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golden wedding 1
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キマイライーターから招待状が届いたのはある晴れた日の午後だった。
「金婚式ィ?」
「キマイライーターからのお誘いだよ。光栄だね」
興奮冷めやらず行ったり来たり、出前ピザのチラシとダイレクトメールの束に挟まっていた招待状を一字一句暗記するほど熟読したのち、手放すのが惜しそうな表情で居間のソファーで堕落するスワローに回す。
「金婚式って何年目だ?」
「五十年目」
「うへ、同じ女でよく飽きねーな」
「永遠の幸せを誓い合った伴侶に飽きたとかないぞ、世間的にはお前の価値観の方が非常識だ」
「病める時も健やかなる時もーってアレか」
「キマイライーターは愛妻家で有名だ、金婚式のお披露目も奥さんの為に企画したのかもね。噂じゃ銀婚式の宴も盛大だったとか」
「金の貢ぎ所間違ってね?」
「この上なく正しい使い道」
大股広げてソファーにふんぞり返った弟は、受け取ったカードを興味なさそうにひねくりまわす。
宛先には「ピジョン&スワロー・バード様」と無個性な字でタイプされている。
「連名じゃん」
「二人で一人の勘定なんだろ」
「一人一通ちゃんとよこせよ手抜きめ」
「同じ部屋に住んでるんだからかまわないだろ、夫婦だってMr&Mrsで省略するし……待て、今の取り消し」
「俺がMrでお前がMrs?」
「なんでだよ」
「女役だから」
「brosでいいだろ普通に」
こっぱずかしいたとえに頬を染めるピジョンを笑い、さらに続ける。
「&って。しかもお前が先」
「兄さんだから当然」
何故か得意げにいばるピジョン。
スワローは鼻を鳴らしカードを裏返す。
差出人はジョヴァンニ・キマイライーター……アンデッドエンドはおろか、この大陸では知らない者のない生ける伝説の賞金稼ぎだ。
その彼から金婚式の祝宴の招待状が届いた。市井の賞金稼ぎなら大変名誉なことだがスワローはそうじゃないらしい。
行儀悪く足を投げ出すや招待状を突き返す。
「なんだってわざわざ時間割いてジジィのノロケ聞きに行かなきゃなんねーんだ、かったりィ。金婚式でも葬式でも勝手にやれよ」
「不謹慎なこと言うな。いいじゃないか、せっかくのめでたい催しなんだ。うまい飯たくさん出るぞ」
「乞食すんなら一人でいけ、ローストビーフの切れ端恵んでもらえよ」
「キマイライーターにはさんざん世話になったろ?部屋を借りる時も後見人になってくれたし修行先も斡旋してくれた、俺たちみたいな駆け出し賞金稼ぎが招待に預かるなんて分不相応なんだ本当は。だからって縁を結んだ恩人の厚意をむげにできない、母さんだって怒るよ」
「都合が悪くなるとすーぐ母さん出すのやめろよガキが」
キマイライーターとは数年来の付き合いだ。出会いは子供時代に遡る。
相手は賞金稼ぎの頂点、こちらはとるにたらないひよっこ。本来接点すら生まれ得ない立場だが、過去に利用した負い目からか、あるいは純粋な親切心からか、アンデッドエンドに移住した兄弟になにかと便宜をはからってくれている。
お互い多忙な身故直接会うことは少ないが、元から熱狂的なファンだったピジョンなど月一回は電話を繋いでもらい、近況報告と感謝を述べている。
まったくよくやるぜ、とスワローに腐されてもへこたれない鈍感さは立派だ。
「媚売ってんじゃねー尻軽。ジジィに尾羽ふって小遣いせびる魂胆か」
ピジョンが不愉快そうに眉をひそめる。
「怒るぞスワロー、冗談でも言っていいことと悪いことがある。お前は悪いことしか言わない。何が不満だ、パーティーだぞ?そんじょそこらのパーティーじゃない、あのキマイライーターが主催する特別なパーティーだ」
「浮かれんなミーハーが」
「アップタウンのお偉いさんも沢山くるよな……着てく服あったっけ」
「どー考えても場違いだろ?豪邸前に運転手付きの高級車乗り付けるよーな連中にどの面さげて混ざんだよ、ボロコート着てったら一発で貧乏人て見抜かれる」
「他の賞金稼ぎも呼ばれてるだろ?さすがに車は借りれないけど……知ってるか、屋敷は三階建てでプールやバーが付いてるんだ。前にバンチの特集で見た、豪勢でたまげたぞ。使用人もいるんだろうな、別世界だまるで。ドレスコードの指定は?特にない?平服じゃまずいよな、あぁ待て待てお祝いのパーティーならプレゼントもってかないと手ぶらじゃ失礼だ」
興ざめすることしか言わないスワローをよそに、ピジョンの心は早まだ見ぬパーティーへと羽ばたいてる。おのぼりさんまるだしで恥ずかしい。
カードを掲げて浮かれまくる兄の脛を蹴飛ばす。
「い゛っ」
「くだらねえ」
「キマイライーターの屋敷を見学したくないのか」
「人んち見て何がおもしれーんだ、ぶんどるなら別だけど」
「ただ飯ただ酒あずかれるんなら飛び付きそうなもんなのに」
「物乞いに落ちた覚えはねー」
「ウチでちびちびやるダースいくらの缶ビールなんて目じゃない、とびっきりの高級酒が飲み放題」
そっぽをむいたスワローの耳がぴくりと動く。もう一押しだ。
ピジョンはさらに勢い込み、本格的に懐柔にかかる。
「こんな機会めったにない、コレを逃がしたら二度とない。うまい酒、うまい料理、序でにお前好みのいい女。な、頼むよスワローわがまま言って困らせるな。さんざん世話になったの忘れたのか、俺とお前が今こうしてるのだって全部あの人のおかげなんだぞ、それだけじゃない、あの人が分け前弾んでくれたから母さんの暮らしも楽になった、いくら母さんが若作りで床上手だって娼婦で食ってくのはあと十年が限界だ。崖っぷちだった家計の救世主じゃないか、招待に応じなきゃばちがあたる」
「坑道で捨て駒にされかけたろ、都合よく記憶喪失か」
「だれにだって間違いはあるさ、分け前くれたからチャラだよチャラ」
「口止め料ってんだよアレは、まんまと丸めこまれたな」
「悪意にとりすぎだぞ、確かに廃坑じゃひどい目にあったけどあの人がいなけりゃとっくに死んでた現実認めろよ。キマイライーターだってお前の顔見たがってる、不義理かましてるんだから祝いの席位出てやるのが人として最低限の……って、なにして」
「指紋見てる。キマイライーター直々に届いた招待状だ、オークションに出しゃ小銭稼ぎに」
「スワロー!!」
ピジョンがめずらしく声を荒げ、どこから取り出した虫眼鏡で招待状の裏表を検分する弟を叱り付け、格調高い文章の末尾を指さす。
「目をかっぴろげてよーく見ろ。ここ、サインがある」
「プレミア付きそうだな」
「じゃなくて。キマイライーター主催のパーティーともなれば出席者は友人知人にとどまらず、各界を代表するセレブがわんさか詰めかける。何百通招待状を出したと思ってる?あの人はその全部にサインを入れた」
「全部かわかんねーぞ、俺たちだけ特別かも」
「ならなおさら行かなきゃ」
咳払いを一度、姿勢を正してメッセージを読み上げる。
「《I am looking forward to see you.》……会えるの楽しみにしてるって」
キマイライーターは多忙な身だ。
体力の衰えを理由に一線から退いたとはいえ今もって著書の執筆や慈善活動に率先して取り組んでおり、自警団のアドバイザーとして地方へ出向くことも少なくないと聞く。
そんな彼が一通一通サインとメッセージをしたためるのに、どれだけ手間と時間をかけたことか。
「俺だってちゃんと顔見ておめでとうを伝えたい」
恩人の記念日を寿ぐ席にまねかれて、はたして拒む理由があろうか。
「それに。キマイライーターがぞっこん惚れてる奥さんがどんな人か、気にならないか」
ピジョンが後ろめたげに囁き、スワローが束の間考え込む素振りをする。ほどなく下世話な好奇心が見栄に打ち勝ち、腕を回したソファーからずり落ち気味に天井を仰ぐ。
「……確かに、因業ジジィと半世紀も連れ添ってる物好きのツラは気になるな」
「だろ!?」
「飯代も浮くし」
内心まんざらでもないのだが、兄や目上の誘いにはとりあえず難色を示すのがスワローの厄介な性分だ。
ホームレスの炊き出しよろしく施してやりますよと、上から目線の招待にあっさり食い付いちゃ駄バトとおなじ卑しい奴だと思われる。
弟の承諾を得た安堵と喜び、そして初体験のパーティーへの期待に目を輝かせたピジョンが背凭れを鷲掴み、逆さ顔で覗き込んでくる。
重力に抗えずばらけた前髪の下、華奢な鎖の先端でタグが揺れる。
「キマイライーターの家の地下にはワインセラーがあって、大戦前のワインが大量に貯蔵されてるんだって。うまくすればお零れがもらえるぞ」
「コルク栓開けさす為にごますれってか」
「無断で手を付けるなよ。人様んちじゃお行儀よくしてろ、俺と約束だ」
一度として守られたことない約束を押し付けてくるなんて本当に懲りない兄貴だ。
ヴィンテージワインの存在を聞いて最大の障害だった弟ががぜん乗り気になり、ピジョンはますますはりきって準備にとりかかる。
準備に追われるうちに時間が飛び去り、あっというまに当日がやってきた。
「シェービングクリームどれだっけ……くそ、またごちゃごちゃにして。ちゃんと片付けとけよ」
洗面台および、横手の棚に並んだ瓶や箱をひっかきまわす。
ようやく見付けたと思ったらダース買いされてるコンドームの箱やローションの瓶の間違いで、床や壁に投げ付けたい衝動を必死に堪え元の棚に戻す。
「あった!」
目的のチューブを掴み、てのひらで泡立てて顎に伸ばす。キマイライーター直々に招待を受けたのだ、失礼があってはならない。剃刀を慎重に寝かせ、殆ど生えてない顎の髭を処理する。ピジョンは体毛が薄く髭もほぼ目立たないが、朝になると顎が少しざらざらしてる気がする。
ワイシャツに袖こそ通しているがボタンは留めず、下はボクサーパンツ一丁。
年頃の少女ならいざ知らず男所帯に鏡は不要、洗面所に一枚きりで十分だ。
身支度を整えながら鼻歌を口ずさむ。上唇の産毛もキレイに剃って蛇口をひねり、シェービングクリームを洗い流す。顎がなめらかになって気持ちがいい、爽快感に背筋も伸びる。
「スワローの奴、寝坊かよ……もうすぐでるのに」
ハンドタオルに顔を包み水滴を吸わせる。
しかたない、起こしに行くか。
回れ右するのとスワローが洗面所に踏み込むのは同時。
不機嫌な寝ぼけまなこであくびを連発する弟の醜態をピジョンは嘆く。
「遅い。今起きたのか」
「あ゛?いいだろ別に、俺が起きる時間が兄貴に関係あんの」
「今日はパーティーだぞ」
「コーク回し飲みしてマリファナ喫うの?葉っぱは仕入れてねーぜ、最近高いんだ」
「ドラッグパーティーじゃない、フォーマルな方だ。まさか忘れたのか」
はちきれんばかりの高揚がみるみる萎み、幻滅の表情が浮かぶ。
スワローは一際大きなあくびをかまし、コップにささった歯ブラシのうち、青い方をとって歯磨き粉を搾りだす。
「キマイライーターの金婚式のお祝い」
「あー……あったなそんなの」
「過去形にするな」
「今日だっけ?かったりぃ、サボろうぜ。それか兄貴が代返してくれ」
「そんな制度はない」
「耄碌ジジィのご機嫌伺いなんて気がのらねー。ぜってえ家でセックスしてたほうが有意義だって、ちょうど揃ってっし。こっちのクリームイエローのゴムは兄貴の好きなチョコバナナ味、ドラッグストアの在庫処分品」
「ワゴンセールの時点で信頼性が暴落。しかもチョコバナナ味って、絶対賞味期限切れてるだろ」
戸棚に詰め込まれたダース買いのコンドームとローションを一瞥、スケベに脂下がるスワローの横に立ち、目が死んだ無表情でワイシャツのボタンを留めていく。
「じゃあ留守番頼む。今夜は帰らないから」
「あ゛?」
鏡の中で三白眼が据わる。
「あ゛?ってなんだよ」
ピジョンが濁音の発音を正確にまねて返す。
「ンな遅くなんの。誰と泊まんだ」
「積もる話もあることだしね。ああ、ぼっちで留守番するお前には関係ないか。仲間外れにされたって恨むなよ、俺はひとりで楽しんでくるから。だれかさんのお守りから解放されて悠々自適に羽を伸ばせる」
躁的にまくしたて、片割れの赤い歯ブラシをとってしゃこしゃこ歯を磨く。
「言うじゃねーか、ねんごろに抱いてやんねーと身体の火照りおさまんねーくせに」
スワローが前に出る。邪魔だ。
ピジョンもむっとして一歩踏み出す。
「都合が悪くなるとすぐ下卑た冗談でごまかすんだな」
「キマイライーターの蹄の垢でも煎じて飲めってか」
「歯磨き粉に混ぜて飲めば品性が回復するんじゃないか」
「随分入れあげてんな老いぼれに、コネ強化して出世ねらってんの?ヨイショしまくりゃそのうちチョイ役で自伝にだしてもらえっかもな、ジョヴァンニ・キマイライーターの忠実なる鞄持ち&赤絨毯を引く係&肩揉み小姓のピーピー・ピジョン」
「よく考えりゃこの年でべったりはみっともないよな、お前はしっかりしてるから俺がいなくても大丈夫だろ?どんな料理がでるか楽しみだな、キャビアとか食えるかな。クラッカーにのっけて食べるの、一度やってみたかったんだ。残り物はタッパーに詰めて……痛って!?」
鏡の前で押し合いへし合いした挙句おもいきり足を踏まれる。
その拍子に口中の泡水を飲み込んでしまい、うがいを中断して盛大に噎せる。
「行きゃいいんだろ行きゃあ、くそったれ」
「それやめろよな」
「それって」
「ファックとかシットとかビッチとかアスホールとか。パーティー中はお口チャックだ」
「マジか……」
「上品に会話しろ」
「口閉じてンなら酒飲めねーじゃん」
「鼻から飲め。気合で」
「芸人かよ」
「敬語の練習するか?まず呼び捨ては絶対やめろ、好みの女性がいても見境なく押し倒すな、せめて物陰に引っ込んでヤれ」
「相手が露出プレイにノッてきたら」
「女漁りする前提で話を進めた俺が悪かった。挨拶は?」
「ごきげんようごめんあそばせ」
「やればできるじゃないか」
「お褒め賜り恐悦至極ですわお兄様、意訳するととっととくたばれ」
「ボロが出そうになったら」
「耳が聞こえねーふり?」
「……できるだけカバーするから。動物に育てられた野生児で言葉がしゃべれないとか慈善精神旺盛な有閑マダムの同情引く設定捏造しとく」
口の中をすすいでからぺっと吐き出し、ふてくされた弟に向き直る。
「スーツ持ってるか」
「ああ……」
歯ブラシを咥えたまま洗面所を出、寝室に引っ込む。
あちこちひっかきまわしてるらしい乱雑な物音に続き、ワイシャツと背広とズボン、序でにネクタイを一緒くたに引っ掴んでもどってくる。
「よかった、買い損ねたなら俺のおさがり貸そうかと」
「サイズちげェよ」
「頑張れば入るだろ」
「丈がたりねえ」
そもそも足の長さからしてちがうきびしい現実。
寸足らずの背広とズボンを着たスワローを想像してへこむピジョンをよそに、うがいを終えた弟はさっぱりした顔で、今度は髭をあたりはじめる。
シェービングクリームを手際よく泡立て塗り広げ、器用に剃刀を使って髪とお揃いの色の無精ひげを処理する。
裸の胸に輝くドッグタグは、彼が肌身離さず身に付けているモノだ。
「…………」
これ以上続けると口論になりそうだ。
自分勝手な弟はほったらかす決定をくだし身支度を再開。折り目の付いたズボンに足を通し、ネクタイを首にかける。色柄は少し迷ったが、大人しめのモスグリーンを選んだ。
今宵の主役はキマイライーター夫妻だ。
自分は隅っこにいればいい、呼んでもらえただけで望外な幸運なのだから。
「却下」
「え」
スワローが即座にネクタイをひったくり後方へ投げる。
「なにす」
「マジでそのスーツにその色柄あわせんの?ださすぎ」
辛辣なダメだしにショックを受け、しばし固まる。
「……変じゃないだろ。いちばん無難なの選んだ」
居心地悪そうに反駁するピジョンに対し、洗面台にだらしなく凭れたスワローが嘆息。
「なあピジョン、勘違いを訂正してやる。ファッションでゆー無難ってなァ、ださいのマイルドな言い方だ。難癖付けられンのびびってツマンねーの選んでたら、面白くもおかしくもねェ人間になっちまうぜ」
「ほっとけよ、どうせ真面目なだけが取り柄なんだから。お前だってろくにスーツ着たことないくせに」
「少なくとも兄貴よか見る目あるね」
スワローがピジョンの横を通り過ぎざま訊く。
「他にもあんだろ」
「戸棚の右上に……ちょっと待てよ」
待たない。
あっけにとられたピジョンは落ちたネクタイを拾い上げ、自分の胸元にあてがってみる。
金婚式の主役はキマイライーターだ。
ならばと引き立て役に徹する心構えで地味な色柄を選んだのだが……
「変じゃない……よな?」
沈んだモスグリーンのネクタイに、不安げな面持ちが影を落とす。
数分後、洗面所にもどってきたスワローが横柄に顎をしゃくってピジョンを呼び、鏡の前に立たせてあれこれネクタイをすげかえる。
「いまいち。却下。だせえ。葬式か。悪趣味」
「おいスワロ、」
「黙ってろ」
ギラ付く目で睨み返され口を噤む。
一体何本持ってきたのか、これじゃないこれもちがうと本人が些か引くほど真剣な面持ちで兄の首元にネクタイを突き付け、あてがい、放り投げる。六本目だろうか、スワローがようやく納得し、会心の表情になる。
「これだ」
スワローが見立てたのは、ピジョンの瞳とお揃いのベルベッドのネクタイ。ヴィンテージワインのような深い緋色が大人っぽい。
「ちょっと派手すぎないか」
「俺の見立てに文句付けんの?スーツの色が濃いからこん位でちょうどいいんだよ」
ネクタイをピジョンの首の後ろに回し、軽快な鼻歌まじりに結んでいく。
「よせよ、自分で結べる」
「結び目ほどけっから動くな」
「ッ……」
スワローの指が首筋の薄皮にくるまれた毛細血管をなで、腰の奥が疼く。わざとか事故か、首筋を意地悪く掠められただけで愛撫と勘違いしてしまうからだが恨めしい。
「首輪付けるみてーでおもしれー」
「うっ、く」
伏し目で耐える兄の心など知らず、スワローは器用にネクタイを結ぶ。喉元を圧迫され吐息を詰めてから、その手に別のネクタイを掴まされる。
「交代。お前の番」
「自分でできるだろ」
「してやったのにしてくんねーの?」
そこを突かれると弱い……いや、やってあげたも何も勝手に結ばれたのだが。ピジョンは意を決し、弟の首の後ろにネクタイを回す。スワローはされるがまま、偉そうに顎を反らし兄の奉仕を受けている。
着替えを手伝うなんて子供の頃以来だ。
不意にスワローが顔を俯け、ピジョンの手の甲に軽く接吻。
「邪魔するな」
「ご褒美だよ」
「ネクタイくらい一人で結べないのかよ、まったく手がかかる」
「お互い様だろ」
コイツ、ぬけぬけと。
ぎくしゃくとした手付きで輪に通し締め上げれば、ちょっとだけ斜めった逆三角の結び目が完成する。
「ズレてんじゃんへたくそ」
「不満ならほどいてやりなおせ」
しかし何故かほどかずに、ピジョンと並んで鏡に仕上がりを映す。
洗面台の鏡には、ピンクゴールドとイエローゴールドの髪の青年ふたりが並んで立っている。
片方はヴィンテージワインに似た赤、片方はネイビーブルーに銀の縞が入ったネクタイ。
認めるのは悔しいが、そのネクタイはピジョンの鳩の血色の瞳をよく引き立てていた。
主役の座を狙えるほどに。
「いかにも遊びなれた金持ちの坊ボンって感じだろ?」
「それはお前だけ」
釘をさすのを忘れず、シャツの外にでたドッグタグをワイシャツの内側に戻す。
「お前も」
「はあ?」
「いいから。正装できめたのに光りものチラチラさせちゃまずいだろ、エチケット違反だ」
「この程度見逃してくれんだろ、ピアスだって余裕余裕」
「シャンデリアに反射したら眩しいぞ、それが原因で酒や料理を運ぶ使用人がよろけたら大参事だ、最悪キマイライーターの片眼鏡に跳ね返ってご婦人のドレスに焦げ目を作ったら責任とれるか」
スワローは憮然とするも、兄の目配せに促されるがまま不承不承鎖をシャツの内側に隠す。
ピジョンはにっこり微笑み、スワローを褒める。
「よくできました」
「金婚式ィ?」
「キマイライーターからのお誘いだよ。光栄だね」
興奮冷めやらず行ったり来たり、出前ピザのチラシとダイレクトメールの束に挟まっていた招待状を一字一句暗記するほど熟読したのち、手放すのが惜しそうな表情で居間のソファーで堕落するスワローに回す。
「金婚式って何年目だ?」
「五十年目」
「うへ、同じ女でよく飽きねーな」
「永遠の幸せを誓い合った伴侶に飽きたとかないぞ、世間的にはお前の価値観の方が非常識だ」
「病める時も健やかなる時もーってアレか」
「キマイライーターは愛妻家で有名だ、金婚式のお披露目も奥さんの為に企画したのかもね。噂じゃ銀婚式の宴も盛大だったとか」
「金の貢ぎ所間違ってね?」
「この上なく正しい使い道」
大股広げてソファーにふんぞり返った弟は、受け取ったカードを興味なさそうにひねくりまわす。
宛先には「ピジョン&スワロー・バード様」と無個性な字でタイプされている。
「連名じゃん」
「二人で一人の勘定なんだろ」
「一人一通ちゃんとよこせよ手抜きめ」
「同じ部屋に住んでるんだからかまわないだろ、夫婦だってMr&Mrsで省略するし……待て、今の取り消し」
「俺がMrでお前がMrs?」
「なんでだよ」
「女役だから」
「brosでいいだろ普通に」
こっぱずかしいたとえに頬を染めるピジョンを笑い、さらに続ける。
「&って。しかもお前が先」
「兄さんだから当然」
何故か得意げにいばるピジョン。
スワローは鼻を鳴らしカードを裏返す。
差出人はジョヴァンニ・キマイライーター……アンデッドエンドはおろか、この大陸では知らない者のない生ける伝説の賞金稼ぎだ。
その彼から金婚式の祝宴の招待状が届いた。市井の賞金稼ぎなら大変名誉なことだがスワローはそうじゃないらしい。
行儀悪く足を投げ出すや招待状を突き返す。
「なんだってわざわざ時間割いてジジィのノロケ聞きに行かなきゃなんねーんだ、かったりィ。金婚式でも葬式でも勝手にやれよ」
「不謹慎なこと言うな。いいじゃないか、せっかくのめでたい催しなんだ。うまい飯たくさん出るぞ」
「乞食すんなら一人でいけ、ローストビーフの切れ端恵んでもらえよ」
「キマイライーターにはさんざん世話になったろ?部屋を借りる時も後見人になってくれたし修行先も斡旋してくれた、俺たちみたいな駆け出し賞金稼ぎが招待に預かるなんて分不相応なんだ本当は。だからって縁を結んだ恩人の厚意をむげにできない、母さんだって怒るよ」
「都合が悪くなるとすーぐ母さん出すのやめろよガキが」
キマイライーターとは数年来の付き合いだ。出会いは子供時代に遡る。
相手は賞金稼ぎの頂点、こちらはとるにたらないひよっこ。本来接点すら生まれ得ない立場だが、過去に利用した負い目からか、あるいは純粋な親切心からか、アンデッドエンドに移住した兄弟になにかと便宜をはからってくれている。
お互い多忙な身故直接会うことは少ないが、元から熱狂的なファンだったピジョンなど月一回は電話を繋いでもらい、近況報告と感謝を述べている。
まったくよくやるぜ、とスワローに腐されてもへこたれない鈍感さは立派だ。
「媚売ってんじゃねー尻軽。ジジィに尾羽ふって小遣いせびる魂胆か」
ピジョンが不愉快そうに眉をひそめる。
「怒るぞスワロー、冗談でも言っていいことと悪いことがある。お前は悪いことしか言わない。何が不満だ、パーティーだぞ?そんじょそこらのパーティーじゃない、あのキマイライーターが主催する特別なパーティーだ」
「浮かれんなミーハーが」
「アップタウンのお偉いさんも沢山くるよな……着てく服あったっけ」
「どー考えても場違いだろ?豪邸前に運転手付きの高級車乗り付けるよーな連中にどの面さげて混ざんだよ、ボロコート着てったら一発で貧乏人て見抜かれる」
「他の賞金稼ぎも呼ばれてるだろ?さすがに車は借りれないけど……知ってるか、屋敷は三階建てでプールやバーが付いてるんだ。前にバンチの特集で見た、豪勢でたまげたぞ。使用人もいるんだろうな、別世界だまるで。ドレスコードの指定は?特にない?平服じゃまずいよな、あぁ待て待てお祝いのパーティーならプレゼントもってかないと手ぶらじゃ失礼だ」
興ざめすることしか言わないスワローをよそに、ピジョンの心は早まだ見ぬパーティーへと羽ばたいてる。おのぼりさんまるだしで恥ずかしい。
カードを掲げて浮かれまくる兄の脛を蹴飛ばす。
「い゛っ」
「くだらねえ」
「キマイライーターの屋敷を見学したくないのか」
「人んち見て何がおもしれーんだ、ぶんどるなら別だけど」
「ただ飯ただ酒あずかれるんなら飛び付きそうなもんなのに」
「物乞いに落ちた覚えはねー」
「ウチでちびちびやるダースいくらの缶ビールなんて目じゃない、とびっきりの高級酒が飲み放題」
そっぽをむいたスワローの耳がぴくりと動く。もう一押しだ。
ピジョンはさらに勢い込み、本格的に懐柔にかかる。
「こんな機会めったにない、コレを逃がしたら二度とない。うまい酒、うまい料理、序でにお前好みのいい女。な、頼むよスワローわがまま言って困らせるな。さんざん世話になったの忘れたのか、俺とお前が今こうしてるのだって全部あの人のおかげなんだぞ、それだけじゃない、あの人が分け前弾んでくれたから母さんの暮らしも楽になった、いくら母さんが若作りで床上手だって娼婦で食ってくのはあと十年が限界だ。崖っぷちだった家計の救世主じゃないか、招待に応じなきゃばちがあたる」
「坑道で捨て駒にされかけたろ、都合よく記憶喪失か」
「だれにだって間違いはあるさ、分け前くれたからチャラだよチャラ」
「口止め料ってんだよアレは、まんまと丸めこまれたな」
「悪意にとりすぎだぞ、確かに廃坑じゃひどい目にあったけどあの人がいなけりゃとっくに死んでた現実認めろよ。キマイライーターだってお前の顔見たがってる、不義理かましてるんだから祝いの席位出てやるのが人として最低限の……って、なにして」
「指紋見てる。キマイライーター直々に届いた招待状だ、オークションに出しゃ小銭稼ぎに」
「スワロー!!」
ピジョンがめずらしく声を荒げ、どこから取り出した虫眼鏡で招待状の裏表を検分する弟を叱り付け、格調高い文章の末尾を指さす。
「目をかっぴろげてよーく見ろ。ここ、サインがある」
「プレミア付きそうだな」
「じゃなくて。キマイライーター主催のパーティーともなれば出席者は友人知人にとどまらず、各界を代表するセレブがわんさか詰めかける。何百通招待状を出したと思ってる?あの人はその全部にサインを入れた」
「全部かわかんねーぞ、俺たちだけ特別かも」
「ならなおさら行かなきゃ」
咳払いを一度、姿勢を正してメッセージを読み上げる。
「《I am looking forward to see you.》……会えるの楽しみにしてるって」
キマイライーターは多忙な身だ。
体力の衰えを理由に一線から退いたとはいえ今もって著書の執筆や慈善活動に率先して取り組んでおり、自警団のアドバイザーとして地方へ出向くことも少なくないと聞く。
そんな彼が一通一通サインとメッセージをしたためるのに、どれだけ手間と時間をかけたことか。
「俺だってちゃんと顔見ておめでとうを伝えたい」
恩人の記念日を寿ぐ席にまねかれて、はたして拒む理由があろうか。
「それに。キマイライーターがぞっこん惚れてる奥さんがどんな人か、気にならないか」
ピジョンが後ろめたげに囁き、スワローが束の間考え込む素振りをする。ほどなく下世話な好奇心が見栄に打ち勝ち、腕を回したソファーからずり落ち気味に天井を仰ぐ。
「……確かに、因業ジジィと半世紀も連れ添ってる物好きのツラは気になるな」
「だろ!?」
「飯代も浮くし」
内心まんざらでもないのだが、兄や目上の誘いにはとりあえず難色を示すのがスワローの厄介な性分だ。
ホームレスの炊き出しよろしく施してやりますよと、上から目線の招待にあっさり食い付いちゃ駄バトとおなじ卑しい奴だと思われる。
弟の承諾を得た安堵と喜び、そして初体験のパーティーへの期待に目を輝かせたピジョンが背凭れを鷲掴み、逆さ顔で覗き込んでくる。
重力に抗えずばらけた前髪の下、華奢な鎖の先端でタグが揺れる。
「キマイライーターの家の地下にはワインセラーがあって、大戦前のワインが大量に貯蔵されてるんだって。うまくすればお零れがもらえるぞ」
「コルク栓開けさす為にごますれってか」
「無断で手を付けるなよ。人様んちじゃお行儀よくしてろ、俺と約束だ」
一度として守られたことない約束を押し付けてくるなんて本当に懲りない兄貴だ。
ヴィンテージワインの存在を聞いて最大の障害だった弟ががぜん乗り気になり、ピジョンはますますはりきって準備にとりかかる。
準備に追われるうちに時間が飛び去り、あっというまに当日がやってきた。
「シェービングクリームどれだっけ……くそ、またごちゃごちゃにして。ちゃんと片付けとけよ」
洗面台および、横手の棚に並んだ瓶や箱をひっかきまわす。
ようやく見付けたと思ったらダース買いされてるコンドームの箱やローションの瓶の間違いで、床や壁に投げ付けたい衝動を必死に堪え元の棚に戻す。
「あった!」
目的のチューブを掴み、てのひらで泡立てて顎に伸ばす。キマイライーター直々に招待を受けたのだ、失礼があってはならない。剃刀を慎重に寝かせ、殆ど生えてない顎の髭を処理する。ピジョンは体毛が薄く髭もほぼ目立たないが、朝になると顎が少しざらざらしてる気がする。
ワイシャツに袖こそ通しているがボタンは留めず、下はボクサーパンツ一丁。
年頃の少女ならいざ知らず男所帯に鏡は不要、洗面所に一枚きりで十分だ。
身支度を整えながら鼻歌を口ずさむ。上唇の産毛もキレイに剃って蛇口をひねり、シェービングクリームを洗い流す。顎がなめらかになって気持ちがいい、爽快感に背筋も伸びる。
「スワローの奴、寝坊かよ……もうすぐでるのに」
ハンドタオルに顔を包み水滴を吸わせる。
しかたない、起こしに行くか。
回れ右するのとスワローが洗面所に踏み込むのは同時。
不機嫌な寝ぼけまなこであくびを連発する弟の醜態をピジョンは嘆く。
「遅い。今起きたのか」
「あ゛?いいだろ別に、俺が起きる時間が兄貴に関係あんの」
「今日はパーティーだぞ」
「コーク回し飲みしてマリファナ喫うの?葉っぱは仕入れてねーぜ、最近高いんだ」
「ドラッグパーティーじゃない、フォーマルな方だ。まさか忘れたのか」
はちきれんばかりの高揚がみるみる萎み、幻滅の表情が浮かぶ。
スワローは一際大きなあくびをかまし、コップにささった歯ブラシのうち、青い方をとって歯磨き粉を搾りだす。
「キマイライーターの金婚式のお祝い」
「あー……あったなそんなの」
「過去形にするな」
「今日だっけ?かったりぃ、サボろうぜ。それか兄貴が代返してくれ」
「そんな制度はない」
「耄碌ジジィのご機嫌伺いなんて気がのらねー。ぜってえ家でセックスしてたほうが有意義だって、ちょうど揃ってっし。こっちのクリームイエローのゴムは兄貴の好きなチョコバナナ味、ドラッグストアの在庫処分品」
「ワゴンセールの時点で信頼性が暴落。しかもチョコバナナ味って、絶対賞味期限切れてるだろ」
戸棚に詰め込まれたダース買いのコンドームとローションを一瞥、スケベに脂下がるスワローの横に立ち、目が死んだ無表情でワイシャツのボタンを留めていく。
「じゃあ留守番頼む。今夜は帰らないから」
「あ゛?」
鏡の中で三白眼が据わる。
「あ゛?ってなんだよ」
ピジョンが濁音の発音を正確にまねて返す。
「ンな遅くなんの。誰と泊まんだ」
「積もる話もあることだしね。ああ、ぼっちで留守番するお前には関係ないか。仲間外れにされたって恨むなよ、俺はひとりで楽しんでくるから。だれかさんのお守りから解放されて悠々自適に羽を伸ばせる」
躁的にまくしたて、片割れの赤い歯ブラシをとってしゃこしゃこ歯を磨く。
「言うじゃねーか、ねんごろに抱いてやんねーと身体の火照りおさまんねーくせに」
スワローが前に出る。邪魔だ。
ピジョンもむっとして一歩踏み出す。
「都合が悪くなるとすぐ下卑た冗談でごまかすんだな」
「キマイライーターの蹄の垢でも煎じて飲めってか」
「歯磨き粉に混ぜて飲めば品性が回復するんじゃないか」
「随分入れあげてんな老いぼれに、コネ強化して出世ねらってんの?ヨイショしまくりゃそのうちチョイ役で自伝にだしてもらえっかもな、ジョヴァンニ・キマイライーターの忠実なる鞄持ち&赤絨毯を引く係&肩揉み小姓のピーピー・ピジョン」
「よく考えりゃこの年でべったりはみっともないよな、お前はしっかりしてるから俺がいなくても大丈夫だろ?どんな料理がでるか楽しみだな、キャビアとか食えるかな。クラッカーにのっけて食べるの、一度やってみたかったんだ。残り物はタッパーに詰めて……痛って!?」
鏡の前で押し合いへし合いした挙句おもいきり足を踏まれる。
その拍子に口中の泡水を飲み込んでしまい、うがいを中断して盛大に噎せる。
「行きゃいいんだろ行きゃあ、くそったれ」
「それやめろよな」
「それって」
「ファックとかシットとかビッチとかアスホールとか。パーティー中はお口チャックだ」
「マジか……」
「上品に会話しろ」
「口閉じてンなら酒飲めねーじゃん」
「鼻から飲め。気合で」
「芸人かよ」
「敬語の練習するか?まず呼び捨ては絶対やめろ、好みの女性がいても見境なく押し倒すな、せめて物陰に引っ込んでヤれ」
「相手が露出プレイにノッてきたら」
「女漁りする前提で話を進めた俺が悪かった。挨拶は?」
「ごきげんようごめんあそばせ」
「やればできるじゃないか」
「お褒め賜り恐悦至極ですわお兄様、意訳するととっととくたばれ」
「ボロが出そうになったら」
「耳が聞こえねーふり?」
「……できるだけカバーするから。動物に育てられた野生児で言葉がしゃべれないとか慈善精神旺盛な有閑マダムの同情引く設定捏造しとく」
口の中をすすいでからぺっと吐き出し、ふてくされた弟に向き直る。
「スーツ持ってるか」
「ああ……」
歯ブラシを咥えたまま洗面所を出、寝室に引っ込む。
あちこちひっかきまわしてるらしい乱雑な物音に続き、ワイシャツと背広とズボン、序でにネクタイを一緒くたに引っ掴んでもどってくる。
「よかった、買い損ねたなら俺のおさがり貸そうかと」
「サイズちげェよ」
「頑張れば入るだろ」
「丈がたりねえ」
そもそも足の長さからしてちがうきびしい現実。
寸足らずの背広とズボンを着たスワローを想像してへこむピジョンをよそに、うがいを終えた弟はさっぱりした顔で、今度は髭をあたりはじめる。
シェービングクリームを手際よく泡立て塗り広げ、器用に剃刀を使って髪とお揃いの色の無精ひげを処理する。
裸の胸に輝くドッグタグは、彼が肌身離さず身に付けているモノだ。
「…………」
これ以上続けると口論になりそうだ。
自分勝手な弟はほったらかす決定をくだし身支度を再開。折り目の付いたズボンに足を通し、ネクタイを首にかける。色柄は少し迷ったが、大人しめのモスグリーンを選んだ。
今宵の主役はキマイライーター夫妻だ。
自分は隅っこにいればいい、呼んでもらえただけで望外な幸運なのだから。
「却下」
「え」
スワローが即座にネクタイをひったくり後方へ投げる。
「なにす」
「マジでそのスーツにその色柄あわせんの?ださすぎ」
辛辣なダメだしにショックを受け、しばし固まる。
「……変じゃないだろ。いちばん無難なの選んだ」
居心地悪そうに反駁するピジョンに対し、洗面台にだらしなく凭れたスワローが嘆息。
「なあピジョン、勘違いを訂正してやる。ファッションでゆー無難ってなァ、ださいのマイルドな言い方だ。難癖付けられンのびびってツマンねーの選んでたら、面白くもおかしくもねェ人間になっちまうぜ」
「ほっとけよ、どうせ真面目なだけが取り柄なんだから。お前だってろくにスーツ着たことないくせに」
「少なくとも兄貴よか見る目あるね」
スワローがピジョンの横を通り過ぎざま訊く。
「他にもあんだろ」
「戸棚の右上に……ちょっと待てよ」
待たない。
あっけにとられたピジョンは落ちたネクタイを拾い上げ、自分の胸元にあてがってみる。
金婚式の主役はキマイライーターだ。
ならばと引き立て役に徹する心構えで地味な色柄を選んだのだが……
「変じゃない……よな?」
沈んだモスグリーンのネクタイに、不安げな面持ちが影を落とす。
数分後、洗面所にもどってきたスワローが横柄に顎をしゃくってピジョンを呼び、鏡の前に立たせてあれこれネクタイをすげかえる。
「いまいち。却下。だせえ。葬式か。悪趣味」
「おいスワロ、」
「黙ってろ」
ギラ付く目で睨み返され口を噤む。
一体何本持ってきたのか、これじゃないこれもちがうと本人が些か引くほど真剣な面持ちで兄の首元にネクタイを突き付け、あてがい、放り投げる。六本目だろうか、スワローがようやく納得し、会心の表情になる。
「これだ」
スワローが見立てたのは、ピジョンの瞳とお揃いのベルベッドのネクタイ。ヴィンテージワインのような深い緋色が大人っぽい。
「ちょっと派手すぎないか」
「俺の見立てに文句付けんの?スーツの色が濃いからこん位でちょうどいいんだよ」
ネクタイをピジョンの首の後ろに回し、軽快な鼻歌まじりに結んでいく。
「よせよ、自分で結べる」
「結び目ほどけっから動くな」
「ッ……」
スワローの指が首筋の薄皮にくるまれた毛細血管をなで、腰の奥が疼く。わざとか事故か、首筋を意地悪く掠められただけで愛撫と勘違いしてしまうからだが恨めしい。
「首輪付けるみてーでおもしれー」
「うっ、く」
伏し目で耐える兄の心など知らず、スワローは器用にネクタイを結ぶ。喉元を圧迫され吐息を詰めてから、その手に別のネクタイを掴まされる。
「交代。お前の番」
「自分でできるだろ」
「してやったのにしてくんねーの?」
そこを突かれると弱い……いや、やってあげたも何も勝手に結ばれたのだが。ピジョンは意を決し、弟の首の後ろにネクタイを回す。スワローはされるがまま、偉そうに顎を反らし兄の奉仕を受けている。
着替えを手伝うなんて子供の頃以来だ。
不意にスワローが顔を俯け、ピジョンの手の甲に軽く接吻。
「邪魔するな」
「ご褒美だよ」
「ネクタイくらい一人で結べないのかよ、まったく手がかかる」
「お互い様だろ」
コイツ、ぬけぬけと。
ぎくしゃくとした手付きで輪に通し締め上げれば、ちょっとだけ斜めった逆三角の結び目が完成する。
「ズレてんじゃんへたくそ」
「不満ならほどいてやりなおせ」
しかし何故かほどかずに、ピジョンと並んで鏡に仕上がりを映す。
洗面台の鏡には、ピンクゴールドとイエローゴールドの髪の青年ふたりが並んで立っている。
片方はヴィンテージワインに似た赤、片方はネイビーブルーに銀の縞が入ったネクタイ。
認めるのは悔しいが、そのネクタイはピジョンの鳩の血色の瞳をよく引き立てていた。
主役の座を狙えるほどに。
「いかにも遊びなれた金持ちの坊ボンって感じだろ?」
「それはお前だけ」
釘をさすのを忘れず、シャツの外にでたドッグタグをワイシャツの内側に戻す。
「お前も」
「はあ?」
「いいから。正装できめたのに光りものチラチラさせちゃまずいだろ、エチケット違反だ」
「この程度見逃してくれんだろ、ピアスだって余裕余裕」
「シャンデリアに反射したら眩しいぞ、それが原因で酒や料理を運ぶ使用人がよろけたら大参事だ、最悪キマイライーターの片眼鏡に跳ね返ってご婦人のドレスに焦げ目を作ったら責任とれるか」
スワローは憮然とするも、兄の目配せに促されるがまま不承不承鎖をシャツの内側に隠す。
ピジョンはにっこり微笑み、スワローを褒める。
「よくできました」
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