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旅立つふたり(前編)

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 午後一時。
 髪通り『丸山まるやま書店』の料理本のコーナーで、私は『赤毛のアンのレシピ』を立ち読みしていた。
 守屋君と待ち合わせをしている。

「神崎」
 その時、後ろから声を掛けられた。
 振り向くと、守屋君が立っていた。
「明けましておめでとう」
「おめでとう」
 新年はじめの挨拶を交わす。
 今日は、元旦。
 高校三年の年が明けたのだ。 
 そして、これから守屋君と一緒に『藤咲ふじさき八幡宮』まで初詣に行く約束だった。

「着物、着てきたんだ」
「うん。毎年、お正月には着物着るの」
 私は、紺地に赤い花絣はなかすり、赤い帯を締めたウールのアンサンブルの着物を着て来ている。この着物は普段着だけどお気に入りの着物。
「似合う……?」
 ハーフアップに結い黒いリボンのバレッタで念入りにアレンジした髪の一本から、赤い鼻緒の爪先まで、じっと見つめる守屋君の視線に恥じらいながら、問うた。
「すごく似合ってるよ」
 守屋君が笑んでいる。私はホッとして、そして嬉しくなった。

「お雑煮、食べた?」
「サキさんの具沢山のすまし雑煮、餅三個入れて食ったよ」
「そんなに?!」
「普通だよ。男だから」
「そうなの? 私、お餅は二個」
 やっぱり男の子の食欲は違う。
「昨日TV、何か観た?」
「紅白観た。嵐とか観たかったもん」
「今時、紅白かよ。神崎もほんと音楽好きだよな。それにしても嵐って…お前結構、ミーハーだったんだな」
「何よー」
 そんな他愛ない会話を交わしながら、待ち合わせ場所から徒歩15分の藤崎宮へと到着した。

「すごい人出だな」
 元旦の藤崎宮は、家族連れやカップルなどとにかく参拝客でごったがえしている。
「はぐれるなよ」
 そう言って、守屋君は私の右手をぎゅっと握った。
 そんな彼と手を繋ぐとドキドキする。
 私も強く彼の手を握った。

「あ、たい焼き!」
 賑わう参道を歩きながら、思わず屋台に釣られてしまう。
「ほんと、神崎って甘いもん好きだよなあ」
「だってたい焼き美味しいんだもん。……守屋君?」
 彼は私の手を離したかと思ったら、目の前の屋台で小豆餡のたい焼きを二つ買い、一つ私に手渡してくれた。
「ほら、食おうぜ」
「だ、だって、まだ熱いわ」 
 照れ隠しにそう言ったけれど、私はその熱々のたい焼きの頭を少し齧った。
「美味しい!」
 カスタードやうぐいす餡や色々な種類の中でも、私はやっぱりシンプルな小豆餡が一番好き。ご機嫌な私の隣で守屋君も美味しそうに、程よく焦げたたい焼きを頬張っている。
 守屋君。甘いもの、あんまり好きじゃないのに……。
 なんだかジンとしながら、私はそのたい焼きを食べ終わると自分から彼の左手にそっと触れた。彼はまたぎゅっと私の右手を握ってくれる。

 ああ。
 新年早々、すっごく幸せ。

 そんな感慨に耽りながら、境内に入った。境内の手水ちょうずで手を洗う。
 ふと見ると、守屋君はどうやらハンカチを持っていない。ひらひらと水に濡れた手を宙に泳がせている。
 私は黒地に赤と紫の小さなリボン柄のハンカチを、使った部分を反対側に折り畳んで、そっと彼の前に差し出した。
「サンキュ」
 彼は嬉しそうに笑った。その笑顔にもキュン…とする。

 そして、参拝客の長い列に並んだ。

「どうした? 気分悪い?」
「え。う、ううん! 違う」
 順番を待っている間も守屋君は私の右手を強く握って離さないから……。なんだか恥ずかしくなって俯いた私を彼は心配してくれる。
 思わず右手にぎゅっと力を込めると、彼はやはり力強く握り返す。
   
 ありがと……守屋君。
 だいすき────── 

 声にできないその言葉を、私は心で呟いていた。

 ようやく賽銭箱の『神様』の前まで来た。鈴を鳴らし、お賽銭を入れ、一拝二礼二拍手する。
 そして、神様へのお願い事。
 勿論、今年は『大学受験合格祈願』。
 センター試験で八割五分得点できますように。
 大阪浪速大学外国語学部に合格しますように。
 そして。
 神様────── 
 今年も、これからもずっと、『守屋君』と仲良く一緒に過ごせますように……。

 私は熱心にお祈りしていた。
「何、お願いしてたの?」
「受験と……ヒミツ」
 私は赤くなった。秘密にしてもバレバレだよね。
「俺も同じこと」
 彼が意味深に笑う。
 何が同じなんだろう……?

「お守り買う? それと、おみくじ」
「買う買う!」
 白い絣に赤い袴を着た綺麗な初々しい巫女さんが集う売り場には、色々なお守りが並んでいた。
 まず、二人とも赤い『学業御守り』を買った。そして、ピンクの『恋愛成就』の御守りも……。
「神崎、これ」
「え、何?」
 守屋君が青い『病気平癒』の御守りを手渡してくれたのだ。
「お前、カラダ弱いだろ。受験前に体壊したらいけないから、これも持っておけよ」
「守屋君……」
 彼の気遣いが何だかすごく嬉しかった。

 それから、おみくじをひく。

「凶だったらどうしよー」
「元旦のおみくじに凶は入ってないって」
 八角の筒から細い竹棒を引き出すと、棒の先には赤で番号が書いてある。それを巫女さんに渡すと、おみくじを手渡してくれた。
「吉だったあ!」
 ホッとして、嬉しくなる。大吉はもう次は運勢落ちるだけだけど、吉は大吉の次に良い運勢。元旦早々、幸先が良い。

 守屋君が私の背後に立って、私が手にしているおみくじをGパンの後ろポケットに手をつっこんだまま肩越しに読んでいる。何気な彼の行為なのに、そんなことにもドキドキしてしまう。
 守屋君、やっぱり背が高い。すごく線が細くて、雰囲気がどこかエキゾチックで。
 やっぱり格好いいなあ、なんて……。
 自分のカレのことながら、なんだか皆に見せびらかしたいような、そんな気分になって一人、悦に入っていると守屋君が言った。
「ついでだから、絵馬も奉納しようぜ」
「うん」

 今年の干支の絵馬を買うと、私達はそれぞれお願い事を書いた。

『守屋君と一緒に大学に合格しますように
 守屋君と今年も仲良く過ごせますように』

 そう丁寧に絵馬には書いた。
「何て書いたの?」
「だから、秘密!」
「ケチだな」
 守屋君が笑って見ている。
 なんだか恥ずかしい……。
 絵馬を奉納すると彼が言った。
「これから、ウチ来る?」
「いいの?」
「うちでゆっくり珈琲飲もうぜ」
「うん」

 そして、私達は守屋君の家へ向かった。


 ***


「はい、どうぞ」

 守屋君が部屋に入ってきて、テーブルに珈琲と彼の好きなガーリックポテチの皿を並べた。
「やっぱり、守屋君の珈琲って美味しい……」
 彼の珈琲は苦みが効いていて、味が強い。
「お杏の淹れる珈琲はスッキリしていて飲みやすいの。お杏の珈琲も絶品だけど、守屋君のもすごく美味しい」
 白抜きのアルファベットの柄の黒いマグカップを両手で持ちながら、そう言った。
「どういたしまして」 
「あれ……今日は煙草、吸わないのね」
 いつも、テーブルに座ると同時に煙草に火を点ける彼が、今日は煙草を手にしていない。
「今日から禁煙しようかと思ってね」
「え? 禁煙?!」

 驚いて、声を上げた。

「ああ。一つは合格祈願。好きな物断ち、てヤツ。でも。お前とつきあい始めたからさ。受動喫煙ていうの? 良くないんだろ。吸ってる本人だけじゃなくて、周りの人間も煙草の害受けるって言うから。神崎ががんになったりしたら、嫌だからな。元旦で区切りいいから、今日から始めることにした」
「……良かったあ。すごく心配だったの。ずっと。守屋君が肺がんで死んだら、いやだもん」
 私は泣きそうに呟いた。
 守屋君の煙草はずっと心配だった。煙草を取り上げても、取り上げても一向に止める気配がなかったのに。ちゃんと考えてくれていたんだ。

「ところでさ、神崎。その着物。一人で着付け出来るの?」
「出来るわよ。中学生になってからは、自分で着てるもの」
「じゃ、姫始めしても大丈夫、てわけだな」
「え?『ヒメハジメ』って……?」
「お前、知らないの?!」
 守屋君が、はーっと息を吐いた。
「ネンネにも程があるぞ」
「だから、どういう意味?」
「こういう意味だよ」

 そう言うと彼は私を急に抱き寄せ、床へと押し倒した!
「も、守屋君……?!」
 着物の胸元が露わになる。帯が着崩れる。
「ちょ…や……」
 ほんのひと月程前に私達は結ばれていたけれど、私はまだ全然慣れていなかった。あの時、守屋君と結ばれたかったのは本心だけど、まだまだ躰はついていかない。肌を合わせるのは嫌いじゃない。でも、抱き締められるだけで私には充分だった。

「嫌なの?」
 彼が動きを止めた。
「嫌じゃ……ない。でも……」
「泣いてるじゃん……」
「泣いてない」
「無理しなくていいんだぞ」
 守屋君は優しかった。
 ついていけないのは私の都合なのに。キスは好きなのに、勝手だよね、私……。
 戸惑いと自己嫌悪に涙ぐむ私を、彼はそっと抱き締めてくれる。

「嫌い……? 抱かれるの」
 彼が私の髪に手をあてながら言う。
「嫌じゃ、ない……でも。抱き締められるだけの方がいい」
 私は、思っているままのことを呟いた。
「まだ、お前の心は処女(おとめ)なんだな」
 フッと守屋君が笑った。
「着物、着ろよ。悪かった」
 彼はすっと身を離すと、私に背を向けた。
 彼が視線を逸らしてくれている間に、元通り着物を着付ける。帯が解け着崩れた着物が恥ずかしい私に、彼の気遣いはいつも以上に嬉しかった。

「守屋君。もういいわよ」
 着付けを終え、そう声をかけるとそれまで黙っていた彼が突然、言ったのだ。
「これから神崎の家行って、ご両親に挨拶したい」
「え?!」
「お前、親に俺のこと何て言ってんの?」
「え、えーと。実は……まだ、話してない……」
「でも、俺の存在こと、知ってるよな?」
「うん……多分。帰りが遅い時、いつも何処行ってたか心配してるもの」
「これから大学のこともあるし、もうつきあってること報告しといた方がいいだろう」  
「うん……」

 そして彼は、ベージュのチノパン、グレーのグレンチェックの長袖シャツというトラッドな洋服に着替えた。
「ちゃんと着付けられた?」
「うん、大丈夫。バッチリ」
「ヒメハジメがばれたら、挨拶も何もあったもんじゃないからなー」
 黒いダッフルコートに袖を通しながら、守屋君は苦笑した。
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