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序章

不思議な夢

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 床一面に敷き詰められた高級そうな絨毯。繊細な模様の入った柱や窓枠。細部まで細かな装飾の施された高級そうな壺。気が付くと、夕は全く身に覚えのない場所に立っていた。

「ここ、何処?」

 さっきまで学校の寮に居た筈なのに……
 にしても豪華な建物だなぁ。
 あの彫刻とか売ったらどれ位になるんだろう。

 そんな事を考えていた時、夕の視界に何かが映り、それはどんどん大きくなる。避ける暇も無く、上から黒い物体が落ちて来て、夕は驚き「うわっ」と悲鳴を上げる。驚きつつも、しっかりと黒い物体を抱き留めてしまい、慌てて黒い物体から手を放し、距離を取る。

「び、ビックリした。ゆ、幽霊とかマジ勘べ……」

 「勘弁」と言おうとして、黒い物体から「うぅ」と呻き声が聞こえ、夕は少しずつ歩み寄り、黒い物体を観察する。夜で視界が悪く、最初は何か分からなかったが、近づいてよく見ると黒い布の端から人間の小さな手と足が伸びている事に気付く。

「子ども?」

 上から落ちて来た黒い物体は、黒い大きな布を被った子どもだった。夕がそっと触れようとした時、子どもは何も無い真っ暗な場所を見て、身体を震わせた。

「お、おい、どうしたんだ? お、お化けが怖いのか?」

 安心しろ、俺も怖い!

 ニッコリ、爽やかな笑顔で自分の肩をポンッと叩く夕に、子どもは震えながらも「はぁ」と深い溜息を吐く。自分を馬鹿にしたような子どもの態度に、夕は抗議しようと口を開こうとした。

「居たぞ!」
「忌々しいツキモノめ。大人しく我等に殺されろ!」

 子どもが見ていた場所から剣を持った兵士らしき男達が何人も現れ、夕と子どもを取り囲む。突然の事に頭が付いて行かず、夕は兵士達に聞こうとするも、彼等は問答無用で子どもに剣を振り下ろそうとした。

「あっぶねぇ」

 しかし、子どもが斬り殺される事はなかった。兵士に斬られる前に夕が子どもを抱き抱え、兵士達から距離を取ったからだ。

 子どもを守るように抱き締め、夕は兵士達を睨み付けた。「子ども相手に何してんだよ?」と告げるが、誰も夕の言葉には耳を貸さず、兵士達は顔を歪めた。

「チッ、仲間が居たのか」
「こんなバケモノに仲間が居たとはな」
「貴様も此処で死んでもらう」

 口々に物騒な事を言うと、兵士達は剣を構え直し、ジリジリと夕と子どもに近づいた。子どもを自分の後ろに隠し兵士達から距離を取ろうとするが、それに気付いた兵士が一気に距離を詰めると剣を大きく振り上げ、夕目掛けて勢い良く振り下ろす。

「悪い。俺、死にたくねえんだわ」
「は?」

 剣を振り下ろす前に兵士の腕を掴み、夕は思いっ切りその兵士を蹴り飛ばした。突然の事に、他の兵士達は驚き、夕を凝視する。我に返った時には夕に距離を詰められ、兵士は一瞬で地に沈められる。

 他の兵士達も同様に地に沈めると、夕は小さな子どもを抱き抱え、必死に走って逃げた。





 子どもを抱き抱えたまま、夕は宮廷のような建物内を走る。走り続け、大理石で出来た神殿のような場所に逃げ込むと、子供を下ろし、その場に座り込んだ。息を整えながら、夕は子どもに視線を向け、ニッコリ笑う。

「此処まで来れば、彼奴等も追っては来ねえだろう」
「…………」
「大丈夫だったか? 怪我は?」
「…………」

 夕は小さな子どもに聞いてみたが、子どもは夕から離れ、被っている黒い布を更に深く被ってしまった。諦めずに子供に質問するが、子どもは全く答えないばかりか、喋ろうともしなかった。

 此処迄子どもに拒絶されると、ちょっと、いや、かなり悲しい。

 子どもの警戒心の強さに、夕は少し泣きたくなった。どうしようかと頭に手を置こうとして、自分が何かを持っている事に気付く。

 夜でも何処に何が有るか分かる程度の明るさだった為、自分が何を持っているのか直ぐに分かった。夕が持っていたのは紙袋だった。紙袋に入っている箱を取り出し、迷う事なく箱の蓋を開け中身を確認する。

「あ」

 中に入っていたのはアップルパイだった。其処で漸く夕はずっとアップルパイを持っていた事に気付く。

  思い出した。従兄弟に「アップルパイ作って」って言われたから作ってたんだ。出来上がったのをナイフで切り分けて箱に詰めて、従兄弟に渡す為に紙袋に入れて、従兄弟に渡しに行こうとして……気が付いたら、此処に居たんだ。

 此処に来る前の事を思い出し、夕はアップルパイと子どもを交互に見、ニコッと笑ってアップルパイを子供に差し出した。

「アップルパイ、一緒に食べないか?」

 子どもにアップルパイを見せるが、やはり子供は無反応だった。更に夕から離れ、黙ったまま夕とアップルパイを交互に見て一言。

「いらない」

 プツン。

  何時迄経っても子どもとの距離が縮まらない事に痺れを切らし、夕は笑顔のままゆっくりと子どもに歩み寄る。笑顔なのに何も喋らず、ジリジリと近づいて来る夕に子どもは怯え走り去ろうとするが、腕を掴まれてしまう。

 必死に抵抗して「離せ」と言おうとした子どもの口に、夕は問答無用でアップルパイを突っ込んだ。ムグッと噎せる子どもを眺め、夕は子どもが一切れ分のアップルパイを食べ切る迄、子どもの腕を離さなかった。子どもが完食したのを確認して、夕は漸く子どもの腕を離した。

「何をする!」

 当然、子どもは怒り、夕を睨みつけるが、夕はアップルパイを齧りながら不敵な笑みを浮かべた。

「美味かったろ?」
「そう言う問題じゃっ……」

 グゥー。

「…………」
「…………」
「……まだ有るけど、食う?」
「…………」

 アップルパイの入った箱を子どもに見せると、子どもは恐る恐る手を伸ばす。両手でアップルパイを持つと黙々と食べ始めた。子どもらしい反応を微笑ましく思い、アップルパイをリスの様に頬張る子どもの姿を、夕は温かい目で見守った。

 余程空腹だったのか、子どもは箱の中にあったアップルパイを全て平らげた。そして、ジッと夕を見詰め、小さな声で「ありがとう」とお礼を言う。

「あぁ、もう、可愛いんだよ! 畜生!」

 急に素直になった子どもの反応に夕は我慢出来ず、子どもを強く抱き締めた。

 何、この可愛い生きもの。何なの、この可愛い生きもの! こんな可愛い子を殺そうとするなんて、万死に値する!

 夕が子どもを抱き締めた瞬間、子どもが被っていた黒い布が滑り落ち、子どもの姿が露わになる。しかし、夕は子どもの可愛さに悶え、布が落ちた事に気付かない。

 床にある黒い布を視界に入れ、其処で夕は子どもが布を被ってない事に気付き、視線を子どもへと向けた。

「ぁ」

 さらさらとした銀色の髪に、宝石のように青く澄んだ大きな瞳。中性的な整った顔立ち。

 綺麗、可愛い、どちらにも当て嵌まる容姿の子どもに、夕は「こんな子が俺の妹だったらなぁ」と場違いな事を考えていると、子どもは慌てて床に落ちた布を拾い上げ、自分の身を隠すように黒い布を被り直した。小さな体を更に小さくして、震える声で夕に言った。

「みないで」と。

 夕が理由を聞こうと口を開く前に、子どもの方から話し始めた。

「俺は、呪われてる、から……不幸を招く、バケモノだから。誰にも必要とされてない、から……俺が死んだって、誰も、悲しまない。皆、俺が死ぬ事を望んでいる」
「…………」
「何で、俺なんか、産んだんだろう。何で、生きてるんだろう。不幸しか招かないバケモノなんか、こんな呪われたツキモノの俺なんか、産まれて来なければ良っ……」

 子どもは最後まで言う事が出来なかった。言い切る前に、夕に強く抱き締められたからだ。子どもは慌てて夕から離れようとするが、抱き締めている腕の力が強まり、夕から逃げる事が出来ない。

「魔法の言葉、知ってるか?」

 抱き締めたまま、夕は子どもに問いかける。意味が分からず、子どもは不安な表情をして夕を見上げる。子どもに視線を合わせニッコリ笑うと、子供の頭をポンポンと優しく叩いた。

「俺が魔法をかけてやる。お前が諦めそうになった時、悲しくなった時、今みたいに自分を否定したくなった時、この言葉を思い出すと良い」

 未だに不安そうに見詰めて来る子どもの頭を優しく撫で、夕は言葉を続けた。

「産まれてきてくれて、ありがとう。お前は、生きてても良いんだ」

 限界だった。こんな風に優しくしてくれた人は一人も居なかった。子どもは何時も誰かから命を狙われ「バケモノ」だと言われ続けて来た。生まれた時から呪いのように「不幸を招く」と言われて来た子どもは、自分は「不幸を招くバケモノ」だと本気で思っていた。

 毎日毎日「バケモノ」だと非難され「不幸を招く」と恐れられ、何度も何度も殺されかけ、幼い子どもの心は壊れる寸前だった。自ら「死にたい」と願う程に、子どもの心は追い詰められていた。

 故に、夕が子どもに与えた影響は大きい。夕の優しい笑顔と言葉は、一瞬で子どもの心に巣食う不安と恐怖を取り除いた。

 同時に、子どもの中で夕の存在は「危険人物」ではなく「甘えてもいい人」に変わり、子どもらしい感情を我慢する事無く曝け出し、子どもは夕に抱き付いた。

 その瞬間、温かいものに包まれる。人の温もりに子どもは酷く安心し、気が付くと夕の腕の中で声を出して泣きじゃくっていた。

 泣きじゃくる小さな子どもを宥めるように、夕は子どもが泣き止む迄ずっと頭や背中を撫で続けた。

 安心して緊張の糸が解けた瞬間、どっと疲れが押し寄せ、二人はそのまま眠りに就いてしまった。





 ゴッと頭に痛みを感じ、夕は飛び起きた。

「あのさ、何時まで寝てんの?」
「いってぇ」と寝ぼけながら呟くと、再び痛みが夕を襲う。
「アップルパイは?」

 頭を二度叩いた人物は夕の心配等一切せず、冷たく一言告げる。聞き覚えのある声を耳にし、夕は頭を上げる。見慣れた部屋を眺め、この部屋が自分が通う学校の寮だと夕は漸く気付く。

 子どもは?
 アレは、夢、だったのか?
 夢にしては、やけにリアルだったような……

 未だに自分の世界にいる夕を睨み付け、もう一度引っ叩くと、夕は漸く気付き「あれ? 何で鈴が此処に?」と言う。

 鈴と呼ばれた人物は夕を睨み付け「俺、言ったよな?」と言うと、夕はやっと思い出したのか、慌てて立ち上がり、キッチンへと向かった。キッチンでガチャガチャと音がした後、気まずそうな顔をして夕が戻って来る。

 鈴が無言で夕を睨み付けると、夕はいきなり「悪い!」と言って鈴に頭を下げる。

「言われた通り、アップルパイを作った筈なんだけど、その、何処にもねえんだわ」

 聞いた瞬間、鈴は問答無用で夕の頭を引っ叩き、怒ったまま夕の部屋から出て行ってしまった。殴られた頭をさすりながら、夕はもう一度キッチンを見渡す。

 パイ生地を作った跡に、林檎を煮詰めた鍋。アップルパイを作った形跡はちゃんと有るのに、肝心のアップルパイは何処にも見当たらない。
 
「ちゃんと、作った筈なのになぁ」

 念の為、もう一度キッチンの中を隈無く探してみたが、アップルパイは何処にも無かった。






読んでくださり、ありがとうございます。このお話はかなり昔に執筆したものなので拙いところもあると思いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
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