神子のおまけの脇役平凡、異世界でもアップルパイを焼く

トキ

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第2章

蘇る命

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 穏やかな海の波の音。淡く夜を照らす満月。海を一望出来る小高い丘に、小さく踞る人影。

ごめん……な、さい……

 ナイフを両手で握り、高く掲げる少年。咄嗟に駆け出し、手を伸ばしても、その手が届く事はなく……

 刃物が肉を突き刺す音と、悲痛な顔をして謝り続ける少年の姿だけが、今でも忘れられない。

 また、助けられなかった。また、不幸にしてしまった。助けられたかもしれない命を。大事な弟の最愛の人を、何も出来ず、死なせてしまった。

『何をしても、私の弟は死んでしまうわ』

 あの人の言った通りになってしまった。結局、誰も救えなかった。

『でも、それは貴方のせいじゃないわ。どう足掻いても、私の弟は死んでしまうの』

 そう言って、柔らかく微笑む彼女も、この世を去ってしまった。人魚から人間になり、何もかもを犠牲にしてでも、弟の命を救うと言った彼女が現状を見たら、どう思うだろう。

『そう遠くない未来、神子様が現れるわ。神子様なら、私の弟を、シンジュを生き返らせる事が出来るの。シンジュだけじゃない。貴方の心も、貴方の弟も、救ってくれる。だから、だから、お願い。私じゃ、シンジュを護れないから。シンジュと一緒に生きられないから。シンジュを独りにしてしまうから。私の代わりに、貴方が、貴方達が、シンジュを幸せにして。シンジュに、いろんな世界を見せてあげて。シンジュが笑って生きられるなら、愛しい人と共に生きられるなら、私はこの命を投げ捨てても構わないわ』

 強い人だと思った。自分の弟を救う為なら、何でも出来ると言う彼女が、酷く眩しい存在だと思う程に。彼女が、弟と共に過ごせる日々が来れば良い、と密かに願っていた。それなのに、彼女は亡くなってしまった。

 彼女が死ぬとは、夢にも思っていなかった。死を覚悟したような、自分の死を予測しているような言動はあったが、きっと何かの間違いだと自分に言い聞かせていた。けれど、彼女は死んでしまった。死なせてしまった。

 救える場所に居たのに。手を伸ばせば、直ぐ届く場所に居たにも関わらず、結局救えなかった。

 ならば、せめて彼女の願いだけでもと思い、彼女の弟は死なせないと決意したのに。結局、死なせてしまった。

「まだ、話す気にはならないのですか?」
「…………」

 今までの事を思い出していると、クラウスに声を掛けられ、ユリウスは無表情のままクラウスに視線を向ける。

「殺してないのでしょう?」

 そう問うクラウスに、ユリウスは表情を変える事なく、口を開いた。

「何度聞いても同じだ。殺してなくとも、救えなければ殺したも同然だ」
「私にも、本当のことは話してくださらないのですね」
「お前が言ったんだろう。『誰が敵になろうとも、誰かが死のうとも、決して弱味を見せるな』と」

 だから、弱味を見せない為に、無表情を作った。誰が敵になろうとも、動揺しないよう、冷静な判断が出来るよう、必死に努力し続けてきた。誰にも頼らず、誰にも助けを求めず、ただ、言われた事だけを忠実にやるだけの日々。

「ユリ『ユリウス様!』」

 二人が真剣な話をしていると、突然扉がバンッと開き、夕がリベルテの手を引いて部屋の中へ入って来た。大きな声でユリウスの名前を呼ぶ夕。何故かは分からないが、夕はとても嬉しそうな表情をして、ユリウスを見ている。

「シンジュを、蘇らせて下さい! お願いします!」
「「は?」」

 深々と頭を下げる夕に、二人は目を丸くして夕を凝視する。一瞬、何を言っているのか理解出来ず、ユリウスとクラウスは困惑した表情をして、リベルテに視線を向けた。

 シンジュを蘇らせてほしい。

 夕に無茶なお願いをされ、二人は顔を見合わせ、「それは無理だ」と夕に伝えた。死者は蘇らない。どんな魔法を使おうとも、死者を蘇らせる事は不可能。そう伝えると、夕はリベルテが持っている青い本に視線を向け、口を開いた。

「出来るんです。ユリウス様とリベルが居れば……」

 言いながら、夕は紙切れをユリウスに渡す。「この紙に、方法が書かれています」と伝えるとユリウスは紙に目を通し、目を見開いた。

「シンジュは、死んでません。生きてるんです。海の宝玉になってしまったけど、ちゃんと、生きてるんです」
「…………」

 夕の言葉を聞き、ユリウスはリベルテに視線を向ける。リベルテはユリウスから視線を逸らし、複雑な表情をして俯いた。視線を掌に向け、しばらく見詰めた後、リベルテは顔を上げ、ユリウスを見据えた。

「謝っても許されない事は分かってる。自分に取って都合の良い話だと言う事も理解してる。俺がアンタに頼む権利なんてない事も、最初から分かってる。それだけの事を、俺は今迄してきたんだ」
「…………」
「嫌なら断ってくれて構わない。後、今迄、ごめん」

 深々と頭を下げるリベルテに、ユリウスはゆっくりと近づき、背中に手を添える。「謝らなくて良い」とユリウスが言うと、リベルテは顔を上げ、ユリウスを凝視する。

「俺の方そこ、悪かった。俺は、最初からシンジュが死ぬ事を知っていた。一度目は、誰もシンジュを救う事は出来ない。シンジュは、人魚族に殺される、と。知っていて、お前に話さなかった。話せなかった。救えると、思っていたんだ。シンジュだけは、死なせないと。必ずお前と幸せになれると、信じていた」
「…………」
「信じていたのに、シンジュを死なせてしまった。救える場所に居たのに。手を伸ばせば、届く場所に居たのに……俺は、シンジュを救えなかった。救えなければ、殺したも同然だ。だから、俺はお前に『殺した』と言った。お前に本当の事を話せば、シンジュを追って、お前まで失ってしまうかもしれないと思うと、急に怖くなった。憎まれても構わない、許さなくて構わない。お前が、生きてくれるなら、お前に憎まれたままでも、良かったんだ」
「……………」
「俺は、何をすれば良い?」

 ユリウスの発言にリベルテは驚き、目を見開いた。ユリウスは、協力してくれないと思っていた。今迄ずっと、酷い言葉を浴びせてきた。ずっとユリウスだけを責め、憎み続けてきた。それなのに、ユリウスはリベルテを責めなかった。

「手を、貸して頂けるのですか?」

 泣きそうになるのを耐え、震える声でリベルテが問うと、ユリウスは優しく微笑んだ。

「シンジュを救えなかった償いをさせてくれ」

「っ」

 ユリウスの言葉に、リベルテはその場に崩れ落ち、涙を流した。何度も謝罪の言葉を述べ、掠れた声で、「ありがとう」と言った。





「本当に、良かったのか?」
「何が?」
「スズがあんな状態で、シンジュを蘇らせても良いのかと思って」

 夕は「あぁ」と言って、リベルテを見る。

「気にしねぇよ。鈴が起きてたら、きっとこう言う筈だぜ。『さっさと蘇らせろ』ってな」
「本当か?」
「あぁ。鈴が起きるのを待ってからシンジュを蘇らせるって言ったら、きっと殴られるぜ。『条件が揃ってんだから、今すぐやれ!』てな」
「…………」
「それに、鈴の所にはクラウスさんが居るから大丈夫だろう。お前はシンジュを蘇らせる事だけに専念すればいい」
「……そう、だな」

 ユリウスが協力してくれると言った後、クラウスが笑顔で言った。「早速準備してください」と。「スズ様は私に任せて下さい」と。最初は戸惑ったが、夕もクラウスに賛成し、日が沈むまでに夕とリベルテとユリウスで準備をする事になった。

 クラウスから「神殿が最適でしょう」と言われ、三人は神殿へ移動し、シンジュを蘇らせる為の準備をした。神殿の中央にある大きな白い器に、夕は海水を注ぐ。鈴から貰った小さな小瓶には特殊な魔法が掛けられているのか、器の大きさ以上の量の海水が器を満たしてゆく。数分もすれば、器の中は海水で満たされ、夕はリベルテの名前を呼んだ。

「海の宝玉を、この中に……」
「あぁ」

 一歩、一歩、ゆっくりと器へと進み、器の前まで来るとリベルテは立ち止まる。海の宝玉を見詰め、両手で包み込むように握ると、彼は目を閉じ「戻ってきてくれ」と心の中で願った。そして、海水で満たされている器の中に海の宝玉をそっと入れた。

「そろそろ日が暮れる」

 ユリウスに言われ、リベルテと夕は空を見る。何時の間にか、夕暮れになっていた。

「日が沈みきったら、始めるぞ」

 二人は「はい」と返事をした。準備も整い、何もする事がなくなった夕は、ユリウスに近寄り、口を開いた。

「俺、此処に居ても出来る事はもうないし、鈴の所に戻ります」

 そう言って神殿から去ろうとした時、ユリウスが「待ってくれ」と言い、夕の手を掴む。慌てたような声に夕は足を止め、ユリウスを見た。

「貴方が居なければ、私は力を使う事が出来ない。シンジュを蘇らせる間、私の傍に、居てほしい」
「ユリウス、様?」

 夕の手を握る手は、少し震えていた。不安に揺れる瞳、放っておけば、泣いてしまいそうな表情を、ユリウスはしていた。自分に出来る事は何もない。けれど、不安そうな表情をするユリウスを放っておけず、夕はそっと微笑んだ。

「分かりました。何も出来ないかもしれないけど、ユリウス様の傍に居ます」

 そう伝えた瞬間、ユリウスに強く抱き締められる。突然の事で頭が着いて行かず、夕は戸惑う事しか出来ない。「よかった」と「ありがとう」と、安心したような声で呟くユリウスに、夕は何も言葉を返せず、そっと腕を背中に回し、ユリウスを抱き返す事しか出来なかった。




 太陽が沈み、オレンジ色の空から薄紫色の空に。薄紫色から黒に。昼から夜に変わり、満天の星が空を飾る。

「日が沈んだ。ユウ、兄上、そろそろ」

 リベルテの言葉に、二人はコクリと頷いた。星の光が照らす中、ユリウスは器に手を翳し、目を閉じる。暫くするとユリウスの手が淡く光り、青い光が海水を照らした。

「リベル」
「あぁ」

 夕に名前を呼ばれ、リベルテは心を落ち着かせ、目を閉じる。シンジュが蘇る事だけを願い、祈りを捧げた。

 今が何時なのか、どれだけ時間が経ったのか、それは分からない。ユリウスは光を器に注ぐ事に集中し、リベルテも祈りを捧げる事に集中している。二人の為に出来る事を考えても、夕は何をすればいいか分からず、ただ見守る事しか出来ない。

 それでも何かしたくて、夕はユリウスに近付き、空いている手に触れ、そっと握った。夕の行動にユリウスは一瞬だけ驚き、彼を見る。夕がユリウスに優しく微笑むと安心したような表情をして、ユリウスは器を照らす事に専念した。

 気が付けば、空が白み始めていた。真っ暗だった神殿の中が薄っすらと明るくなり、三人は夜明けが来たと知る。しかし、何の変化も起きず三人は器を見守るように見詰める。ゆっくりと太陽が昇るに連れ、神殿の中も明るくなって行く。朝日が昇り始めても、変化はなかった。

「やっぱり、無理だったんだよ」

 器から視線を逸らし、リベルテは小さく呟いた。きっと成功すると信じていた分、何も起こらなかった現実を目の当たりにして酷く落ち込んだ。

「リベル……」
「シンジュに、会えると思ってた。信じれば、奇跡が起きると思ってた。でも、シンジュは蘇らなかった。これが、現実なんだ……」

 諦めたような表情をして、リベルテは力なく笑う。無理矢理笑顔を作って、夕とユリウスに頭を下げた。

「折角協力してくれたのに、悪いな」

 二人に謝罪すると、リベルテは背を向け、神殿から去ろうとした。夕が慌ててリベルテを呼び止めようとした時、朝日の光が神殿の中を照らす。その瞬間、器の中が淡く光り、変化に気付いた時には眩しい程の強い光に包まれた。

 目を開けられない程の強い光に、三人は咄嗟に目を閉じる。ゆっくりと目を開き器を見ると、強い光の正体が海の宝玉だと知る。宝玉がゆっくりと浮上し、貝殻の形が変わって行く。そして、段々光が弱まると、突然リベルテが「シンジュ!」と叫び、駆け出した。

 光が完全に消え去ると、強い光を放っていた場所に淡い青色の髪をした小柄な少年が倒れていた。そっと少年を抱き上げ、リベルテは少年の胸に耳を押し当てる。

 トクン、トクン。

「っ!」

 心臓が動く音を聞き、少年の胸が上下に動いている事を確認すると、リベルテは少年を強く抱き締めた。

「生きてる。ちゃんと、生きてる。やっと、会えた。取り戻せた。シンジュ……」

 少年を強く抱き締めたまま、リベルテは何度も「良かった」と言って涙を流し続けた。
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