オレオレ御曹司

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三十八話

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 低く断続的な排気音が切れ、エンジンの冷却を待たず後部ドアが蹴り開けられる。
 「だから救急車よべよ!」
 転がりでたのは悦巳。ドアを蹴り開けた勢い余って固いコンクリの上に転げ落ちてもへこたれず跳ね起き、うんざり気味に降り立つ大志に激しい剣幕でつっかかる。
 「アンディ見殺しにする気かよ見損なったぜお前そんな薄情な奴だったのか、アンディぼんって飛んだんだぞぼんって、車に正面衝突して、ボンネットでぼんっ!て、あれ見たかよ確実に1メートルくらい飛んで舞ったって!」
 「あーもーうるせえうるせえ」
 手を翳し高さを強調する悦巳に対し耳ほじりながら生返事で受け流す大志は呑気なもの、いや、のどかすぎると言っていいだろう。とてもじゃないが今しがた轢き逃げに加担した凶悪犯とは思えない。
 バタンとドアを閉め、うるさくまとわりつく悦巳を軽くいなす。
 「車ん中でもずっと喚きっぱなしじゃねえか、喉枯れねえか?」
 「ふざけんなよ……」
 途中何度も引き返せと叫んだ、ドアをひっかき蹴りつけがちゃつかせ今ならまだ間に合うきっと間に合う救急車を呼んでくださいとハンドルを握る御影に半泣きで懇願すれど笑って済まされ聞き届けられず多少の怪我は覚悟の上で走行中の車から飛び降りんとした悦巳の後ろ襟を掴んで引きずり戻したのは大志だ、ばたつく悦巳に蹴られ踏まれても羽交い絞めをやめず引き止めた大志の存在なくば今頃路上で屍を晒していた。
 面倒くさそうにあしらう大志に猛然と詰め寄り、全身に怒りを滾らせ絶叫する。
 「なんでんな飄々としてんだよお前、アンディ轢いたんだぞ、しっ……んだかもしんねーんだぞ!!?」
 がちがちと歯が鳴る。
 「―し、ん、死んじまったらどうするんだ、いくらでかくて固くて黒くて頑丈だって一応人間なんだぞアンディは、車に轢かれたら死ぬだろ普通、タイヤがごぎゃりって言ったしアレぜってー踏んだし、し、し、し……」
 頭の中をぐるぐる回る記憶、アンディとの出会い、毎日毎日ドアの前に立ち続け社長の留守を預かり続けた最強の仕事バカ、悦巳とみはなの安全を万全を期して守り貫いた最高のボディガード、悦巳の相談役で苦情処理係で用心棒、誠一に面と向かって言えない不安や不満や愚痴もけっして他言しないアンディになら相談できた、アンディは悦巳にとって大事な人間家族に次ぐ大切な人、いや、殆ど家族同然だったのに
 「アンディはいい奴なんだ、毎日相談のってくれて、自分だって一日中立ちっぱなしで疲れたに決まってんのに、缶ビールもって押しかけたら付き合ってくれて……」

 アンディが死んだ?
 俺のせいで?
 俺が巻き込んだ?

 どうして体を張って止めなかった犯人と一緒の車に乗ってたのに、そうだ止めるべきだった運転席に乗り出してハンドルを違う方向に切るべきだった御影さんの企みを阻止できたのは俺だけだったのに、バックミラーが切り取った不穏な笑みを見れば御影の思惑なんてすぐわかったのに肝心の俺が馬鹿で間抜けで臆病なせいで出遅れた、ごめんアンディごめん俺のせいだ、待ってろ今すぐ救急車よぶから……
 去り際ガラス越しに目撃したアンディはうつぶせたままぴくりともせず生死の判別もつかない状態だった、スウェットの懐とズボンのポケットを裏返し性急にまさぐる、服の内側に手を突っ込みようやく見つけたそれは料金未払いで繋がらない、馬鹿なにやってんだ俺ひとり空回ってばかじゃねーのしっかりしろ道化め、ひとりコントやってる場合じゃねえだろ、役立たずの携帯を腕振りかぶってぶん投げる。
 「大志!!」
 携帯をかなぐり捨て大志にしがみつく。
 「電話、病院に、救急車よんでくれ!携帯もってんだろ使えんだろ貸してくれ、病院に、それか誠一さんに……アンディがやべえって知らせなきゃ」
 「あいつに?」
 誠一の名を口走った途端大志の目の色が変わる。
 肩を掴む悦巳の手を邪険に振り払い、よそよそしく振る舞う。
 「心配しなくたって死にゃしねえよ。鉄板仕込んでるみてえな腹筋だったぜ」
 「けど!」
 一瞬の隙をついて鼻先につきつけられた拳に面食らう。
 虚空に突き出した拳をぱっと解き放ちひらつかせ大志がぼやく。
 「拳の治療費請求してーくらいさ。人間戦車か、あいつは」
 「ひっでえ、車ん中泥だらけじゃねえか。高かったんぞ」
 スマートな長身を折って車内を覗き込んだ御影が大袈裟に嘆けば、悦巳を庇うように素早く前に出て大志が詫びる。
 「すいません、あとで掃除しときます」
 「しょうがねえな……あーあ、ボンネットへこんじまって。何で出来てんだよあいつ」
 自分が轢いた人間より愛車の心配をし、衝突の痕跡を残し陥没したボンネットをなでる御影にたまらず飛び掛ろうとした悦巳を押さえ、そのままずるずるエレベーターへと引き立てる。
 「はなせよ大志こいつがアンディ轢いたんだぞ、人殺し!」
 チンと軽快な音たてエレベーターが地下駐車場に到着、箱が一揺れし上昇開始。
 現在地すら正確に把握してない、車窓の景色を眺める心の余裕などなかった、マンションの所在地は判断しかねる。距離と方角からおよその見当はつくが……
 「引っ越したんだ」
 悦巳の胸中を見抜いたように御影が口を挟む。
 その口調があまりに悪びれず飄々としてたのと叫びつかれたのとで脱力、壁にもたれてずり落ちつつなげやりに皮肉る。
 「……もうかってるんすね」 
 「おかげさまでな」
 肘がくっつく距離に寄り添う大志と御影の顔色を見比べつつ脱出の方法を模索するも、さりげなく注意を払っていた大志によって牽制される。
 「諦めろ。もう詰みだ」
 エレベーターの扉は固く閉ざされ宙吊りの密室から脱出不可能、御影と大志に挟まれたこの状況下で外部に連絡をとり助けを求めるのは不可能だ。助け?誰に助けを求めるつもりだ、いないだろうそんな相手、携帯だって通じないのに……別れ際の誠一の様子を思い出す、みはなの泣き声を思い出し胸が痛む、それらに背を向け走ってきた自分になくしたものを惜しむ資格はない。
 アンディはどうなった。悦巳にできるのは無事を祈ることだけ、携帯が使えるなら即座に救急車をよんだ、だけどそれさえできず結果として路上に放置した罪悪感に胸が疼く。
 せめて誠一が気付いてくれれば……
 「アンディ……」
 気弱な呟きを聞き咎めた大志が胡散臭そうにこちらを向き鼻を鳴らす。
 「俺以外にダチができたみたいでよかったじゃん」
 「お前……」
 哀しい。悔しい。どうしてだ大志、お前はそんなヤツじゃなかったろう、正義感が強くて喧嘩っ早くてガキの頃俺がびいびい泣いてたら真っ先にとんできていじめっ子をやっつけてくれたお前がどうして
 「どうしてだよ……」
 やりきれず俯くと同時に乾いた血がこびりついた手が目にとまる。
 はっとして顔を上げ、改めて頭のてっぺんからつまさきまで見直す。
 いつも逆立てている髪は崩れてばらけ、唇は切れて腫れ、頬には痣ができた悲惨な顔に驚く。
 「……大丈夫か?」
 思いがけぬ質問に虚をつかれ目を瞬く。
 アンディの安否を気に病む一方、拉致の片棒担いだ幼馴染の怪我を気遣うズレっぷりにあきれはて苛立たしげにそっぽを向く。
 「他人の心配してる場合かよ」
 反駁を遮るようにしてドアが開き、エレベーターが目的階に到着する。
 「来い」
 革靴が床を踏む。先に立って歩き出す御影に続く。
 悦巳はエレベーターの中に立ち尽くし尻込みしたが、ここでまた御影の手を煩わせ不興を買ってはマイナスの結果しか生まないと、舌打ちした大志が肘を掴み強引に歩かせる。
 廊下を引きずるようにして連れて行かれた先にはドア。
 「俺だ。いま帰った」
 『お疲れ様です』 
 中から誰かが駆け寄る足音、続くチェーンを解除する金属音。
 やがてドアが開き、せいぜい二十歳前後だろうニキビあとが目立つ若者が顔を出す。
 御影を見るや一転腑抜けた顔が引き締まり、卑屈なまでに萎縮しきってドアを押さえぺこぺこ頭を下げる。
 御影が靴を脱いで上がる。悦巳もまた大志とともに玄関へ。
 「どうした?」
 御影が振り返る。まともに目が合い狼狽する。
 「え、あ、いや」
 「あ?……そうか、スリッパなくて悪いな」
 誠一のマンションでは代わりにスリッパを履く習慣が身についていたため靴を脱ぐのに抵抗を覚えたのだ。
 「馬鹿」
 「いて」
 後につかえた大志が小声で毒づき肩を小突く。今はまだ安定してる御影の機嫌を損ねるのを恐れたのだろう。
 「仲いいなあお前ら」
 大志の心配は杞憂で済み、じゃれあいを鷹揚に評すコメントには苦笑の成分が含まれていた。
 もたつくなと叱責を受けあたふた靴を脱ぎ、こけかけた姿勢をたたらを踏んで回復したのちもつれる足取りでたたきに上がる。
 薄汚いスニーカーが玄関に転がる。
 ちゃんとそろえなきゃみはなに怒られるという考えが頭をかすめ、もうそうする必要はないのだと思い出す。
 「ぼうっとすんな。おいてくぞ」
 玄関に倒れたスニーカーをはたしてどんな顔で見詰めていたのか、上の空の悦巳を引っ張って奥へと強制連行する大志。御影が陽気に両手を広げ歓迎する。
 「ウェルカムトゥホームスイートホーム」
 玄関から続く廊下を抜けた先は広々したリビングルームになっていた。
 フローリングの床に寝転がり雑誌を読んでいたカジュアルな服装の青年が、ペットボトルのコーラをがぶ飲み煙草を喫いだべり屯っていた若者たちが上司の帰還を察し一斉に顔を上げる。
 仕事をサボりごろごろしていたバイトの醜態に御影が渋面を作る。
 「なんだ、休憩中かよ。目えはなすとすぐこれだ、ちゃんと監督しとけって言ったろ」
 「すいません御影さん」
 「お留守番も満足にできねえのかよ、幼稚園児以下だな」
 謝る若者をペットの如く手を振り下がらせ、正面奥に据えられたステンレスのデスクに座る。
 長々と吐息し椅子にて身を寛がせ、悠揚せまらぬ物腰で机上の書類を整理する。
 大志にせっつかれ御影のもとへと向かいつつまわりの様子に目を配る。
 リビングに入り浸る若者たちの顔をひとつひとつ観察、せめてもの気休めに見覚えある顔をさがす。
 何人か見知った顔が混じっている。
 悦巳が来る前からいたものや同時期に入ったものもちらほらいるが圧倒的に初対面が多い。
 彼等に共通するのは御影に案内されやってきた来訪者への警戒心、新旧とりまぜた顔ぶれが好奇心と不審感とを孕んで成り行きを監視する。
 「感想は?」
 「……広くてキレイっすね。家賃高そう」
 書類整理が一段落するや椅子を回し優雅に足を組んで御影が投げた問いに、ややあって率直な感想を述べる。
 御影は定期的に職場を変えた。
 長く一箇所に留まっていたら足がつく、警察にしっぽをつかまれる。
 その為長くてもせいぜい二・三ヶ月の周期で転居を繰り返していたのだが、現在の職場は悦巳の知る限りもっとも広く新しく清潔で、古参を追い落とし組織で台頭した地位と権勢をおのずと誇示する。
 「人増えたから拡張したんだよ」
 まんざらでもなさげに言い、優越感を含んだ声色で含み笑う。
 「どっかの誰かさんがしゃかりき業績伸ばしてくれたおかげで素敵なマンションに引っ越せたのさ」
 「…………」
 「お前さんの手柄だ」
 大胆に両手を広げ、十数人から成る若者たちが仮の事務所として待機する大所帯を指し示す。
 背中にちくちくと非友好的視線が突き刺さる。
 リビングに集う若者たちが空気の変化を敏感に察し、机を挟んで対峙する二人の様子を作業の片手間に盗み見る。
 自重を掛けた椅子が軋む。芝居けたっぷりに足を組み換え前傾し、机に手をつく。
 「端的に言うが―……戻って来い、悦巳」
 「………………」
 「どうせ行くとこねえんだろ?働き先もねえんだろ?だったらいいじゃねえかなあ、元いたとこに戻って来い、こっちは大歓迎だぜ即戦力なんだから。わざわざ迎えに上がった誠意を汲めよ」
 「俺、は」
 「どうした?言ってみ?まぁただんまりか?返事はハイかイエスか応でな」
 親切ごかした素振りを装いながら弁明の余地を与えず矢継ぎ早に畳み掛ける。
 口元は笑ってるが目は笑ってない、顔の上と下とで温度差がある。
 逃げ出すなら車のドアが開いた時が最後のチャンスだった。
 轢き逃げのショックで錯乱し致命的なミスを犯した。
 体の脇におろした手を忙しく開閉、汗がひくのを待ち背後のドアの位置を把握する。
 御影の視線から逃れたい、この場から逃れたい。さもなくばプレッシャーで圧死しそうだ。
 ハイかイエスか応。
 ノーは選択肢にない。
 「……なあえっちゃん、俺はお前を買ってるんだよ。がっかりさせんな。なにが不満だ。給料か。待遇か。だったら検討するさ。この業界も人材難は深刻でな……ご覧のとおり入れ替わりが激しいんだ」
 引き金をひくように人差し指を曲げこめかみをつつく。
 「詐欺ってのはここを使う。頭がよくて口が上手いヤツしかできねえ仕事だ。もっと自信をもて、この俺がデキるヤツだって認めたんだからよ。正直最初大志が引っ張ってきたときゃ半信半疑だったんだがよ、仕事ぶりを見て評価を改めた。俺はお前を買ってるんだ、悦巳。認めてるんだよ。信用してるって言い換えてもいい」

 ずっとだれかに認めてほしかった。
 役に立つ人間だと言ってほしかった。

 「俺は能力のある人間が好きだ。お前が無能だなんて思った事は一度もねえ」
 ずっと誰かに必要とされたかった。
 その願いがいま漸く叶ったというのに、うそ寒い世辞が上滑りするほどに心は不感症になっていく。

 端整な口元がゆっくりと欺瞞の弧を描く。
 「自分で気付いてないのか?自覚がねえなら大したもんだ。お前さ、電話とると声色変わるんだ。大した役者だよ実際のとこ、相手によって声色と態度を完璧使い分けてやがる。勘なのか、それって。一朝一夕で身につくもんじゃねえよな」
 当たり前だ。
 ひとに必要とされたくて褒められたくて好かれたくて物心ついてからずっと顔色を窺って生きてきた、人の顔色を読むのは得意だ、相手が気に入る人間を演じきるのはお手のもの、それ即ち環境に順応し適応していく上で需要から生み出された柔軟な演技力、必要に迫られ磨き上げた詐欺師のテクニック、傾向が習性となった人間の業。
 悦巳は自身が思っているよりずっと大した人間だと悪魔が囁く。
 だから俺のもとに来い役に立てと、手足となって働けと猫なで声で誘惑する。
 「給料は……おいおい考えてやる。お前だって何かと物入りだろ?まだ若いんだ、はじけてえだろ。素材は捨てたもんじゃねえのにンな薄汚えナリしてたら女にモテねえぞ」
 御影が大志に向き直り大声を出す。
 「お前だってそうだろ大志、えっちゃんとまた一緒に働きてえだろ?」
 戸惑いがちに大志を仰ぐ。
 「………大志………」
 「諦めろよ、悦巳。お前にできることなんてたかが知れてる」
 革ジャンのポケットに手を突っ込み、斜に構えた態度で言い放つ。
 すさみきった横顔からは自分を虐げ続けた世間への根強い不信と鬱屈、奥に燻る怒りとが窺える。
 「嘘ついて騙して金稼ぐ、それがお前の天職だよ。それ以外に何ができる?言ってみろよ」
 「………」
 「できねえだろ。そりゃそうだ、いざって時尻拭いしてくれる家族もなし、中卒、そんなヤツを雇うとこがあるか。俺が口きいてやんなきゃここでだって働けなかったんだぜ、ひとがせっかく紹介した職場蹴りやがって、わがまま好き勝手も大概にしろよ。何がひと騙すのはもういやだ、じいちゃんばあちゃん騙すのは良心の限界だ、お前がいつまでたっても甘ちゃんだから俺が」
 「落ち着け、えっちゃんが困ってんだろ」
 激しく責め立てる大志を苦笑で宥め、俯く悦巳に何かを投げる。
 「実践だ」
 携帯を投げ渡しさも愉快そうにほくそえむ。
 「口で説明するよか実際に見せたほうが早い」
 「何を……」
 皆まで聞かずともわかる。口に出しかけた問いをひっこめ凍りつく。
 椅子に腰掛けた御影がリビングを見渡し、携帯をいじっていたバイトを手を叩いて呼び集める。
 「さあ集まれお前ら、ヤリ手の先輩が三十人のジジィとババァの年金しぼりとった詐欺テクをご披露してくれるぜ」
 心臓が止まる。
 ソファーで仮眠をとっていた下っ端がのそのそと起き上がり、輪になって雑誌をめくるなりスナック菓子をぱくつくなりしていた若者たちが反応し、緩く連携して悦巳を包囲する。
 だるそうに歩いて机のまわりに集合した若者たちの顔に浮かぶのは薄い好奇心と期待感、先輩にあたる男の手並みを冷やかし半分に拝見しようという不真面目な興味。
 「リストだ。誰でもいいから掛けてみな」
 机上に乗った資料を無造作に投げ渡す。
 その手を払いのける勇気がない、突っぱねる度胸がない。
 「こいつらはお前と入れ違いにやってきた、言うなりゃ後輩だな。さっぱり使えなくって参ってんだ。おかげで業績ガタ落ちだ。いっちょ手本見せてくれや」
 わかりやすい揶揄と挑発を込めてリストをもつ悦巳を値踏みし、扇動的な演説で士気を鼓舞する。
 「現役引退なんてつれねーこと言うな、前線引くにゃまだ早い。振り込め詐欺のプロでうち一番の稼ぎ頭、テク鈍ってねえって証明してくれや。さあ勉強会の始まりだ、可愛い後輩たちに年寄りだまくらかして年金絞り取るノウハウ実地で教えてやってくれ。商売繁盛の秘訣は人材育成と後進教育、新人指導の良し悪しが流れを決める。お前らもボケッとすんな、二枚舌ペラまわしてン千万の収益上げた先輩のテク盗み取れ」
 饒舌な前口上をしめくくり、特等席にふんぞりかえって高みの見物を決めこむ。
 勉強会の名目でこれから行われようとしている出し物に群がる若者たちをよそに、衆人環視の中孤立した悦巳は思い詰めた目で大志に助けを求めるも、突き放すように無視される。
 緊張から来る手の震えが伝わりリストの束がかさつく。
 大きく息を吸い、吐く。胸が浅く上下する。御影がにやにや笑ってる。
 まるで踏み絵だ。
 電話を掛ける勇気があれば仲間だと認めてやる、五体満足無事に帰してやる、だが逃げ出せば……
 「どうした?何ぐずぐずしてんだ?三十人の年寄りを騙して不幸のどん底に突き落としといて今さら偽善者ぶんのかよ」
 御影が背中を押す。
 「できたんだ、できるだろ。思い出せよ自分がどういう人間だったか」
 鼓膜に声が絡みつく。
 「良心に目覚めた?笑わせんな、今さらだ。そんな偽善通用すんのは最高でも十人までだ、お前自分が何人詐欺にかけたか都合よく忘れたのか、三十人だ三十人」
 ギッと椅子が軋む。
 浅く腰を浮かせ身を乗り出し、ためらう悦巳の頬に手を翳す。
 手が触れた瞬間びくりと体が強張り、目に怯えの光が走る。
 「手遅れなんだよ」
 手遅れ。
 「三十人だますも三十一人だますも一緒だ。もう開花しちまったんだよ詐欺師の才能、だったらそれ生かして邁進しろ、天職見つかってよかったじゃんか、よかったなおめでとうこれでもう誰もお前をばかにしない役立たずなんて言わないぜ、だってお前はどう転んだって俺たちに必要な人間だ、てめえの身内でもねえジジィババァがしこたま咥えこんでる年金ぶんどったからってつまんねえ罪悪感おぼえんなよ、金は天下の回りもの、ヤツらが死ぬまで待ってたら腐っちまう、あるとこからいただいて何が悪い、俺も潤い組も潤いお前も潤う最高じゃねえか」
 頬に手が触れる。
 手のひらでいやらしく頬をなぞり、ぬるい吐息を絡めて噛み含める。
 「俺が知ってる瑞原悦巳はえっちゃんなんてぬるいあだ名に喜ぶ残念なバカじゃなかったぜ」
 えっちゃんと、泣き叫ぶみはなの声が甦る。
 「ちょっと見ねえあいだに日和っちまったか、ままごとごっこで腑抜けちまったか?ジジィババァカモにして焼肉舌鼓みの瑞原悦巳はどこいった、ノルマ一位のご褒美におごってやった焼肉食ったよなうまそうに、年寄り泣かせたあとに焼肉がっつけんだから図太いぜ」
 指先が頬を這う。
 振り払う気力が折れる。
 手遅れだもう何もかも、この人に捕まっちまったら一巻の終わりだ、だってそうだろああその通り俺はこの人の言うとおりクズなんだからクズはクズらしくクズと割り切って仕事すりゃあいい、ずっと前からやってきた今からやろうとしてること、真人間目指すとか更正するとかキレイごとばっか過去清算しなきゃ意味ねえのにびびって逃げ出したのがクズの限界だ。
 『三十人騙すも三十一人騙すも一緒だ』
 催眠術にかかったように緩慢な動作で携帯に番号を打ち込み耳にあてがい荒ぐ呼吸を調整、保身の一念に基づく利己的な打算を働かせる。
 周囲には振り込め詐欺の実行部隊とヤクザの舎弟が十人近く、四面楚歌と孤立無援が合わさって絶体絶命を導いた状況下では楽観的な見通しなど立ちようがない。
 ヤクザは面子を潰されるのを何より嫌う。
 少しでも反抗的態度を示そうものなら半殺し確定、まかり間違って恥をかかせたら恐ろしい制裁が待つ。御影はそれを見越し罠に誘い込んだ、数の優位で圧力をかけじわじわ生殺しの嬲り者にしつつ逃げ道を絶つつもりだ。
 大志は頼りにならない。今は素直に言うことを聞け、要求を呑んで隙を窺え……
 ふりだ。ふりをするだけでいい。そうしなきゃこの人は納得しない、絶対うちに帰してくれない。

 うち?

 帰るうちなんてねえのに。
 どこにもねえのに。
 「おかえりなさい」を言ってくれる人なんていやしないのに
 『えっちゃん』
 手の中の携帯が振動する。
 瞼の裏にあどけない面影が浮かぶ。
 泥だらけでべそかくみはなの顔。 
 
 帰るうちもねえのに、何をこだわるんだ?

 「どうした。早くしろよ。本性見せろ」
 御影が耳元に口を寄せけしかける。
 「腹くくっちまえ。御影さんの厚意を無駄にすんな」
 大志がじれて急かす。
 ボタンに乗せた指先が停止、青白く光る液晶を唾を飲み凝視。
 単調なコール音のあとに携帯が繋がる。
 『もしもし、どなたですか』
 柔和に老いた、いかにも温厚そうな女性の声が心地よく耳朶をくすぐる。
 機械を介してなお愛情深く思いやりに溢れたその声が元気だった頃の華に似すぎているのは皮肉な偶然か運命の悪戯か。
 何十回、何百回と繰り返したやりとりをなぞるように震える唇を開く。
 当然、なんて続ければいいかわかってる。
 だって俺は、詐欺師だから。この道のプロだから。これで食ってきたんだから。

 『妙な気おこすんじゃねえぞ。ぜったい逃がさねえから』『ねえ、今年のお正月は帰ってこれないかしら』『困ったことがあったらなんでも言って、少しは余裕があるの』俺は嘘つきだ『そうかそうか、じいちゃんに似たんだな!』違う本当はそうじゃないあんたの孫じゃない赤の他人なんだ金が欲しくて嘘ついて話し相手になった『腰の心配してくれるの?いい子ねえ』最低だ『なに、盆栽折れても接ぎ木すりゃいいからよ。心配してくれてあんがとな』やめろお願いだやめてくれありがとうなんて言うなそんな言葉もらう資格俺にない俺は悪くない


 だって、助かる為にひとを犠牲にするのは正しいことだろ?
 みんなあたりまえにやってることだろ?
 三十一人切って俺ひとり助かるなら  


 「オレオレ、ばあちゃん……」


 『オレオレさんは本当にいい子ねえ』
 『みはな、嘘つくひときらいです』


 俺だって嫌いだ。
 大嫌いだ。
 自分を好きになれたためしなんて一回もなかった。
 好きになれたのは、好きになってくれた人たちがいたからだ。
 俺をいい人だと信じてくれた人たちがいたからだ。


 今ここで裏切ったら、信じてくれた人たちに申し訳立たねえだろ。

 『うちの家政夫として恥ずかしくないよう振る舞え』

 そう言ってくれた、あの人の信頼に背くことになるだろう。
 

 「……ばあちゃんの、孫の友達です」
 周囲の思惑と予想を裏切り、続く言葉はごく自然に唇から零れた。 
 『え?』
 「あなたのお孫さんがよろしく言ってました。元気でやってるから大丈夫だよって。あなたもお元気で。じゃ、失礼します」
 相手に見えないのを承知で頭を下げ電話を切る。
 「………何の真似だ」
 口火を切ったのは御影。
 頬に手を翳した中途半端な体勢から目を細めてこちらをのぞきこむ。
 「ご覧のとおりっすよ。俺は無能で使えない三流詐欺師ってことです」
 携帯をぽんぽんと投げ上げ絶句した大志の手に押しつける。
 机越しに御影と見つめ合う。
 この説明じゃご不満とおぼしき御影にまっすぐ背筋を正し向き直り、きっぱり度胸の据わった笑顔で誇らしげに報告する。


 「嫌われたくない子がいるんです」

 
 蹴倒された机から大量の書類が雪崩れ床一面に散乱しそれを敏捷に飛び越えた御影が悦巳の襟首を掴み押し倒す、床で強打した後頭部に激痛が爆ぜ反転し明滅する視界に殺到する人影の群れの中血相変えた大志が叫ぶ。
 「御影さん!!やめっ、ばかっ、謝れ!!御影さん今の冗談っスよこいつテンパってバカやって、もう一度、もいちどチャンスをください今度はしっかりやらせますから!ほらやり直しだやり直し、立てよ悦巳尻ひっぱたくぞ、てめえふざけんな御影さんがせっかくくれたチャンスだいなしにしやがって、どうしてそう頭わりィんだよ!!」
 「ごめん大志、俺」
 でも俺、なんて言おうとしたんだっけ?
 顔面を殴られおもいっきり仰け反る、ぬるりとした感触がどろり鼻筋を伝い上着の胸元に点々と血が染みる、視界の軸がブレて歪曲し天井が七十度に傾斜、鈍く疼く後頭部と火照り腫れた頬の痛みにも増して現実に響く哄笑の狂った波長が脳髄と脊椎の音叉に共振し眩暈と吐き気を引き起こす。
 「コントに滑った気分はどうだ、えっちゃん」
 「っ……はは……なかなか爽快っすね……」
 「そうか。セッティングした俺としちゃ大恥だぜ」
 狂的に哄笑しながら胸ぐらを締め上げる。
 「俺もさ、暇じゃないんだ。こう見えて結構忙しいわけよ。譲歩したんだけどなあ……わざわざ車で迎えにいってやったろ?しねえよ普通こんな事、お前だから特別に出してやったんだ」
 「そ、れは……ご苦労様っすね」
 「ま、いいってことよ。で、答えは?」
 「ノー、いいえ、否……」
 危なっかしく縺れる舌で抗えば平手打ちをくらい目の裏に火花が炸裂、大志が何かを叫び飛び出そうとして舎弟と揉み合い相争う騒音がたつ、リズムをとるようにごつんごつん頭を打ちつけられるごと激痛で灼熱した意識が朦朧と遠のく。
 「譲歩したんだけどなあ、がっかりだ、残念だ、焼肉の恩忘れちまったか、案外薄情だなお前」
 「焼肉、も、風俗、も、色々おごってもらって感謝してるっす……けど俺、も、あんたのとこで働けない……くの、やです」
 「なんで?」
 「家政夫、だからっすよ」
 「は?」
 「だからぁ……」
 飲み込みの悪さに苛立ち手の甲で鼻血を拭きつつ起き上がる。
 鼻血をなすったせいでかえって薄赤く汚れが広がった顔に不敵な笑みを刻み、ふてぶてしい眼差しを抉りこむ。
 「俺にああしろこうしろ命令していいのは児玉誠一ただ一人なんすよ」 
 もう詐欺師じゃない、ただの家政夫だから。 
 契約を交わした主以外の命令は聞けない従えないと無理難題を突っぱねる。
 「大体さ、あんたはもう俺の上司じゃないんだから言う事聞く義理ねっしょ?」
 「………そうか」
 しぶとく減らず口を叩く獲物にご満悦の態で喉を鳴らし、だぶつく上着がうねりまとわりつく貧弱な四肢をゆるやかに組み敷く。
 「落とし前をつけさせてもらうぜ」
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 僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。  この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。  僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。  本当に僕にはもったいない人なんだ。  どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。  彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。  答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。  後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。

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