タンブルウィード

まさみ

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十七話

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日が暮れて帰ると地獄が待っていた。

「なんですかこれは」
門の内側の惨状にシスター一同絶句。
入口の鉄門は破壊され、塀の一部は崩落していた。庭の芝は地面ごとタイヤに抉り取られている。
「事故でしょうか」
「出てくる時はきちんと施錠したはず」
「シスターゼシカも内からちゃんと戸締りしましたのに」
修道女たちがおろおろ取り乱す。
「シスターゼシカと子どもたちは?」
神父が真っ先に駆けだし、それにピジョンとシスターが続く。
「……ッ!」
孤児たちが集団生活する建物の前に来て、ピジョンは息を呑む。
窓ガラスは軒並み割れ砕けて鋭利な欠片が飛び散り、廊下には泥まみれの靴跡が無秩序に入り乱れていた。大部屋の扉も蝶番が壊れて枠から外れている。
「賊が押し入ったの?」
「子どもたちはどこへ」
「まさか全員さらわれたんじゃ」
紛れもない不法侵入の形跡にパニックが伝染していく。なかには窓枠を乗り越え、自分の目で確かめようとする者も。
逸るシスターたちを制し、ピジョンが先陣を切る。
「待ってください、様子を見てきます」
「気を付けてねブラザーピジョン」
手を組み祈るシスターに送り出されて窓枠を跨ぐ。廊下に降り立った靴裏で、さらに細かくガラス片が砕ける。
集中力を研ぎ澄ませ周囲に気を配る。人の気配はない。扉が蹴破られた大部屋を検める。本棚は倒され、ベッドは裏返り、むしり取られたシーツは土足で踏み荒らされて酷い有様だ。靴のサイズから推理するにおよそ6フィートの成人男性の物。
「だれかいるなら返事して!」
無人の大部屋から廊下へと虚しく声が響く。頭の中で膨れ上がった鼓動が警鐘に似る。
どうしてこんな事に。一体何があった。疑問の洪水が理性を押し流す。
ピジョンの報告を待てず、シスターたちが裾をからげて走り回る。
「みんなどこなの、無事なら出てきなさい!」
「私は裏に回ります、皆さんは手分けして庭を」
「ですが神父さま、もし子どもたちに何かあったら」
「泥棒?強盗?」
「憶測は慎んで現状把握に努めるべきです、シスターゼシカや子どもたちを発見したらすみやかに報告を」
消えた子どもたちとシスターを探して廊下を進み、遂に厨房へ辿り着く。
香辛料やピクルスの瓶がぎっしり詰まった棚、調理台には大鍋がかけられていた。炊き出しで帰りが遅くなるのを見越し、既に夕食の支度を済ませていたのだ。
しかし現在その大鍋は蹴倒され、中身のシチューが床にぶちまけられていた。
コトンと音がした。床下からだ。厨房の地下にあるのは……
即座にドアを開け放ち、厨房のすぐ横に掘り抜かれた石組みの階段を駆け下りる。この先は食糧庫だ。
「俺です、ピジョンです!誰かいるなら返事をして、開けてください!」
分厚い樫の扉を両手で殴打、切迫した声音で懇願。
扉の奥で鋭い悲鳴が漏れる。甲高い子供の声。
「籠城してるのか」
何か深刻な事態が起きたに違いない。
聴覚を研ぎ澄ませて気配を探り、複数名の息遣いと衣擦れを拾ったピジョンは、性急にノブを掴んで回しだす。
扉は内側から施錠されている。突っかえ棒でもしているのか、ノブを押し引きすれどびくともしない。
「お願いします、無事かどうかだけでも」
「ピジョンさん?」
扉に縋り付くピジョンの耳にか細い声が届く。
「ヴィク?無事なのか?他のみんなもそこにいるのか、シスターゼシカは」
「入らないで」
「え?」
「シスターが……見られたくないって言ってる」
一瞬安堵に溶けた笑顔が固まり、扉を叩く手から力が抜けていく。
「何があったんだ、教えてくれ。嵐がきたみたいに中がめちゃくちゃだけど誰がやったの」
「怖い人たちが来たんだ、いっぱい。く、車で……力ずくでみんなを連れてった。い、いやがってたのに。チェシャもハリ―も、し、シーハンまで連れてかれて」
緊張の糸が切れたヴィクがしゃくりあげる。
ピジョンは辛抱強く繰り返す。
「君は?怪我はないのか。みんなって、他の子たちみんな?とりあえずここを開けてくれ」
「こっちから音がするわ」
「食糧庫に隠れたのね、どうしてすぐ気付かなかったのかしら」
「ごめんなさい、おどきになってブラザーピジョン」
「でも」
「ここはわたくしたちが」
扉を乱打する音を聞き付けたシスターたちが後から合流、ピジョンと立ち代わり開錠を促す。
「シスターゼシカはいるの?お願い、開けてちょうだい」
「私たちがきたからもうだいじょうぶよ、無事なら顔だけでも見せて」
シスターたちが口々にせがむ。
数呼吸おいて錠が外れる音が響き、重たい扉がゆっくり開かれていく。
食糧庫の中は薄暗い。
扉を封じる小麦粉の袋はどかされ、隅に子どもたちが7・8人、寄り添い合うようにしてうずくまっていた。
子どもたちの中心にへたりこんだ金髪の持ち主は……
「シスターゼシカ、よかったご無事、で……」
ピジョンが敷居を跨ぎかけると、シスターゼシカが絶叫する。
痛々しいまでに恐怖に満ちた悲鳴。
「こないで!」
子供たちを両腕に抱きこみ、足で床を掻いてあとじさるゼシカ。
彼女は半裸だった。
無惨に引き裂かれた衣の切れ端が申し訳程度に乳房と下半身の茂みを覆っている。美しい金髪はめちゃくちゃに乱れ、体のあちこちに痣と擦り傷があった。
何をされたか一目瞭然だ。
「シスターゼシカ!」
「なんてこと……誰がこんな」
「怖かったわね、もう大丈夫よ。誰か毛布を持ってきて」
敷居の手前で立ち尽くすしかないピジョンの横、シスターたちが駆け出していく。
剥き出しの肩を同胞に抱かれ、覚束ない足取りで立ち上がり、髪の奥から虚ろな眼差しを投げかける尼僧。

これがあのシスターゼシカか。

『こまかいこと気になさらないで、わたくし達のかわいい弟のようなものですしブラザーも間違いではないでしょ?』

母さんのような姉さんのような、ピジョンを弟みたいなものだと言ってくれたあの人か。
心から子どもたちと神を愛し、ピジョンに親切だった尼僧なのか。

「あ………あぁ」

極限まで剥かれた目がピジョンをとらえて凍り付く。
どこが無事だ。
無事なもんか。
シスターゼシカは凌辱されていた。
けだもののような男たちが、ピジョンの居ぬ間に彼女を汚したのだ。

身も心も犯された尼僧にとって、容易く自分を組み敷き得る若い男は忌避の対象でしかない。
「落ち着いて、皆帰ってきたからもうだいじょうぶ」
「あれはブラザーピジョンよ、お忘れ?素直ないい子が来てくれて嬉しいって、あなた弟のように可愛がってたじゃない」
「まずは湯浴みね。誰かお湯を沸かして、着替えを持ってきてちょうだい」
「泥を落とさなきゃ……」
恐れ戦く瞳が遠い記憶の中の母とだぶり、震える拳を握り込む。
ダメだ、自重しろ。
腹の底で煮え滾る怒りを押さえこみ、総出で介抱にあたるシスターたちに訊く。
「子供たちは?手当てが必要な子はいますか」
「ええ、一人だけ」
「ヴィク」
上の空のヴィクがのろのろと歩み出す。
上腕にはシスターの衣の切れ端で包帯が巻かれていた。
「その怪我は?」
「刀で斬られた」
片膝付いてヴィクと目線を合わせる。
ピジョンと会えた安心感で鼻を啜り、片腕をぎゅっと握る。
「チェシャたちと遊んでたんだ。神父様やシスターたちは留守だから、盗み食いするなら今日がチャンスよってチェシャが」
「うん、それで?」
優しく促す。
傷付いたまなざしが内側に遠のき、数時間前の体験を反芻する。
「そしたら凄い音がして、男の人たちが押し入ってきたんだ。それでみんなを袋に入れて、ジープの荷台にのっけて……チェシャが言ってた、ミュータントの人さらいだって。お金持ちに売り飛ばすんだって。し、シスターゼシカは、やめてってお願いしたんだ。チェシャがいじめられるのを見かねて、自分を代わりにって……それであんな」
たどたどしく言い、包帯の上から傷口を握り締める。
そうでもしないと自責の念に狂いそうなのか、思い詰めて俯く。
「シーハンの所に走ったんだ。でも間に合わなくて……シスターゼシカをいじめてた人、刀を持った男の人がなんでか反対側からやってきて、ぼ、僕はいらないって、どっかいけって腕を切り付けてきたんだ」
ヴィクの腕の傷はその男にやられたものらしい。子供心にどれだけの恐怖を覚えたことか。
「シスターゼシカが食糧庫に行けって言ったから、そうした。途中で逃げ遅れた子どもたちを集めて、みんなで一緒に立てこもった。随分たったあと、車が走り去る音がして、ボロボロになったシスターゼシカが這いずってきたんだ。トントンって、力なくドアを叩いて」
「偉かったね、みんなを助けて」
「ぜんぜん偉くない。チェシャとハリ―を見捨てた。シーハンを助けられなかった」
「ヴィク」
ヴィクの顔がくしゃりと崩れ、大粒の涙が浮かぶ。
「と、ともだちだったのに。初めてできたともだちなのに。せっかく仲間に入れてもらったのに、連れてかれるの見てるしかなくて。ここに逃げ込んだあとは隅っこで縮こまってた。シスターゼシカ、一生懸命ノックしてたのに……ま、またウソじゃないかって。ドアを開けたら袋を被せられて連れてかれるんじゃないかって、おっかなくて、声聞くまでドア開けてあげなかった」

ヴィクを日本刀で切り付けた男は、幸か不幸かミュータント以外に関心を示さなかった。
ヴィクは逃げる途中で木の上や井戸に隠れていた仲間と合流をはたし、ピジョンたちが帰還する今の今まで食糧庫の奥で息を潜めていたらしい。
なんて言葉をかければいいかわからない。
コヨーテ・ダドリーのもとで酷い体験をし、その後引き取られた孤児院でも凄惨な目に遭い、ヴィクは体も心もずたぼろのはずだ。
なのになお、他人を気遣える。
シスターゼシカや他の子たちを庇い、どもりながらもピジョンの質問に受け答えする。
何もできなかったのはヴィクじゃない。
孤児院が惨事に見舞われている最中、呑気に炊き出しを手伝っていたピジョンだ。

なんで用心棒を申し出なかった?
治安に悪いボトムの教会、ミュータントの子どもを集めた孤児院、ゼシカ一人に子守りを任せるのは危ないと少し考えればわかったのに……

仮にピジョンが居残っていれば何かできたかもしれない、もっと多くを救えたかもしれない、シスターゼシカは汚されずにすんだかもしれない。
どうしてもっと頭が回らないんだ、スワローだったらこんなヘマしなかった、きちんと先を読んで手を打ったはずだ。

俺のせいだ。
全部俺の。

平和ボケした頭を呪い、包帯を握るヴィクの手をそっと剥がす。
「ちゃんと手当てしないと。喉は渇いてないか」
「大丈夫」
ヴィクがポケットから出したのは、真っ赤に潰れた何か。
「シーハンが摘んでくれた蛇いちご、分けっこしたんだ」
小さいのてのひらに乗った赤黒い粒々を見せ、ピジョンを心配させまいと気丈に微笑む。
「地面におっこちたけど汚くないよ」

一体どんな思いで地面に這い蹲り、蛇いちごをかき集めたのか。
腕の傷も痛んだろうに。
シーハンの形見になるかもしれないと思ったのか……。

「………………」
「ピジョンさん?」

許せない。
犯人は誰だ、どこにいる。

誰がシスターゼシカにこんな仕打ちをした、誰がヴィクにこんな仕打ちをした、誰が何の罪もない子どもたちにこんな仕打ちをした?
ここはピジョンの家だったのに。
安らげる場所だったのに。

「ねえ、シーハンたちは無事なの?」
ヴィクがピジョンの腕を揺さぶる。
「また会えるよね」
安請け合いはすべきじゃない。期待を持たせるだけ酷だ。
もし子どもたちが誘拐されたのが事実なら目的は人身売買、既に誰かの手に渡っていたら五体満足で取り戻すのは困難だ。
知るかそんなこと。
ピジョンはヴィクの肩を掴み、正義と怒りに燃える、赤い瞳で約束する。
「心配しないで。絶対に連れ帰る」

取り返すとは言わない。
彼らは物じゃなく人だから。
ひどいことをされたら痛みを感じ、辛いことがあれば泣き、楽しい時には笑い転げる子どもたちだから。

戸棚が犇めく食糧庫の暗闇に悲痛な嗚咽が響く。
難を逃れた子どもたちが泣いている。シスターゼシカは涙も枯れた。表情と情動の一切が消失した顔。
心が壊れきってしまったゼシカをいたわり、目が真っ赤なシスターアデリナが毛布を羽織らす。

連中にツケヴィクテムを払わせてやる。

「ブラザーピジョン、子どもたちをお願いできますか。わたくしたちはシスターゼシカを部屋で休ませないと」
「わかった。みんなこっちへ」
ゼシカの介抱に男手は借りられないと判断したシスターたちに頼まれ、ピジョンは子どもたちに手をさしのべるものの、彼らは警戒して近付いてこない。
よっぽど怖い思いをしたのか……シスターゼシカほどではないにせよ、男に対する恐怖を刻まれているらしい。
ピジョンは一生懸命にかきくどく。
「大丈夫だよ、痛いことはしないって約束する。信じてほしい」

釈明するだけ無駄だ。
信じろなんてどの口で言える。
ピジョンは実際、何もできなかった。彼らが怖い思いをしているまさにその瞬間に、現場に居合わせなかったのだ。

俺は一体何だ?
ここにいる意味があるのか?

役立たず、腰抜け、足手まとい……罵詈雑言の語彙の限りを尽くし、誰も救えず誰からも頼られないおのれを呪い、からっぽの手を握り込む。

「頼むから付いてきてくれ、君たちを休ませたいだけなんだ。厨房は比較的荒らされてなからそこで……大部屋の方は大急ぎで片付けるから」

子どもたちにとってピジョンはただの居候。神父やシスターのような身内でもない、素性もよくわからない赤の他人だ。
信用してもらえずとも無理はない、ましてや惨劇のショックが癒えてないのだから。
頭ではわかっていても、胸が張り裂けそうに痛む。
ここにお前の居場所はないと突き付けられて。

「どうしたのみんな、ピジョンさんは知ってるでしょ、神父さんのお弟子さんの……いい人だよ」
ヴィクがおたおたと擁護するも、子どもたちの目の温度は下がっていくばかり。
「わかんないよ」
「ニンゲンなんて信じられっか、ソイツが手引きしたのかもしんないじゃん!」
うさぎ耳の女の子が疑い、犬耳の男の子が拒む。
「ピジョンさんはアイツらの仲間なんかじゃない!」
「なんで言いきれるんだよ、ニンゲン同士庇い合ってんのか、さてはお前もスパイだな!?」
「どうりでね、入ってきた時から怪しいと思ってたのよ。ニンゲンの子なら他の孤児院でも引き取ってもらえるのにわざわざうちにきて誘拐の下調べしてたのね、連絡はどうやったの、電話?手紙?」
「僕は関係ない、ピジョンさんだってアイツらのことなんか知るもんか、この人の弟はすっごい強くてかっこいい賞金稼ぎでコヨーテ・ダドリーだってKOしたんだ、バンチに載ったの読んでないのかよ!僕をあそこから連れ出してくれたひとの兄さんが悪者なもんか、撤回しろよばかっ!!」
悔し泣き寸前で声を張り上げるヴィクの肩に手をおき、ピジョンが小さく呟く。
「いいんだヴィク」
「でも!」
「俺はスワローじゃない。君の恩人じゃないから、庇ってくれないでいい」

体を張ってヴィクを助けたのはスワローであって、ピジョンじゃない。
ピジョンは何もできなかった。
誰も助けられなかった。
無能で無力で無粋で無様で、ちっとも成長しない自分のどうしようもなさ加減に反吐が出る。

これ以上矢面に立たせたらヴィクに非難が向く。
まだ納得してないヴィクを下がらせて、ピジョンは深呼吸する。
「誓ってそんなことしない、ここが襲われるなんてちっとも知らなかった。知ってたら孤児院を空けたりしないよ」
誠意を尽くして説くものの、ヴィクを除く子どもたちは頑なだ。脅威にさらされたことで人間への反発を強めているのか、所詮よそ者の立場を思い知らされる。
「!先生っ」
「やっと帰ってきた!」
ピジョンが伸ばす手をすり抜け、救われたような顔で後方へ駆けていく子どもたち。
神父が子どもたちを抱きとめて宥めすかす。
「お怪我はありませんか皆さん」
「先生大変なの、シスターゼシカが……」
「詳しい話は聞きました。あなたがたは厨房でお待ちなさい、あとでシスターが食事を用意してくれます」
居候の善意を頑なに拒んだ子どもたちが、神父の一声で大人しく厨房へ移動する。
「ピジョンさん……」
「行ってヴィク。神父様に話があるんだ」

先生と、今までどおり口にできない。
ヴィクもちらちら振り返りながら石段を上っていった。
ピジョンは振り向きもせず、爪がてのひらに刺さるほど拳を握り込んで立ち尽くす。
憔悴の極みのシスターゼシカが連れだされたあと、師弟が対峙する食糧庫には重苦しい沈黙が立ち込める。
ピジョンは正面を睨んだまま口を開く。
「どうしてシスターゼシカを一人にしたんですか」
「……面目ございません。私の慢心が招いた惨事です」
「ボトムで多発してる誘拐事件の事は知ってたんですか」
「風の噂に聞き及んではおりました」
「なんで手を打たなかったんですか」
「これまで誘拐被害にあってきたのは人間の児童でした。区画も離れておりますし」
「例外は絶対ないって言いきれますか」
鋭く切り込む。
「いいえ」
神父が否定する。
「炊き出しにぞろぞろ連れてく必要ありました?シスターゼシカはか弱い女性です、自分の身を守る手段なんて殆どない、ましてや何十人もいる子どもたち全員を守りきれますか」
「有事の際は地下食糧庫に避難せよと取り決めていました。ここは頑丈にできています、彼女も十分承知で」
「間に合わなかったら?」
埃っぽい穴倉に無表情な声が反響する。
「万一の事態は想定してたんですか。もし俺やあなたの留守中に奇襲をかけられたら害を被るのはシスターや子どもたちです、それをちゃんと考えてたんですか。俺たちは賞金稼ぎだからまだいい、自分の身を守る手立てがあります。けれどシスターたちは?子どもたちはどうなんですか。俺にするみたいに銃の組み立てと分解を教えましたか、狙いの付け方を叩きこみましたか。相手の目をくらまして、上手に逃げる方法でもいい」

自分がこんな冷たい声をだせると、初めて知った。
知りたくなかった。

「ピジョン君……」
「もっと塀を高くしたらいい、門を頑丈にしたらいい。どうして侵入者に備えておかなかったんですか、こんな事も起こり得ると考えなかったんですか、ボトムの物騒さは身に染みていたはずでしょ」
「……全部私のせいです。私は」
続きを言わせたくなくて勢いよく腕を振り抜く。
力一杯壁を殴れば、振動が抜けた床と天井から塵が剥落。風圧でめくれたピンクゴールドの髪が苛烈なまなざしを隠す。
「俺も止めなかった。シスターゼシカが留守番に手を挙げた時、一緒に残るって言ってたら」
「それは違います」
「俺はまだ半人前です。あなたから見たら全然頼りないんだろうなってことも想像付きます。そんな俺でも、ここにいさえすればきっとできることがありました。一度は先生と慕った人に半年付きっきりで教わった知識と技術を生かして、それでシスターゼシカを助けて、子どもたちを救えたかもしれないんです」

この手にライフルがあれば。
引鉄を引く勇気があれば。

武器は誰かを守る為のものなのに、教会を離れる時に手ぶらで良しとした自らの甘えと、女子供だけを残して教会を離れた甘さが許せない。

「過ぎたことを悔やんでもしかたありません、自己嫌悪に溺れている暇があるなら子どもたちの奪還計画を立てませんか。敵の目的が人身売買だとしたら買い手が付くまで一日か二日、あるいはそれ以上の期間留め置かれるはず。ヴィク君の話によると、敵は複数のジープで乗り入れた。荷台には子どもたちを入れた袋をたくさん積んでいます。その状態でアップタウンやダウンタンの検問を突破できる訳もなし、ボトムのどこかに仮の拠点があるはずです。おそらくは遠くへ行ってません、今からでも痕跡を追えば」
「なんで冷静でいられるんだ!!」
ピジョンの中で何かが切れた。
振り返りざま胸ぐらを掴み、壁に背中から叩き付ける。
「あなたが育てた子どもたちがさらわれてシスターがレイプされたんだぞ、それが『過ぎたこと』か、『悔やんでもしかたない』か!?」
「落ち着いてください」
「しかたなくないだろ、もっとちゃんと悔やめよ、聖書の引用で煙に巻かず本気で死ぬ気で悔い改めろよ!!」
「……ッ、ただ事実を申し上げたまでです」

弟以外にこんな大声を出すのは初めてだ。
誰かに乱暴するのも。
こんなことしたくないせざるえない苦しくて哀しくて張り裂けそうで泣きたくもないのに視界がぼやける。

カソックの胸ぐらを力任せに締め上げ圧迫、死にたい程の無力感と自責と怒りとに駆り立てられ鳩の血色ピジョンレッドに輝く双眸で詰め寄る。
「どうしてちゃんとしないんだ、神父で先生だろ、ここで一番偉いんだろ!?みんな信じてたのに、この人ならなんとかしてくれるって俺だって信じてたのに、ぬけぬけと留守を襲われてこのざまか!あなたがもっとしっかりしてればこんな事おきなかった、ここが悪党だらけのボトムだって忘れたのか、いくら塀の中が安全だって一歩外に出れば強盗や人殺しがうじゃうじゃいる、ミュータントをよく思ってない人たちが手ぐすね引いて待ち構えてるんだぞ!今日の炊き出しにだって何食わぬ顔で紛れ込んでたかもしれないのに賞金稼ぎやめて長いからド忘れか、頭の中がめでたすぎてお手上げだ!これもあれも全部あなたのせいじゃないか、子どもたちに何かあったらどうやって責任とるんだ!!」

君もどうですかと炊き出しに誘われて嬉しかった、尊敬する師と人の為に働けて誇らしかった、その裏でこんな惨劇が起きているなど考えもせず赤ん坊のおしめを替えて笑っていた。

神父が許せない。
浮かれてた自分はもっと許せない。
俺はこの人のもとで何を学んだ?
朝早く起きて銃を組み立て分解し、ライフルを支えるてのひらは分厚くなって、指のまめはできたそばから潰れるのをくり返し固くなって、死に物狂いで学んだこと一個も役立てられず、むざむざ子どもたちを連れて行かせたのか。

『修行とかたるくねェ?』
『負け惜しみじゃねーの』

スワローなら、こんなヘマはしない。
コヨーテ・ダドリーのアジトからヴィクを助け出した時のように、シスターゼシカや子どもたちを守り抜いたはずだ。

ここにいるのがスワローだったら
『この人の弟はすっごい強くてかっこいい賞金稼ぎでコヨーテ・ダドリーだってKOしたんだ!』
『僕をあそこから連れ出してくれたひとの兄さんが悪者なもんか、撤回しろよばかっ!!』
スワローならよかったのに

使えない俺なんかいらない、おめでたい俺なんかいらない、アイツは誰に教えてもらえなくても強いのに俺はどんだけしごかれても使えないまま。
この半年間、全部無駄だった。

「ぐ、は……」
ヒステリックに怒鳴り散らすピジョンの手を握り返し、苦しみ喘ぐ神父が口を開く。
「その時は、殺してください」
子供たちが帰ってこなければ。
神父の目は本気だった。
「私の胸に、君の手で、犠牲者ヴィクテムの数だけRIP弾を叩きこみなさい」
ピジョンの手を強く掴み、自分の心臓の上へと導く。質素な銀のロザリオが指にあたり、冷静さを呼び戻す。
「指は狙撃手の命です。傷めるのはおすすめしません」
分厚いレンズの奥、酸欠の苦痛に濁りゆく紫の瞳が悲哀に染まる。
レンズを隔てたまなざしに後悔を汲んだ途端、自己嫌悪が咽喉に詰まり、緩んだ指からカソックがすり抜ける。
とうとう床に両膝を付いたピジョンが、宙にたれたドッグタグの先に吐き捨てる。
「……あなたのように、なりたかった」

ピジョンは泣けなかった。
泣けたらきっと楽なのに。
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