【R18】月に叢雲、花に風。

蒼琉璃

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伍、義姉弟番い―中編―

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 蕎麦屋の娘の表情は何処暗く沈んでおり、目の下にはクマが出来ていた。その様子から見て、彼女が夜眠れずにいる事は一目見て分かった。正座をして、膝の上で両手を添える少女は心無しか震えている。
 一通り、娘から事細かく事情を伺い、彼女の正面に座ると若菜は、背後に揺らめく影を霊視した。やはり生きている人間、生霊のようだ。年格好からして、蕎麦屋の娘より年上で一方的に彼女に想いを寄せて生霊を飛ばしているように見えた。
 
「これは妖魔や死霊の類では無くて、生きている人の思いです。娘さんがご存知無い男性なら恋仲の相手や知人では無い赤の他人ですね。――――大丈夫ですよ、この方は多分、知らずに想いを飛ばしているだけだから私が返してあげます」

 いきすだま、所謂いわゆる生霊と言うもので、平安時代からその存在は知られている。 大抵、思いの強さが形になり本人が知らぬ間に相手の前に現れたりする。実は死霊より厄介な存在で、最悪な場合は相手をとり殺したり、生霊を飛ばしている本人が妖魔に魅入られて魔物と化す場合もある。
 だが、今ならまだ何方も救えるだろう。
 生霊と聞いて、蕎麦屋の両親も娘も怯えたようにしていたが若菜が少女の手を取り、ニッコリと安心させるように微笑むと、両親共々胸を撫でおろしたようだった。
 
「天鬼様に全てお任せ致します。娘を助けて下さい」

 若菜はその言葉を合図に、娘の両手を握り直して生霊と接触を試みる。暫くしてまるで反応が無かった背後の男が自分の問い掛けに反応するようになった。やはりこの男性は無意識に飛ばして居たようで、どうして自分がこの部屋に居るのかさえ理解しておらずキョロキョロと辺りを見渡している。何時の間にかその空間は若菜と蕎麦屋の娘、そして背後の生霊だけで畳も家具も一切なく上下の空間もない真っ暗な世界の中に居た。

『ここは、貴方のいる場所じゃないですよ。彼女はとても困っているのです、お帰りなさい』
『すみません……私は一体どうして此処に居るのですか。彼女は誰ですか?』
『……はぐらかしても無駄です。観念なさい』

 若菜が少し強い口調で言うと、男の顔が歪み彼女の背中から煙が立ち上がるかのように大きく姿が膨張し、襲いかかってきた。じっとそれを見ると不意に懐から呪符を取り出し此方に食いかかる寸前でピタリと男の額に付ける。

「元の体に戻りなさい。急急如律令きゅうきゅうにょりつれい
 若菜が、そう呪文を唱え五芒星を指で描くと闇を割くように空間が割れ呪符が燃えたかと思うと、男の姿は消え、元の部屋に戻っていた。
「もう、大丈夫ですよ」
 蕎麦屋の娘の体が倒れ込むと、彼女を受け止めて両親を振り返った。夫婦は涙ぐみながら此方を見ると深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます、ありがとうございます……やっぱり、お噂の通り天鬼様の能力は本物で御座いますね……とてもいい香りがします。甘露な霊力の香り……天の華のような上質な香り……お前ノ霊力血肉ヲ体にトリイレタラ……ワタシタチのチカラもツヨクナルニ違イナイ」

 涙ぐんでお辞儀をしてい筈の夫婦は、口々にそう言うとダラダラと口から笑い始め唾液を垂らし長い舌先が畳を擦りつけていた。
 若菜がハッとして体を動かそうとすると蕎麦屋の娘の口が耳元まで裂け舌先が伸びると首元に巻き付いてくる。

「下級妖魔……!? くっ……!」

 簡単な依頼かと油断していたが、彼等は妖魔に心の隙間に入り込まれ変化した下級妖魔もの達だ。人間だった名残で会話は出来るものの中級妖魔よりか知性は劣る。
 陰陽師は妖魔の天敵でもあるが同時に他の人間より霊力を狙われる存在でもある。
 今まで長い間陰陽師をしていたが中級妖魔でもこんな事は一度も無かった。蕎麦屋の依頼が彼等の罠だったとしたら――――?

 若菜は呻くと、懐から呪符を取り出す。死霊や生霊を退魔する為の道具はあるが妖魔に絶大な効果を発する小刀は手元には無い。呪符と呪術でこの絶体絶命を一人で乗り越え無ければならない。若菜は首を娘だったモノに締められ、心の中で祝詞を唱えると舌先から煙が上がり、悲鳴を上げながらするすると舌を引っ込めると飛びのき壁にへばりついた。
 そして再び若菜に襲いかかってくる。ヒラリとそれを交わして呪符を取り出すと、怒りに目を真っ赤にした妖魔と対峙する。玄関近くに居た夫婦の形をした妖魔が、ジリジリと此方ににじりよってくる。小刀が無ければ下級妖魔一匹ならまだしも、三匹となると一人では面倒な相手になる。
 ニ匹の動きに気を付けつつ、小刻みに震える妖魔を睨みつけた。
 ――――由衛と、吉良を此処に呼ぶべきか。

「ゆ…………!」

 不意に、獣のような雄叫びが上がったかと思うと【父親】だった妖魔が若菜に襲いかかってきた。鋭い爪を振りおろそうとした刹那、風を斬るような音がして妖魔の首が斬り落とされる。
 若菜は蜜色の瞳を大きく見開き、飛び散った血の間から、漆黒の瞳に怒りの色を灯して鋭く妖魔を睨む義弟がいた。その刀の刃には呪術が刻まれ、キラリと光った。

「朔……ちゃん?」
「――――姉さん、後ろだ」

 
 鋭く義弟に叫ばれ、若菜は我に返ると後ろから襲いかかってきた妖魔の腕を取り背後に回り込むとその背中に呪符を貼り付けた。
 祝詞を唱え、急急如律令きゅうきゅうにょりつれいと言う呪文で締めくくると断末魔だんまつまの声を上げて娘の姿をした妖魔が姿形を消す。
 それと同時に朔がもう一体の妖魔を斬り捨て浄化すると、刀を鞘に直した。
 若菜は先程の緊迫感等忘れて、どうして義弟がこの長屋まて駆け付け、自分を助けに来たのかと驚愕きょうがくしつつ声を掛けた。

「朔ちゃん、どうし――――」

 不意に、歩み寄ってきた義弟が若菜の華奢な体を抱き寄せ強く抱き締めた。そして安堵の溜息を付くと震える声で囁いた。

「姉さん、無事で良かった……怪我はないか」
「朔ちゃん、御免ね……私は大丈夫だから」

 心底心配する朔の声色に胸が締め向けられ、礼を言うと、思わず仄かに香る白檀びゃくだんの薫りが若菜を安心させ思わず無意識に彼の胸元に頬を寄せてしまう。
 規則正しく心音を刻む音を聞いてそのまま彼の背中に腕を回しそうになったが、先程のお鶴とのやり取りが蘇り、思わず体を離した。

「さ、朔ちゃん、助けてくれて有り難う。本当に吃驚しちゃった……。きっとお仕事の途中だよね、御免ね」

 若菜は取り繕うように笑い、義弟に背中を向けて玄関へと向かった。不意に背後から朔に手首を掴まれると自分へと向けた。
 何時ものように冷静沈着な側近としての表情に戻ると、静かに若菜に言った。

「―――都周辺で妖魔が増えている……姉さんもそれは肌身で感じているだろ。先程の下級妖魔のように、人が憑かれ変化する事例も増えている。俺と姉さんで調査するよう命を受けた……この命は長期に渡りそうだ」
「光明様から……? そ、そっかぁ。それじゃ色々と用意しないといけないね。一度陰陽寮に帰らないとね」

 若菜は、事実は違えどだから義弟が自分を追ってきたのかと納得した。朔とお鶴との逢瀬を盗み見た事を気付かれて居ないのだと言う安堵と、心が刃物で抉られたような痛みを感じながら裏腹に微笑んだ。

「そうだな」

 朔は目を伏せ、静かに長屋を後にすると、若菜はその背中を追って歩いた。
 見渡せば長屋と思っていた場所は荒れ地になっていて、人の気配も無かった。恐らくあの妖魔達が作り出した偽りの空間だったのだろう。
 鉛色の空の下、一言も発しない彼の背中を追い掛け、感じた事の無い痛みや不安で苦しくなるこの気持ちをぶつけてしまえば楽になるだろうと言う思いと、もし彼がお鶴と恋仲だったら――――と言う恐怖で足が竦んでしまう。
 彼が、異人の血が入った忌み子と言われた種違いの義姉では無く、生粋の都の女性ひとめとったら陰陽師としても安泰だと頭では分かっているのに、心がそれは嫌だと叫んでいる。
 情けない自分に項垂れながら歩いていると、急に朔が立ち止まり思い切り顔をぶつけてしまった。

「痛っっ……朔ちゃん?」
「姉さん――――雨だ、俺の側に来て」
「とうとう、雨が降って来ちゃったね」

 朔がそう言うと、若菜を肩を抱き羽織りで屋根を作るとポツポツと雨が降り出した。白檀の香りのする羽織りの中で彼に寄り添うと、天空を見上げた長い睫毛の横顔を頬を染めて見つめた。
 雨に濡れた漆黒の髪から雫が垂れ、肌を伝う様は美しくて、見惚れてしまう位だ。
 雨足が強くなり、稲穂のような髪が濡れ始めると、若菜の白い頬に雨粒が当り、滴り落ちた水滴が首筋を伝う。ふと義姉を見た朔が頬を染めて視線を反らすとふと、空き家になって間もないだろう場所を指差した。

「姉さん、雨宿りしよう……風邪を引いてしまう」
「う、うん……そうだね、びしょ濡れになっちゃった……ちょっとだけお邪魔させて貰おうね」

 朔の言う通り、徐々に雨足が強くなって体温を奪って行く。二人は小走りで軒下まで来ると、バケツをひっくり返したような豪雨になった。
「凄い雨、当分雨宿りさせて貰わないと――――」
 不意に軒下で抱き締められて驚いたように彼の服を掴んだ。濡れた若菜の頭を撫でると朔は耳元で囁いた。

「姉さんは何時もそうやって我慢するんだな、ちゃんと、俺に話してくれ……俺が、俺が不安にさせてるなら、全部……取り除いてやりたい。だから全部背負い込むな」
 
 その一言を聞くと、糸が切れたように若菜の頬から涙が溢れてポロポロと伝った。
 聡明な朔は、その生い立ち故に自己肯定が低い事も、情の厚さと優しさは時に諸刃の剣となり繊細で脆い心を殺して、自分が全て我慢し背負い込んでしまうと言う事も理解していた。だから、どんな不安も全部受け止めてやらなければ何れ無理をして、潰れてしまうのではないかと常々考えていた。
 若菜の涙を拭うと、側近の時とは違う優しい眼差しで見つめる。泣いてる自分が恥ずかしくて頬が林檎のように染めながらようやく自分の気持ちを吐露とろした。

「お義姉ちゃんなのに泣いて、恥ずかしいな、頼りなくてごめん……。私、お鶴さんと朔ちゃんが抱き合っている所を見たの……だから……その」
「俺とお鶴が恋仲だと思ったのか? そうだな、姉さんと契を交わす前にお鶴と関係を持っていたが、少なくとも俺は―――、酷いと思うかも知れないが遊びの女だった。
 お鶴は俺とよりを戻したいと言ってきたんだ。当然断った……物心ついた時から、俺は姉さんしか見てない。姉さんしか愛さない」

 お鶴の事も嘘偽り無く、そのまま若菜に伝えたのは、小さな嘘をついて不安の種を植え付けたく無いからだ。物心ついた時から義姉弟を越えて愛していた。
 運命の糸があるなら、生まれた時から彼女の指に絡まっているだろう。
 昔、生家の大きな桜の木の下で「何時か俺のお嫁さんになって」と言って指切りをしたが、あの日と変わらず今も思っている。小さな若菜は笑ってありがとうと答えていたが今も変わらず本気だ。
 義姉に護られて生きてきた自分だが今度こそ義姉を護る番だ。

「朔ちゃん……私も、私も愛してるよ」

 若菜がようやく涙を拭いて、想いを伝えると雨に濡れた薄桃色の唇を奪い何度も啄むように口付けた。そして吐息を漏らした若菜の唇の隙間から舌先が押し入る。

「ふっ………、朔………んっ………ふぁっ」

 朔の口付けは、軽く啄むだけでも心地よく、深く舌先を絡めて口腔内を舐られると、腰が抜けそうになる。自分より年下なのに、口付けだけで巧みな舌技に翻弄され縋りついてしまう。
 愛しい気持ちと絡まり合って、このまま気をやってしまいそうだ。唇を離すと水音と共に銀糸が橋をかける。

「はぁっ……姉さん、駄目だ、我慢できない……番いたい……駄目?」

 熱っぽく耳元で囁かれると若菜は潤んだ瞳で見上げた。普段は冷静沈着で聡明な美しい彼が熱っぽく見つめてくる様子は、若菜の心の中の欲望に火を付けるには十分すぎる位だった。
 こんな時だけ、年下らしくお願いする様子も心臓が高鳴って堪らなく愛しくなる。

「私も、朔ちゃんと凄くお夜伽したい……」
 
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