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第2章
愛しい人
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窓から外の景色を眺め、今までの事を思い出し、ユリウスは小さな溜め息を吐いた。
シンジュが蘇った直後、突然夕が倒れてしまった。リベルテが刺され、鈴も深い眠りに就き、気が気ではなかった筈なのに、夕は何時も笑って「平気です」と言っていた。
リベルテが刺された時、夕は誰よりも彼を心配した。リベルテが医務室に運ばれて直ぐに、鈴も倒れた。そんな状況でも、心配そうな表情をしていても、夕は笑っていた。
本人は平気と言っていたが、やはり無理をしていたのだと、夕が倒れた時にユリウスは漸く気付いた。床に体を打ち付ける前に夕を抱き留める。ずっと、気を張っていたのだろう。
リベルテと少しだけ話した後、ユリウスは夕を抱き上げて自室へと戻った。ベッドに夕を寝かせ、上着を脱ぎ、ラフな服に着替える。結っていた髪紐を解き、ユリウスは眠る夕の髪にそっと触れた。
「ユウ……」
近くに居れば居る程、感情を抑えられなくなる。クラウスから何度も「弱味を見せるな」と言われていたのに。夕の前では、上手く感情を隠せない。無表情を保っていられない。
それ程、ユリウスは夕に心を許していた。他人の前で、ユリウスが表情を崩す事はない。心を動かされる事もない。それが普通だった。それが当たり前だった。
けれど、夕の前では、どうしても弱くなってしまう。甘えてしまう。
『産まれてきてくれて、ありがとう』
『お前は、生きてても良いんだ』
この言葉に、何度救われたか分からない。弱音を吐きそうになった時、何もかも投げ出したくなった時、諦めそうになった時、周囲から敵意を向けられた時、何時もユリウスを救ったのは、夕の優しい言葉だった。
今こうして此処に居られるのは、生きていられるのは、夕が居たから。必ず会えると信じて、ずっと探し続けていた。ずっと待ち続けていた。夕は、あの頃と何も変わらず、とても優しかった。
その優しが、自分だけに向けられたらいいのに。俺だけを見てくれたらいいのに。
素直に「好きだ」と伝える事が出来たなら……
立場も、身分も、何もかも捨て去って、ユウだけを奪う事が出来たなら……
そこまで考えて、ユリウスは深い溜め息を吐いた。
「そんな事をしたら、きっと嫌われてしまう」
力なく笑って、ユリウスは小さく呟いた。
国を治める自分が仕事を放棄したら、役目を果たさなかったら、この国はどうなる? 民達はどうなる? 自分の欲の為に、全てを犠牲にすると言えば、ユウだけでなく、クラウスにも説教を受けるだろう。
「こんなに、近いのに……」
ひどく、遠い。
愛おしいのに、切なくなる感情を見て見ぬフリをして、ユリウスはベッドに横になる。夕を起こさないようにそっと抱き寄せ、ユリウスはゆっくりと目を閉じた。
「今だけは……」
続きは言葉に出さず、夕を強く抱き締め、ユリウスも深い眠りに就く。思っていたよりも身心共に疲れていたらしく、ユリウスは目を閉じて直ぐに意識を手放した。
普段なら、どんな些細な音でも目を覚ますが、半日以上経っても、ユリウスが目を覚ます事はなかった。
全て話そうと思って開いた口は、言葉を発することができず、引き止めようと伸ばした手は、夕に届かず、不自然な位置で停止する。
『お、俺は全く気にしてませんから!』
『寝ぼけてただけですよね? 俺と、ユリウス様を救った人と、間違えただけですよね?』
『だ、大丈夫ですよ! もし、その人に会っても、絶対に言いませんから!』
眠りから覚めたユリウスは、腕の中にずっと求めていた人が居る事に歓喜した。まだ眠る夕を見詰め、自然と笑みがこぼれる。幼い時から、助けられた時から、ユリウスはずっと夕を想い続けてきた。名前も知らない、何処に住んでいるかも分からない、何の情報も無い状態で、ユリウスは探し続けた。自分を救ってくれた人を。初めて、自分を認めてくれた人を。
何年も、何年も探し続けて、何時か必ず会えると信じて、漸く再会を果たす事が出来た。やっと、見付ける事ができた。再会できた喜びと、直ぐ傍に想い人が居る安心感で、ユリウスは泣きそうになるのを必死に耐えた。
夕は、ユリウスの事を覚えておらず、少しだけがっかりしたが、それでも、夕が傍に居る現実が嬉しくて、その時は「何時か本当の事を話せばいい」と「何時か気付いてくれる」と、そう思っていた。
しかし、夕が気付く事はなかった。幼い子どもを助けた事は覚えているようだが、助けた子どもはユリウスではなく、他の子どもだと思い込んでいるようだった。
誤解を解く為に、何度も夕に話そうとして結局話せぬまま、時間だけが過ぎていった。夕に本当の事を話そうとする度に、優先すべき仕事や事件に追われ、話す暇もなかった。
けれど、今なら……
話せると思った。リベルテとの仲も戻りつつある今なら。
『神子様なら、私の弟を、シンジュを生き返らせる事が出来るの。シンジュだけじゃない。貴方の心も、貴方の弟も、救ってくれる』
「あの方の、言った通りだ」
夕と鈴がこの世界に来て、ずっと止まっていた時間が動き出したような気がした。二人が居なかったら、リベルテと和解する事は叶わなかっただろう。一度失ってしまったシンジュの命を、蘇らせる事も出来なかった。
この世界でも、死者を蘇らせる方法は無い。しかし、二人はその不可能を可能にした。奇跡を起こしてくれた。あの方が言った通り、俺だけではなく、大事な弟達も救ってくれた。
「貴方が、居なければ……」
たった一人の弟を、失っていたかもしれない。
治癒の光。それは、月夜に生まれた、ある者のみが持つ特殊な力。しかし、その力を使う為には条件がある。今まで、ユリウスが使う事が出来なかった治癒の光。
それが突然使えるようになったのは、やはり夕が……
「夜の、神子」
夜の神子。それは、この世界に必要不可欠な存在。神子が居なければ、この世界は滅んでしまうと言い伝えられている程、とても重要な存在。
もし、ユウが神子の一人なら……
ユウが、夜の神子なら……
ユリウスは、夕を護る為の力を得ると同時に、夕と共に生きる事も可能となる。
そうであってほしい。密かに願いながら、ユリウスは夕を抱き締めていた腕をそっと離し、ゆっくりと起き上がる。眠る夕に覆いかぶさるように体勢を変え、頬に手を添える。
「ユウ……」
駄目だと分かっていても、感情を抑えることは出来なかった。目の前に、好きな人が居るのだ。ずっと、待ち望んでいた愛おしい人が……
ゆっくりと顔を近付け、後少しで唇が触れそうになった時、夕が目を覚ました。ぼやけた視界がユリウスを映すと、夕は急に飛び起きた。
顔を真っ赤にして色々叫んだ後、急いでベッドから降り、慌てて部屋から出て行ってしまった。夕が目覚めて良かったような、少し残念なような、複雑な気持ちを抱いたまま、ユリウスは「また、言いそびれてしまった」と呟き、深い溜め息を吐いた。
リベルテが自室に戻ると、急にシンジュに抱きつかれ、夕から貰ったアップルパイを落としそうになる。「リベルさま」と、嬉しそうに名前を呼ぶシンジュが可愛くて、愛おしくて、リベルテはシンジュを抱き締めた。
「悪かったな。一人にさせちまって」
「平気、です」
「そうか。足、痛くないのか?」
「はい。痛くないです」
「本当に?」
「本当です」
ふわりと、柔らかく微笑むシンジュに、リベルテも自然と笑みがこぼれる。好きな人の笑った顔は、やっぱり可愛い。昔は泣いてばかりいた。何かに怯えて、泣いて、体を小さくして「許して」と訴えていた。あんなシンジュの姿は、もう見たくない。
「やっぱり、笑ってる方が可愛いな」
「ひゃ!?」
赤く染まる頬。大きく見開かれた水色の瞳。戸惑いながら見上げる表情は、言葉では言い表せない程可愛くて、愛おしさが募る。リベルテが「可愛い」と何度も言うと、シンジュは顔を赤くしたまま「言わないで、ください」と弱々しく訴えた。
「悪い。お前が笑ってるのが嬉しくてさ」
「リベルさま」
シンジュの目元にタオルを押し当てる。ヒヤリと、冷たさを感じ、一瞬だけ体を離そうとする。
「暫く押し当ててた方がいい。少しはマシになるだろ?」
タオルをシンジュに持たせ、リベルテはシンジュを抱き上げ、ベッドへ優しく下ろした。タオルを目元に押し当てたまま、シンジュはリベルテを見詰め「リベルさま?」と名前を呼ぶ。シンジュの頭を撫で、リベルテは「お茶、用意するから少しだけ待っててくれ」と言った後、部屋の奥へ行ってしまった。
それから、十分も経たない内にリベルテは戻ってきた。
「甘いもの、好きだったよな?」
「甘いもの?」
「ユウから貰ったんだ。『二人で食べてくれ』って」
「ユウ?」
「あぁ。明日、紹介する。良い奴なんだ。お前を蘇らせる為に、必死に動いてくれたんだ。ユウだけじゃない。スズもお前の為に動いてくれてたんだ。二人が居なかったら、きっと何も変わらなかった。明日、二人を紹介する時に詳しく説明するから、アップルパイ、食べようぜ」
アップルパイの乗った皿をシンジュに渡し、リベルテはティーカップにお茶を注いだ。
「…………」
ふわりと香る林檎の甘い匂い。程よく焼き色のついたパイ生地に、とろりと溢れる煮詰められた林檎の果汁。食べたい気持ちを抑え、シンジュはアップルパイを見詰めた。
リベルさま、とても嬉しそうだった。
リベルさまは、ユウって人の事が……
「食べないのか?」
「え?」
ユウの事を考えているとリベルテに声を掛けられ、咄嗟に顔を上げる。一口も食べていないアップルパイに目を向け、リベルテはシンジュに渡した皿を手に持った。
「リベルさま?」
「ほら」
フォークでアップルパイを切り分け、一口サイズにするとフォークで掬い、シンジュの口元へ運んだ。突然の事で、シンジュは顔を赤くしてリベルテとアップルパイを交互に見る。
「お腹、空いてないのか?」
「えっと、それは……その……」
口籠るシンジュに、「若しかして、嫌いなのか?」と聞くと、「す、好きですっ!」とシンジュは即答した。「なら、食べようぜ」とリベルテに言われ、シンジュは恐る恐る口を開け、アップルパイを口にした。
「ん!?」
サクサクとした表面の生地。中の生地はしっとりとして柔らかく、甘く煮詰められた林檎のシロップと絡み合い、程よい甘さが口の中に広がる。
「おい、しい」
自然と、口に出していた。それだけ、リベルテが持ってきたアップルパイは美味しかった。
「気に入ったみたいだな」
「はい! リベルさま、すごく美味しいです!」
嬉しそうに笑うシンジュ。こんな風に心から笑ってくれる事が、リベルテはとても嬉しかった。
やっぱり、シンジュは笑ってる方がいいな。
心の中でそう呟きながら、リベルテはアップルパイをシンジュに食べさせた。何度も「自分で食べられます」とシンジュが訴えても、リベルテは話を態と逸らして、アップルパイを乗せたフォークをシンジュの口元へ運んだ。その度にシンジュは顔を赤くして恥ずかしそうにアップルパイを口にする。
その表情が可愛くて可愛くて、リベルテはずっとニコニコしながらシンジュの可愛らしい表情を堪能した。恥ずかしいけれど、シンジュもリベルテに甘えられるのが嬉しくて、優しく微笑むリベルテが大好きで、気が付くと二人してクスクスと笑い合っていた。
シンジュが蘇った直後、突然夕が倒れてしまった。リベルテが刺され、鈴も深い眠りに就き、気が気ではなかった筈なのに、夕は何時も笑って「平気です」と言っていた。
リベルテが刺された時、夕は誰よりも彼を心配した。リベルテが医務室に運ばれて直ぐに、鈴も倒れた。そんな状況でも、心配そうな表情をしていても、夕は笑っていた。
本人は平気と言っていたが、やはり無理をしていたのだと、夕が倒れた時にユリウスは漸く気付いた。床に体を打ち付ける前に夕を抱き留める。ずっと、気を張っていたのだろう。
リベルテと少しだけ話した後、ユリウスは夕を抱き上げて自室へと戻った。ベッドに夕を寝かせ、上着を脱ぎ、ラフな服に着替える。結っていた髪紐を解き、ユリウスは眠る夕の髪にそっと触れた。
「ユウ……」
近くに居れば居る程、感情を抑えられなくなる。クラウスから何度も「弱味を見せるな」と言われていたのに。夕の前では、上手く感情を隠せない。無表情を保っていられない。
それ程、ユリウスは夕に心を許していた。他人の前で、ユリウスが表情を崩す事はない。心を動かされる事もない。それが普通だった。それが当たり前だった。
けれど、夕の前では、どうしても弱くなってしまう。甘えてしまう。
『産まれてきてくれて、ありがとう』
『お前は、生きてても良いんだ』
この言葉に、何度救われたか分からない。弱音を吐きそうになった時、何もかも投げ出したくなった時、諦めそうになった時、周囲から敵意を向けられた時、何時もユリウスを救ったのは、夕の優しい言葉だった。
今こうして此処に居られるのは、生きていられるのは、夕が居たから。必ず会えると信じて、ずっと探し続けていた。ずっと待ち続けていた。夕は、あの頃と何も変わらず、とても優しかった。
その優しが、自分だけに向けられたらいいのに。俺だけを見てくれたらいいのに。
素直に「好きだ」と伝える事が出来たなら……
立場も、身分も、何もかも捨て去って、ユウだけを奪う事が出来たなら……
そこまで考えて、ユリウスは深い溜め息を吐いた。
「そんな事をしたら、きっと嫌われてしまう」
力なく笑って、ユリウスは小さく呟いた。
国を治める自分が仕事を放棄したら、役目を果たさなかったら、この国はどうなる? 民達はどうなる? 自分の欲の為に、全てを犠牲にすると言えば、ユウだけでなく、クラウスにも説教を受けるだろう。
「こんなに、近いのに……」
ひどく、遠い。
愛おしいのに、切なくなる感情を見て見ぬフリをして、ユリウスはベッドに横になる。夕を起こさないようにそっと抱き寄せ、ユリウスはゆっくりと目を閉じた。
「今だけは……」
続きは言葉に出さず、夕を強く抱き締め、ユリウスも深い眠りに就く。思っていたよりも身心共に疲れていたらしく、ユリウスは目を閉じて直ぐに意識を手放した。
普段なら、どんな些細な音でも目を覚ますが、半日以上経っても、ユリウスが目を覚ます事はなかった。
全て話そうと思って開いた口は、言葉を発することができず、引き止めようと伸ばした手は、夕に届かず、不自然な位置で停止する。
『お、俺は全く気にしてませんから!』
『寝ぼけてただけですよね? 俺と、ユリウス様を救った人と、間違えただけですよね?』
『だ、大丈夫ですよ! もし、その人に会っても、絶対に言いませんから!』
眠りから覚めたユリウスは、腕の中にずっと求めていた人が居る事に歓喜した。まだ眠る夕を見詰め、自然と笑みがこぼれる。幼い時から、助けられた時から、ユリウスはずっと夕を想い続けてきた。名前も知らない、何処に住んでいるかも分からない、何の情報も無い状態で、ユリウスは探し続けた。自分を救ってくれた人を。初めて、自分を認めてくれた人を。
何年も、何年も探し続けて、何時か必ず会えると信じて、漸く再会を果たす事が出来た。やっと、見付ける事ができた。再会できた喜びと、直ぐ傍に想い人が居る安心感で、ユリウスは泣きそうになるのを必死に耐えた。
夕は、ユリウスの事を覚えておらず、少しだけがっかりしたが、それでも、夕が傍に居る現実が嬉しくて、その時は「何時か本当の事を話せばいい」と「何時か気付いてくれる」と、そう思っていた。
しかし、夕が気付く事はなかった。幼い子どもを助けた事は覚えているようだが、助けた子どもはユリウスではなく、他の子どもだと思い込んでいるようだった。
誤解を解く為に、何度も夕に話そうとして結局話せぬまま、時間だけが過ぎていった。夕に本当の事を話そうとする度に、優先すべき仕事や事件に追われ、話す暇もなかった。
けれど、今なら……
話せると思った。リベルテとの仲も戻りつつある今なら。
『神子様なら、私の弟を、シンジュを生き返らせる事が出来るの。シンジュだけじゃない。貴方の心も、貴方の弟も、救ってくれる』
「あの方の、言った通りだ」
夕と鈴がこの世界に来て、ずっと止まっていた時間が動き出したような気がした。二人が居なかったら、リベルテと和解する事は叶わなかっただろう。一度失ってしまったシンジュの命を、蘇らせる事も出来なかった。
この世界でも、死者を蘇らせる方法は無い。しかし、二人はその不可能を可能にした。奇跡を起こしてくれた。あの方が言った通り、俺だけではなく、大事な弟達も救ってくれた。
「貴方が、居なければ……」
たった一人の弟を、失っていたかもしれない。
治癒の光。それは、月夜に生まれた、ある者のみが持つ特殊な力。しかし、その力を使う為には条件がある。今まで、ユリウスが使う事が出来なかった治癒の光。
それが突然使えるようになったのは、やはり夕が……
「夜の、神子」
夜の神子。それは、この世界に必要不可欠な存在。神子が居なければ、この世界は滅んでしまうと言い伝えられている程、とても重要な存在。
もし、ユウが神子の一人なら……
ユウが、夜の神子なら……
ユリウスは、夕を護る為の力を得ると同時に、夕と共に生きる事も可能となる。
そうであってほしい。密かに願いながら、ユリウスは夕を抱き締めていた腕をそっと離し、ゆっくりと起き上がる。眠る夕に覆いかぶさるように体勢を変え、頬に手を添える。
「ユウ……」
駄目だと分かっていても、感情を抑えることは出来なかった。目の前に、好きな人が居るのだ。ずっと、待ち望んでいた愛おしい人が……
ゆっくりと顔を近付け、後少しで唇が触れそうになった時、夕が目を覚ました。ぼやけた視界がユリウスを映すと、夕は急に飛び起きた。
顔を真っ赤にして色々叫んだ後、急いでベッドから降り、慌てて部屋から出て行ってしまった。夕が目覚めて良かったような、少し残念なような、複雑な気持ちを抱いたまま、ユリウスは「また、言いそびれてしまった」と呟き、深い溜め息を吐いた。
リベルテが自室に戻ると、急にシンジュに抱きつかれ、夕から貰ったアップルパイを落としそうになる。「リベルさま」と、嬉しそうに名前を呼ぶシンジュが可愛くて、愛おしくて、リベルテはシンジュを抱き締めた。
「悪かったな。一人にさせちまって」
「平気、です」
「そうか。足、痛くないのか?」
「はい。痛くないです」
「本当に?」
「本当です」
ふわりと、柔らかく微笑むシンジュに、リベルテも自然と笑みがこぼれる。好きな人の笑った顔は、やっぱり可愛い。昔は泣いてばかりいた。何かに怯えて、泣いて、体を小さくして「許して」と訴えていた。あんなシンジュの姿は、もう見たくない。
「やっぱり、笑ってる方が可愛いな」
「ひゃ!?」
赤く染まる頬。大きく見開かれた水色の瞳。戸惑いながら見上げる表情は、言葉では言い表せない程可愛くて、愛おしさが募る。リベルテが「可愛い」と何度も言うと、シンジュは顔を赤くしたまま「言わないで、ください」と弱々しく訴えた。
「悪い。お前が笑ってるのが嬉しくてさ」
「リベルさま」
シンジュの目元にタオルを押し当てる。ヒヤリと、冷たさを感じ、一瞬だけ体を離そうとする。
「暫く押し当ててた方がいい。少しはマシになるだろ?」
タオルをシンジュに持たせ、リベルテはシンジュを抱き上げ、ベッドへ優しく下ろした。タオルを目元に押し当てたまま、シンジュはリベルテを見詰め「リベルさま?」と名前を呼ぶ。シンジュの頭を撫で、リベルテは「お茶、用意するから少しだけ待っててくれ」と言った後、部屋の奥へ行ってしまった。
それから、十分も経たない内にリベルテは戻ってきた。
「甘いもの、好きだったよな?」
「甘いもの?」
「ユウから貰ったんだ。『二人で食べてくれ』って」
「ユウ?」
「あぁ。明日、紹介する。良い奴なんだ。お前を蘇らせる為に、必死に動いてくれたんだ。ユウだけじゃない。スズもお前の為に動いてくれてたんだ。二人が居なかったら、きっと何も変わらなかった。明日、二人を紹介する時に詳しく説明するから、アップルパイ、食べようぜ」
アップルパイの乗った皿をシンジュに渡し、リベルテはティーカップにお茶を注いだ。
「…………」
ふわりと香る林檎の甘い匂い。程よく焼き色のついたパイ生地に、とろりと溢れる煮詰められた林檎の果汁。食べたい気持ちを抑え、シンジュはアップルパイを見詰めた。
リベルさま、とても嬉しそうだった。
リベルさまは、ユウって人の事が……
「食べないのか?」
「え?」
ユウの事を考えているとリベルテに声を掛けられ、咄嗟に顔を上げる。一口も食べていないアップルパイに目を向け、リベルテはシンジュに渡した皿を手に持った。
「リベルさま?」
「ほら」
フォークでアップルパイを切り分け、一口サイズにするとフォークで掬い、シンジュの口元へ運んだ。突然の事で、シンジュは顔を赤くしてリベルテとアップルパイを交互に見る。
「お腹、空いてないのか?」
「えっと、それは……その……」
口籠るシンジュに、「若しかして、嫌いなのか?」と聞くと、「す、好きですっ!」とシンジュは即答した。「なら、食べようぜ」とリベルテに言われ、シンジュは恐る恐る口を開け、アップルパイを口にした。
「ん!?」
サクサクとした表面の生地。中の生地はしっとりとして柔らかく、甘く煮詰められた林檎のシロップと絡み合い、程よい甘さが口の中に広がる。
「おい、しい」
自然と、口に出していた。それだけ、リベルテが持ってきたアップルパイは美味しかった。
「気に入ったみたいだな」
「はい! リベルさま、すごく美味しいです!」
嬉しそうに笑うシンジュ。こんな風に心から笑ってくれる事が、リベルテはとても嬉しかった。
やっぱり、シンジュは笑ってる方がいいな。
心の中でそう呟きながら、リベルテはアップルパイをシンジュに食べさせた。何度も「自分で食べられます」とシンジュが訴えても、リベルテは話を態と逸らして、アップルパイを乗せたフォークをシンジュの口元へ運んだ。その度にシンジュは顔を赤くして恥ずかしそうにアップルパイを口にする。
その表情が可愛くて可愛くて、リベルテはずっとニコニコしながらシンジュの可愛らしい表情を堪能した。恥ずかしいけれど、シンジュもリベルテに甘えられるのが嬉しくて、優しく微笑むリベルテが大好きで、気が付くと二人してクスクスと笑い合っていた。
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