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57 歌姫のために

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 甲板に出た私と彼は立ち止まった。
 私たちの前には、長い黒髪と青いドレスを風になびかせる歌姫の姿があった。彼女は海を見つめ、こちらに背を向けている。

「なぜ、ここに。まだイベントは・・・終わっていないはずなのに。」
「イベント?」
「最後の・・・楽園へ旅立つ者に送る、レクイエムを彼女は歌うのです。それをイベントと言っています。」
 そういえば、彼女自身がそう言っていた。どうやら、今はそのレクイエムを歌っている予定らしいが、彼女がここにいるということは、今回歌わないのだろうか?

 歌姫は振り返らない。ただ、海を見つめていた。私たちの存在に気づいていないかのように。でも、そんなはずはない。

「行きましょう。どうやら、見逃してくれるようです。」
 彼に腕を引かれたが、私は抵抗する。その抵抗に彼が驚いた。

「ごめん、少しだけ。」
 彼の手を離れて、私は歌姫に近づく。すると、歌姫の方から声をかけてきた。こちらに背を向けたまま、歌姫は静かに言う。

「行きなさい。」
「・・・うん、行くよ。」
 言葉とは裏腹に近づく私に、歌姫は顔を向けた。青い瞳を見て、思わずため息をつく。美しい青い瞳に、心を奪われるようだ。そんな彼女に抱く感情は、好意だった。できれば幸せになって欲しいと思う。

「あなたも、一緒に行かない?」
「!」
 軽い口調で誘った私に、歌姫の青い瞳が見開いた。でも、すぐにその表情は諦めたような表情になり、彼女は笑った。

「お断りするわ。だって、私はここにいれば、なんだって願いを叶えることができるのよ?それは、幸せなことだと思わない?」
 その言葉が嘘だということは、すぐにわかった。何でも願いが叶うなら、私に繰り返しを止めて欲しいということは言わない。幸せなら、幸せだと断言するだろう。幸せだと思うか、と聞いた時点で彼女は幸せでないと思う。

「行きましょう、追手が来る前に。」
 腕を掴まれ、彼の声がすぐ後ろから聞こえた。少し焦ったような声は、それだけ私たちに時間がないことを物語っていた。

「でも・・・」
 私は歌姫を見る。歌姫の青い瞳は、寂しそうで、とても幸せな人間の瞳ではないように見えた。何度も出会いを繰り返した歌姫。私が勝手に歌姫に怯えていても、いつも彼女は自然に接してくれた。そんな彼女に、何かしてあげたい。
 そのとき、ふっと、歌姫が笑う。

「あなたは、私の敵よ。さっさと行きなさい。行かないのであれば・・・」
 彼女はドレスの胸元から、黒い四角形のものを取り出した。手のひらサイズのそれには、赤い押しボタンが付いている。

「この船と、心中してもらうわ。私と共にね。」
「自爆スイッチ!」
 おかしそうに笑った彼女の言葉に、彼が反応した。
 自爆スイッチ?物語のクライマックスで、よく使われるあれだろうか?

 おそらく、あのボタンを押せば、この船は沈む。

 腕を強い力で引っ張られた。彼は、もうこれ以上ここに、とどまっていられないと思ったのだろう。私の抵抗を、ものともしない。
 歌姫を置いていく。それしかないことはわかっているが、それでいいのだろうか?それでは今までと変わらない。繰り返しがまた始まるだけだ。

 私たちが死んでも、逃げても、繰り返す。でも、歌姫も一緒に逃げれば、なんだか変わる気がした。それに、歌姫も残りたいと思っていないと感じるからこそ、提案したのだ。彼女の幸せのためにも。

「歌姫もあぁ言っています。早く行きましょう!」
「でもっ!・・・私たちだけが逃げるの!?それでいいの!?」
「それで、構いません。」
「そんなっ!」
 抵抗もむなしく、引きずるように連れていかれる私だが、歌姫から目をそらさない。

「あなたは、それでいいの!?あなたは、あなたの願いはっ!」
「繰り返しは」
 叫ぶ私の声にかぶせるように、叫んだわけでもないのに、良く通る声で歌姫は言う。その声に、彼も動きを止めた。

「繰り返しは、私のために行われているのよ。わかったかしら?だから、私はあなたの敵なの。」
 歌姫は、私の敵。
それは、繰り返しが彼女のために行われているから。それは、事実だとすぐにわかった。でも、それが、私の敵という理由にはならない。

「あなたは、私の敵ではない!あなたがそう思っていても、私はそうは思わない!たとえ、そのせいで繰り返しが行われたとしても・・・いいえ、だからこそ。」
 言っていて、気づいた。そうだ、繰り返しを憎むのはおかしいことだと。

 確かに、繰り返しのせいで、怖い思いをした。命の危険にさらされて、命を奪う罪までおってしまった。でも、それがなんだ?

「何を言っているのかしら?あなたが死にそうになったのも、罪に苦しむのも、今逃げることになっているのもすべて、繰り返しのせいなのよ?」
「うん、そうだね。でも、今生きているのも、繰り返しのおかげだよ。」
「繰り返しの・・・おかげ?」
 戸惑う歌姫。彼も私の後ろで息をのんでいた。

「そう。そうだよ。繰り返しが無ければ、私は生まれてこなかった。繰り返しは、死んだ私が蘇ったわけではないよ。ただ、新しい命に、死んだ私の記憶があるだけ。私と、死んだ私は、違うの。違う人間なの!だから、私は、新しく生まれた存在だよ!」
「それは、わかっているわ。でも、そんなあなたを、こんな生き方にさせてしまうのは・・・」
「うん、そうだね。でもね、繰り返しが無ければ、存在すらしていなかったんだよ、私。だから、私を生んでくれて、ありがとう。」
 感謝を込めて、笑顔で。揺れる青い瞳を見つめる。

「繰り返しがあなたのために行われているのなら、あなたのおかげで私は生まれてきたの。だから、あなたに言うことはお礼だけ。あなたは、ただの恩人だよ。」
「恩人・・・そんな・・・のは、ただのこじつけだわ。」
「嘘なんてついてないよ。もう、自分を責めるのはやめて。あなたにだって、あなたの素敵な人生を歩む権利がある。罪の意識を感じて、不幸になる必要はないんだよ?」
「・・・あ。」
 カランと音をたてて、自爆スイッチが床に落ちた。それにぎょっとしたが、船に異常はないので、落ちたせいで船が沈むということはないようだ。

「ありがとう。」
 澄んだ青い瞳が、私をまっすぐに見つめた。それは、先ほどよりも美しく、見惚れるような瞳だ。

「なら・・・」
「行きなさい。」
 その先は言わせない。そういう強い意志が読み取れる声。そして、歌姫から迷いが消えたことを、私は感じた。
 それが悔しくて、唇をかむ。

「あなたのこと・・・いいえ、あなたたちのことは忘れないわ。誰一人として。あなたたちは、私の敵だから。嫌いになれないけれどね。」
 笑った歌姫が、眩しかった。こんなに惹かれるのに、私は歌姫を助けられない。そんな自分が嫌だ。でも、歌姫はそんな私を嫌いになれないと言ってくれる。

「・・・わかった。」
 いつの間にか立ち止まっていた彼を、今度は私が引っ張った。でも、彼は動かない。

 彼は、歌姫を見つめていた。それに応えるように、歌姫も彼を見つめる。青い瞳が互いを映す。

「あ」
「あなたには、礼など言われたくないわ、ギフト。さっさと彼女を連れて、お逃げなさい。」
 彼が何か言うことを、歌姫は許さなかった。何も聞く気はないという歌姫を見て、彼は苦笑する。

「お元気で。」
「さようなら。」
 別れを口にした歌姫は、再び背を向けた。それを見た彼は、歩き出す。

「今度こそ行きましょう。こちらに脱出用のボートがあります。」
「まさか、用意していたの?」
「用意はしていましたが、ボート自体は緊急避難用として初めから乗っていました。」
「そうだよね。じゃ、行こうか。」

 そのとき、破裂音が響き渡った。

 血の気が引いた。そんな私を、彼は押し倒す。床に体を打ち付けて痛かったが、それどころではない。今の音は、銃声だ。一体だれが、どこに向かって?

 顔をあげて、私たちが出てきた扉の方を見れば、倒れていたはずの敵が銃を構えていた。銃を持っていない方の手は、体を支えるようにして、壁にある。

「まだ意識があったのか・・・」
 悔しそうな声で、いつもとは違って乱暴な口調の彼は言った。


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