小金井は八王子に恋してる

まさみ

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一話

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 小金井は八王子に恋してる。
 そんなまさか。

 秋葉原にどんなイメージをお持ちだろうか。
 日本最大の電気街、オタクの聖地。
 対人恐怖症にとっては戦場だ。
 「ぼくのキュアレモネード返してください!」
 秋葉の路上でザクを壊され悲嘆に暮れる。
 天を仰ぎ地にひれ伏し嘆くぼくを手に手に戦利品の紙袋をさげたご同類の通行人が迷惑そうに避けていく。
 秋葉原は本日も晴天盛況なり。
 今まさに砂糖を飽和量ぎりぎりまで溶かしこんだアニメ声で「ご主人様、またのお越しをお待ちしてまァす」と送りだされ、でれでれやにさがってメイド喫茶から出てきた肥満オタクが、道のど真ん中で土下座するぼくを見るなりぎょっとしそそくさ立ち去る。
 誤解しないでほしいがぼくだって好きで道のど真ん中に這い蹲ってるわけじゃない。断じてない。
 ぼくは白昼堂々道のど真ん中に土下座して快感に痺れるような熱烈ドレイ志願じゃない、どこにでもいる物欲が強く妄想が激しいただのオタクだ。
 地べたを這うありんこのように地味に生きてるんだ。
 樹液をちびちびすすり露命を繋ぐカブトムシのように慎ましく生きるんだ。
 もういいからそっとしといてくれ、漫画アニメが好きなだけで誰にも迷惑かけてないんだから。
 空気のように無味無臭透明でありたいと常に心がけているのに、出歩くつど報われた試しがない。
 ほら、今も。
 何の因果か、自分とは正反対の人種に理不尽きわまりない吊るし上げくらってる。
 「キュアレモネードってなに。あ、ひょっとしてこのオニンギョウの名前?」
 「返してください!」
 「お前知んねーのか、日曜の朝やってる女の子向けアニメのキャラだよ。キメ台詞は弾けるレモンの香り」
 「お前こそなんで知ってんだよキメエ、観てんのかよ?」
 「チャンネル回したらたまたま変身シーン出くわしたんだよ」
 「だよな、この年んなってしかも男がテレビにかじりついて美少女アニメ見たりしねえよな、想像しただけでキメエよ」
 「弾けるレモンの香りとか意味不明だし」
 恐怖で声が上擦る。足が萎縮する。のばした手が往復でむなしく空を払う。
 すかっ、すかっ、そう擬音をつけたいほどの見事な空振り。
 運動神経の鈍さに軽く絶望する。
 僕の手から取り上げたフィギュアを弄びつつ徒党を組む不良どもが笑う。
 秋葉原には見るからに場違いな人種。
 髪を薄汚い茶や金に染めピアスや指輪やチェーンのネックレスをちゃらちゃら光らせた若い連中。
 ……若いっていってもぼくと同年代だけど、思想価値観はファーストガンダムとW以降の萌え偏重ガンダムくらいの隔たりがある。つまりは話が通じない。
 なんで秋葉原にこんな場違いな人種が生息してるんだ。
 オタクの聖地から追放したい。
 キメエ、キメエ、紙に飽きたヤギさんのストライキさながら巻き舌で唄うように連発。
 語彙が貧弱な連中め。日本人の基礎教養としてラノベくらい読めと言いたい。ちなみにぼくのおすすめはイリヤの空、UFОの空だ。あれは泣ける。
 「なに顔真っ赤にしてオニンギョウさん取り返そうとむきになってんの?キメエよ、おまえ。いい年してズリネタがフィギュアかよ」
 現実逃避強制終了。
 現実、白昼の路上に叩き戻される。
 目の前にはずらり下劣な顔がならぶ。
 秋葉原よりは渋谷のがよっぽど似合いそうな若者たちがぼくの反応をにやにやうかがう。
 渋谷に行こうとして間違えて秋葉原にきたんなら重度の方向音痴、山手線は慣れないうちは混乱するから乗降駅を間違える可能性はじゅうぶんある。
 恥辱と悔しさに頬を染めて俯く。
 下を向けば数年前から買い換えてない薄汚れたスニーカーとださいズボンの裾が目に入り、いっそう憂鬱に打ち沈む。 
 なんでこんなことに?
 思えば朝からツイてなかった。
 月に一度の遠征日、アパートの部屋を出た時、隣の人とすれちがった。
 お隣には若い夫婦が住んでいる。
 「こんにちはあ」と挨拶してくる新婚妻を頭から遮蔽布引っ被った容疑者さながら俯き加減にやりすごし足早に階段をおりた。
 駅では改札のタイミングに乗り遅れ、券をとりそこね後が詰まった。
 死にたかった。注目と失笑をあびるのは耐え難い。トラウマを抉られる。
 なにせ駅なんて月一回しか使わない、おかげで今だに改札機が射出した券をとりはぐれる痛恨のミスをやらかす。
 改札機の扉は無慈悲に閉まり内側に閉じ込められた。
 駅員さんが飛んできてくれるまで後列の皆さんの迷惑げな舌打ちおよび白眼視を被った。
 死にたい。 
 恥ずかしい。
 うち帰りたい。
 改札にひっかかる凡ミスやらかした時点でアパートに引き返したい衝動が限界値まで高まった。
 そして現在。
 目の前には意地悪くにたつく不良、足元にはザクのバラバラ死体。
 しょっぱなから他人と接触する不運に見舞われたとはいえ、秋葉原に着いてからは順調だったのだ。
 ラノベの新刊もフライングゲットしたし、ほしかったゲームも手に入れたし、キュアレモネードのフィギュアとザクも買えたし実際ほくほくだった。  
 どうしてこんな事になったんだ。
 ただ道を歩いてただけなのに。
 それはそう、袋に入りきらなかったから、ガンプラの箱右脇に、左脇にはキュアレモネードの箱抱えてちょっと目立ってたかもしれないけど。
 秋葉原じゃ異彩を放つってほどじゃないし、ぼくよりキテレツなかっこをした人は沢山いる。
 コスプレーヤーだって普通にそのへん歩いてるし、鬱陶しく前髪伸ばして、度の強いメガネをかけて、地味なシャツとズボンを羽織ったぼくなんかにわざわざ絡むような暇人がいるとはおもわなかった。
 いたのだ、意外にも。
 だからこんな面倒くさい展開になってるわけで。
 ああぼくのザク。
 あなたたちはぼくのザクを壊しただけじゃ飽き足らずキュアレモネードまでも陵辱しようというのか。
 なんという非道、なんという鬼畜。
 天下の公道でこんな横暴が許されるのか。日本憲法の改正を求める。
 国会で居眠りばかりしてる団塊世代の方々にオタク保護法の成立を急いでほしい。
 「か、返してください。それ、ぼくが買ったんですよ。お金払って……」
 もごもご、口の中でくぐもって呟く。
 キュアレモネード。
 いまさら説明するまでもない、日本の女の子に健全な夢と希望を、大きいお友達に不健全な夢と欲望を与え続ける国民的アニメのキャラの一人。ぼくが現在夢中な女の子。
 彼女がめあてでわざわざ八王子を遠く離れ秋葉原に足を運んだといっても過言じゃない。
 「あー?聞こえないなあ、もっとはっきり言えよ」
 「買った?あんたが買ったの、こんな女の子向けのおもちゃを?きめえ、変態かよ」
 「おい見ろ、これちゃんとパンツはいてる。よくできてんなー、間接動くし」
 汚い手でべたべたいじるな低脳ども、間接をむりやり動かすな壊すな。
 抗議したいのをぐっと堪える。
 不良たちは目新しいおもちゃの性能を試すようにフィギュアの手足を曲げて遊ぶ。
 今すぐ野獣の手からぼくのヒロインを取り返したい。
 理不尽な略奪に怒りを覚え、口を開く。
 「キュ、キュアレモネードは、プリキュア5の主要登場人物のひとり春日野うららの変身した姿で」
 男たちが振り向く。
 視線の圧力にたじろぐも、目を斜め四十五度にそらしへどもど続ける。
 「キュ、キュアレモネードでコンプなんです。ほかは全員集めたから……そのフィギュア、よくできてるでしょう。高くて。レア物で。手に入れるの、すっごく苦労したんです。ほら、このスカートの翻り方。ツインテールの螺旋スパイラルな丸まり方。職人のこだわりを感じます。塗りもむらがないし、全体的に均整とれてるし、すごく完成度が高い。こんだけ塗りと細部の造形が完成度高いのに、美少女キャラのフィギュアじゃめずらしいフルアクションフィギュアなんです」
 男たちが呆気にとられ、突如別の惑星の言語をしゃべりだしたような奇異なまなざしを向ける。
 吃音で聞き取りにくい解説に次第に熱が入りゆく。
 「ただ飾って楽しむんじゃなく色々動かして遊べるんです。美少女フィギュアは飾って見て楽しむんだ、アクション型は邪道だっていう人もいるけど、ぼくはフルアクションも悪くないと思うんです。色々ポーズとらせることもできるし、撮って楽しめるし、ブログにアップし放題だし。全種コンプすれば戦闘シーンだって華麗に再現できます。こまちとかれんに至っては待望の百合だって!」
 饒舌にしゃべりながら興奮に駆られ勢いよく手を広げ、ずいとにじり寄る。
 不良がやや引く。
 「え、こいつなに言ってんの、日本語?」「きょどんなよ」「意味わかんね」「塗りはけ?ついんてーる?」不良たちが戸惑う。
 相手は三人、こっちは一人。多勢に無勢、まともにやりあったら勝ち目がない。 
 周囲の助けは期待できない。
 なら自分でなんとかするしかない。
 フィギュアにかける情熱なら誰にも負けない自信がある。
 さあ、今こそ無駄に蓄えた知識量で圧倒するとき!
 「しかもパンツ、パンツはいてるんですよちゃんと。そこの人、目のつけ所いいなって感動しました」
 「ニンギョウのパンツなんか興味ねえよ!」
 「でも見ましたね?見ましたよね?」
 不良がどん引く。
 ここが正念場と一歩踏みこむ。
 キュアレモネードをザクの二の舞にはさせないと強い決意を秘め、目に闘志を燃やし、体の脇でこぶしを握りこむ。
 「たかがフィギュア、されどフィギュア。いやぼくにとってはたかがなんかじゃない、現実の女の子にだって勝る価値が」
 衝撃、路上にすっ転ぶ。 
 足払いをくらう。
 転倒のはずみに紙袋から大量の漫画とラノベがなだれ路上に散乱する。
 鼻梁にずりおちたメガネごしに不良たちを仰ぐ。
 「ごちゃごちゃうるせえんだよ、ネクラオタク」
 「返してほしかったら金だせよ」
 唾と一緒に暴言を吐く。
 不機嫌げに殺気立つ男たちを地面に手をつき見上げる。
 道には他にたくさん人がいる。その全員が見て見ぬふりで通り過ぎていく。
 我関さず、ぼくはここにいるのにここにいない。無視、無関心。
 無視されるのは慣れてる。いまさら、だ。
 これしきで胸は痛まない。
 ぼくも多分、同じことをする。赤の他人が不良に囲まれてようが、関係ないと割り切って無視する。恐喝の現場に首突っ込んでとばっちりくうのは馬鹿のすることだ。
 声優が歌うご機嫌なアニメソングが空々しく流れる。
 メイド喫茶に出入りする客が、地面にへたりこむ僕と正面の男たちを露骨に見比べる。
 色とりどりのポップ、耳から入り脳を攪拌するアニメソング、音と色の洪水。
 二次元に魂売り渡した者どもが闊歩する軽薄で猥雑な街。
 ぼくはここでもひとりぼっちだ。
 秋葉原は、都会は、八王子を田舎者と侮辱する。
 「…………」
 「どしたー?だんまりかー?」
 「唇噛んで俯いて、泣いちゃうかー?」
 「ママンにいじめられたって泣きつくかー」
 「ついでにお小遣いもらってこいよ、俺たちに恵んでくれよ」
 男たちが調子にのって笑う。
 立ち上がりしな、手荒く突き倒される。
 再び倒れた僕を見て、男たちが爆笑する。
 オタク狩り。恐喝。ネットニュースで見た事件が脳裏をぐるぐる回る。
 まさか自分が巻き込まれるとは思いもよらなかった。よりにもよって月に一度の遠征日にでくわすなんて、運が悪すぎる。
 催涙スプレーでも持ってくりゃよかった。……そもそも暴漢撃退用催涙スプレーを持ち歩く成人済みの男ってどうなんだよ、と女々しい発想におちこむ。
 「………帰りの電車賃しかありません。ほとんど使っちゃったし」
 俯きがちに言えば男たちが豹変、一気に雰囲気が険悪になる。
 「ああっ?」と粗暴な本性露に一喝、尻餅付いたぼくの鼻先に不良座りでしゃがみこむ。
 「んだよ、オタクって金持ちなんだろ。フィギュアとかすげー高いっていうじゃん。両手の袋一杯買い込んだなら相当金もってんだろ」
 「だから使っちゃったんです……この、両手の袋の中身に」
 怖い。まともに目が見れない。口の中が乾く。心臓が早鳴る。
 「嘘吐け。ほんとは持ってんだろ。騙そうたってそうはいくか」
 「ほんとですって!」
 ヒステリックに叫ぶ。
 反抗的な態度が気に障ったらしく、一人が胸ぐらを掴み、ぼくを吊りさげる。
 首が絞まって苦しい。動揺と生理的涙で視界がかすむ。
 嫌々するように首振り訴えるぼくを無視し、仲間に顎をしゃくる。
 意図を察した残りふたりが素早く後ろに回りこみ、服の上から体をまさぐりだす。 
 「!ちょ、なにすひゃうっ」
 敏感な腋をくすぐられ不覚にも笑ってしまう。
 ズボンの尻ポケットをまさぐった男が「あった!」と歓声を上げる。手には財布。
 「あ!やめ、返してください!」
 「んだよ、ちゃんとあんじゃん。ひい、ふう、みい……」
 収穫に口笛を吹く。
 絶望で血の気が引く。
 男が財布から紙幣を抜く。
 犯罪の決定的瞬間を目撃し、ぼくは拘束を解こうと非力なりに諦め悪くじたばた暴れる。
 胸ぐら掴まれもがくも貧弱運痴なぼくの抵抗など歯牙にもかけず、紙幣だけ取り出した財布を捨て、不良たちが高笑い。
 「上限一万までなら出します、だからキュアレモネードは無傷で返してください!」
 こんな時でも敬語を撤回できないへタレな自分が恨めしい。
 哀願するぼくに含みありげな視線を向け、何事か示し合った男たちの一人が代表して前に出て、腕に抱いたキュアレモネードを無造作に振りかぶる。
 「返して欲しいんだろ?ほらよ」
 「!!」
 キュアレモネードが危ない。
 案の定、僕が予測した通りの行動に出る。
 男が腕を振り上げ、フィギュアを地面に叩き付ける構えを見せー

 咄嗟に体が動く。
 地を蹴り、ぎりぎりまで腕をのばし、落下するフィギュアをすくう。
 
 同時に奇跡がおきた。

 僕は見た。
 二次元美少女の等身大立て看板、その後ろから歩み出た影が、フィギュアをぶん投げ笑う不良の鳩尾に蹴りを放つ。
 不良が吹っ飛ぶ。残りふたりが憤激に駆られ同時にとびかかる。
 影が迅速に動く。
 拍手喝采したくなるよな素晴らしい反射神経、瞬発力。
 「いじめかっこワルイ」
 飄々とした声で影が呟く。呟きながら同時にかかってきた二人を軽くいなす。
 首を竦め、肩を竦め、ヒップホップでも踊るように腰を回してパンチの軌道をそらし、足払いで転ばせる。
 看板に頭から突っ込んで倒れこんだ二人目の背中を踏み付け、後ろ襟を掴んで引きずりおこし、鳩尾に鋭角のジャブを叩き込む。
 喧嘩慣れした機敏な動作。
 強い。
 なんかもーばかみたいに強い。アニメやラノベ、二次元でしかお目にかかったことない痛快な強さだ。
 「まだやる?」
 「~くそっ!!」
 颯爽と白い歯を見せ挑発する男の反則な強さに恐れをなし、屍をさらすのをよしとせず、三人目が逃げ出す。
 あっさり片が付いた。時間にして五分もかからなかった。
 仲間を見捨て逃げた三人目は深追いせず、尻餅ついたぼくに向き直る。
 「だいじょぶ?けがはない?」
 「はい……」
 呆然。
 開いた口が塞がらない。
 男に声をかけられ、痺れがとけた舌が本来の機能を回復する。
 たどたどしく頷き、あたり一面に散らばった本やら漫画やらを這い蹲ってかき集める。
 注目を浴びてるせいか、動きがやけにぎこちない。
 羞恥で顔が熱い。
 無力感と劣等感が塊となって喉を押し塞ぐ。
 紙袋に本やら漫画やらを詰め込むぼくの方へ、救世主が歩いてくる。
 「あ、」
 ありがとうございますと礼を言おうとした。
 続けられなかった。
 「ほら」
 鼻先に紙幣を束ねて突き出される。
 不良がぼくから取り上げた一万円札だ。
 会釈して受け取ると同時に、初めてまともに救世主の顔を見る。そして二度びっくりする。
 若い。年はぼくとそう変わらない。
 悪ガキっぽい、人懐こい笑みが似合う快活そうな顔だち。
 髪は茶色く染め無造作に散らしている。耳朶に黄金のピアス、首元にたれるシルバーのドッグプレート。ぼくに絡んできた不良とおなじくいかにも渋谷を歩いてそうな軽薄でナンパな雰囲気、自分が誰もに好かれると信じて疑わないしたたかな無邪気さ。
 そこまで考え、他愛ない連想に不審と警戒心を抱く。
 したたかで無邪気。
 本来相容れぬ対極が結びついた侮りがたさ故か、本能的に苦手意識が働く。
 喉元まで出かかった感謝の言葉がひっこむ。
 「それ無事だった?腕とかとれてない?」
 「だ、大丈夫です……」
 それだと?失礼な、ぼくのキュアレモネードにむかって。せめて彼女といえ。
 若者らしく砕けた口ぶり、興味津々の目、陽性の雰囲気。ぼくの苦手なタイプだ。クラスにいたら絶対敬遠する、まず半径1メートル内に近寄らない。
 不躾な視線を避け、身を挺し庇ったキュアレモネードを抱いて俯く。
 居心地悪い。なんだこいつ、ひとの顔じろじろ見て。さっさと帰ろう。
 ラノベと漫画をあらかた紙袋に詰め終え立ち上がれば、名前も知らない男がずいと近付く。
 「なんですか?」
 「あんた童貞?」
 「はあ!?」
 ちょっと待て。なんだこの会話。
 何かの聞き間違いじゃないか。
 よく考えれば初対面の相手に、いきなり童貞かなんて聞く失礼なヤツいるはずない。
 深呼吸で心を落ち着かせ、自制心を総動員し、馬鹿丁寧に聞き返す。
 「すいませんもう一回」 
 「童貞?」
 前言撤回、こいつ失礼だ。
 「どうて……ってなんですかいきなり!?」
 「ごめん怒った?じゃあ質問変えるわ。あんた独身?ひとりぐらし?」
 「そんなザクIだめならザクIIはどうかみたいな質問されても」
 付き合ってられない。
 紙袋を持ち踵を返す。駅の方へ急ごうとして、後ろからいきなり腋の下をまさぐられる。
 「ひゃあっ!?」
 腋にしのびこんだ手にくすぐられ膝が砕ける。紙袋が傾き、一度詰め込んだ漫画が盛大になだれる。
 「や、やめ、うは、あははははっははは、そこ弱ッ、や、ちょ……なにすんですか白昼堂々秋葉原の路上で警察呼びますよ!?」
 「八王子東二十二歳、現住所八王子……八王子生まれの八王子?はは、ヘンな名前。名前はひがしって読むの?あずまかな」
 いつのまに。
 悪びれず笑うそいつの手に見慣れた免許証入れ……ぼくのだ。慌ててズボンの上から探れば、ふくらみが消えている。
 「返してください!」
 「すごい偶然。俺、小金井っていうの。生まれも育ちも小金井の小金井リュウ。八王子在住の東ちゃんと相性よさそ」
 「それが人様の免許証抜き取って言う台詞ですか!?」
 小金井リュウ、それが名前か。目の前の男は悪戯が成功したガキみたいにやんちゃに笑ってる。笑うと八重歯が目立つ。
 「俺、行くとこないんだよね。東ちゃんとこに泊めてほしいな、なんつって」
 「はあ!?なんで!?」
 「八王子と小金井のよしみじゃん。あと、お金取り戻してあげたっしょ」
 意味不明。思考回路が理解できん。何コイツ。
 噛み合わない話に脱力感さえ覚え始める。警察に行く、呼ぶ?どっちの選択肢が正解だ、ゲーム的にいうと分岐点だぞ。
 困惑しきり、道行く人々に縋るようなまなざしを向けるも無視される。この男、正気?
 「ふざけてないで返してください、それがないと困るんですよ、漫画喫茶の会員カード作れないし!」
 躍起になって取り返そうと両手を突き出すも、小金井はぼくの軌道を片っ端から読み、免許証入れをスイスイ右から左へ、上から下へ斜めへと移動させ翻弄する。
 のみならずちゃっかり服の内側にしまいこみ、首を傾げておねだりしてみせる。
 「これは預かっとくね。そういうわけで俺を泊めてよ。命の恩人の頼み、むげにできないっしょ」
 「あんた何なんですか!!」
 「ヒモ」
 一発で人の心を掴む極上の笑顔。


 断じて恋でも一目ぼれでもない。
 ゆすりであって脅迫であって犯罪であって最悪の出会いである。
 八王子東、二十二歳。ニート。
 今日この日よりぼくのアパートには一匹のヒモが転がり込むことになる。
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