オレオレ御曹司

まさみ

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二十二話

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 「お誕生日っすか。だれの」
 「みはなのだ」
 驚いた拍子に手が滑ってしまう。
 「あつっ」
 鋭い痛みに顰める。
 同居を始めて数ヶ月、居候が指に針を刺したら大丈夫かの一声くらいかけてもよさそうなものだが甘い期待は打ち砕かれる。
 「ドジだな。裁縫ひとつまともにできんのか」
 「~しかたねっしょ、繕い物はなれてないんだから!」
 膝にたくしあげたコートをちくちく縫いつつ怒鳴る。
 この数ヶ月で悦巳は家政夫として着実に成長したと思う。
 今では塩と砂糖を間違える事なく料理を作り、四角いところを丸く掃くような大雑把さはなりをひそめた。
 家事を手抜きすれば即監視役から報告が行くが、基本的に誠一が家政夫の怠慢に苦情を呈すことはない。家庭内の事は完全になげっぱなしだ。
 寛大といえば聞こえはいいが実態は無関心の最たるもので、多忙を理由に徹底した放任主義を貫いている。
 二十代の若さで社長の肩書きをもつ誠一が分刻みの過密スケジュールに追われている現状は理解している。
 先週、アンディは部下と見張り役を交代した。
 どういう人事調整があったのかは想像するよりほかないが、それまで誠一の秘書を務めていた人間が急に辞め、アンディにボディガード兼秘書のお鉢が回ってきたのだ。
 アンディはああ見えて戦闘も実務もオールマイティにこなす使える人材らしい。
 強面サングラス黒スーツの外貌こそ胡散臭さ爆発だが、鍛え抜かれたドーベルマンの如く主人に忠実な性格ともども実務面の能力は高く評価されている。
 秘書としても有能なのだろう、職場にアンディを随伴するようになってから仕事が早く済み帰宅が繰り上げられ、この頃は夜八時か遅くても九時頃には帰ってくる。
 「夕飯はいらん」とたった一言電話を入れる暇もない場合、手つかずで捨てられるか冷蔵庫の中で持ち越しされる運命だった食事はレンジでチンして出せるようになった。
 誠一は味つけが濃いだのくどいだの庶民くさいだのさんざん文句を言いつつ相も変わらぬ仏頂面で悦巳の手料理をたいらげる。
 誠一が気に召す料理を作るのは彼が気に召す紅茶を淹れるのと同じくらいむずかしいが、やり甲斐はある。
 元秘書とは面識がない。
 辞めた理由もはっきりとはわからないが、かなりの確率で誠一が関係してるのではないかと疑っている。
 誠一自身は何も言わない。
 悦巳の勘だ。
 こんなわがままで扱いにくい男と付き合えるヤツはそれこそアンディくらいのものだ。アンディをはじめとする黒スーツ軍団が誠一に捧げる忠誠心は見上げたもので、妻さえ愛想を尽かした男に仕え続ける忍耐力は脱帽に値する。
 そんな誠一もアンディだけは信用しているようだ。
 自宅で寛ぎながら、ソファーで書類を整理しながら、たびたび別行動中のアンディに携帯で連絡をとっているところを見かけた。台所で紅茶を淹れながら電波に乗った会話を途切れ途切れ盗み聞いて、アンディの姓が「安藤」だと初めて知った。
 実在の映画俳優をもじって悦巳がつけた愛称に似ているのは偶然だろう。
 「みはなちゃんの誕生日って来週なんすか?知らなかったっす、もうあんま時間ないじゃないすか」
 「言う必要がなかったからな」
 「必要って……じゃあなんで今になって」 
 「用事ができた。誕生会への招待だ」
 「?」
 悦巳は困惑する。
 誠一はつまらなそうに書類のページを繰りつつ続ける。
 「俺の父―みはなの祖父が孫の誕生会を開きたいと言い出した。会場は既に手配してある。招待状も誂えたというんだから用意周到だ」
 「誠一さんのお父さんっすか?」
 「なんだその間抜け顔は」
 「いや……誠一さんも人の子だったんだなあと改めて実感した次第っす」
 とってつけたように笑ってごまかす。
 そうだ、誠一にも親がいるのだ。
 誠一の場合、両親を飛び越して祖母の印象が強いせいかどうもその存在を忘れがちだった。
 手に持つ針をいじくりつつ風呂場で聞いた話を思い返す。
 少年期の一時期、誠一は祖母のもとに預けられていたという。
 両親の仲は悪く、家をでた母親の消息は不明。
 父親は外に愛人を作り滅多に帰らない。
 複雑な家庭で育ったのだろうと同情したが、親の顔さえろくに覚えてない悦巳は少しだけ羨ましくもあった。
 第一、誠一には親の代わりに愛情を注いでくれた華がいる。
 同情を侮辱ととる相手に対し、己の生い立ちと引き較べて身勝手な共感と羨望を抱くのは失礼だろう。
 両親がいないのは不便だけど不憫ではないのだと、小学生の悦巳に諭したのは施設の先生だ。
 世の中には色々な家庭があって、色々な家族の形があって、誰もが幸せになれるとは限らないのだから他人と自分を比べて卑下するのはやめなさいと叱咤するその先生を、大志はひどく嫌っていた。

 『おれ知ってる。ギゼンっていうんだぜ、ああいうの』 

 大志はむずかしい言葉をよく知っていた。
 覚えたばかりの言葉をすぐ使いたがった。
 ギゼンってなに、と聞いた悦巳を含む目つきでちらりと見て、大志はひねた口調で言い放った。

 『ないものねだりをしてるヤツに余りものをくれること』

 まただ。
 最近よく大志の事を思い出す。
 今どうしてるだろうとか、元気でやってるかとか。
 「誠一さんのお父さんてどんな人なんですか」 
 物思いを吹っ切って努めて明るく声をかける。
 誠一は書類を読みながら呟く。
 「無能で俗物」
 「……殺生なコメントっすねえ」
 「つまらない人間だ。早々と会社を譲ったのだってはなから尻拭いさせるのが目的だったんだろう」
 「どういうことっすか?」
 テーブルに書類を伏せておき、向き直る。
 目が合った刹那、質問を後悔した。
 背筋をしゃんと伸ばし畏まる悦巳を冷ややかに見、感情に抑制を働かせて説明する。
 「あの男がトップだった頃いちど倒産寸前まで行った。俺に代わってなんとか持ち直したが……焦げつきの後始末ひとつできないような人間がトップだなんて笑わせる。恥だ。今だってそうだ、親父がおこしたボヤの消火活動に当たってるようなものだ」
 誠一が仕事の話をするのは珍しい。
 たとえ愚痴でも、いやだからこそ、不謹慎な喜びを感じる心理が働く。
 理由をこじつけるまでもない。
 誠一が家で仕事の話をしないことにずっと一抹の寂しさを感じていた、不満など言える立場じゃないのは百も承知でアンディとの信頼関係を羨ましく思っていた。
 居候を始めて数ヶ月経つが、いまだに誠一が何の仕事をしてるのかよくわからない。
 誠一自身がしゃべらないのだからむりもないが、どうせこいつに言ってもわからないだろうと軽んじられているようで
 「フェアじゃねーよなー……」
 ひがみっぽくなる。
 こんなに頑張ってるのに認めてくれない、対等に扱ってくれない、信用してくれない。
 仕事が大変なら愚痴くらい付き合ってやれるのに。
 自分の立場を忘れたわけじゃない、身をもって痛感している。
 なのに努力に釣りあう待遇を望んでしまうのは贅沢なのだろうか。
 あれをしてくれ、これをしてくれと要望を言える立場じゃないのはわかってる。
 居候を許してくれるだけで感謝しなければ罰が当たる。
 もとより誠一にとっては祖母を詐欺にかけた憎い敵で、遺族から恨まれこそすれ優しくされる道理などない。
 わかっているのに、望んでしまう。
 伯母のゴミ箱になるのはいやでいやでたまらなかったのに誠一には弱音を零してほしいと願ってしまう、弱みをさらしてほしいと思う。
 つけこむ隙がなければ手繰り寄せるのは不可能だ。
 こちらから積極的に近付いて行こうにも跳ね返され落ちこむくりかえしで、失敗するたび距離の開きを痛感し、どうすれば誠一とみはなの架け橋になれるのかと頭を悩ませる。
 腫れ物にさわるような態度がいけないのだと反省し、精一杯明るく話しかければ鬱陶しげに追い払われる。
 やることなすこと裏目に出て、彼がこちらを見る時の雑音発生源を疎んじる目がいやで、せっかく帰りが早くなったのに素直に喜べない自分がいやだ。

 倒れた時は少しは優しくなったと思ったんだけど。
 ほんのちょっとだけ、砂糖一匙くらい。

 誠一のまわりにみはなの姿は見当たらない。
 誠一がリビングにいる間は寝室にひっこんでしまうのだ。
 親子が同じ部屋にいたとて会話は弾まない、互いを無視して好き勝手なことをするのが児玉家の日常。
 父と娘の接触はなく、せっかく早く帰ったところで交流がなければ距離が縮まるはずもない。
 この状況にだれより胸を痛めているのは、ふたりの身近にいる悦巳だ。
 とりつくしまもない誠一の顔を見つめ、ふいに口を開く。
 「哀しいことは半分、嬉しいことはふたりぶんって歌があるっしょ。会社でやなことあったらエンリョなく言ってくださいよ、聞くくらいしかできねーけどちょっとは気分軽くなるんじゃねえかって思ったりなんかしちゃって……はは」
 頭をかいて曖昧に語尾を濁す。
 誠一が奇妙かつ不躾な目つきで悦巳を見る。
 上手いフォローが思いつかず戸惑う。
 「あの、ほら、俺ばかだし誠一さんの会社のこと全然知らねえし、アンディと違って頼りねーから相談役はむりだけど愚痴の聞き手なら務まるんじゃねえかってさ。誠一さんのこともっと知りてえし。一緒に暮らしてるんだから……」
 まるでプロポーズじゃんか。
 我知らず頬が火照る。糸を通した針をひねくりまわす。
 ただ、もっと心を開いてほしいだけなのに。
 伯母の暴言は苦痛だったけれど誠一が零す愚痴なら根気よく付き合ってやる。
 ストレスの捌け口にするならそれもいい、悦巳に当たり散らすことによって明日への活力が湧いて娘への態度が軟化するなら望むところだ、耐えてみせよう。
 悦巳はどう頑張ってもアンディのようにはなれない。
 アンディのようには誠一の信用を勝ち得ずパートナーとして有益な助言をできないのなら、せめて家にいる間は仕事を忘れリラックスできるよう手伝いたい。ぐずでのろまな自分でも役立ってる、支えになっているという存在理由を補強する実感が欲しい。
 「―ええと、そんで来週がみはなちゃんのお誕生会なんすよね?」
 「ああ。親父がどうしてもやると言って聞かなくてな」
 「じじばかっすね。微笑ましいなあ」
 「気持ちが悪いことに滅多に会うこともない孫を溺愛してる。さぞかし盛大なパーティーになるだろうな、最愛の孫が満五歳を迎えるんだ。有名人もたくさんくるぞ」
 「芸能人とか?」
 皮肉っぽく嘲笑う誠一に目を輝かせ食いつく。
 「来るかもな。やたらと顔が広いのだけが親父のとりえだ」
 「ご馳走もでるんすよね?フランス料理とか……いや、パーティーなら立食式かな。ビュッフェとか?タッパーたくさん持ってかねーと」
 「来なくていいぞ」
 「えっ」
 「ずうずうしいな、まさかついてくる気だったのか。お前は留守番だ」
 無情に留守番を言い渡され、しばらく言葉を失ってぱくぱく口を開閉する。
 泡を食う悦巳を一瞥、そっけなく続ける。
 「そういうわけで来週の火曜は飯はいらん。みはなと一緒に誕生会にでる。帰りは遅くなるから勝手に食って寝ろ」
 保護者がいなければ締まらんからなと億劫げにぼやく。忌々しげに顰めた顔からは娘の誕生日を祝う気持ちなどかけらも伝わらず、増えた厄介ごとに辟易する本音がありあり窺える。
 仮初にも親としての責任と大人としての義務感と。
 膝においたコートを行き場をなくした手で揉みしだきつつ、くしゃりと笑う。
 「……そっすか……そっすよね、はは、誠一さんが思わせぶりだから勘違いしちゃったじゃねっすか!そっかそっかそりゃそっすよね、俺なんか足手まといだしセレブが集うパーティーなんか出た日にゃガチガチに緊張しまくって滑って転んで大惨事っす、わかってますってちゃんと、忘れてませんて!」
 「ならいいがな。めでたい勘違いをしたな?」
 「滅相もねっす!」
 なにがっかりしてんだよ、あたりまえじゃないか。俺はただの家政夫で、誠一さんのばあちゃんを騙した悪党で、そんなヤツがのこのこパーティーに出れるかよ。どのツラ下げてばあちゃんの息子に挨拶すりゃいい、自己紹介はどうする、はじめまして児玉華さんを騙した詐欺師ですって?
 常識で考えればわかることだ。
 「来週の火曜っすね、了解。心配ねっす、出前とるから……みはなちゃんのエスコートお願いしますね」
 顔の強張りをほぐして笑い中断した繕い物にもどる。
 動揺で手が滑り、針が指の腹を突き刺す。
 「―!っ、」
 反射的に手を放す。
 コートが膝から滑り落ちる。
 親指の腹にみるみる大粒の血が盛り上がる。
 「いって……またやっちまった」
 「布に針を通すより指を刺してる回数のほうが多いようだが」
 「ひとは失敗をくりかえして成長するんです」
 「さっきから何をしてるんだ?」
 親指の血を吸いつつ息を吹きかける悦巳に、誠一はうっそり問う。
 そばにはダッフルコートが落ちている。
 再びコートをとりあげて膝に置き、針と糸を持ち直し、真剣な顔つきで挑む。
 「アップリケを縫いつけてるんす。他の子が同じコート持ってて紛らわしいから、一発でわかる目印ありゃ間違えないっしょ」
 ダッフルコートの右胸には、口元バッテンじるしのミッフィーアップリケが半分ほど縫いつけられている。縫い目はジグザグでお世辞にも上手とは言えない。ところどころ糸のほつれが目立つ。
 「コートがぼろぼろになるか指が先か、いい勝負だ」
 「~イヤミっすね……」
 「一応お子様ブランド物のコートなんだがお前の手にかかるとなにもかもみすぼらしくなる」
 辛辣なコメントにむきになり、ますますペースを上げて針を進めていく。
 「痛ッ!」
 「馬鹿が」
 「せ……誠一さんがじっと手元見てるから緊張して失敗しちまうんすよ、どっかよそ見るか行っててくださいよ!」
 「気にするな、暇潰しだ」
 唾とばし追い払うも誠一は意地悪く笑うだけ。
 へそを曲げコートを抱え込み背中を向けるが、ふいにその肩を掴んで振り向かせ耳元で囁く。
 「見せてみろ」
 強引に手を掴まれる。
 突然の接触にたじろぎ心臓のリズムが狂う。
 誠一の顔がごく近くに来て息が止まる。
 悦巳の傍らに片膝つき、針を持つ手を握り締め、自分の顔へと翳す。
 唇が手に触れる。
 「!!いっ、」
 唇が親指に触れたと思った次の瞬間、先端を含まれる。
 熱く柔らかな口腔の温度と舌の感触にパニックが巻き起こる。
 何やってんだ?からかってんのか?わかった、いつものいやがらせだ。そう思いつつ、完全に硬直する。頭が沸騰し理性が蒸発思考が停止、目に映る光景はあまりに衝撃的かつ背徳的で後ろめたさをかきたてる。しっかりしろ、どうってことねえ、ただ指をなめられてるだけじゃないか動揺してどうする。
 誠一は恭しく顔を伏せ、そっとねぶるように悦巳の親指を含む。
 「誠一さん、なにっ……ちょっとふざけんな、やめてくださいって、くすぐって………!」
 傷口から血を吸いだし唾をつける。伏せ目がちの顔が色っぽい。
 あっさりと口を放した誠一は、親指を庇って肩で息する悦巳を馬鹿にしたように見る。
 「こうすると早く治る」
 「―ばあちゃんの教えっすか、それも」
 「消毒液をとりにいく手間が省けたろう」
 警戒しつつあとじさる悦巳に平然と言い放ちリビングを出て行く。
 「………なんだよ……」
 誠一の背中を見送り、縫いかけのコートを握り締めて呟く。
 ついさっきまで誠一の口に含まれていた親指を複雑な面持ちで見つめ、苛立たしげに吸う。
 既に痛みは消え失せている。誠一がすりこんだ唾が効いたのか……
 間接キス。 
 その発想に行き当たり、口に含み味わっていた親指を慌てて引き抜く。
 激しく首を振って頬に集まる熱を散らし、それでもまだ赤い顔を恥じてダッフルコートにぼふんと埋める。
 「~おちょくって楽しんでやがる……」
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