138 / 295
A perfect day
しおりを挟む日中の悪運の法廷は市民の憩いの場だ。
ホットドッグにチュロスにアイスクリームなど、カラフルなパラソルを広げた露店には子供たちが賑やかしに集まり、きらめく噴水が七色の虹を架ける広場を、乳母車を押した主婦が通り過ぎていく。
―アンデッドエンド―
そんな物騒な名で呼ばれる都市において、エアポケットのような平穏が保たれる空間。
夜ともなれば刺激を求めてやまない恋人たちのデートスポット……もっといえば覗きが出没する乳繰り合いの聖地として華やぐが、朝と昼の中間の時間帯は、定番の散歩コースとして巡回する地元民と物見高い観光客が主たる利用者となっている。
広場の露店では鳩の餌も売られている。
本来鳩の主食はエンドウマメ、ムギ、アワ、ヒエ、麻の実、パンプキンシード、ヒマワリの種、トウモロコシなどの穀類だが、市街地に生息する鳩はスナック菓子のかけらやパンくずを食べる。
ゴミを漁るカラスほど悪食ではないが、食欲ではいい勝負だ。
「ほーら、ご飯だぞー」
噴水の縁石に腰かけ、屈託なく鳩に餌をやっているのはモッズコートの青年。
癖のないピンクゴールドの髪の下、柔和な風貌にはおっとりした笑みが浮かんでいる。
青年が餌を撒くと一斉に鳩が降り立ち、首を振って啄みだす。
愛くるしさに目尻を和ませ、膝の上の箱に手を突っこむ。
「喧嘩しちゃだめだぞ、ちゃんとやるからいい子で待ってろ」
身体の大きい鳩が小さい鳩を邪魔すると、急に怖い顔になる。
「こら、弟をいじめるな」
群れの中にはどうしても鈍くさいのがいる。俗にいう足手まとい、役立たず、お荷物だ。そういう貧乏くじ引きがちな奴はなにかというと仲間にいじめられ、一際みすぼらしく毛羽立っているからすぐわかる。
今しもピジョンの目の前を、仲間に押しのけられ突付かれて、斑に禿げた鳩が横切っていく。
その前に餌を投げれば、すかさずひと回り小さいのがかっさらっていく。
翼の模様が似ている……兄弟だろうか?ピジョンは呆れ顔だ。
「お前ね……兄さんにちょっとは遠慮しろ」
先程とは正反対のことを言い、ポツンと取り残された一羽を優しく招く。
ピジョンはどの鳩にも分け隔てなく愛情を注ぐ。
食いっぱぐれて途方に暮れる鳩がいれば、その前に狙い定めて餌を投げてやり、すばしっこいのに追い抜かれてよたよた歩くノロマには、手から直接餌を与えてやる。
「痛てッ!?」
手のひらを突付かれ顔を顰める。
こりずに餌をかすめとっていく後ろ姿に、横暴な実弟を重ねてぼやく。
「俺は食べてもおいしくないぞ……」
そんな情けない青年のもとへ、人工甘味料のようなショッキングピンクの髪をツインテールに結った少女が駆けてくる。
「ピジョンちゃん……?」
間延びした声に顔を上げる。
正面に立っていたのは他でもない、ピジョンの知り合いの風俗嬢……
ミルクタンクヘヴンで働くスイートだ。
「やっぱりピジョンちゃんだー!久しぶり、元気してたあ?最近お店にきてくれなくて寂しかったよー」
後ろ手組んでぴょこんとピジョンを覗き込み、天真爛漫な笑顔を咲かせる。
スイートには軽度の知的障害がある。
身体こそ成熟してるが精神年齢はまだ幼く、仕草のいちいちが無防備で心臓に悪い。今も膝に手を付き前屈みになってるせいで、胸刳りの深いキャミソールから豊満な谷間が丸見えだ。
ガン見したい本能と理性のせめぎあいで、ピジョンの頬に自然と血の気が上る。
「スイートじゃないか、びっくりした。今日はどうしたんだい、お店休み?」
「そーそ、オフ日だよー。天気もいいしお買い物にきたの!そしたら鳩さんがいっぱいいてね、あの人ピジョンちゃんに似てるなーって……寄り道しちゃった。ピジョンちゃん、相変わらず鳩さんに大人気だね!」
「相変わらずって……」
「鳩さんだけじゃない、犬さんも猫さんも他の動物さんも!お店に来る途中に箱に入った猫さん拾ってきたことあったでしょ?」
「あの時は助かったよ、店の女の子たちがもらってくれて。引き取り手が見付からなかったらどうしようかって……スワローは絶対飼うの嫌がるし大家さんも許してくれない、今だって可愛いキャサリンを鶏質にとられてるんだ」
「ピジョンちゃん優しいのわかってるから動物さんたちが寄ってくるんだね」
「餌係と思われてるだけさ」
スイートはにこにこ笑いながらピジョンの隣に腰かける。
ミルクタンクヘヴンは人気店であり、スイートは押しも押されぬ売れっ子だ。
駆け出し賞金稼ぎの収入で週通いは厳しく、最近はとんとご無沙汰だった。
スワローはどうだか知らないが、ピジョンにとってスイートは辛い時には弱音をもらし、楽しい時はともに喜び合える大事な友人であり、とてもじゃないが性欲の捌け口として見れない。そういう対象として見るのは、客をこえた友人として接してくれる心優しい彼女への最大の裏切りである。
と、頭ではわかっているのだが……
「……その、随分おしゃれしてるんだね」
マイクロミニから突き出たすべらかな足の付け根が強烈な磁場となり、勝手に緯線を吸い寄せる。
スイートを異性として意識してる訳じゃない……と思いたいが、ピジョンも男である以上どうしたって本能には抗いがたい。
ピジョンの葛藤を知ってか知らずか、スカートの裾をちょっぴり摘まみ、スイートがご機嫌に自慢する。
「えへへ、わかるー?コレよそいきなんだあ。こないだ買ったキャミにカーディガン、スカートとサンダルでおしゃれしちゃった!」
「店で会う時と印象変わるね。なんていうか……」
「普通の女の子みたいだね」と続けかけ、慌てて飲み込む。
ミルクタンクヘヴンで会う時はコケティッシュな下着姿が主だが、やたらもこもこしたケーブルニットのカーディガンをすっぽり羽織り、その下にネックレースのキャミソールを着、マイクロミニのプリーツスカートを穿いたスイートは、いとけない愛くるしさを前面に押し出した美少女だ。
「サシャちゃんがコーデしてくれたんだあ」
「へえ。センスいいな」
防御力が高いのか低いのかわからない私服だが、似合っているのは間違いない。
明るい日の光の下で見るスイートは店よりずっと健康的で溌剌としている。
ストロベリーソーダ色に澄んだ瞳に、どぎまぎするピジョンが映る。
「ピジョンちゃんはいま暇?」
「暇……といえば暇かな。うん暇だね、鳩に餌やってるだけだし。最近の日課なんだ、心の洗濯っていうか……屋上で餌あげると糞で汚れるって大家さんがうるさくてさ。鳩っていいよね、眺めてると癒されない?餌をばらまくと一斉に寄ってくる姿が……コイツら餌付けしてると勘違いした全能感に酔えるから……」
「ピジョンちゃん?」
「公園や広場でよく見かけるだろ、鳩に餌やってる人。アレは動物愛護の精神ばかりが動機じゃない、ままならない現実をいっとき離れて全能感に酔いしれたいからやってるんだ。コイツらには俺がいなきゃだめだ、俺が餌をくれてやらなきゃ全滅するんだって腹の中で愉悦する時だけ人生の勝者になれる哀しい大人、どうしようもない惨めさを束の間忘れたいから施してる優越感の奴隷さ。実際のトコ都会の鳩はカラスに次いで逞しいからわざわざ餌をくれてやらなくても道端のパンくずを拾い食いして生き延びるんだけどね、所詮は誰かや何かに必要とされたい底辺の負け犬のエゴだよ。鳩が人間に依存してるってのは錯覚で、人間が鳩に依存してるのさ」
「ピジョンちゃんてばどうしたの、なんか怖いよ。またスワローちゃんにいじめられたの?」
焦点の合わない目に薄笑いでブツブツ呟くピジョンに怯え、スイートが袖を引く。
我に返ったピジョンは軽くかぶりを振り、ストレスが限界突破して暗黒面に堕ちた言動を恥じる。
「ごめん……アイツと喧嘩して塞いでて」
鳩に餌をあげれば気持ちが晴れると思ったんだけど、と小声で付け加える。正直な話、スワローと喧嘩のたび広場にきては鳩に餌をやって癒されているのだ。
スイートが瞬きする。
「喧嘩の理由は?」
「朝起きたらアイツの部屋から全裸の女の子が出てきて3Pに誘われた」
「それだけ?」
「帰りの足代ないっていうから、ポケットに入ってたの全部渡した」
「肩代わりは何回目ー?」
「よく覚えてない……十回目かな」
両手の指を折り曲げて足りずに脱力、がっくりとうなだれる。長い付き合いのスイートはピジョンの性格をよくわかってる。
ピジョンの頭をよしよしとなで、スイートが慰める。
「可哀想ピジョンちゃん……」
「スワローは全ッ然反省の色ないし……挙句開き直って3P位減るもんじゃなしいいじゃんかって言いだす始末。それどころか朝飯の支度はまだかって催促されて、堪忍袋の緒が切れてとびだしてきたんだ。今日の当番自分だって忘れてんのかよ、どーせ押し付ける気なんだ。いい気味だ、腹ペコで二度寝しろ」
「ピジョンちゃんが手に持ってるのって」
「シリアルの箱」
ピジョンが鳩に投げ与えていたのは露店で販売されている餌ではない、何故か部屋から持参したシリアルだ。
砂糖でコーティングした薄片をポリポリ齧りながら鳩と分け合い、ピジョンが呟く。
「アイツは超の付く横着者だからシリアルにミルク入れる位しかできないんだ。なのにシリアルがなかったら?朝飯ぬきだ、ざまーみろ」
「地味~な復讐だね」
一切悪意がない故に残酷な指摘が突き刺さる。
正直、なんでコイツを持ってきたのかピジョンもよくわからない。他にもっと持ってくるべきモノはあったろうに、一番手近にあったシリアルの箱を咄嗟に掴んでしまった。
「部屋に女の子連れ込むのはよくないけどいいとして、俺の留守中だけにしろって口酸っぱくして言ったのに……洗面所に顔洗いに行って、自分のカップでうがいしてる全裸の子とでくわす気持ち考えてほしい」
スイートには伏せたが、その時ピジョンは朝勃ちしていた。
というのも自分が寝てる間に弟が女を連れ込みよろしくやってたせいで、壁越しに一晩中響く喘ぎ声やベッドの軋み音が破廉恥な夢と生理現象に直結したに違いなく、おまけにスワローのワンナイトラブの相手ときたらそろいもそろってセックスに積極的で、今朝などピジョンを洗面所に押し倒し跨ってこようとしたのだ。
『スワローと似てないのね』
大きなお世話だ。
俺がアイツに似てないんじゃない、アイツが俺に似てないんだ。
もう少しで逆レイプされるところだったむしゃくしゃを寝起きの弟にぶちまけたところで相手にされず、『減るもんじゃなしいいじゃん』と逆に茶化され、怒り狂ったピジョンはシリアルの箱をひったくって駆け出し、『ねー車呼んでー。私の部屋遠いんだよね』とぼやく女の子にわざわざ取って返して服一式と小銭を渡し、『返さなくていいから。あと、コイツは君のこと遊びとしか思ってないから。帰りの足代ないって喚く女の子を下着姿でアパートの廊下に蹴り出すようなクズだから』とご丁寧に前科をチクり、今度こそ本当に部屋を飛び出したのだった。
その間スワローはキッチンに立ち、パンツ一丁でパック入り牛乳をがぶ飲みしていた。
まこと清々しい朝の情景。
控えめに言って反吐が出る。
願わくばあの子が俺の忠告を真面目に聞き入れてくれますように……これ以上弟のせいで不幸になる女性は見たくない。
「真面目にやってもちっとも報われなくて虚しくなる……」
このまま一生スワローの尻拭いで終わるのか。
それが俺の人生なのか。
鳩の群れがくるっぽーと鳴いてピジョンのスニーカーを突付き、おかわりを要求する。
挙句に傾いて零れたシリアルをさらっていく始末。
スイートは心配げにピジョンを見詰めていたが、頭を抱えてどんよりする彼の手をやにわに包み、殊更明るく宣言する。
「遊ぼ、ピジョンちゃん」
「え?」
「このあと予定ないんでしょ?だったらぱーっと遊んでやなこと忘れちゃお、ね?」
握り締められた手から伝わるぬくもりに胸が高鳴る。
間近で見るスイートは睫毛が長く、ストロベリーソーダの瞳には純粋な好意と好奇心が発露する。
「いや、でも……」
「ピジョンちゃんはスイートと一緒いや?」
顔を赤らめて躊躇するピジョンにずずいと詰めより、今にもべそかきそうに円らな瞳を潤ませる。
「いやじゃないけど……その、俺と二人でいるとこ知り合いに見られたら困るんじゃないか?お店の人とか常連さんとか」
万一彼氏と誤解されたら、スイートに迷惑だ。
卑下するピジョンの内心などいざ知らず、スイートは不思議そうに瞬く。
「なんで?お休みの日に友達と遊ぶの、なんにもおかしくないでしょ」
「サシャは?」
「お仕事だよー」
「そっか……」
まだ迷うそぶりを見せるピジョンの方へ、尻をずらして間合いを詰め、スイートがこっそり耳打ち。
シャンプーだろうか、うなじから漂うあまい香りにドキリとする。
「スイートね、実は一人でおでかけするの初めてなんだあ。サシャちゃんは付いてこようかって言ってくれたけど忙しいのに邪魔しちゃダメでしょ、スイートだってもうおねーさんだもん、お買い物ぐらい一人でできるってとこ見せなきゃ……でもね、ホントゆーとピジョンちゃんが来てくれたらすっごい頼もしいな。ピジョンちゃん、このあたりに住んでるんでしょ?街のことよく知ってるよね。道案内とかお願いできたら嬉しいな、なぁんて……」
さすがに図々しいと恥じたのか、語尾がもにょもにょ萎んでいく。
スイートはいい子だ。
今だってピジョンの憂さ晴らしをけなげにも手伝おうとしてくれている。
一呼吸おいて顔を上げた時、心は既に決まっていた。
「俺なんかでよければ喜んで。荷物持ちでもなんでもするよ」
「やったー!」
スイートが立ち上がり、万歳のポーズで跳ねまわる。ピジョンが咄嗟に腰を浮かし、ジャンプのたびスカートが捲れ、パンツがチラ見えするのを手で隠す。
そしてデートがはじまった。
広場から徒歩五分ほどの繁華街に移動し、目の保養に植えられた街路樹の緑と、マーブル模様の化粧煉瓦のコントラストが美しい往来をそぞろ歩く。周囲には家族連れや恋人同士の姿が多く、ピエロメイクの大道芸人が滑稽に踊らすパペットに子供が群がり、アコーディアン弾きとハーモニカ吹きの即興演奏に人だかりができている。
祝祭のハーモニーが流れる雑踏をスイートと並んでそぞろ歩く。
「まずはどこ行くの」
「んーと……スイートね、新しい下着を買いに来たんだ」
「下着……え」
ピジョンが絶句。
「ここだよピジョンちゃん」
「ちょっと待って、俺は表で待ってるからひとりで」
ピンクと白が基調の瀟洒な外観のランジェリーショップに、ピジョンの腕をとって駆けこむスイート。
「ちょっ待ったんま、ランジェリーショップはハードル高いから絶対場違いだから無難に不審者扱いだから!?」
「ピジョンちゃん、お店の中じゃしーだよ?」
ピジョンも一応男だ。
本気で抗えば振りほどけなくもないが、女子供に甘い性格が否を唱える。
スイートが唇の前に人さし指を立て、ピジョンは片手で顔を覆い、棚という棚に下着が犇めく別世界の光景を遮る。
「いらっしゃいませ、何をおさがしですか」
「えーとね、スイートにぴったりのパンツとブラください!色はピンク系でカワイイのがいいなあ」
「でしたらこちらへ」
完璧な接客スマイルの店員にさらに奥へ案内される。
いまさら回れ右はできない。
完全に逃げ遅れたピジョンはできるだけ小さくなってスイートに従うが、周囲の客の目が痛い。気のせいだろうか、くすくす笑いまで聞こえる。
どうやらこの店は男性同伴OKらしい。
というか、カップルとおぼしき男女が結構いる。
「このパンティー透け透けでエロいな、ほぼ紐じゃん」
「真っ赤なボンテージとか趣味悪っ、誰が買うの」
「俺はアリだけどな、プレイがはかどるじゃん。視覚的な刺激も必要だって」
「やだーエッチ」
いずれの男も見るに堪えないニヤケ面で性癖に走った下着を薦め、女を恥ずかしがらせている。
……ひょっとして、俺たちも同類に見られてるのか。
下心まるだしで彼女の下着を見立てるバカップルに?
やたらスタイルのいいマネキンの群れが様々な色柄の新作を纏ってポーズをとる中、挙動不審に立ち尽くすピジョンのもとへ、手に持ったパンツをびよーんと引き伸ばしスイートが駆け寄る。
「ねーピジョンちゃん、これなんかどうかなあ」
「えっと……いいんじゃないか」
「じゃーこれは?」
「かわいいよすごく」
「赤とピンクと水色と縞々、どれがいいかなー」
「聞かれても困る……」
スイートがぷくーとふくれる。
「ピジョンちゃん、ちゃんとアドバイスして!ランジェリー選びは男の人の意見が大事だってサシャちゃん言ってた!」
なんてこと言うんだサシャ!
この場にいない風俗嬢を呪い、そーっと薄目を開けて思わず吹き出す。
「ピジョンちゃんはどれがいい?こっちはすけすけでー、こっちはひらひらでー、こっちはふりふり」
スイートがにこやかに色違いのベビードールを突き付けてくる。
女性の下着に詳しくないピジョンに材質の違いなどわかるはずなく、唯一わかるのはどれもベビーフェイスのスイートには些か刺激が強すぎるデザインということだけだ。
服の上からとっかえひっかえあてがって悩むスイートに対し、苦渋の決断で最も地味で無難なのを指し示すピジョン。
「いちばん布面積が多くて露出が少ないので頼む。言い換えればそうだな……防御力が高い。腹が冷えない。女の子はお腹冷やしちゃいけない」
「目え瞑ってちゃわかんないでしょ」
むーとむくれたスイートがすぐまた笑顔になって棚に飛び付く。
「見て見てこの下着、ブラの真ん中にねこさんのかたちの穴が開いてる!猫ランジェリーだって、パンツにちょこんと尖ったお耳も生えてるすごーい!」
「スイートならなんでも似合うから早く決めてくれ」
「実際着てみないとフィット感がー……」
最高にエロかわいい猫ランジェリー姿のスイートが、猫手でセクシーポーズをとる絵ヅラを妄想してしまい、自己嫌悪で死にたくなる。
せっかちに口走るピジョンとは対照的に、終始マイペースなスイートは下着を持ってうきうき試着室へ消えていく。
待てよ試着?
カーテンの向こうから陽気な鼻歌が聞こえ、ピジョンは凍り付く。続く悩ましい衣擦れの音……
「待ってスイート、さすがにそれは!」
スイートの下着姿なんて店でさんざん見慣れている、いまさら慌てることでもない。いやいやそれとこれとは違うだろピジョン今日はオフでスイートは年頃の女の子で店内にはちらほら男性客もいる、俺が止めなきゃだれがやる!?
土壇場で凄まじい責任感を発揮、まっしぐらに試着室へ向かったピジョンの眼前で勢いよくカーテンが開き、セクシーランジェリーを身に付けたスイートが登場する。
ただし服の上から。
「どうかなピジョンちゃん、イケてる?」
楽しそうにターンする姿に思考が停止、急制動をかけた拍子に勢い余ってマネキンに蹴っ躓き、すっぽ抜けたブラジャーで目隠しされたピジョンがドミノ倒しを引き起こす。
「…………すごくイケてる。最高」
スタッフにこってりしぼられたのは言うまでもない。
ランジェリーショップの店員に平謝りした後、二人は次々と店をはしごする。
「帽子屋さんだー。試着してみる?」
「うーん、俺はいい……ってスイート?」
「こんにちはーウインドウに飾ってあった鍔広の帽子かぶらせてください。ほらじっとしてピジョンちゃん、しゃんと立って」
背伸びして角度を調整するスイートに合わせ、中腰の姿勢で屈むピジョン。
帽子を被って顎を引き、スイートと対峙する。
「どうかな」
「すごく似合うよ!ピジョンちゃんの髪の毛キレイな金色だからグレーとかダーク系が映えるんだよね」
スイートは洋服を買いに行く。
「このワンピースかわいい……こっちのブラウスも素敵……たくさんあって迷っちゃうよー」
嬉しい悲鳴を上げるスイート。
「ね、ね、どっちがいい?」
白地にいちごをプリントしたノースリーブワンピースと、クラシカルロリータ風味のブラウスを両手に持って振り返り、文句も言わず待ってるピジョンに意見を仰ぐ。
「両方っていうのは」
「お金ないもん」
「じゃあ……そうだな」
スイートと向き合い真剣に吟味、右手にぶらさげたブラウスをとって首元へ近付ける。
二の腕をさりげなくカバーするオーガンジーのパフスリーブはエアリーなシルエットが愛らしく、裾にあしらわれた淡い小花模様がアクセントになっている。
「こっち」
「理由聞いてもいい?」
「スイートの髪は明るいピンクだろ。強い色を選ぶと良さを消しあっちゃうから、できるだけナチュラルな方がいいと思ったんだ。色柄も抑えたほうがいい。裾の刺繍がワンポイントで目を引くし、これならどんなボトムスにも合わせられるんじゃないかな。部屋着にもできる」
馬鹿丁寧な説明に少しだけ照れて締めくくる。
「……一番の理由は俺の好み」
付け加えるなら、健康の為に肌の露出を控えてほしい。
スイートの二の腕を見てると細すぎて不安になる。
「だよね!」
その後もあちこち連れ回される。
スイートは好奇心旺盛でよそ見が多く、迷子にならないようにいちいち手を引いて軌道修正しなければいけないのは大変だが、大道芸人が操るパペットを最前列にしゃがんで鑑賞し(パンツが見えないように前に紙袋を置いて)興奮に頬を染め誰より大きく拍手を送り(もちろんピジョンも手を叩いた)パントマイムに腹を抱えて笑い転げ(笑いすぎてよろければ支え)アコーディオンとハーモニカが織りなすハーモニーにうっとり聞き惚れて主旋律を口ずさむ(スイートにせがまれピジョンも唄った)そんな姿を近くで見守るのは幸福感に満ちた体験だった。
最後に二人が向かったのはカジュアルな雑貨屋。
「わ、このピンキーリングかーわいいー。キラキラしてきれー」
頭上に五指をかざしてうっとりするスイート。
袋を片手に下げたピジョンは、無邪気にはしゃぐスイートの様子を微笑ましげに眺めていたが、ポケットを裏返してがっくりする。
せっかく女の子と遊びにきたのに、指輪一個買ってやれないなんて……
「見栄張るんじゃなかったな……」
大体なんで俺がアイツの女の足代もたなきゃいけないんだ、納得いかない。
「どうしたのピジョンちゃん?」
「なんでもない。その指輪欲しいの?」
「うん、とってもキレイな色だもん。スイートね、こーゆーの集めるの好きなんだ。指輪でしょ、ブレスレットでしょ、ブローチでしょ……蝶々さんにお花さん、うさぎさんにねこさんにとりさん、色々あるよ。スイートが好きって知ってるからお客さんも時々くれるの。でもね、みんなキレイだから付けるのもったいなくて宝箱にしまっとくの」
「この子も仲間入り」と囁いて、細い小指に輝くリングをなでる。
「あ、レジに持ってく前にはめちゃダメだね、泥棒さんだ」
無理矢理引っこ抜こうとするスイート。
「えいっ!」
「いたっ!?」
気合と共にすっぽ抜けたリングがピジョンの額に跳ね返る。
「ご、ごめんねピジョンちゃん。スイートってばうっかり……」
「気にしないで」
すかさず屈んで転々とするピンキーリングを拾い上げる。
口元へ掲げて息を吹きかけ、モッズコートの裾で丁寧に拭い、当たり前のように摘まんでかざす。
「落とし物だよ、お姫様」
ちょっと格好付けすぎかなと思ったが、一度出た言葉は取り消せない。
スイートが目をまんまるくし、おずおずと指を伸ばす。
その手に手を添えて固定し、限りなく優しい仕草で指の先からゆっくりリングを通していく。
「このまま会計したいって頼んでくる」
せめてそれくらいはさせてほしい。
レジへと身を翻すピジョンの視線が、横手の棚に陳列された木彫りのマグネットに吸い寄せられる。
正確にはそこに彫られた、オリーブの小枝を咥えた鳩に。
「おじさんアイスちょーだい!スイートはトリプル、ストロベリーとバニラとチョコうーんとおまけして!」
「はいよ」
「俺はオレンジで」
「ピジョンちゃんにもうーんとおまけして!」
「普通の量で大丈夫です」
買い物を終えた二人は出発点の広場に戻り、アイスクリームを食べていた。
スイートは欲張り三段重ね、ピジョンはお預け……というのはあんまり不憫なので、スイートがおごってくれた。
本人が遠慮したのでシンプルに一段だが、よく冷えたアイスは最高に美味しい。
燦然と虹の弧を描く噴水の縁石に腰かけ、アイスクリームに舌鼓を打ちながらスイートが叫ぶ。
「ピジョンちゃんが一緒ですーっごく楽しかった!迷子にもならなかったし」
「俺の方こそ、いい気分転換になったよ」
ランジェリーショップに引っ張ってかれた時はあせったけど、と心の中で付け加える。
スイートは足をぱたぱたさせながらアイスをなめていたが、同じくアイスをなめるピジョンの横顔を意味深に盗み見て、唐突に質問を投げる。
「……スワローちゃんのこと、まだぷんすこ?」
反応が一瞬遅れる。
ピジョンはアイスから顔を離し、それを膝に抱いて呟く。
「……怒ってはない。けど呆れてる」
「スワローちゃんに?」
「と、自分に」
「ピジョンちゃんは悪くなくない?」
「そうでもない。もっと冷静に話し合うべきだった」
俺の方が兄さんなんだから。
母さんに任されたんだから。
心の中でそうくり返し、コーンの部分を少しちぎって鳩に投げてやる。
正直にいうと、ピジョンはほんの少し嫉妬したのだ。
「俺の家なんだから堂々としてればよかった。勝手に気まずくなって逃げ出す必要なかったんだ」
「仲直りしたい?」
「……できれば」
ごめんなんて口が裂けても言いたくない。
俺は悪くない。
詫びるならアイツの方だ。
でも、それでも。
俺がスイートと笑い合ってる間アイツは何してるのか、ちゃんと朝飯食べたのか、そんなどうでもいいことがどうしてもチラ付いて楽しい気分に水をさす。
手の間からぽたぽたと溶けたアイスが滴り落ちる。
「ピジョンちゃん、溶けてるよ」
「あっ」
スイートに教えられ、大急ぎでアイスを啜る。
スイートはそんなピジョンを和んだ眼差しで包んでいたが、膝においたハンドバックを探り、綺麗にラッピングされたマグネットをとりだす。
「あげる」
ピジョンが困惑する。
「スイートに付き合ってくれたお礼。雑貨屋さんでずうっと見てたでしょ、木彫りのマグネット」
スイートはちゃんと見ていた。
レジへ急ぐ足を止めたピジョンが、傍らの棚に陳列されたマグネットに目をとめたところも。
「あのね、スイートね、ピジョンちゃんは悪くないって思うよ。スワローちゃんがわがままなんだよ。おうちに知らない女のひと上げるのもよくない。ピジョンちゃんが怒るのは当然だよ、なんならピジョンちゃんの代わりにお尻ぺんぺんしたげる。でも、でもね。ピジョンちゃん、ホントは今だってスワローちゃんのことひっかかってるんでしょ?おいてきちゃったスワローちゃんのこと、心配でたまらないんでしょ」
たくさんのマグネットの中から鳩と燕を選び出し、くちばし同士がキスするように配置し直すところも。
スイートがちょっぴり寂しそうに微笑む。
「ピジョンちゃんの中、スワローちゃんでいっぱいだね」
たった今渡されたマグネットを力強く握り締め、ピジョンが決然と立ち上がる。
わかってくれる人がいる。
それだけで十分だ。
情けなく歪んだ顔を深呼吸で引き締めて、残りのコーンを一口でたいらげるや、言葉少なく告げる。
「俺、帰る。スワローにちゃんとお説教してやらないと」
「うん。またね」
「近いうちに店に寄るよ。サシャにもよろしく」
「絶対来てね。待ってるからね」
ピジョンがモッズコートを翻し立ち去ったあと、スイートはうーんと伸びをし、ビーズのピンキーリングを太陽の光に透かす。
「えへへ……」
結んで開いてをくり返し悦に入り、左手の小指の根元にごく控えめなキスをおとす。
これまで多くの男たちが、スイートの歓心を得ようと高価なプレゼントをしてきた。
されどスイート自ら選んだ安物の指輪をわざわざ吐息で磨き立て、お姫様にするみたいに指に嵌めてくれたのは、あの人が初めてだった。
0
お気に入りに追加
155
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる