45 / 69
第二部
過去の縁は忘れた頃に戻ってくる5
しおりを挟む
殿下はクスクス笑いながら、文也と初めて出会った時のことを話してくれた。王族として、次期国王として、国の代表として、殿下は幼い頃から厳しい教育を受けて育った。しかし、それは殿下にとって苦ではなく、周囲の反応の方が嫌だったと語る。殿下はユベール様と同じく天才で、どんなことでも完璧にできてしまう。生まれ持った才能なのだろう。そんな殿下を、城の者達は褒め称え「この国は安泰だ」と断言するほどだった。周囲からの賞賛の声は殿下が成長するにつれ大きくなり、期待もどんどん膨らんでいく。そんな周囲の反応に疲れ果てても、殿下は顔に出さなかった。
「でもね、フェルだけは気付いてくれたんだ」
「なるほど」
「僕も、あの時どうして自分があんな行動をとったのか分からなかった。周囲を困らせてみたかったのか、心配してほしかったのか、怒られたかったのか」
「小さな反抗期でしょうか?」
「うん。フェルに似たようなことを言われた。『お利口さんでいることに疲れたのか?』ってね」
「あぁ、彼奴なら言いそう」
ご両親と外出していた時、殿下は出来心で二人から離れて王都を探索した。子ども特有の好奇心もあったと思うが、多分殿下は気付いてほしかったんだろう。自分は周囲が思っているほど完璧じゃないんだって。けれど誰も気付いてくれない。護衛の目も掻い潜って王都の商店街を楽しんだ後、二人の元へ戻ればいいと考えていたが、元の道が分からなくなり殿下は迷子になってしまった。
この時の外出はお忍びだったらしい。陛下も王妃様も殿下も、みんなラフな格好をしていた。迷子になってしまった殿下に声をかける人は居らず、平民に間違われて暴言を吐く貴族もいたという。うーん、昔から変わってねえな。この国の貴族達は……
「歩き疲れて、お腹も空いて、いい匂いがして、無意識に高級レストランに足を踏み入れてしまった。シェフ達からは嫌な顔をされたよ。お金もない平民の子どもに食べさせる料理はないからさっさと出て行け、と怒られちゃった。初めて悪意を向けられた僕はどうすればいいのか分からなくなって、逃げ出してしまったんだ。追いかけてくる大人達が怖くて、走って走って、咄嗟に立ち入り禁止の部屋に入って隠れた」
その部屋の中で黙々と料理を作っていたのが文也だった。まさか人がいるとは思っていなかった殿下は驚きと恐怖で震えたが、文也は床に膝をついて「どうした? 坊主。迷子か?」と聞いた。親は? 何処から来たんだ? という質問に答えられず、焦る気持ちばかりが膨らんで、同時に空腹も限界で、泣きそうになっている殿下を見て色々と察した文也は「腹、減ってんのか?」と聞いた。怒られると思っていた殿下は文也に優しくされてこの人は大丈夫と思ったらしい。素直にコクンと頷くと「ちょっと待ってろ」と言って文也はテキパキと何かを作り始めたそうだ。
「それでふわとろオムライスを作るのはズルいな」
「分かる!? 僕、あんなにふっわふわでとっろとろの料理を食べたの初めてなんだ!」
ニコラくんが怒鳴る気持ちも分かるなあ。ふわとろオムライスってだけで子どもの心を鷲掴みにするのに、文也はちょっとしたサプライズも用意した。チキンライスの上にオムレツの形をした卵を乗せて、それを殿下に「切ってみろ」と言って、小さな殿下でも使える小さめの包丁を握らせた。その手を握って、スゥッと切れ目を入れてとろとろの卵がチキンライスを覆い隠す様子を見せたのだ。初めて見る料理に殿下はもう目を輝かせて、文也に「食べても、いいんですか?」と聞いた。文也は「どうぞ。熱いから気を付けろよ?」と言ってケチャップをかけた。
「殿下、結構食べますよね?」
「うん! ケチャップもデミグラスソースもすっごく美味しくて! あの時も二回おかわりしちゃったんだ。でも、フェルは嫌な顔をせず見守ってくれて、プリンも食べさせてくれて。僕の正体も知っていた筈なのにそこには触れなくて、僕の悩みに気付いてくれて」
バレない程度にサボればいいんだよ。完璧な人間なんてこの世に存在しないんだから。
ぽん、と殿下の頭に手を置いて、文也はそうアドバイスしたそうだ。その後運よくご両親がレストランを訪れて、殿下が居なくなったと騒ぎが大きくなっていて、困惑する殿下の頭を撫でて「お家に帰りなさい。次は家族と一緒に来るんだぞ? 坊主」と言って両親の元へ帰るよう説得した。お土産に人数分の手作りのプリンと手紙を添えて。ちなみに、プリンを入れた箱は保冷効果のある特殊なものだったらしい。お城に帰って三人でプリンを食べた時に気付いて全員文也の気遣いに感動したとか。毒云々に関しては触れなかったから陛下も大丈夫と判断したのだろう。うん、彼奴らしい。彼奴らしいのだが、これは初恋泥棒と言われても仕方ない気がする。誰だってこんなことされたら惚れるって。恋愛経験ゼロの幼い子どもなら尚更。
「彼奴が初恋なんですね」
「うん! 大好き! 初めて会った時から、ずっと、ずっとフェルだけを想ってきた。フェルと一緒になれるなら、今の身分を捨ててしまえると断言できるほどにね」
「……そう、ですか」
「でも、そんなこと出来ないって分かっているから歯痒いんだ。僕が王族じゃなければ、王太子でなければ、フェルや君と同じ平民に生まれていたら、フェルは僕を受け入れてくれたのかなって」
「…………」
殿下は本気だ。気の迷いとか、一時的な遊びとか、そんな軽い気持ちなんかじゃない。幼い頃からずっと、ずっと文也を想い続けて、殿下なりにアプローチして、何度断られても諦めずに告白して。文也だって気付いている筈だ。殿下の気持ちに。
「フェルに嫌われていても、諦められないんだよねえ。すっごく傷付くんだけど、それでもフェルに会いたいから」
「あの、殿下」
「ん? なに?」
「彼奴は多分、殿下のことを嫌ってはいないと思いますよ?」
「え?」
「本当に嫌いなら、お店には絶対に入れないし、料理も作りません。でも、彼奴は色々と殿下に文句を言いつつ、料理は作っています。どうしたら歩み寄れるかって聞かれても困るんですけど、彼奴には殿下を受け入れる為の時間が必要なんじゃないかなあ、と」
「……本当に?」
「お、憶測ですからね!?」
「ううん! それを知れただけでも嬉しい! ありがとう!」
「は、はい」
俺の両手を握って殿下は満面の笑みを浮かべた。その顔は年相応で、微笑ましくて、俺は殿下の恋を応援したくなった。最終的に決めるのは文也だけど、彼奴が殿下を拒絶する理由が分かって、その問題が解消されれば彼奴も殿下を受け入れてくれる筈だ。
文也がステラさん達に知らせてくれたのか、ユベール様が部屋に来てくれた。クレマン様とラナ様も一緒だ。パーティーの準備で忙しく、お二人も最近は公爵邸で過ごす時間が多い。三人は殿下の前まで来ると丁寧に挨拶をしたが、案の定ユベール様が怒ってしまった。
「それで、何故、殿下が、俺の愛するジャノの部屋で、寛いでいるんですか?」
「彼に伝えたいことがあって来たんだよ。そんなに敵意を向けなくても大丈夫。僕はフェル一筋だからね!」
「…………」
「わあ! 怖い顔。男の嫉妬は醜いね!」
「用事が済んだのなら出て行ってください。また無断で抜け出したのでしょう?」
「どうしてもフェルにこれを着てもらいたくて」
「こ、これは! 王家で保管されている古代魔導具とロイヤル・ゼロではありませんか!」
「何故殿下がこれを?」
「フェルが目覚めさせたから、持って来ちゃった! えへ!」
「えへって。可愛く言っても怒られるのは確定ですよ?」
王家で保管している貴重なものを無断で持ち出して大丈夫な訳がない。殿下も居ない、古代魔導具もロイヤル・ゼロもない。王宮内の人達の慌てっぷりが想像できるから笑い事にもできない。殿下は自分のしでかしたことがどれだけ大変なことなのか理解しているのだろうか。してないだろうな。流石は人を振り回す天才。
殿下のやらかしにクレマン様とラナ様は「何をしているんですか! 殿下!」と貴族であることも忘れて大声で叫び、ユベール様は頭に手を置いて深いため息を吐き、レイモンさんとステラさんは無言だけど顔が引き攣っている。ローズさんはリリーちゃんと楽しそうに話していて周囲の騒動には全く見向きもしない。いいや、敢えて気付かないフリをしているだけなのかも。
「昼食の用意が出来ましたけど、どうしますか?」
「フェル! また僕に会いに来てくれたんだね! 嬉しいよ!」
バッとソファから立ち上がり、殿下は嬉々として文也に抱きつこうとした。文也は華麗に殿下を躱し、クレマン様に「昼食は?」ともう一度聞く。一瞬迷いはしたものの、気持ちを落ち着かせる為に「いただこう」と文也に返した。
家族全員が揃うのは珍しい。こうして家族と一緒に食事をするのは何時ぶりだろうかとクレマン様が嬉しそうに呟いた。三人でパーティーやお茶会に参加することはあるものの、ベルトラン公爵邸でゆったりと家族だけの時間を楽しむのは珍しいことなのだそうだ。確かに、クレマン様は宮廷魔導士様で、常に忙しい方だ。王宮で住み込みで働く期間も長く、休日であっても急な呼び出しがあって公爵邸に居る時間の方が少ない。ラナ様も夫人達のお茶会やパーティーに出席しなければならないので、主催者の家が遠ければ遠いほど不在の期間は長いし、帰って来るのも夜遅くか朝早くになることがほとんど。ユベール様も天才魔導士という凄いお方で、俺が此処に来る前までは朝早くに王宮へ向かって魔導具の研究と開発に専念し、帰って来るのは深夜。全員が揃うことは滅多になく、顔を合わせる回数も数える程度だった。
「パーティーまでは家族の時間を大事にしたいな」
「ユベールの誕生日はちゃんとお祝いしたいものね」
「ありがとうございます。お父様。お母様。今年はジャノが居ますからね。絶対に成功させてみせます!」
「わあ、凄いね。君、そんな顔もできたんだね」
「五月蝿いですよ。殿下。何故貴方まで食卓に並んでいるのですか?」
「フェルが食べていいって言ったから!」
「駄々をこねただけでしょう? とっても嫌な顔をしていましたよ?」
「君達がフェルの料理を食べられて僕だけ食べられないなんてズルいじゃないか!」
「はいはい。バカなことを言ってないでさっさと食べてさっさと帰ってください」
「フェル! こ、これは!」
ユベール様と殿下が言い争っていると、文也が殿下の前に大きなお皿を置いた。チキンライスの上にオムレツの形をした卵が乗った料理。ふわとろオムライス。殿下が初めて食べた文也の料理だ。あの頃は即席で作ったと思うが、今回は時間があったからサラダとスープも付いている。
「ん? 初めて見る料理だな? フェルナンくん、この料理は……」
「オムライスという料理です。俺の住んでいた国では定番の料理なんですよ」
全員のテーブルに料理を並べ終わると、文也が包丁を手にしてオムレツの形をした卵にスゥッと切れ目を入れた。切れ目からふわっと広がってチキンライスを覆う卵を見て、クレマン様とラナ様も子どものように目を輝かせて「凄い!」と「中はふわとろ!」と大喜び。二人以上に喜んでいたのは殿下で、彼は黙々と仕事をする文也を惚れ惚れとした表情で眺めて「フェル、素敵」と呟く。殿下が乙女になっている。順番に卵に切れ目を入れてオムライスを完成させ、文也はケチャップかデミグラスソースか聞いた。
「はい! フェル! 僕は両方食べたい!」
「どちらかだって言ってんだろ! 我儘言うんじゃねえ!」
「じゃあ、おかわりは!? おかわりしていいの!?」
「……完食できるなら」
「じゃあケチャップで! おかわりするからそれはデミグラスソースでお願い!」
「はいはい」
「文也。相手は殿下だぞ?」
「何度言っても聞かねんだよ。此奴。態度も悪くなるわ」
「クレマン様達も居るんだけど」
「それでこの話がナシになるならその時はその時だ。断られても俺は痛くも痒くもねえからな」
「はっきり言うな。本当」
「俺だからな。それで、お前はどっち?」
「デミグラスソースでお願い!」
「了解」
俺がデミグラスソースを選んだからなのか、ユベール様とラナ様もデミグラスソースを選んだ。クレマン様は殿下と同じケチャップ。小声で「後でデミグラスソースも用意してくれないだろうか」と聞いていた。おかわりする気満々ですね。まあ、仕方ないよなあ。文也が作るふわとろオムライス、すっげえ美味いもん!
文也が作ったオムライスはやっぱり美味しかった。サラダもスープも最高に美味しかった。殿下は宣言した通りおかわりしてデミグラスソースも堪能していた。クレマン様も同じように美味しそうに食べていて、子どもっぽい姿にラナ様が少しだけ呆れて注意していたけど。全員が食べ終わったのを確認して、文也はデザートも用意してくれた。プリンだった。
「……文也、お前」
「言うな」
殿下は忘れているって言っていたけど、しっかり覚えてるじゃん。此奴。冷たい言い方をするのに殿下が初めて食べた料理を態々作って食べさせてあげておいて「好きじゃない」は通用しないぞ? やっぱり何か理由があるんだろう。その不安や問題を解消できれば、此奴も素直に殿下の想いを受け入れると思うんだが……
「フェル。これ……どうして」
「たまたま、作りたくなったんです。食べたらさっさと帰ってください」
「あ、行っちゃった」
「殿下」
「ん?」
「大丈夫です。彼奴、殿下のこと、ちゃんと覚えていますよ」
「……うん。僕も、そう思う!」
この笑顔は本物だろうな。王家に生まれ、周囲から期待され、完璧を求められて、この方は俺の想像も付かないような重圧を感じながら生きている。幼い頃だと何が良くて悪いのか、何をするのが正解なのか分からないから、相当辛かったと思う。そんな時に優しくされて、誰も気付かなかった心の悲鳴に気付いてくれて、身分を知っていながら何も言わず接してくれた文也を特別に想うのは仕方ないと思う。
殿下が言った通り、彼が王子でなければ、平民であったなら、文也は受け入れたのだろうか。そんな「もしも」を考えても無駄なのは分かっている。でも、殿下が文也を心から愛していることは嫌でも伝わってきた。やることは無茶苦茶だし、他者を平気で振り回すし、ユベール様と同じくらいぶっ飛んだ方だけど、殿下は必ず文也を護り抜いてくれる。そんな気がするから、俺は殿下の恋を応援したいと改めて思った。
「でもね、フェルだけは気付いてくれたんだ」
「なるほど」
「僕も、あの時どうして自分があんな行動をとったのか分からなかった。周囲を困らせてみたかったのか、心配してほしかったのか、怒られたかったのか」
「小さな反抗期でしょうか?」
「うん。フェルに似たようなことを言われた。『お利口さんでいることに疲れたのか?』ってね」
「あぁ、彼奴なら言いそう」
ご両親と外出していた時、殿下は出来心で二人から離れて王都を探索した。子ども特有の好奇心もあったと思うが、多分殿下は気付いてほしかったんだろう。自分は周囲が思っているほど完璧じゃないんだって。けれど誰も気付いてくれない。護衛の目も掻い潜って王都の商店街を楽しんだ後、二人の元へ戻ればいいと考えていたが、元の道が分からなくなり殿下は迷子になってしまった。
この時の外出はお忍びだったらしい。陛下も王妃様も殿下も、みんなラフな格好をしていた。迷子になってしまった殿下に声をかける人は居らず、平民に間違われて暴言を吐く貴族もいたという。うーん、昔から変わってねえな。この国の貴族達は……
「歩き疲れて、お腹も空いて、いい匂いがして、無意識に高級レストランに足を踏み入れてしまった。シェフ達からは嫌な顔をされたよ。お金もない平民の子どもに食べさせる料理はないからさっさと出て行け、と怒られちゃった。初めて悪意を向けられた僕はどうすればいいのか分からなくなって、逃げ出してしまったんだ。追いかけてくる大人達が怖くて、走って走って、咄嗟に立ち入り禁止の部屋に入って隠れた」
その部屋の中で黙々と料理を作っていたのが文也だった。まさか人がいるとは思っていなかった殿下は驚きと恐怖で震えたが、文也は床に膝をついて「どうした? 坊主。迷子か?」と聞いた。親は? 何処から来たんだ? という質問に答えられず、焦る気持ちばかりが膨らんで、同時に空腹も限界で、泣きそうになっている殿下を見て色々と察した文也は「腹、減ってんのか?」と聞いた。怒られると思っていた殿下は文也に優しくされてこの人は大丈夫と思ったらしい。素直にコクンと頷くと「ちょっと待ってろ」と言って文也はテキパキと何かを作り始めたそうだ。
「それでふわとろオムライスを作るのはズルいな」
「分かる!? 僕、あんなにふっわふわでとっろとろの料理を食べたの初めてなんだ!」
ニコラくんが怒鳴る気持ちも分かるなあ。ふわとろオムライスってだけで子どもの心を鷲掴みにするのに、文也はちょっとしたサプライズも用意した。チキンライスの上にオムレツの形をした卵を乗せて、それを殿下に「切ってみろ」と言って、小さな殿下でも使える小さめの包丁を握らせた。その手を握って、スゥッと切れ目を入れてとろとろの卵がチキンライスを覆い隠す様子を見せたのだ。初めて見る料理に殿下はもう目を輝かせて、文也に「食べても、いいんですか?」と聞いた。文也は「どうぞ。熱いから気を付けろよ?」と言ってケチャップをかけた。
「殿下、結構食べますよね?」
「うん! ケチャップもデミグラスソースもすっごく美味しくて! あの時も二回おかわりしちゃったんだ。でも、フェルは嫌な顔をせず見守ってくれて、プリンも食べさせてくれて。僕の正体も知っていた筈なのにそこには触れなくて、僕の悩みに気付いてくれて」
バレない程度にサボればいいんだよ。完璧な人間なんてこの世に存在しないんだから。
ぽん、と殿下の頭に手を置いて、文也はそうアドバイスしたそうだ。その後運よくご両親がレストランを訪れて、殿下が居なくなったと騒ぎが大きくなっていて、困惑する殿下の頭を撫でて「お家に帰りなさい。次は家族と一緒に来るんだぞ? 坊主」と言って両親の元へ帰るよう説得した。お土産に人数分の手作りのプリンと手紙を添えて。ちなみに、プリンを入れた箱は保冷効果のある特殊なものだったらしい。お城に帰って三人でプリンを食べた時に気付いて全員文也の気遣いに感動したとか。毒云々に関しては触れなかったから陛下も大丈夫と判断したのだろう。うん、彼奴らしい。彼奴らしいのだが、これは初恋泥棒と言われても仕方ない気がする。誰だってこんなことされたら惚れるって。恋愛経験ゼロの幼い子どもなら尚更。
「彼奴が初恋なんですね」
「うん! 大好き! 初めて会った時から、ずっと、ずっとフェルだけを想ってきた。フェルと一緒になれるなら、今の身分を捨ててしまえると断言できるほどにね」
「……そう、ですか」
「でも、そんなこと出来ないって分かっているから歯痒いんだ。僕が王族じゃなければ、王太子でなければ、フェルや君と同じ平民に生まれていたら、フェルは僕を受け入れてくれたのかなって」
「…………」
殿下は本気だ。気の迷いとか、一時的な遊びとか、そんな軽い気持ちなんかじゃない。幼い頃からずっと、ずっと文也を想い続けて、殿下なりにアプローチして、何度断られても諦めずに告白して。文也だって気付いている筈だ。殿下の気持ちに。
「フェルに嫌われていても、諦められないんだよねえ。すっごく傷付くんだけど、それでもフェルに会いたいから」
「あの、殿下」
「ん? なに?」
「彼奴は多分、殿下のことを嫌ってはいないと思いますよ?」
「え?」
「本当に嫌いなら、お店には絶対に入れないし、料理も作りません。でも、彼奴は色々と殿下に文句を言いつつ、料理は作っています。どうしたら歩み寄れるかって聞かれても困るんですけど、彼奴には殿下を受け入れる為の時間が必要なんじゃないかなあ、と」
「……本当に?」
「お、憶測ですからね!?」
「ううん! それを知れただけでも嬉しい! ありがとう!」
「は、はい」
俺の両手を握って殿下は満面の笑みを浮かべた。その顔は年相応で、微笑ましくて、俺は殿下の恋を応援したくなった。最終的に決めるのは文也だけど、彼奴が殿下を拒絶する理由が分かって、その問題が解消されれば彼奴も殿下を受け入れてくれる筈だ。
文也がステラさん達に知らせてくれたのか、ユベール様が部屋に来てくれた。クレマン様とラナ様も一緒だ。パーティーの準備で忙しく、お二人も最近は公爵邸で過ごす時間が多い。三人は殿下の前まで来ると丁寧に挨拶をしたが、案の定ユベール様が怒ってしまった。
「それで、何故、殿下が、俺の愛するジャノの部屋で、寛いでいるんですか?」
「彼に伝えたいことがあって来たんだよ。そんなに敵意を向けなくても大丈夫。僕はフェル一筋だからね!」
「…………」
「わあ! 怖い顔。男の嫉妬は醜いね!」
「用事が済んだのなら出て行ってください。また無断で抜け出したのでしょう?」
「どうしてもフェルにこれを着てもらいたくて」
「こ、これは! 王家で保管されている古代魔導具とロイヤル・ゼロではありませんか!」
「何故殿下がこれを?」
「フェルが目覚めさせたから、持って来ちゃった! えへ!」
「えへって。可愛く言っても怒られるのは確定ですよ?」
王家で保管している貴重なものを無断で持ち出して大丈夫な訳がない。殿下も居ない、古代魔導具もロイヤル・ゼロもない。王宮内の人達の慌てっぷりが想像できるから笑い事にもできない。殿下は自分のしでかしたことがどれだけ大変なことなのか理解しているのだろうか。してないだろうな。流石は人を振り回す天才。
殿下のやらかしにクレマン様とラナ様は「何をしているんですか! 殿下!」と貴族であることも忘れて大声で叫び、ユベール様は頭に手を置いて深いため息を吐き、レイモンさんとステラさんは無言だけど顔が引き攣っている。ローズさんはリリーちゃんと楽しそうに話していて周囲の騒動には全く見向きもしない。いいや、敢えて気付かないフリをしているだけなのかも。
「昼食の用意が出来ましたけど、どうしますか?」
「フェル! また僕に会いに来てくれたんだね! 嬉しいよ!」
バッとソファから立ち上がり、殿下は嬉々として文也に抱きつこうとした。文也は華麗に殿下を躱し、クレマン様に「昼食は?」ともう一度聞く。一瞬迷いはしたものの、気持ちを落ち着かせる為に「いただこう」と文也に返した。
家族全員が揃うのは珍しい。こうして家族と一緒に食事をするのは何時ぶりだろうかとクレマン様が嬉しそうに呟いた。三人でパーティーやお茶会に参加することはあるものの、ベルトラン公爵邸でゆったりと家族だけの時間を楽しむのは珍しいことなのだそうだ。確かに、クレマン様は宮廷魔導士様で、常に忙しい方だ。王宮で住み込みで働く期間も長く、休日であっても急な呼び出しがあって公爵邸に居る時間の方が少ない。ラナ様も夫人達のお茶会やパーティーに出席しなければならないので、主催者の家が遠ければ遠いほど不在の期間は長いし、帰って来るのも夜遅くか朝早くになることがほとんど。ユベール様も天才魔導士という凄いお方で、俺が此処に来る前までは朝早くに王宮へ向かって魔導具の研究と開発に専念し、帰って来るのは深夜。全員が揃うことは滅多になく、顔を合わせる回数も数える程度だった。
「パーティーまでは家族の時間を大事にしたいな」
「ユベールの誕生日はちゃんとお祝いしたいものね」
「ありがとうございます。お父様。お母様。今年はジャノが居ますからね。絶対に成功させてみせます!」
「わあ、凄いね。君、そんな顔もできたんだね」
「五月蝿いですよ。殿下。何故貴方まで食卓に並んでいるのですか?」
「フェルが食べていいって言ったから!」
「駄々をこねただけでしょう? とっても嫌な顔をしていましたよ?」
「君達がフェルの料理を食べられて僕だけ食べられないなんてズルいじゃないか!」
「はいはい。バカなことを言ってないでさっさと食べてさっさと帰ってください」
「フェル! こ、これは!」
ユベール様と殿下が言い争っていると、文也が殿下の前に大きなお皿を置いた。チキンライスの上にオムレツの形をした卵が乗った料理。ふわとろオムライス。殿下が初めて食べた文也の料理だ。あの頃は即席で作ったと思うが、今回は時間があったからサラダとスープも付いている。
「ん? 初めて見る料理だな? フェルナンくん、この料理は……」
「オムライスという料理です。俺の住んでいた国では定番の料理なんですよ」
全員のテーブルに料理を並べ終わると、文也が包丁を手にしてオムレツの形をした卵にスゥッと切れ目を入れた。切れ目からふわっと広がってチキンライスを覆う卵を見て、クレマン様とラナ様も子どものように目を輝かせて「凄い!」と「中はふわとろ!」と大喜び。二人以上に喜んでいたのは殿下で、彼は黙々と仕事をする文也を惚れ惚れとした表情で眺めて「フェル、素敵」と呟く。殿下が乙女になっている。順番に卵に切れ目を入れてオムライスを完成させ、文也はケチャップかデミグラスソースか聞いた。
「はい! フェル! 僕は両方食べたい!」
「どちらかだって言ってんだろ! 我儘言うんじゃねえ!」
「じゃあ、おかわりは!? おかわりしていいの!?」
「……完食できるなら」
「じゃあケチャップで! おかわりするからそれはデミグラスソースでお願い!」
「はいはい」
「文也。相手は殿下だぞ?」
「何度言っても聞かねんだよ。此奴。態度も悪くなるわ」
「クレマン様達も居るんだけど」
「それでこの話がナシになるならその時はその時だ。断られても俺は痛くも痒くもねえからな」
「はっきり言うな。本当」
「俺だからな。それで、お前はどっち?」
「デミグラスソースでお願い!」
「了解」
俺がデミグラスソースを選んだからなのか、ユベール様とラナ様もデミグラスソースを選んだ。クレマン様は殿下と同じケチャップ。小声で「後でデミグラスソースも用意してくれないだろうか」と聞いていた。おかわりする気満々ですね。まあ、仕方ないよなあ。文也が作るふわとろオムライス、すっげえ美味いもん!
文也が作ったオムライスはやっぱり美味しかった。サラダもスープも最高に美味しかった。殿下は宣言した通りおかわりしてデミグラスソースも堪能していた。クレマン様も同じように美味しそうに食べていて、子どもっぽい姿にラナ様が少しだけ呆れて注意していたけど。全員が食べ終わったのを確認して、文也はデザートも用意してくれた。プリンだった。
「……文也、お前」
「言うな」
殿下は忘れているって言っていたけど、しっかり覚えてるじゃん。此奴。冷たい言い方をするのに殿下が初めて食べた料理を態々作って食べさせてあげておいて「好きじゃない」は通用しないぞ? やっぱり何か理由があるんだろう。その不安や問題を解消できれば、此奴も素直に殿下の想いを受け入れると思うんだが……
「フェル。これ……どうして」
「たまたま、作りたくなったんです。食べたらさっさと帰ってください」
「あ、行っちゃった」
「殿下」
「ん?」
「大丈夫です。彼奴、殿下のこと、ちゃんと覚えていますよ」
「……うん。僕も、そう思う!」
この笑顔は本物だろうな。王家に生まれ、周囲から期待され、完璧を求められて、この方は俺の想像も付かないような重圧を感じながら生きている。幼い頃だと何が良くて悪いのか、何をするのが正解なのか分からないから、相当辛かったと思う。そんな時に優しくされて、誰も気付かなかった心の悲鳴に気付いてくれて、身分を知っていながら何も言わず接してくれた文也を特別に想うのは仕方ないと思う。
殿下が言った通り、彼が王子でなければ、平民であったなら、文也は受け入れたのだろうか。そんな「もしも」を考えても無駄なのは分かっている。でも、殿下が文也を心から愛していることは嫌でも伝わってきた。やることは無茶苦茶だし、他者を平気で振り回すし、ユベール様と同じくらいぶっ飛んだ方だけど、殿下は必ず文也を護り抜いてくれる。そんな気がするから、俺は殿下の恋を応援したいと改めて思った。
527
お気に入りに追加
1,463
あなたにおすすめの小説
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた
やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。
俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。
独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。
好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け
ムーンライトノベルズにも掲載しています。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目
カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる