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第5章
帰りたくない
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リベルテが何を言ったのか、シンジュは分からなかった。その場から動く事も出来ず、声を掛ける事も出来ず、シンジュは優しく微笑むリベルテを見詰めた。
「シンジュの事、よろしくお願いします。必ず、幸せにしてください」
「勿論です。あの時、俺はシンジュを護れなかった。だから今度こそ、この手で護りたいんです」
シンジュを、心から愛しているから……
そう告げるのは、人魚族の長であるカイリ。嬉しそうな、愛おしそうな顔をして、カイリはリベルテに話した。
「シンジュを、返してください」と。シンジュは人魚であり、海の神子でもある。人魚族の掟で、海の神子は人魚族の長と契りを交わさなければならない。カイリはヒスイと結ばれる筈だった。しかし、ヒスイは命を落としてしまった。カイリはその事を知らなかった。世界中の海を旅していた為、ヒスイが亡くなった事も、シンジュが地上へ放り出された事も知らなかった。
全てを知ったのは、シンジュが自害した後だった。カイリはシンジュを失って酷く落ち込んだと語った。
「俺は、シンジュを護れなかった。だから、今度こそ、あの子を護りたいんです。ヒスイの分まで、生きてほしいんです」と。
カイリの隣で話を聞いていたシェルスも、彼に便乗して語った。
「シンジュ様は海の神子です。海の神子は人魚族の長と、カイリ様と結ばれるべきです。カイリ様もシンジュ様も人魚族です。結ばれるなら、違う種族よりも、同じ種族の方が、シンジュ様もきっと幸せになれます」と。
シェルスとカイリが出会ったのは偶然だった。シンジュが生きているかもしれないと言う噂を聞いて、カイリは人間の姿になり、地上へ向かった。そして、シンジュを探し続けていたと言う。その時、夜空の神子であるシェルスと出会い、色々と話していく内に、シンジュが海の神子だとカイリは知った。
カイリの話を聞いたシェルスは、シンジュの幸せを願って、カイリを城に連れて来たと話した。今度こそ、シンジュを幸せにしてみせる、と、強い意志を瞳に宿して。
カイリの話を、リベルテは黙って聞いていた。全てを話し終え、カイリが「シンジュを、返してください」と深々と頭を下げると、リベルテは小さな溜息を吐き、カイリに言った。
「シンジュの事、よろしくお願いします」と。
シンジュは嫌だった。リベルテと離れるのも、彼以外の誰かと結ばれるのも。けれど、シンジュを無視して、話はどんどん進む。カイリがシンジュを連れて帰る日、別れる場所、海に戻れば二度と地上へは来れない事など。本人の意思を無視して、自分の未来が決められていく様子を眺め、シンジュは耐え切れずその場から逃げ出した。
その日、シンジュはリベルテの部屋には戻らなかった。リベルテの為に夕達と一緒に作ったアップルパイも渡せず、シンジュはユリウスの部屋の片隅で小さく蹲った。
泣き続けるシンジュを心配してシズクが頭や手に触れるが、シンジュは小さくなったまま動かない。
「シンジュ、何があったんだ? リベルは……」
悲痛な表情をして戻って来たシンジュを見て、夕は慌てて駆け寄った。リベルテに渡す筈だったアップルパイを手に持ち、ポロポロと大粒の涙を零すシンジュに夕は優しく声をかけた。しかし、シンジュは何も答えてくれず、鈴が聞いても首を横に振るだけだった。
此処に居ても解決しないと思い、夕はシンジュをユリウスの部屋へ連れて行った。鈴はクラウスにこの事を説明する為、途中で別れた。
「クラウスに報告したら、俺は部屋に戻る」
夕にそう告げ、鈴は去って行った。夕は「分かった」と答え、シンジュを連れてユリウスの部屋へ向かった。まだ仕事をしているのか、ユリウスは部屋に居なかった。帰って来たら説明しないといけないな、と思いながら、夕はシンジュの頭を優しく撫でる。
「何か、悲しい事があったのか? 誰かに、何か言われたのか?」
夕が優しく聞くが、シンジュは答えないまま、ずっと泣き続けた。
「どうして、リベル、さま。いや、です」
「シンジュ?」
「いや、です。海は、こわい。いや……」
帰りたく、ないよ……
涙声で呟くシンジュを、夕はそっと抱きしめた。幼子をあやすように、兄が大事な弟を守るように。
「帰りたくないなら、帰らなくていい。海が怖いなら、此処に居ればいい。大丈夫だ、大丈夫」
「っ」
夕の言葉を聞いて、シンジュは声を出して泣きじゃくった。「帰りたくない」と、「リベルさまの傍に居たい」と、必死に訴えながら。
シンジュが泣き止んだのは、日が傾き始めた頃だった。
漸く落ち着きを取り戻し、シンジュは夕に涙声で謝った。また迷惑をかけてしまったと。情けない姿を見せてしまったと。
申し訳なさそうに謝罪するシンジュの頭を撫で、夕は「気にするな」と言った。
「困ってる時はお互い様だろ? 何があったかは知らねぇけど、俺も鈴もお前を見捨てるような事はしないから安心しろ」
「……はい」
「それで、何があったんだ?」
「それは、その……」
シンジュは言葉を詰まらせた。どこまで説明すれば良いか分からなかった。カイリの思惑が分からない状態で、夕達に話しても良いのかと躊躇っていた。
カイリさまが本当に僕を愛していたら?
過去の事を心から後悔して、改心していたら?
もし、カイリが言葉の通りシンジュを愛していたとしても、シンジュはカイリの手を取るつもりはない。シンジュが心から愛しているのはリベルテただ一人。だからこそ、信じられなかった。リベルテの言葉が。赤の他人同然のカイリに、シンジュを託そうとしているリベルテの姿が。思い出すとまた涙が溢れてきた。
「僕、海に帰らなければ、ならないかも」
「え?」
「人魚族の長が、カイリさまが、僕を迎えに来てて。僕を、返して欲しいって、リベルさまに言って」
「…………」
「カイリさまの話を聞いた、リベルさまは、カイリさまに頭を下げて『よろしくお願いします』って、言って」
「…………」
「リベルさまの言葉が、信じられなくて。カイリさまが言っている事も、分からなくて、それで、混乱して……」
「…………」
ポツリ、ポツリとシンジュが説明すると、夕は優しく微笑みながらシンジュの頭を撫でた。しかし、笑ってはいるが、目は笑っていなかった。
仕事も終わり、自室に戻ったユリウスは、泣いて蹲るシンジュを見て固まった。何があったのかユリウスが疑問に思っていると、夕が困惑しながら説明した。
「嘘、ですよね。リベルテがシンジュを他の人に託すなんて……」
「リベルがシンジュを手放すとは思えないが……」
信じられなかった。あんなにシンジュを大事にしているリベルテが、「必ず護る」と断言したリベルテが、初対面の男にシンジュを渡すだろうか。同じ人魚族だから、彼に託した方が幸せになれるから。果たしてそうだろうか。リベルテがそんな事を考えるだろうか。それに……
「人魚族の長に会ったが、薄気味悪い男だったな」
「え?」
自室に戻る直前、ユリウスは人魚族の長であるカイリと会っていた。軽く挨拶をして去るつもりだったが、カイリはユリウスを呼び止め、シンジュの事を話し始めた。
「ユリウス様、シンジュを返していただけませんか? あの子は海の神子であり、俺の婚約者なんです」
カイリは微笑んだ。嬉しそうに、照れくさそうに。しかし、ユリウスは違和感を覚えた。何がと聞かれたら分からないが、彼の笑顔が不自然に思えたのだ。それに、シンジュを心から愛していると言ってはいるが、シンジュからカイリの話を聞いた事は一度もない。もし、カイリがシンジュを愛しているなら、何故、シンジュは海に帰ろうとしないのか。何故、帰りたいと言わないのか。
そんな疑問を抱き、ユリウスはカイリを見据え、口を開いた。
「決めるのはシンジュであって、貴方ではない。シンジュが自分の意思で貴方を選ぶなら、私は何も言わない」
「…………」
「しかし、シンジュが貴方ではなく、私の弟を選んだ場合、潔くその身を引いていただきたい」
「…………」
カイリは頷かなかった。静かに微笑み、ユリウスを見ていた。
「シンジュの事、よろしくお願いします。必ず、幸せにしてください」
「勿論です。あの時、俺はシンジュを護れなかった。だから今度こそ、この手で護りたいんです」
シンジュを、心から愛しているから……
そう告げるのは、人魚族の長であるカイリ。嬉しそうな、愛おしそうな顔をして、カイリはリベルテに話した。
「シンジュを、返してください」と。シンジュは人魚であり、海の神子でもある。人魚族の掟で、海の神子は人魚族の長と契りを交わさなければならない。カイリはヒスイと結ばれる筈だった。しかし、ヒスイは命を落としてしまった。カイリはその事を知らなかった。世界中の海を旅していた為、ヒスイが亡くなった事も、シンジュが地上へ放り出された事も知らなかった。
全てを知ったのは、シンジュが自害した後だった。カイリはシンジュを失って酷く落ち込んだと語った。
「俺は、シンジュを護れなかった。だから、今度こそ、あの子を護りたいんです。ヒスイの分まで、生きてほしいんです」と。
カイリの隣で話を聞いていたシェルスも、彼に便乗して語った。
「シンジュ様は海の神子です。海の神子は人魚族の長と、カイリ様と結ばれるべきです。カイリ様もシンジュ様も人魚族です。結ばれるなら、違う種族よりも、同じ種族の方が、シンジュ様もきっと幸せになれます」と。
シェルスとカイリが出会ったのは偶然だった。シンジュが生きているかもしれないと言う噂を聞いて、カイリは人間の姿になり、地上へ向かった。そして、シンジュを探し続けていたと言う。その時、夜空の神子であるシェルスと出会い、色々と話していく内に、シンジュが海の神子だとカイリは知った。
カイリの話を聞いたシェルスは、シンジュの幸せを願って、カイリを城に連れて来たと話した。今度こそ、シンジュを幸せにしてみせる、と、強い意志を瞳に宿して。
カイリの話を、リベルテは黙って聞いていた。全てを話し終え、カイリが「シンジュを、返してください」と深々と頭を下げると、リベルテは小さな溜息を吐き、カイリに言った。
「シンジュの事、よろしくお願いします」と。
シンジュは嫌だった。リベルテと離れるのも、彼以外の誰かと結ばれるのも。けれど、シンジュを無視して、話はどんどん進む。カイリがシンジュを連れて帰る日、別れる場所、海に戻れば二度と地上へは来れない事など。本人の意思を無視して、自分の未来が決められていく様子を眺め、シンジュは耐え切れずその場から逃げ出した。
その日、シンジュはリベルテの部屋には戻らなかった。リベルテの為に夕達と一緒に作ったアップルパイも渡せず、シンジュはユリウスの部屋の片隅で小さく蹲った。
泣き続けるシンジュを心配してシズクが頭や手に触れるが、シンジュは小さくなったまま動かない。
「シンジュ、何があったんだ? リベルは……」
悲痛な表情をして戻って来たシンジュを見て、夕は慌てて駆け寄った。リベルテに渡す筈だったアップルパイを手に持ち、ポロポロと大粒の涙を零すシンジュに夕は優しく声をかけた。しかし、シンジュは何も答えてくれず、鈴が聞いても首を横に振るだけだった。
此処に居ても解決しないと思い、夕はシンジュをユリウスの部屋へ連れて行った。鈴はクラウスにこの事を説明する為、途中で別れた。
「クラウスに報告したら、俺は部屋に戻る」
夕にそう告げ、鈴は去って行った。夕は「分かった」と答え、シンジュを連れてユリウスの部屋へ向かった。まだ仕事をしているのか、ユリウスは部屋に居なかった。帰って来たら説明しないといけないな、と思いながら、夕はシンジュの頭を優しく撫でる。
「何か、悲しい事があったのか? 誰かに、何か言われたのか?」
夕が優しく聞くが、シンジュは答えないまま、ずっと泣き続けた。
「どうして、リベル、さま。いや、です」
「シンジュ?」
「いや、です。海は、こわい。いや……」
帰りたく、ないよ……
涙声で呟くシンジュを、夕はそっと抱きしめた。幼子をあやすように、兄が大事な弟を守るように。
「帰りたくないなら、帰らなくていい。海が怖いなら、此処に居ればいい。大丈夫だ、大丈夫」
「っ」
夕の言葉を聞いて、シンジュは声を出して泣きじゃくった。「帰りたくない」と、「リベルさまの傍に居たい」と、必死に訴えながら。
シンジュが泣き止んだのは、日が傾き始めた頃だった。
漸く落ち着きを取り戻し、シンジュは夕に涙声で謝った。また迷惑をかけてしまったと。情けない姿を見せてしまったと。
申し訳なさそうに謝罪するシンジュの頭を撫で、夕は「気にするな」と言った。
「困ってる時はお互い様だろ? 何があったかは知らねぇけど、俺も鈴もお前を見捨てるような事はしないから安心しろ」
「……はい」
「それで、何があったんだ?」
「それは、その……」
シンジュは言葉を詰まらせた。どこまで説明すれば良いか分からなかった。カイリの思惑が分からない状態で、夕達に話しても良いのかと躊躇っていた。
カイリさまが本当に僕を愛していたら?
過去の事を心から後悔して、改心していたら?
もし、カイリが言葉の通りシンジュを愛していたとしても、シンジュはカイリの手を取るつもりはない。シンジュが心から愛しているのはリベルテただ一人。だからこそ、信じられなかった。リベルテの言葉が。赤の他人同然のカイリに、シンジュを託そうとしているリベルテの姿が。思い出すとまた涙が溢れてきた。
「僕、海に帰らなければ、ならないかも」
「え?」
「人魚族の長が、カイリさまが、僕を迎えに来てて。僕を、返して欲しいって、リベルさまに言って」
「…………」
「カイリさまの話を聞いた、リベルさまは、カイリさまに頭を下げて『よろしくお願いします』って、言って」
「…………」
「リベルさまの言葉が、信じられなくて。カイリさまが言っている事も、分からなくて、それで、混乱して……」
「…………」
ポツリ、ポツリとシンジュが説明すると、夕は優しく微笑みながらシンジュの頭を撫でた。しかし、笑ってはいるが、目は笑っていなかった。
仕事も終わり、自室に戻ったユリウスは、泣いて蹲るシンジュを見て固まった。何があったのかユリウスが疑問に思っていると、夕が困惑しながら説明した。
「嘘、ですよね。リベルテがシンジュを他の人に託すなんて……」
「リベルがシンジュを手放すとは思えないが……」
信じられなかった。あんなにシンジュを大事にしているリベルテが、「必ず護る」と断言したリベルテが、初対面の男にシンジュを渡すだろうか。同じ人魚族だから、彼に託した方が幸せになれるから。果たしてそうだろうか。リベルテがそんな事を考えるだろうか。それに……
「人魚族の長に会ったが、薄気味悪い男だったな」
「え?」
自室に戻る直前、ユリウスは人魚族の長であるカイリと会っていた。軽く挨拶をして去るつもりだったが、カイリはユリウスを呼び止め、シンジュの事を話し始めた。
「ユリウス様、シンジュを返していただけませんか? あの子は海の神子であり、俺の婚約者なんです」
カイリは微笑んだ。嬉しそうに、照れくさそうに。しかし、ユリウスは違和感を覚えた。何がと聞かれたら分からないが、彼の笑顔が不自然に思えたのだ。それに、シンジュを心から愛していると言ってはいるが、シンジュからカイリの話を聞いた事は一度もない。もし、カイリがシンジュを愛しているなら、何故、シンジュは海に帰ろうとしないのか。何故、帰りたいと言わないのか。
そんな疑問を抱き、ユリウスはカイリを見据え、口を開いた。
「決めるのはシンジュであって、貴方ではない。シンジュが自分の意思で貴方を選ぶなら、私は何も言わない」
「…………」
「しかし、シンジュが貴方ではなく、私の弟を選んだ場合、潔くその身を引いていただきたい」
「…………」
カイリは頷かなかった。静かに微笑み、ユリウスを見ていた。
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