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サマースノーとホットココア
しおりを挟むある晴れた春の日、みんなで薔薇を植えにいきましょうと悦巳が提案した。
「ばあさんの家の庭にか」
「そっすそっすそれ以外ねっす」
調子よく相槌を打ってから「ちなみにこれはソースっす」と赤い蓋を冠したプラスチックの小瓶を掲げる悦巳を、みはながきょとんと見返す。誠一は箸を止めて尋ねる。今日の夕飯は悦巳がクックパッドのレシピを参考に仕上げた豆腐ハンバーグとかぶの味噌汁、半熟の目玉焼きとほうれん草の胡麻和えだ。ごく一般的な家庭料理の献立といえる。
悦巳は豆腐ハンバーグを切り分けて咀嚼し、ごくんと嚥下してから箸先を動かす。
「今はアンディの部下の黒服の人たちが管理してくれてるっすけど、身内がほったらかしてたらバチあたるっす。俺たちも草むしりいきましょうよ、ピクニックを兼ねて」
「賛成です!」
誠一があきれ顔で口を開くのを制してみはなが発言する。円らな目は期待に輝いていた、家族みんなでおでかけできるのが楽しみなのだ。右手にミッフィー柄のお子様用箸、左手に同じくミッフィー柄の茶碗を構えたみはなは、青地に白格子のテーブルクロスの上に大乗り気で身を乗り出す。
「今度の週末にか?土日は休みたいんだが……」
「え~ノリ悪いっすよ誠一さん、たまにはお父さんしゃかりきで家族サービスしましょうよ」
「死語だな」
眉根を寄せて渋る誠一を説き伏せにかかる悦巳、みはなは箸を動かすのを忘れ二人を見比べている。大前提として誠一は出不精だ、休日は家でゆっくり過ごすのを好む。書斎でビジネス書を読んだりみはなにせがまれて絵本を朗読したり、気が向けば台所でお菓子を焼く悦巳に「焦げてるぞ」だの「オーブンを壊すな」だの「それは炭か?自家製の備長炭で飲料水を濾過するのか?」だの茶々をいれにくる。
「備長炭が自家製の時点で意味不明っすよ」と悦巳に突っ込まれても素知らぬ顔で通すんだから神経が図太い、もしやあれは遠回りすぎてわかりにくい構ってアピールなのだろうか。
「リビングでゴロ寝してばかりじゃツマンねっすよ、久しぶりにでかけましょうよ」
「じゃあお前とみはなで行ってこい。俺は読みたい本がある」
「本なら寝る前だって読めるじゃねっすか、お日様がでてるうちにしかできないことしましょうよ」
口を尖らせブーイングする悦巳にうんざりする誠一に、愛娘が控えめに意見を述べる。
「えっちゃんがこういってますし、みはなもせっかくならみんなで行きたいです」
ぐ、と誠一が押し黙る。父親の常で娘のおねだりには弱いのだ。悦巳は目配せで援護射撃に感謝し、ここぞと力を込めて言い募る。
「そこのホームセンターでいい肥料と薔薇の苗が売ってるんす、今ならセールで三割引き!期間限定の波には乗らなきゃもったいねっす、俺たちの手でばあちゃんの庭に緑の魔法をかけるっす!えいえいおー!」
「おー」
拳を固めてはりきる悦巳に便乗するみはな、多数決に押し切られた誠一が特大のため息を吐くも顔には苦笑いが浮かんでいる。
「仕方ないな。用意しておけ」
その週の日曜日は五月の晴天が広がっていた。
「いや~ビューティフルサンデーっすね、実に爽やかな陽気っす!」
青く澄み渡った空を小手をかざして見上げ、軍手にゴム長靴の悦巳が歓声を上げる。ガーデニングをするとあって、スウェットの上下から活動的な服に着替えていた。みはなは白いチューリップハットと同色のワンピース、誠一は飾りけないポロシャツとスラックスだ。
「みはなちゃん服汚れちゃうっすよ」
「このお洋服がいいんです。お気に入りです」
「誠一さんはマリオ、もといオーバーオールじゃないんすね」
「俺の私服にケチを付けるとは、よほど花壇の肥やしになりたいらしいな」
「ケチは付けてねっす、それ俺がしまむらで買ってきたのだしよく似合ってるっすよ」
「当たり前だろ」
口喧嘩を始めたはずが何故かのろけに移行していた。みはなは興味津々で祖母の家の庭を見回す。既に何度か来ているが、何度目でも新鮮な表情を見せてくれる。四季折々に、あるいはその日の天気や温度や湿度によって趣を変える庭の不思議にすっかり魅入られているらしい。
華の死後、屋敷はアンディの部下たちがきちんと管理していた。彼等は華に拾われた恩があるので、現在の雇用主の目が行き届かないからとサボったりはしない。
「ジブリ映画にでてくるお屋敷みたいっすね」
「トトロですか?」
「しいて近いの挙げるならアリエッティかな、あそこまで草ぼーぼーじゃねえけど」
「みはなもちっちゃくなってかくれんぼしたいです、ねこさんにのっかるんです」
みはなはジブリアニメを全制覇している、一番のお気に入りはトトロだそうだ。メイとサツキが喧嘩別れするシーンでは悦巳も一緒に毎回号泣するので、誠一はやや引いている。
「じゃ早速はじめるっすよ」
「お前が仕切るな」
予め準備していた軍手とミニシャベルを配り、誠一とみはなが装着するのを見届けてから中央へ赴く。生前の華が手をかけて栽培していた薔薇は、今も美しく咲き誇っていた。
「どこにばらの赤ちゃんを植えるんですか」
「こっちのスペースがあいてるっすね」
みはなの物騒な発言をさらりと流して手招き、黄色とピンクの薔薇の横を示す。緩やかな足取りでやってきた誠一が二株の薔薇を見るなり断言した。
「チェリッシュとゴールドバニーか」
「うさぎさんですか?」
みはながピンと耳を立て反応する。咄嗟に振り返る娘に少々決まり悪い思いを味わい、誠一が咳払い。
「薔薇の名前だ。ピンクの方がチェリッシュ、黄色い方がゴールドバニー」
「一瞥しただけでわかるとかすごいっすね、薔薇博士っす」
「お父さんは物知りです」
「ゴールドバニーは先っぽが白いですね、うさぎさんの耳に似てます」
「チェリッシュはいかにもさくらんぼって感じで初々しくて可愛いっすね~」
悦巳とみはなが和やかなに会話して微笑み合い、並んで土を掘り始める。ミニシャベルを地面に突き刺して土をどける二人にならい、誠一もシャツの腕をまくる。しばらく無言で作業にのめりこんでいたが、突如として甲高い悲鳴が迸った。
「きゃあっ!?」
「どうしたんすかみはなちゃん!?」
「蜂に刺されたか!?」
悦巳と誠一が同時に腰を浮かしみはなに向き直る。みはなはミニシャベルを投げだし、涙目でぷるぷる震える。
「むしさんがいました……」
同時に3センチほどの穴の底を覗き込めば、カブトムシの幼虫がちょこんと丸まっていた。
自身にしがみ付き肩に顔を埋めてしまったみはなを、悦巳は安堵の隠せない苦笑いでなだめる。
「大丈夫っすよ、これはカブトムシの幼虫っす。夏になるまで土の中で寝てるっす」
「カブトムシさんの?本当ですか?似てませんよ、親子なのに」
「生命の神秘っすねー」
穴の底で眠りを妨げられた幼虫が伸び縮み蠢くのを観察し、みはなが心配そうに囁く。
「……起こしちゃいました?」
「土のお布団を掛け直してあげるっす、夏までおやすみっす」
「わかりました」
ミニシャベルをできるだけ離してそーっと土を掛け、元通り埋め直すみはなを誠一と悦巳が微笑ましく見守っている。
「ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて振り返るみはなに「上出来っす」と親指立てる悦巳の横、仏頂面の誠一がミミズを摘まみ上げるや娘の目にふれないうちに放り投げる。
五月の麗らかな空の下、家族水入らずのガーデニングはのんびり進行する。
「ふー、漸く畝を掘り終えたっすね。てことで誠一さん、手押し車の肥料持ってきてください」
「俺がか」
「一番腕力と握力あるでしょ、文句言わずに行った行った」
「がんばってください」
悦巳に急き立てられて仕方なくその場を離れ、手押し車に積まれてある肥料の袋を持ってくる。華の屋敷に来る前にホームセンターで購入したものだ。畝に肥料を撒いている時、凪いだ眼差しで悦巳がポツリと呟く。
「懐かしいなあ、ガキの頃よくやったっけ」
「土いじりを?」
「ガーデニングって言ってくださいよ」
「やってることは変わらないだろ」
誠一が首にかけたハンドタオルで汗をぬぐうのを睨み、気を取り直して話を再開する。
「施設のおばちゃん先生がガーデニング好きで、花壇にいろんなもの埋めてたんすよ。ミニトマトとかなすとかいちごとか、ひょうたんやへちまもあったな」
「小学校の自由研究か」
「みはないちご食べたいです」
「ハーブにハマった時は大変だったっす、ミントがあっというまに繁殖して。大志と一緒に片っ端からむしりまくりました」
子どもの頃を回想する悦巳の横顔を、誠一は複雑そうに眺めていた。
悦巳の両親は多額の借金を作って夜逃げしている。幼い悦巳は施設の前に置き去りにされ、辛い幼少期を過ごしたと資料にあったが、彼は優しさと明るさを失っていなかった。施設の職員にも好かれていたのだろうと感じ入れば、はにかみがちな笑顔がチラ付く。
「渡る世間も案外悪い人ばっかじゃなかったっす」
元詐欺師の青年がそういえるようになるまで重ねた歳月と痛みに思いを馳せ、胸の内に愛しさが湧き上がる。黒いキャップから薔薇の苗を外す悦巳の横にしゃがみ、不意打ちのように呟く。
「ばあさんは緑の手を持ってた」
「え?」
「花や木を育てるのが上手い人間を園芸の世界じゃ緑の手の持ち主というんだ。英語では緑の親指らしいが……逆に植物をすぐに枯らしてしまうのが茶色の手、赤い手だそうだ。植物の育て方にはとかく人柄がでる、特に薔薇の栽培はむずかしい、管理を怠れればすぐ萎れてアブラムシが沸く。俺はサボテンも枯らす」
実際、華が遺した庭は故人の性格を生き生きと映す。薔薇を含めた花は瑞々しく色付いて、青い茎は天に向かってまっすぐ伸びていた。
もしコイツがいなければ、この庭はどうなっていたことか。おそらくは枯れるに任せて放置していた。誠一は薔薇や植物にまるで無関心な冷たく傲慢な男で、何かを守り育てることに致命的に向いてない。
幼い頃に祖母から伝え聞いた知識だけは立派でも、それを実践に移す労力が伴わない。
悦巳がいなかったらきっとみはなも―……
「訂正してくださいっす。『俺一人なら』無理って意味っすよね」
だしぬけに手を握られ顔を上げれば、悦巳が至近距離で包み込むように微笑んでいた。
「誠一さんがサボテンすら枯らしちゃうどうしようもねえダメ男でも、俺とみはなちゃんがばっちりフォローするんで大丈夫っす。安心してください」
「……そうか。そうだな」
自分に言い聞かせるように繰り返し、劣等感が氷解した笑顔をほのめかせる誠一をよそに、みはなはパンツ丸出しで薔薇の苗の位置を調整している。
「元気に育ってくださいね」
ぱんぱんと小さな手で土を叩いて固め、にっこり笑うみはなに釣られ、誠一と悦巳も笑顔になる。
薔薇の苗はそれぞれ好きな品種を選んだ。悦巳は赤、誠一は白、みはなはピンク。
「お前は?」
「ホットココアっす、プレート見てぴんときたっす!」
僅かに黒ずんだエレガントな薔薇の色合いは、たしかに淹れたてのココアに見えなくもない。誠一の手元を覗き込んだ悦巳は、素直に感心してみせる。
「待って、あててみせるっす。ハニーキャラメル?」
「食い物関連しか出てこないのか。正解はサマースノー」
「夏の雪っすか~綺麗な名前っすね~」
「ホワイトプリンセスと迷ったが」
みはなを一瞥して軽く咳払いしたのは、花と娘を重ねる親バカぶりを恥じたからか。
ニヤニヤが止まらない悦巳と拗ねる誠一の真ん中で膝を揃えたみはなが、愛くるしいピンクの薔薇の苗を捧げ持ち、お日様へと翳す。
「みはなちゃんは?」
「ブライダルピンクです」
赤と白が混ざって出来た淡いピンク色の花びらは、祝福された花嫁のドレスさながら芯を取り巻く。
「みはな、おっきくなったらこれと同じ色のドレスを着たいです」
「きっと世界一綺麗な花嫁さんになるっすよ」
「一生うちにいてもかまわないが……」
誠一が呟くのを遮り、至極丁寧な手付きでブライダルピンクの苗を植える。おかっぱが縁取る横顔は真剣そのもので、気軽に茶化せる雰囲気ではない。
それぞれ苗を植え終えたのち、お互いの顔が泥だらけなのに気付く。
「誠一さん頬っぺに土が」
「お前こそ鼻の頭に」
「おそろいずるいです、みはなもまぜてください!」
互いの顔を指さし言い合うふたりの間に割り込んだみはなが、人さし指で鼻を擦ってわざと汚す。
「あ~あ、あとで顔洗わなきゃ」
「腹が減ったな、飯を食うか」
「今日のお昼はえっちゃんとみはなが早起きして作ったおにぎりです、焼きジャケさんとからあげさんとこんぶさんと梅干さんが入ってます!」
「サンドイッチもあるっすよ~」
「梅干しさんは酸っぱいからお父さんとえっちゃんにあげますね。代わりにジャムのサンドイッチをください、ピーナッツバターも可です」
「俺は塩むすびがいい」
誠一と悦巳は喧嘩を止め、どちらからともなく娘と手を繋ぎ、白い屋敷へ帰っていく。
二人の父親にブランコされながら、いずれブライダルピンクの如く咲き誇る少女は笑っていた。
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