オレオレ御曹司

まさみ

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二十三話

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 誤算だった。
 「いやです。いきません」
 「わがままを言うな」
 「いきたくありません」
 完璧に調整された予定を狂わせたのは本日の主役の一言。
 悦巳の足元にまとわりつくみはな。ひしりとしがみついて誠一がどんなに言って聞かせても離れようとしない。
 腕時計を一瞥、再び向き直った顔には険しい表情。
 これ以上駄々をこねるなら実力行使も辞さない、力づくでひっぺがすと脅しつけるように声を低める。
 「もう時間がない、メインが遅刻するわけにはいかない。会社関係の人間も大勢くるんだぞ、わかってるのか」
 「誠一さんそんなにおっかない顔しないで」
 「お前は黙ってろ!」
 「ひっ」
 一喝されみはなと抱き合う。
 本日、満を持して誕生会に招かれたみはなはおめかししている。
 繊細な透かし模様を彫ったレースが縁取るドレスをふわりと纏い、折り目正しい靴下でもって洗練された品を添え、黒く磨き上げた光沢の靴で足元を飾った姿はやんごとなき小公女さながら清純可憐かつ格調高い。
 笑顔ならばもっと似合っただろうににこりともしないのは反抗心の表れか。
 誠一を睨み返す目にはこれだけは譲れないという強い意志が宿る。
 ふたりの板ばさみになった悦巳は前向き後ろ向き冷や汗かいて困惑、ぎこちない作り笑いで宥めにかかる。
 「俺がお留守番なのは一週間前から決まってたことっす、いまさら急に変更できません。おうちがからっぽになったら泥棒さん入るかもしれねえし、みはなさんが誠一さんと出かけてるあいだは家政夫の瑞原が責任もって見張ってなきゃだめなんす」
 「みはな知りません。そんなの聞いてません」
 「聞いてませんて……弱ったなあ」
 「誰が決めたんですか?」
 矢継ぎ早に質問され戸惑う。
 納得いく説明を聞かない限りてこでも動かないと両手を握りこんで立ち尽くす。
 ごまかしはきかない。子供だからと侮ってはいけない。
 どうしてこんな事になったんだ。
 一週間前、みはなの誕生パーティーを行う旨を誠一に告げられた。
 孫娘を溺愛する祖父が主宰するというそのパーティーには、当然みはなと誠一も出席する。
 だから当日の夕食はいいと言い渡され、悦巳もそれは心に留めておいたのだが、まさか当日になってこんなハプニングがおこるとは夢にも思わなかった。
 そもそも誠一が悪いのだ、てっきり誠一からみはなに説明が行ってると思って油断していた。誠一が仕事にかまけて通達をおろそかにしなければ悦巳が不参加だという事実を当日に知ったみはなが父子でのパーティー出席を渋ることも、いま引き離されたら二度と会えないとまで思い詰めて抱きつきだっこ化することもなかったのだ。
 つい一時間前まではご機嫌だったのに。
 レースを贅沢に使って仕立てたドレスはくるくる回るごと翅の如く軽やかに日傘の如く華やかにふくらみ、唯一の観客である悦巳に即興のダンスを披露したあとはちょこんと裾をつまみ片足引いてお辞儀し、すっかりお姫様になりきっていた。
 日頃感情が顔に出にくいみはなだが、自分の誕生日が嬉しくないはずはない。
 大人同士根回しを含む社交の側面が強いパーティーへの期待よりはむしろ純粋に綺麗な服を着れたことに舞い上がり、鏡の前でさまざまにポーズを変えて楽しんでいたが、フォーマルなスーツを着た誠一が「行くぞ」とむかえにきて、悦巳が「いってらっしゃい」と手をふったとたん事情が一変。
 「みずはらさん、早くお着替えしないと間に合いませんよ?」
 「俺はこれでいいんすよ、行かねえから」
 エプロン姿で玄関まで見送りにでた悦巳と傍らの父親とを見比べ、晴れやかな興奮に彩られた顔がみるみる萎れていく。
 「行かない?」
 「そ、お留守番っす。みはなさんと誠一さんがパーティーをおもいっきり楽しんでこれるようおうちを守るっす」
 エプロンの胸を叩いて宣言する悦巳を見上げ、何事か決心し頷く。
 「だったらみはなもいきません」
 そして今に至る。
 翻意から既に三十分が経過してなお不毛な押し問答は続き、対立する親子の溝は深まる一方。
 腕時計を睨んで舌打ち、悦巳にしがみつくみはなを引き剥がそうと悪戦苦闘するもさっぱり効果はない。
 父方の遺伝だろうか、一度こうと決めたら絶対曲げない頑固さを受け継いだみはなは悦巳の足に短い腕を回し顔を伏せている。無理矢理引き剥がそうとすれば肩を揺すって手を払い、親離れできないコアラの子供のようにさらにきつく抱きつく。
 悦巳が説得しても首を縦に振らず、誠一が叱責してもますます意固地になるばかりで始末に負えない。
 「わがままはやめろと言うんだ、大事な日に……これ以上手を焼かせるな、ひとを待たせてるんだぞ」
 「わがままじゃありません」
 「パーティーはもう始まってる、大勢の人間がお前の到着を待ってるんだ。お前が来なきゃ何のためのパーティーかわからないだろう」
 「いやです」
 「お前の為に用意した料理や会場がぜんぶ無駄になる。親父だって久しぶりに会えるのを楽しみにしてる。まあそれはどうでもいいが、招待状にはお前の誕生パーティーだとちゃんと明記してあるんだ。メインが来なけりゃただの空騒ぎじゃないか。今日のパーティーには得意先の重役もくる、長い付き合いのある企業の連中も呼んでるんだ、つまらん足止めをくって機嫌を損ねたくない」
 「つまらなくなんかありません」
 「いい加減にしろ!」
 誠一が怒鳴り飛ばす。みはなの背中がおののく。
 腕の中にみはなを庇い、時間がたつごと余裕をなくしつつある誠一を仰ぐ。
 「でっかい声だしたらみはなちゃんがびっくりしちゃうじゃねっすか」
 「時間がないんだ、わからないか」
 腕を組んでリビングを歩き回る誠一を目で追う。
 ここは俺がなんとかしねえと。
 みはなの肩に手を置いて顔をのぞきこむ。
 「みはなさんはおじいちゃんに会いたくねっすか?おじいちゃん早くみはなちゃんこねえかなって待ってますよ、行ってあげなきゃ」
 「みずはらさんが一緒じゃなきゃいやです」
 「みずはらは行けないんすよー。パーティーに着てくお洋服なんて持ってねえし、こんなかっこで行ったらつまみだされちゃうっす」
 「あの人から借りればいいんです。クローゼットにたくさんあるの知ってます」
 エプロンの下のスウェットをさして大袈裟に言えば、夢中で食い下がる。みはなが懐いてくれてるのは痛いほどわかる。わかるからこそ、つらい。一緒に行けないのが申し訳ない。
 ついていけるものならついていきたいと願う一方で、お前にはその資格はないと良心が責め立てる。
 心を鬼にして肩を掴み、真剣な形相で引き寄せる。
 「いっすか、よく聞いてください。みはなさんがお呼ばれしてるのは偉いひとがたくっさん来るちゃんとしたパーティなんす。いつもテレビにでてる女優さんや政治家さんもいます」
 「えかきうたのおねえさんとたいそうのおにいさんもきますか?」
 「そのふたりは残念ながら来ねえとおもうけど……」
 毎日見てる子供向け番組の司会と会えるかもと目を輝かせる様子に胸が痛む。
 「招待されてねえ人は行っちゃだめなんすよ、知らん顔で会場に紛れたらポイされます。だからみはなさんはお父さんとふたりで目一杯たのしんできてください、美味しいもの食べてたくさんの人とおしゃべりして」
 「おかしいです、そんなの。だって」
 ドレスの裾を掴み、唇をきつく噛み、こみ上げた塊を飲み込んで代わりに囁く。
 「初めて会う人におめでとうをもらっても嬉しくありません、みずはらさんと一緒に行きたいんです………」
 「だから無理だと言ってるだろう」
 「じゃあみはなも行きません、おるすばんしてます!」
 くしゃくしゃになるまでドレスを掴んで振り絞るように叫ぶみはなに激昂、発作的にその肩を掴んで振り向かせた誠一が絶句する。
 「みはながいなかったら……みずはらさん、ごはんどうするんですか。ひとりぼっちで食べるんですか。かわいそうです、そんなの」
 聞き分けのない言動に怒り、頬をぶとうと振り上げた手がとまる。
 「いやです、そんなの。かわいそうです―……」
 しゃくりあげつつ搾り出したつたない言葉が胸をうつ。
 俯き震える表情は窺い知れないがいじらしく哀切な感情は痛いほど伝わってきて、そっと頭をなでてやる。
 「みはなさんはやさしい子っすね」
 愛着が愛情へ変わった瞬間だった。 
 けなげでいたいけなみはなへの愛しさが堰を切ってあふれだし幸せを噛み締め、憂いを吹っ切るようにあっけらかんとした笑顔を見せる。
 「みずはらは大丈夫だから心配しないでくださいっす。だけど……そっすね、もしみずはらの事が心配なら今日でるごちそうの残りをタッパーに詰めて持ち帰ってくれるとよだれたらして喜ぶっす」
 「行くぞ。さっさと支度しろ」
 みはなの手を掴み引っ張る。
 けっつまずき、足もつれさせ、後ろ髪をひかれつつ歩き出したみはなに跪いた体勢から小さく手を振る。
 「はあ……」
 「なにしてる、さっさと支度しろといったんだ」
 みはなを玄関に待たせ引き返してきた誠一の一言で目が覚める。
 「えっ?忘れ物っすか」
 要領を得ない返答に鼻白み、状況を理解してない呆け顔の悦巳の肘を掴み急きたて寝室へとほうりこむ。
 わけもわからぬまま寝室へ放り込まれベッドに衝突、よろめく。
 誠一がクローゼットを開け放ってハンガーに掛かった服を無造作に選り分ける。
 「えっ?誠一さん、あの……早くしねえと遅刻しちゃいますよ」
 「とっとと来い」
 一着ずつハンガーにかかったスーツを点検し、やがてその中からもっとも無難な代物を掴み取るや、ぽかんと立ち尽くす悦巳にむかい不機嫌をこじらせた凶悪な顔つきでつきでつきつける。
 「着ろ」 
 思わず受け取ってしまってからようやく意図がのみこめあんぐりと口を開ける。
 「エプロンとそのださいスウェットを脱がすとこから手伝ってやらなきゃご不満か」
 「滅相もねっす!」
 言われたとおりエプロンと上着を脱ぎズボンを脱ぐ。
 誠一はベッドの尻に腰掛け、腕時計の秒針が一周するのを焦燥に炙られ見守っている。
 糊の利いたシャツに袖を通し折り目のついたズボンを引き上げ扉の裏の鏡と睨めっこしてネクタイを締める、肩越しに誠一の姿がちらつく、動揺で指がもつれネクタイがすり抜ける、意識しないよう努めても背後に感じる誠一の存在から逃げきれず手がもたつく。
 「完了!」
 速攻で着替えを終えて報告する。
 腕時計から顔を上げた誠一がベッドから腰を浮かせこちらにやってくる。
 誠一が正面に立つ。悦巳は緊張する。初めて着るフォーマルスーツは窮屈でこそばゆい。ネクタイの締め方がわからなくて苦労した。
 欠点をさがすような目つきですみずみまで点検しつつ率直な感想を言う。
 「成人式だな」
 「るせ……ほっといてほしっす」
 悦巳の年齢なら成人式でおかしくないのだが、反発を抱いてしまうのは上から目線の揶揄が原因か。
 恥ずかしさと緊張のいりまじった落ち着きのなさで、少し長めの裾をつまんで引っ張る。
 居心地悪げにもぞつく悦巳と向き合い、ネクタイを掴む。
 「ネクタイが曲がってる」 
 「自分でやりますって、ガキ扱いしないでください」
 ネクタイの根元を絞って位置を調整する。顔が近い。目のやり場に困る。身長差のせいで顔が陰る。
 娘の着替えも手伝った事のない男がお仕着せのネクタイを結びなおす状況が後ろめたくも面映く、ネクタイにまとわりつく節くれの目立つ手を見つめる。
 「さっき、本気で殴ると思ったか?」
 「え」
 悦巳のネクタイを結びつつ問う。
 瞼の裏によみがえる先刻の光景、娘の肩を掴み振り向かせ平手打ちをくれようとした姿。
 「………子供相手に大人げなかった」
 悦巳相手に反省する。
 落ち込んでいるのだろうか。
 まさか、この男が?いつだって傲岸不遜傍若無人、弱音なんてこぼさず横暴にふんぞりかえっていた俺様社長が?誠一の懺悔を聞いてしまった。遅ればせながらその事に気付き、フォローしなければという性急な一念で口を開いてはまた閉じ、結局何もいえず無力感に苛まれて唇を噛む。
 「……だけど誠一さん、ひっぱたかなかったじゃねっすか。ちゃんとおもいとどまったじゃねっすか」
 悦巳を見つめる目に驚きが走り、ついであきれたような表情が浮かぶ。
 「これでいい」
 改めて鏡に映る自分と向かい合う。傍らに寄り添う誠一が腕時計を見、玄関の方を気にする。
 みはなを玄関に残してきたのは頭を冷やすためだというのは勘繰りすぎか。
 「ついてっていいんすか?」
 はたしてその資格があるのかどうか悩みながらも、嬉しさを隠し切れず返事を待つ悦巳にノブを握って警告する。
 「俺に恥をかかせるなよ」
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