神子のおまけの脇役平凡、異世界でもアップルパイを焼く

トキ

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第6章

目障りな存在

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 時間は少し遡り、黒い布で全身を覆った男が鈴を抱いて逃げ出した後、その事を報告する為に一人の騎士が慌てて神殿に駆け込んだ。

「シェルス様! 申し訳ありません! 偽物の神子に、逃げられました!」

 神殿の中央で静かに佇んでいたシェルスはゆっくりと騎士に振り返り、ふわりと優しく微笑んだ。彼に心酔している騎士は、可憐で美しい彼の姿に見惚れて言葉を失ってしまう。

「落ち着いてください。逃げられたなんて些細な事。捕まるのは時間の問題でしょう」

「ですが……」
「それに、今はもっと優先すべき事があるんです」

 そう言ってシェルスは神殿の中央へ視線を向けた。同じように騎士もそちらへ視線を向けると、其処には誰かが倒れていた。それは、何時もユリウスの側に居る黒髪の少年だった。シェルスがユリウスの婚約者だと知っていながら、周囲の忠告も聞かず彼に付き纏っていた目障りな存在。何故、その少年が神殿に居るのか。疑問に思う騎士にシェルスは微笑んだまま説明した。

「連れて来てもらったんです。僕の神官はとても優秀な魔術が使えるので」

 ユリウスに気付かれずに連れ去るのはかなり難しかった筈だ。彼はユリウスだけでなく、クラウスやリベルテにも大切にされている。海の神子とも仲が良く、多くの人達から愛されていたように思う。愛されるべき存在はシェルス様の方なのに、と騎士は内心悔しがりながら彼らを見ていたからよく覚えている。

「誰が本物の神子なのか、彼にはきちんと理解してもらわないと」
「シェルス様? 何をなさるおつもりで?」
「愚問ですね」
「え?」
「消えてもらうんですよ」

 嫉妬と憎悪に満ちた顔で、シェルスは冷酷に告げた。シェルスに心酔していた騎士は恐怖のあまり息を呑む。ユリウスを一途に想い、誰にでも優しくて儚い存在のシェルスは、騎士にとって守らなければならない大切な存在だった。しかし、本当にそれが正しいのかと疑問に思う。シェルスが本物の神子ならば、いくら偽物の神子だとしても消すのは流石にやり過ぎなのではと思う。しかし、そんな事を今の彼に聞く勇気もなく、騎士はシェルスに何をすれば良いのか聞いた。

「全て終わるまで、誰も入って来ないように見張っていてください」
「御意」

 疑問に思う事は多々あるが、騎士は全て気のせいだと自分に言い聞かせ、シェルスの命令に従った。

「本物の神子は僕だ。お前なんかじゃない。お前なんか……」

 静かに眠る夕を見下ろし、シェルスは冷たい声で呟いた。




 シェルスは幼い頃からずっと神子と言う存在に憧れを抱いていた。全ての生き物に活力を与える太陽の神子。生きとし生けるものに癒しと安らぎを与える月の神子。命を与え、自然の恩恵を与える海の神子。太陽の神子を癒す空の神子。月の神子を癒す夜の神子。シェルスが特に憧れを抱いたのは月の神子を癒す夜の神子だった。

 シェルスの家系は初代の神子が居た時から続く一族で、彼の先祖は神子を守る役目を担っていた。しかし、先祖の目的は神子を守る事ではなく、太陽の神子と月の神子を手に入れる事だった。神にも匹敵する程の絶大な力に、どんな人をも魅了する美貌。美しく完璧な太陽の神子と月の神子を癒せるのが自分だったら。先祖の密かな思いは静かに狂い、じわじわと暴走し始めた。憧れは恋慕に変わり、恋慕は醜い嫉妬に変わり、嫉妬は凄まじい憎悪に変貌した。

 太陽の神子と月の神子ほしさに、先祖はかつての夜の神子と空の神子を殺そうとしたのだ。しかし、それは海の神子と彼の守り人によって阻止され、先祖は神子が住んでいた神殿から逃げ出した。計画は失敗したが、海の神子を消し去る事には成功したのだ。そして、先祖は月の神子と夜の神子からあるものを奪い取る事にも成功した。

 海の神子が消え去った事が原因なのか、他の神子達も次々と消えて行った。夜の神子と空の神子が消え、癒してくれる相手を失った月の神子と太陽の神子も、二人の後を追うように消えてしまった。やっと邪魔者が消えて太陽の神子と月の神子が手に入ると思ったのに、これでは本末転倒だ。

 先祖が犯した罪は大きい。海の神子を葬り、五人の神子を失う切っ掛けを作ったのだから。それが影響しているのか、最期の悪あがきで何か呪いでもかけたのか、シェルスを含む一族は海の神子に触れる事すら出来なかった。洗脳の術も、神子を封じる術も、攻撃魔法も、海の神子が居る場所では全て無効化されてしまう。

「あの子、本当に目障りだったなぁ。まさか弟の方が神子だったなんて」

 ユリウスとクラウスがそう思っていたように、シェルスも海の神子はヒスイだと思い込んでいた。ユリウスに恋をして地上にやって来たと言う彼女は、シェルスにとって邪魔な存在でしかなかった。しかも、彼女は自分の事を海の神子だと断言した。消し去るには十分な理由だ。

 慎重に、確実に、誰にも気付かれない方法でヒスイを消したと言うのに、それは全て無駄骨だったのだ。彼女の猿芝居に騙されたとも言う。彼女は海の神子ではなかった。本物の海の神子は他に居る。しかし、誰が本物の海の神子なのか、シェルスには分からなかった。

 それに腹を立てたシェルスは、腹いせに彼女の一番大切なものに八つ当たりした。彼女の弟、シンジュを利用してユリウスに振り向いてもらおうと考えたのだ。人魚族を揺さぶるのはとても簡単だった。ヒスイの事が好きだと言う人魚族に「姉を殺したのは弟」と吹聴すれば、彼らはシェルスの思い通りに動いてくれた。彼らはヒスイを殺したシンジュを心から憎み、無理矢理人間にして地上へ捨てた。

 後はシンジュがユリウスを殺そうとする場面で自分が助けに入れば、シンジュは王子を殺そうとした犯罪者として断罪され、シェルスは王子の命を救った英雄となる。そう言う筋書きだった筈なのに、計画通りシンジュを消す事には成功したが、ユリウスはシンジュの死を嘆き悲しみ、亡くなってしまったシンジュと行方不明になったリベルテの事を気にかけていた。

 傷付いたユリウスを慰めようとしても、彼はシェルスを見てはくれなかった。ユリウスには幼い頃からずっと片想いをしている人が居て、サイラスも身柄を拘束して洗脳したはいいものの、肝心の神子の証が何処にも無い。それがシェルスを余計に苛立たせた。ユリウスの傍に居るのは自分なのに、彼の婚約者で夜空の神子でもあるのに、ユリウスはシェルスを婚約者と認めなかった。

 そして、突然現れた異世界の人間の登場により、シェルスの心は荒れた。勿論、表情には出さなかったが、心の中は嫉妬と憎悪と焦りに支配されていた。まさか、そんな筈はない。そう自分に言い聞かせたが、ソレイユ国を訪れて見た光景にシェルスは凍りついた。




 愛しい人にだけ向ける、蕩けるような優しい顔のユリウスと、そんな彼に照れながら控えめに笑う黒髪の少年。そして、消した筈のヒスイの弟と、ユリウスを心から憎んでいた筈の第二王子。シェルスは視界が真っ黒に塗りつぶされるような感覚に陥った。

 死者を蘇らせる方法なんてない筈だ。可能だったとしてもそれは禁忌とされており、術者は何かしらの罰を受ける事になる。しかし、リベルテもシンジュも罰を受けたような形跡は一切ない。一体どうやって蘇らせた? それに、ユリウス様の隣に居る男は誰だ? 何故、お前のような奴がユリウス様の隣に立っている?

 我慢できず、シェルスはユリウスとユウの間に無理矢理割り込んで、ユリウスの腕に自分の腕を絡めた。先程の幸せそうな表情から一変。ユリウスの表情は何時も通りの無表情に戻った。いいや、更に悪化したと言ってもいい。シェルスが「寂しかった」と訴えても「心配してくれて嬉しい」と伝えても、ユリウスの表情と態度は冷たいままだった。

 ユリウスは夕にしか興味がない。彼が転んだだけで大袈裟なくらい心配して抱き上げて、城に戻っても彼を抱いたまま自室に戻って……

 彼のそんな態度を見ていれば、嫌でも気付いてしまう。ユリウスがずっと片想いをしていたのは夕なのだと。今でも夕の事が好きなのだと。そして、ユリウスとリベルテの関係が修復できたのも、シンジュが蘇ったのも、夕のお陰だとシェルスは知った。

 どうやら、もう一人の異世界人も関わっているようだが、使用人達の話によるとナイフで背中を刺されたリベルテをユリウスが治癒の光で治したらしい。そんな事、出来る筈がない。何故なら、神子の力を使う為に必要なものはシェルスが持っているからだ。それが無ければ、ユリウスは神子の力を使えない。それなのに何故……

 一つだけ、それを可能にできる条件がある。ユリウスの傍に、本物の夜の神子が居る事だ。月の神子と太陽の神子は自分で力を回復できない。回復する為には、空の神子と夜の神子に癒してもらわなければならないのだ。ユリウスが神子の力を使えるようになったのも、彼の近くに夜の神子が居てずっと癒していたから。

 更に城の者達の話を聞くと、シンジュを蘇らせた時もユリウスの傍には夕が居たらしい。ユリウスの治癒の光と、リベルテのシンジュを想う気持ちが奇跡を起こし、シンジュは再びこの地に蘇った。ここまで言われたら、嫌でも認めざるを得ない。

 ユリウスの心も体も癒せるのは、夕しか居ないのだと。しかし、それを認める訳にはいかなかった。神子はシェルスでなければならないのだ。太陽の神子と月の神子を癒すのは、夜空の神子である自分なのだ。だから、彼らには早く消えてもらわないと……

「……ん、ここ、は?」
「やっと、目を覚ましたんですね?」
「え? シェルス、さま?」
「その顔、本当にムカつくなあ。何度も忠告したのに、ずっとユリウス様にくっついて、邪魔で邪魔で仕方なかったんだよね」

 目覚めたばかりで困惑する夕を見下ろし、シェルスは敵意を隠しもせず「お願いだから、消えて」と吐き捨てた。
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