇妙で不気味、まるで魑魅魍魎の百鬼夜行のようだ。
「魅入られたか……。この場所で正気でいられる奴は、元より狂ってるのかも知れないな」
朔はそう自嘲気味に言って笑うと、光明の部屋へと向かった。道中、仲間に斬りつけられたのか座り込んで息絶えている陰陽師もいる。仲村がこの陰陽寮に役人達を向かわせる頃には、死屍累々になっているか、妖魔達の遊び場になっているかも知れない。
若菜の優しい慈愛に満ちた笑顔と、柔らかな香りを思い浮かべるように目を閉じた朔は、種違いの義姉に愛を誓って、襖を開けた。
「おや、ようやく手負いの狼が主人の元へと戻ってきましたか。そのまま逃げ果せると考える程、愚かではありませんものね」
中央にいるのは白髪の毒蛇のように艶やかな美青年、光明の器に入った芦屋道満だった。帝の元へと向かう時にのみ着る、陰陽頭の清掃姿で妖艶に座っている。
禍々しくも美しい光明の唇が蛇のように裂けて赤い口腔内が見えた。最早この男はすでに天魔のようにも見えて、朔は怖気だった。光明の目の前には、これほど澱んだ気が満ちる場所にいても、屈託の無い笑顔を浮かべる愛弟子となった夕霧がいた。
この美少年もどうやら、光明と同じく壊れているようだ、と朔は心の中で苦笑した。
「勿論です、光明様。呪煌々は無事に入手致しました。どうやらこれで全てが揃ったようですね」
「――――ええ。ようやく私の本懐を果たす事が出来ます。それはそうと、若菜の姿が見えませんが……?」
「姉は……、狼藉者に襲われ、致命傷を負って……常世へと逝きました」
不意に光明が立ち上がり、ゆるりと朔の元まで行くと正座をしたまま両手を膝の上に置く、朔の頬を掌で殴り付けると、腹を蹴り入れうずくまった朔の髪を掴んだ。
「嘘はお止しなさい。若菜を失ってお前が正気でいられる筈が無いだろう。お前は、やすやすと……あの忌々しい男、安倍晴明に若菜を奪われたのだ。全くお前が、私の器で無ければ今すぐにでも殺してやりたい位ですねぇ」
光明は唇を噛みながら、乱暴に手を離すと睨みつける朔を見下ろし鼻で笑うと、自分の乱れた髪を整えると何時もの調子で妖艶に微笑んだ。夕霧は、狼狽える様子も無く無感情に二人のやり取りを見ていた。
やはり、芦屋道満は朔を器に、と考えているようだが呪煌々とやらを使うとなると今までもものとは違うやり方か、と一人心の中で呟いていた。
「俺を器に、とは一体どういう意味ですか? 芦屋道満殿」
「ふふふ、せめてもの強がりか? この国を泰平に導く為に、いつの世にも歴史の裏で束ねる者が必要になるのです。私のような者がね……。ですが、残念な事に人の器は脆く永遠ではない。お前達にも見せてあげましょう……聖なる儀式の間に案内します」
妖艶に微笑むと、夕霧と朔を連れて祈祷の間へと向かった。そこに近付けば近付く程に闇が深くなるような気がする。
陰陽師達は何処か落ち着きが無く、まるで中身が下等天魔に変わってしまったかのように舌を出して目をギョロギョロと、忙しなく動かしている。あまりに異様な光景に朔は息を飲んで警戒するように辺りを見渡す。いつ、この陰陽師達の中に巣食う化け物達が溢れて、襲いかかってくるかわからない。その時の為に常に腰元の刀に手を置いていたが、光明は顔色一つ変えない。この男も、遥か古代を生き延びた化け物のようなものだろう。
歪な永遠の命を繋ぎ、時代の闇の中生き残り続ける為には、器が必要なのか、と朔は内心憎々しげに呟いた。
相変わらず顔色一つ変えずに廊下を歩く夕霧をちらりと横目で見る。
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「えっ、も、もちろん怖いですってば! でも僕は光明様を信じていますから……あの方ならこの世を導けるんじゃないかって。それに一体何が起こるのか楽しみなんです」
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儀式の間の重い扉を開き、神聖な祭壇を通り抜けると奥の隠し扉へと向かう。結界を張り何人たりとも近付けさせなかった扉を開けると、地下から冷たい空気がふわりと上がってくる。
二人は先頭の光明に付き従うように、階段を降りると、そこは地下洞窟があり、ぼんやりとした灯籠の明かりに彩られて大きな祭壇が置かれていた。間隔を開けながら、呪煌々が袱紗の上に並べられ鈍い光を放っている。
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「ええ、察しが良いですねぇ、夕霧。この像は第六天魔王様です。私が古来より信仰する天魔界の王です……人々の欲望を叶える慈悲深き神ですよ」
「――――なるほどな。貴様はこの邪神を信仰して、他人の器を乗っ取って悪事を働いていた訳か。そしてお前はその死にぞこないの体から離れて、俺に取り憑こうって訳か……道満」
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「その体は、とても感度が良くて気に入っていますが……お前とは私の霊力は波長が合い、転移がしやすい器なのです。呪煌々を集める事で、お前の器は永遠となり……私は、新しい体でこの国を導くのですよ。そして憎き晴明から若菜を奪還する。あの娘はもう子は宿せぬが、私が存分に可愛がって正式に娶ってやりましょう、喜びなさい」
「ふざけるな! 俺の器で若菜を穢すなど、絶対にさせはしない。死にぞこないのお前など……やがて裁かれる」
怒りに任せて、朔が刀を抜くとひらりと夕霧は距離を置いた。どこか冷めた目で二人のやり取りを見ていた。晴明と殺し合おうが朔と殺し合おうがどうでも良い。
あの稀有な小鳥さえ捕まえる事が出来ればそれで良いのだ。だが、人間の器を強化できる仙術など天狗でも扱えないものが、本当に呪煌々で出来るものなのかと疑問だ。
この儀式の間に来てから、天魔の気は濃くなっていくばかりで、夕霧の第六感がそろそろ、この場をお暇したいという気持ちで一杯になっていた。
「刀をおさめなさい朔。最早、私の力は第六天魔王様のご加護でお前の霊力など毛ほどにもなりません」
「くっ…………!」
心臓を押し潰すような圧迫感が体に走り、朔は思わず体をついた。光明の瞳は鈍く光り白髪の長い髪は生き物のように、ふわりと巻き上がった。全身から赤黒い妖気が漂い、その形相もまるで鬼のようだった。
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