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3月20日 父と娘の話
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(1)3月20日
私の名前は宍戸 崇(ししど たかし)。45歳の銀行員だ。家族は43歳の妻の裕子(ゆうこ)と15歳の娘の陽菜(ひな)の3人暮らし。娘の陽菜は志望校に合格して4月から高校生になる。
仕事は大手銀行である丸の内銀行の兜町支店で副支店長をしている。兜町支店は大型の支店(役員店舗)なので支店長の若杉は銀行の執行役を兼務していて、副支店長は2名いる。
一人は本店審査部から1年前に異動してきた私、もう一人は高卒で入行してから這い上がった安里(あさと)だ。安里は54歳だから私よりも年上だが、行内の序列では私の方が上の立場にある。
支店には本店にはない独特のカルチャーがある。幹部行員とそれ以外が混在して同じ職場で働くから、当然軋轢(あつれき)も存在する。取引先を奪い合うことも頻繁に発生するし、足の引っ張り合いも日常茶飯事だ。
私は取引先回りを終えて自宅に直帰している。住宅ローンがあと15年残っているから、住宅ローンを払い終わると60歳。
私はいま45歳だから、この後は本部に戻るか、どこかの支店長になるかのどちらかだ。
60歳まで銀行にいられるか分からないが、住宅ローンを完済するまではどこかで働くつもりだ。
取引先を出てからの記憶が曖昧なのだが、気付いたら自宅の近くに立っていた。
玄関ドアの前に妻の裕子と娘の陽菜を見つけた。一緒に買い物をして帰宅したところなのだろう。裕子は私がいるのに気づかなかったようだが、陽菜は私の方を見た後、そのまま部屋の中に入っていった。私も二人に続いて部屋に入った。
着替えをしようと自分の部屋に入ったら、部屋の中が綺麗に片付けてあった。普段は誰もこの部屋に入ってこないから少し散らかっているのだが、誰かが気を利かせて片付けてくれたのだろうか?
― いや、そんなことはないはずだ
以前、散らかっているからと言って勝手に部屋を掃除した裕子と口論になって、それ以来裕子はこの部屋を掃除することはない。
それに、先週喧嘩をしてから一言も口を聞いていない陽菜が私の部屋を片付けてくれるとも思えない。
自室で「誰が掃除したんだろう?」と考えていると、ノックもなしに陽菜がドアを開いた。陽菜は声を発さずに、私に手招きして彼女の部屋にくるように誘導した。
― 言いたいことがあったら、直接言えばいいのに・・・
そう思ったものの、陽菜は多感な時期だから私と会話をすることを避けているのだ、と私は考えた。
部屋に入ると陽菜は私に小声で「どうして?」と聞いた。
陽菜の声を最後に聞いたのは1週間以上前だ。最近は私のことを嫌っているから、私と陽菜の間にほとんど会話はない。
私には陽菜の言った質問の意味が分からない。『どうして?』と聞く娘に対して私が『何が?』と聞き返すと、嫌われるような気がする。なんせ、娘は難しい年ごろだから。
困惑している私を見かねたのか、陽菜は質問を変えて「どうして、出てきたの?」と言った。
― 出てきた?
陽菜は気を利かせて、私に分かりやすく言ってくれたのだろう。いつも私を嫌っている陽菜には珍しいことだ。だが、私には何のことか分からない。
私はこれ以上考えることを放棄して「何のことか分からないのだけど、『父さんがどうして出てきた?』という意味かな?」と陽菜に質問した。すると陽菜は少し考えてから「黙ってついてきて」と言って部屋から出てリビングへ向かった。
私が陽菜についてリビングに入ると、陽菜は壁際の棚の一角を見つめた。
私は陽菜が見つめる棚の一角を見た。そこには袋に包まれた何かと、その何かの前に私の写真が置いてあった。まるで亡くなった人の骨壺と遺影だ。
陽菜は私がそれらを見たことを確認すると、夕飯の準備をしている裕子に「卒業式の打合せがあるから、部屋で電話してくる」と言った。それから、陽菜は私について来るように合図をして部屋に戻った。
私が陽菜の後から部屋に入ると「分かった?」と聞かれた。
― お前はもう死んでいる!
きっとそういうことだ。
この有名なセリフを陽菜に言っても分からないだろうが・・・
どうやら私は幽霊らしい。娘の陽菜には私の姿が見えるが、妻の裕子には見えていない。なぜ陽菜に見えるのかは分からないが、何か理由があるのだろう。
そして、私の理解では幽霊は現世に何らかの未練があるから出てくるはずだ。
そうすると、私も何か未練があって幽霊として出てきたことになる。
― 未練か・・・
何かあっただろうか? 私は考えるものの、化けて出てくるほどの未練は直ぐに思い付かない。私は幾つかの未練を自問自答する。
― 不正の件か?
私は銀行内での不正を発見した。でも、その件は既に同期の望月(もちづき)に調査を依頼したから、後は望月が引き継いで解決してくれるはずだ。だから、不正の件は私が化けて出てくるほどの未練ではない。
― 家族を守るため?
私は大手銀行の副支店長だからそれなりの収入はあった。更に死亡保険金も入ってくるから、家族が生活に困ることはない。陽菜の大学進学も金銭的には問題ないはずだ。
それに中年のおじさんに共通することだが、私は家族からそれほど愛されていたわけではない。『亭主元気で留守がいい』というから、お金の心配がなければ中年のおじさんが化けて出る必要がない。
― さっぱり分からん・・・
私は考えたものの正解が分からず、陽菜に聞いてみた。
「成仏のしかた知ってる?」
「は? 知るわけがないでしょ」
「だよねー」
私は思春期の娘とのコミュニケーションに悩む45歳だ。
私の名前は宍戸 崇(ししど たかし)。45歳の銀行員だ。家族は43歳の妻の裕子(ゆうこ)と15歳の娘の陽菜(ひな)の3人暮らし。娘の陽菜は志望校に合格して4月から高校生になる。
仕事は大手銀行である丸の内銀行の兜町支店で副支店長をしている。兜町支店は大型の支店(役員店舗)なので支店長の若杉は銀行の執行役を兼務していて、副支店長は2名いる。
一人は本店審査部から1年前に異動してきた私、もう一人は高卒で入行してから這い上がった安里(あさと)だ。安里は54歳だから私よりも年上だが、行内の序列では私の方が上の立場にある。
支店には本店にはない独特のカルチャーがある。幹部行員とそれ以外が混在して同じ職場で働くから、当然軋轢(あつれき)も存在する。取引先を奪い合うことも頻繁に発生するし、足の引っ張り合いも日常茶飯事だ。
私は取引先回りを終えて自宅に直帰している。住宅ローンがあと15年残っているから、住宅ローンを払い終わると60歳。
私はいま45歳だから、この後は本部に戻るか、どこかの支店長になるかのどちらかだ。
60歳まで銀行にいられるか分からないが、住宅ローンを完済するまではどこかで働くつもりだ。
取引先を出てからの記憶が曖昧なのだが、気付いたら自宅の近くに立っていた。
玄関ドアの前に妻の裕子と娘の陽菜を見つけた。一緒に買い物をして帰宅したところなのだろう。裕子は私がいるのに気づかなかったようだが、陽菜は私の方を見た後、そのまま部屋の中に入っていった。私も二人に続いて部屋に入った。
着替えをしようと自分の部屋に入ったら、部屋の中が綺麗に片付けてあった。普段は誰もこの部屋に入ってこないから少し散らかっているのだが、誰かが気を利かせて片付けてくれたのだろうか?
― いや、そんなことはないはずだ
以前、散らかっているからと言って勝手に部屋を掃除した裕子と口論になって、それ以来裕子はこの部屋を掃除することはない。
それに、先週喧嘩をしてから一言も口を聞いていない陽菜が私の部屋を片付けてくれるとも思えない。
自室で「誰が掃除したんだろう?」と考えていると、ノックもなしに陽菜がドアを開いた。陽菜は声を発さずに、私に手招きして彼女の部屋にくるように誘導した。
― 言いたいことがあったら、直接言えばいいのに・・・
そう思ったものの、陽菜は多感な時期だから私と会話をすることを避けているのだ、と私は考えた。
部屋に入ると陽菜は私に小声で「どうして?」と聞いた。
陽菜の声を最後に聞いたのは1週間以上前だ。最近は私のことを嫌っているから、私と陽菜の間にほとんど会話はない。
私には陽菜の言った質問の意味が分からない。『どうして?』と聞く娘に対して私が『何が?』と聞き返すと、嫌われるような気がする。なんせ、娘は難しい年ごろだから。
困惑している私を見かねたのか、陽菜は質問を変えて「どうして、出てきたの?」と言った。
― 出てきた?
陽菜は気を利かせて、私に分かりやすく言ってくれたのだろう。いつも私を嫌っている陽菜には珍しいことだ。だが、私には何のことか分からない。
私はこれ以上考えることを放棄して「何のことか分からないのだけど、『父さんがどうして出てきた?』という意味かな?」と陽菜に質問した。すると陽菜は少し考えてから「黙ってついてきて」と言って部屋から出てリビングへ向かった。
私が陽菜についてリビングに入ると、陽菜は壁際の棚の一角を見つめた。
私は陽菜が見つめる棚の一角を見た。そこには袋に包まれた何かと、その何かの前に私の写真が置いてあった。まるで亡くなった人の骨壺と遺影だ。
陽菜は私がそれらを見たことを確認すると、夕飯の準備をしている裕子に「卒業式の打合せがあるから、部屋で電話してくる」と言った。それから、陽菜は私について来るように合図をして部屋に戻った。
私が陽菜の後から部屋に入ると「分かった?」と聞かれた。
― お前はもう死んでいる!
きっとそういうことだ。
この有名なセリフを陽菜に言っても分からないだろうが・・・
どうやら私は幽霊らしい。娘の陽菜には私の姿が見えるが、妻の裕子には見えていない。なぜ陽菜に見えるのかは分からないが、何か理由があるのだろう。
そして、私の理解では幽霊は現世に何らかの未練があるから出てくるはずだ。
そうすると、私も何か未練があって幽霊として出てきたことになる。
― 未練か・・・
何かあっただろうか? 私は考えるものの、化けて出てくるほどの未練は直ぐに思い付かない。私は幾つかの未練を自問自答する。
― 不正の件か?
私は銀行内での不正を発見した。でも、その件は既に同期の望月(もちづき)に調査を依頼したから、後は望月が引き継いで解決してくれるはずだ。だから、不正の件は私が化けて出てくるほどの未練ではない。
― 家族を守るため?
私は大手銀行の副支店長だからそれなりの収入はあった。更に死亡保険金も入ってくるから、家族が生活に困ることはない。陽菜の大学進学も金銭的には問題ないはずだ。
それに中年のおじさんに共通することだが、私は家族からそれほど愛されていたわけではない。『亭主元気で留守がいい』というから、お金の心配がなければ中年のおじさんが化けて出る必要がない。
― さっぱり分からん・・・
私は考えたものの正解が分からず、陽菜に聞いてみた。
「成仏のしかた知ってる?」
「は? 知るわけがないでしょ」
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