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第3話 事件の手がかりは霧の中

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  早朝。夜の世界が眠りに落ち、昼の世界はまだ微睡んでいる頃。 

 朝もやに包まれた街の一角が集まった警察官とパトカーによって物々しい雰囲気に包まれていた。 

 そんな中を、正雄はコンビを組んでいる真辺健矢と一緒に入っていく。 

 くたびれたスーツを着ている正雄より、健矢のスーツがパリッとしているのは、彼が刑事課に配属されたばかりの新人刑事で、スーツも買ったばかりだから。 

(そのうち、俺のスーツの様にくたびれていくんだろうなー。けっけっけ) 

と今日は朝から姿を現している「影」の嗤いは無視する。 

 健矢の年齢は正雄の息子、大志の1歳下。このことに考えが至るたびに、 

 ――もしも、行方不明になっていなかったら、大志と一緒に警察の仕事をすることがあったのか。 

 などと考えてしまう。 

 その度に切なくなる心を圧し潰す。 

 事件現場と聞いている路地に入るところには規制線が張られていた。 

「お疲れさま」 

 規制線の前に立っていた制服警官に声を掛けて、さらに中に入っていく。相手の顔を見て、きちんと警察手帳を見せて。 

「お疲れー」 

 続いた健矢のへらへらした言葉と制服警官への態度に、 

(おい、もっと相手に敬意を持て!) 

と勝手に荒れている「影」は無視して、路地を奥へと進む。 

 閉店しているのに外に出されたままのラーメン店の看板を避けようとしたら、路地の奥から数人の男たちが走ってきた。 

 健矢を促して、一緒に脇に避けると、男たちは横を通りすぎて行った。 

 そのまま、正雄は歩みを再開する。後ろから健矢がついてくるのを背中で感じ取る。 

(分からないことはすぐに聞け!) 

 「影」が言っているのは今の男たちのこと。県警本部の組織犯罪対策課の刑事たちだった。正雄は以前一緒に仕事をした経験があったから、その顔触れを覚えていたのだが、健矢は知らない。 

 些細な疑問であってもすぐに解決すること、それが「良い刑事」の条件と正雄は考えている。ただ、それを口にしたのは健矢と最初に取り組んだ事件の時だけ。口酸っぱく何度も言っても、本人が自分で気が付かないと余計なお節介になるだけ。ただでさえ、彼からは疎ましく思われているから、 

 ――距離感が難しい。 

(熱血刑事と思われているからな。よっ! 三流刑事!) 

 ビルからはみ出して置かれているゴミ箱を避ける。 

 正雄の感覚が「死臭」を感じ取った。感じているのは、普通の匂いではない。彼のこれまでの刑事経験によって培われてきた陰惨な事件を察知する第六感のようなもの。 

 その感覚が強烈に伝えてくる。 

 人の気配も同時に感じながら、角を曲がる。 

 すると、目に飛び込んできたのは、 

 血 

 両脇のビルの壁に鮮烈に大量に飛び散っている。 

「うっ……!」 

 後ろから何かを我慢する音がしたから振り返ってみたら、歩いてきた路地を急いで戻る健矢の背中が見えた。 

(これくらい我慢できるようにならないと、一端の刑事になれねーぞ) 

 揶揄する「影」の言葉にかぶるように、声を掛けられた。 

「2週連続でこんな現場は新人には辛いよな」 

 振り返れば一人の男が立っていた。 

 鵜木親一。正雄の警察学校の同期で、今は県警察本部の刑事部捜査第一課に配属されている。 

「だが、お前の割に来るのが遅かったな」 

 意外そうな表情を浮かべている彼に、正雄は少し僻むように返す。 

「早く来たら、お前たち本部の刑事様たちに邪魔者扱いされるだろ」 

「仲間なんだ。そんなことしないぞ」 

 親一が心外だと言わんばかりの顔をする。それが上辺だけではなく本心からなのは、長い付き合いから正雄は知っている。警察学校にいた時からそうだった。今では、正雄より階級が上でポジションも上にもかかわらず、変わらない。 

(けっ! この八方美人が!) 

 唾を吐くように言う「影」は無視する。代わりに、 

「こんな狭い路地にデカい大人が大勢集まったら、鑑識の邪魔だろ」 

「それはそうだが……」 

 なおも渋る親一にダメ押しをする。声を潜めて。 

「それに所轄の俺たちが大きい顔をしてうろうろしていたら、お前のボス県警本部刑事部長が怒るだろ」 

 親一の顔が天を仰ぐ。否定の言葉は返ってこない。 

 今の刑事部長はご多分に漏れず、東京から来たキャリア警察官僚。キャリアといっても、人だから性格も仕事のやり方もそれぞれなのだが、今の親一のボスは自分の部下県警本部の刑事たちだけを重用して、他は雑用係としか見ないタイプ。だから、同じ殺人事件の捜査本部で働いていても、詳しい捜査情報が正雄たちの所所轄の刑事たちには下りてこない。 

 ゆえに、伝手を使って話を聞く捜査情報を得るわけだ。 

 彼の肩越しに、現場を見た。 

 遺体はすでに運び出されていたが、残った大量の血痕がこの場で起きた惨劇を雄弁に物語っている。 

「で、分かっていることは?」 

 気持ちを切り替えたらしい親一からはっきりとした言葉が帰ってくる。 

「被害者の身元は分かった。違法薬物の販売組織の元締めだ」 

「元締め?」 

 想定外のワードに思わずオウム返しをしてしまう。 

「元締めだ。しかも、全国レベルのだな。それが分かって、さっき、組対組織犯罪対策課の連中が血相変えて出て行ったんだ」 

「そんな大物がなんでここに?」 

「それを調べるのは組対の連中の役目だな」 

 つまり、「分からない」ということ。 

 続く言葉はまた声を潜める。 

東京警察庁のお偉いさん方が押し寄せて来るのか?」 

 全国レベルの違法薬物販売組織が相手となると県警レベルでは手に負えない、と判断されるかもしれない。もし大挙してやってきたら、それが捜査支援というお題目であっても、口出しをしてくるお偉いさんたちのご機嫌伺いに駆り出される。通常業務を放り出してでも。 

「それは恐らくない。来ても少人数だな。被害者のスマホに組織の情報が丸々残っていたそうだ。だから、向こう東京で組織の根絶に夢中になるだろう」 

 親一の言葉にホッと安堵の溜息を漏らしたくなる。親一の言葉の外に含まれた、組織根絶の功績が自分たちではなく警察庁に奪われることは察している。それよりも、巨悪が滅びる未来への安心感の方が強い。 

 でも、すぐに気を引き締める。目の前の事件の解決には結びつかないことだから。 

「他は? 殺人の犯人に繋がるものはあったか?」 

 正雄の問いかけに、親一は無言で首を横に振った。 

「何もか? ほんの些細なことでもか?」 

 再び、親一の首が横に振られ、 

「鑑識が必死になって探したが何も見つかっていない。髪の毛一本もな。防犯カメラからも、今のところ報告は何も上がってきていない。手分けして、民間のカメラの提供を求めているところだ」 

 警察が設置しているカメラなら、すぐに映像をチェックできるが、それ以外のカメラには一カ所一カ所回って、映像データの提供をお願いする必要がある。 

「被害者の死因は出血性ショック死。鋭利な刃物で正面から左肩から斜めにバッサリだ」 

「先週の事件と同じか」 

「ああ。恐らく、だが、ほぼ同一犯と見ていいだろう。被害者の遺体の斬られた部分を科学的に分析して、比較すれば同一と判断できる」 

 正雄の問いかけに、親一は頷きながら、自分の見立てを語る。 

 殺人事件は先週にも起きている。犯人はまだ捕まえていない。 

「先週の事件の被害者の方は順調に捜査は進んでるんだろ?」 

「明日にも、被疑者死亡で送検できる」 

(死刑を執行する手間が省けたな。な? 殺人犯) 

 「影」の囁きは無視する。 

 先週の事件で殺された被害者は違法な自動車ヤードのオーナーだった。 

 事件がきっかけでヤードに捜索を入れたら、死体が見つかった。5人も。全員、不法滞在していた外国人で、警察に行方不明の捜索依頼は出されていなかった。 

 従業員の証言とヤード内に設置された監視カメラから、殺したのは自動車ヤードのオーナーだということが判明した。 

 証言とカメラの映像という証拠が揃っているため、殺されたオーナーが犯した事件は検察に引き継ぐ送致するのは簡単。 

 逆に、オーナーを殺した犯人につながる手がかりはまだ見つかっていない。 

「なら、そこに関わっている刑事もこっちに投入か」 

「そうだな」 

「手がかりにつながるような新しい情報は入っていないか?」  

「武術に詳しい人に見てもらった。凶器は薙刀だと見ている」 

「薙刀? ……なら、犯人は女性か?」 

 薙刀に持つイメージから、正雄は犯人像を絞ろうとするが、親一に否定される。 

「そうとも限らない。俺も最初は同じことを考えたが、見てもらった先生によると、薙刀に女性のイメージが付いたのは江戸時代からで、それ以前は男性のイメージが強かったらしい。ほら、武蔵坊弁慶はその代表格だ」 

「つまり、犯人像に予断を持つことは禁物か」 

「間合いの広さと刃先に遠心力が乗った時の破壊力は見たとおりだ。女性のように非力な人間でも犯行は可能だが、この一点だけで犯人像を絞るのは無理がある。それに、躊躇いが全く見られない一撃で殺している所は、古流武術としてよほど過酷な修練を積んだ人間と見ることが出来る。武道や競技としてやっているレベルでは難しい、とは聞いた先生の意見だ」 

「なら、その筋か? 薙刀をやっている人間ならそう多くないだろ? あれをやってのけられるレベル、それこそ師範クラスか?」 

 正雄の意見に、親一は首を横に振って否定する。 

「逆だ。少なすぎる。県内に古流武術として薙刀の師範の資格を持つ人は一人もいない。隣県に一人だけいるが、先週の事件の犯行時刻は自身の道場で弟子に稽古を付けていた」 

「証言は弟子だけか? 他にアリバイを固められるものは?」 

「その稽古がリモートなんだ。通信記録も取れている」 

「なら、白か」 

 正雄の結論に、今度は親一も首を縦に動かして同意する。 

「その師範の人以外にも全国各地の師範クラスの人に話を聞いたが、誰にも犯行は不可能だ。アリバイが揃っている」 

 数が少ないから、あっという間に済んだ、と親一は自嘲するように付け加えた。さらに、 

「外国の人間の可能性も考えて、薙刀を持って入国した人間がいないか、税関に問い合わせてみたがゼロ。古流武術ではない危険人物が動いていないか、公安に問い合わせてみたが、こっちもゼロだった」 

(さあ、犯人像の候補が全く浮かんでこないぞ。どうする、三流刑事ども?) 

 諦めることなく、正雄は犯人に繋がる手掛かりを探し求める。 

「あとは、凶器からたどるか。薙刀なら、刀鍛冶が作っている中でも、そんなに本数は多くないだろ」 

 銃刀法によって、美術品としての日本刀は全て登録制になっていて、厳しい保管管理が求められる。薙刀もここに含まれる。持ち運びの際は、抜き身ではなく鞘に納められた状態であることは当然で、ケースなどに収めた状態が求められる。そもそも、正当な理由なく、むやみやたらな持ち運びは禁じられている。防犯や護身のためは理由にならない。もちろん、人を殺すためなんかは……。 

「俺も同じことを考えて、部下に調べさせている。だが、別の問題がある」 

「なんだ?」 

「被害者の遺体から凶器の残滓が見つかっていない。刃こぼれした部分だな。あったら、凶器を発見した際に照合させることが出来る。研がれて分からなくなっていても、成分分析すれば照合できる。それ以前に成分から凶器の当たりを付けられたんだがな」 

 日本刀と同じ鉄を使ったものか、それとも違うものか。見つかっていれば、その由来をたどることで犯人に行きつくこともありえた。 

 でも、親一が語ったことは常識からかけ離れたものだった。 

「鎖骨から肋骨は全て切断、背骨にも刃が入っている。なのに、凶器の残滓が残っていない」 

「……マジか?」 

「科捜研に頼んだがダメだった。上の科警研に頼むか検討中だ」 

 各都道府県に置かれている科学捜査研究所より、さらに高度な科学的な鑑識、検査が出来るのが警察庁付属の科警研、科学警察研究所となる。 

「骨をぶった切って全く刃こぼれしない刃物ってあるか?」 

「俺も知らない。科捜研の人も聞いたことがない、と言っていた」 

 正雄の背筋にゾクリと寒気が走った。親一の目にもかすかに怯えのようなものが走ったように見えた。 

 事件を犯した犯人に向かって得体の知れなさを感じたから。 

 その寒気を振り払うように、 

「だが、凶器さえ見つかれば、付着した血痕からDNAを採取できるだろ」 

「そうだな。確認できていない薙刀の残りはあと3点なんだが……」 

 見つからなければ、捜査は振り出しに戻る。 

 それも見越したように、親一が正雄に指示を出す。 

「堂坂たちも防犯カメラの映像提供の依頼に回ってくれ。今回は先週と違って繁華街にも近い街中だ。カメラの設置個所も多い。範囲も広げる。犯人は必ずどこかのカメラに映っているはずだ。それこそ、薙刀なんて長くて絶対に隠し持てない物を持って歩いていたら必ず映っている。犯行に使われた凶器だけ、この近くのどこかに隠している可能性もあるが、それは別の班に捜索を任せている。それでも、堂坂たちも注意しておいてくれ。あとは当然、聞き込みも頼む」 

「了解だ」 

 頷く。「影」の嗤い声は無視して。 

(本当にそれで犯人が見つかると思っているのか? おめでたいヤツだなー) 

 空を見上げてみれば、先程まで辺りを包んでいた朝もやは晴れて、両側に立ちそびえるビルのコンクリートの向こう側に青空が見えた。 

 でも、事件はまだ霧の中。 

  
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