オレオレ御曹司

まさみ

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十四話

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公園のベンチで物思いに耽る。
土曜日の昼下がり、マンションから徒歩五分の距離にある児童公園は子供を放し飼いにきた近所の家族連れで賑わっていた。
ベビーカーを引いた若い主婦が姑への悪態や旦那の愚痴を零すそばをサッカーボールを追って男の子たちが駆け抜けていく。
手持ちぶさたに観察したところ公園における一番人気はダントツでブランコ、次点がすべり台。はやく譲れと鎖を引っ張ってゆする悪ガキ、追い立てるようにして先客をどかしたあと順番待ちの統制が乱れて争奪戦が始まる。
一方すべり台やブランコに行列成して群がる大衆は意に介さず、孤独にして孤高な求道者の背中を向ける幼女は気迫を孕んで近寄り難い。
「なに作ってるんすか、みはなさん」
戯れに声をかける。
シャベルを振るう手を休めず、ノッてきたんだから邪魔をするなと言わんばかりにそっけなくあしらう。
「作ってません」
「んじゃなにやってるんすか?」
てっきりダムかトンネルを建設してるのだろうと予想したが返事は斜め上を行く。
「したいをみつけるんです」
公園の砂場に死体が埋まってたら大事件だろうが本人はひどく真面目だ。
単なるごっこ遊びにとどまらず本当にこの下に死体が埋まってると信じ込んでるかのような一途な情熱が瞳に漲る。
「そうっすか……」
そういえば昨日テレビの前に正座して熱心にサスペンスドラマの再放送を見ていたっけ。
みはなと一緒におやつのプリンを食べつつ視聴したドラマでは冒頭公園の砂場から白骨死体が発見され、それが時効間近に迫った過去の殺人事件に焦点を当てなおすきっかけとなったのだ。
ほつれてまとわりつく前髪を手でばらし、つぶらな瞳を好奇心に輝かせ、ざっくざっく二拍子のリズムをつけて穴を掘りぬきつつ砂粒がくっついた顔で宣言する。
「骨になる前に見つけてあげなきゃ可哀想ですから」
感受性が強く想像力豊かな子供ほどメディアに影響されやすいものらしい。
「子供ってたまに不謹慎な遊び思いつくよなあ……」
多分出てこねえと思いますよなどと水をさすのは控え、ドラマの鑑識班になりきって現場を荒らし……もとい、すみずみまで入念に検証するみはなを片隅のベンチから離れて見守る。
シャベルをざくざく豪快に突き刺しがてら振り向き、淡白ぶった目の奥に期待をこめて意識しまくりの一瞥をくれる。
みはなの要望に気付いたのはそれからしばらくたってからだ。
少し迷う。
右向き左向きあたりに人けがないのを確認後ベンチから跳ね起きるや、両手の指で四角いフレームを作りシャッター音を口真似する。
「パシャッ!パシャッ!パシャッ!」
昨日見たドラマどおりの行動に満足し、明らかに最前よりペースを増して仕事に戻る。
「ふ~………」
元気百倍、意欲旺盛に活動を再開するみはなをよそに長々と息を吐いてベンチに戻る。
「子供の相手も大変っす」
みはなを外に連れ出したのは悦巳だ。
天気のいい土曜日くらい公園で遊びましょうと渋るみはなを説き伏せ無理矢理引っ張って来たのにはもうひとつ理由がある。
もう一度じっくり考え直す時間がほしかった。
いや、違う。それさえも言い訳だ。
悦巳はただ逃げたかったのだ。
テレビがある部屋から、女性キャスターとインテリコメンテーターがオレオレ詐欺を批判し糾弾するニュース番組から、切々と被害を訴える老人のインタビュー映像から、開き直る加害者から、自分を追い込むすべてから逃げたかったのだ。あの番組がみはなの目に触れてしまうのが怖かった、ニュースの内容と言動の矛盾が重なって本性を見抜かれてしまうのが怖かった。
自分の罪とちゃんと向き合うのが怖い。
人間としての評価がテレビから跳ね返ってくるのが怖い。
『嘘をつくひとはきらいです』
みはなに嫌われるのが、怖い。
だから逃げ出したのだ、マンションから。そして公園にやってきた。
心を落ち着ける時間がほしかった、落ち着いて考える時間がほしかった、テレビのないところへ行きたかった。
 
ばあちゃんを殺したのは俺だ。
直接手を下したわけじゃなくても死期を早める原因を作ったんなら同じことだ。

「…………」
ポケットに両手を突っ込み、ぶるりと肩を窄め身を震わす。
「さみ………」
寒いのは体か、心か。外的要因か内的要因か。
悦巳はコートやジャンパーのたぐいを所有してない。仕事着としてエプロンを買い与えた誠一もそこまで気は回さず余分な出費は認めなかった。
そもそもマンションに軟禁状態で幼稚園への送り迎え以外は外出の機会などごく限られてる為、冬の冷え込みが本格的に厳しくなるまでコートの必要性を感じなかったのだ。
誠一に車で拉致られたのは秋口だ。
あれからもう三ヶ月近く経つのだと思い返せば感慨深い。
しかし、一向に距離が縮まらない。
一人娘のみはなは懐いてくれたけど、誠一は今だに邪険な態度をとり続ける。
「……へこんでんのかな、俺」
さっき頑張ろうって決めたばっかなのにすぐこれだ、自分はとてつもなく意志が弱い。
「ざまあねえ」
口の端を吊り上げ卑屈に笑う。
洗面台の鏡と向き合って決めたばかりの目標がぐらつく。
今日は朝から躁鬱の気が激しい。
吹っ切ったつもりでもやはり昨日の行為が与えたショックが後遺症となって長引いて、浮きつ沈みつ情緒が安定せず考えこんでしまう。打たれ弱いのか強いのか立ち直りが早いのか遅いのか、どっちつかずの中途半端な状態にいい加減嫌気がさす。
もともと物事を深く考えるのは苦手なたちだ。
内省自省反省。
物心ついてからろくなことがなかった己の過去を顧みるのを避けて、省みると名のつくあらゆる行為と無縁の易きに流れる人生を送ってきた結果手元には何も残らなくなってしまった。
「まあ……うちがねえし、帰省は最初っから無理だけど」
肩を竦めてベンチに沈む。
悦巳自身は薄着だがみはなには風邪をひかないよう厚着させてある。
こちらを向いたいたいけな背中に庭いじりが趣味だった亡き華の面影が被さる。
もっとも、生前の華本人とは面識がないためあくまで悦巳の想像の産物だ。
庭いじりが趣味というのも電話越しに得た情報で実際のところはどうかわからない。
華ご自慢の庭を悦巳はまだ一度も見ていないのだから。
この先見る機会はないだろう、永遠に。
腰を痛めても庭の手入れを欠かさず薔薇を丹精した華の姿が、砂場遊びに夢中なみはなの背に被さって輪郭を濃くする。
結局言葉の真偽を確かめられないまま華は他界し、あとには誠一とみはなが遺され、逃亡者にまで落ちぶれた悦巳は彼ら父子のもとへ身を寄せる事になった。
二日酔いをひきずったこめかみが鈍く疼く。
二日酔いには梅干しが効くと教えてくれたのは華だったか……ちがう、岡田のばあちゃんだ。大学生の孫と悦巳を勘違いして、お前は息子に似て出来がいいから就職も上手くいくと励ましてくれた。悦巳は就職するつもりなどさらさらないどころか大学にさえ通ってなかったのに、某有名企業の内定がとれそうだと嘘までついた。
悦巳が詐欺を働き騙した相手は華一人じゃない、他にも多くの被害者がいる、悦巳に騙され高額の金を騙し取られた老人たちがいる。
「人殺しで嘘つきで詐欺師……か」
履き潰したスニーカーで地面を蹴りつける。
「どうしたんだ」
地面に影が射す。
つられて顔を上げれば日の光を遮るようにして強面の男が仁王立つ。  
「独り言が激しいぞ。周囲に不審がられる言動は慎め」
「アンディっすか。いつから見てたんすか」
「さっきからずっとだ。気付かなかったのか」
「気配感じなかったす」
「訓練の成果だ」
なんのだなんの。
内心つっこみつつ正面に立つアンディを仰ぎ、くたびれた顔で苦笑い。
「ドア開けたらいねーから休みかとおもった」
「監視任務に休日祝日も関係ない、お前は一年中我々の監視下にあると思い知れ」
乾いた青空が広がる冬晴れの昼下がり、親子連れがほのぼの憩う公園に突如現れた黒スーツの巨漢は場違いに目立つ。
アンディを敬遠しそそくさ退散していく親子連れを一瞥、鼻を鳴らす。
「怖がることねーのに」
「人を見た目で判断するのは市民の基本的性質だからしかたない」
「見た目が怖いって自覚はあるんだ?じゃあサングラスと黒スーツやめりゃいいのに」
「ダメだ」
「メンインブラックのコスプレっすか?誠一さんに言われていやいややってるんすか?あの人ホント自分の趣味を押し付けるのが好きだな……俺のエプロンだってなにも新婚さんみてえなドピンクにすることねーのに、いやがらせかよ」
「社長への批判は控えろ」
「チクる気っすか?」
眇めた目元だけで笑い、挑発的に吐き捨てる。
「いっすよ、別に。俺をクビにしたら困るのあっちっす、今度から誰がメシ作って風呂掃除してゴミだし洗濯するんす」
「お前が消えたら次をさがすまでだ」
にべもない返答にへこむ。
嘘でもいい、それは困ると引き止められるのを期待してた虫のよさを恥じる。
所詮こんなものだ、友情が成立してたというのは勝手な思い込みでアンディはなんら思い入れなどないのだ、誠一だって……
「!?わっ、」
アンディの手が弧を描く。
放物線を描いて飛んできた物体を、咄嗟にポケットから手を抜き出し受け取る。
「あちちちち」
手の中で飛び跳ねる缶コーヒー。
あわや取りこぼしかけたそれをはっしと押さえる悦巳の横へ腰掛け、自分の分のプルトップを引く。 
「呑め。冷えるだろう」
すっかりかじかんでしまった手を缶コーヒーでこすって温め、無愛想なアンディの横顔をさぐる。
「……どもっす」
軽く頭を下げてプルトップを引き口をつける。苦いコーヒーが喉を落ちていく。
「はあ………あったまる」
「そうか」
「コーヒー呑むの久しぶりっす、ここんとこ紅茶ばっかだったから……あ、金」
「おごりだ」
なんとなく和解が成立してしまう。
アンディは必要最低限の口しか利かず、酷薄な色の視線を遠くに定めコーヒーを味わうのに集中する。
悦巳もまたアンディが見ている虚空に視線を放り、片手をポケットに突っ込み足を投げ出し、減るのを惜しむ貧乏性でコーヒーをちびちびと嚥下する。
つかず離れず他人行儀とも親密とも言えぬ微妙な距離をとりベンチに腰掛ける男ふたりの上を、子供の歓声を乗せた冬枯れの風が過ぎて行く。
缶コーヒーのぬくもりが包んだ手に移るのを待ち、シーソーやジャングルジムなど代表的な遊具が立ち並ぶ公園に散って無邪気に遊ぶ子供たちをぼんやり眺めて口を開く。
「今朝はどこにフケてたんすか」
「フケてたんじゃない。お前とは違う」
「ああ……寒くなると近くなるし」
「用足しでもない。喫煙だ」
「携帯灰皿もってないんすか?マナー違反っすよ」
「玄関先は禁煙だ。副流煙の害がみはな様に及べば将来的に肺癌に罹患する可能性が高まる」
口半開きの呆け顔でまじまじとアンディの横顔を見つめてしまう。
「……ひょっとして契約の条項に含まれてる?すげー過保護」
開いた口が塞がらない。
横顔に注視を浴びたアンディは些かばつ悪げに咳払いひとつ、重々しく威厳もつ口調で釘を刺す。
「お前こそ、目をはなした隙に勝手に出かけるな。外出する時は必ず目的地を告げて許可をとれ」
「どうせお仲間が尾行してるんしょ?こまけーこと気にしない」
話のネタが尽きる。
ベンチに隣り合った二人の前、ラッコの乗り物に跨った子供たちが黄色い嬌声を上げる。
吹きつける風の冷たさに震える悦巳をよそに、砂場を独占し穴掘りを断行するみはなの体調を憂う。
「……風が冷たいな」
「そっすねー今日は冷え込みますねー一段と」
「みはな様は大丈夫か?風邪などひかないか」
「厚着させてっから大丈夫だと思うけど……」
背広の内側から黒い筐体を取り出すや中折れ式に収納されたアンテナを伸ばして立て、電波の送受信を行う。
「あーあー……こちらアイン、こちらアイン。聞こえるかツヴァイ、応答どうぞ」
『こちらツヴァイ、どうぞ』
周波数の調整後回線を開く。
突如通信機からもれたノイズまじりの太い声にぎょっとする。
「みはな様は砂場で遊んでらっしゃる。現在風向は北北東より、強度は4……チームаは十時の方角に展開、チームbは七時の方角に展開、防風堤を築け」
『了解』
『タートル・シールド・フルパワー、略してTSF作戦だな』
「トランスフォーマーのパクリっぽいネームっすね」
「通信アウト。健闘を祈る」
余計な横槍を無視し通信を切る。
筐体を背広にしまい、何事もなかったかのように前を向くアンディを遠慮がちにうかがう。
「……すんません、今のは……」
「みはな様に風が当たらぬよう所定の位置に人員を配置した」
アンディが眼光鋭く見据える方角に焦点を絞れば、公園を囲む花壇の茂みや遊具の影に分散して潜伏する場違いな黒スーツの存在を複数目視。
「うわ沸いた」
黒スーツを迷彩と化し地面や遊具と同化した彼等は、アンディの指揮によりみはなの現在地からコンパスを開くが如く均等の線を引いて迅速に散開するや、おのおの鍛え抜いた筋肉で鎧った肉体でもって枯葉を舞い上げ吹きすさぶ風を受けて立つ。全体を俯瞰すると亀の甲羅を連想させる隙のない陣形。
「万全の布陣だ」
上々の成果に満足げなアンディ。
「石ころ帽でも被ってたのかよ?さっぱり気付かなかった」
驚愕に目を剥く悦巳。
アンディはまんざらでもない様子で頷くやサングラスごしの目を僅かに細め、ひとつの頭脳のもと一個の精密機械と化して動く優秀な部下たちを誇らしげに眺め渡す。
「いつでもどこでもみはな様の安全をお守りするのが我々の任務だ」
「……アンディ、その、気ィ悪くしたら悪ィんだけどひとつ聞いていいかな?」
「なんだ」
「うちに盗聴器とか仕掛けてねーよな」
数呼吸の沈黙。
十字砲火の戦場をくぐり抜けてきたのだろう地獄の風景を映す眼差しを虚空に放り、コーヒーを一口、呟く。
「特務における非合法活動は一部容認される」
「一言否定してほしかったんだけど」
世の中には聞かない方がいい事があるものだ。ひとつ教訓になった。
「元気がないな」
「まあ……ね」
「なにかあったのか」
「…………」
「悩みがあるのか」
「どうしたんすかアンディ、今日はやけに優しいじゃねっすか」
いつもと立場が逆だ。アンディの方から構ってくるなど珍しいこともあるものだと悪戯っぽくからかう。
アンディは缶を傾けつつ、感情を欠いた平坦な口調で言う。
「昨日、俺がいない間に社長が帰宅したな」 
「…………」
「珍しく機嫌が悪く泥酔して荒れてたそうだ」
「誠一さんが機嫌悪いのはいつもじゃねっすか」
「何かあったのか?」
黙り込んでしまう。
昨夜、悦巳と喧嘩別れしたアンディが玄関前から一時離脱した事によって生じた事態を洗いざらい話すのは気が引ける。
もしあの時あの場にアンディが居残っていたら引き止めてくれたんじゃないかと都合のよい期待をしては報われなかった現実を追認し、理不尽を承知しつつも逆恨みしてしまう。
アンディなりに過失の責任を感じているのだろう、サングラスの下に懸念が浮かぶ。
アンディは悪くない。逆恨みは筋違いだ。
缶コーヒーを両手に預けもてあそぶ。
視線の先、死体さがしに夢中なみはなは大股開きで窪みに踏ん張り、濃紺デニム地のスカートが次第に捲れパンツ丸出しになるのも毛糸の靴下がずりおちてくるのも無頓着に短い腕の上げ下げごと大量の砂を撒き散らし、はては地殻を貫通し地球の裏側まで到達しそうな勢いでシャベルを突き立てている。
「何をなさってるんだ?」
「穴を掘ってるんす」
「見ればわかる。聞いてるのは動機だ」
「さあ……温泉掘ってるんじゃねっすか、一攫千金めあてで」
「みはなさまに山師根性があったとは」
「いや、突っ込んでくださいよ」
あきれる悦巳の横、背広から奇妙に変形した針金を取り出し先端を虚空に向ける。
「何のマネっすか?」
「ダウンジングで鉱脈を引き当てる手伝いを」
「マジボケっすか?」
「現役時代は人間地雷探知機と呼ばれた。地雷原は俺の庭だ」
「公園は公共の庭っす。地雷なんて埋まってねーから変なもんしまって、親御さんが見てる」
サッカーボールを蹴って駆けて行く男の子たちのさらにその向こう、鉄壁の布陣を敷く黒スーツ軍団に護衛されながら風除けがあろうとなかろうと関係なく、むしろ自ら果敢に風に当たりに行く逞しきマイペースさで砂場をほじくりかえすみはなに脱帽。
「王様の耳はロバの耳」
「?」
「俺も叫んだらすっとすっかなあ」
あちこち間欠泉を噴いたようなでこぼこの惨状を呈す砂場にて、みはなはパンツが見えるのも構わず、むしろ見せているのかと疑いたくなるほどのふてぶてしい存在感ででんと居座りシャベルを上げ下げする。
家を出る前にミッフィーのアップリケをあしらったジャンパーを着せ、一番上まできちんとジッパーを上げて防寒対策を施したのだが、氷を割り抜いて漁をするエスキモーの末裔さながら丸々着膨れした格好は動きにくい上に運動量に比例して汗で蒸れる。
少し過保護すぎたかもなと反省。
「サウスパークに出てくるガキんちょ思い出すなあ……」
「地雷処理か」
「すーぐそうやって戦場に結びつける。自衛隊の人っすか」
みはなの口元から白い息が立ち上る。
悦巳の口元からも仄白く曇った吐息が上がっていく。
最後の一滴まで物欲しげに舌の上にたらしてから、からっぽになった缶をそばのくず入れに捨てる。
鉄のくずかごに放り込んだ缶が甲高い金属音をたてる。
「アンディはさ、なんで誠一さんとこで働いてるんすか」
「お前と同じだ。拾われたんだ」
アンディは過去について多くを語らず口を濁す。
悦巳も深くは立ち入らず質問を変える。
「誠一さんってどんな人っすか」
「立派な方だ」
「えー……?」
「文句があるのか」 
「いや、文句しかねーっつか。どこが立派なんすかあんな俺様バカ社長、家庭のことなんかひとっつも省みず仕事仕事シゴトばっか、現に今日だって一人でジムに行っちまうしさ」
「たまの休日くらい一人でゆっくりリフレッシュしたいんだろう」
「勝手っスよ、そんなの。みはなちゃん毎日ひとりぼっちで可哀想だ。平日忙しくて相手できねーぶん休日構い倒すのが父親ってもんじゃないっすか?」 
放ったらかしのみはなの寂しさを代弁するーというよりは個人的感情に駆られ憤る悦巳の隣、その点についてはさすがのアンディも擁護できず渋い顔でコーヒーを啜る。
「……事情があるんだ。社長を責めるな」
「尊敬してるんすね」
「ああ」
「俺は………よくわかんねえな、正直。あの人がなに考えてるのかも何したいのかも」
悦巳に何を求めてるのかも。
「みはなちゃんの父親だし悪い人じゃねえって思いたいけど……ちょっと自信なくなっちゃって」
寡黙さを信頼し、アンディにだけこっそり胸の内を明かす。
みはなのことを愛してるなら、父親としての自覚があるなら、いくら酔って正体をなくしてたからとはいえ昨夜のような行為をするだろうか。
寝ぼけてリビングを覗いたみはなは誠一が悦巳を押し倒す現場を偶然目撃した、その事に対し誠一の反応はあまりにあっさりしていた、子供にはわからないだろうと決めつけて今朝早く出て行った。
謝罪ひとつなく気遣う素振りも見せず、まるで無関心に。
実の娘じゃないから?だからあんなに冷たいのか?
誠一に対し募り行く不信感と怒りを腹の底におしこめ、深呼吸して平静を保つ。   
「アンディは誠一さんと付き合い長いんすか?」
「数年だ」
「死んだ奥さんてどんな人だったんすか」
サングラス越しの双眸が動く。
口に出した質問を悔やむも遅く、破れかぶれの勢いで付け足す。
「ほら、俺全然知らねえし、どんな人だったのかなーって気になっちゃって。部屋にも写真とか痕跡ねえし、なんで死んだのか誠一さんに直接聞くのもアレだしで今まで濁してきたんだけど……できた奥さんだったんでしょ?すっごいでっかい冷蔵庫っすもんね、台所もぴかぴか清潔好きで部屋とか埃ひとつ落ちてないで」
核心を迂回する。
本当に知りたいのはそんな事じゃない、いや、既に他界したみはなの母親がどういう人物だったのかは気になるが今一番気になるのは誠一の発言の真意、みはなと血は繋がってないという発言の裏に隠された真相だ。
もしみはなと誠一に血の繋がりがないとしたら母親はどうなのだ、ひょっとしてみはなは……
アンディなら何か知ってるかもしれない。
誠一に近付くきっかけをくれるかもしれない。
誠一やみはなについてもっとよく知りたい、家族の一員になるのが無理ならせめてその橋渡しをしたい、人殺しで嘘つきで詐欺師の俺が家族を欲しがるのは分不相応だ、ならせめて家族を作る手伝いをしたい、誠一とみはなには互いを思いやり労わり合う理想の親子であってほしい。

死んだばあちゃんにできる罪滅ぼしといったらそれくらいだ。

それは本心であって建前じゃないはずなのに、一方で自身の変化に戸惑う。
膝の上で指先を合わせ、俯き加減に思い詰め、貧困な想像の及ぶ範囲で誠一の亡き妻像を語る。
「誠一さんの奥さんが務まるくらいだからとんでもなく心の広いセレブな人格者で、冷蔵庫の食材腐らせたりせずきちんと賞味期限守って使って、パエリヤとかポトフとかビーフストロガノフとか難易度たけー横文字の料理が得意で、ピンクのエプロン似合うスタイル抜群の美人さんで、俺なんかよか全然……はは、たちうちできねえ……」
  
なんで。
これじゃまるでやきもち焼いてるみてーじゃんか。

「なんで死んだんすか?」
今の今まで聞きたくて、どうしても聞けずにいた疑問をおもいきってぶつけてみる。
矢継ぎ早にまくしたてる悦巳をアンディはいつになくあっけにとられたように見つめていたが、嘘やごまかしを一切許さぬ真摯なまなざしに困惑の度合いを深め、手にした缶を握り潰す。
「何を言ってるんだ、お前は」
「え?」
すれ違いに胸が騒ぐ。
推し量るように悦巳をためつすがめつ、全く予期しなかった方向から衝撃的な事実をもたらす。
「社長の奥様は生きてるぞ?」
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