オレオレ御曹司

まさみ

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歯ブラシのキス

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みはなはいい子なので早起きをする。
誰に起こしてもらわなくても毎朝一人でちゃんと起きて顔を洗いに行く習慣が付いている。
洗面台に一番乗りしたみはなは、愛用のうさぎさん型踏み台にうんしょとのぼり、ピンクの歯ブラシにいちご味の歯磨き粉を搾る。
みはなは知っている。歯磨き粉には大人用と子供用の二種類があって、子供用はいちごとかバナナとかパイナップルとかおいしい味がする。主にフルーツが多い。
大人向けは鼻にツンとくるミントの味で、前に一度ねだって分けてもらったが、我慢できず吐き出してしまった。悦巳は「あーみはなちゃんムリするからー、幼稚園児は背伸びせずいちご味でいいんスよもー」と慌ててフォローしたが、その優しさがかえってデリケート極まる子供心を傷付けた。
みはなは物知りだ。そして日々成長している。
幼稚園や家で、あるいは帰り道で、はたまた悦巳と買い物にでた先のスーパーや商店街で毎日色んなことを学んでいる。みはなと手を繋いで帰る間、おしゃべりな悦巳は目からウロコ情報を教えてくれる。
たとえば三毛猫にはメスしかいないとか(ごくたまにオスもいるらしいけど超レアっす、捕まえればペットショップに高く売れるっす)スーパーで袋売りされてる中からおいしいみかんを見分けるコツとか(おにぎり型より平べったく潰れてるほうが甘いんすよ!色は赤みが強いほうがおすすめっす!)全部悦巳から教わった。
「ふあぁ~あ。おはよっすみはなちゃん」
「おはようございますえっちゃん」
「今日も早起きっすねーちゃんと一人で起きれて偉いっす」
パジャマをはだけて腹をかきかき、あくびをかまして悦巳がやってくる。児玉家の家政夫はねぼすけだ。洗面所に一番乗りすることはほぼない、大抵二番目か最下位。
寝癖ではねた茶髪は根元が黒く染まって、カラメルプリンみたいでおいしそうだ。プッチンプリンはそのままでもイケるけど皿に移すと贅沢感あるっすよね、と悦巳も言っていた。
「今日の朝ごはんはなんですか」
「うーんと……これから考えてるっす。とりまお味噌汁にお麩と油揚げっすかね、昨日買ったアジが冷蔵庫ん中にあったから焼き魚もいいかもっす」
「和食ですね」
「洋風がいいっすか?ハムエッグとトーストなら作れるっすよ、半熟目玉焼きは自信ねーけど。水入れるタイミングがむずかしくてこがしちゃうんすよね」
「どっちも好きだからおまかせします」
「みはなちゃんはなんでもよく食べるいい子っすね、今ににょーんと大きくなりますよ」
「みはなねこさんじゃないのでにょーんとは伸びません」
「ごめんなさい」
パジャマ姿のみはなにキリッとお叱りを受けて軽口を反省、おどけて首を引っ込める。悦巳がプラスチックの歯ブラシ立てから自分のをとり、赤白青三色の歯磨き粉をてっぺんに絞り出す。
キレイな波形に先端をひねり、達成感に満ちたドヤ顔をキメる。
「どんなもんっすか。幸先いいっすよ」
「早く磨かないとお父さん起きちゃいますよ」
「せいいちはんなんてずーっとねはへとへはいいんへふほ」
無造作に歯ブラシを突っ込んでしゃこしゃこやりだす。誠一の名前を出した途端不機嫌になった。
みはなは歯を磨く手をとめて、拗ねる悦巳をまじまじ見上げる。
「また喧嘩ですか?今度はなんですか。お父さんのプリン勝手に食べたとか」
「みはなちゃんまで人をいやしんぼみてーに……誠一さんはプッチンプリンを冷蔵庫にしまっときませんよ」
「食べられちゃいました?」
「俺のプリンなら油性マジックで名前書いてるからそんな間違いおきませんよ、嫌がらせは除いて」
「原因はなんですか。待って言わないでください、いまあてます」
「あてても別にいいことねーっすよ」
悦巳が憮然と口の中を泡立て、三拍子のリズムでうがいをする。
すべらかな眉間に川の字を刻み、二人の喧嘩の理由をああでもないこうでもない模索するみはなに悦巳が注意をとばす。
「手がお留守っすよ」
洗面所に不機嫌な足音が殴りこむ。
「相変わらず早いな」
「おはようございますお父さん」
今日は最下位の誠一の登場だ。三人そろって洗面所に詰めかけるのは珍しい。歯ブラシを含んで振り返ったみはなは目をまるくする、誠一の額に絆創膏が貼られていたからだ。
「どうしたんですか?」
「寝相が最悪の家政夫にベッドから蹴落とされた」
「当て付けがましっすね、そっちが蹴ってきたきたからか蹴り返したんすよおあいこですって」
「だからって蹴落とすヤツがあるか、額にこぶができたぞ」
「ちょっと赤くなっただけっしょ大袈裟な」
悦巳が歯ブラシを咥えて抗議する。喧嘩の理由が大体判明した。
誠一は唇をへの字に結んだままみはなの右隣に立ち、悦巳を無視して歯磨きを始める。
みはなの左隣の悦巳も誠一とは目を合わせず、やけ気味高に歯ブラシを動かす。
二人に挟まれたみはなはあきれ顔だ。
「喧嘩するなら別々のベッドで寝ればいいじゃないですか」
子供特有の純粋な眼差しで見比べられ、誠一と悦巳はさらに沈黙するはめになる。
「俺がいなくなると誠一さん寂しがるんすよ」
「子供扱いするな、広くなって万々歳だ。大体ベッドなら別にあるだろ」
「帰してくんないのはそっちでしょ」
「用が済んだら勝手に戻ればいいだろ」
「加減してくださいよ、こっちはバテバテだって」
「若いくせに横着するな」
「おじさんの分際ではりきりすぎっすよ」
「撤回しろ、まだ三十路前だ」
「立派におじさんじゃねっすか、場外乱闘持ち込んで一児の父として恥ずかしくないんすか」
また始まった。悦巳と誠一は顔を合わすと喧嘩する。
頭の上を飛び交うことばの散弾にみはなすっかり慣れっこで、落ち着き払って口をゆすぐ。
「がらがらがらがらがらがら」
幼稚園の先生が風邪予防によくうがいしなさいと言っていた。みはなはきちんと教えを守って、きっかり十回うがいをする。
コップの水を口に含んで泡立て洗面台に吐き出すくり返しの間も、悦巳と誠一は大人げなさ全開で争ってる。
「腰が立たないなら這って帰ればいいだけの話だろ」
「とんでもねー鬼畜発言っすね、まさに外道っす」
「お姫様だっこで運んでやれば満足か?アレは特別サービスだ、利子が高く付くぞ」
「ンなこと言ってねーっしょ一言も、大体誠一さんは寝てる時まで態度がでけーんすよ俺んこと端っこに追いやって肩身狭いったらねーっすよ」
「家政夫の厚かましいヤツだな、そっちこそ大の字高鼾で何様だ。俺の枕カバーに不愉快なヨダレまで付けて」
誠一と悦巳はお互いむきになって正面を見続ける。
一旦喧嘩をはじめると、原因がどんなささいなことであっても意地を張り合ってこじれるお約束だ。
決して互いに目を合わせず、鏡の中の自分に不満をぶちまける似た者同士の姿に、みはなは特大のため息を吐く。

しかたない。かすがいの出番ですね。

「ふたりとも、はやくがらがらぺっしちゃってください」
やれやれと促され、悦巳と誠一は互いにコップをひったくり口をすすぐ。
どちらが早く終えるか競争でもしてるのか、秒差で悦巳が勝利を掴み「やりぃ俺の勝ち!」とガッツポーズをきめる。
「は?何のことだ、今なにか勝負してたか」
「あ~~ずるいっすよ誠一さん、今のぜってーうがい早く終えたもん勝ちの空気だったっしょ!?」
「知ったこっちゃないな」
悦巳と誠一が同時に歯ブラシ立てに歯ブラシを戻す。悦巳は緑色で誠一は青色だ。みはなは踏み台から身を乗り出して、人さし指でそーっと歯ブラシを突付いて横に向ける。
緑と青の歯ブラシが向き合って、ブラシ同士がちょこんとキスする。
「なにしてんですかみはなちゃん」
「仲直りのおまじないです」
みはなの奇行に気付いた悦巳と誠一が口論を打ち止め、目に興味をのぞかせる。みはなは得意げに顎を引き、自らキスさせた歯ブラシを披露する。
「おんなじクラスの綾ちゃんが言ってました。綾ちゃんのお父さんお母さんは喧嘩のたんび歯ブラシさんをこっつんこするんです。あとから起きたほうは仲良し歯ブラシさんを見て、しかたないなあって許してあげるんですよ」
みはなの無邪気な発言に、誠一と悦巳はどちらかともなく顔を見合わせる。気まずい沈黙を破り、先に謝ったのは悦巳だ。頭の後ろに片手をやって、のろけたもといヘタレた笑顔で誠一を仰ぐ。
「誠一さんごめんっす、みはなちゃんの前で大人げなかったっす。寝相、次から気を付けるっす」
「……こっちも言い過ぎた。次からなるべく手加減する」
「ホント頼むっすよ、せめてベッドに戻る余力は残しといてくんなきゃ」
誠一が咳払い一回、何故か頬を赤らめてそっぽをむく。
二人の仲を取り持ったみはなはにっこり笑い、子供用のピンクの歯ブラシを、緑と青のブラシの真ん中に立てかける。
「歯ブラシさんもおそろいで川の字です」
みはなを真ん中に挟んで向き合い、照れくさそうに微笑み交わす誠一と悦巳の姿は、なるほどホームドラマの風物詩の川の字と言えなくもない。
「そうだな」
誠一が苦笑がちに額の絆創膏を剥がしゴミ箱に捨てる。
絆創膏を剥がしたあと、わずかに赤くなった額を目の当たりにした悦巳は指さして騒ぎだす。
「あっ、やっぱこぶなんて嘘じゃねっすか!ホントずりーずりーずりー、絆創膏無駄遣いしないでくださいよ」
「反省を促そうとしてな」
「は?なんで俺が反省すんすかそっちっしょ、ベッドの中まで暴君は改めてくださいよ」
「口ごたえすると床で寝かせるぞ」
「いーっすよ別に、誠一さんに蹴落とされるのにヒヤヒヤするくれェならカーペットにくるまったほうが安眠できるってなもんっす、なんならみはなちゃんのベッドに入れてもらうっすもん、ねーみはなちゃ」
「定員オーバーです」
「えっ」
「みはなとミッフィーで定員オーバーです」
「ンな殺生な~、俺とみはなちゃんとミッフィーで川の字きめましょうよねっねっ?」
「みはなはまあいいですけどミッフィーがなんていうか」
「なんでそんな塩対応なんすかミッフィー!」
「ないしょで洗濯機にかけようとしたからぷんすかしてます」
まさかの裏切りに動揺あらわ、べそかく寸前の悦巳の手をすりぬけてキッチンへ走り出す。
「朝ごはんの時間ですよ!」
一足先にキッチンへ直行したみはなを見送ったあと、洗面所にとり残された悦巳と誠意はもういちど顔を見合わせ、可愛くてたまらないといった親ばか丸出しの笑顔でのろけまくる。
「うちの子にはかなわねっすねえ」
「ホントにな」
「歯ブラシ同士でキスだって。使えそっすね」
「お前が俺より早起きしなきゃ意味ないな」
「は?なんで謝るの俺が先って決め付けるんすか」
「お前が原因のケースが圧倒的に多いからな」
「なーんか納得いかねっす、今朝のに関しちゃ誠一さんに半分非があるっしょ」
「事が終わればさっさと放りだせばよかったっか」
「……はあ」
悦巳ががっくり肩を落とし、緑の歯ブラシを弾いて一回転させる。
歯ブラシ立てにあたった柄が軽快な音をたて停止、青い歯ブラシとバッテンじるしに交差する。
「言わせないでくださいよ。いちゃいちゃしたいに決まってるでしょ」
「だろうと思った」
みはながキッチンで冷蔵庫を開け閉めする気配が伝わる。
洗面所の入口を背にした誠一が悦巳に急接近、ヘアバンドでまだまとめてない髪をかきあげ、無造作に暴いた額にキスをする。
「みはなが待ってるから飯にするぞ、早くその邪魔な髪をまとめてこい」
大股に洗面所を出ていく背中を呆けて見詰め、悦巳は「ちぇー」とむくれて青い歯ブラシを弾く。
青い歯ブラシが軽快に回り、再び緑の歯ブラシとキスをする。
歯ブラシも家族も仲良く川の字、それが児玉家の朝の日常風景だ。
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