【R18】月に叢雲、花に風。

蒼琉璃

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拾弐、運命の再会―其の四―

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 若菜は、朔の隣の部屋を借りると取りあえずそこは由衛に任せた。キョウの一般的な部屋の構造とは違う為、戸惑う事も多かったが、心無しか懐かしささえ感じていた。
 夕餉ゆうげの前に朔の部屋を覗いた時はまだ、深い眠りをついていた。昼餉ひるげを食べずに眠り続けた義弟の為に、台所を借りると握り飯を作らせて貰った。
 若菜は心配そうに屏風びょうぶで仕切られた部屋を覗く。こちらを向いて目を閉じていた朔の側まで行くと、座り握り飯を置く。

「わか……な……?」
「朔ちゃん、目が醒めた……? 気分はどう? まだ痛む? 気持ち悪くない?」

 かすれた朔の声が聞こえると、寝起きの悪い朔が瞳を開けて心配で泣きそうになる若菜の顔を見ると、安堵したように微笑んだ。朔にとって自分の怪我よりも、義姉が無事でいる事が何よりも大事だった。
 体をゆっくりと起こすと、若菜を胸に閉じ込めた。暖かな心臓の音を聴くと若菜は頬を染めて目を細め彼の背中をぎゅっと握りしめた。

「朔ちゃん、本当に良かった……。本当に助かって良かったよぉ……もう、逢えなくなるかと……っ、ひくっ、朔ちゃんが死んじゃったら、生きていけないよ、うっ……うう」

 若菜は、意識が戻った朔の温もりと白蓮の香りに今まで我慢していた糸が切れたように泣き始めてしまった。朔がこの世界から消えてしまったら、自分の心は割られた硝子のように飛び散ってしまうだろう。
 晴明に治療してもらい、山は超えたと聞いても、朔の意識が戻るまでは怖くて怖くて仕方がなかった。死んでしまうのでは無いかと思って夕餉ゆうげもあまり喉を通らなかったが、式神達の手前、明るくふるまっていた。

「すまない、姉さん……。絶対に姉さんを置いて死んだりはしない。姉さんこそ無事なのか? 琥太郎に、怪我をさせられていないだろうな」

 柔らかな稲穂の髪を撫でていた朔は、若菜の体を気遣うように体を引い心配そうに見つめた。若菜は涙を袖で拭くと頷いた。それに安堵すると漆黒の瞳を優しく細めて若菜の頬を指先でなぞった。
 そしてふと、見知らぬ場所に自分がいる事とあの時、若菜をかばって現れた白銀の髪をした陰陽師を思い出した。意識が朦朧とした中で、ここに運ばれて激痛をともなう解毒治療をしたこと、意識が失う直前で若菜が薬湯のようなものを口移ししてきた事もぼんやりと記憶が蘇ってきた。

「姉さん、ここは一体どこなんだ? 俺を治療した陰陽師の男は……」
「朔ちゃん、あの人は……信じられないかも知れないけど、安倍晴明様だよ。私達を助けてくれたの。河原で私達を助けてくれたのも、晴明様だったんだよ。ここは晴明様のお屋敷なの」
「安倍晴明……?」

 あの男が安倍晴明――――。
 伝説の陰陽師、安倍晴明が河原で若菜を助けたと言うのか。そう言えば、義姉が話していた幼き日に自分と若菜を助けてくれた陰陽師も、晴明に似ていると言っていた。晴明には様々な逸話いつわがある。
 地獄の獄卒ごくそつに頼んで寿命を伸ばして貰ったという話もあるが、あの男が本当に晴明なら、稲荷大明神の使役である神狐の葛の葉の血が半妖神となり、妖魔のように寿命が極端に長いか、不老不死なのだろうかと推測する。それにしても、なぜ、毎度若菜の元に訪れて護るのか――――。

「光明の中身は、芦屋道満か?」
「う、うん……どうしてわかったの?」

 朔は切れ長の黒い瞳を細めた。光明の中身はやはり、芦屋道満。そして陰陽師なら誰でも知る道満と晴明の因縁関係からみても、道満の愛人を何度も助けるとは思えない。
 若菜の前世、詩乃と恋仲だったのは安倍晴明なのだろう。嫉妬のようなものが胸の底から溢れてくるが、命の恩人でもあるのも事実だと複雑な感情が渦巻いた。
 朔は会話を変えるように、ふと握り飯に目を落とした。

「若菜が作ったのか? 俺の為に……?」
「うんっ、そうだよ! お腹空いたでしょ? 朔ちゃんお昼も食べずにずっと寝てたから……作ったんだ。もう安心していいよ、朔ちゃん。ここに居たら光明様も私達を探せないんだって。もう嫌な思いしなくていいんだよ、もう陰陽寮に戻らなくていいの!」

 若菜は心の底から嬉しそうに微笑んだ。この屋敷には光明の千里眼を遮断する結界が張られているのだろうか。夜のとばりが下がったこの屋敷はまるで異界のように思える。
 だが、あの執念深く異常なまでに自分と若菜に執着しているあの男が、簡単に諦めるだろうか。特に最近の光明は自覚していないだろうが、若菜に対して歪んだ愛情を抱いている。
 それはいつもの気に入った玩具を愛でるようなものではない。吐き気がするほどおぞましいが、若菜の心も体も支配し、彼女からの深い愛情を喉から手が出るほど欲して最愛になることを切願している。
 あの男の性格を熟知しているからこそ、隠れ続ける事はできないと感じた朔だが、恐ろしい魔物の手からようやく逃れ、安堵した表情を見せる若菜が愛しくて、言葉を飲み込んだ。

「――――そうだな。姉さん。どんな場所に生きる事になっても俺は姉さんを愛して必ず守る」
「朔ちゃ……んっ……んぅ、ご飯固くなっちゃ……んん」

 突然の告白に頬を染めて、若菜が蜜色の瞳を見開くと朔が床に置いた若菜の手に指先を重ねて口付けてきた。下唇をやんわりと含んで妖艶に舌先を絡み取られると、若菜は思わず愛らしい吐息を漏らした。朔の口付けは舌先を少し絡められただけで理性が溶かされてしまいそうな位に気持ちが良い。
 若菜は何時もより緩やかで優しい口付けにうっとりとしながら、朔を制した。銀糸の橋をかけながら、頬を染めると彼の指をぎゅっと握りしめる。

「んっ……朔ちゃん、ご、ご飯食べて欲しいな……本当に心配しているんだよ」
「うん、知ってる。頂くよ……姉さんの作る料理は握り飯でもなんでも嬉しい」

 最愛の義弟の屈託の無い微笑みを見ると、若菜は嬉しくなって微笑んだ。光明による魔の手から逃れ、朔が心身共に傷つけられたり、自分の為に犠牲にならない事がなによりも願っていた事だった。

✤✤✤

「ん……」

 若菜はふと目を覚ました。朔を介抱しつつ談笑しているといつの間にか眠ってしまっていたようだった。辺りは暗く、月明かりだけが部屋を照らしていた。
 喉の乾きと、眠っても取れない気怠さを感じて若菜は体を起こした。隣の朔は健やかな寝息を立てていて、少し安堵したように微笑むと義弟を起こさないようにして、屏風びょうぶの裏にある渡り廊下を歩いた。
 寝殿造りの庭は素晴らしく、まるで貴族や帝が愛でられるような雅はたたずまいだった。澄んだ夜空に淡く光る月が、この空間だけに咲いている季節外れの桜を照らしていた。
 若菜は思わず立ち止まって、その様子を眺めていると上品な刺繍を施された白の狩衣を着た陰陽師が立っていた。夜風にヒラヒラも舞い散る桜の花弁がとても幻想的で、若菜は惹かれるようにして彼の元へと向かった。
 安倍晴明に聞きたいことは山程ある。

「あ、あの……晴明様、こんばんは」
「――――どうした、若菜。眠れぬのか?」

 どう切り出していいか分からず、声をかけると晴明はゆっくりとこちらを向いて、神木のような神聖な凛とした眼差しで見つめてくる。
 陰陽師としては、憧れでもある大先輩の安倍晴明を前にして頬を染め緊張した面持ちで見ると彼の隣まで歩いた。

「目が覚めて、廊下を歩いていたら晴明様のお姿を見つけて……声をかけてみました。聞きたい事が沢山あって」
「そうか。お主の言いたい事はよう解る。なんでも質問すると良い」

 晴明の口調は穏やかな海のようで、とても安心感がある。まるで異人のような蒼の瞳もずっと眺めているとその神秘的な色に惹き込まれてしまいそうになる。若菜は目を逸らすと項垂れながら記憶を辿っていた。

 幼き日、まだ『天鬼』と呼ばれる前、どんな用事があったかは覚えてないが両親や兄弟姉妹、朔と共にキョウの町に出ていた。
 一人、外で待たされていた若菜は都の人々の奇異な視線にも気付かないほど幼く、道端で座り込んでいた。幼い頃から霊力の強かった若菜は浮遊する無害の可愛らしい妖怪を眺めていたが、不意に建物の影に、何やら黒い手の平ほどの小さな人型のようなものが何匹がうごめいているのに気付いた。
 今まで見たことの無いそれに興味を持って、そちらに向って走ると、ぶつぶつと聞き取れない言葉を発しながら揺れめくそれに触れようとした。
 やんわりと、大人の手が自分の手首を掴んだ。見上げると銀の髪の青い目をした美しい陰陽師が制していた。

『――――娘よ、それに触れてはならぬ。障りがあるぞ』
『おにいちゃん、だれ? さわったらだめ?』
『それは、呪詛じゅそだ。悪い陰陽師がこの館の主を呪い殺そうとしておる。お前に説明してもわからぬだろうが、無害の妖怪だけではなく、悪いものもいる……無闇に触れてはならぬ』

 青年陰陽師の話した事を、若菜はほとんど理解できなかったが、いろんなものに触れてはいけないんだ、と言うことだけはわかった。ふと、青年陰陽師は懐から、緑の勾玉を取り出すと若菜の首にかけた。

『これ、なぁに? わかなにくれるの?』
『お主の名は若菜か。これは悪い妖魔や妖怪達からお主を守ってくれるものだ。霊感を強く持って転生してきたのはこれが初だな……。お主の容姿も能力も、生きる道を険しくする。されど、私は何時でも見守っておることを忘れるな』
『……??? ありがとう、おにいちゃんお名前はなんていうの?』
『私か……私の名は――――』
『ねねーー! みつけたー!』

 立ち上がる青年陰陽師を、若菜は不思議そうに見上げた。問いかけようとすると、後ろから小さな義弟の可愛い呼び声が聞こえて、そちらを振り返り抱き止めた。
 再び青年に問いかけようと思って振り向いた時には既にその姿は無かった。

「幼い時に、緑の勾玉の御守りを渡してくれたのは、晴明様ですよね……? 天狗に連れ去られそうになった時も、河原での事も。どうして何度も私を護って……助けてくれたんですか?」

 若菜は隣の彼に向くと、ずっと訪ねたかった疑問を晴明にぶつけてみた。幼すぎて記憶は曖昧なのだが、晴明は転生の事を口にしていたように思う。
 晴明は自分の前世、詩乃姫の事を知っているのだろうか。道満の妾だったというなら知っていてもおかしくはない。晴明は、若菜を横目に見るとフッ、と笑みをこぼした。

「――――どうしてだろうな。私の気まぐれかも知れぬぞ」
「……気まぐれ……。光明様は私の前世は自分の妾だと言っていました……晴明様は、詩乃姫をご存知ですか?」

 気まぐれだと言う晴明に、若菜の心にはモヤモヤと霧が立ち込めるのを感じた。そんな偶然なんてあるのだろうか、と前世の事を口すると、晴明の青い瞳が見開かれる。
 そして、ふとどうしようもなく辛く切ない瞳でを向けて言った。

「詩乃……」

 晴明の口から名を呼ばれた瞬間、心臓がドクンと大きく跳ね、ボロボロと涙が勝手に溢れ出した。
 桜の下で歌って貰った事。
 母が晴明様の乳母だったこと、乳兄妹として過ごした日々、愛しい兄様。身分違いの幼馴染。
 月の下で口付けた事、初めてその腕に抱かれた日。
 身分違いなのに、正妻になれぬと知っていても恋焦がれていた事が、まるで走馬灯のように頭の中に入ってきた。
 
「晴明……様……兄様……」
「詩乃……お主は私の妾だった。あの時代には正妻にしてやる事が出来なかった。あろう事か道満に目を付けられ命を落とした。全て私のせいだ……だから私はずっとお前の魂を追って護ってきた」

 晴明は涙が無意識に流れて止まらない若菜を抱き寄せると、頭を優しく撫でた。心地よい胸板が懐かしい。道満に何度も陵辱されたが、決して心は明け渡さなかったのは、卑劣な男に屈したくないという気持ちと、晴明を愛していたからだ。

「私を護っていたのは、死なせた罪悪感からですか?」
「罪悪感……詩乃を守れなかった事は後悔しても仕切れない。だが私はお主を心から愛していた。幾度いくど生まれ変わっても性別が変わっても、誰と添い遂げても、変わらずお前だけを愛していた」

 若菜は頬を染めた。見上げた瞬間に晴明の暖かな唇が軽く重ねられた。蜜色の瞳を見開き頬を染めた若菜は次の瞬間、ハッとして彼の胸板を押した。このまま前世の記憶に身を任せてしまったら、引き返せなくなる。
 心の中がかき乱されるような感情に、若菜は戸惑い、朔の事を思い浮かべると胸が痛くなった。

「すまぬ。お主に触れまいと己を律していた筈なのに。側にいると我を忘れてしまう」
「……晴明様……何度も助けてくれてありがとうございます。道満の嘘もよくわかりました。光明様から頂いたこの珊瑚の御守りも、もういりません」

 若菜は頬を染めたまま、話題を変えるように何時でも身に着けているように命じられた、真紅の珊瑚で作られた勾玉の首飾りを取った。
 その瞬間、背筋に悪寒が走って気怠さが増した。体が熱く息苦しい。

「――――それが良いだろう。夜風は体に障る。部屋に……どうしたのだ? 顔色が悪い」
「い、いえ……なんだか……体が熱くて……気分が……」

 異変に気付いた晴明が、若菜の体を支えると前屈みになりながら彼の腕を掴んだ。額に手を当ててみると高熱が出ていた。心配そうにする晴明の声が遠くなり、意識を手放した。
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