オレオレ御曹司

まさみ

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二十五話

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 『この度は皆様、私の孫娘・児玉みはなの満五歳の誕生パーティーにご出席いただき誠にありがとうございます』
 男がもったいつけて挨拶に立てば、上品なざわめきが凪いで謹聴を促す静寂があたりを包む。
 グラスを手に集う一人一人を寛大に見据え、まろやかなバリトンに乗せて祝辞を紡ぐ。
 『お集まり頂いた皆様の中には父の代から懇意にしていただいてる方も多くいます。父、児玉博光が立ち上げた児玉貿易は高度経済成長の波に乗り急成長を遂げましたが、平成に入ってからは資金繰りに難儀し、何度か倒産の危機にも見舞われました。その際はこちらにお集まりの方々のご助力、ご支援の甲斐あり、危機を乗り越えてさらなる発展を遂げることができましたのを改めて感謝します。父、児玉博光が他界してからというもの、長男の私は継いだ会社を大きくする為だけに一生を捧げてきました。会社とはそれ自体がひとつの家族、社員みなで支え合い助け合うもの。社長とはいわば家長、大黒柱。私には社員五千人を養う責任がある。父は経営者としては非常に優秀な人材でした。また家庭ではよき夫、よき父であり、子供たちに愛情を注いできました。私はそんな父を心より尊敬し、また理想の経営者として生きてきました』
 「よく言う」
 流暢に喋る充を見つめ舞台袖の誠一が毒舌を吐く。
 「会社が家族など詭弁、よそむきのポーズにすぎん。自分はろくに家庭を顧みなかったくせに、相変わらず外づらだけはいい」
 「しっ、聞こえますよ」
 袖を引く悦巳の手をうるさげに払う。
 充の演説により初めて誠一の仕事を知った。
 児玉貿易は五千人の社員を抱える大企業だった。取引先は主に東欧の会社で、現地の職人が香木から削りだした品質の良い家具を購入しているのだそうだ。誠一が跡を継ぎ社長に就任してからはますますもって急進的に市場を開拓し多角経営の方針を強めてきたという。
 どうりで豪華ホテルの大ホールを貸切り各界の著名人を招待したパーティーが開けるはずだ。
 児玉誠一は二十代の若さにして気鋭の実業家で資産家だった。
 充は自信に満ちた物腰に演技過剰な強弱をつけて会社の成り立ちや苦労話を語っていく。
 冗長で退屈な前口上。
 みはなの誕生日だというのに挨拶の内容はほぼ充の会社自慢とアピールに費やされている。
 もとよりナルシストのきらいがあるのだろう、やたらと大仰な言い回しを好んではその台詞に陶酔し恍惚たる表情を浮かべ、聴衆の反応に満足げな笑みを仄見せる。人格的な円熟はおくとして格好だけなら一人前だ。精力の充実した物腰は今だ壮年と呼んでいい闊達さにあふれ、若い頃は誠一に似てさぞ二枚目だったのだろう渋い容貌は女受けがよく、キザで鼻につく言動もそれなりに様になっている。
 演説の邪魔になるのを憚り声をひそめて尋ねる。
 「誠一さんは行かなくていいんすか?」
 「主催は親父だ」
 「けど一応父親なんだし」
 「くだらん、顔を出してやっただけで有り難く思え」
 つかどうしてこんな偉そうなんすかこの人。
 げんなり気味の悦巳の傍ら、饒舌に挨拶に立つ父親を醒めた目で見やる。
 「親父も俺に興味ないだろう」
 幻滅が嵩んだ末に相手への関心さえ売り払ったかのような殺伐と乾いた独白に凍りつく。
 孤独な素顔を孤高の風格で鎧った横顔にひきつけられる。 
 じっとしてるのは苦手だ。体のあちこちが痒くなる。
 聴衆に注意を払いつつ誠一の方へにじりより、さっきから気にかかっていた事を改めて問いただす。
 「誠一さん、ムツゴロウ、じゃねえ、充さんはどうしてみはなちゃんまでつれてったんですか」
 「お披露目だろう。今日のヒロインはあいつだからな。ついでに挨拶でもさせる気か」
 「聞いてねっすよ!」
 「声がでかい」
 慌てて口を塞ぐ。
 大胆なパフォーマンスと過激な愛情表現に度肝を抜かれむざむざみはなをさらわせてしまった失態を悔やむ。
 「挨拶させるつもりなら説明のひとつふたつあったっていいのにぶっつけ本番って……!」
 「親父は肝心なところがヌけてるからな」
 「んな呑気な、みはなちゃんの気持ちにもなってあげてください」
 「過保護だぞ」
 辟易とする誠一に耳打ちで抗議する。
 舞台の上は目立つ。充の挨拶中に言い争ったりなどしたら赤っ恥だ。
 わかっていても充の身勝手に腹を立てずにいられない。いくら孫娘を溺愛してるからといって、前置きひとつなく連行して「これが私の孫です」とお披露目するなんてペットの犬猫やぬいぐるみと同じ扱いではないか。
 保護者の自分に許可ひとつなく、いや、それを言うなら誠一の承諾もとらずみはなの意志を確認もせずかっさらっていった充にいたく憤慨し、我関せずと振る舞う無責任な父親に訴える。
 「みはなちゃんは内気でナイーブなんです、いきなり大勢の前にひっぱりだされたら心臓ばくばくでどうなるか」
 みはながどれだけ扱いに注意を要する子か悦巳はよく知っている。
 初めの頃はなかなか打ち解けてくれず苦労した、つれなくされてもめげずへこたれず根気強く付き合い続けみはなの方から手を繋いでくれるようになるまで数ヶ月かかったのだ。
 人懐こく目立ちたがり屋な子供ならいざ知らず……否、たとえ積極的な子供だってこんな大会場で突如聴衆の前にひっぱりだされ挨拶をしろと迫られたらパニックを来たすだろう。ましてやみはなは時折周囲をあっと言わせる大胆な行動をとる反面臆病なほど引っ込み思案な性質で、幼稚園の先生やお友達のお母さんにまたねと手をふられても悦巳の背に隠れて小さく手を振り返すのがやっとなのだ。
 『我が社がここまで大きくなったのは皆様のおかげです。現在私は社長の座を息子の誠一に譲り……』
 美談に仕立てた演説に酔う充のそばでみはなはかちんこちんに固まってる。
 見てられない。目を覆いたい。みはなの心情を想像するとやるせない。
 人見知りな子供にはあまりに酷な状況だ。
 「落ち着きがない」
 「誠一さんこそ、自分の娘が心配じゃないんすか」
 「あいつが失敗するわけないだろう。年の割にしっかりしてるんだ」 
 「大人だっていやなもんはいや、子供だって怖いもんは怖いんです」
 どうか無事終わりますように、失敗しませんように。
 初めての発表会に出る子供の親の心情で切実に祈る。
 少しでも充の話が長引けばいい。いっそ今からでもつれもどしてくるか、さらってくるか。時間が身を刻む生殺しは耐え難い。今この瞬間にもみはなが味わっている緊張、羞恥、不安に共感し同調しぐっと手を握りこむ。 
 がんばれみはなさん。
 自分にできることは何か考え心の中で一生懸命応援する。誠一は泰然と落ち着き払っている。
 充が開会の挨拶を締めくくり盛大な拍手が沸く。晴れ晴れと達成感に酔った顔。
 「さあ、みはな。お前も皆さんに挨拶なさい」
 恐れていた事態が現実になる。
 充がやさしくみはなの背中を押す。あたたかい拍手がみはなを包む。押されるがまま一歩前に出、祖父の手から受け取ったマイクを両手に抱いて口元へと持っていく。ひとつひとつのしぐさが愛くるしく微笑ましさを誘い、招待客の顔も和む。しかしいつまでたっても始まらない。やがて会場がざわつきはじめる。みはなはマイクを両手に握り締めたまま、ちんまりした唇を一文字に引き結び、頑なな顔つきで押し黙っている。
 「どうしたんだ、みはな。来てくれてありがとうと皆さんにお礼を言いなさい。これだけの人がお前の為に集まってくれたんだぞ」
 「…………」
 「みんなお前の誕生日を祝いにきてくれたんだぞ」
 思い通りにならないみはなにじれて充がせきたてる。
 焦り始めた祖父に再三促され、ぎくしゃく不自然な動作で前に出る。
 「ああ、右足と右手が一緒にでてるっす……!」
 「いちいちうるさい」
 祖父と並びマイクの前に立ち、人で埋め尽くされたホールをギギギと錆びて軋んだ動きで見回し口を開く。
 「みなさん、きょうはありがとごじゃ」 
 硬直。
 「あちゃ、噛んだ……」
 悦巳が片手で顔を覆う。
 失敗に赤面し、弾かれたように頭をさげるやマイクとごっつんこ。
 沸々とこみ上げる笑いを辛うじて堪え、引き攣り顔で続きを待つ聴衆。
 ひりつく額を庇いあとじさり、完全にうろたえきってマイクを掴むや手が滑りあらぬスイッチを押してしまう。
 『あーーーー』
 「うわっ!?」
 ビブラートの利いた高周波が大気を攪拌し鼓膜を貫く。
 間違えて一気にボリュームを最大にしてしまった。
 耳を押さえて動揺する人々の様子にさらにまごつき、何か言おうと口を開くや勢い余ってマイクに前歯をぶつけ、その音が会場中へと拡大され響き渡る。
 我慢の限界。
 相次ぐハプニングにたまりかね吹きだす人々、方々で炸裂する爆笑。
 爆笑渦巻く中でたった一人とりのこされ、ドレスの裾をつかんで震えるみはな。
 「みはな!」
 「たんま!!」
 ズボンに突っ込んだナプキンが舞う。
 ほぼ同時に叫ぶ充と誠一をよそにまっしぐらにみはなのもとへ駆けつけるや、聴衆の視線から庇うようにして華奢な肩に腕を回す。
 「ちょっと借りてきます」
 みはなの手を引っ張ってライトの届かない舞台袖へと一時避難。
 繋いだ手は熱く火照り、ほのかに汗ばんでいる。舞台を突っ切る間中全身に視線を感じた、突如乱入した青年は何者かと客が好奇と不審を目に浮かべる。恥ずかしがってる暇はない、一番恥ずかしい思いをしたのはみはなだ。一人取り残された充が唖然とする。
 分厚い緞帳をたらした舞台袖は薄暗く音響機材が場所を塞ぐ。ここなら人目につかないだろうと判断、スピーカーを跨いで手を放し片膝つく。
 「どうしたんすかみはなさん」
 「………」
 「大丈夫っすか」
 「できません」
 唇を噛んで俯く。伏せた目が赤いのは泣き出す前兆。みはなの肩を掴んで向かい合う。
 俯く顔をのぞきこみ、辛抱強く待つ。
 「知らない人いっぱいで怖いです、みんなこっち見てます、じっと見てます、なに言ったらいいかわかりません」 
 方々から注がれる視線のプレッシャーと晒し者にされる羞恥がぶり返し、ぱっちりつぶらな目が大粒の涙で潤む。
 くしゃくしゃに顔を歪めるも泣き崩れる寸前で踏ん張り、行き場をなくしさまよう手でもってドレスの裾を握り締め、悦巳の懐に体当たりに近い勢いでとびこんくる。
 「もどりたくありません……おかおあついです……」
 スーツの懐を両手できゅっと握り、恥辱で火照った顔をこすりつけてくる。
 縋りつく体を抱きしめ、ぐずつく背中をやさしくさする。
 しゃくりあげる背中をあやすようになで、乳臭い香りを胸いっぱい吸い込んでから、耳にまとわりつく髪をかきあげる。
 「逃げちゃだめっすよ」
 声音はあくまでやさしく、しかし有無を言わせぬ響きを秘めて。
 いつも笑顔で優しい家政夫の思いがけぬ叱咤に、裏切られ傷ついた顔を上げる。
 「会場中にたくさんの人来てたの見たでしょう」
 「……えらいひともえらくないひともたくさんきてました」
 「あのひとたち全員みはなさんにおめでとう言いにきてくれたんすよ?今日はみはなさんの生まれた大事な日っす、だからああして集まってくれたんす。ありがとうって言わなきゃ」
 生まれてきてくれてありがとう。おめでとう。
 施設時代のほろ苦い思い出が掠め、寂しげに呟く。
 「……俺は羨ましっすよ」
 「羨ましいですか?」
 「こんな盛大にお祝いしてもらえて。たくさんの人におめでとうって言ってもらえて」
 「みずはらさんは……してもらえなかったんですか?」
 みはなに生い立ちを話したことはない。
 子供に話すような事情ではないと自重していた。
 今初めて、それを少しだけ明かす。
 「みずはらのお誕生日は他の子と一緒だったから」
 「?」
 「みずはらがいた所では同じ月に生まれた子供はみんなまとめて誕生会やっちゃうんです。でっかいケーキ買ってきてそれをみんなで分けるんです。椅子とりゲームしたりトランプしたりそりゃ楽しかったけど、ガキの頃は自分ひとりだけの誕生会に憧れたもんっすよ」
 卑下してるととられないよう、できるだけあっけらかんと述懐する。
 道化た声色の底に真摯な祈りと羨望を感じとり、ひたむきに耳を傾ける表情が氷解していく。
 ひょっとしたら、心のどこかでみはなをやっかんでたのかもしれない。
 こんな盛大な誕生パーティーを開いてもらえるみはなの事を恵まれた子供だと、愛された子供だと羨む気持ちがあったのを否定できない。

 自分はそうじゃなかったから
 いくら手を伸ばしても届かないととっくに諦めてしまったものが、目の前にある。

 「上がらないおまじないしたげます。手えだして」
 言葉に従って素直に手を出す。
 仄かに汗ばむ手をひっくり返し、人さし指で「人」の字を書く。
 「ぱっくんしてください」
 手のひらに書かれた「人」の字をのみこむ。
 「もう大丈夫」
 「本当ですか?」
 「みずはらが嘘ついたことありますか」
 小さく首を横に振る。
 「きっとできるっす」
 見上げる目に信頼と覚悟を映し、大人びた決意の表情で頷く。
 どちらからともなく手を繋ぎ、きらびやかなライトが照らす舞台へと引き返す。暗がりに慣れた目が一瞬眩む。怯むみはなへの背中を軽く押す。みはなの顔が引き締まり、ドレスの裾を翻し駆け出し、ちょっと振り返る。
 親指を立て応援する。
 すぐ後ろで見守ってくれる人の存在を確認し、緊張を乗り越えた高揚に初々しい頬を染め、凛としたたたずまいと挑むような眼差しでもって聴衆と対峙する。
 再登場したみはなに会場中が関心を注ぐ。
 充は困惑しきっている。誠一は無表情で腕を組む。
 注目が集まる中、今度は逃げずに一歩一歩自分の足で歩いてマイクのもとへと向かい、目一杯背伸びしてそれを掴む。
 がんばれ。
 『あー……』 
 がんばれ。
 噛みつかないか人さし指でマイクをつつく。息を吸う。人々が息を詰め成功を願う。
 両手で抱えたマイクに半ば顔を埋め、しっかり発音する。
 『みなさん、今日はみはなのために集まってくれてありがとうございます』
 傍らの充が安堵の表情を浮かべる。
 会場全体に弛緩した空気が漂う中、スポットライトに映える純白のドレスで立ち姿を引き立て、そうするのがここに集まった全ての人間に対する義務とばかりまっすぐ顔を上げて口を動かす。
 『みはなは五歳になりました。とても嬉しいです。この頃は好き嫌いせずお野菜もお肉もちゃんと食べてます。おさかなだって忘れてません。いちばん好きなのはお豆腐です。この調子でどんどんおっきくなりたいです。きょう来てくれた人たちはみんなみはなのお誕生日を祝いにきてくれたんだって、たった今みずはらさんが教えてくれました』
 誠一が瞼を開けて悦巳を見る。悦巳は笑ってとぼける。
 『本当にありがとうございます。ごちそうたくさん食べてたのしんでいってください』
 舌足らずなりに一生懸命感謝の気持ちを表現し、生まれてきた事に誇らしげに胸を張る。
 うんしょと背伸びし、危なっかしい手つきでマイクを元に戻す。一歩あとじさり深々とお辞儀。
 「そういうわけで皆さん、今宵は存分に楽しんでいってください」
 みはなの頭をなでて後を引き取った充がグラスを翳す。
 「乾杯!」
 「「乾杯!!」」
 至る所で音程の違う声が復唱し、隣り合う人々とグラスを合わせ音を鳴らす。ついで祝福の拍手。
 お辞儀をすませるやいなやたちまち駆けもどったみはなが悦巳に突撃、やり遂げた喜びに歓声を上げる。
 「みずはらさん!」
 「がんばりましたねみはなさん、最ッ高でした、惚れ直しちゃいました!」
 興奮しきったみはなを抱き上げ振り回す。
 すっかり見せ場を奪われた上に孫の寵愛をも奪われた充はじゃれあうふたりを離れて眺め、幾ばくかの嫉妬と韜晦を含む苦言を呈す。
 「無垢な子供に取り入るのが上手い。あれとおなじやりかたでお袋を落としたのか」
 「どうでしょうね。天然かもしれません」
 誠一は肩を竦め、父親のそばを離れて呼びかける。
 「来なさいみはな。会わせたい人がいる」
 「会わせたい人?」
 みはながぱちぱち瞬きする。その手を強引にとり歩み去る誠一を慌てて追う。
 「ちょっと待ってください誠一さん、」
 「お前はそのへんで勝手に飲み食いしてろ。帰る頃になったら呼ぶ」
 突然パーティー会場のど真ん中に放り出され身の置き所をなくす。
 まわりは知らない人ばかりでとても気軽に話しかけられる雰囲気じゃない。
 そもそも悦巳のような庶民が紛れ込むのが場違いなセレブのパーティーなのだ、小耳に挟んだ会話の切れ端ひとつとってもニューヨーク市場がどうの先物取引がどうのと別世界の出来事だ。
 「んな殺生な~……」
 おいてけぼりにされ情けない顔でぼやく。
 完全にはぐれてしまった。でかい図体して迷子になった。
 しばらく歩いて父子の姿をさがすも見当たらず途方にくれる。
 「いかがですか」
 「あ、ども」
 給仕が銀盆に乗せたシャンパンを勧めてくる。
 会釈してグラスをとり、壁の花と化してちびちび舐める。
 「誠一さんに任せといて大丈夫かな……」
 誠一に対する信頼はとことんない。
 こうしてる間もみはながジュースとシャンパンを間違えて酔っ払ってしまないか心配でたまらない。行ってよしをされても行き場のない犬の心境だ。
 喉の奥で炭酸が弾け、甘く爽やかなシャンパンの風味が広がる。
 「……しょうがねえか」
 元から場違いなんだし。
 俺なんかつれ歩くの恥ずかしいし。
 誠一の知り合いなら皆偉い人だろう。会社経営者や重役ばかりだろう。ひとりひとりに引き合わされる場面をシュミレート、何を話せばいいのか考えあぐね思考回路が焦げつく。体面を重んじる誠一が公式の場に家政夫をつれ歩くはずなどないのに、なんて分不相応な夢を見たんだろう。もともと誠一は悦巳の随伴を渋っていた、本当ならば家で留守番してるはずだった、駄々をこねるみはなの宥め役として仕方なく同行を許したのだから娘の機嫌がよくなれば用済みだ。
 第一、なんて言えばいい?
 誠一の知人と対面しなんと自己紹介すればいい、初めましてこんにちは誠一の祖母から金を騙し取った元詐欺師ですと挨拶すればいいのか、犯罪者の経歴を詐称し自分を偽り人を欺きあたかも最初から家政夫だったような顔でへらへらしてればいいのか、罪を償う義務を放棄し今在る幸せに安住し偽りの肩書きを吹聴して周囲を欺きとおすのか、どこまで図々しくなれば気が済む、偽善と欺瞞が分厚くかさぶたを張った良心は痛まないのか瑞原悦巳。
 つれてきてもらっただけ有り難く思わなきゃ。おこぼれを貰えるだけラッキーなのだ。それ以上を期待したら罰が当たる。

 こんなご馳走にありつける機会二度とない。
 食いだめしといて損はないぞ。

 場の盛り上がりに溶け込めない疎外感を食欲で打ち負かし、誠一に見放された寂しさを酔いの力を借りて紛らわし、豪勢な晩餐を楽しむことにする。
 干したグラスを盆に戻し、新たな皿をたずさえてテーブルからテーブルへとすばしこく渡り歩き、ビーフストロガノフやカルパッチョやオードブルやステーキなど目に付く料理を片っ端からつまみ食いし褒め称える。
 「あ、イケる。んめー」
 あれもこれもと意地汚く欲張って次々フォークを突き立てる。
 こんもりと皿に盛りつけた料理にどばどばソースをかけ舌なめずり、ヨーグルトをかけたカステラも一口貰い、淡白なソースを絡めた舌平目のソテーを頬張る。
 「うんめー!」
 オーバーアクションで美味さに感激、脇目もふらず料理をぱくつく。さすが一流ホテルのシェフが腕をふるっただけあって食いでがある。口の中に滲み出す肉汁にはふはふと息を弾ませ、しあわせそうに笑み崩れる。
 「この肉すっげ美味いっすたまんねっすジューシーっす、誠一さんも来て見て食っ」
 あ。
 振り向き、そこに誰もいない事に気付かされる。
 「………」
 独り言が癖になってきた。しゅんと肩を落とし、肉の切れ端を突き刺したフォークをひねくり回す。
 「上にかかってる白いのなんだろ、タルタルソースにしちゃ味がクリーミーだけど牛乳入ってんのかな……」
 「きゃっ」
 すっかりパーティーを満喫していた悦巳を災難が襲う。
 「うわっ」
 「すいません、母がよそ見して」
 「あ、全然いっす!俺こそボーッと突っ立って邪魔っしたね、すんません」
 人ごみに押された中年のご婦人と接触、その娘とおぼしき若い娘が母を支え謝罪する。
 「申し訳ありませんご迷惑おかけして……まあ大変、ソースがお洋服に」
 「え?あっ、やべ!」
 ぶつかった拍子に皿が動き、ソースが背広に付着した。大変だ誠一さんから借りたスーツなのに。とりあえず早く拭かなきゃ、しかし両手は皿とフォークで塞がってる、皿をおくべきかフォークをおくべきかいや両方おけ、だけどそのためには人ごみをくぐりぬけテーブルまで戻らなきゃ……
 「じっとして」
 おっとり上品な声。
 皿とフォークを持って右往左往する悦巳の正面、たった今衝突した婦人がレースのハンカチをとりだし、至極丁寧なしぐさで背広に付着したソースを拭いていく。
 「そんな……いいっすよ、洗えば落ちるから。せっかくキレイなハンカチなのにもったいねっす、しみになっちゃう」
 「とんでもない、私の不注意だったんですもの。これくらいさせて頂戴」
 「染み抜きは得意なんです、母さん」
 恐縮する悦巳に微笑を返し、ソースの染みを拭き清めてからハンカチを畳んでしまう。
 「あ、……ありがとうございます」
 親切な女性だ。母性的で家庭的、慎み深い笑顔に好感をもつ。母の背中に片手をたずさえ寄り添う娘も気立てがよさそうで、たじたじと礼を言う悦巳に「どういたしまして」と笑う。 
 「随分お若いけど充さんの会社の方?芸能関係の方かしら」
 充―誠一の父親か。随分親密な呼び方だが、知り合いなのだろうか。
 ともかく芸能関係者という誤解はどっから沸いた。
 悦巳は頬を赤らめ否定する。
 「全ッ然ちがうっすそんな恐れ多い、そりゃ小学生の頃は芸人めざしてたから芸能関係って言われりゃそうかもしんねーけど昔の話だし俺みてえな平凡なカオのヤツが芸能関係とか言っちゃ本職の人に失礼っすよ、まあ幼稚園の若い先生やお母さん方にはえっちゃんてちょっとジャニーズ系よねとか言われたり言われなかったりするけど」
 「ここにいたのか幹子。さがしたぞ」
 「充さん」
 聞き覚えある声に顔を上げれば充がこっちにやってくるところだった。
 知り合いに会釈しつつ人ごみを抜けやってきた充は、幹子と呼んだ中年女性と悦巳を見比べ、不審そうに眉をひそめる。
 「なにを話してたんだ?」
 「充さんの知り合いですか?」
 「君には関係ない」
 「充さん、そんな言い方はないでしょう」
 「こいつは誠一がやとってる家政夫だ」
 「誠一」の名を聞くや母子の顔色が豹変する。一抹の後ろめたさと申し訳なさ。
 「幹子、楓、こっちに美味い料理がある。まだ食べてないだろう、来なさい」
 「あ」
 幹子、楓と呼ばれた母子は悦巳に向かい丁寧に頭をさげるや充のあとを追う。視線の先、充が皿をとって幹子と楓に渡す。充が相好を崩し、つられて幹子と楓も笑う。アットホームな光景に違和感を抱く。あれではまるで……
 「あ」
 誠一を発見。そばにみはなもいる。
 大人たちに囲まれちやほやされるみはな。口々にドレスを褒められ、はにかみと人見知りのまじったむず痒げな微妙な表情で俯く。誠一はにこやかな社交家を演じ相槌を打っていたが、行き交う人ごみのむこうに充と幹子、そして楓の三人を認めるや、温厚な表情が一変する。
 大人たちに取り巻かれたみはなをその場に残し、人ごみを敢然たる大股で突っ切って充のもとへ向かう。
 行く手にたむろう人々が気迫に押されおもわず道をあけるのも意に介さず、たちまちにして三人の前に立つや不快感と敵愾心も露わに問う。
 「どうしてお前達がここにいる」
 「誠一」
 「親父が呼んだのか」
 張り詰める緊迫感、にわかに立ち込める険悪な雰囲気。
 靴音も荒々しく詰め寄る誠一から充が二人を庇う。
 互いを牽制し対峙し合う父子を遠巻きにし、周囲の人々が詮索と憶測を囁き交わす。
 外聞を気にし世間体を重んじる充は周囲で飛び交う噂話に平常心を乱し、保身にとびつく。
 いつにもまして冷ややかな無表情の誠一に対し充はばつ悪げな様子。
 苦渋の滲む顔に虚勢を糊塗し、自己弁護に似た開き直りに至るや詭弁に正当性を付与して釈明する。
 「待て、話を聞きなさい。幹子と楓にだってパーティーにでる権利はある、他人じゃないんだから」
 悦巳は見た。誠一の表情に亀裂が入る瞬間を。
 その目に激情の稲妻が走り、連動して手が動く。
 「!誠一さんっ」
 名前を呼ぶ。
 「預かってください」とたまたま近くにいた人に皿とフォークを押し付けダッシュ、執拗な追跡を巻くうちに鍛え抜いた反射神経をここぞと発揮し現場に急ぐ、床を蹴る、加速、すべりこむ、誠一がグラスをひったくって中身をぶちまける。 
 手遅れだった。
 「孫の誕生日に愛人をつれてくる人間がどこにいる」
 空になったグラスを凪いだ動作でテーブルの端におき、びしょ濡れでむせる充を挟む幹子と楓を見下す。
 「お前たちもお前たちだ。よく顔をだせたものだな。恥を知れ」
 「待て誠一、」
 呼び止めた充に背を向け、断固たる足取りで会場を突っ切って開放されたドアから外へ出る。
 みはなは部下が保護した。
 切迫した一念に突き動かされ、逃亡生活で鍛え抜いた抜群の瞬発力で颯爽と人ごみを抜ける。
 駆け足にあわせ心臓が跳ね、ホールからエントランスに出、息を整える間も惜しんで誠一の姿をさがす。
 どこだ?どこにいる?
 瞼の裏に焼きつく残像、充にシャンパンをかけた瞬間のあらん限りの憎しみに歪む顔、みはなを残し悦巳を無視したった一人で歩み去る後ろ姿……思いやりとか優しさとか愛情とか、そういったすべてのあたたかみを拒絶する背中。
 ふらふらとさまよう悦巳をホテルマンに従う宿泊客が邪魔っけに避けていく。
 「どうした」
 「アンディ!」
 曲がり角の壁にもたれ、インカムで通信していたアンディが振り向く。
 「誠一さん見ませんでした?」
 「社長なら外の空気を吸いたいと中庭に行った」
 「どっちっすか」
 「バルコニーから直接でれるが……」
 「サンキュ!」
 アンディに短く礼を言いバルコニーにとびだすや、手すりを身軽に跳び越して芝生を刈り込んだ中庭に着地。
 ホテルの中庭は本格的な英国式庭園だった。
 背の高い生垣を幾何学的に張り巡らし、散策とちょっとした探検を楽しめるよう簡易な迷路を模した敷地のところどころに野趣にあふれた四阿が点在する。
 パーティー参加者が酔いを冷ましにきてもよさそうなものなのにと閑散とした様子を訝しみ、アンディらが人払いした可能性に思い当たる。
 「中庭の私物化はどうかと思うっすよ……」
 ならばどうして通行許可をくれたのか疑問を抱く。任務に忠実なアンディに限って悦巳だけ特別扱いはしないと思うのだが……信用されてると自惚れて、間違ってたら恥ずかしい。
 切れ目なしに続く生垣に方向感覚が狂う。
 迷路といっても規模そのものはたいしたことない。
 ホテルの中庭という事情を考えれば十分壮大で贅沢な敷地の使い方だが、実際の迷路のように複雑に入り組んでるわけではなく、あくまで子供だましの余興であるため重度の方向音痴でなければ五分で制覇できる。
 綺麗に刈り込んだ生垣と芸術的なアーチが連鎖する。
 廃園のような庭園に敷かれた小道を抜けて目的の人物のもとへ急ぐ。
 優雅なアーチを描く生垣が切れた先、放射線状に道が分岐した広場の中心に巨大な噴水が鎮座する。
 噴水の手前に佇む後ろ姿は見間違えるはずもない。
 清涼にたなびく水のカーテンの手前に佇む男へと歩み寄る。
 「中戻りましょ誠一さん。風邪ひいちゃうっすよ」
 せいぜいおどけて誠一の気持ちをほぐそうと努める。
 息は吐いたそばから白く染まり上っていく。寒い。誠一は返事をしない。
 この距離なら声は聞こえているはずなのに、悦巳の存在を知覚しているはずなのに沈黙している。
 世界を敵に回し孤立した背中。
 逃げたい気持ちと放っておけない気持ちが反発し合い、地面を探るようにして慎重に距離を詰めていく。
 「…………大丈夫っすか?」
 変なことを聞いている自覚はある。
 だって、いまだかつて誠一が大丈夫じゃなかったことなんてあるか?
 悦巳が知る誠一はいつもいつだって自信満々に尊大に傍若無人に振る舞っていた、気弱な素振りを見せた事は一度としてない、優しさと弱さを混同しそういったものをすべて惰弱と唾棄する誠一がまさかよりにもよって自分なんかにかっこ悪い姿を見せるはずがない。
 弱音を吐いてほしい、愚痴を零してほしいとあれだけ切望していたくせに、いざ防壁が崩れ本性が暴かれそうになると逃げ腰になってしまうのは誠一が奥底に抱え込んだものを受け止めきる自信がないから。
 所詮口先だけの軟弱な詐欺師で。
 防波堤が決壊したら押し流されてしまうんじゃないかと、これまで何度となく彼の気紛れに振り回され自分勝手で傲慢な言動や欲望を伴う行為に傷つけられた身は竦んでしまう。
 「さっきの人……愛人て言ってましたけど、充さんの?じゃあ若いほうは」
 「腹違いの妹だ」
 初めて言葉を発する。こみ上げるものを抑圧しきって、一切の感情をそぎ落とした声。
 瞼の裏にちらつく情景、仲睦まじく寄り添い笑い合う充たちの姿。
 まるで本当の家族のように互いを思いあっていた。
 「……俺……その、上手く言えねえけど」
 きつく目を瞑り残像を追い出し、衝動に駆り立てられ間合いを詰め、深呼吸して叫ぶ。

 ―「タッパー返してください!」―

 重い、重すぎる沈黙。
 「………は?」
 「さっき没収したタッパーっすよタッパー、あれがなきゃせっかくのご馳走お持ち帰りできないじゃねっすか、余らすなんてもったいねっす言語道断っす、タッパーつめてレンジでチンすりゃあら不思議なが~くもつっす、主夫の知恵っす。ローストビーフなんてうちじゃ作る事ねえし作り方しんねーし」
 ああ何言ってんだ俺、ほらあきれてる、ついうっかりシリアスな雰囲気に耐えきれず。
 振り向いた誠一が砂糖を五匙とタバスコ一滴入れた紅茶を呷ったような顔をし、失敗したと悔やむも時既に遅くとりかえしつかず、ええいままよと開き直って片手を突き出す。
 「さ、返してください」
 「どこまで食い意地が張ってるんだ」
 「ひとを豚のように言わないでください」
 「豚は豚らしく残飯をあさってろ」
 「なっ!?」
 あんまりにもあんまりな暴言に憤慨し、突き出した右手でもって宙を薙ぎ払う。
 「失礼な、俺は家政夫」
 不意をついて伸びた手が肩を抱く。
 喧しく喚く悦巳の口を唇が封じ抗議を飲み干す、重なり合う唇をこじ開け侵入した舌が猥らがましく動く。
 「誠一さん、なに考えてんですかここホテル、外、中庭、人くるっすよ!?服汚れちまうし会場帰んなきゃみはなちゃん待ってっし、ちょ、やめ、痛ッ……」
 「黙れ」
 「黙れじゃなくて人の話聞けよ!」
 「黙れ」
 「黙んねえ!」
 「黙らせる」
 下唇に吸いつく。
 「!?―んっ、うぐ」
 頬の内側の窪みと舌の裏の性感帯を開発され、甘美に蕩ける感覚に酔う。
 口の中を這う舌の動きひとつひとつに翻弄され絡み合う吐息が上擦る、口移しで飲まされた唾液にむせて仰け反る、抗いつつ抗いきれず無我夢中で舌を奪い合う、しつけられた体が望まずとも火照りだす、押し返し遠ざけようにも体格と腕力で叶わず下手に暴れればはずみで噛んでしまいそうで躊躇う。
 靴裏が滑り足がもつれ噴水のへりにぶつかる。期せずして行き止まりに追い込まれてしまう。
 「俺はいま最高に機嫌が悪い。手加減しないからな」
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