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gluttonous angel
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デスパレードエデンの近くにバーズ行き付けのダイナーがある。
店内にはカウンターに面しスツールが並び、赤いビニールソファーが向き合ったテーブル席が設けられている。
ローラースケートを履いたウェイトレスが滑走する床はワックスで磨き上げられ、タブロイドを携えた中年男やコーヒーを嗜む老紳士がそれぞれの指定席を温め、ネオンサインに縁取られた片隅のジュークボックスがチープで俗っぽいナンバーを流す。
「「いらっしゃい」」
今しもドアが開き、胸刳りの深い水色の制服に身を包み、颯爽と行き交っていたウェイトレスが和する。
「眼福」
口笛を吹いて敷居を跨ぐのは、燕の刺繍入りスタジャンに黒タンクトップを合わせた少年。
年の頃は十七・八、よく実ったとうもろこしの房を思わせるイエローゴールドのウルフカットと均整とれたスタイルが目を引く美形だ。この界隈では顔の売れた有名人でもある。
その連れ合いは擦り切れたモッズコートを羽織ったはたち前後の青年。シャンパンの上澄みに似たピンクゴールドの髪は癖のない猫っ毛、柔和な顔立ちにお人好しな性格が滲んでいる。
胸元にぶら下がるのはシルバーのドッグタグと十字架。背中に背負ったライフルケースから、狙撃手を生業にしている事がわかる。雰囲気や顔立ちに共通項はないが、くすんだ赤錆色の瞳が血の繋がりをほのめかす。
「今日は疲れた」
「お前がヘマすっからだろ」
「こっちのセリフ、誰かさんの尻拭いに追われてさんざんだった」
時刻は宵の口、既に日は沈みかけている。
ピジョンは腹ぺこだった。何故かというと昼飯を食いっぱぐれたのだ。それもこれも全部隣でウェイトレスの尻を眺めてる弟のせいだ。
昼間賞金首を狩り立てたのだが、毎度の如くスワローが暴走し、ピジョンは後始末で神経をすり減らした。
「どうして計画通りに動かないんだお前は、射程圏内に誘き出せって言ったじゃないか、打ち合わせ聞いてなかったのか」
「ちんたらやってたら逃げちまうよ」
「俺の言うことを聞いてれば無駄な血を流さずにすんだのに」
「ケチな悪党の指を切り落としたのがご不満?」
「アレで食欲が減退した」
「近くの廃材撃って下敷きにしようとか作戦が回りくどいんだよ」
ライフルケースのストラップを掴み、ため息を吐いて店内を突っ切り、一番奥のソファーに滑り込む。
「きゃっ!」
蓮っ葉な嬌声に振り返れば、スワローがウェイトレスのケツをさわっていた。
「こら!」
「やだもー、手癖が悪いんだから」
無礼な振る舞いを窘めたそばからウェイトレス上目遣いに媚び、スワローの手の甲を軽く抓る。
「可愛いケツが目の前滑ってったらさわんなきゃ失礼ってなもんだろ」
「仕事中」
「休憩とれねェの」
「こないだトイレでして怒られたでしょ。次バレたら私はクビ、アンタは出禁。オーケー?」
「オーケー」
人さし指を突き付けられたスワローがおどけて降参する。
ピジョンは見た。狙撃手の優れた動体視力でもって、ウェイトレスが去り際メモを掴ませる所を。
別段深く考えずとも、連絡先をもらったのだろうと察しが付く。
ご満悦な様子でふんぞり返るスワローを問い質す。
「ここを選んだのはそれが目当てか」
「界隈じゃ一番の美人ぞろい」
「あきれた」
「食欲と性欲をダブルで満たすのが俺の流儀」
「ウェイトレスの連絡先回収が目的だろ」
「貰った事ねえからってやっかむな」
「ダイナーは飯を食うところでナンパするところじゃない」
下ろしたライフルケースをテーブルに立てかけておく。
「これ以上入店お断りの店増やすなよ、外食できなくなる」
「お前は出禁くらってねえし一人で食いに来りゃいいじゃん」
「それはそうだけど」
ピジョンが不満げに口を尖らす。そこにローラースケートを蹴立て、ブロンドのウェイトレスが走ってきた。ピジョンの勘が正しければ恐らく染めてる。
「ご注文はお決まりですかあ?」
「コーヒーとホットドッグ、砂糖ミルク多めで。あとドーナツもらおうかな」
「種類はどちらになさいますか」
「オールドファッションで」
「かしこまりましたあ。そちらのお客様はどうなさいます?」
舌足らずに間延びした口調で聞く。胸元をはだけすぎなのが気になる。
乳房のほくろから視線を剥がし、そわそわ裾をいじるピジョンを蔑み、スワローが注文する。
「アメリカンクラブハウスサンドとフライドポテトとワッフルとオムレツ。飲み物はコーラ」
「かしこまりましたあ、少々お待ちください」
「おっと忘れてた」
メモをとって立ち去りかけたウェイトレスの手首を掴み、囁く。
「デザートはバーバラで」
「……食前にお出しする事もできますけど」
ほんのり頬を染めて俯くウェイトレスの胸元には、「バーバラ」の名札が留められていた。交渉成立。
スワローが脱いだスタジャンを背凭れにひっかけ、意気揚々と腰を浮かす。
「行ってくる」
すれ違いざま兄の肩をポンと叩き、ウェイトレス改めバーバラの腰に手を回し、奥のトイレへ消えて行く。しばらくすると喘ぎ声が漏れ始め、ドアが激しく撓む。
「あッあッぁッ、すごいおっきいあぁ――――――ッ!」
「コーヒーお持ちしました」
「どうも」
でっぷり太ったウェイトレスが叩き付けるようにソーサーを置き、黒い飛沫がモッズコートにはねる。顔に飛ばなかっただけセーフ、火傷しないですんでラッキーと前向きに考え直す。
ドアの軋みに合わせて喘ぎ声が高まり、カウンターの内側でコップを磨くマスターや、軽食をとる客たちが嫌な顔をする。
いたたまれなさを味わい続けた二十分後、スワローがせいせいした表情で戻ってきた。
続いて出てきたバーバラがいそいそボタンを留め、乱れた髪を撫で付ける。ふたりの視線が絡み、意味深な目配せが交わされ、スワローが半身を捻って手を振る。ピジョンはまずそうにコーヒーを啜っていた。
おもむろにスワローが向き直り、頬杖付いて身を乗り出す。
「いま考えてること当ててやろうか」
「どうぞ」
「俺の顔にコーヒーぶっかけてえって思ってんだろ」
図星。
「……冷めてるから火傷はしない」
スワローの女癖の悪さは今に始まった事じゃない。二股三股は当たり前で、常に不特定多数のセフレを囲っている。とはいえ見せ付けられるのは不愉快だ。
「まざりにくるなら歓迎したのに」
しゃあしゃあとうそぶいて背凭れに腕をかけ、テーブルに足を放りだす。
「行儀が悪い」
「今さらだな」
確かに順番が間違ってる。ローラースケートの走行音が近付き、赤毛のウェイトレスが料理を置いて去っていく。最近はダイナーで食事をとりながら反省会が日課だ。
「お前には我慢が足りない、次はもうちょっと慎重に動け」
ピジョンがホットドッグを頬張る。
「やなこった」
スワローが油っこいポテトを摘まむ。
「あのな」
ピジョンが咀嚼する。
「兄貴がトロすぎんだよ、今日だってどんだけ待たせんだ」
スワローがアメリカンクラブハウスサンドに食らい付く。
「準備が整ったら合図するって言ったろ」
コーヒーを一口嚥下。
「だから遅ェんだよ」
ずこーとコーラを吸い上げる。
「お前が後先考えず突っ走ったせいで賞金首は指を失った。通行人も転んで怪我をした」
ピジョンがナプキンを纏めて掴み、スワローの口を拭く。
「ちんたら歩いてっからだろ、面倒見きれっかっての」
スワローがピジョンの頬に付いたケチャップをこそぐ。
「一般人を巻き込むのは言語道断、賞金稼ぎの風上にもおけない」
ナプキンを握り潰す。
「賠償金の心配してんの?」
ケチャップをなめる。
「スワロー!」
「アンデッドエンド見回してみな、流れ弾上等の同類がうじゃうじゃいる」
コーラが底を尽きずごごとストローが詰まる。
反省会とは言うものの大真面目に反省してるのはピジョンだけで、スワローは悪びれず開き直っていた。
「コソ泥の指が宙舞うとこ見たろ、クソ笑えた」
「笑えない」
「ガキが持ってたアイスのてっぺんに刺さったのに」
「トラウマになる」
うんざりぼやいてドーナツに手を伸ばし、食欲が失せて皿に戻す。
「食わねえの?珍しい」
「お前のせいだろ」
すかさず掠めとり、フラフープさながら人さし指にひっかけ回す。ピジョンの顔に濃い疲労がよどむ。
「たまには兄さんの言うこと聞いてくれ」
「現場で血を流すなってか?無茶な注文」
「楽勝だろ、ヤング・スワロー・バードは世界一のナイフ使いだもの」
ドーナツの回転が止まる。
ピジョンは悪戯っぽく含み笑って念を押す。
「だよな」
「リトル・ピジョン・バードの仰せのままに」
スワローが不敵に笑み返し、片手に持ったオールドファッションを天使の輪っかに見立て、ピジョンの頭上にかざす。
「洗礼式のまね?」
モッズコートを羽織った青年が、くすぐったげにはにかんでドーナツにさわる。
ネオン瞬くジュークボックスが奏でるのはオールデイズのナンバー。
ピジョンは知る由もないが、彼は生まれてこのかたずっとスワローの守護天使だった。
「食いしん坊の駄バトに金ぴかの輪っかはもったいねえ、非常食を兼ねるドーナツのがお似合いだ」
地上はどこもかしこも汚れすぎて、お前が天に帰っちまうんじゃないかって不安だった。
「返せ」
「やだね」
「まだ食うのかよ」
むくれるピジョンの前でドーナツをかじり、完璧な輪を欠く。
これでもうとべねえ。
ピジョンは天使をやめたから、俺と一緒に地べたを這いずり回るっきゃねえ。
「食べかけでよけりゃどうぞ」
ニヤニヤ笑ってスワローが突っ返したドーナツを即座に奪い、コーヒーに浸す。
それを口に運ぶ寸前にドアが開け放たれ、銃やナイフで武装した男たちがなだれこんできた。
「きゃーっ!」
ウェイトレスの悲鳴に重なる銃声に度肝を抜かれ、盛大にコーヒーを零す。
ピジョンがケースを引き寄せ、スワローが懐に手を突っ込み、ドアが閉まるのを待たずソファーを盾にして伏せる。
鉛弾を撃ち込まれたジュークボックスが火花を散らし沈黙、リーダー格の大男がバーバラを羽交い絞めにして脅す。
「レジの金を渡せ、変なまねしたら人質をブチ殺す」
「ひっ……」
別のウェイトレスがレジを開いて紙幣を数える間、床に突っ伏した男たちは無力に震えるのみ。
ただ二人の例外を除いて。
「手配書で見た事ある、ダウンタウンのダイナーを荒らしまくってる強盗団だ」
「あーゆーのこそ出禁にしろってんだ」
「質問していいか」
「なんだよ」
「『アレ』が目当てで来たのか」
先日この近くのダイナーが襲われたのをピジョンは知っていた。動線から予測すれば、遠からずここが標的になる。スワローは意味深に笑うだけで答えず、レオナルドの刃を出す。
「イケる?」
「ああ」
心は決まっていた。力強く頷くピジョンに背を向け、テーブル下から転がり出たスワローが、コーラの容器をぶん投げる。
「ぶふっ!?」
顔面に氷をぶちまけられたリーダーがたじろぐ隙を逃さず、仲間が乱射する銃弾の合間をくぐりぬけ、テーブルからテーブルへ、カウンターへと大胆に飛び移る。
ブレイクダンスの捻りを加えた足捌きで男たちを薙ぎ払い、ナイフの柄で下顎を突き、あるいはこめかみに水平の一撃を打ち込み、残る一人に向かっていく。
「クソガキがなめやがって!」
激高したリーダーが引き金を絞る寸前、スワローが鮮やかな宙返りで射線を開き、ピジョンが構えたライフルが火を噴く。
「ッが、」
ピジョンの狙撃は命中した。銃を弾かれ手首を痛めたリーダーに、スワローの回し蹴りが炸裂する。
もんどりうって吹っ飛んだリーダーが壁にぶち当たり、脳震盪を引き起こされた残り二人と共に床に伸びる。
バーズは一滴の血も流さず、ならず者を制圧した。
「リクエストにおこたえしたぜ」
軽く着地したスワローを、ライフルを下ろしたピジョンが誇らしげに見詰める。
「ほらな、やればできる」
「何咥えてんの」
「ドーナツ」
「床に落ちた?」
「まだイケる」
コートで拭いたドーナツをおいしそうにひとかじり、ライフルを収納する。バーバラはへなへなへたりこみ、強盗三人組はふんじばられ、バーズは大いに感謝された。
「バーズはダイナーの救世主、俺たちの命の恩人だ。なんか欲しいもんあるか?ミルクセーキ飲んでけよ、ベーコンパンケーキも付けるぜ」
「永久に無料にしろよ。トイレは貸し切りで」
「待てよスワロー、この人たちは商売してるんだ。お代わり自由のタダ飯食べ放題なんて常識的に考えて駄目だろ、潰す気か」
「お代わり自由とまでは言ってねえし、潰す気で食いまくる気満々のお前に引くわ」
「特別扱いは望んじゃない」
「正当な報酬だろ」
バーバラのキスマークにまみれたスワローの横槍を無視し、ピジョンが主導権を握る。
「どうかお気遣いなく、恩を売る為に助けたんじゃないんで。賞金稼ぎとして当たり前の事をしたまでです」
「それじゃ俺たちの気が済まねえ、礼をさせてくれ」
「どうしてもっていうなら、そうだな」
熱っぽい期待を込めた目が、ガラスケースに並んだドーナツに移る。嫌な予感。
「あそこにあるの全部詰めてください。胸焼けする位ドーナツ食べまくるのが、子供の頃からの夢だったんです」
その後しばらくバーズの食事は朝昼晩ぶっ通しでドーナツ三昧になり、ピジョンは余計な肉が付き、天国がまた少し遠のいたのである。
店内にはカウンターに面しスツールが並び、赤いビニールソファーが向き合ったテーブル席が設けられている。
ローラースケートを履いたウェイトレスが滑走する床はワックスで磨き上げられ、タブロイドを携えた中年男やコーヒーを嗜む老紳士がそれぞれの指定席を温め、ネオンサインに縁取られた片隅のジュークボックスがチープで俗っぽいナンバーを流す。
「「いらっしゃい」」
今しもドアが開き、胸刳りの深い水色の制服に身を包み、颯爽と行き交っていたウェイトレスが和する。
「眼福」
口笛を吹いて敷居を跨ぐのは、燕の刺繍入りスタジャンに黒タンクトップを合わせた少年。
年の頃は十七・八、よく実ったとうもろこしの房を思わせるイエローゴールドのウルフカットと均整とれたスタイルが目を引く美形だ。この界隈では顔の売れた有名人でもある。
その連れ合いは擦り切れたモッズコートを羽織ったはたち前後の青年。シャンパンの上澄みに似たピンクゴールドの髪は癖のない猫っ毛、柔和な顔立ちにお人好しな性格が滲んでいる。
胸元にぶら下がるのはシルバーのドッグタグと十字架。背中に背負ったライフルケースから、狙撃手を生業にしている事がわかる。雰囲気や顔立ちに共通項はないが、くすんだ赤錆色の瞳が血の繋がりをほのめかす。
「今日は疲れた」
「お前がヘマすっからだろ」
「こっちのセリフ、誰かさんの尻拭いに追われてさんざんだった」
時刻は宵の口、既に日は沈みかけている。
ピジョンは腹ぺこだった。何故かというと昼飯を食いっぱぐれたのだ。それもこれも全部隣でウェイトレスの尻を眺めてる弟のせいだ。
昼間賞金首を狩り立てたのだが、毎度の如くスワローが暴走し、ピジョンは後始末で神経をすり減らした。
「どうして計画通りに動かないんだお前は、射程圏内に誘き出せって言ったじゃないか、打ち合わせ聞いてなかったのか」
「ちんたらやってたら逃げちまうよ」
「俺の言うことを聞いてれば無駄な血を流さずにすんだのに」
「ケチな悪党の指を切り落としたのがご不満?」
「アレで食欲が減退した」
「近くの廃材撃って下敷きにしようとか作戦が回りくどいんだよ」
ライフルケースのストラップを掴み、ため息を吐いて店内を突っ切り、一番奥のソファーに滑り込む。
「きゃっ!」
蓮っ葉な嬌声に振り返れば、スワローがウェイトレスのケツをさわっていた。
「こら!」
「やだもー、手癖が悪いんだから」
無礼な振る舞いを窘めたそばからウェイトレス上目遣いに媚び、スワローの手の甲を軽く抓る。
「可愛いケツが目の前滑ってったらさわんなきゃ失礼ってなもんだろ」
「仕事中」
「休憩とれねェの」
「こないだトイレでして怒られたでしょ。次バレたら私はクビ、アンタは出禁。オーケー?」
「オーケー」
人さし指を突き付けられたスワローがおどけて降参する。
ピジョンは見た。狙撃手の優れた動体視力でもって、ウェイトレスが去り際メモを掴ませる所を。
別段深く考えずとも、連絡先をもらったのだろうと察しが付く。
ご満悦な様子でふんぞり返るスワローを問い質す。
「ここを選んだのはそれが目当てか」
「界隈じゃ一番の美人ぞろい」
「あきれた」
「食欲と性欲をダブルで満たすのが俺の流儀」
「ウェイトレスの連絡先回収が目的だろ」
「貰った事ねえからってやっかむな」
「ダイナーは飯を食うところでナンパするところじゃない」
下ろしたライフルケースをテーブルに立てかけておく。
「これ以上入店お断りの店増やすなよ、外食できなくなる」
「お前は出禁くらってねえし一人で食いに来りゃいいじゃん」
「それはそうだけど」
ピジョンが不満げに口を尖らす。そこにローラースケートを蹴立て、ブロンドのウェイトレスが走ってきた。ピジョンの勘が正しければ恐らく染めてる。
「ご注文はお決まりですかあ?」
「コーヒーとホットドッグ、砂糖ミルク多めで。あとドーナツもらおうかな」
「種類はどちらになさいますか」
「オールドファッションで」
「かしこまりましたあ。そちらのお客様はどうなさいます?」
舌足らずに間延びした口調で聞く。胸元をはだけすぎなのが気になる。
乳房のほくろから視線を剥がし、そわそわ裾をいじるピジョンを蔑み、スワローが注文する。
「アメリカンクラブハウスサンドとフライドポテトとワッフルとオムレツ。飲み物はコーラ」
「かしこまりましたあ、少々お待ちください」
「おっと忘れてた」
メモをとって立ち去りかけたウェイトレスの手首を掴み、囁く。
「デザートはバーバラで」
「……食前にお出しする事もできますけど」
ほんのり頬を染めて俯くウェイトレスの胸元には、「バーバラ」の名札が留められていた。交渉成立。
スワローが脱いだスタジャンを背凭れにひっかけ、意気揚々と腰を浮かす。
「行ってくる」
すれ違いざま兄の肩をポンと叩き、ウェイトレス改めバーバラの腰に手を回し、奥のトイレへ消えて行く。しばらくすると喘ぎ声が漏れ始め、ドアが激しく撓む。
「あッあッぁッ、すごいおっきいあぁ――――――ッ!」
「コーヒーお持ちしました」
「どうも」
でっぷり太ったウェイトレスが叩き付けるようにソーサーを置き、黒い飛沫がモッズコートにはねる。顔に飛ばなかっただけセーフ、火傷しないですんでラッキーと前向きに考え直す。
ドアの軋みに合わせて喘ぎ声が高まり、カウンターの内側でコップを磨くマスターや、軽食をとる客たちが嫌な顔をする。
いたたまれなさを味わい続けた二十分後、スワローがせいせいした表情で戻ってきた。
続いて出てきたバーバラがいそいそボタンを留め、乱れた髪を撫で付ける。ふたりの視線が絡み、意味深な目配せが交わされ、スワローが半身を捻って手を振る。ピジョンはまずそうにコーヒーを啜っていた。
おもむろにスワローが向き直り、頬杖付いて身を乗り出す。
「いま考えてること当ててやろうか」
「どうぞ」
「俺の顔にコーヒーぶっかけてえって思ってんだろ」
図星。
「……冷めてるから火傷はしない」
スワローの女癖の悪さは今に始まった事じゃない。二股三股は当たり前で、常に不特定多数のセフレを囲っている。とはいえ見せ付けられるのは不愉快だ。
「まざりにくるなら歓迎したのに」
しゃあしゃあとうそぶいて背凭れに腕をかけ、テーブルに足を放りだす。
「行儀が悪い」
「今さらだな」
確かに順番が間違ってる。ローラースケートの走行音が近付き、赤毛のウェイトレスが料理を置いて去っていく。最近はダイナーで食事をとりながら反省会が日課だ。
「お前には我慢が足りない、次はもうちょっと慎重に動け」
ピジョンがホットドッグを頬張る。
「やなこった」
スワローが油っこいポテトを摘まむ。
「あのな」
ピジョンが咀嚼する。
「兄貴がトロすぎんだよ、今日だってどんだけ待たせんだ」
スワローがアメリカンクラブハウスサンドに食らい付く。
「準備が整ったら合図するって言ったろ」
コーヒーを一口嚥下。
「だから遅ェんだよ」
ずこーとコーラを吸い上げる。
「お前が後先考えず突っ走ったせいで賞金首は指を失った。通行人も転んで怪我をした」
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「ちんたら歩いてっからだろ、面倒見きれっかっての」
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ナプキンを握り潰す。
「賠償金の心配してんの?」
ケチャップをなめる。
「スワロー!」
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反省会とは言うものの大真面目に反省してるのはピジョンだけで、スワローは悪びれず開き直っていた。
「コソ泥の指が宙舞うとこ見たろ、クソ笑えた」
「笑えない」
「ガキが持ってたアイスのてっぺんに刺さったのに」
「トラウマになる」
うんざりぼやいてドーナツに手を伸ばし、食欲が失せて皿に戻す。
「食わねえの?珍しい」
「お前のせいだろ」
すかさず掠めとり、フラフープさながら人さし指にひっかけ回す。ピジョンの顔に濃い疲労がよどむ。
「たまには兄さんの言うこと聞いてくれ」
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「楽勝だろ、ヤング・スワロー・バードは世界一のナイフ使いだもの」
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「だよな」
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「洗礼式のまね?」
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ネオン瞬くジュークボックスが奏でるのはオールデイズのナンバー。
ピジョンは知る由もないが、彼は生まれてこのかたずっとスワローの守護天使だった。
「食いしん坊の駄バトに金ぴかの輪っかはもったいねえ、非常食を兼ねるドーナツのがお似合いだ」
地上はどこもかしこも汚れすぎて、お前が天に帰っちまうんじゃないかって不安だった。
「返せ」
「やだね」
「まだ食うのかよ」
むくれるピジョンの前でドーナツをかじり、完璧な輪を欠く。
これでもうとべねえ。
ピジョンは天使をやめたから、俺と一緒に地べたを這いずり回るっきゃねえ。
「食べかけでよけりゃどうぞ」
ニヤニヤ笑ってスワローが突っ返したドーナツを即座に奪い、コーヒーに浸す。
それを口に運ぶ寸前にドアが開け放たれ、銃やナイフで武装した男たちがなだれこんできた。
「きゃーっ!」
ウェイトレスの悲鳴に重なる銃声に度肝を抜かれ、盛大にコーヒーを零す。
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鉛弾を撃ち込まれたジュークボックスが火花を散らし沈黙、リーダー格の大男がバーバラを羽交い絞めにして脅す。
「レジの金を渡せ、変なまねしたら人質をブチ殺す」
「ひっ……」
別のウェイトレスがレジを開いて紙幣を数える間、床に突っ伏した男たちは無力に震えるのみ。
ただ二人の例外を除いて。
「手配書で見た事ある、ダウンタウンのダイナーを荒らしまくってる強盗団だ」
「あーゆーのこそ出禁にしろってんだ」
「質問していいか」
「なんだよ」
「『アレ』が目当てで来たのか」
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「イケる?」
「ああ」
心は決まっていた。力強く頷くピジョンに背を向け、テーブル下から転がり出たスワローが、コーラの容器をぶん投げる。
「ぶふっ!?」
顔面に氷をぶちまけられたリーダーがたじろぐ隙を逃さず、仲間が乱射する銃弾の合間をくぐりぬけ、テーブルからテーブルへ、カウンターへと大胆に飛び移る。
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「クソガキがなめやがって!」
激高したリーダーが引き金を絞る寸前、スワローが鮮やかな宙返りで射線を開き、ピジョンが構えたライフルが火を噴く。
「ッが、」
ピジョンの狙撃は命中した。銃を弾かれ手首を痛めたリーダーに、スワローの回し蹴りが炸裂する。
もんどりうって吹っ飛んだリーダーが壁にぶち当たり、脳震盪を引き起こされた残り二人と共に床に伸びる。
バーズは一滴の血も流さず、ならず者を制圧した。
「リクエストにおこたえしたぜ」
軽く着地したスワローを、ライフルを下ろしたピジョンが誇らしげに見詰める。
「ほらな、やればできる」
「何咥えてんの」
「ドーナツ」
「床に落ちた?」
「まだイケる」
コートで拭いたドーナツをおいしそうにひとかじり、ライフルを収納する。バーバラはへなへなへたりこみ、強盗三人組はふんじばられ、バーズは大いに感謝された。
「バーズはダイナーの救世主、俺たちの命の恩人だ。なんか欲しいもんあるか?ミルクセーキ飲んでけよ、ベーコンパンケーキも付けるぜ」
「永久に無料にしろよ。トイレは貸し切りで」
「待てよスワロー、この人たちは商売してるんだ。お代わり自由のタダ飯食べ放題なんて常識的に考えて駄目だろ、潰す気か」
「お代わり自由とまでは言ってねえし、潰す気で食いまくる気満々のお前に引くわ」
「特別扱いは望んじゃない」
「正当な報酬だろ」
バーバラのキスマークにまみれたスワローの横槍を無視し、ピジョンが主導権を握る。
「どうかお気遣いなく、恩を売る為に助けたんじゃないんで。賞金稼ぎとして当たり前の事をしたまでです」
「それじゃ俺たちの気が済まねえ、礼をさせてくれ」
「どうしてもっていうなら、そうだな」
熱っぽい期待を込めた目が、ガラスケースに並んだドーナツに移る。嫌な予感。
「あそこにあるの全部詰めてください。胸焼けする位ドーナツ食べまくるのが、子供の頃からの夢だったんです」
その後しばらくバーズの食事は朝昼晩ぶっ通しでドーナツ三昧になり、ピジョンは余計な肉が付き、天国がまた少し遠のいたのである。
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