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29 死を知っている
しおりを挟む濃い血の匂いがする。まるで、血の海にでもおぼれたかのような濃さ。吐き気がするこの匂いを、私は知っている。
吸ってしまえば吐き気が襲うのに、私はその空気を吸っては吐いてを繰り返した。そうしなければ、死んでしまうから。息を吸わなければ、死ぬのは当たり前だ。
もう、休みたい。そう思うのに、私は走った。そうしなければ、次の瞬間には息をしてないかもしれないから。でも、実際はそうしていても終わりは来たのだが。
そう、知っている。
私は、死を知っている。でも、これは思い出してはいけないから、忘れないと。
隠して、忘れて、消えて・・・そう思っても、そう言われても、消えない。隠して、忘れては、また思い出す。消えてくれないこの死は、なんなのだろうか。
考えてはいけない。もしそれを知れば、私は失敗作になってしまうから。
走って、息を吸って、気持ちが悪くなって。吐いて、吐いて、口の中が酸っぱくなって。涙があふれた。視界が歪んで、どこを走っているかもわからない。でも、走るしかない。
でも、走っても同じことだった。死からは逃れられなかった。
破裂音と共に倒れ。痛みが襲い恐怖が体を震えさせる。赤い液体が温かく、体は冷たく。震えて、震えるしかない私の目の前に、黒い靴で音をたてて近づく者が一人。
その言葉は聞き取れなかったが、その声は知ったものだ。黒髪に赤目の青年。
「アレス・・・」
自分の声で目が覚めた。口を開けたせいで、血の匂いにむせた。涙目になりながらも辺りをうかがうと、ほこりっぽく、使われていなさそうな畳の部屋だった。
「なんだよ。」
すぐそばに聞こえた声に驚き、起き上がる。くらくらとしたが、すぐに彼を視界にとらえて、睨みつけた。
「なんで、撃ったの?」
「そう怖い顔をするな。死んでないからいいだろ。」
「そういう問題じゃない。ものすごく痛かったんだけど・・・て、今も痛いんだけど。」
傷を負ったような痛みではなく、打ち付けたような痛みだ。でも、服は赤く汚れている。血の匂いがするが、きっと気のせいだろう。
「そりゃ、無傷ってわけにはいかないからな。だが、防弾チョッキが無ければ死んでいたんだ、贅沢言うな。」
「防弾チョッキ。」
それは、おそらくライフジャケットと言っていた、服の中に着ている物のことだろう。確かにこれが無ければ危なかった。
私は、先ほどのことを思い出す。
体育館の前で、男が撃たれて倒れた。それを見て呆然とした私に、アレスが声をかけてきたので、私は振り返ったのだ。そしたら、アレスが銃を構えていて、そのまま撃ってきた。
本当に死ぬかと思った。
「それで、なんで撃ったの?」
アレスがまだ質問に答えていないことを思い出し、私は再度聞くことにした。
「・・・信じるかどうかは好きにしていい。俺は、お前を助けるためにお前を撃った。どうだ?信じるか?」
にやりと悪い笑みを浮かべたアレスを見つめて、私は夢のことをなんとなく思い出した。
撃たれて、死にそうな私のことを見下ろしたアレス。その言葉は聞き取れなかったが、声色はどこか寂しそうだった。
この夢は、ただの夢ではない。それをわかっている私は、アレスを信用することにした。夢の中のアレスは、血まみれの私を笑ってはいなかったから。なんだその理由はとは思うが、それが私の出した答えだ。
「信じるよ、アレス。助けてくれて、ありがとう。」
私の言葉に驚くアレスだが、すぐに悪い笑みを浮かべた。
「お前、意味わかってんの?なんで、銃でお前を撃つことがお前を救うことになるか、わかってんのか?」
「いや、ぜんぜん。そういうのは考えてなかった。」
「は、馬鹿だな。仕方がねーから説明してやるよ。そうだな、何から話せばいいか、どこまで話せばいいか・・・とりあえず、これだけは教えておこうか。」
彼は、光を部屋の中に取り入れている障子に、指で穴をあけた。
「だめだよ、そんな事しちゃ。」
「いいんだよ、ここを使うやつは文句なんて言えねーからな。みんな、楽園に行っちまうんだ。」
「楽園・・・って、ここじゃないの?」
「ここなわけないだろ。あれ、言わなかったか?なんてな。楽園行きの船に乗って着いた先がここなら、ここが楽園だと思うよな。だが、違う。」
「・・・確かに、こんなとこが楽園だったら嫌だよ。人は撃たれるし、部屋は汚いし。」
辺りを見回してそう言うと、カチャっと、アレスから音がした。私はそれを聞いて、アレスを見る。アレスは、銃口を私に向けている。
「なら、本当の楽園に行くか?俺が、おくってやるよ。」
「何を言ってるの?冗談はやめてくれる?ただでさえ撃たれたばっかなんだから、そういう冗談はやめて欲しいんだけど。銃をおろして。」
「冗談じゃないさ。これが、楽園に行く方法なんだよ。」
にやりと笑うアレスを見て、やっと気が付いた。
楽園は、ここにはないということを。
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