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第1章

浜辺での出会い1

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 晴れ渡る青い空。風に流される白い雲。水底が見えるほど澄んだ綺麗な海。浜辺に寄せては返す波の音が心地いい。

 筈なのに、自然が生み出した絶景を楽しむ暇も無く、夕は見知らぬ男に押し倒され、首元に剣を突き付けられていた。

 太陽の光を反射し、きらきらと輝く金色の髪。青とも翠とも言える、海の色を閉じ込めたような瞳。童話に出て来る王子様が具現化したような端正な顔立ち。雰囲気は違えど、男の容姿はどことなくユリウスに似ており、思わず夕は見詰めてしまう。

 男は夕を睨み付けたまま、不機嫌そうに口を開く。

「お前、誰だ?」

 低い声で問われ、夕は恐怖に耐えつつ、涙目になりながら事の経緯を説明した。

 鈴はユリウスの婚約者になって以来、好奇の目に晒され、かなり気が滅入っていた。周りから「神子様」と持て囃され、ユリウスの婚約者になったと噂されるようになってからは更に酷く、周りの注目を浴び、疲れ果てていた。

 何処へ行っても多くの人々に囲まれ、行く先々で必要以上に絡まれ、鈴はずっと猫を被った状態なのだ。気の休まる時間が全くなく、疲労は蓄積されて行くばかり。

 そんな時、この世界にも海が有ると知り、夕は海への行き方を使用人に教えてもらい、気分転換に海を見に行こうと鈴を誘って海へ向かった。余程一人の時間が欲しかったのか、鈴は浜辺に着いて早々「一人にしてくれ」と言う。

「直ぐ戻って来る」と伝え、鈴は夕を残して一人で何処かへ行ってしまった。鈴の後を追おうとした時、突然誰かに押し倒され、冒頭に戻る。

 話を聞き終えた男は、ゆっくりと夕の首元に突き付けていた剣を戻し、夕の上から離れる。命の危機を逃れた夕はホッと胸を撫で下ろし、心を落ち着かせる為深呼吸をする。

 サァッと吹き抜ける風が気持ち良く、改めて見る海はそれはそれは見事なもので……

 夕が「綺麗な場所ですね」と言うと、男は視線を海に向けたまま「あぁ」と短い感想を述べる。

 夕には一切視線を向けず、男は黙ったまま海を眺め続ける。同じ場所を眺め続ける男に疑問を抱き、夕も男が見ている場所へ視線を向ける。特に変わったものは何も無く、何処までも続く水平線と、綺麗な海と、岩場や遠くに島が見える、美しい海の光景。

 見詰める先に何かあるのか、夕が聞こうと視線を海から男へ戻した時、男の顔を見て固まってしまう。

 切なさと悲しさを含んだ男の表情を見て、夕は何も言えなくなった。

「シンジュ……」

 呟かれた言葉もやはり切なく、何故か胸を締め付けられるような苦しさを感じ、夕は男に何も聞けないまま、海を眺める事しか出来なかった。




 波が寄せては返す水の音を聞きながら、鈴は人気の無い岩場まで来ると腰を下ろし、深い溜息を吐いた。ユリウスの婚約者と噂されるようになってからと言うもの、心休まる時間が無くなってしまった。

 使用人から、兵士から、神官から、城の者達からの視線を一斉に浴び、常に誰かが鈴に話し掛けて来る為、ずっと猫を被った状態が続き、疲れから深い溜息を吐く。

「『可憐で心優しいオヒメサマ』か」

 城の者達は鈴を神子だと信じ切っている。鈴が何度も「神子かどうか分からない」と言っても、周囲は笑いながら「スズ様は間違い無く神子様です」やら「スズ様は控えめな性格なのですね」やら、鈴が神子である事前提で話を進める。

 ユリウスの婚約者の噂が広がり、誰が言い出したかは知らないが、猫を被った鈴の事を「可憐で心優しいお姫様」と言われるようになった。素の自分と周りが求める猫を被った自分の人格を比べ、鼻で笑う。

 鈴は周囲が求める人格を演じているだけに過ぎない。素を出して良いなら鈴は迷わず本性を曝け出す。しかし、本性を晒せば周囲がどんな反応をするか知っているから、鈴は面倒ながらも猫を被り続けている。

 王族貴族に気に入られる為でも、ユリウスに気に入られる為でも無く、面倒事を避ける為に、鈴は周囲が求める「可憐で心優しいお姫様」を演じているだけ。

 誰も本当の鈴を求めない。周囲が求めるのは猫を被った鈴だけ。本性を曝け出せば、周囲は鈴を睨み付け「騙したな」と言って敵視するに違い無い。

 周囲の反応が手に取るように分かり、鈴は額に手を当て深い溜息を吐く。手を置いた時、何かがキラリと光る。額から手を遠ざけ、光る何かに視線を向ける。

 太陽の光を浴び、キラキラと輝く赤い宝石。その宝石は金色の金属の輪に嵌め込まれ、それは鈴の左手の薬指にピッタリと嵌っていた。手をゆっくりと動かすと、光の角度が変わり、綺麗な輝きを放つ。

 指に嵌め込まれた指輪を眺め、鈴は更に不機嫌な表情をし、大きく舌打ちをした。





「おや? 珍しい事もあるもんだねえ。こんな所に人間が居るなんて……」

 嗄れた声を聞き、鈴は咄嗟に顔を上げた。ザァッと海水が掛かり、鈴は顔を顰めるが、海を見て顔を真っ青にする。

 無意識の内に大分遠くまで来ていたらしく、鈴が座っていた岩場の下には砂浜は無く、海水が埋め尽くしていた。

 海には満潮と干潮が有る。その為、同じ浜辺や岩場でも干潮時にしか行けない場所が有り、満潮になると海水に浸ってしまい、足場が無くなる場合も有る。鈴が居たのは、干潮時にしか来れない場所だった。

 砂浜は見えるものの、波が少し荒い為、泳いで戻るのは困難。岩場でどうするか考えている間にも、海の水位はどんどん上昇して行く。

  足場が狭まって行き、鈴は命の危険を感じ、強く目を瞑った。その瞬間、強く腕を引っ張られる感覚がし、気付いた時には鈴は海の中へ引きずり込まれていた。

 もう、駄目だ。俺は、此処で死ぬんだ……

 鈴が死を覚悟した瞬間、水中から引き上げられる感覚がし、鈴の体は水面へと浮上する。海水を飲み込んでしまったせいで、酷く咳き込み、大きく空気を吸い込んだ。強く閉じていた瞳を開けると、何か黒い物体に跨っている事に鈴は気付く。

 黒い物体はゆっくりと水面を移動し、鈴を砂浜へと運んだ。砂浜まで来ると、黒い物体は大きく傾き、鈴を砂浜へ滑らせると海へと消えてしまった。

 全身ずぶ濡れの状態で、鈴は自分の身に何が起こったのか理解出来ない。

「助かって良かったね。ボウヤ」

 直ぐ近くで先程聞いた嗄れた声を聞き、鈴は声のした方へ視線を向ける。その瞬間、柔らかい何かが頭から覆いかぶさり、鈴は驚き、身構える。柔らかい何かを被せられた瞬間、海水で冷えた体が少しずつ温まるのを感じ、それがタオルだと鈴は知る。

「濡れたままだと人間は風邪を引くのだろう?有難く受け取りな」

 タオルを被ったままの状態で、鈴は声の主を見る。声の主の姿を見た瞬間、鈴は目を見開き、凝視した。

 縮れ、痛み切った白い髪。酷く濁った緑色の瞳。顔も体もシワだらけで、酷く痩せ細っている。声の主は誰が見ても「醜い」と言うような容姿をしていた。しかし、鈴が驚いたのは醜い容姿では無く、下半身が二本の足では無く、魚の鱗に覆われ、先端に尾鰭が付いていた事だ。

 目の色と同じように濁った色の鱗。鱗はボロボロに剥がれ落ち、尾鰭もボロボロで、本当に泳げるのか?と問いたくなる程、酷い有様だった。

「にん、ぎょ?」

 鈴が問うと、老人はヒヒッと不気味に笑い「ご名答」と言った。空想上の生き物が目の前に居る現実も信じられないが、鈴は目の前の老人が人魚だと言う事の方が信じられなかった。

 童話で有名な人魚は、美しい容姿をしており、声も容姿と同じく美しいと聞く。人魚の涙は真珠となり、人魚の血肉を食らえば不老不死になると言う言い伝えもある。

 しかし、目の前の老いた人魚は空想の美しい人魚とは程遠く、どちらかと言えば「海の魔女」の方がピッタリだと鈴は思った。鈴の心を読み取ったかのように、人魚は鈴を見て、不気味に笑う。

「ボウヤの考えは当たっているよ。ワタシは人魚だが、周囲から『深海の魔女』と呼ばれている」
「……魔女」
「命の恩人に対して失礼なボウヤだね」

 老いた人魚の言葉を聞き、鈴は漸く状況を把握する。あの岩場から砂浜迄鈴を運んだのが、目の前の人魚の仕業であると。鈴を助けた、命の恩人であると。そして、自ら「深海の魔女」と言った人魚が、タダで鈴を助けた訳ではないと……

「見返りは、何だ?」
「おや? 察しが良いね、ボウヤ」

 老いた人魚がヒヒッと笑い、鈴は警戒し少しだけ距離を取る。人魚は不気味に笑い、鈴との距離を詰めると、逃げようとする鈴の両手を掴む。鈴が暴れて逃げようとする前に、鈴は人魚に何かを握り込ませられてしまう。

「命を救った見返りを頂くよ。コレを誰にも奪われないように守っておくれ」

 人魚は「コレ」と言って鈴に握らせたモノに視線を落とす。

「とても大事な海の宝玉だ。人魚族が狙っている。老いたワタシでは守り切れない。だから、ボウヤ、ワタシの代わりに、海の宝玉を守っておくれ。時が、満ちるまで……それが、ワタシがボウヤから貰う見返りだよ」

 そう伝えると、老いた人魚は海へと消えてしまった。人魚に問い質す暇も、握らされた何かを突き返す暇も無かった。鈴は仕方無く、握らされた何かに視線を落とす。

 鈴が握っていたのは、片手で握れる程度の小さな貝殻だった。黒いペンキが塗られているのかと思う程、その貝殻は真っ黒に濁り汚れている。

『海の宝玉』

 人魚の言葉を思い出し、鈴は頭を抱え、大きく溜息を吐く。

 握らされた海の宝玉と呼ばれるコレが、唯の汚い貝殻ではないと鈴は直ぐに理解する。悪戯と言う言葉で片付けるには、余りにも話が壮大過ぎるのだ。あの老いた人魚が嘘を言っているとは思えず、人魚族が狙っている話も、恐らくは真実。

「また、面倒事を押し付けられた」

 息抜きをする為に海へ来たと言うのに、余計疲れる羽目になり、慌てた様子で駆け寄って来る夕の頭を、鈴は思いっきり殴り付けた。
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