243 / 295
golden wedding 4
しおりを挟む
彼女はグウェンダリンと名乗った。
「グウェンでいいわよ、みんなそう呼ぶから。仰々しくて嫌いなのこの名前」
蓮っ葉に肩を竦めて頬杖を付く、ツンと澄ました横顔が可愛らしい。
気位が高そうな弧を描く柳眉、小造りに整った鼻梁。華奢で均整とれた体躯にフィッシュテールの優美なドレスを纏ったシルエットは、血統書付きの迷い猫さながらアンニュイな雰囲気を漂わす。
愛称呼びを許されても性格上はいそうですかと乗っかれないのがピジョンの損な性分というか、彼が彼たるゆえんだ。根っからウブで生真面目なのだ。
ズレてもいないネクタイの襟元を神経質にいじくり、俯き加減に呟く。
「初対面でなれなれしくない?」
「変なこと気にするのね、本人がいいって言ってるのになに遠慮するのよ」
「いや……こういうのは順序ってものが……」
「さっきは初対面だったけどもう顔見知りでしょ」
グウェンダリン改めグウェンが、完璧な扁桃形の瞳を面白そうに光らせる。
ピジョンは堅物だ。
弟が礼儀なんてクソくらえと奔放に生きている分、堅苦しく礼儀にこだわる。初対面の女の子を呼び捨てにするのは敷居が高い、アップタウンのお嬢様ときたら尚更だ。
「一緒にダンスもしたし……友達って呼ぶのは気が早いかもしれないけど、他人以上知人未満程度には親しい間柄よ」
二人は現在キマイライーター邸の敷地内に在る、広大な庭園のガゼボで休憩していた。
至る所に女神や天使の彫像、石造の水盆が飾られた庭園には様々な品種の薔薇が咲き乱れ、燦燦と陽射しが注ぐ昼間ならさぞかし目の保養になっただろうが、夜の帳に包まれた今はどの花も等しく闇に沈み、甘美な芳香を漂わせるのみだ。
夜気に溶けて広がる馥郁たる香りが鼻腔をくすぐる。
昼に来れなかったことを心の片隅で少し勿体ながるが、夜も独特のしっとりした風情があっていいと思い直す。弟が端緒となる思考はネガティブだが、できるだけ物事をポジティブに捉えようとするのがピジョンの長所だ。
なんたってすぐ隣に可愛い女の子がいる。肩が触れ合いそうな距離に並んで腰かけ、会話をしているのだ。
ピジョンとグウェンは中庭に酔いを冷ましにきた。
グウェンの誘いを慎んで受けたピジョンは、大広間で彼女とダンスを踊った。夢のようなひとときだった。
ガゼボのベンチに腰かけたグウェンがおかしそうに思い出し笑いをする。
「自分で自分の足踏むなんて器用ね、笑っちゃった」
「あ、あれはうっかり……緊張してたからさ」
「最初は覚束なかったけどだんだん調子出てきたじゃない」
「パートナーのおかげさ」
「上手ね」
「ダンスは前から?」
「社交界に出入りするなら基礎教養よ、めんどくさい」
「上手かった。とても」
グウェンは大袈裟に首を竦める。
「ホントいうとダンスなんて嫌いだったの。右に回れ左に回れ足は引け、ああしろこうしろ指図されてうざったいったらありゃしない。よくサボって外に遊びに行っては怒られたわ、いい子のミリアム……姉さんとは大違い。さんざんパパとママの手を焼かせてきたの」
しかめっ面を作り、最後に冗談ぽく付け加える。
けれどピジョンの耳は、その言葉に潜む本音を敏感に聞き取る。
「じゃあなんで俺を誘ったんだい」
「壁のお花を摘んだだけ。キレイだったから……なあに、先約があった?」
この子は少し俺と似ている。出会って間もないが、ピジョンはグウェンに共感と同族憐憫じみた感情を抱き始めている。
「でもホント、筋は悪くないわよ。そんなに卑下することないわ」
「身近に完璧すぎる手本がいたらへこむよ」
「気持ちはわかるけどね」
「お姉さんは放っておいていいの」
「いいのよ、どうせ今頃お楽しみ中でしょ」
拗ねて唇を尖らせるしぐさは随分と子供っぽい。
ダンスが終わって見回してみれば、スワローとグウェンの姉は既にどこかへ消えていた。何をしてるかは想像に難くない。
「コンドームちゃんと持ってきたかな……」
「なに?」
「いや、こっちの話」
弟のコンドームの予備を心配してる場合じゃない、隣に女の子がいるんだぞ。いいかピジョンこれはチャンスだ、日頃女の子に縁がない日照りのお前に降って湧いた幸運じゃないか、全力でモノにしなくてどうするんだ。
ピジョンはグウェンに向き直って詫びる。
「さっきはごめん、スワローが」
「ああ、ぶつかってきたこと?あれってやっぱりわざと?」
「確信犯だね」
「あなたの足を踏ん付けたのも?」
「断言する」
ピジョンとグウェンが踊っている時、何度かスワローとミリアムのペアが寄ってきた。ピジョンは弟に目配せをし回避を促したがスワローは知ったことかと無視し、すれ違いざまピジョンに肘鉄をくれ、足をひっかけようとし、挙句今日この日の為に磨き抜いた革靴を力一杯踏ん付けていくではないか。
ざまあみろと言わんばかりのスワローの表情を思い出すとはらわたが煮えくり返る。
「随分と入念な嫌がらせね」
グウェンもあきれ顔だ。
「子供なんだよアイツ」
「話に聞いてたストレイ・スワローとだいぶ違うのね」
「どんな噂聞いてたか知らないけど、アイツが俺への嫌がらせに命をかけている事だけは確かだね」
「ね、賞金稼ぎなんでしょ?話聞かせて」
「女の子に聞かせられるような体験談はないよ」
「刺激的なお話は好き、ちょっとやそっとじゃ動じないわ」
「血と脳漿をトッピングした話でもかい」
意地悪く脅かしたのは、当て付けの指名への腹いせだ。
グウェンの本命はあくまでスワロー、自分はただのおまけ、穴埋めの代理だ。姉にスワローをとられたから仕方なくその冴えない兄で暇潰ししているだけなのだ。
嗚呼いけない兆候だどんどん卑屈になっていくのがわかる。なんでもっと単純に降って湧いた幸運を喜べないんだ、いいじゃないかお零れでも、余り者同士お似合いだってグウェン自身そう言ってたじゃないか。
ところがグウェンは怯むどころか興奮し、目をきらきら輝かせる。
「トースターを浴槽に放りこんで感電死させたり?」
「こないだ弟がしようとしたけど、全力で止めた」
「なんでよケチ」
「そこは褒めてほしいな人道的に」
「ストレイ・スワローは音速で飛んできた弾丸をナイフでまっぷたつにできるんでしょ?」
「期待を裏切って申し訳ないけど、デマだよ」
「嘘ばっかりじゃない、見損なったわバンチ!」
「バンチの誌面は二割の真実と八割の誇張でできてるんだ。ゴシップには事欠かない弟だけどね」
「あなたはどうなの?狙撃手なんでしょ、面白い話ないの」
「急に言われても……」
「相手の狙撃手と同時に発砲したら空中で弾丸が衝突して両方弾け飛んだり」
「好きだねそのネタ」
「銃に名前付けたりは?賞金稼ぎは愛用の武器に名前を付けて愛人みたいに可愛がるって聞いたわ」
「スワローはレオナルドって付けてるけど」
「レオナルド?だれそれ」
「話せば長くなるけど……」
夜の帳が落ちた瀟洒なガゼボにて、傍目には逢瀬にも見える若い二人の話が弾む。
ピジョンは子供の頃にまで遡って弟がナイフを手に入れた経緯を話し、グウェンはそれにいちいち目を輝かせ、ある時は息を飲み、ある時は目を覆い、ある時は両こぶしを握り、はちきれんばかりの好奇心を漲らせて食い付く。もちろん不都合な箇所は端折って、なるべく人様に聞かせても当たり障りがない内容を聞かせたのだが、そもそも彼とスワローが二人三脚で歩んできた半生には当たり障りしかないので苦労した。
「それで、どうなったの?」
「間一髪間に合った。兄の勘っていうのかな、ピンときたね。レーヴェ……レイヴンは手強かったけど、ひらめきの勝利だ。やっぱり観察は大事だね、じっくり相手と向き合って初めてわかることがある。レイヴンは上手く隠してたけど、何週間も使い走りをしてた俺の目はごまかせない」
「すごいわね、弟を庇いながら倒しちゃうなんて」
「アイツは漏らしてべそかいてたから俺がレイヴンを止めるしかなかったんだ。あ、ごめん汚い言葉使って」
「気にしないで。じゃあレオナルドって、あのレイヴン・ノーネームの被害者から来てるのね」
「形見を勝手にパクるとかありえない。遺族には絶対教えられない」
「元の持ち主をリスペクトしたのよ」
「そういう考え方もできるかな」
手柄を盛ったのはご愛敬だ。普段さんざん迷惑をかけられているのだから、これ位は大目に見てほしい。
「レイヴン・ノーネームなら知ってるわ、飾っておくとまわりの空気が淀みそうな絵を描くひと。うちのパパが小品を欲しがってたの」
「それは……酔狂だね」
「悪趣味だね」と喉元まで出かけたのを慌てて引っ込める。
「13歳と11歳でレイヴン・ノーネームと互角に渡り合うだなんて、やっぱり賞金稼ぎとして名を上げる人たちは違うのね」
「まぐれだよ、たまたま運が良かったんだ。地元の子も協力してくれたし……どうしてるかなあの子、元気でやってるといいんだけど」
おだてられてピジョンは照れる。
「じゃあ子供時代はお母さんとトレーラーハウスで旅して回ってたの?」
「そうだね……俺たちは父親を知らないから、ずっと母さんと3人だった」
「いいなあ、色んなところ行けて羨ましい」
「はは……確かに色んな所に行ったよ。サボテンステーキが名物の街、コヨーテが吠える谷、夜でもネオンが賑やかな場所。映画館やコインランドリーがある時はラッキーだったな」
「もぎりの目をごまかして忍び込んだり?」
「お嬢様のくせにどこでそんな言葉覚えてくるんだ、ちゃんと払ったって少なくとも俺は。スワローはしょっちゅうちょろまかしてたけど……君は?お姉さんと何して遊んだの」
「ファッションショーとか?お互いの服を着せっこしたり」
グウェンの眼差しが郷愁に和む。
「ミリアムってば、私の靴が入らなくって珍しく癇癪起こしてたわ。姉さんなんだから当たり前なのにね。お互いの靴を履きたがって、でも私には大きすぎて、ミリアムには小さすぎてうまくいかないの」
「今はそう変わらないよ」
「がんばって自分を磨いて、見た目だけはやっと追い付いたの」
自嘲気味に笑い、ロケットを片手で包むグウェン。
彼女の言葉で自分の足元に目をやったピジョンは、靴紐のよれたオンボロスニーカーの幻を見る。
グウェンがスッと片足を突き出し、ピジョンの革靴とハイヒールを並べる。
「人の靴を穿いてみるのはいい経験。相手の気持ちになれる」
「がむしゃらに歩き方をまねようとしてもうまくいかない、全然調子がでないんだ」
「だれかの背中ばかり追ってると自分のペース見失っちゃう、なんて私が言うのも変か」
グウェンがハイヒールを軽く寄せてピジョンの爪先を小突く。
「私もね、意地張ってミリアムの靴で歩いたの。脱げって言われても知らんぷり。ぶかぶかですっごく歩きにくくて、なんにもない所で転んじゃった。膝をすりむいてわんわん泣いてたら、ミリアムが飛んできて起こしてくれた」
「あはは、うちとそっくりだ。スワローもよく俺のスニーカーをひきずって歩いてたよ、やることなすことすぐまねしたがってかわいかったな。アイツは転んでも泣かないけど」
「私は弱虫?」
「アイツが見栄っ張りなのさ。地面でおでこ打っても唇をひん曲げて、泣いてたまるかって前を睨んでたよ。痛いとか哀しいとかって感情をド根性でねじ伏せて、そのぶん怒りと悔しさをバネにできるんだ」
「タフなのね」
「とんでもないやんちゃで手を焼かされた」
「私とおんなじはねっかえり」
「どんなイタズラをしたの?」
「ママの日傘をパラシュート代わりにして二階から飛び下りて右足骨折、下が茂みでラッキーだった。パパが大事にしてるワインをミリアムのバレエシューズに注いで飼い犬に呑ませた時もひどく怒られた。一番叱られたのはうちのプールでピラニアを放し飼いにしたときかしら」
「なかなか凄まじい」
「ペットショップで見かけたから出来心で」
「スワローもイタズラの悪質さじゃ負けないけど、ごくまれにいい事もしたっけ。いじめっ子に捕まってコインランドリーに投げ込まれようとしてる猫を物理的に一肌脱いで助けたり、俺が拾ってきた犬ともよく遊んでやってた。いや、アレは遊んでもらってたのかな」
ピジョンは膝の間で手を組む。
父親がいない事を不便と思った経験は尽きないが、不幸だと嘆いた事は一度もない。不在の父親の分も母が愛情を注いでくれたからだ。
グウェンが微笑ましそうに呟く。
「仲良かったのね」
「だと思うよ、あんまり他を知らないから比べようないけど。一人で大きくなったような顔してるけど、母さんと俺とで育てたようなものさ。髪だって伸びてきたら切ってやったし、朝食のピーナッツバターサンドだってせっせとこしらえてやった。おかげでジャムやバターはできるだけ薄く均等に塗り広げるスキルが身に付いた」
「お母さんと弟さん、2人のお腹を膨らませたのね」
「誤解を招く言い方だな」
「人の髪切るってむずかしくない?」
「床屋代が惜しいから……せっかくかっこよくしてやったのに仕上げに不満たらたら、最中もちっともじっとしてないでまいったよ、危ないって言ってるのに聞きゃしないんだから。君は生まれも育ちもアンデッドエンド?」
「生まれも育ちもアップタン。清潔で退屈な街」
「俺の近所は不浄で危険だよ」
グウェンは性懲りなくピジョンに思い出話をせがむ。
胸躍る冒険譚や武勇伝はもとより、ピジョンとスヴェンが出会った様々な人々の話や他愛ないエピソードを次々と聞きたがる。
「オールドモップっていうのね、へんてこな名前!でもカワイイ」
「古いモップみたいにぼさぼさで、毛羽立ち具合はスワローの寝癖とどっこいだった」
「何もないところで突然とびあがるからジャンピングジョージ?そのまんまじゃない」
「猫には辛口だね」
「その酔っ払いに絡まれたの?災難ね」
「スワローのおかげで助かった。ろくに覚えてないけど」
「二日酔いキツかったでしょ。私も初めて飲んだ時吐いちゃったもの、スクールバスの中で」
「スクールバスに乗ってる年齢で飲んだの?」
「ナイショ。厄介なお客さんばかりで苦労したのね」
「悪い人ばかりでもないよ、良くしてくれる人もいたし。読み書きは母さんの馴染みに教えてもらった」
「学校は?」
「行きたかったけどね」
「……ごめんなさい」
グウェンが詫びる。彼女の価値観では学校へ行けるのが普通なのだ。
「ダンシングフラワーって今何代目なの?」
「五代目」
「改良と進化を重ねてる」
「部屋にある最新作を見せられないのが残念。前は糸を引っ張って動かしてたけど歯車を付けて自走式にしたんだ、小型マイクを仕込めば喋れるように」
「ダンシング&トーキングフラワー?ちょっと欲張りすぎ。ポラロイドカメラは?持ってこなかったの」
「使う機会があると思わなくて」
「あなたが撮った写真見たいな。キレイなんでしょうねきっと」
「ブレまくりで下手くそだよ」
「ピンボケでも見せてよ」
「やだよ」
グウェンダリンはよく笑い表情を変えた。ピジョンは彼女に好意を持ち始めていた。恋愛感情とはまでは行かないが、グウェンはピジョンの母が娼婦と知りながらも「素敵な人ね」と言い、決して恵まれてたとはいえない彼の子供時代を羨んだ。
癖なのだろうか、細首に巻いたチョーカーの先端に括り付けられたシルバーのロケット、その滑らかな表面をいじくりまわしながらグウェンが独りごちる。
「2人そろって賞金稼ぎの夢を叶えたのね」
「約束したから……」
「一獲千金に憧れて?それともキマイライーターに憧れて?」
膝を抱えたグウェンが挑発的な流し目を送ってよこす。
「どっちも、かな」
どうして賞金稼ぎになろうとしたんだっけ。
どっちが先に言い出したんだっけ。
最初は確かに重かった、この重さを忘れないように戒めていた引鉄の軽さをもはや気にも留めず殺伐とした日々に身も心もすり減らしていると初心を見失いかける。
母さんに楽をさせたい、美味しいものが食べたい、ホツレがない服を着たい。賞金稼ぎになれば楽ができる、今までさんざん馬鹿にしてきた周囲の連中を見返してやれる。何も持たない自分たちが成り上がるにはこれが一番の近道だとあの頃は信じて疑わなかった。
「キマイライーターはすごい人だよ、子供の頃からバンチで読んで憧れてた。自伝も徹夜で読み耽ったし……彼のパーティーに招かれるなんて今でも時々夢じゃないかって」
『賞金稼ぎになんのがアガリか?それでもう満足おしまい、さよならバイバイご愁傷様ってか?』
「ひょっとしたら俺はまた母さんの馴染みに無理矢飲まされて、これは酔い潰れてるあいだに見たしあわせな……でもやっぱりトラブルだらけでめんどくさい夢なんじゃないか。次に目を開けたら物凄い二日酔いに襲われて、バケツに顔突っこんでゲーゲーやってるのが身の丈に釣り合う現実じゃないかって思えてならないんだ」
不安げに俯くピジョンの手の甲をグウェンがやさしく抓る。
「ニセモノじゃないでしょ」
『もっと欲かけよ。これっぽっちが俺達の限界か、まだまだ本気出して上目指せんだろーが』
「夢は叶ったんだ……」
なのになんで満たされない?
日々自分の実力不足を思い知らされてはスワローと引き比べ落ち込むくり返し、一体アンデッドエンドに来てから俺は自分だけの力で何かを成し得ただろうか、二人で賞金稼ぎになっても結局アイツの足を引っ張ってるだけじゃないか、これっぽっちが俺の限界なのか?
ピジョンは無欲だ。己の分をわきまえている。
スワローは強欲だ。身の程知らずもいい所だ。
どちらが人生楽しいかと言われたら、それはどうあがいたって無茶苦茶やってる弟の方なのだ。
「叶ったのに物足りない?」
グウェンがピジョンを覗き込み首を傾げる。
「正直いうと、賞金稼ぎになった先の事はノープランだった。スワローは腕利きだからデカく稼げるけど、速攻ギャンブルで使い果たす。でもなんとか安アパートを借りてやっていけてる。食べていけるんだからこれでいいじゃないかっておもうけど」
『わたくし、バード兄弟のファンですの』
ルクレツィアの若やいだ声が耳の奥に甦る。
『番の小鳥のように兄弟ふたり支え合い、子供の頃から追いかけてきた夢を掴んだ』
そうだ、俺たちは番だ。
『諦めてしまうのは簡単だった、もっと楽な道だってあったでしょうに互いを唯一無二のパートナーと恃んで努力をし遂にここまで辿り着いた。なかなかできることじゃないわ……辛かったでしょうに、よく頑張ったわね』
スワローが諦めさせてくれなかった。
アイツは俺に「もういい」を許さないのだ。
『正当な努力を不当に卑下するのはおやめなさい。それこそこの場に最も似付かわしくない、軽はずみな振る舞いです。自分を下げて他者を上げるのは謙譲の美徳ではございません、自ら高みにのぼるならともかくあなたが身を落としたところで私の視座は変わらないのですから少しも嬉しくありません』
ピジョンはルクレツィアの気高さに圧倒された。
キマイライーターは老齢を理由に引退を退いてからも地方の自警団の指導に赴き、精力的に後進を育成している。キマイライーターが生涯の伴侶に選んだルクレツィアも素晴らしい人柄で、未だに高みにのぼり続けている。
「夢を叶えてしまったら何を目標に生きればいいのか、おかしな話結構本気で悩んでたんだ」
贅沢な悩みだとわかっている。
スワローはこんな事で悩まないだろうこともわかっている。
葛藤の波紋が広がる赤錆の目を伏せ、互い違いにした両手の指を焦れて組み替える。
「キマイライーターの奥方……ルクレツィアさん。あんなすごい人にファンだなんてもったいないこと言ってもらえたのに、足踏みしてていいのかなって」
あの時、本当の本当を言うとピジョンは恥じたのだ。
傷だらけで固くなった自分の手を恥じたのではない。こんな素晴らしい人にもったいない言葉を貰ったのに、それに見合った態度をとれない自身の意気地のなさを恥じたのだ。
ピジョンは深呼吸し、続く言葉をしぼりだす。
「賞金稼ぎになるのはゴールじゃない、ただのスタートなんだ。なってみて初めてわかった、この世界は本当にバケモノだらけだ。バケモノ……って言葉は悪いけど、そうとしか思えないような手練れがうじゃうじゃいてよそ見してたらすぐ落ち零れる。ルーキー最強って持ち上げられてるスワローだって彼らに比べたら取るに足らないひよっこだ、ましてや俺なんて勘定にも入らない。キマイライーターはもちろん先生……俺の師匠筋にあたる人だって、まだまだ現役でやっていける実力者なんだ。後進に譲る必要なんてないほどに」
そんなバケモノぞろいの世界でモチベーションを保ち続けるのは難題だ。
実際身体よりも前に心が折れて辞めていく賞金稼ぎは大勢いる。
「俺、最低だ」
「いきなりどうしたのよ」
突然の懺悔に目をまん丸くするグウェンに対し、ピジョンは先程ルクレツィアに褒めらたてのひらを見下ろす。
暇さえあればスナイパーライフルを整備し、あるいは撃ち続けたその手は固く節くれて新旧無数の傷痕が刻まれている。かすかに鼻を突くのは慣れ親しんだ、今や懐かしささえ覚える油の匂いだ。
ピジョンは目を瞑る。
シャツの内側に隠したドッグタグがひたりと心臓にあたる。
まだ駄目だ、もっともっと努力しないととてもじゃないが彼らには追い付けない。追い越そうなんておこがましい、でも追い付けないと諦めたくはない、獲物を狩る時に最速を出すツバメのようには飛べなくても長く粘り強く飛ぶハトならどんな遠く偉大な目標にもいずれ追い付くことは可能なはずだ。
生ける伝説に。
偉大な師に。
そして血を分けた実の弟に。
『正当な努力を不当に卑下するのはおやめなさい』
心臓の熱を吸い上げたタグが鼓動し、賞金稼ぎのプライドに火が付く。
自分を認めてくれる人の存在が自尊心を呼び覚まし、噛み締めた奥歯が軋む。
やられっぱなしで終わる気はさらさらない。
再び瞼を上げた時、ピンクゴールドの前髪を透かす眸には冴え冴えと赤い闘志が装填されていた。
「せっかくめでたい席に呼んでもらったのに、早く帰って撃ちたくてたまらない」
それ自体肉と骨でできた引鉄の如く人さし指を曲げ、二度、三度と矯めて引く。
あたかも残弾をカウントするように。
品行方正な青年の口から出た物騒すぎるセリフに、グウェンがあっけにとられる。
「…………職業病ね」
「だろうね」
さっきまでの浮かれ気分は消し飛んだ。
こうしている時間がもったいない、早くアパートに帰って愛用のスナイパーライフルをひっさげて屋上へ行きたい、今の時間なら誰もいないから自由に使えるはず、大家には許可を得ている。
指が感覚を忘れる前に鼓膜から残響が消える前に脳髄から快感が薄れる前に、今感じているこの昂りを、心臓に滾る闘志を、銃口から形にして吐き出したい。
その時見上げたピジョンの横顔は、ルクレツィアの賛辞に感動して涙を一粒零したのと同一人物とは思えぬほど鋭さを増し、赤錆の眸を研ぎ澄ませた殺気と好戦的な色香を放っていた。
「待って」
矯めて曲げる、矯めて曲げる、矯めて曲げる。
親指を立て、垂直になるように人さし指を伸ばし、第一関節と第二関節に仮想の標的までの間隔と着弾に至る感覚を叩きこむ。
虚構の引鉄を引くのが止まらない彼の手をそっと押さえ、自らの胸元に導くグウェン。
長い睫毛が飾る瞳が挑発的に光り、ある種の期待に満ちた媚態をほのめかす。
「もう少しいいでしょ。夜はこれからよ」
「え」
ピジョンの顔に動揺が浮かぶ。
そんなピジョンに覆い被さったグウェンがシルバーのロケットを弾き、妖艶に微笑んでみせる。
「私を撃ち落としてよ、スナイパーさん」
フィッシュテールのドレスの裾をたくしあげ、グウェンがピジョンに跨った。
「グウェンでいいわよ、みんなそう呼ぶから。仰々しくて嫌いなのこの名前」
蓮っ葉に肩を竦めて頬杖を付く、ツンと澄ました横顔が可愛らしい。
気位が高そうな弧を描く柳眉、小造りに整った鼻梁。華奢で均整とれた体躯にフィッシュテールの優美なドレスを纏ったシルエットは、血統書付きの迷い猫さながらアンニュイな雰囲気を漂わす。
愛称呼びを許されても性格上はいそうですかと乗っかれないのがピジョンの損な性分というか、彼が彼たるゆえんだ。根っからウブで生真面目なのだ。
ズレてもいないネクタイの襟元を神経質にいじくり、俯き加減に呟く。
「初対面でなれなれしくない?」
「変なこと気にするのね、本人がいいって言ってるのになに遠慮するのよ」
「いや……こういうのは順序ってものが……」
「さっきは初対面だったけどもう顔見知りでしょ」
グウェンダリン改めグウェンが、完璧な扁桃形の瞳を面白そうに光らせる。
ピジョンは堅物だ。
弟が礼儀なんてクソくらえと奔放に生きている分、堅苦しく礼儀にこだわる。初対面の女の子を呼び捨てにするのは敷居が高い、アップタウンのお嬢様ときたら尚更だ。
「一緒にダンスもしたし……友達って呼ぶのは気が早いかもしれないけど、他人以上知人未満程度には親しい間柄よ」
二人は現在キマイライーター邸の敷地内に在る、広大な庭園のガゼボで休憩していた。
至る所に女神や天使の彫像、石造の水盆が飾られた庭園には様々な品種の薔薇が咲き乱れ、燦燦と陽射しが注ぐ昼間ならさぞかし目の保養になっただろうが、夜の帳に包まれた今はどの花も等しく闇に沈み、甘美な芳香を漂わせるのみだ。
夜気に溶けて広がる馥郁たる香りが鼻腔をくすぐる。
昼に来れなかったことを心の片隅で少し勿体ながるが、夜も独特のしっとりした風情があっていいと思い直す。弟が端緒となる思考はネガティブだが、できるだけ物事をポジティブに捉えようとするのがピジョンの長所だ。
なんたってすぐ隣に可愛い女の子がいる。肩が触れ合いそうな距離に並んで腰かけ、会話をしているのだ。
ピジョンとグウェンは中庭に酔いを冷ましにきた。
グウェンの誘いを慎んで受けたピジョンは、大広間で彼女とダンスを踊った。夢のようなひとときだった。
ガゼボのベンチに腰かけたグウェンがおかしそうに思い出し笑いをする。
「自分で自分の足踏むなんて器用ね、笑っちゃった」
「あ、あれはうっかり……緊張してたからさ」
「最初は覚束なかったけどだんだん調子出てきたじゃない」
「パートナーのおかげさ」
「上手ね」
「ダンスは前から?」
「社交界に出入りするなら基礎教養よ、めんどくさい」
「上手かった。とても」
グウェンは大袈裟に首を竦める。
「ホントいうとダンスなんて嫌いだったの。右に回れ左に回れ足は引け、ああしろこうしろ指図されてうざったいったらありゃしない。よくサボって外に遊びに行っては怒られたわ、いい子のミリアム……姉さんとは大違い。さんざんパパとママの手を焼かせてきたの」
しかめっ面を作り、最後に冗談ぽく付け加える。
けれどピジョンの耳は、その言葉に潜む本音を敏感に聞き取る。
「じゃあなんで俺を誘ったんだい」
「壁のお花を摘んだだけ。キレイだったから……なあに、先約があった?」
この子は少し俺と似ている。出会って間もないが、ピジョンはグウェンに共感と同族憐憫じみた感情を抱き始めている。
「でもホント、筋は悪くないわよ。そんなに卑下することないわ」
「身近に完璧すぎる手本がいたらへこむよ」
「気持ちはわかるけどね」
「お姉さんは放っておいていいの」
「いいのよ、どうせ今頃お楽しみ中でしょ」
拗ねて唇を尖らせるしぐさは随分と子供っぽい。
ダンスが終わって見回してみれば、スワローとグウェンの姉は既にどこかへ消えていた。何をしてるかは想像に難くない。
「コンドームちゃんと持ってきたかな……」
「なに?」
「いや、こっちの話」
弟のコンドームの予備を心配してる場合じゃない、隣に女の子がいるんだぞ。いいかピジョンこれはチャンスだ、日頃女の子に縁がない日照りのお前に降って湧いた幸運じゃないか、全力でモノにしなくてどうするんだ。
ピジョンはグウェンに向き直って詫びる。
「さっきはごめん、スワローが」
「ああ、ぶつかってきたこと?あれってやっぱりわざと?」
「確信犯だね」
「あなたの足を踏ん付けたのも?」
「断言する」
ピジョンとグウェンが踊っている時、何度かスワローとミリアムのペアが寄ってきた。ピジョンは弟に目配せをし回避を促したがスワローは知ったことかと無視し、すれ違いざまピジョンに肘鉄をくれ、足をひっかけようとし、挙句今日この日の為に磨き抜いた革靴を力一杯踏ん付けていくではないか。
ざまあみろと言わんばかりのスワローの表情を思い出すとはらわたが煮えくり返る。
「随分と入念な嫌がらせね」
グウェンもあきれ顔だ。
「子供なんだよアイツ」
「話に聞いてたストレイ・スワローとだいぶ違うのね」
「どんな噂聞いてたか知らないけど、アイツが俺への嫌がらせに命をかけている事だけは確かだね」
「ね、賞金稼ぎなんでしょ?話聞かせて」
「女の子に聞かせられるような体験談はないよ」
「刺激的なお話は好き、ちょっとやそっとじゃ動じないわ」
「血と脳漿をトッピングした話でもかい」
意地悪く脅かしたのは、当て付けの指名への腹いせだ。
グウェンの本命はあくまでスワロー、自分はただのおまけ、穴埋めの代理だ。姉にスワローをとられたから仕方なくその冴えない兄で暇潰ししているだけなのだ。
嗚呼いけない兆候だどんどん卑屈になっていくのがわかる。なんでもっと単純に降って湧いた幸運を喜べないんだ、いいじゃないかお零れでも、余り者同士お似合いだってグウェン自身そう言ってたじゃないか。
ところがグウェンは怯むどころか興奮し、目をきらきら輝かせる。
「トースターを浴槽に放りこんで感電死させたり?」
「こないだ弟がしようとしたけど、全力で止めた」
「なんでよケチ」
「そこは褒めてほしいな人道的に」
「ストレイ・スワローは音速で飛んできた弾丸をナイフでまっぷたつにできるんでしょ?」
「期待を裏切って申し訳ないけど、デマだよ」
「嘘ばっかりじゃない、見損なったわバンチ!」
「バンチの誌面は二割の真実と八割の誇張でできてるんだ。ゴシップには事欠かない弟だけどね」
「あなたはどうなの?狙撃手なんでしょ、面白い話ないの」
「急に言われても……」
「相手の狙撃手と同時に発砲したら空中で弾丸が衝突して両方弾け飛んだり」
「好きだねそのネタ」
「銃に名前付けたりは?賞金稼ぎは愛用の武器に名前を付けて愛人みたいに可愛がるって聞いたわ」
「スワローはレオナルドって付けてるけど」
「レオナルド?だれそれ」
「話せば長くなるけど……」
夜の帳が落ちた瀟洒なガゼボにて、傍目には逢瀬にも見える若い二人の話が弾む。
ピジョンは子供の頃にまで遡って弟がナイフを手に入れた経緯を話し、グウェンはそれにいちいち目を輝かせ、ある時は息を飲み、ある時は目を覆い、ある時は両こぶしを握り、はちきれんばかりの好奇心を漲らせて食い付く。もちろん不都合な箇所は端折って、なるべく人様に聞かせても当たり障りがない内容を聞かせたのだが、そもそも彼とスワローが二人三脚で歩んできた半生には当たり障りしかないので苦労した。
「それで、どうなったの?」
「間一髪間に合った。兄の勘っていうのかな、ピンときたね。レーヴェ……レイヴンは手強かったけど、ひらめきの勝利だ。やっぱり観察は大事だね、じっくり相手と向き合って初めてわかることがある。レイヴンは上手く隠してたけど、何週間も使い走りをしてた俺の目はごまかせない」
「すごいわね、弟を庇いながら倒しちゃうなんて」
「アイツは漏らしてべそかいてたから俺がレイヴンを止めるしかなかったんだ。あ、ごめん汚い言葉使って」
「気にしないで。じゃあレオナルドって、あのレイヴン・ノーネームの被害者から来てるのね」
「形見を勝手にパクるとかありえない。遺族には絶対教えられない」
「元の持ち主をリスペクトしたのよ」
「そういう考え方もできるかな」
手柄を盛ったのはご愛敬だ。普段さんざん迷惑をかけられているのだから、これ位は大目に見てほしい。
「レイヴン・ノーネームなら知ってるわ、飾っておくとまわりの空気が淀みそうな絵を描くひと。うちのパパが小品を欲しがってたの」
「それは……酔狂だね」
「悪趣味だね」と喉元まで出かけたのを慌てて引っ込める。
「13歳と11歳でレイヴン・ノーネームと互角に渡り合うだなんて、やっぱり賞金稼ぎとして名を上げる人たちは違うのね」
「まぐれだよ、たまたま運が良かったんだ。地元の子も協力してくれたし……どうしてるかなあの子、元気でやってるといいんだけど」
おだてられてピジョンは照れる。
「じゃあ子供時代はお母さんとトレーラーハウスで旅して回ってたの?」
「そうだね……俺たちは父親を知らないから、ずっと母さんと3人だった」
「いいなあ、色んなところ行けて羨ましい」
「はは……確かに色んな所に行ったよ。サボテンステーキが名物の街、コヨーテが吠える谷、夜でもネオンが賑やかな場所。映画館やコインランドリーがある時はラッキーだったな」
「もぎりの目をごまかして忍び込んだり?」
「お嬢様のくせにどこでそんな言葉覚えてくるんだ、ちゃんと払ったって少なくとも俺は。スワローはしょっちゅうちょろまかしてたけど……君は?お姉さんと何して遊んだの」
「ファッションショーとか?お互いの服を着せっこしたり」
グウェンの眼差しが郷愁に和む。
「ミリアムってば、私の靴が入らなくって珍しく癇癪起こしてたわ。姉さんなんだから当たり前なのにね。お互いの靴を履きたがって、でも私には大きすぎて、ミリアムには小さすぎてうまくいかないの」
「今はそう変わらないよ」
「がんばって自分を磨いて、見た目だけはやっと追い付いたの」
自嘲気味に笑い、ロケットを片手で包むグウェン。
彼女の言葉で自分の足元に目をやったピジョンは、靴紐のよれたオンボロスニーカーの幻を見る。
グウェンがスッと片足を突き出し、ピジョンの革靴とハイヒールを並べる。
「人の靴を穿いてみるのはいい経験。相手の気持ちになれる」
「がむしゃらに歩き方をまねようとしてもうまくいかない、全然調子がでないんだ」
「だれかの背中ばかり追ってると自分のペース見失っちゃう、なんて私が言うのも変か」
グウェンがハイヒールを軽く寄せてピジョンの爪先を小突く。
「私もね、意地張ってミリアムの靴で歩いたの。脱げって言われても知らんぷり。ぶかぶかですっごく歩きにくくて、なんにもない所で転んじゃった。膝をすりむいてわんわん泣いてたら、ミリアムが飛んできて起こしてくれた」
「あはは、うちとそっくりだ。スワローもよく俺のスニーカーをひきずって歩いてたよ、やることなすことすぐまねしたがってかわいかったな。アイツは転んでも泣かないけど」
「私は弱虫?」
「アイツが見栄っ張りなのさ。地面でおでこ打っても唇をひん曲げて、泣いてたまるかって前を睨んでたよ。痛いとか哀しいとかって感情をド根性でねじ伏せて、そのぶん怒りと悔しさをバネにできるんだ」
「タフなのね」
「とんでもないやんちゃで手を焼かされた」
「私とおんなじはねっかえり」
「どんなイタズラをしたの?」
「ママの日傘をパラシュート代わりにして二階から飛び下りて右足骨折、下が茂みでラッキーだった。パパが大事にしてるワインをミリアムのバレエシューズに注いで飼い犬に呑ませた時もひどく怒られた。一番叱られたのはうちのプールでピラニアを放し飼いにしたときかしら」
「なかなか凄まじい」
「ペットショップで見かけたから出来心で」
「スワローもイタズラの悪質さじゃ負けないけど、ごくまれにいい事もしたっけ。いじめっ子に捕まってコインランドリーに投げ込まれようとしてる猫を物理的に一肌脱いで助けたり、俺が拾ってきた犬ともよく遊んでやってた。いや、アレは遊んでもらってたのかな」
ピジョンは膝の間で手を組む。
父親がいない事を不便と思った経験は尽きないが、不幸だと嘆いた事は一度もない。不在の父親の分も母が愛情を注いでくれたからだ。
グウェンが微笑ましそうに呟く。
「仲良かったのね」
「だと思うよ、あんまり他を知らないから比べようないけど。一人で大きくなったような顔してるけど、母さんと俺とで育てたようなものさ。髪だって伸びてきたら切ってやったし、朝食のピーナッツバターサンドだってせっせとこしらえてやった。おかげでジャムやバターはできるだけ薄く均等に塗り広げるスキルが身に付いた」
「お母さんと弟さん、2人のお腹を膨らませたのね」
「誤解を招く言い方だな」
「人の髪切るってむずかしくない?」
「床屋代が惜しいから……せっかくかっこよくしてやったのに仕上げに不満たらたら、最中もちっともじっとしてないでまいったよ、危ないって言ってるのに聞きゃしないんだから。君は生まれも育ちもアンデッドエンド?」
「生まれも育ちもアップタン。清潔で退屈な街」
「俺の近所は不浄で危険だよ」
グウェンは性懲りなくピジョンに思い出話をせがむ。
胸躍る冒険譚や武勇伝はもとより、ピジョンとスヴェンが出会った様々な人々の話や他愛ないエピソードを次々と聞きたがる。
「オールドモップっていうのね、へんてこな名前!でもカワイイ」
「古いモップみたいにぼさぼさで、毛羽立ち具合はスワローの寝癖とどっこいだった」
「何もないところで突然とびあがるからジャンピングジョージ?そのまんまじゃない」
「猫には辛口だね」
「その酔っ払いに絡まれたの?災難ね」
「スワローのおかげで助かった。ろくに覚えてないけど」
「二日酔いキツかったでしょ。私も初めて飲んだ時吐いちゃったもの、スクールバスの中で」
「スクールバスに乗ってる年齢で飲んだの?」
「ナイショ。厄介なお客さんばかりで苦労したのね」
「悪い人ばかりでもないよ、良くしてくれる人もいたし。読み書きは母さんの馴染みに教えてもらった」
「学校は?」
「行きたかったけどね」
「……ごめんなさい」
グウェンが詫びる。彼女の価値観では学校へ行けるのが普通なのだ。
「ダンシングフラワーって今何代目なの?」
「五代目」
「改良と進化を重ねてる」
「部屋にある最新作を見せられないのが残念。前は糸を引っ張って動かしてたけど歯車を付けて自走式にしたんだ、小型マイクを仕込めば喋れるように」
「ダンシング&トーキングフラワー?ちょっと欲張りすぎ。ポラロイドカメラは?持ってこなかったの」
「使う機会があると思わなくて」
「あなたが撮った写真見たいな。キレイなんでしょうねきっと」
「ブレまくりで下手くそだよ」
「ピンボケでも見せてよ」
「やだよ」
グウェンダリンはよく笑い表情を変えた。ピジョンは彼女に好意を持ち始めていた。恋愛感情とはまでは行かないが、グウェンはピジョンの母が娼婦と知りながらも「素敵な人ね」と言い、決して恵まれてたとはいえない彼の子供時代を羨んだ。
癖なのだろうか、細首に巻いたチョーカーの先端に括り付けられたシルバーのロケット、その滑らかな表面をいじくりまわしながらグウェンが独りごちる。
「2人そろって賞金稼ぎの夢を叶えたのね」
「約束したから……」
「一獲千金に憧れて?それともキマイライーターに憧れて?」
膝を抱えたグウェンが挑発的な流し目を送ってよこす。
「どっちも、かな」
どうして賞金稼ぎになろうとしたんだっけ。
どっちが先に言い出したんだっけ。
最初は確かに重かった、この重さを忘れないように戒めていた引鉄の軽さをもはや気にも留めず殺伐とした日々に身も心もすり減らしていると初心を見失いかける。
母さんに楽をさせたい、美味しいものが食べたい、ホツレがない服を着たい。賞金稼ぎになれば楽ができる、今までさんざん馬鹿にしてきた周囲の連中を見返してやれる。何も持たない自分たちが成り上がるにはこれが一番の近道だとあの頃は信じて疑わなかった。
「キマイライーターはすごい人だよ、子供の頃からバンチで読んで憧れてた。自伝も徹夜で読み耽ったし……彼のパーティーに招かれるなんて今でも時々夢じゃないかって」
『賞金稼ぎになんのがアガリか?それでもう満足おしまい、さよならバイバイご愁傷様ってか?』
「ひょっとしたら俺はまた母さんの馴染みに無理矢飲まされて、これは酔い潰れてるあいだに見たしあわせな……でもやっぱりトラブルだらけでめんどくさい夢なんじゃないか。次に目を開けたら物凄い二日酔いに襲われて、バケツに顔突っこんでゲーゲーやってるのが身の丈に釣り合う現実じゃないかって思えてならないんだ」
不安げに俯くピジョンの手の甲をグウェンがやさしく抓る。
「ニセモノじゃないでしょ」
『もっと欲かけよ。これっぽっちが俺達の限界か、まだまだ本気出して上目指せんだろーが』
「夢は叶ったんだ……」
なのになんで満たされない?
日々自分の実力不足を思い知らされてはスワローと引き比べ落ち込むくり返し、一体アンデッドエンドに来てから俺は自分だけの力で何かを成し得ただろうか、二人で賞金稼ぎになっても結局アイツの足を引っ張ってるだけじゃないか、これっぽっちが俺の限界なのか?
ピジョンは無欲だ。己の分をわきまえている。
スワローは強欲だ。身の程知らずもいい所だ。
どちらが人生楽しいかと言われたら、それはどうあがいたって無茶苦茶やってる弟の方なのだ。
「叶ったのに物足りない?」
グウェンがピジョンを覗き込み首を傾げる。
「正直いうと、賞金稼ぎになった先の事はノープランだった。スワローは腕利きだからデカく稼げるけど、速攻ギャンブルで使い果たす。でもなんとか安アパートを借りてやっていけてる。食べていけるんだからこれでいいじゃないかっておもうけど」
『わたくし、バード兄弟のファンですの』
ルクレツィアの若やいだ声が耳の奥に甦る。
『番の小鳥のように兄弟ふたり支え合い、子供の頃から追いかけてきた夢を掴んだ』
そうだ、俺たちは番だ。
『諦めてしまうのは簡単だった、もっと楽な道だってあったでしょうに互いを唯一無二のパートナーと恃んで努力をし遂にここまで辿り着いた。なかなかできることじゃないわ……辛かったでしょうに、よく頑張ったわね』
スワローが諦めさせてくれなかった。
アイツは俺に「もういい」を許さないのだ。
『正当な努力を不当に卑下するのはおやめなさい。それこそこの場に最も似付かわしくない、軽はずみな振る舞いです。自分を下げて他者を上げるのは謙譲の美徳ではございません、自ら高みにのぼるならともかくあなたが身を落としたところで私の視座は変わらないのですから少しも嬉しくありません』
ピジョンはルクレツィアの気高さに圧倒された。
キマイライーターは老齢を理由に引退を退いてからも地方の自警団の指導に赴き、精力的に後進を育成している。キマイライーターが生涯の伴侶に選んだルクレツィアも素晴らしい人柄で、未だに高みにのぼり続けている。
「夢を叶えてしまったら何を目標に生きればいいのか、おかしな話結構本気で悩んでたんだ」
贅沢な悩みだとわかっている。
スワローはこんな事で悩まないだろうこともわかっている。
葛藤の波紋が広がる赤錆の目を伏せ、互い違いにした両手の指を焦れて組み替える。
「キマイライーターの奥方……ルクレツィアさん。あんなすごい人にファンだなんてもったいないこと言ってもらえたのに、足踏みしてていいのかなって」
あの時、本当の本当を言うとピジョンは恥じたのだ。
傷だらけで固くなった自分の手を恥じたのではない。こんな素晴らしい人にもったいない言葉を貰ったのに、それに見合った態度をとれない自身の意気地のなさを恥じたのだ。
ピジョンは深呼吸し、続く言葉をしぼりだす。
「賞金稼ぎになるのはゴールじゃない、ただのスタートなんだ。なってみて初めてわかった、この世界は本当にバケモノだらけだ。バケモノ……って言葉は悪いけど、そうとしか思えないような手練れがうじゃうじゃいてよそ見してたらすぐ落ち零れる。ルーキー最強って持ち上げられてるスワローだって彼らに比べたら取るに足らないひよっこだ、ましてや俺なんて勘定にも入らない。キマイライーターはもちろん先生……俺の師匠筋にあたる人だって、まだまだ現役でやっていける実力者なんだ。後進に譲る必要なんてないほどに」
そんなバケモノぞろいの世界でモチベーションを保ち続けるのは難題だ。
実際身体よりも前に心が折れて辞めていく賞金稼ぎは大勢いる。
「俺、最低だ」
「いきなりどうしたのよ」
突然の懺悔に目をまん丸くするグウェンに対し、ピジョンは先程ルクレツィアに褒めらたてのひらを見下ろす。
暇さえあればスナイパーライフルを整備し、あるいは撃ち続けたその手は固く節くれて新旧無数の傷痕が刻まれている。かすかに鼻を突くのは慣れ親しんだ、今や懐かしささえ覚える油の匂いだ。
ピジョンは目を瞑る。
シャツの内側に隠したドッグタグがひたりと心臓にあたる。
まだ駄目だ、もっともっと努力しないととてもじゃないが彼らには追い付けない。追い越そうなんておこがましい、でも追い付けないと諦めたくはない、獲物を狩る時に最速を出すツバメのようには飛べなくても長く粘り強く飛ぶハトならどんな遠く偉大な目標にもいずれ追い付くことは可能なはずだ。
生ける伝説に。
偉大な師に。
そして血を分けた実の弟に。
『正当な努力を不当に卑下するのはおやめなさい』
心臓の熱を吸い上げたタグが鼓動し、賞金稼ぎのプライドに火が付く。
自分を認めてくれる人の存在が自尊心を呼び覚まし、噛み締めた奥歯が軋む。
やられっぱなしで終わる気はさらさらない。
再び瞼を上げた時、ピンクゴールドの前髪を透かす眸には冴え冴えと赤い闘志が装填されていた。
「せっかくめでたい席に呼んでもらったのに、早く帰って撃ちたくてたまらない」
それ自体肉と骨でできた引鉄の如く人さし指を曲げ、二度、三度と矯めて引く。
あたかも残弾をカウントするように。
品行方正な青年の口から出た物騒すぎるセリフに、グウェンがあっけにとられる。
「…………職業病ね」
「だろうね」
さっきまでの浮かれ気分は消し飛んだ。
こうしている時間がもったいない、早くアパートに帰って愛用のスナイパーライフルをひっさげて屋上へ行きたい、今の時間なら誰もいないから自由に使えるはず、大家には許可を得ている。
指が感覚を忘れる前に鼓膜から残響が消える前に脳髄から快感が薄れる前に、今感じているこの昂りを、心臓に滾る闘志を、銃口から形にして吐き出したい。
その時見上げたピジョンの横顔は、ルクレツィアの賛辞に感動して涙を一粒零したのと同一人物とは思えぬほど鋭さを増し、赤錆の眸を研ぎ澄ませた殺気と好戦的な色香を放っていた。
「待って」
矯めて曲げる、矯めて曲げる、矯めて曲げる。
親指を立て、垂直になるように人さし指を伸ばし、第一関節と第二関節に仮想の標的までの間隔と着弾に至る感覚を叩きこむ。
虚構の引鉄を引くのが止まらない彼の手をそっと押さえ、自らの胸元に導くグウェン。
長い睫毛が飾る瞳が挑発的に光り、ある種の期待に満ちた媚態をほのめかす。
「もう少しいいでしょ。夜はこれからよ」
「え」
ピジョンの顔に動揺が浮かぶ。
そんなピジョンに覆い被さったグウェンがシルバーのロケットを弾き、妖艶に微笑んでみせる。
「私を撃ち落としてよ、スナイパーさん」
フィッシュテールのドレスの裾をたくしあげ、グウェンがピジョンに跨った。
0
お気に入りに追加
155
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる