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第一部
仕事の出来る人は格好いい1
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朝起きて、俺は後悔した。隣には俺の腰に腕を回して気持ちよさそうに眠るユベール様。こうして眠っている姿は年相応なんだけどなあ。って、絆されてどうする! 俺! 昨日やらかしたことを思い出すだけで胃が痛い。お弁当をユベール様と一緒に食べて、でも彼はお箸が使えなくて、お箸の使い方を教えたり、俺がユベール様に「あーん」したり。いや、何してんだマジで! ついつい幼い子どもにするような感覚でしてしまったが、相手は高貴な貴族のご令息だぞ!? 公爵家の一人息子だぞ!? 天才魔導士様だぞ! そんな凄いお方に「あーん」って。いや、マジで昨日の俺はどうかしてた。文也が作った弁当が美味しすぎて浮かれていた気がする。
しかも、本当にユベール様を抱きしめて頭を撫でることになるとは。幸せそうにしてたからいいけど、やっぱこれってまずいよな? ユベール様のご両親にバレたらかなりやばい気がする。というか、ご両親は知っているのか? 今まで一度も会ったことがないけど。挨拶しなくて大丈夫なのだろうか。
「ユベール様。どうかされたのですか? 何時もなら起きている時間の筈ですが……」
寝室の扉をノックする音が聞こえ、俺はユベール様の肩を揺すった。
「ユベール様。誰かが呼んでますよ。起きてください」
「んん。もう、朝なのか?」
「はい。朝です」
「ユベール様?」
「……レイモン、か。今準備をする。少し待っていてくれ」
「承知しました」
「レイモン?」
「俺の専属執事です。とても優秀なんですよ」
「執事」
さ、流石は異世界。流石は公爵家。いや、今まで何度も見てきたけどね。従者とか執事とかメイドとか。だけど、どの家もちゃんと教育指導してんのか? っていうくらい態度は悪かったし、勤務時間でも平気で仕事をサボっていたから。彼らを執事とは思えなかったというか、思いたくなかったというか。
「待たせて済まない。レイモン。今日の予定は?」
「はい。今日は……」
寝室の扉を開け、そこで着替えを終えたユベール様とレイモンと呼ばれた人が予定を確認している。うっわー! 本物だ。本物の執事だ! 黒い髪はオールバックにしていて、銀灰色の瞳は鋭くて、眼鏡をかけているのも執事っぽい。執事なんだけど。背が高くて、姿勢も良くて、受け答えも完璧で、所作も美しくて。俺なんかより彼の方がユベール様のパートナーに相応しいんじゃ? と思ってしまうくらいお似合いだった。男同士だけど。美形と美形はやっぱり絵になるなあ。と、のほほんと考えていたら、俺はユベール様に抱き上げられた。
「へ?」
「レイモン。仕事まで時間はまだあるな?」
「はい」
「今日のドレスと宝石を持ってきてくれ。その間に俺はジャノの肌を隅々まで磨く」
「かしこまりました」
「やっぱりドレスなんですねー」
「勿論です! 貴方には青いドレスがよく似合う!」
「……ユベール様」
「なんでしょう!?」
「俺の為にこれ以上お金は使わなくていいですからね?」
「何故ですか!? 貴方を美しく着飾る為なら、お金なんて惜しみません! 稼いでいるので!」
「俺、傾国の美女じゃないんですけど」
「傾国。確かにジャノは美しいので傾国の大天使様と言うべきでしょう」
「いや。変な造語作らないでください!」
やばい。絶対にやばい。俺が欲しいと言ったもの全て購入しそうだ。この人。ダメだ。それはダメだ。ユベール様が購入するものなんて絶対お高いに決まっている! ドレスや宝石だって総額いくらするかなんて知らないけど、多分島一つか町一つ分の土地は余裕で購入できる値段だと思う。そんな高価なものを毎日付けられているのか、俺は。う! 目眩が……
「ユベール様。本日ご用意するドレスと宝石はこちらで間違いないでしょうか?」
「あぁ。間違いない」
あれ? レイモンさん、なんか俺を睨んでる? 何時も無表情っぽいからそう見えただけ? 俺の気のせい?
「挨拶が遅れて申し訳ありません。ユベール様の専属執事、レイモンです。若奥様」
「は、初めまして。ジャノと言います。あの、若奥様って?」
「…………」
あ、やっぱり睨まれた。気のせいじゃなかった。俺、この人と会うのは初めての筈だけど。嫌われてるのかなあ。まあ、普通はそうだよな。身分もない、親もいない、おまけに俺は当て馬の最低男という噂だ。噂に関しては事実無根だけど。
「ジャノ?」
「あ、大丈夫です」
「そうですか。では、貴方の部屋へお連れします」
「この状態で、ですか?」
「勿論」
どうやら歩かせてはもらえないらしい。過保護だなあ。ユベール様。本当、どうしてこんな冴えない年上の俺なんかを好きになったのだろう。過去の記憶が美化されすぎているのか? うーん。分からん。
ユベール様にお世話されるのも慣れてしまった。本当は慣れちゃダメなんだけど、ユベール様があまりにも嬉しそうな顔をするから好きなようにさせていた。自分でしようとしたら潤んだ瞳で見上げてきて、その姿が捨てられた子犬のように思えて断れなかった。意志が弱いな! 俺! こんな状態で大丈夫か!?
「あぁ。やはり控えめなドレスも美しいです。ジャノ」
「そうですか」
今日のドレスは今までで一番シンプルだった。スカートの広がりも控えめで、レースも襟と袖と裾の先に少しだけ。宝石も本当にシンプルで大きさも多分一番小さい。まあでも、絶対に高いんだろうけどな! ユベール様、拘りが強そうだし。どんなに小さな宝石でも最高級のものしか絶対に認めていなさそう。つまり、このドレスと宝石達もシンプルなデザインでお値段も控えめなのかと思いきや、実は一番高いなんてこともあり得る。油断も隙もないってヤツだ。
俺を着飾って満足したユベール様は、俺の部屋で朝食を済ませると仕事に出掛けて行った。俺がお見送りした方がいいですか? と聞くと、部屋の前まででいいと言われてしまった。俺の姿をあまり他者の目に晒したくないそうだ。そして、一人の時間ができた俺はというと……
「暇だ」
そう、暇なのである。だってやることないんだもん。お仕事ありませんか? って聞いても相手を困らせるだけだし、ユベール様の耳に入って「ジャノにそんなことを望む訳ないじゃないですか!」と言われ、ならば暇潰しに外出でもと思ったら「絶対にダメです!」と許しを得られず、ずっとこの部屋で過ごしている状態だ。
「あれ? もしかして俺、軟禁されている?」
いやいやいや。まさかそんな。ハハハ。そんな訳ないだろう? 若くて可愛くて綺麗な女の子ならそうしたい気持ちも分かるけど、二十七にもなる冴えない男を軟禁なんて……
「やっぱり、みんな茶色だな。髪の毛」
難しいことは考えないのが吉! やることがない俺は高級なソファに腰掛けて天井に嵌め込まれた絵画を眺めた。一つ一つ注意深く見てみると、やっぱり全員薄い茶髪だった。あの天使達のモデル、まさか俺とか言わないよな? ユベール様、そこまで俺に心酔してないよな? そこまでヤバい人じゃないよな? あれ? なんだか心配になってきたぞ? 俺、このまま此処に居て大丈夫!? 逃げた方がいい!?
「ジャノ様。入室してもよろしいでしょうか?」
「え? は、はい! どうぞ!」
「失礼します」
大きくて立派な扉を開いて入ってきたのは、今朝ユベール様と話していた執事さんだ。名前はレイモンさんで合ってるよな?
「あの、何かあったんですか?」
「部屋の中だけでは退屈だろうと、ユベール様が本を購入していたのです。本棚に収納しても?」
「え? それは勿論」
「ジャノ様は、どのような本がお好きですか? 好みが分からず、目に入ったものを購入したとユベール様は仰っていましたが……」
「好み、ですか?」
またもやお金の無駄遣い! 今朝「俺の為にお金を使わなくていい」と言ったばかりなのに! でも本は嬉しい! いい暇潰しになるから! この世界ではどんな物語が人気なのか、ずっと気になってたんだよなあ。身分問わず、恋愛小説はご令嬢や夫人達の間でも大人気だっていうのは聞いていたけど。
「古文書、歴史、英雄譚、恋愛、冒険、料理、魔法学、教材。ジャンルは幅広く用意しています」
「それじゃあ、今人気の恋愛小説を読んでみてもいいですか?」
「かしこまりました。今人気のものでしたら、これですね」
「うっわー」
「どうかされましたか?」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
「他に読みたいものがあれば仰ってください。私は本を収納しますので、用事があればお呼びください」
「分かりました。邪魔にならないよう、なるべく静かに読みますね」
レイモンさんにそう伝えて、俺はテーブルに置かれた恋愛小説を手にした。恋愛小説のタイトルは「禁断の恋に揺れる儚き乙女」である。なんか、嫌な予感がする。そう思いつつも、俺は恋愛小説を読むことにした。恋愛小説は嫌いじゃないし、むしろ好きな方だ。内容にもよるけど、基本的に地雷はない筈なんだが……
「主人公に、感情移入できない」
これ、本当に人気なの? 俺は主人公の態度にイライラして読み進められないんだが? 内容はありふれたもので、主人公の少女が政略結婚して冷めた夫婦生活を続けるのだが、そこに使用人としてやってきた男が少女を心配し、二人は恋に落ちる。だけど、それは禁断の恋であり、決して許されない恋なのだ。少女は貴族の娘で既婚者、男は雇われただけの平民。夫にバレたら当然使用人の男は罰を受けることになる。しかし、実は夫も少女を心から愛していた。冷たくしていたのは初めての恋に戸惑い、どうすればいいのか分からず、愛し方も分からず、それが態度に出ていて冷たい印象になっていただけ。
少女は二人同時に愛の告白を受けて困惑してしまう。どちらの愛を取るか、少女は悩みに悩んで、苦悩して、葛藤して、最後には使用人の男ではなく夫を選ぶのだ。使用人の男は少女の計らいで次の就職先を用意してもらえたが、屋敷からは追い出される結果となった。まあ、ありふれた設定で令嬢達が好みそうな内容ではあるが、この主人公、中々にクズなのである。無自覚なのが余計に腹が立つ。
まず、主人公が優柔不断。夫か使用人か選ばなければならない場面が幾つもあるのだが、少女はその度に「も、もう少しだけ時間をください!」と言って答えを先延ばしにするのだ。どっちも怒ればいいのに、二人は少女の気持ちを優先して「僕は待つよ」と言って何時迄も待つ。これだけでも腹が立つのに、少女は使用人と恋をした時は夫に愛されていないと愚痴を零し、夫から愛されていると知った後は使用人の男に好かれて困っていると夫に相談するのだ。
おい、使用人と恋に落ちたんじゃないのか? いい加減にしろ。この二股野郎! と口が悪くなるくらい内容が酷かった。確かに二人の男が一人を奪い合うっていうシーンはめっちゃ好きだし、正直大好きなシチュエーションだけど、それは主人公の好きな相手がたった一人に絞られているのが絶対条件だ。それなのに、この主人公は夫にふらふら、使用人にふらふら。二人が主人公を巡って喧嘩をしても「やめて! 私の為に争わないで!」と言って泣くだけ。
この主人公、他人の為に動こうとしないんだよなあ。何時も被害者ぶって、言葉で「やめて」とか「もう少し待って」とか。そればかり。夫も使用人もなんでこんな主人公を好きになったんだ? と疑問に思うくらい最低な性格をしているのに、最後は夫と結ばれてハッピーエンド。使用人もそれを認めて「君の幸せを願っているよ」と伝えて屋敷から去って終わり。いや怒れよ。使用人。お前、一番の被害者だぞ? 恋は盲目とかそんな領域超えてんだわ。この女のしたことって侮辱とか名誉毀損に値するくらい最低な行為だからな? なんでこんな最低な主人公を好きになるんだよ? マジで訳分からん。
「どうでしたか? その小説は」
「ムカつきました」
「大人気の小説ですが?」
「令嬢達が好むからどんなものかと興味本位で読んでみたら、俺には合いませんでした」
「…………」
「この主人公を好きになれないんですよね。優柔不断で、決断力もなくて、被害者ぶってて、二人に思わせぶりな態度をとって、使用人に恋をしたのに、夫も自分のことを好きだったと知ったらそっちにコロッと入れ替えて。それが俺には無理だな、と」
「……ほぅ」
「こんな酷い内容なら、俺が書いた方がまだマシかもしれない」
「ならば、書いてみてはどうですか?」
「え?」
「貴方の好む小説を、です」
「俺、素人ですよ? 確かに前のせ……趣味の範囲内で書いていたことはありますけど」
ネットに投稿はしていない。こういう内容で書きたいなー、というものを書き殴って文也に読んでもらっていただけだ。文也は「投稿すればいいのに」と言っていたが、俺は怖くてできなかった。打たれ弱いので! あとネット社会が怖かったので! 文也に読んでもらえるだけで満足してたし。でも、まあ、確かに暇潰しにはいいかもしれない。うん。どうせ趣味の範囲内で書くんだから。好きに書いてもいいよな!
「紙とペンを用意しましょうか?」
「お願い、します」
「少々お待ちください」
レイモンさんは一度退室して紙とペンを持ってきてくれた。彼にお礼を言って、俺は早速内容を考え始めた。けれど、書きたいものが思い付かなくて、ずっとペンを握ったまま紙を眺めている状態だ。
「ジャノ様。本の収納が終わりました」
「ありがとうございます。レイモンさん」
「私は他に仕事がありますので、これで失礼します」
「はい」
本当に優秀な執事さんだなあ。手際が良くて、丁寧で、真面目で。本物の執事ってやっぱり凄い。そう思ってついついレイモンさんの背中を眺めていたら、ふと彼が扉の前で立ち止まる。何か忘れ物でもしたのかと俺が疑問に思っていると、レイモンさんは背を向けたまま話し始めた。
「一つだけ、お伝えしたいことがあります」
「伝えたいこと、ですか?」
「貴方はユベール様が認めた唯一の最愛。それは理解しています。私にも執事としての矜持があるので、貴方を傷付けるようなことは絶対にしません」
「は、はい」
「無礼を承知で申し上げます」
「…………」
レイモンさんは振り返って俺の目を見据える。その綺麗な瞳は鋭く、この屋敷に来て初めて向けられた嫌悪だった。レイモンさんは少し黙った後、再び口を開いた。
「ジャノ様。私は貴方を、絶対に認めません。私が貴方を認めることも、未来永劫ないと思ってください」
レイモンさんは、冷たい声で断言した。俺を絶対に認めないと。この感覚には覚えがある。此処に来る前、嫌でも向けられていた感情だ。公爵邸に来て初めて敵意を向けられた俺は……
しかも、本当にユベール様を抱きしめて頭を撫でることになるとは。幸せそうにしてたからいいけど、やっぱこれってまずいよな? ユベール様のご両親にバレたらかなりやばい気がする。というか、ご両親は知っているのか? 今まで一度も会ったことがないけど。挨拶しなくて大丈夫なのだろうか。
「ユベール様。どうかされたのですか? 何時もなら起きている時間の筈ですが……」
寝室の扉をノックする音が聞こえ、俺はユベール様の肩を揺すった。
「ユベール様。誰かが呼んでますよ。起きてください」
「んん。もう、朝なのか?」
「はい。朝です」
「ユベール様?」
「……レイモン、か。今準備をする。少し待っていてくれ」
「承知しました」
「レイモン?」
「俺の専属執事です。とても優秀なんですよ」
「執事」
さ、流石は異世界。流石は公爵家。いや、今まで何度も見てきたけどね。従者とか執事とかメイドとか。だけど、どの家もちゃんと教育指導してんのか? っていうくらい態度は悪かったし、勤務時間でも平気で仕事をサボっていたから。彼らを執事とは思えなかったというか、思いたくなかったというか。
「待たせて済まない。レイモン。今日の予定は?」
「はい。今日は……」
寝室の扉を開け、そこで着替えを終えたユベール様とレイモンと呼ばれた人が予定を確認している。うっわー! 本物だ。本物の執事だ! 黒い髪はオールバックにしていて、銀灰色の瞳は鋭くて、眼鏡をかけているのも執事っぽい。執事なんだけど。背が高くて、姿勢も良くて、受け答えも完璧で、所作も美しくて。俺なんかより彼の方がユベール様のパートナーに相応しいんじゃ? と思ってしまうくらいお似合いだった。男同士だけど。美形と美形はやっぱり絵になるなあ。と、のほほんと考えていたら、俺はユベール様に抱き上げられた。
「へ?」
「レイモン。仕事まで時間はまだあるな?」
「はい」
「今日のドレスと宝石を持ってきてくれ。その間に俺はジャノの肌を隅々まで磨く」
「かしこまりました」
「やっぱりドレスなんですねー」
「勿論です! 貴方には青いドレスがよく似合う!」
「……ユベール様」
「なんでしょう!?」
「俺の為にこれ以上お金は使わなくていいですからね?」
「何故ですか!? 貴方を美しく着飾る為なら、お金なんて惜しみません! 稼いでいるので!」
「俺、傾国の美女じゃないんですけど」
「傾国。確かにジャノは美しいので傾国の大天使様と言うべきでしょう」
「いや。変な造語作らないでください!」
やばい。絶対にやばい。俺が欲しいと言ったもの全て購入しそうだ。この人。ダメだ。それはダメだ。ユベール様が購入するものなんて絶対お高いに決まっている! ドレスや宝石だって総額いくらするかなんて知らないけど、多分島一つか町一つ分の土地は余裕で購入できる値段だと思う。そんな高価なものを毎日付けられているのか、俺は。う! 目眩が……
「ユベール様。本日ご用意するドレスと宝石はこちらで間違いないでしょうか?」
「あぁ。間違いない」
あれ? レイモンさん、なんか俺を睨んでる? 何時も無表情っぽいからそう見えただけ? 俺の気のせい?
「挨拶が遅れて申し訳ありません。ユベール様の専属執事、レイモンです。若奥様」
「は、初めまして。ジャノと言います。あの、若奥様って?」
「…………」
あ、やっぱり睨まれた。気のせいじゃなかった。俺、この人と会うのは初めての筈だけど。嫌われてるのかなあ。まあ、普通はそうだよな。身分もない、親もいない、おまけに俺は当て馬の最低男という噂だ。噂に関しては事実無根だけど。
「ジャノ?」
「あ、大丈夫です」
「そうですか。では、貴方の部屋へお連れします」
「この状態で、ですか?」
「勿論」
どうやら歩かせてはもらえないらしい。過保護だなあ。ユベール様。本当、どうしてこんな冴えない年上の俺なんかを好きになったのだろう。過去の記憶が美化されすぎているのか? うーん。分からん。
ユベール様にお世話されるのも慣れてしまった。本当は慣れちゃダメなんだけど、ユベール様があまりにも嬉しそうな顔をするから好きなようにさせていた。自分でしようとしたら潤んだ瞳で見上げてきて、その姿が捨てられた子犬のように思えて断れなかった。意志が弱いな! 俺! こんな状態で大丈夫か!?
「あぁ。やはり控えめなドレスも美しいです。ジャノ」
「そうですか」
今日のドレスは今までで一番シンプルだった。スカートの広がりも控えめで、レースも襟と袖と裾の先に少しだけ。宝石も本当にシンプルで大きさも多分一番小さい。まあでも、絶対に高いんだろうけどな! ユベール様、拘りが強そうだし。どんなに小さな宝石でも最高級のものしか絶対に認めていなさそう。つまり、このドレスと宝石達もシンプルなデザインでお値段も控えめなのかと思いきや、実は一番高いなんてこともあり得る。油断も隙もないってヤツだ。
俺を着飾って満足したユベール様は、俺の部屋で朝食を済ませると仕事に出掛けて行った。俺がお見送りした方がいいですか? と聞くと、部屋の前まででいいと言われてしまった。俺の姿をあまり他者の目に晒したくないそうだ。そして、一人の時間ができた俺はというと……
「暇だ」
そう、暇なのである。だってやることないんだもん。お仕事ありませんか? って聞いても相手を困らせるだけだし、ユベール様の耳に入って「ジャノにそんなことを望む訳ないじゃないですか!」と言われ、ならば暇潰しに外出でもと思ったら「絶対にダメです!」と許しを得られず、ずっとこの部屋で過ごしている状態だ。
「あれ? もしかして俺、軟禁されている?」
いやいやいや。まさかそんな。ハハハ。そんな訳ないだろう? 若くて可愛くて綺麗な女の子ならそうしたい気持ちも分かるけど、二十七にもなる冴えない男を軟禁なんて……
「やっぱり、みんな茶色だな。髪の毛」
難しいことは考えないのが吉! やることがない俺は高級なソファに腰掛けて天井に嵌め込まれた絵画を眺めた。一つ一つ注意深く見てみると、やっぱり全員薄い茶髪だった。あの天使達のモデル、まさか俺とか言わないよな? ユベール様、そこまで俺に心酔してないよな? そこまでヤバい人じゃないよな? あれ? なんだか心配になってきたぞ? 俺、このまま此処に居て大丈夫!? 逃げた方がいい!?
「ジャノ様。入室してもよろしいでしょうか?」
「え? は、はい! どうぞ!」
「失礼します」
大きくて立派な扉を開いて入ってきたのは、今朝ユベール様と話していた執事さんだ。名前はレイモンさんで合ってるよな?
「あの、何かあったんですか?」
「部屋の中だけでは退屈だろうと、ユベール様が本を購入していたのです。本棚に収納しても?」
「え? それは勿論」
「ジャノ様は、どのような本がお好きですか? 好みが分からず、目に入ったものを購入したとユベール様は仰っていましたが……」
「好み、ですか?」
またもやお金の無駄遣い! 今朝「俺の為にお金を使わなくていい」と言ったばかりなのに! でも本は嬉しい! いい暇潰しになるから! この世界ではどんな物語が人気なのか、ずっと気になってたんだよなあ。身分問わず、恋愛小説はご令嬢や夫人達の間でも大人気だっていうのは聞いていたけど。
「古文書、歴史、英雄譚、恋愛、冒険、料理、魔法学、教材。ジャンルは幅広く用意しています」
「それじゃあ、今人気の恋愛小説を読んでみてもいいですか?」
「かしこまりました。今人気のものでしたら、これですね」
「うっわー」
「どうかされましたか?」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
「他に読みたいものがあれば仰ってください。私は本を収納しますので、用事があればお呼びください」
「分かりました。邪魔にならないよう、なるべく静かに読みますね」
レイモンさんにそう伝えて、俺はテーブルに置かれた恋愛小説を手にした。恋愛小説のタイトルは「禁断の恋に揺れる儚き乙女」である。なんか、嫌な予感がする。そう思いつつも、俺は恋愛小説を読むことにした。恋愛小説は嫌いじゃないし、むしろ好きな方だ。内容にもよるけど、基本的に地雷はない筈なんだが……
「主人公に、感情移入できない」
これ、本当に人気なの? 俺は主人公の態度にイライラして読み進められないんだが? 内容はありふれたもので、主人公の少女が政略結婚して冷めた夫婦生活を続けるのだが、そこに使用人としてやってきた男が少女を心配し、二人は恋に落ちる。だけど、それは禁断の恋であり、決して許されない恋なのだ。少女は貴族の娘で既婚者、男は雇われただけの平民。夫にバレたら当然使用人の男は罰を受けることになる。しかし、実は夫も少女を心から愛していた。冷たくしていたのは初めての恋に戸惑い、どうすればいいのか分からず、愛し方も分からず、それが態度に出ていて冷たい印象になっていただけ。
少女は二人同時に愛の告白を受けて困惑してしまう。どちらの愛を取るか、少女は悩みに悩んで、苦悩して、葛藤して、最後には使用人の男ではなく夫を選ぶのだ。使用人の男は少女の計らいで次の就職先を用意してもらえたが、屋敷からは追い出される結果となった。まあ、ありふれた設定で令嬢達が好みそうな内容ではあるが、この主人公、中々にクズなのである。無自覚なのが余計に腹が立つ。
まず、主人公が優柔不断。夫か使用人か選ばなければならない場面が幾つもあるのだが、少女はその度に「も、もう少しだけ時間をください!」と言って答えを先延ばしにするのだ。どっちも怒ればいいのに、二人は少女の気持ちを優先して「僕は待つよ」と言って何時迄も待つ。これだけでも腹が立つのに、少女は使用人と恋をした時は夫に愛されていないと愚痴を零し、夫から愛されていると知った後は使用人の男に好かれて困っていると夫に相談するのだ。
おい、使用人と恋に落ちたんじゃないのか? いい加減にしろ。この二股野郎! と口が悪くなるくらい内容が酷かった。確かに二人の男が一人を奪い合うっていうシーンはめっちゃ好きだし、正直大好きなシチュエーションだけど、それは主人公の好きな相手がたった一人に絞られているのが絶対条件だ。それなのに、この主人公は夫にふらふら、使用人にふらふら。二人が主人公を巡って喧嘩をしても「やめて! 私の為に争わないで!」と言って泣くだけ。
この主人公、他人の為に動こうとしないんだよなあ。何時も被害者ぶって、言葉で「やめて」とか「もう少し待って」とか。そればかり。夫も使用人もなんでこんな主人公を好きになったんだ? と疑問に思うくらい最低な性格をしているのに、最後は夫と結ばれてハッピーエンド。使用人もそれを認めて「君の幸せを願っているよ」と伝えて屋敷から去って終わり。いや怒れよ。使用人。お前、一番の被害者だぞ? 恋は盲目とかそんな領域超えてんだわ。この女のしたことって侮辱とか名誉毀損に値するくらい最低な行為だからな? なんでこんな最低な主人公を好きになるんだよ? マジで訳分からん。
「どうでしたか? その小説は」
「ムカつきました」
「大人気の小説ですが?」
「令嬢達が好むからどんなものかと興味本位で読んでみたら、俺には合いませんでした」
「…………」
「この主人公を好きになれないんですよね。優柔不断で、決断力もなくて、被害者ぶってて、二人に思わせぶりな態度をとって、使用人に恋をしたのに、夫も自分のことを好きだったと知ったらそっちにコロッと入れ替えて。それが俺には無理だな、と」
「……ほぅ」
「こんな酷い内容なら、俺が書いた方がまだマシかもしれない」
「ならば、書いてみてはどうですか?」
「え?」
「貴方の好む小説を、です」
「俺、素人ですよ? 確かに前のせ……趣味の範囲内で書いていたことはありますけど」
ネットに投稿はしていない。こういう内容で書きたいなー、というものを書き殴って文也に読んでもらっていただけだ。文也は「投稿すればいいのに」と言っていたが、俺は怖くてできなかった。打たれ弱いので! あとネット社会が怖かったので! 文也に読んでもらえるだけで満足してたし。でも、まあ、確かに暇潰しにはいいかもしれない。うん。どうせ趣味の範囲内で書くんだから。好きに書いてもいいよな!
「紙とペンを用意しましょうか?」
「お願い、します」
「少々お待ちください」
レイモンさんは一度退室して紙とペンを持ってきてくれた。彼にお礼を言って、俺は早速内容を考え始めた。けれど、書きたいものが思い付かなくて、ずっとペンを握ったまま紙を眺めている状態だ。
「ジャノ様。本の収納が終わりました」
「ありがとうございます。レイモンさん」
「私は他に仕事がありますので、これで失礼します」
「はい」
本当に優秀な執事さんだなあ。手際が良くて、丁寧で、真面目で。本物の執事ってやっぱり凄い。そう思ってついついレイモンさんの背中を眺めていたら、ふと彼が扉の前で立ち止まる。何か忘れ物でもしたのかと俺が疑問に思っていると、レイモンさんは背を向けたまま話し始めた。
「一つだけ、お伝えしたいことがあります」
「伝えたいこと、ですか?」
「貴方はユベール様が認めた唯一の最愛。それは理解しています。私にも執事としての矜持があるので、貴方を傷付けるようなことは絶対にしません」
「は、はい」
「無礼を承知で申し上げます」
「…………」
レイモンさんは振り返って俺の目を見据える。その綺麗な瞳は鋭く、この屋敷に来て初めて向けられた嫌悪だった。レイモンさんは少し黙った後、再び口を開いた。
「ジャノ様。私は貴方を、絶対に認めません。私が貴方を認めることも、未来永劫ないと思ってください」
レイモンさんは、冷たい声で断言した。俺を絶対に認めないと。この感覚には覚えがある。此処に来る前、嫌でも向けられていた感情だ。公爵邸に来て初めて敵意を向けられた俺は……
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人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
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兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
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