魔女の弟子≪ヘクセン・シューラー≫

まさみ

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一話

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ようこそおいでませ、此処は驚異の部屋ヴンダーカンマー。貴方は記念すべき××××人目のお客様です。
なんと、ご存じないとは心外!
ご覧なさいな、此処の名前の由来となった展示品の数々を。珊瑚や石英を加工した装身具、実在・架空取り交ぜた動植物の標本やミイラに巨大な巻貝、オウムガイを削った杯にダチョウの卵、貴重な錬金術の文献に異国の武具、機械仕掛けの形見函、はてはキリストの襁褓と噂される聖遺物に至るまで、此処に展示されているのは人類の叡智の結晶。

此処は次元のはざまに存在する場所。
時折お客様が迷い込みます。
偶然か必然か、驚異の部屋に至った彼等彼女等をもてなすのが僕の役目。
自己紹介がまだでしたね。学芸員キュレーターとでもお呼びください。

……ん?これまた毛色の変わったお客様ですね。
いえいえ皮肉なんてとんでもございません。

率直に申し上げ、貴方はとても美しい。

まさかご自身の容姿に無頓着で?
だとしたら罪作りですねえ、一体どれだけ女性や男性を泣かせてきたのやら。

さあ、水晶玉を覗いてください。
最高級の天鵞絨さながら艶めく黒髪、コーヒーに数滴ミルクを落としたような褐色肌、長い睫毛に物憂く沈む御影みかげの瞳。
秀でた鼻梁に孤高の翳りを纏わせて、一匹狼を彷彿とさせる野性味帯びた風貌に、心惹かれるご婦人がたはさぞ多いでしょうよ。しなやかに引き締まった長身痩躯も注目を集めるはずだ。

まだお名前を伺っていませんでしたね。
なんとお呼びすれば?
……そうですか、好きにしろと。でしたらそうさせていただきます。ロマというのはいかがでしょうか?
なんですその仏頂面。好きに呼べと言ったのは貴方でしょうに解せません、さては天邪鬼さんですかね?

貴方はロマ。
大虐殺を生き残った流浪の民。

睨まないでください。この姿はお気に召しませんか?かしこまりました、指を弾いて……

アインス・ツヴァイ・ドライ!

魔術?手品?ふふ、どっちでしょうねえ。ご想像におまかせしますよ。
今の僕は貴方の同胞、ツィゴイネルの美少年です。
黒い巻き毛と浅黒い肌、磨き抜かれた御影の瞳が証拠。この姿は変幻自在、お客様がご所望ならいかようにも化けられます。老若男女問わずね。

さあさ遠慮はいりません、どうぞお近くでご覧ください。
驚異の部屋に展示されているのは僕が世界を股にかけ蒐集した自慢のお宝、古今東西の名品珍品の数々。
胡散臭げな顔ですねえ、僕の口上が信用できませんか?

たとえばほら、貴方の右手に飾られているのは十五世紀のドミニコ会士、ハインリヒ・クラーマーが著した『魔女に与える鉄槌』の原本。ハインリヒ・クラーマーは教皇インノケンティウス八世の命を受けた異端審問官であり、本書において異端や邪悪の根源たる魔女を激しく糾弾し、その発見の手順や裁判の段取りを詳細に記述しました。後世ではヨーハン・ニーダーの『蟻塚』、ジャン・ボダンの『悪魔憑きデモノマニア』と並び、魔女狩りの三大奇書バイブルと呼ばれています。世が世なら禁書で焚書でしょうに。

……知ってる?
同時代の人でしたっけ、うっかり失念してました。

なるほどねえ、ハイリンヒ・クラーマーはペテン師だと。ヨーハン・ニーダーやジャン・ボダンも同類だと、貴方はそうおっしゃりたいのですね。
僕も同感です。曰く産婆は魔女、曰く薬師は魔女、曰く寡婦は魔女、曰く曰く曰く……彼等の裁きにかかればおよそ全ての女性が断罪されかねない。
あらら、また気に障っちゃいました?すいませんねえ、僕ってば人の心の機微とやらに疎くって。
未だ蒙が啓かれざる暗黒の中世。
白を黒に裏返すのが異端審問官の仕事であり、それにはしばしば拷問が用いられました。

おおっといけません手を触れちゃあ!驚異の部屋の展示品は僕の財産、見物は無料ですが壊したら弁償していただきますのであしからず!

全く、ヒヤヒヤさせないでください。貴重な展示品だと紹介したそばから破り捨てようとする人がありますか、しかも書見台まで蹴倒して!

どうやら貴方にとって、ハインリヒ・クラーマーは憎んでも憎み足りない怨敵のようだ。

さあ、お掛けください。立ちっぱなしは疲れるでしょ、座って話しましょうよ。

何が目的だ?
皆さん口を揃えてそれを訊かれます。
僕の求めは身の上話、お客様の数奇な半生。

言いたくない?
違いますね。言えないんですよね。

はは、その顔が見たかったんですよ!やっぱり貴方もそうなんですね、都合よく自分の罪を忘れてらっしゃる!ここに来る人はみんなそうです、前の人も前の前の人も前の前の前の人も。

人の身に耐えざる罪を背負い、あやまちの記憶を封じた者たち。

ねえロマさん、貴方は一体どんな罪を犯したんですか?

水晶玉を覗いてください。
濃紫のエリカが咲き乱れる荒野のただ中、真っ直ぐ敷かれた街道に幌馬車が連なっています。
乗っているのはツィゴイネルの一団。御者台の男が馬を鞭打ち駆りたて、女子供が伸びやかに歌います。寄せては返す風にエリカの海がさざめき、澄んだ蒼穹に歌声が吸い込まれていきます。
粗末な幌を張った荷台から苦しげな呻きが漏れてきました。おやおや、お産の真っ最中らしい。大股開いて息む女性の手を握り締め、老いた産婆が励ましています。

「もうすこしだ、頑張るんだよ」

ほどなくして甲高い産声が響き渡りました。続いて大量の羊水と胎盤が排泄され、産婆の細腕が赤子を受け止めます。

「元気な男の子だよ」
「ああ……」

まだ少女といえる年齢の母親は我が子を抱き締め、額に接吻し、喜びと絶望が入り混じった涙を流しました。

「本当に育てるのかい?」

産婆が疑問を呈すのも無理ありません、その赤子は白人とツィゴイネルの混血だったのです。
自分と比べごく僅かに肌の色が薄い赤子を抱き、彼女はきっぱり言い切りました。

「この子に罪はないもの」

貴方の誕生はけっして祝福されたものではありませんでした。はじまりから呪われていたともいえる。
貴方は私生児だった。
半分はツィゴイネル、半分は白人。いわば雑種として生を享け、本来帰属する仲間にさえも疎外された幼少期は過酷です。味方はお母上と産婆だけ。

目を瞑り思い出してください。

ツィゴイネルの多くは生きる術として芸を身に付けていました。ある者は占いをし、ある者は楽器を奏で、歌い踊って日銭を稼ぎます。傭兵として出稼ぎに行くものもいました。

ツィゴイネルが歴史の表舞台に登場するのは西暦1100年。

十五世紀には欧州全域に散らばり、巡業で身を立てるようになりますが、貴方が産声を上げた頃には教皇庁の取り締まりが厳しくなり、どんどん苦しい立場に追い込まれていました。
人々はツィゴイネルを泥棒扱いし、強姦魔や人さらいの濡れ衣を着せ、地方や国によっては追放令や死刑に処します。囚人としてガレー船の漕ぎ手を強制される事さえありました。

貴方のお母上は美貌と踊りの才に恵まれた、キャラバンの花形でした。
自慢のお母上だったのでしょうね。
十六で子を身ごもり、馬車の上で産み落とし、立派に育て上げたのですから。
貴方は物心付いた頃からお母上の踊りを間近に見てきました。
行く先々の町や村の祭りにて喝采を浴びる艶姿は、幼心にはっきり焼き付いています。

幌馬車を駆る旅暮らしは決して楽ではありません。幼子だろうと容赦なく働かされます。
貴方も幼い頃から馬を世話し、飼い葉桶運びを日課としました。えっちらおっちら危なっかしい足取りで歩いてると、行く手に影が立ち塞がりました。

「わっ!」

飼い葉桶がひっくり返り、泥の飛沫が跳ねました。
だしぬけに突き飛ばされ転倒した貴方を取り囲み、いじめっ子が囃し立てます。

「やあい間抜け!」
「のろくさ歩いてるからだよ」
「厄介者は早く出てけ、目障りなんだよ」

いじめっ子たちは皆年上です。ちびでやせっぽちの貴方は唇を噛んでただただ耐えるしかありません。
彼等はますます調子に乗り、ぬかるみに倒れ込んだ貴方に跨り、力ずくで服を脱がせにかかりました。

「やだ、やめて」

当然抗いました。しかし貴方は無力でした。あっというまに丸裸にひん剥かれ、羞恥と混乱にべそをかきます。ですがまだ終わりません。いじめっ子たちは手掴みした泥を貴方の肌に塗りたくり、口にまで詰め込んできます。

「喜べ、おそろいにしてやる」

抗おうと無駄でした。ともに馬車で回る子たちは貴方の肌の色を囃し、巡業先の町の子は石を投げます。
大人たちとて同様です。
貴方は嫌われもののツィゴイネルの中にあっても異端だった。
いじめっ子たちは貴方が嫌がれば嫌がるほど面白がり、しまいには馬糞を掴み、全身に擦り付けてきました。

「食えよ」

しまいには馬糞のかたまりを口に詰め込まれ、苦味と屈辱でめまいがしました。

「ううっ、ぐすっ」

どうしてこんな目に。
何も悪い事してないのに。

体も心も打ちのめされ、ぬかるみに突っ伏し泣きじゃくり、どれ位経った頃でしょうか。いじめっ子たちは貴方をいじめるのに飽き、とっくに走り去っていました。
馬車の影に大人が集まり、こそこそ話しているのが聞こえてきました。

「ゾラはなんだってててなし子を産んだんだ、うちのキャラバン一の別嬪だったのにもったいねえ」
「白人の種だろ、忌々しい。肌の色が俺たちと違うじゃねえか」
「誰に孕まされた?」
「鍛冶屋のドラ息子が夜這いをかけたってもっぱらの噂だよ」
「収穫祭の日か。どうりで」
「アルスの町の粉牽きも怪しいぜ、村外れの水車小屋の。随分お熱だったみてえじゃねえか、絶対ものにしてやるって飲み仲間に宣言して」
「俺はルーベン領主の三男坊に賭けるぜ。キャラバンが去ってすぐ修道院に放り込まれたって話じゃねえか、おいたがばれたんだよ、きっと」

幌に映る影絵のおぞましさに耳を塞いで逃げ帰ると、ヴァイオリンの弓に松脂を塗り、お母上が待っていました。

「どうしたの、べそかいて」
「母さん」

貴方はお母上の膝に縋り泣きじゃくりました。聡明なお母上はすぐに何があったか察し、真剣な表情で諭しました。

「悔しかったら芸を磨きなさい。アンタを馬鹿にした連中全員見返してやるの」
「できない」
「できるわよ。私の子でしょ」

お母上は優しく厳しい人だった。
一粒種の息子に愛情を注ぐ傍ら、歌を教え踊りを教え、ヴァイオリンの弾き方を教えました。
ゾラとはツィゴイネルの言葉で夜明けをさします。その名が示す通り、お母上の存在は貴方にとって唯一の光でした。
察するにお母上は、貴方の生が過酷なものになる事を予想してらしたのでしょうね。

折にふれ貴方を抱き上げ、手ずからヴァイオリンの弾き方を教えながら説きました。

「これだけは覚えていてね。貴方は私の自慢の息子。誇りを持って生きなさい」

そんなお母上も、貴方のお父上の素姓に関してだけは頑として口を割りません。
ゾラさんは実に情熱家でした。貴方はお母上の気性の激しさを受け継いだのでしょうね。
息子を侮辱する者あれば気炎を上げ、誰だろうと突っかかっていきます。

「この子は私が産みたくて産んだの、文句あるヤツは前にでなさい!」

ヴァイオリンの弓で男たちを鞭打ち、行ったり来たり追い回す姿は非常に滑稽で、皆が笑い転げました。

ええそうです、そうですとも。
貴方は確かに異端児でしたが、ツィゴイネルの暮らし自体は嫌っていませんでした。

たとえ村外れにしか野営を許されず、町や村の悪ガキどもに石もて追われ、大人たちに疎んじられようとも、車窓から覗く黄金に実った麦畑や収穫祭の賑わいが心を癒してくれました。
馬車の藁床で母と寄り添い眠る日々も、回る車輪が地面を踏む震動も、馬の嘶きや仲間の歌声も、定住する故郷を持たないツィゴイネルたればこそ郷愁をかきたてる。

年に数度の祝祭の日、ツィゴイネルたちは村の広場に招かれ歌や踊りを披露します。
貴方もお母上と手を繋ぎ、村人たちと交わって軽快なステップを踏みました。
老いも若きも男も女も輪になり、方々で黄金の麦酒が酌み交わされ、愉快な嬌声が弾けます。
ゾラさんは快活な笑顔で足を上げ下げ、貴方を褒めました。

「そうよその調子、飲み込みが早いわね」

辛い事だけではなかった。
楽しい思い出もあった。
だからこそ……。
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