タンブルウィード

まさみ

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二十五話

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スワローは安全ピンで錠前を開けた。
何の変哲もない安全ピンがスワローの手にかかりゃ万能の鍵に化ける。見たところ倉庫の檻と地下室の檻は同じモノ、造りも一緒。なら真似してやれないこともねえ。
生憎安全ピンは持ってねえが、俺にはもっといいもんがある。
きっかけは蜘蛛だ。
天井から吊り下がる蜘蛛がヒントをくれた。
俺は半ミュータントだ。
おぼろげな記憶を遡る限り母親は普通の人間だから、孕ませて逃げた父親がその遺伝子を汲んでたんだろが、見た目じゃまずわからねえ。俺自身、自分がミュータントだって事実はあの時初めて知った。

『おねがい、殺さないで!!』

ウチに押し入った強盗が、あの人をレイプした時。
クローゼットに閉じ込められた俺は、あの人の泣き叫ぶ声に耳を塞いでぶるぶる震えてるっきゃなかったが、あんな惨めな思いは一度でたくさんだ。
たった一人の母親を見殺しにする弱さも、仮初の相棒を見捨てる狡さも、何もできない無力感にあぐらをかいて開き直る逃げも、金輪際願い下げだ。
罪悪感なんてくそくらえだ。
指先の特殊器官から放出した糸は、硬度と長さを自在に操れる。硬さは針金レベルまで、錠前をいじくりまわすにゃ十分だ。
思い出せ、手順を。
スワローがどうやったかを。
檻で寝転んで焼き付けた手の動きを反芻、反復、必死に真似る。
上、下、右、左、上。
俺の強みは極少単位の皮膚繊維で織り上げたこの糸だ、コイツは体の延長として高感度を備えている。
表面の皮膚が熱や痛みを感じるように、米粒に字を書く達人が実在するように、俺はコイツを使いこなす。
使いこなせるはずだ、絶対。
急く心を宥め、自信を奮い立て、糸の先端に全神経を集中する。
錠前の内部の些細な違和感、凹凸を頼りに仕組みを理解。
スワローの手順を思い浮かべ、正確に辿る。
今までこの力を無駄遣いしてきた。
破壊の衝動に駆られて路地で暴れるとか、人をひっかけて転ばすとか、くだらねーことにしか使ってこなかった。
その可能性を最大限に引き出す。
今まではやる前から無理と諦めていた、勝手に卑下していじけていた、その僅かな可能性を死に物狂いに信じ抜く。
予想通り、檻は至って単純な造りだ。犬を飼うなら問題ないが、人間を監禁するにゃ些か心許ない。
コヨーテ・ダドリーの誤算は、捕まえた人間を完全に犬扱いした慢心に尽きる。
大型犬用の檻に閉じ込め、鎖に繋ぎ、平皿で餌を与え、鞭で躾ける。
アイツに最低限の理性が残ってりゃ、もう少し知恵が回ったはずだ。せめてチェーンをかけるとか、守りに意識がいったはずだ。
周囲の檻全部の錠前に同時に糸をもぐりこませる。
スワローの悲痛な喘ぎ声もゲスどもの嘲笑も、今だけは全部意識の外側に追い出す。
ふと隣のドギーと目が合い、ヤツの瞳に驚きの表情を見る。
首尾よく檻を開け放ったところで、それからどうする?
コヨーテ・ダドリーの不快な仲間たちに一網打尽にされねーためにゃ、協力者が必要だ。
人さし指をくいと曲げて方向転換、呼び戻した糸が鉄格子の隙間に侵入、ドギーの膝をじりじり這い上る。
お前のチカラか?
ドギーが目で問い、俺は頷く。自分の手錠はとっくに解除してる。外す際に小さく音がしたが、撮影に夢中のゲスどもはまるで気付かねえ。
カチリと手ごたえがし、ドギーの手錠があっけなく外れる。
びっくりするドギーを強いまなざしで一瞥、犬の檻と視線を行き来させる。ドギ―の目に理解の光がともり、力強い首肯を返す。
犬以下の仕打ちを受けてもプライドは死んでねえ、ふてぶてしい面構えにゃ闘争心が滾っている。

準備は整った。
反撃の時だ。

コヨーテ・ダドリー一味にとって最大の誤算は、俺がミュータントの端くれだったことだ。

深呼吸で意を決し、十指から延長した糸の先端で、錠前の最奥の突起を跳ね上げる。
錠前が開く音は福音の如く心地よく響いた。
「なっ……!?」
檻の扉が一斉に開く。
即座に悪趣味な棒ギグを放り捨て、肺活量いっぱい息を吸い、鼓膜も破けろと絶叫する。
「自由だ、逃げろ!!」
ほぼ同時に棒ギグを吐き捨てたドギーが、目を血走らせて怒鳴る。
「テメェらをなぶりものにした外道に噛み付け!」
何が起きたかわからないといった虚ろな表情で、無気力に座り込む連中の顔が安堵に弛緩し、次いで猛烈な怒りに塗り潰される。
「ふざけんな、なんで勝手に開いた!?」
「ちゃんと施錠したのか馬鹿!」
「さっき見た時はちゃんと……畜生妙な手品使いやがって、誰がやりやがったとっとと出てこいいや出てくんな!?」
不意を衝かれ大混乱に陥る手下どもをよそに、必死の形相で捕虜が逃げ出す。
ヒステリックな奇声を上げ、野太い怒号をまきちらし、全裸半裸の男女が猛然と突っ込んでいく。
「くそっ、くそっ、イヌ扱いしやがって!!ブチ殺してやるよダドリー、てめえの汚ェケツに俺のをぶちこんでやる、精液たらふく飲んで腹下せ!」
「ドッグフードなんて飽き飽き、あんなまずいの二度とごめん!」
「本当に助かったのか、自由なのか、家族に会えるのか?」
「コヨーテダドリーショーの裏の顔暴露してやる!!」
俺の斜め右の檻にいた下着の女が、プラスチックの皿からドッグフードを貪ってた女が、犬に掘られて泣き喚いてた野郎が狂ったように叫びながら、あるいは素手で、あるいは壁に飾られた鞭で、鎖で、憎い男たちに襲いかかる。
得物を取り出す暇さえ与えない怒涛の攻勢に拍車をかけたのは、マッドドッグ・ドギーの爆音の如き咆哮。
「ウ゛ーーーーーーーウ゛ワンワンッ、ワンワワンッ!!」
口が自由になったドギーが放った咆哮が広範囲に波及、連鎖的な遠吠えが始まる。
一匹が飛び出し、二匹三匹目が続く。
場の熱狂と興奮しきった人間たちにあてられたのか、続々と駆け出した犬が合流して群れとなり、ドギーの吠え声に応じて散開。
檻からよろめきでた俺は、ドギーに有無を言わさず命令する。
「おいドギー、俺のケツ嗅げ」
「はァ!?そんなプレイあとでも」
「いいから!」
じれて急かせば反論する時間を惜しんだドギーが仕方なさそうに俺のケツを嗅ぐ。
異物は抜けても犬を興奮させるフェロモン物質を凝縮した匂いは残ってる。
「しっかり嗅いだか?その匂いと同じ薬の場所教えてくれ!」
ドギーが鼻を上向けて膨らませ、壁の棚の二段目を指さす。
「あそこの緑の瓶!!」
「了解!」
マッドドッグ・ドギーは犬に育てられた犬人間、その嗅覚は人間の何十倍、ことによると何百倍も発達してる。
俺のケツに刺さった毛束の匂いを覚えたドギーを信じ、勢いよく腕を振り抜く。
びゅいん。
長大な弧を描いて撓った糸が、狙い過たず棚の二段目、緑の瓶を弾きとばす。
「!よせ、」
ダドリーの眼が焦燥と驚愕に見開かれるが、かまうもんか。
宙で真っ逆さまになった瓶のふたが外れ、ダドリー一味の頭上に臭い液体が大量に降り注ぐ。
「なんだこりゃ冷てえ、服にシミが……」
「ひでえ匂いだ、鼻が曲がる」
「てめえらが噛み付くのは裸でにげまわってる連中だ、あっちいけしっしっ!」
地下室に拡散する異臭の発生源は、それを頭からひっかぶった男たち。
犬たちがぴんと耳を立て、かと思えば吠え声もやかましく、激しく踊り狂って男たちにとびかかる。
ダドリーは言った、この毛束にゃ犬に効く興奮剤がたっぷり染ませてあると。
俺は邪悪な笑みを広げ、宣告を下す。
「アナルバイブのお返しだ、とくと味わえよ」
地下室に絶叫が響き渡る。
「やめろワン公、てめぇらの相手はあっちだあっち、餌くれてやった恩忘れたのか!」
「助けっ、旦那、あんたの言うことなら聞くはずだ早くコイツら下がらせてっ、うわあああァああああああああ!」
全裸半裸の男女が子分をこぞって叩き伏せる傍らで、発情しきった犬が別の子分を押し倒し、ズボンを引き裂いて強姦にかかる。
ベルトで鞭打たれる俺を押さえこんでいた男が大型犬にのしかかられ、メス犬として犯される。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した地下室を見回し、檻の中でうずくまってたガキを助け出す。
鉄格子に巻き付いた鎖を苦労してほどき、泣きじゃくるソイツを抱き上げる。
「さっさと逃げんぞ」
「お兄ちゃんは……」
「生きてェの、死にてェの、どっち?」
疑問を封じて冷たく聞けば、ガキがびくりと硬直し、潤んだ目を見開いて力一杯頷く。
心の奥底で安堵が広がる。
必死に縋り付いてくるガキを抱え直し、駆け付けたドギーに渡す。
「落とすなよ」
「ちょ、待、何このガキ!?」
「マーダーズの届けもん。ダドリーのスナッフポルノの素材だ」
「連れて逃げんのかよ、足手まといだ」
「じゃあほっとけってのか!?」
ドギーの胸ぐらを掴んで怒鳴れば、苦悩の表情が苦い諦めへと移り変わり、降参の吐息がもれる。
「交換条件だ」
「はァ?」
ダドリーが俺にガキを押し付け、足早に檻へと向かっていく。そこに伏せっていたのは、胴体に丁寧に包帯を巻かれた犬。
「生きてやがったのか!?」
「瀕死だよ」
「スワローに刺されたろ」
「ちぃっとだけ急所がズレてた」
「お前が手当てを……」
「んなワケねーだろ、手錠噛まされてたのに」
「ダドリーが回収したのか……」
アイツの性格上、死にぞこなった犬なんてほっときそうなのに。
「なんでわざわざ地下に……」
ドギーが顎をしゃくった方角には、真新しい血に汚れた手術台が。
「あそこで傷を縫った。ダドリーが」
「安静にしてなきゃまずくねえか」
「どのみちこんなとこにいりゃ長生きできねえ。全員連れて逃げてえが、今はコイツだけで手一杯だ」
悔しそうに顔を歪めて吐き捨て、犬を背負って出てくる。一歩も引かない決意と気迫が、張り詰めた面構えに滲む。
「………好きにしろ」
結果、俺は折れた。
こっちだって無茶を言ってる自覚はあるし、あの犬にゃ既に情が移ってる。
「……ありがてえ」
ドギ―が感謝の色を浮かべ、おんぶした犬の鼻面に頬ずりする。
俺はガキを抱いたまま、スワローへ走り寄る。
「………す………」
「は?」
「ぜってえ、殺す」
「言ってる場合か」
鉄製の口輪を外し、拘束をほどく。
床に散らばった衣類をかき集め、服を着せる。なんとか見られるようになったところで、半ば強引に腕をとって立たせる。
「歩けるか?」
「…………ッ」
息が荒い。肌が熱い。目が虚ろだ。クスリの効果は切れてない。
膝裏から崩れ落ちてもたれかかってくるスワローを引き立て、嘆く。
「勘弁してくれよ……」
もう少し早く行動おこしてりゃコイツを救えたのか?
……が、結果的にあのタイミングしかなかった。
ダドリーと不快な仲間たちがスワローの撮影に現を抜かしてたからこそ、考えうるかぎり最短の時間で錠前を開けられた。
……馬鹿が。言い訳だ。
緩やかに首を振り、ガキを下におろす。
「自分で歩けるか?」
「うん」
小便くさいスワローに近寄り、その肩をしっかり支える。
「……さわんな……」
「やせ我慢すんな」
「まだイケる……まだやれる……ダドリーのクソをブチのめす」
「仕上げは狂犬どもにまかせとけ」
暴動の勢いはとどまるところを知らず、命乞いする子分どもに容赦なく鞭とチェーンが振り下ろされる。
朦朧として半ば意識のないスワローが、うざったそうに振り払おうとするのを器用に避けりゃ、転倒した男の懐からナイフが滑りり出て円を描く。
スワローのだ。
コイツが持ってたのか。
前後不覚の持ち主に代わり拾い上げナイフをしまい、混乱にまぎれ移動を開始。
「地上にでんの?敷地にゃ犬がいるし、そのナリじゃ這い上がる体力ねーだろ」
「得意の吠えまねでなんとかなんねーの」
「もう声嗄れちまったよ」
「役に立たねえな……」
「はァ?すげえ役に立ったろ、テメェのケツのフレグランスまで嗅がされたんだぞ」
舌打ちと共にぼやけばドギ―が小声で猛抗議、俺達のアホくさい掛け合いに当惑顔のガキ。
「下水」
「え?」
耳元をくすぐる吐息に振り向きゃ、スワローが億劫そうに薄目を開け、息も絶え絶えに告げる。
「……地下室が撮影現場なら、大量の血を洗い流す」
確かに。
あのスナッフポルノにゃ、でかい血だまりが映っていた。
「地図の通りなら下水に通じる排水溝がある」
「待てよ、地図って……俺が見せたアレか?」
「ああ。もともとの待ち合わせ場所の支道から一本、枝道が分かれてた」
コイツ、あの一瞬で、複雑に入り組んだ下水道の全容を記憶したのか?
半信半疑の俺に、スワローが弱々しく笑いかける。
「ガキの頃、廃坑で迷いかけて……それから地図のたぐいは頭に叩き込むようにしてんだ。換気を兼ねるならそこそこデケエはずだ」
「排水溝をさがしゃいいんだな?」
ドギ―が疑い深く念を押し、俺とガキはきょろきょろあたりを見回す。
「あ」
ガキが指さす方向を見る。
それは、実にわかりやすかった。
地下室の奥にコンクリ床が陥没し、ぐるりを幅広の溝が巡る円形の空間がある。
スナッフポルノに映ってた……哀れな男と女が絶命した、あの場所だ。
「コヨーテダドリーショー夜の部、アングラ闘技場か……」
「黴びた空気と排泄物の悪臭……間違いねえ、下水に繋がってる」
ダドリーが鼻を蠢かせ断言、勇んで先陣を切る。
続くガキがおっかなびっくり梯子を伝い下り、最後にスワローの体を支えた俺が降り立ち、目配せを交わす。
コンクリ床の縁をめぐり、正面の壁に穿たれた金網の奥に消える溝。サイズは大人が這い蹲って通れる程度。
「錆で腐食してる」
「鉄格子じゃなくてラッキーだな」
金網を張った枠を見詰めて軽口を叩き、ドギーやガキとすり合わせてタイミングを見計らい、いざ―
「「「そりゃ!!」」」
強烈なキックを打ち込む。
力任せに蹴り飛ばされた金網が枠ごと外れ、暗渠がぽっかり口を開けた。
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