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第一部
恋敵2
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俺が心を許しているこの方はこの国の後継者、アルベール・ミシェル殿下だ。俺より一歳年上で、王立学園では常に行動を共にして過ごした。というのは少し間違いで、アルベール殿下が俺に付き纏っていたが正しい。金色の柔らかな髪に、海を閉じ込めたかのような透き通った瞳。物腰柔らかく、何時もぽあぽあしていて危なっかしい。王宮でも学園でも、殿下に振り回されて泣いている者を何人も見たことがある。悪い人ではないし、頭も切れる優秀な方ではあるが、普段の姿が頼りないので何時も俺が苦労する羽目になっている。今もそうだ。
「アル」
「やだあー。もう動けないー」
「…………」
カウンターテーブルに上体を預け、駄駄を捏ねる殿下の腕を掴んで立たせようとするが、全くビクともしない。帰りますよ、嫌だーというやりとりを何度かしていると、フェルナンが小さなため息を吐いて口を開いた。
「此処、一応カフェなんで何か作りましょうか? 平民が作る料理でもいいなら作りますよ。高貴な貴方達の口に合うかは分かりませんが……」
「いいの!?」
「店の外で倒れて大騒ぎされても困るので。少し待っていてください。途中まで作っていたものがあるので」
「ありがとう! 食べる食べるー! 僕は身分なんて気にしないよ!」
「…………」
殿下の返事を聞いて、フェルナンは再び奥の厨房へ姿を消した。何かを油で揚げる音、グツグツと煮込む音が聞こえ、店内に食欲を唆る匂いが充満する。今まで嗅いだことのない珍しい匂いだ。刺激的な匂いに殿下も気付いていて「いい匂い」と頬を緩ませている。ザク、ザクと何かを切る音が聞こえた後、フェルナンは大きな皿を両手に持って戻ってきた。
「お待たせしました。カツカレーです」
「わあ! なにこれ! 美味しそう!」
殿下と俺の前に置かれた料理はこの国ではあまり見かけない料理だった。使われている食材はジャガイモ、玉ねぎ、人参、牛肉。調味料は分からないが、殿下が言った通り、見ただけで美味しそうだと思ってしまう。白い豆のような粒に、シチューのようなとろみのある茶色のスープがかけられていて、その上に初めて見る肉料理が盛り付けられていた。
「んんー! 美味しい! これ、なんていう料理!?」
「上に乗ってるのはとんかつと言って、豚肉に衣をまぶして油で揚げた料理です。専用のソースをかけて食べるのが主流なんですけど、カレーに乗せても美味しいんですよ」
「……美味しい」
スープのかかった白い粒をスプーンで掬って口に含む。辛味の中に甘さも感じ、白い粒によく合っている。確かにこれは手が止められないくらい美味しい。殿下なんて礼儀作法も忘れたのかと思うくらいの勢いでガツガツ食べている。そして、俺も気付いたら殿下と同じように勢いよく食べていた。
「白いのは白米と言って、俺と彼奴が主食にしていた穀物です。普段はパンなんですけどね」
「美味しいー。あっという間に食べちゃった」
「おかわりします? 多めに作ったのでまだありますよ? とんかつはこれで終わりですけど」
「いいの!? お願い!」
「ユベール様は?」
「もらおう」
「分かりました。おかわり持って来るので待っていてください」
空になった皿とスプーンを下げて、フェルナンは新しいカレーを持ってきてくれた。テーブルに置かれた瞬間、俺も殿下も勢いよく食べてしまった。俺は一回のおかわりで満足したが、殿下はもう一回おかわりをしていた。図々しいにも程がある。
「あぁ。美味しかったー! 満足!」
「お口に合って良かったです。こちらもどうぞ」
「これは?」
「レモンケーキです」
「わあ! デザートも美味しそう!」
小皿に乗せられたケーキは大きすぎず、小さすぎず、丁度いい大きさにカットされ、口に含むとレモンの爽やかな香りが一気に広がる。美味しい。レモンの味を最大限に引き出されている。プロのシェフでも中々この味は出せない。
「美味しい。もしかして、君って料理の天才!?」
「親友と同じこと言わないでくださいよ。ただ料理好きなだけですから」
「それでこんな美味しいものを作れるなんて最早才能だよ! 才能!」
「はいはい。お腹もいっぱいになって満足でしょう? 帰りますよ。アル」
「む」
「定休日なのに料理まで提供してもらって済まない」
「いえ。好きでやってることなので。後、これは彼奴に。この味を恋しがっていると思うので」
「これは?」
「彼奴の大好物だけを詰め込んだ弁当。鮮度も美味しさも保持してくれる魔法の弁当箱に入れてるので、衛生面も保証しますよ」
「……分かった。帰ったらジャノに渡そう」
悔しいが、これでジャノの喜ぶ顔を見れるなら我慢できる。俺達がカレーという料理を食べている間に、ジャノの為にこれを作っていたのか。お弁当と細長い棒四本を丈夫な紙袋に入れて、フェルナンはそれを俺に渡す。本当に気遣い上手というか、彼のことを分かっているというか。男前な性格もより彼を魅力的にしているのだろう。だが! ジャノを幸せにする男はこの俺だ! こんな男には絶対に負けない!
「次はお店をやっている日に来てくださいねー」
料理の支払いを済ませた後、フェルナンは店の扉の前で手を振って俺達にそう告げた。
「あぁ。美味しかった! 今まで食べた料理で一番美味しかった気がする!」
「調子に乗らないでください。殿下。このことがバレたら大問題になりますよ?」
「別に問題ないでしょ? 美味しいご飯を食べただけだし」
「正体がバレたらどうするんですか?」
ラフな格好をしているが、それでもやはり殿下の外見は目立つ。俺も殿下と言いかけたからお互い様ではあるのだが。
「んー。その時はその時じゃない? というか、彼、気付いてたと思うよ?」
「……は?」
「だってさあ。コーヒーを出す時も、カツカレーっていう料理を持って来た時も、お皿を下げる時も、デザートを持って来た時も、全部僕を優先してたもん」
「…………」
「普通はさあ、ベルトラン公爵家の一人息子である君を優先する筈だよね? だって、王家の次に権力を持っているのはベルトラン公爵家なんだから。でも、彼は君じゃなくて僕を優先した。口には出さなくてもさあ、行動で僕への敬意を表していたんだよ。彼、本当に凄いよねー」
気付かなかった。いいや、嫉妬心で視野が狭くなっていた。言われてみれば殿下の言う通りだ。普通は俺と仲のいい高位貴族だと思う筈だ。しかし、思い返してみればフェルナンは確かに全て殿下を優先していた。それは、殿下が俺よりも上の立場の人物であると知らなければできない行動だ。俺よりも上、つまり王家の人間だと、彼は見破っていたということだ。しかし、それを知っても口には出さず、態度も変えず、行動のみで敬意を表すのはかなり難しい。誰にでもできることではない。
「また食べに行こーっと。僕、彼の料理と人柄に惚れちゃった!」
それは冗談で言っているのか、本気で言っているのか。ポアポアしていて危なっかしいが、こうして人を正しく判断できるから誰も殿下をバカにしないし、王太子として認められてもいる。抜けているように見えて、油断も隙もない男だ。この抜けた表情の裏で、一体どれだけの思考を張り巡らせているのやら。少し殿下が怖いと思うが、彼の満面の笑みを見るとそう思うことすらバカバカしく思えて、俺は小さく笑った。
殿下とは途中で別れ、俺は公爵邸へと帰った。やはり騎士達が慌てて「殿下ー!」と叫んで泣いていた。「何処に行っていたんですか!?」やら「外出の時は必ず誰かに一言告げてからと何時も言っているでしょう!?」やら。まるで迷子になった子を叱りつける親のようだ。殿下は全く気にした様子もなく「ごめんごめん。次から気を付けるよー」と言っているが、また同じことを繰り返すに違いない。殿下の「次からは」は信用してはならない。
「おかえりなさいませ。ユベール様」
「あぁ。ただいま」
家に帰って直ぐ、俺は自室に直行した。上着を脱ぐと、直ぐにステラが手に持ち「クリーニングしておきますね」と言った。
「後でレイモンを呼んでくれ。調べてほしいことがあるんだ」
「かしこまりました」
「ジャノの様子は?」
「問題ありません。今日もとてもお美しかったですよ」
「当然だ」
「ふふふ。坊っちゃまは本当にジャノ様のことがお好きですね」
「その呼び方はやめてくれ。俺はもう子どもじゃないんだぞ?」
「私から見ればまだまだ子どもですよ。ユベール坊っちゃまが赤子の頃から仕えているのですから」
「…………」
「ユベール坊っちゃま。ジャノ様はとても素晴らしい方です。坊っちゃまの気持ちはきちんとジャノ様の心に届いていましたよ」
「そ、そうか」
「ですが、やはり急に環境が変わってしまったので困惑しているようです。なので、自分の気持ちを知る為に時間がほしいと仰っていました」
「ジャノが?」
「はい。ユベール様には誠実でいたいと」
「本当か!?」
「はい! 本当です! もし、ユベール様のお気持ちを断った場合はドレスと宝石の代金の一部をお支払いするとまで言ったのですよ! なんて健気な方なのかしらと感動してしまいました!」
「そんなの、ジャノは気にしなくていいのに。俺の大天使様は本当に優しい心の持ち主なんだな」
「長年ベルトラン公爵家に仕えていますが、ジャノ様のような優しい方は初めてです。みんな嬉しそうに話していましたよ? 早くユベール坊っちゃまと結婚してほしい、と」
「そうか」
ステラが断言するのだから、ジャノの人柄の良さは本物だろう。俺は最初から大天使様がお優しいことに気付いていたが、やはり疑う者もいる。まさか、ドレスと宝石の代金を払うなんて言われるとは思っていなかった。そんなことを言われたのは初めてだ。ジャノに成り済ました連中は、総じて心の醜い者ばかりだった。俺と両親には媚を売り、使用人達には高慢な態度を取りバカにする。俺の許可がなければ入れないと説明しても、奴らはジャノの為だけに用意した部屋に入れろと、ドレスや宝石を見せろと怒鳴り散らした。これは全て俺が大天使様の為に揃えたものだと言っても聞く耳持たず。自分こそが俺の命の恩人なのだと吹聴して、だからこの部屋も宝石もドレスも私のものだと高らかに宣言する姿は怒りを通り越して呆れ果てた。その中には既婚者の女性もいて本当に吐き気がする。愛する夫が居ながら、実は俺のことが好きだったんだと身体をすり寄せてくる連中は問答無用で公爵邸から追い出し、二度とこの家に来れないようお父様が手配していた。
公爵家に仕える使用人ならば無礼な振る舞いはしないだろうと思われているが、奴らにその常識は通用しない。下の者にも気を遣える素晴らしい貴族も居るには居るが、ほんの一握りだ。両親や俺が居る場では奴らも大人しいが、使用人だけだと知ると大人しかった態度を豹変させる。嘆かわしいことだ。そう考えると、以前お会いしたモラン侯爵令息のジルベールと婚約者のリゼット嬢はその一握りに入るな。彼女達は、自分達に仕える者とも丁寧に接していた。みんな、モラン侯爵家のような人格者だったらよかったのに。
だからこそ、ジャノはステラ達にとっても大きな存在なのだろう。彼は身分関係なく接する。相手への感謝の気持ちも忘れず、権力にも溺れない。傲慢にもならない。ドレスや宝石を強請ったこともない。思い返すと、ジャノの我儘を聞いたことがないな。まだ一週間しか経っていないから、それも仕方ないことだが……ふむ。
「坊っちゃま。断言します。ジャノ様は、絶対に逃してはならない存在です! あの方はとても魅力的で、野放しにすると知らぬ間に掻っ攫われてしまいますよ! ですから必ず、必ずジャノ様に『ユベール様と結婚したい』と思わせてくださいね! 絶対ですよ!」
「分かった。分かったから落ち着いてくれ。ステラ」
言われなくても最初からそのつもりだ。だが、まさかこんなにも早くステラ達がジャノを気に入るとはな。喜ばしいことだが、少しだけモヤっとする。ジャノの素晴らしさは、俺だけが知っておきたいのに。
「ユベール様。レイモンです」
「仕事が早いな。ステラ」
「坊っちゃまの為ですもの」
一体何時呼んだのやら。魔導具でも使用したのだろうか。ステラの仕事の早さに感心しつつ、レイモンに「入れ」と短く命令する。
「失礼します。ユベール様。私に何かご用でしょうか?」
「あぁ。この書類の事実確認と調査を頼みたい」
「これは?」
「ジャノが仕えていた家の一覧だ。そこで受けた嫌がらせの内容も事細かく記されている」
「承知しました。期間は……」
「可能な限り早いのが望ましいが、数が多いからな。遅くても一ヶ月以内には調査を終えてほしい」
「お任せください。ユベール様。二週間で片付けてみせます」
「あまり無理はするなよ」
「分かっています」
レイモンは優秀な男だ。ボロボロで死にかけていた少年が、まさかこんなにも優秀な執事になるなんて思いもしなかった。真面目で神経質な性格のせいで周囲から怖がられているのが勿体ない。だが、平民出身だと知っていてもレイモンは身分関係なくモテる。後ろに撫で付けられた黒髪。星空を詰め込んだかのような銀灰色の瞳。眼鏡も彼の魅力の一つだろう。しかし、彼は何時も「仕事がありますので」と言って女性からの誘いを全て断っている。ステラが「貴方も素敵な方と恋をしたらいいのに」と冗談交じりに言うと「私はユベール様のお役に立てるだけで満足です」と返していた。本当に勿体ない男だ。
「レイモンさん、相変わらず坊っちゃま一筋ですね」
「彼にも恋をしてほしいと思うのだが」
きっと、俺が言っても無駄だろう。好きな人をそう簡単に見付けられはしない。この人だと思える人と出会える確率は極めて低い。俺は運よく大天使様であるジャノと出会えて一瞬で恋に落ちたが、彼は違う。プライベートなことにまで口を出す訳にもいかない。俺達にできることは、彼が最愛を見付けられますようにと願うことだけだ。
「アル」
「やだあー。もう動けないー」
「…………」
カウンターテーブルに上体を預け、駄駄を捏ねる殿下の腕を掴んで立たせようとするが、全くビクともしない。帰りますよ、嫌だーというやりとりを何度かしていると、フェルナンが小さなため息を吐いて口を開いた。
「此処、一応カフェなんで何か作りましょうか? 平民が作る料理でもいいなら作りますよ。高貴な貴方達の口に合うかは分かりませんが……」
「いいの!?」
「店の外で倒れて大騒ぎされても困るので。少し待っていてください。途中まで作っていたものがあるので」
「ありがとう! 食べる食べるー! 僕は身分なんて気にしないよ!」
「…………」
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「お待たせしました。カツカレーです」
「わあ! なにこれ! 美味しそう!」
殿下と俺の前に置かれた料理はこの国ではあまり見かけない料理だった。使われている食材はジャガイモ、玉ねぎ、人参、牛肉。調味料は分からないが、殿下が言った通り、見ただけで美味しそうだと思ってしまう。白い豆のような粒に、シチューのようなとろみのある茶色のスープがかけられていて、その上に初めて見る肉料理が盛り付けられていた。
「んんー! 美味しい! これ、なんていう料理!?」
「上に乗ってるのはとんかつと言って、豚肉に衣をまぶして油で揚げた料理です。専用のソースをかけて食べるのが主流なんですけど、カレーに乗せても美味しいんですよ」
「……美味しい」
スープのかかった白い粒をスプーンで掬って口に含む。辛味の中に甘さも感じ、白い粒によく合っている。確かにこれは手が止められないくらい美味しい。殿下なんて礼儀作法も忘れたのかと思うくらいの勢いでガツガツ食べている。そして、俺も気付いたら殿下と同じように勢いよく食べていた。
「白いのは白米と言って、俺と彼奴が主食にしていた穀物です。普段はパンなんですけどね」
「美味しいー。あっという間に食べちゃった」
「おかわりします? 多めに作ったのでまだありますよ? とんかつはこれで終わりですけど」
「いいの!? お願い!」
「ユベール様は?」
「もらおう」
「分かりました。おかわり持って来るので待っていてください」
空になった皿とスプーンを下げて、フェルナンは新しいカレーを持ってきてくれた。テーブルに置かれた瞬間、俺も殿下も勢いよく食べてしまった。俺は一回のおかわりで満足したが、殿下はもう一回おかわりをしていた。図々しいにも程がある。
「あぁ。美味しかったー! 満足!」
「お口に合って良かったです。こちらもどうぞ」
「これは?」
「レモンケーキです」
「わあ! デザートも美味しそう!」
小皿に乗せられたケーキは大きすぎず、小さすぎず、丁度いい大きさにカットされ、口に含むとレモンの爽やかな香りが一気に広がる。美味しい。レモンの味を最大限に引き出されている。プロのシェフでも中々この味は出せない。
「美味しい。もしかして、君って料理の天才!?」
「親友と同じこと言わないでくださいよ。ただ料理好きなだけですから」
「それでこんな美味しいものを作れるなんて最早才能だよ! 才能!」
「はいはい。お腹もいっぱいになって満足でしょう? 帰りますよ。アル」
「む」
「定休日なのに料理まで提供してもらって済まない」
「いえ。好きでやってることなので。後、これは彼奴に。この味を恋しがっていると思うので」
「これは?」
「彼奴の大好物だけを詰め込んだ弁当。鮮度も美味しさも保持してくれる魔法の弁当箱に入れてるので、衛生面も保証しますよ」
「……分かった。帰ったらジャノに渡そう」
悔しいが、これでジャノの喜ぶ顔を見れるなら我慢できる。俺達がカレーという料理を食べている間に、ジャノの為にこれを作っていたのか。お弁当と細長い棒四本を丈夫な紙袋に入れて、フェルナンはそれを俺に渡す。本当に気遣い上手というか、彼のことを分かっているというか。男前な性格もより彼を魅力的にしているのだろう。だが! ジャノを幸せにする男はこの俺だ! こんな男には絶対に負けない!
「次はお店をやっている日に来てくださいねー」
料理の支払いを済ませた後、フェルナンは店の扉の前で手を振って俺達にそう告げた。
「あぁ。美味しかった! 今まで食べた料理で一番美味しかった気がする!」
「調子に乗らないでください。殿下。このことがバレたら大問題になりますよ?」
「別に問題ないでしょ? 美味しいご飯を食べただけだし」
「正体がバレたらどうするんですか?」
ラフな格好をしているが、それでもやはり殿下の外見は目立つ。俺も殿下と言いかけたからお互い様ではあるのだが。
「んー。その時はその時じゃない? というか、彼、気付いてたと思うよ?」
「……は?」
「だってさあ。コーヒーを出す時も、カツカレーっていう料理を持って来た時も、お皿を下げる時も、デザートを持って来た時も、全部僕を優先してたもん」
「…………」
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気付かなかった。いいや、嫉妬心で視野が狭くなっていた。言われてみれば殿下の言う通りだ。普通は俺と仲のいい高位貴族だと思う筈だ。しかし、思い返してみればフェルナンは確かに全て殿下を優先していた。それは、殿下が俺よりも上の立場の人物であると知らなければできない行動だ。俺よりも上、つまり王家の人間だと、彼は見破っていたということだ。しかし、それを知っても口には出さず、態度も変えず、行動のみで敬意を表すのはかなり難しい。誰にでもできることではない。
「また食べに行こーっと。僕、彼の料理と人柄に惚れちゃった!」
それは冗談で言っているのか、本気で言っているのか。ポアポアしていて危なっかしいが、こうして人を正しく判断できるから誰も殿下をバカにしないし、王太子として認められてもいる。抜けているように見えて、油断も隙もない男だ。この抜けた表情の裏で、一体どれだけの思考を張り巡らせているのやら。少し殿下が怖いと思うが、彼の満面の笑みを見るとそう思うことすらバカバカしく思えて、俺は小さく笑った。
殿下とは途中で別れ、俺は公爵邸へと帰った。やはり騎士達が慌てて「殿下ー!」と叫んで泣いていた。「何処に行っていたんですか!?」やら「外出の時は必ず誰かに一言告げてからと何時も言っているでしょう!?」やら。まるで迷子になった子を叱りつける親のようだ。殿下は全く気にした様子もなく「ごめんごめん。次から気を付けるよー」と言っているが、また同じことを繰り返すに違いない。殿下の「次からは」は信用してはならない。
「おかえりなさいませ。ユベール様」
「あぁ。ただいま」
家に帰って直ぐ、俺は自室に直行した。上着を脱ぐと、直ぐにステラが手に持ち「クリーニングしておきますね」と言った。
「後でレイモンを呼んでくれ。調べてほしいことがあるんだ」
「かしこまりました」
「ジャノの様子は?」
「問題ありません。今日もとてもお美しかったですよ」
「当然だ」
「ふふふ。坊っちゃまは本当にジャノ様のことがお好きですね」
「その呼び方はやめてくれ。俺はもう子どもじゃないんだぞ?」
「私から見ればまだまだ子どもですよ。ユベール坊っちゃまが赤子の頃から仕えているのですから」
「…………」
「ユベール坊っちゃま。ジャノ様はとても素晴らしい方です。坊っちゃまの気持ちはきちんとジャノ様の心に届いていましたよ」
「そ、そうか」
「ですが、やはり急に環境が変わってしまったので困惑しているようです。なので、自分の気持ちを知る為に時間がほしいと仰っていました」
「ジャノが?」
「はい。ユベール様には誠実でいたいと」
「本当か!?」
「はい! 本当です! もし、ユベール様のお気持ちを断った場合はドレスと宝石の代金の一部をお支払いするとまで言ったのですよ! なんて健気な方なのかしらと感動してしまいました!」
「そんなの、ジャノは気にしなくていいのに。俺の大天使様は本当に優しい心の持ち主なんだな」
「長年ベルトラン公爵家に仕えていますが、ジャノ様のような優しい方は初めてです。みんな嬉しそうに話していましたよ? 早くユベール坊っちゃまと結婚してほしい、と」
「そうか」
ステラが断言するのだから、ジャノの人柄の良さは本物だろう。俺は最初から大天使様がお優しいことに気付いていたが、やはり疑う者もいる。まさか、ドレスと宝石の代金を払うなんて言われるとは思っていなかった。そんなことを言われたのは初めてだ。ジャノに成り済ました連中は、総じて心の醜い者ばかりだった。俺と両親には媚を売り、使用人達には高慢な態度を取りバカにする。俺の許可がなければ入れないと説明しても、奴らはジャノの為だけに用意した部屋に入れろと、ドレスや宝石を見せろと怒鳴り散らした。これは全て俺が大天使様の為に揃えたものだと言っても聞く耳持たず。自分こそが俺の命の恩人なのだと吹聴して、だからこの部屋も宝石もドレスも私のものだと高らかに宣言する姿は怒りを通り越して呆れ果てた。その中には既婚者の女性もいて本当に吐き気がする。愛する夫が居ながら、実は俺のことが好きだったんだと身体をすり寄せてくる連中は問答無用で公爵邸から追い出し、二度とこの家に来れないようお父様が手配していた。
公爵家に仕える使用人ならば無礼な振る舞いはしないだろうと思われているが、奴らにその常識は通用しない。下の者にも気を遣える素晴らしい貴族も居るには居るが、ほんの一握りだ。両親や俺が居る場では奴らも大人しいが、使用人だけだと知ると大人しかった態度を豹変させる。嘆かわしいことだ。そう考えると、以前お会いしたモラン侯爵令息のジルベールと婚約者のリゼット嬢はその一握りに入るな。彼女達は、自分達に仕える者とも丁寧に接していた。みんな、モラン侯爵家のような人格者だったらよかったのに。
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「坊っちゃま。断言します。ジャノ様は、絶対に逃してはならない存在です! あの方はとても魅力的で、野放しにすると知らぬ間に掻っ攫われてしまいますよ! ですから必ず、必ずジャノ様に『ユベール様と結婚したい』と思わせてくださいね! 絶対ですよ!」
「分かった。分かったから落ち着いてくれ。ステラ」
言われなくても最初からそのつもりだ。だが、まさかこんなにも早くステラ達がジャノを気に入るとはな。喜ばしいことだが、少しだけモヤっとする。ジャノの素晴らしさは、俺だけが知っておきたいのに。
「ユベール様。レイモンです」
「仕事が早いな。ステラ」
「坊っちゃまの為ですもの」
一体何時呼んだのやら。魔導具でも使用したのだろうか。ステラの仕事の早さに感心しつつ、レイモンに「入れ」と短く命令する。
「失礼します。ユベール様。私に何かご用でしょうか?」
「あぁ。この書類の事実確認と調査を頼みたい」
「これは?」
「ジャノが仕えていた家の一覧だ。そこで受けた嫌がらせの内容も事細かく記されている」
「承知しました。期間は……」
「可能な限り早いのが望ましいが、数が多いからな。遅くても一ヶ月以内には調査を終えてほしい」
「お任せください。ユベール様。二週間で片付けてみせます」
「あまり無理はするなよ」
「分かっています」
レイモンは優秀な男だ。ボロボロで死にかけていた少年が、まさかこんなにも優秀な執事になるなんて思いもしなかった。真面目で神経質な性格のせいで周囲から怖がられているのが勿体ない。だが、平民出身だと知っていてもレイモンは身分関係なくモテる。後ろに撫で付けられた黒髪。星空を詰め込んだかのような銀灰色の瞳。眼鏡も彼の魅力の一つだろう。しかし、彼は何時も「仕事がありますので」と言って女性からの誘いを全て断っている。ステラが「貴方も素敵な方と恋をしたらいいのに」と冗談交じりに言うと「私はユベール様のお役に立てるだけで満足です」と返していた。本当に勿体ない男だ。
「レイモンさん、相変わらず坊っちゃま一筋ですね」
「彼にも恋をしてほしいと思うのだが」
きっと、俺が言っても無駄だろう。好きな人をそう簡単に見付けられはしない。この人だと思える人と出会える確率は極めて低い。俺は運よく大天使様であるジャノと出会えて一瞬で恋に落ちたが、彼は違う。プライベートなことにまで口を出す訳にもいかない。俺達にできることは、彼が最愛を見付けられますようにと願うことだけだ。
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