上 下
24 / 39

24 準備

しおりを挟む


 1999年12月21日午後2時ごろ、京都伏見区の京都市立日野小学校の校庭で遊んでいた当時小学2年生の児童が覆面の若者にナイフで刺殺され、犯人は自転車で逃走した。
 逃走に車を使わず自転車を使っていることや背格好などから当初中学生から高校生の学生の犯行と思われた。
 犯行現場には凶器となったナイフや金づちのほか、犯行声明と見られるコピーが6枚ほど残されており、そこには自分が小学校に恨みがあり攻撃をすること、そして自分を探さないようにという要求が
書かれており、まるでメモのように「わたしを識別する記号 てるくはのる」という言葉が添えられていた。
 殺害の手口は冷静かつ残酷なもので、ジャングルジムで遊んでいた少年に抱きつき包丁で突き刺し、北門のほうへ平然と歩いて去って行ったという。
 2年目に神戸で酒鬼薔薇事件が起きた余韻の冷めやらぬうちの事件である。
 この「てるくはのる」にも隠された意味があるのではないか、とマスコミがくいつき、連日様々な推理合戦が繰り広げられた。

 翌日小学校から300mほど離れた醍醐辰巳児童公園で犯人の遺留品と思われる血のついたズボン、青いフードのついたジャンパー、バイク手袋、黒い目だし帽、自転車、鞘に収められたナイフが発見された。
 自転車は防犯登録番号から大阪府枚方市で販売されたものであることが判明した。
 防犯登録の名義は「山室学」となっており、京都府宇治市の住所になっていたが警察が調べたところその住所はレンタルビデオ店になっていた。
 12月30日になると現場から約4kmの宇治市のホームセンターで事件の2日前に事件で使われたものと同型のナイフと農薬を若い男が買っていることが明らかになる。
 防犯ビデオに写っていたことからその映像を枚方市の自転車屋に問い合わせたところ、「山室学」に酷似しているという証言が得られた。
 「山室学」はおそらく犯人の偽名であり、その男こそが犯人の正体である蓋然性が高くなったのである。

 翌年の2000年1月28日、京都府警山科署はホームセンターのビデオを一般に公開した。
 だが情報の提供を待つまでもなく、すでに警察は一人の男をマークしていた。
 男の名は岡村浩昌、伏見区の団地で母親と一緒に暮らしている浪人生で、殺害動機を確認するため彼の経歴の内偵を進めていた。
 すると岡村は高校時代、担任の教師に卒業を取り消して欲しいと強く迫っていたこと、そして現在の教育制度に強い不満を抱いていたことなどが判明した。

 ビデオによく似た背格好、そして犯行声明に合致する動機、ホンボシとしての確信を得た府警は2月5日午前7時ころ6人の捜査員を派遣して岡村に任意同行を求めた。
 だが岡村は「いきなりやってくるのは失礼だ。それに今日は友達と約束がある」と言って拒否。
 捜査員はその場にいた母親にビデオを見せるなどして説得したところ、母親は「写真の姿が貴方に似ている。行って話してきなさい。信じているから」と息子に同行を促しはじめた。
 それでも難色を示す岡村に1時間以上粘り強く説得を続けたところ、ついに岡村は近くの公園でなら話してもいいと承諾した。

 午前8時20分、岡村の自宅から200mほど離れた向島東公園に場所を移すと岡村は捜査員二人と話しはじめた。残る4人の捜査員は公園内で待機していた。
 それでもなかなか岡村は事件に関することに答えようとしなかったため母親が公園に呼ばれた。
 午前11時、公園に母親が出向き無人となった岡村家で家宅捜索が開始された。
 無断ですれば犯罪であるから、当然母親の許可を得ていたのであろう。
 捜索の結果犯行を匂わせるメモが発見され、そのメモには自転車の持ち主である「山室学」のサインが書かれていた。
 この発見を受け午前11時30分、捜査本部は逮捕状を裁判所に請求する。

 ところがここからが大問題で、午前11時50分、何を思い立ったのか岡村は黒いバッグを捜査員に投げつけると隣接したスーパーの中へ逃走する。
 そして6人もいた捜査員を振り切り現場から数十メートル離れた13階建ての公団住宅に逃げ込み屋上に登ると外側から鍵をかけた。
 捜査員は午後0時30分には岡村を発見していたが、屋上の鍵を開けるのに手間取っている間に午後0時50分岡村は屋上から飛び降りて自殺してしまった。
 京都地方裁判所が逮捕状を発行したのは自殺から5分後の午後0時55分であったという。

 岡村が逃走時捜査員に投げつけたバッグからは約20通の手紙が発見された。
 その宛先は小学校、中学校、高校の担任や教師に対するもので中退希望者を理解して素直に中退させて欲しかった、など学生生活への不満が長々と述べられていた。
 自宅から発見されたメモにも同様の記述と、犯行を認めたとも見れる文章が発見された。

 本人の死亡により謎のままとなった「てるくはのる」だが、人気番組ニュースステーションに視聴者からの推理が寄せられる。
 21歳の犯人が21日に起こした犯行であることから「てるくはのる」を50音順に逆に読むと「らむかお」となり、これを並び替えると「おかむら」になるというのである。
 これはなかなかに良い推理と思われたが後日捜査の結果それほど手の込んだものではなかったことが判明した。

 岡村の自宅から押収されたもののなかに「名言名句集416ページ」というメモがあったので本棚にあった格言集「すぐに役立つ名言名句活用新辞典」という本を調べてみると、てるくはのるは「か行」の索引の
末尾の文字を左から右へ並べただけであることがわかったのである。
 岡村は小学校のころはいじめられっ子で父が病死し、母が家計を一手に支えていたという。
 中学のときは成績優秀で将来を期待されて地元進学校に進学したが2年にあがったころからから精神の均衡を崩し、退学を希望するも認められず一年の休学とカウンセリングを経て卒業したのだ が本人は
この卒業を納得しておらず「すっきりしないので卒業を取り消して欲しい」などと高校に直談判したようだ。
 廊下でいつまでも外を眺めていたり、自転車にじっと触っているなどの奇行から近所では有名であったらしい。

 ほぼ岡村の犯行であることは確実だが岡村が自殺してしまったため京都地方検察庁は被疑者死亡により岡村を不起訴処分とした。
 死者に刑罰を科すことは不可能であるからだ。
 要するにこの有名な「てるくはのる」事件は犯人が明らかでありながら、刑事訴訟法上は未解決事件に分類されてしまうのである。
 2004年3月遺族が被害者の権利の確立を裁判所に訴えるのも当然と言えるかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

神々に天界に召喚され下界に追放された戦場カメラマンは神々に戦いを挑む。

黒ハット
ファンタジー
戦場カメラマンの北村大和は,異世界の神々の戦の戦力として神々の召喚魔法で特殊部隊の召喚に巻き込まれてしまい、天界に召喚されるが神力が弱い無能者の烙印を押され、役に立たないという理由で異世界の人間界に追放されて冒険者になる。剣と魔法の力をつけて人間を玩具のように扱う神々に戦いを挑むが果たして彼は神々に勝てるのだろうか

天と地と空間と海

モモん
ファンタジー
 この世界とは違う、もう一つの世界。  そこでは、人間の体内に魔力が存在し、魔法が使われていた。  そんな世界に生まれた真藤 仁は、魔法学校初等部に通う13才。  魔法と科学が混在する世界は、まだ日本列島も統一されておらず、ヤマトにトサが併合され、更にエゾとヒゴとの交渉が進められていた。  そこに干渉するシベリアとコークリをも巻き込んだ、混乱の舞台が幕をあける。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

料理屋「○」~異世界に飛ばされたけど美味しい物を食べる事に妥協できませんでした~

斬原和菓子
ファンタジー
ここは異世界の中都市にある料理屋。日々の疲れを癒すべく店に来るお客様は様々な問題に悩まされている 酒と食事に癒される人々をさらに幸せにするべく奮闘するマスターの異世界食事情冒険譚

北国から異世界へこんにちわ

川で日向ぼっこ
ファンタジー
時は真冬。 北国JK愛理が帰り道に吹雪に見舞われる。 普段通る田舎道なのに周りは白、白、白。 と思ったら知らない所にきた!? 何処かも分からず右往左往。 スカートの下にジャージははいていても膝は生足で寒すぎる!!! 運良く街につけば知らない土地、人、物だらけ。 数厳しい現実を目の当たりにし、涙を堪えて乗り切ると 出会えた人達と行動を共にし…? 物作りし、ほのぼのし・・・ 時々実家の農家を思い出し 少しずつ居場所を作っていく。 そんなお話。

処理中です...