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ビビアン・リーの肖像
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「はあ……」
磨き抜かれた三面鏡にメランコリィな顔が映る。
ベビーピンクの枠組みに薔薇を彫刻した、ロココなドレッサーはアタシのお気に入り。若い頃働いてたお店の楽屋にあったのを、退職祝いにぶんどってきた戦利品。
当時のアタシは売れっ娘だったから、そんな無茶も余裕で通ったわ。オンナは愛のままにわがままにに生きてなんぼ、これアタシの座右の銘、テストにでるからお忘れなく。
老いを隠せないスッピンと向き合い、しみじみとため息を吐く。
鏡に映し出されているのは、ビターチョコレートの肌に紫のベビードールを纏うオンナ。天然パーマの縮れ毛を爆発したようなアフロにし、ところどころ銀のメッシュを入れている。
瞼が腫れぼったいのは夜更かしのせいかしら。不規則な生活は美容の大敵だってわかってるけど、深夜の通販番組にハマっちゃって……解説役のタレントがハンサムなのよね。
生まれ持った美貌と華やかなパフォーマンスで脚光を浴びたアタシも、今じゃ立派なアラフィフ熟女。目尻の皺が憎らしい。ほうれい線を抹殺したい。
「馬鹿ねビビアン、しっかりなさい。アナタはまだまだ女ざかりでイケるはずよ。目尻の皺がなによ、笑い皺はしあわせを呼ぶってママが言ってたでしょ」
頬を叩いて喝を入れ直す。
でっかい独り言が癖になってるのは人恋しいから?ちなみにママはママでもお店のほうのママよ、ホントのママには勘当されたわ。
カーラーで丁寧に睫毛を巻き上げ、瞼のふくらみからまなじりに沿って、紫のアイシャドウを施す。銀のラメが入っていてとっても綺麗。
それからパフをとり、親の仇とばかりファンデーションを厚塗り。
まだまだ現役だって胸を張りたいけど、さすがに加齢による肌の衰えは隠せない。ちょっとお化粧するだけでころりと男をだませた二十代の頃とはわけがちがう、化粧水の伸びが悪いもの。
ドレッサーの前に座って身支度を整えるこの時間が、アタシは好き。誰にも邪魔されない完全なプライベートのひととき。
スッピンを見ると憂鬱になるけど、自分がキレイになってくのに心が浮き立たないオンナがいる?
ふんふん鼻歌を口ずさみ、リズミカルにパフをはたく。
「チークは濃いめに……口紅はどれにしようかしら。ピーチピンクはちょっとお下品?若い子向きよね、ビッチ入ってるし……春の新色、オータムグローリーもミステリアスで捨てがたい。シャネルのブロンズレッドは上品でアタシ好み……ああ、迷っちゃう!こんな時ぴったりの口紅を選んでくれる目利き彼氏がいたらいいのに、なんて。嘘嘘、フリーのほうが気楽だもの。ステディな殿方は随時募集中だけど」
ドレッサーにずらり並んだ口紅を一本一本手にとってひねくり回し、試しに塗ってはティッシュで拭い、付け直すのをくりかえす。オンナのメイクは時間がかかるの。
あれじゃないこれじゃない熟考と実践を重ねて悩んだ末、ボルドーの口紅をとってキャップを外す。
「芳醇な葡萄酒をおもわす濃い紫……コケットリーがミンクのコートを着て歩いてるアタシにぴったりじゃない?」
唇を窄めて馴染ませ、仕上がりに満足する。
よし、完璧。
化粧はオンナの武装、うんと気合入れないとね。
すべすべと肌触り抜群なシルクのベビードールの上から、銀狐の毛皮で縁取ったゴージャスなガウンに袖を通す。
ストッキングに脚を通し、光沢ある真っ赤なハイヒールを履いて、ドレッサーに向き直る。
そこにはとても五十近いとは思えない、魅惑的な美魔女が映っていた。
「うーん、惚れ惚れ。やっぱりアナタサイコーよビビアン、世界一イイ女。なんていうの?オーラがあるわ、天性のスタアの素質よ。ビビアン姐さんの華のかんばせを前にしたらクレオパトラの鼻もしおれて楊貴妃がヨロレイヒ唄いだすわ」
部屋着でも女を捨てないのがビビアンスタイル。
扇情的に腰をくねらすキャットウォ―クで行ったり来たりをくりかえし、鏡の前で華麗にターン。
堂に入ったモデル歩きは、昔取った杵柄。ボディラインには自信がある。
ガウンの裾が優雅に翻ると同時、睫毛の音がしそうなウィンクをばちこんかます。
続いて投げキッス、人さし指を立て見返りざまバキュンと狙い撃ち。
「きゃー、ビビアン姐さん素敵!抱いて抱かれてちょうだい!」
次々とポーズを替え、魅せる姿態を演じる。
なんだかノッてきちゃった、観客がいないのが残念。全盛期なら拍手喝采アンコール、おひねりどっさりもらえたのに……しょうがないからファンの女の子になりきって、セルフの合いの手を入れる。
そうよ、嘗てアンデッドエンドを一世風靡した夜の女帝、ビビアン・リー
とはなにを隠そうアタシのこと。
波乱万丈な半生を駆け抜けて、今はしがないアパートの大家だけれど……
「コケコーッ!」
「いけない、うっかりしてた!」
抗議の一声に慌てて駆け戻る。
ホントならクローゼットの中身をとっかえひっかえ、一人ファッションショーに移りたいトコだけど、呼び出されちゃそうもいかない。
ファンシーなどピンクの檻の中、極悪な三白眼の牝鶏が翼を膨らませ、空腹を訴えている。
「ごめんごめん、怒らないでシュガー・ルゥ。ほんのちょっとエサの時間に遅れただけじゃない、ね、機嫌なおして?今日は特別にサービスしちゃう、ブラッシングも付けたげる」
ケージの扉を開けて汚れた水を取り替え、キャベツの葉っぱを皿に盛れば、シュガー・ルゥが夢中で突付きだす。
「よっぽどお腹がすいてたのね、かわいそうなことしちゃった。自分の世界に入るとまわりが見えなくなるのがアタシの悪い癖よ、それで何度も失敗したでしょ?めっ、ビビアン!」
コツンと自分のこめかみに拳をあて叱っておく。
シュガー・ルゥ、アタシのかわいい牝鶏ちゃん。この子との付き合いは長くないけど、なんだか他人とは思えない愛着がわく。
種族をこえた姉妹感情……前世じゃ姉と妹だったのかしら……。
簡単にケージのお掃除をしてから卵の有無をチェック。残念、今日はナシ。シュガー・ルゥは気まぐれさんで、卵は産んだり産まなかったり。
アタシはキッチンへ行き、椅子に腰かける。
「今日の予定はっと……お店にでるのは午後からでいいかしら?バイト君に任せとけば大丈夫よね……ああ、でもアタシがいないとお掃除サボるのよね。前の子はレジのお金ちょろまかしたし……やっぱりオトコはダメね、甘やかすとすぐ付け上がる。もっとビシバシしめてかないと」
なんて口ではいうけど、アタシって面食いだからどうしたってカワイイ子には点が甘くなるの。哀しい女のさがね。
窓の外じゃひっきりなしに騒音が聞こえる。
何かが壊れる音と銃声……デスパレードエデンのごく日常的な生活音。いい加減なれっこだから、モーニングティーをたしなんでスルーする。向こうのケージじゃシュガー・ルゥがコケコーと啼き騒ぐ。
あ、いま一人死んだ。
「やあね、野蛮」
魂切るような断末魔と銃声をBGMに、小指を立ててずずーと残りを飲み干す。
「ウチの前を汚さないでちょうだいな、掃除の費用もばかにならないのよ。家賃をためてる店子にお仕置きとして課す手もあるけど……血は油性だから落ちにくいのよね……洗剤変えようかしら」
まったく、抗争ならよそでやってほしいもんだわ。
所帯じみた愚痴をもらし、からになったカップをシンクへもってく。
その時、遠慮がちにドアがノックされる。
「お客さんね。今日くるのは……」
あの子ね。
口元がゆるむのをおさえきれない。るんたったスキップでもしかねない足取りで廊下を歩き、覗き穴に眼をくっ付ける。
ビンゴ。
ドアの前、覗き見に気付きもせず突っ立っている男の子。手櫛で寝癖を直し、生真面目に身だしなみを整えている。
「ちょっと、いえあと30秒待ってちょうだい!いま全裸なの!」
「え!?あ、はい!!」
扉の向こうに叫んでキッチンへひとっ走り、ラジオをオンにしてムーディーな音楽を流し、イランイランのアロマを焚く。
再び廊下を歩きながら、ベビードールの肩紐を片方ずらし、さりげないお色気をアピール。
フラチな小細工を弄するのは、今日のお客さんが特別お気に入りだから。
チェーンを取り外して鍵を解錠、防弾防音仕様の分厚いドアを笑顔で開け放てば、ガムや吸い殻、空の注射器が転がった汚い廊下が伸びている。
「いらっしゃい」
部屋の前に立ってたのは、見るからに誠実そうな面立ちの若者。
年の頃は今が食べごろはたち前、お肌ぴちぴちで羨ましい。
ぶっちゃけどことって特徴のない平凡な目鼻立ちだけど、良い意味でスレてないっていうか、こんなスラムには場違いな初々しさを感じる。
掃き溜めに鳩、ってとこかしら。
「こんにちは。お世話になってます」
男の子が丁寧に挨拶、はにかみがちな笑みを浮かべる。
でもアタシの目はごまかせない、扉を開けた瞬間ぎょっとしたでしょ?ふふ、ちょっと刺激が強すぎたかしら……小悪魔っぽく含み笑い、落ちた肩紐を指先でいじる。
シャンパンの上澄みに似たピンクゴールドの猫っ毛は石鹸のいい匂い、おどおどした赤茶の目が忙しく瞬く。
ああ……いたずらしたいいじめたいいぢわるしたい。嗜虐心そそるのよね。
薄ぎたな……失礼、やけに年季の入ったモッズコートを羽織った男の子は、ドアを開けたアタシと対峙するや、妙にあたふたと懐から封筒をとりだして、両手でさしだしてくる。
「今月分の家賃です。受け取ってください」
きっと育ちがいいのね……それか親御さんの躾がよかったんだわ。
アタシが受け取るまで微動せず、お利口さんに背筋を伸ばして待ってる男の子を、とびっきりの微笑みでおでむかえ。
目のやり場に困って今にも去りたそうにするのをやんわり促す。
「ご苦労様。立ち話もなんだし中へどうぞ、お茶くらいごちそうするわよ」
「え……でも」
「せっかくきたんだしいいじゃない、ただで追い返しちゃ大家がすたるわ。それともなに、このあと用事ある?弟クンとでかけるとか」
「暇ですけど……」
「よかった、問題ないわね!さ、上がってちょうだい。お喋りの相手がいなくて退屈してたの、シュガー・ルゥはコケコーばっかだからワンパターンでしょ」
男の子が何か言いたげな顔をする。
その腕を掴み、半ば強引に引っ張りこんでキッチンへ連れていく。
「さあ座って、自分の家だとおもって寛いでちょうだいな。いま紅茶淹れるから……あ、コーヒーのほうがいい?」
「いえ、紅茶でおねがいします」
礼儀正しく言い添える男の子に背中を向け、カップに紅茶を注ぐ。男の子はそわそわしてる。
ふふ……わかるわその気持ち。こんないいオンナとふたりっきりじゃ緊張するわよね。
男の子が鼻を動かし匂いを嗅ぐ。キッチンに立ち込めるアロマの芳香に気付いたみたい。
「エキゾチックですね」
「でしょ?今ハマってるの」
イランイランに催淫効果があるのは黙っておく。戦略的沈黙よ。
擦り切れたモッズコートの裾をいじり、所在なさげに椅子の上で身を竦める様子がいじらしく、カップに紅茶を注いでソーサーごと渡す。
「どうぞ」
「いただきます」
「お味はいかが?」
「おいしいです。ほのかに甘くフルーティーな……林檎の香りがする」
「ご名答、アップルティーなの」
仄白い湯気に乗じて広がる林檎の芳香にほんの少し緊張を解き、社交辞令にのっとって当たり障りない世間話をはじめる。
「今日はご在宅だったんですね」
「ええ、お店には午後からでようとおもって」
「行き違いにならなくてよかった」
「ふふ、そんなに会いたかった?アタシもよ小鳩ちゃん」
「その呼び方はよしてください」
「なんで?アナタ小鳩ちゃんでしょ」
「いたたまれないんで」
「いまさら恥ずかしがることないじゃない。知ってるのよ、リトルピジョンが通り名だって」
男の子の顔が一瞬強張り、苦豆を噛み潰したような仏頂面になる。
「アイツが勝手に登録したんです、俺に黙って……気付いた時は手遅れだった」
「災難だこと。気に入らないなら改名すればいいじゃない」
パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、位の軽さで勧めれば、男の子改め小鳩ちゃんはバツ悪げに口を尖らす。
「いやまあ、嫌と言えば嫌だけどそこまでするのも大人げないっていうか手続きも面倒だし……そんな感じでずるずる後回しにしてたらタイミングを見失って」
「実は割と気に入ってない?」
「絶対ないです。ありえない」
むかいの椅子を引いて腰かけ、小鳩ちゃんに手渡された封筒の中身をチェック。紙幣を弾いて数える。
「確かにもらいました」
「よかった」
紙幣を封筒にもどしてテーブルにおけば、小鳩ちゃんが露骨に胸をなでおろす。わかりやすい反応が面白くてほくそえむ。
「一・二か月遅れても大目に見てあげるのに」
「延滞はあとが怖いんで」
「弟クンに似ず几帳面な子ね」
「アイツを引き合いにだすのはよしてください」
それに、と続けかけた言葉をぐっと飲み干し、アタシの背後に続く部屋へ心配げな視線を飛ばす。
「コケコーッ!!」
シュガー・ルゥが元気よく挨拶、猛々しく翼を振り立てる。
「……太りました?」
「気のせいじゃない?」
「間違いなく肥えてます」
「あの子意外とグルメだから、栄養価の高い野菜ばっか食べたがるの」
「フォアグラ……」
「それはがちょうでしょ。あひるでやる地域もあるそうだけど、にわとりでもイケるっちゃイケるのかしら」
小鳩ちゃんが俯き、ぼそりと呟く。
「……むかしはミミズ食べてたのに……」
「抱っこする?」
「いいんですか」
「当たり前じゃない」
席を立って隣の部屋に移動、ケージの扉を開ける。
シュガー・ルゥを抱っこして引き返せば、小鳩ちゃんは両手を挙動不審にうごめかせ、今にも泣き出しそうに感極まった表情で一言。
「会いたかったキャサリン……!」
アタシの腕からシュガー・ルゥを奪い取ろうと手をさしのべるも見事空振り、ひどく裏切られた絶望の表情で固まる。
アタシは一分の隙ない極上の笑みで、噛み砕くように言い聞かす。
「キャサリンじゃないわ。シュガー・ルゥよ」
「それは大家さんが勝手に付けた名前で」
「シュガー・ルゥ」
「拾った時からキャサリンって呼んで、夜はだっこして一緒に眠って」
「シュガー・ルゥ」
「キャサリン俺だよ覚えてる兄さんのピジョンだよ、しばらくご無沙汰だったけど忘れてないよな、な?お前はどっかのスワローと違ってそんな薄情なヤツじゃあないよな、毎日エサと水やってたろ、俺の腕狂ったように突付きまくったろ愛情表現が痛かったぞ!」
最後の方は感情的になって、椅子を蹴立てて立ち上がる。
シュガー・ルゥはアタシの腕の中でしらんぷりのお澄まし顔、小鳩ちゃんが翳した手をくちばしで突きまくって追い返す。
「いだだだだだだだだだちょっ待てやめてキャサリン、ほったらかされて怒ってるのか、仕方ないだろ仕事だったんだお前がいるとスワローは不機嫌だし朝啼くと近所から苦情殺到だし、大家さんに預かってもらうしかひでぶっ!?」
くちばしでの猛攻に飽き足らず、両翼で無慈悲な往復ビンタをかます。あらやだ悪女だわこの娘、飼い主に似たのかしら……。
「シュガー・ルゥのがかわいいじゃない断然。名付けに関しては今の飼い主の優先権を主張するわ」
小鳩ちゃんは大層うちのめされて、テーブルにがっくり突っ伏す。
「本当に俺のこと忘れちゃったの……え、本当に?あれだけ可愛がったのに?浮気ってレベルじゃないぞ、殆ど忘却だ、健忘症だ。やっぱりトリはトリ頭なんだ……」
「もっとまめに会いに来たらいいじゃない」
小鳩ちゃんの顔が凄まじい葛藤に歪む。
「ペット禁止のアパートだけど、唯一例外的に大家さんが預かってくれるって……俺はアナタを信じて……」
「そういう約束だったわね」
「それだけじゃないですよね」
「ああ……入居した時のアレを気にしてるの?冗談よ、まさか真に受けたの?家賃を三か月以上滞納したら食べる、なんて」
「目が笑ってなかった」
「ジョークよ」
「妙に手入れの行き届いた調理器具一式がキッチンに」
「いいでしょ、深夜の通販番組で買ったのよ。鶏肉を捌くのにこの上なく安全適切な包丁だって、激好みのイケメンタレントが豪快に腿を断ち落としながら宣伝してたから衝動的に……」
いけない、失言。
「いいひとだと思ってたのに」
可哀想に……小鳩ちゃんは人間不信に青褪めて、今にも力ずくでシュガー・ルゥとひったくらんばかりの鬼気迫る形相。心なしかアタシに抱かれたシュガー・ルゥも怯えてる。
やばい、何か言わなきゃ誤解が深まる一方……身から出た錆で店子との関係悪化は避けたい。
釈明の義務感に駆られ、文字通り借りてきた鶏と化したシュガー・ルゥをやさしくなでる。
脳内イメージでは、後光さす聖母のごとし美化を期待。
「アタシ、どちらかというとチキンスープが好きなの。鶏ガラを煮込んだスープは骨から抽出したコラーゲンたっぷりで美肌効果があるってご存知?ステンレスの寸胴でゆっくりコトコト煮込んだスープは黄金色に透き通って、体の内側から浄化されるような極上のお味なの。口の中がぱらいそよ」
小鳩ちゃんはもう完全に殺人鬼を見る目でアタシを見てる。ドン引きよ。オカマを掘る、じゃない、墓穴を掘るってこのことね。ビビアン反省、めっ。
てへぺろ舌を出すアタシの隙を突き、小鳩ちゃんが素早くシュガー・ルゥを奪還。
元ペット、現質草の牝鶏を後生大事にモッズコートにくるんで抱きこむや、恐怖の発作で震えだす。
「キャサリンに酷いことする気でしょ?食的な意味で。食肉的な意味で」
「食べないわよ……鶏はね」
性的な意味で食べたい子は別にいるから。
後半は口に出さず、小鳩ちゃんの隣に椅子をもってきて腰を落ち着ける。
「やっぱりアナタってそそる。磨けば光る逸材よ、アタシの目に狂いはない、断言する」
「目以外の全部が狂ってません?」
「ぱっと見地味だけど……でもなんかそこがいい、スレてないのがぐっとくる」
熱弁をふるううちに鼻息が荒くなる。はしたないとは思うけど、背に腹は変えられない。椅子を近付けて密着、スラックスに包まれた太腿に大胆に手をおく。小鳩ちゃんが「ひっ!」と喉の奥で叫び、涙目でこっちを見る。
耳朶を甘噛みするように吐息を絡めて、囁く。
「あの話……考えてくれた?」
「あの話って……」
「とぼけちゃいやよ、わかるでしょ。再三お誘いしてるのにちっとも色よい返事がもらえなくていじけちゃうわ」
小鳩ちゃんはかたくなにアタシと目をあわせようとしない。シュガー・ルゥを懐に庇って、コートの襟を閉じている。そっちがその気なら……いいわ、実力行使よ。
小鳩ちゃんに大胆ににじりより、ピンクゴールドの横毛を指に巻き付けてもてあそぶ。
「ポルノビデオのモデル。なってくれるでしょ?」
「なりません」
「売れっ子になれるわ」
「なれません」
「どうして?お金ほしくない?」
「間に合ってます」
「家賃もギリギリ月末払いなのに?」
「それは……」
「いい仕事斡旋するわよ。アナタならそうね……手はじめにノンケ痴漢ものはどう?クラブの個室トイレや映画館に路面電車で、知らない男に好き放題いじられてるうちにムラムラきちゃうの。口では嫌がっててもカラダは正直で、見られてると思えば思うほど興奮しちゃうのよ」
まなじりにはじらいの朱が散る。
太腿にすべりこませた手を怪しく動かし、敏感な場所をまさぐれば、「ッ、」と低い呻きをこぼす。イランイランが淫乱にきいてきたかしら?
アタシは熟女の魅力を総動員し、ウブな小鳩ちゃんを落としにかかる。
「毎度勧誘してるけどなかなか首を縦に振らないあたり、見かけによらず強情よね」
「オーケーするわけないじゃないか」
「ウチの店子でも出てる人いるわよ?」
「店子をスカウトするって倫理的にどうなんですか」
「無理強いじゃないわ、家賃を半年以上滞納した子に割のいい副業をそれとなーくさりげなーくお勧めしてるだ・け。アパートの大家兼、ポルノショップオーナーとしてね。店子は家賃を完済できてアタシは仲介料でがっぽり儲ける、みんな得する素敵な仕組み、中世の錬金術師が憧れた永久機関の完成よ」
まあ、それを見越して入居時に顔審査はあるけど。アパートを私欲でハーレム化してるのはヒ・ミ・ツ。
「よそはよそ、うちはうちです。そーゆー安易に脱いで稼ぐ発想はちょっと……っていうか、絶対無理です」
嫌がる男の子におさわりするのは楽しい。これってセクハラ?断固として否、愛のレッスンよ。カーマストラよ。
小鳩ちゃんは感じやすい体質らしく、内腿を緩やかに逆撫でするたび、艶めかしい表情で火照った吐息をもらす。
羞恥と快楽のはざまで葛藤する顔……手ほどきしがいがあるわ。
嫌なら力ずくではねのければいいのに、コートの襟をぎゅっと掻き合わせてるからできないジレンマ。シュガー・ルゥがよっぽど大事なのね。
「いい体してるのにもったいない……脱がなきゃ損よ」
「あっ!?」
腰に手をすべらせる。
「着痩せするタイプ?感度も上々ね。最近はアナタみたいにウブくて素人っぽい子がウケるのよ、一度お試しで出てみない?大丈夫、ハードル下げるから。対人が抵抗あるならひとりエッチも可よ、マニアの需要が見込めるわ。アナタみたいに清潔感ある若い男の子が、ビデオに撮られながらオナってるトコ想像したらドチャシコよ」
小鳩ちゃんがびくりとする。
「ねえ、週何回オナニーするの?淡白そうに見えるけど、まさか全然しないわけじゃないでしょ。アナタの年頃じゃ朝起きてムラムラ、夜寝る前にムラムラどぴゅでしょ」
「下品な擬音……」
「真実の口よ」
「自慰の周期はほっといてください、家賃はちゃんと払いますから」
「童貞っぽい反応」
「童貞じゃないですって……」
弱々しく反論するけど、弱々しすぎて説得力がない。小鳩ちゃんにべったりしなだれかかって、耳朶に吐息を吹きかける。真っ赤でかわいい。
「さっきの話じゃ半年以上滞納した店子にって……俺、ちゃんと払ってるのに」
「アナタは特別、素質があるもの。アタシと一緒にゲイポルノ業界の頂点をめざしましょ?」
「めざしたくない……」
「億万長者になれるのよ?札束風呂に浸かりたくない?ねえ信じて、アタシの審美眼はピカイチなの、コレまで素人のなかから数々のスタアを発掘してきたわ、スカウトの腕はたしかなの。アナタを一目見て運命感じちゃった、薄汚いモッズコートに包まれても隠せない何かがある、こんな場末で燻らせておくのは惜しいダイヤの原石よ。自分がどんだけエロいか気付いてないなんて罪作りよ、無防備に無意識なエロスを垂れ流して誘ってるの、特に腰回りがヤバい、骨格ができあがる第二次性徴期からテクニシャンに百回は抱かれてこなきゃこの官能的なラインは出せないわ」
もう一押しでおちる。現場で鍛え抜いたオンナの勘がそう言ってる。
追い詰められた小鳩ちゃんの両手をひしと握り締め説得するさなか、窓の外で一際でかい銃声と怒号が上がる。
もうなんなの?せっかくイケそうだったのに……堪忍袋がブチギレる。
おもむろに席を立ち、がたぴしゃと窓を開けて顔を突き出す。アパート前の通りでは銃を構えた野蛮人が抗争のまっただなか、さっき死んだ男が脳漿を零して血だまりに突っ伏している。
肺活量いっぱい空気を吸い込み、こめかみに青筋立て大喝。
「るっせえぞてめェら今大事な話してんだ、キンタマかち割ってピーナッツ詰めてから縫い直してやろうか!?」
なにごともなかったように窓を閉めてキッチンに戻る。小鳩ちゃんは今にも消え入りたそうに俯いて、細かく震えている。
「ごめんなさいね、邪魔が入って」
「いえ……あの……ホントもう帰らないと、鍵とガスの元栓閉め忘れたかも」
「まだいいじゃない、もう少しおしゃべりしましょ」
そうだわ。
名案が閃く。
「ビデオの件、一人で出るのに抵抗あるなら弟クンと一緒にいかが?マニア垂涎の近親相姦モノ」
「絶対いやだ」
「ふたりともカワイイしウケるわよ」
「アイツを巻き込まないでください」
「ネコでもタチでもかわりばんこに、ふたりして攻められるのもイイわね~。双頭ディルドで繋がって……あらやだ、涎がでちゃた」
小鳩ちゃんの弟クンはカメラ映えしそうなとびっきりの美形で、あちこちにセフレを作っちゃ出歩いてる。全然似てない、正反対の兄弟よ。
弟くんの出演に言及した途端、おさわりを耐え忍ぶ小鳩ちゃんの様子が豹変。
毅然とした態度でアタシを見据え、きっぱり牽制。
「スワローに手を出すな」
「ふぅん……男の子の顔、するじゃない」
穏やかで優しいお兄さんとわがままで暴れん坊の弟。相性はてんであわず喧嘩ばかりなのに、なんでかこの兄弟は特別な絆で結ばれてる。
「と・に・か・く。アイツも俺もそんな破廉恥なビデオ興味ありませんから……賞金稼ぎとして一本立ちする為にも、今ががんばり時なんです」
「夢を追いかけるのは若者の特権よ」
小鳩ちゃんから離れて足を組む。
引き際を心得てるのがいいオンナの条件。チャンスはまた巡ってくるでしょうし、ゴリ押しで嫌われたら本末転倒。
紅茶のお代わりを注ぎ足しながら、私生活に探りをいれる。
「その後弟クンはどう?相変わらず?」
「しょっちゅう出歩いてて帰ってきたりこなかったりですね。どこで何やってるのか、トラブルおこしてないといいけど」
あの子の場合、トラブルに巻き込まれてないかよりその原因になってないか危ぶむのが正しいわ。
「また取り立てに押しかけられたら心臓がもちません」
「外歩くたんびに知らない女や男にカネ返せツケ払え認知しろって追っかけ回されるんですって?」
「スワローの名誉の為に一応断っとくと最後はないです、避妊だけはちゃんとするのが数少ない美点なんで」
「連帯保証人欄にホイホイサインするからそうなるのよ」
「アイツ、俺の字をまねて勝手にサインを」
「カジノ通いで破産するのも時間の問題ね。スロット中毒なんでしょ?」
「ピンボールにハマってた頃はまだ可愛げあったんだけど」
「一緒に遊ばないの?」
「共倒れますよ」
苦笑いで肩を竦める。身近に弟クンの素行を相談できる相手がいないのか、珍しく饒舌ね。
「俺より稼いでるくせに金が出てく一方です。借金膨れ上がって自滅しても知らないぞ」
後半は本人への愚痴。アップルティーをちびりと啜る横顔に苦労人の悲哀が滲む。
アタシは人さし指で顎を支え、前々から温めてた疑問を呈する。
「不思議よねェ。アナタたちって全ッ然似てなくて相性も悪いのに、なんで離れないの?家賃を折半できるほうが都合いい?」
「なんでだろ……よくわからなくなってきました」
感慨深げに呟き、当惑の表情に一匙、愛情に限りなく近い腐れ縁の嫌気を足す。
「ただ……アイツをひとりにしとくと心配で」
「お兄ちゃんは心配性ね」
「離れて暮らしてた時もあるんですけど、無茶苦茶やってたみたいだから」
「お目付け役が必要?」
「なんだろうな、アイツの尻拭いをするのが俺の仕事っていうか……存在意義?違うな……一番近い言葉は」
「被害者?」
戯れに尋ねれば、思いもよらない指摘に軽く目を見開いて、その言葉を噛み締めるように緩慢に首を振る。
「ぺてん師のかも、えじきって意味なら当たらずも遠からずだけど、アイツの被害者だとは思ってませんよ」
「ひどい目にあわされてるのに?」
「だいたい酷いけどときどき優しいから困るんです」
「ダメ男から離れたくても離れられないDV被害者みたいね」
小鳩ちゃんの目が諦観に沈み、赤く澄んだカップの水面に己の顔を映す。
「子供の頃、よく犬や猫を連れ帰ったんです。目が合っちゃうとほっとけなくて……トレーラーハウスで旅してたから、お荷物が増えるって弟はキレたけど、母さんは笑って許してくれたっけ。家族が増えるのは嬉しいって」
「おおらかな人ね」
「自慢の母です。で、俺が拾ってきた犬や猫にアイツはきまってちょっかいかけまくるんだけど、ペットが死んだら必ずそばにいてくれる。飼ってたネコがぽっくり逝った朝も……さんざん減らず口叩きながら、死体を抱いて動かない俺の背中をずうっと温めてくれた」
「いい話ね」
「ひねくれてるから誤解されやすいけど、根は悪いヤツじゃない。アイツは優しいけど、優しさを見せるのを恥だと思ってる。優しさと弱さをごっちゃにして、自分にも弱みがあるのを恥じてるんだきっと」
弟を庇って懸命に言い募り、胸元のドッグタグを片手で握り締める。
「アイツがなにを一番嫌ってるって、アイツが憎んでる優しさの根っこが、俺と繋がってることです」
兄より強くてかっこいいはずの自分が、兄と弱みを共有してる真実に我慢ならないのだと。
「俺はこれまで、自分の人生の被害者になってるような賞金首をたくさん見てきました。だから言えるけど……俺は被害者じゃないし、被害者だとも思ってません。そう思った時もたしかにあるけど……」
「弟クンのツケを永遠に払わされ続けるような人生でもそう言える?」
ちょっぴり意地悪い気持ちになって皮肉れば、小鳩ちゃんは真剣な様子で考え、安らいで丸まった鶏をやさしくなでる。
「俺が出会った賞金首は、生まれる前にしょいこまされた誰かのツケを死ぬまで払わされ続けてるような人ばかりでしたよ。彼らが最初から100%の悪人だったとは思いたくないし、いまも思えない」
「思えない、より思いたくない、が先にくるのがアナタらしいわね」
「弟の尻拭いができるのは兄さんしかいないから」
アイツには俺がいなきゃだめだと、柔和に凪いだ横顔が心の内を代弁している。
あるいは、そう思いたがってるのかしら。彼の口ぶりはまるで、弟の尻拭いをするのは兄の特権と誇っているようにも聞こえたわ。
小鳩ちゃんは虐げられる一方の犠牲者じゃない。
ただ虐げられるだけの被害者は、こんな強くて澄んだ目をしない。
この子が妙に気になるのは、時々見せるこの目のせい。
最上級のルビーよりなお気高く、悲哀や絶望に染まりなお他者を愛し尊ぶのをやめない、鳩の血色の瞳。
ティーカップの中身を飲み干し、シュガー・ルゥを名残惜しげに返して腰を上げる。
「ごちそうさまでした、そろそろお暇します。またくるね、キャサリン」
「コケ―」
「ホントすぐ来るから。俺の顔忘れないでね」
「コケッ」
「キャサリンのことよろしくお願いします」
「シュガー・ルゥはアタシの家族も同然よ、アナタたちが家賃を滞納しない限りオーブンにぶちこまないから安心してちょうだいな。クリスマスにチキンが売り切れてたらちょっとわからないけど」
「くれぐれもお願いしますね?」
小鳩ちゃんが不安げに顔を曇らせて念を押すのを笑って流し、シュガー・ルゥと一緒に見送りにでる。玄関先で丁寧にお礼を言って辞す小鳩ちゃんへ、ばちこんとウィンクを決める。
「ポルノ出演の件、弟クンと検討してね?」
シュガー・ルゥの爪痕がくっきり残る顔で、実に感じよくにっこりと微笑んで、アタシの小鳩ちゃんは言った。
「お断りします、ミスター・リー」
磨き抜かれた三面鏡にメランコリィな顔が映る。
ベビーピンクの枠組みに薔薇を彫刻した、ロココなドレッサーはアタシのお気に入り。若い頃働いてたお店の楽屋にあったのを、退職祝いにぶんどってきた戦利品。
当時のアタシは売れっ娘だったから、そんな無茶も余裕で通ったわ。オンナは愛のままにわがままにに生きてなんぼ、これアタシの座右の銘、テストにでるからお忘れなく。
老いを隠せないスッピンと向き合い、しみじみとため息を吐く。
鏡に映し出されているのは、ビターチョコレートの肌に紫のベビードールを纏うオンナ。天然パーマの縮れ毛を爆発したようなアフロにし、ところどころ銀のメッシュを入れている。
瞼が腫れぼったいのは夜更かしのせいかしら。不規則な生活は美容の大敵だってわかってるけど、深夜の通販番組にハマっちゃって……解説役のタレントがハンサムなのよね。
生まれ持った美貌と華やかなパフォーマンスで脚光を浴びたアタシも、今じゃ立派なアラフィフ熟女。目尻の皺が憎らしい。ほうれい線を抹殺したい。
「馬鹿ねビビアン、しっかりなさい。アナタはまだまだ女ざかりでイケるはずよ。目尻の皺がなによ、笑い皺はしあわせを呼ぶってママが言ってたでしょ」
頬を叩いて喝を入れ直す。
でっかい独り言が癖になってるのは人恋しいから?ちなみにママはママでもお店のほうのママよ、ホントのママには勘当されたわ。
カーラーで丁寧に睫毛を巻き上げ、瞼のふくらみからまなじりに沿って、紫のアイシャドウを施す。銀のラメが入っていてとっても綺麗。
それからパフをとり、親の仇とばかりファンデーションを厚塗り。
まだまだ現役だって胸を張りたいけど、さすがに加齢による肌の衰えは隠せない。ちょっとお化粧するだけでころりと男をだませた二十代の頃とはわけがちがう、化粧水の伸びが悪いもの。
ドレッサーの前に座って身支度を整えるこの時間が、アタシは好き。誰にも邪魔されない完全なプライベートのひととき。
スッピンを見ると憂鬱になるけど、自分がキレイになってくのに心が浮き立たないオンナがいる?
ふんふん鼻歌を口ずさみ、リズミカルにパフをはたく。
「チークは濃いめに……口紅はどれにしようかしら。ピーチピンクはちょっとお下品?若い子向きよね、ビッチ入ってるし……春の新色、オータムグローリーもミステリアスで捨てがたい。シャネルのブロンズレッドは上品でアタシ好み……ああ、迷っちゃう!こんな時ぴったりの口紅を選んでくれる目利き彼氏がいたらいいのに、なんて。嘘嘘、フリーのほうが気楽だもの。ステディな殿方は随時募集中だけど」
ドレッサーにずらり並んだ口紅を一本一本手にとってひねくり回し、試しに塗ってはティッシュで拭い、付け直すのをくりかえす。オンナのメイクは時間がかかるの。
あれじゃないこれじゃない熟考と実践を重ねて悩んだ末、ボルドーの口紅をとってキャップを外す。
「芳醇な葡萄酒をおもわす濃い紫……コケットリーがミンクのコートを着て歩いてるアタシにぴったりじゃない?」
唇を窄めて馴染ませ、仕上がりに満足する。
よし、完璧。
化粧はオンナの武装、うんと気合入れないとね。
すべすべと肌触り抜群なシルクのベビードールの上から、銀狐の毛皮で縁取ったゴージャスなガウンに袖を通す。
ストッキングに脚を通し、光沢ある真っ赤なハイヒールを履いて、ドレッサーに向き直る。
そこにはとても五十近いとは思えない、魅惑的な美魔女が映っていた。
「うーん、惚れ惚れ。やっぱりアナタサイコーよビビアン、世界一イイ女。なんていうの?オーラがあるわ、天性のスタアの素質よ。ビビアン姐さんの華のかんばせを前にしたらクレオパトラの鼻もしおれて楊貴妃がヨロレイヒ唄いだすわ」
部屋着でも女を捨てないのがビビアンスタイル。
扇情的に腰をくねらすキャットウォ―クで行ったり来たりをくりかえし、鏡の前で華麗にターン。
堂に入ったモデル歩きは、昔取った杵柄。ボディラインには自信がある。
ガウンの裾が優雅に翻ると同時、睫毛の音がしそうなウィンクをばちこんかます。
続いて投げキッス、人さし指を立て見返りざまバキュンと狙い撃ち。
「きゃー、ビビアン姐さん素敵!抱いて抱かれてちょうだい!」
次々とポーズを替え、魅せる姿態を演じる。
なんだかノッてきちゃった、観客がいないのが残念。全盛期なら拍手喝采アンコール、おひねりどっさりもらえたのに……しょうがないからファンの女の子になりきって、セルフの合いの手を入れる。
そうよ、嘗てアンデッドエンドを一世風靡した夜の女帝、ビビアン・リー
とはなにを隠そうアタシのこと。
波乱万丈な半生を駆け抜けて、今はしがないアパートの大家だけれど……
「コケコーッ!」
「いけない、うっかりしてた!」
抗議の一声に慌てて駆け戻る。
ホントならクローゼットの中身をとっかえひっかえ、一人ファッションショーに移りたいトコだけど、呼び出されちゃそうもいかない。
ファンシーなどピンクの檻の中、極悪な三白眼の牝鶏が翼を膨らませ、空腹を訴えている。
「ごめんごめん、怒らないでシュガー・ルゥ。ほんのちょっとエサの時間に遅れただけじゃない、ね、機嫌なおして?今日は特別にサービスしちゃう、ブラッシングも付けたげる」
ケージの扉を開けて汚れた水を取り替え、キャベツの葉っぱを皿に盛れば、シュガー・ルゥが夢中で突付きだす。
「よっぽどお腹がすいてたのね、かわいそうなことしちゃった。自分の世界に入るとまわりが見えなくなるのがアタシの悪い癖よ、それで何度も失敗したでしょ?めっ、ビビアン!」
コツンと自分のこめかみに拳をあて叱っておく。
シュガー・ルゥ、アタシのかわいい牝鶏ちゃん。この子との付き合いは長くないけど、なんだか他人とは思えない愛着がわく。
種族をこえた姉妹感情……前世じゃ姉と妹だったのかしら……。
簡単にケージのお掃除をしてから卵の有無をチェック。残念、今日はナシ。シュガー・ルゥは気まぐれさんで、卵は産んだり産まなかったり。
アタシはキッチンへ行き、椅子に腰かける。
「今日の予定はっと……お店にでるのは午後からでいいかしら?バイト君に任せとけば大丈夫よね……ああ、でもアタシがいないとお掃除サボるのよね。前の子はレジのお金ちょろまかしたし……やっぱりオトコはダメね、甘やかすとすぐ付け上がる。もっとビシバシしめてかないと」
なんて口ではいうけど、アタシって面食いだからどうしたってカワイイ子には点が甘くなるの。哀しい女のさがね。
窓の外じゃひっきりなしに騒音が聞こえる。
何かが壊れる音と銃声……デスパレードエデンのごく日常的な生活音。いい加減なれっこだから、モーニングティーをたしなんでスルーする。向こうのケージじゃシュガー・ルゥがコケコーと啼き騒ぐ。
あ、いま一人死んだ。
「やあね、野蛮」
魂切るような断末魔と銃声をBGMに、小指を立ててずずーと残りを飲み干す。
「ウチの前を汚さないでちょうだいな、掃除の費用もばかにならないのよ。家賃をためてる店子にお仕置きとして課す手もあるけど……血は油性だから落ちにくいのよね……洗剤変えようかしら」
まったく、抗争ならよそでやってほしいもんだわ。
所帯じみた愚痴をもらし、からになったカップをシンクへもってく。
その時、遠慮がちにドアがノックされる。
「お客さんね。今日くるのは……」
あの子ね。
口元がゆるむのをおさえきれない。るんたったスキップでもしかねない足取りで廊下を歩き、覗き穴に眼をくっ付ける。
ビンゴ。
ドアの前、覗き見に気付きもせず突っ立っている男の子。手櫛で寝癖を直し、生真面目に身だしなみを整えている。
「ちょっと、いえあと30秒待ってちょうだい!いま全裸なの!」
「え!?あ、はい!!」
扉の向こうに叫んでキッチンへひとっ走り、ラジオをオンにしてムーディーな音楽を流し、イランイランのアロマを焚く。
再び廊下を歩きながら、ベビードールの肩紐を片方ずらし、さりげないお色気をアピール。
フラチな小細工を弄するのは、今日のお客さんが特別お気に入りだから。
チェーンを取り外して鍵を解錠、防弾防音仕様の分厚いドアを笑顔で開け放てば、ガムや吸い殻、空の注射器が転がった汚い廊下が伸びている。
「いらっしゃい」
部屋の前に立ってたのは、見るからに誠実そうな面立ちの若者。
年の頃は今が食べごろはたち前、お肌ぴちぴちで羨ましい。
ぶっちゃけどことって特徴のない平凡な目鼻立ちだけど、良い意味でスレてないっていうか、こんなスラムには場違いな初々しさを感じる。
掃き溜めに鳩、ってとこかしら。
「こんにちは。お世話になってます」
男の子が丁寧に挨拶、はにかみがちな笑みを浮かべる。
でもアタシの目はごまかせない、扉を開けた瞬間ぎょっとしたでしょ?ふふ、ちょっと刺激が強すぎたかしら……小悪魔っぽく含み笑い、落ちた肩紐を指先でいじる。
シャンパンの上澄みに似たピンクゴールドの猫っ毛は石鹸のいい匂い、おどおどした赤茶の目が忙しく瞬く。
ああ……いたずらしたいいじめたいいぢわるしたい。嗜虐心そそるのよね。
薄ぎたな……失礼、やけに年季の入ったモッズコートを羽織った男の子は、ドアを開けたアタシと対峙するや、妙にあたふたと懐から封筒をとりだして、両手でさしだしてくる。
「今月分の家賃です。受け取ってください」
きっと育ちがいいのね……それか親御さんの躾がよかったんだわ。
アタシが受け取るまで微動せず、お利口さんに背筋を伸ばして待ってる男の子を、とびっきりの微笑みでおでむかえ。
目のやり場に困って今にも去りたそうにするのをやんわり促す。
「ご苦労様。立ち話もなんだし中へどうぞ、お茶くらいごちそうするわよ」
「え……でも」
「せっかくきたんだしいいじゃない、ただで追い返しちゃ大家がすたるわ。それともなに、このあと用事ある?弟クンとでかけるとか」
「暇ですけど……」
「よかった、問題ないわね!さ、上がってちょうだい。お喋りの相手がいなくて退屈してたの、シュガー・ルゥはコケコーばっかだからワンパターンでしょ」
男の子が何か言いたげな顔をする。
その腕を掴み、半ば強引に引っ張りこんでキッチンへ連れていく。
「さあ座って、自分の家だとおもって寛いでちょうだいな。いま紅茶淹れるから……あ、コーヒーのほうがいい?」
「いえ、紅茶でおねがいします」
礼儀正しく言い添える男の子に背中を向け、カップに紅茶を注ぐ。男の子はそわそわしてる。
ふふ……わかるわその気持ち。こんないいオンナとふたりっきりじゃ緊張するわよね。
男の子が鼻を動かし匂いを嗅ぐ。キッチンに立ち込めるアロマの芳香に気付いたみたい。
「エキゾチックですね」
「でしょ?今ハマってるの」
イランイランに催淫効果があるのは黙っておく。戦略的沈黙よ。
擦り切れたモッズコートの裾をいじり、所在なさげに椅子の上で身を竦める様子がいじらしく、カップに紅茶を注いでソーサーごと渡す。
「どうぞ」
「いただきます」
「お味はいかが?」
「おいしいです。ほのかに甘くフルーティーな……林檎の香りがする」
「ご名答、アップルティーなの」
仄白い湯気に乗じて広がる林檎の芳香にほんの少し緊張を解き、社交辞令にのっとって当たり障りない世間話をはじめる。
「今日はご在宅だったんですね」
「ええ、お店には午後からでようとおもって」
「行き違いにならなくてよかった」
「ふふ、そんなに会いたかった?アタシもよ小鳩ちゃん」
「その呼び方はよしてください」
「なんで?アナタ小鳩ちゃんでしょ」
「いたたまれないんで」
「いまさら恥ずかしがることないじゃない。知ってるのよ、リトルピジョンが通り名だって」
男の子の顔が一瞬強張り、苦豆を噛み潰したような仏頂面になる。
「アイツが勝手に登録したんです、俺に黙って……気付いた時は手遅れだった」
「災難だこと。気に入らないなら改名すればいいじゃない」
パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、位の軽さで勧めれば、男の子改め小鳩ちゃんはバツ悪げに口を尖らす。
「いやまあ、嫌と言えば嫌だけどそこまでするのも大人げないっていうか手続きも面倒だし……そんな感じでずるずる後回しにしてたらタイミングを見失って」
「実は割と気に入ってない?」
「絶対ないです。ありえない」
むかいの椅子を引いて腰かけ、小鳩ちゃんに手渡された封筒の中身をチェック。紙幣を弾いて数える。
「確かにもらいました」
「よかった」
紙幣を封筒にもどしてテーブルにおけば、小鳩ちゃんが露骨に胸をなでおろす。わかりやすい反応が面白くてほくそえむ。
「一・二か月遅れても大目に見てあげるのに」
「延滞はあとが怖いんで」
「弟クンに似ず几帳面な子ね」
「アイツを引き合いにだすのはよしてください」
それに、と続けかけた言葉をぐっと飲み干し、アタシの背後に続く部屋へ心配げな視線を飛ばす。
「コケコーッ!!」
シュガー・ルゥが元気よく挨拶、猛々しく翼を振り立てる。
「……太りました?」
「気のせいじゃない?」
「間違いなく肥えてます」
「あの子意外とグルメだから、栄養価の高い野菜ばっか食べたがるの」
「フォアグラ……」
「それはがちょうでしょ。あひるでやる地域もあるそうだけど、にわとりでもイケるっちゃイケるのかしら」
小鳩ちゃんが俯き、ぼそりと呟く。
「……むかしはミミズ食べてたのに……」
「抱っこする?」
「いいんですか」
「当たり前じゃない」
席を立って隣の部屋に移動、ケージの扉を開ける。
シュガー・ルゥを抱っこして引き返せば、小鳩ちゃんは両手を挙動不審にうごめかせ、今にも泣き出しそうに感極まった表情で一言。
「会いたかったキャサリン……!」
アタシの腕からシュガー・ルゥを奪い取ろうと手をさしのべるも見事空振り、ひどく裏切られた絶望の表情で固まる。
アタシは一分の隙ない極上の笑みで、噛み砕くように言い聞かす。
「キャサリンじゃないわ。シュガー・ルゥよ」
「それは大家さんが勝手に付けた名前で」
「シュガー・ルゥ」
「拾った時からキャサリンって呼んで、夜はだっこして一緒に眠って」
「シュガー・ルゥ」
「キャサリン俺だよ覚えてる兄さんのピジョンだよ、しばらくご無沙汰だったけど忘れてないよな、な?お前はどっかのスワローと違ってそんな薄情なヤツじゃあないよな、毎日エサと水やってたろ、俺の腕狂ったように突付きまくったろ愛情表現が痛かったぞ!」
最後の方は感情的になって、椅子を蹴立てて立ち上がる。
シュガー・ルゥはアタシの腕の中でしらんぷりのお澄まし顔、小鳩ちゃんが翳した手をくちばしで突きまくって追い返す。
「いだだだだだだだだだちょっ待てやめてキャサリン、ほったらかされて怒ってるのか、仕方ないだろ仕事だったんだお前がいるとスワローは不機嫌だし朝啼くと近所から苦情殺到だし、大家さんに預かってもらうしかひでぶっ!?」
くちばしでの猛攻に飽き足らず、両翼で無慈悲な往復ビンタをかます。あらやだ悪女だわこの娘、飼い主に似たのかしら……。
「シュガー・ルゥのがかわいいじゃない断然。名付けに関しては今の飼い主の優先権を主張するわ」
小鳩ちゃんは大層うちのめされて、テーブルにがっくり突っ伏す。
「本当に俺のこと忘れちゃったの……え、本当に?あれだけ可愛がったのに?浮気ってレベルじゃないぞ、殆ど忘却だ、健忘症だ。やっぱりトリはトリ頭なんだ……」
「もっとまめに会いに来たらいいじゃない」
小鳩ちゃんの顔が凄まじい葛藤に歪む。
「ペット禁止のアパートだけど、唯一例外的に大家さんが預かってくれるって……俺はアナタを信じて……」
「そういう約束だったわね」
「それだけじゃないですよね」
「ああ……入居した時のアレを気にしてるの?冗談よ、まさか真に受けたの?家賃を三か月以上滞納したら食べる、なんて」
「目が笑ってなかった」
「ジョークよ」
「妙に手入れの行き届いた調理器具一式がキッチンに」
「いいでしょ、深夜の通販番組で買ったのよ。鶏肉を捌くのにこの上なく安全適切な包丁だって、激好みのイケメンタレントが豪快に腿を断ち落としながら宣伝してたから衝動的に……」
いけない、失言。
「いいひとだと思ってたのに」
可哀想に……小鳩ちゃんは人間不信に青褪めて、今にも力ずくでシュガー・ルゥとひったくらんばかりの鬼気迫る形相。心なしかアタシに抱かれたシュガー・ルゥも怯えてる。
やばい、何か言わなきゃ誤解が深まる一方……身から出た錆で店子との関係悪化は避けたい。
釈明の義務感に駆られ、文字通り借りてきた鶏と化したシュガー・ルゥをやさしくなでる。
脳内イメージでは、後光さす聖母のごとし美化を期待。
「アタシ、どちらかというとチキンスープが好きなの。鶏ガラを煮込んだスープは骨から抽出したコラーゲンたっぷりで美肌効果があるってご存知?ステンレスの寸胴でゆっくりコトコト煮込んだスープは黄金色に透き通って、体の内側から浄化されるような極上のお味なの。口の中がぱらいそよ」
小鳩ちゃんはもう完全に殺人鬼を見る目でアタシを見てる。ドン引きよ。オカマを掘る、じゃない、墓穴を掘るってこのことね。ビビアン反省、めっ。
てへぺろ舌を出すアタシの隙を突き、小鳩ちゃんが素早くシュガー・ルゥを奪還。
元ペット、現質草の牝鶏を後生大事にモッズコートにくるんで抱きこむや、恐怖の発作で震えだす。
「キャサリンに酷いことする気でしょ?食的な意味で。食肉的な意味で」
「食べないわよ……鶏はね」
性的な意味で食べたい子は別にいるから。
後半は口に出さず、小鳩ちゃんの隣に椅子をもってきて腰を落ち着ける。
「やっぱりアナタってそそる。磨けば光る逸材よ、アタシの目に狂いはない、断言する」
「目以外の全部が狂ってません?」
「ぱっと見地味だけど……でもなんかそこがいい、スレてないのがぐっとくる」
熱弁をふるううちに鼻息が荒くなる。はしたないとは思うけど、背に腹は変えられない。椅子を近付けて密着、スラックスに包まれた太腿に大胆に手をおく。小鳩ちゃんが「ひっ!」と喉の奥で叫び、涙目でこっちを見る。
耳朶を甘噛みするように吐息を絡めて、囁く。
「あの話……考えてくれた?」
「あの話って……」
「とぼけちゃいやよ、わかるでしょ。再三お誘いしてるのにちっとも色よい返事がもらえなくていじけちゃうわ」
小鳩ちゃんはかたくなにアタシと目をあわせようとしない。シュガー・ルゥを懐に庇って、コートの襟を閉じている。そっちがその気なら……いいわ、実力行使よ。
小鳩ちゃんに大胆ににじりより、ピンクゴールドの横毛を指に巻き付けてもてあそぶ。
「ポルノビデオのモデル。なってくれるでしょ?」
「なりません」
「売れっ子になれるわ」
「なれません」
「どうして?お金ほしくない?」
「間に合ってます」
「家賃もギリギリ月末払いなのに?」
「それは……」
「いい仕事斡旋するわよ。アナタならそうね……手はじめにノンケ痴漢ものはどう?クラブの個室トイレや映画館に路面電車で、知らない男に好き放題いじられてるうちにムラムラきちゃうの。口では嫌がっててもカラダは正直で、見られてると思えば思うほど興奮しちゃうのよ」
まなじりにはじらいの朱が散る。
太腿にすべりこませた手を怪しく動かし、敏感な場所をまさぐれば、「ッ、」と低い呻きをこぼす。イランイランが淫乱にきいてきたかしら?
アタシは熟女の魅力を総動員し、ウブな小鳩ちゃんを落としにかかる。
「毎度勧誘してるけどなかなか首を縦に振らないあたり、見かけによらず強情よね」
「オーケーするわけないじゃないか」
「ウチの店子でも出てる人いるわよ?」
「店子をスカウトするって倫理的にどうなんですか」
「無理強いじゃないわ、家賃を半年以上滞納した子に割のいい副業をそれとなーくさりげなーくお勧めしてるだ・け。アパートの大家兼、ポルノショップオーナーとしてね。店子は家賃を完済できてアタシは仲介料でがっぽり儲ける、みんな得する素敵な仕組み、中世の錬金術師が憧れた永久機関の完成よ」
まあ、それを見越して入居時に顔審査はあるけど。アパートを私欲でハーレム化してるのはヒ・ミ・ツ。
「よそはよそ、うちはうちです。そーゆー安易に脱いで稼ぐ発想はちょっと……っていうか、絶対無理です」
嫌がる男の子におさわりするのは楽しい。これってセクハラ?断固として否、愛のレッスンよ。カーマストラよ。
小鳩ちゃんは感じやすい体質らしく、内腿を緩やかに逆撫でするたび、艶めかしい表情で火照った吐息をもらす。
羞恥と快楽のはざまで葛藤する顔……手ほどきしがいがあるわ。
嫌なら力ずくではねのければいいのに、コートの襟をぎゅっと掻き合わせてるからできないジレンマ。シュガー・ルゥがよっぽど大事なのね。
「いい体してるのにもったいない……脱がなきゃ損よ」
「あっ!?」
腰に手をすべらせる。
「着痩せするタイプ?感度も上々ね。最近はアナタみたいにウブくて素人っぽい子がウケるのよ、一度お試しで出てみない?大丈夫、ハードル下げるから。対人が抵抗あるならひとりエッチも可よ、マニアの需要が見込めるわ。アナタみたいに清潔感ある若い男の子が、ビデオに撮られながらオナってるトコ想像したらドチャシコよ」
小鳩ちゃんがびくりとする。
「ねえ、週何回オナニーするの?淡白そうに見えるけど、まさか全然しないわけじゃないでしょ。アナタの年頃じゃ朝起きてムラムラ、夜寝る前にムラムラどぴゅでしょ」
「下品な擬音……」
「真実の口よ」
「自慰の周期はほっといてください、家賃はちゃんと払いますから」
「童貞っぽい反応」
「童貞じゃないですって……」
弱々しく反論するけど、弱々しすぎて説得力がない。小鳩ちゃんにべったりしなだれかかって、耳朶に吐息を吹きかける。真っ赤でかわいい。
「さっきの話じゃ半年以上滞納した店子にって……俺、ちゃんと払ってるのに」
「アナタは特別、素質があるもの。アタシと一緒にゲイポルノ業界の頂点をめざしましょ?」
「めざしたくない……」
「億万長者になれるのよ?札束風呂に浸かりたくない?ねえ信じて、アタシの審美眼はピカイチなの、コレまで素人のなかから数々のスタアを発掘してきたわ、スカウトの腕はたしかなの。アナタを一目見て運命感じちゃった、薄汚いモッズコートに包まれても隠せない何かがある、こんな場末で燻らせておくのは惜しいダイヤの原石よ。自分がどんだけエロいか気付いてないなんて罪作りよ、無防備に無意識なエロスを垂れ流して誘ってるの、特に腰回りがヤバい、骨格ができあがる第二次性徴期からテクニシャンに百回は抱かれてこなきゃこの官能的なラインは出せないわ」
もう一押しでおちる。現場で鍛え抜いたオンナの勘がそう言ってる。
追い詰められた小鳩ちゃんの両手をひしと握り締め説得するさなか、窓の外で一際でかい銃声と怒号が上がる。
もうなんなの?せっかくイケそうだったのに……堪忍袋がブチギレる。
おもむろに席を立ち、がたぴしゃと窓を開けて顔を突き出す。アパート前の通りでは銃を構えた野蛮人が抗争のまっただなか、さっき死んだ男が脳漿を零して血だまりに突っ伏している。
肺活量いっぱい空気を吸い込み、こめかみに青筋立て大喝。
「るっせえぞてめェら今大事な話してんだ、キンタマかち割ってピーナッツ詰めてから縫い直してやろうか!?」
なにごともなかったように窓を閉めてキッチンに戻る。小鳩ちゃんは今にも消え入りたそうに俯いて、細かく震えている。
「ごめんなさいね、邪魔が入って」
「いえ……あの……ホントもう帰らないと、鍵とガスの元栓閉め忘れたかも」
「まだいいじゃない、もう少しおしゃべりしましょ」
そうだわ。
名案が閃く。
「ビデオの件、一人で出るのに抵抗あるなら弟クンと一緒にいかが?マニア垂涎の近親相姦モノ」
「絶対いやだ」
「ふたりともカワイイしウケるわよ」
「アイツを巻き込まないでください」
「ネコでもタチでもかわりばんこに、ふたりして攻められるのもイイわね~。双頭ディルドで繋がって……あらやだ、涎がでちゃた」
小鳩ちゃんの弟クンはカメラ映えしそうなとびっきりの美形で、あちこちにセフレを作っちゃ出歩いてる。全然似てない、正反対の兄弟よ。
弟くんの出演に言及した途端、おさわりを耐え忍ぶ小鳩ちゃんの様子が豹変。
毅然とした態度でアタシを見据え、きっぱり牽制。
「スワローに手を出すな」
「ふぅん……男の子の顔、するじゃない」
穏やかで優しいお兄さんとわがままで暴れん坊の弟。相性はてんであわず喧嘩ばかりなのに、なんでかこの兄弟は特別な絆で結ばれてる。
「と・に・か・く。アイツも俺もそんな破廉恥なビデオ興味ありませんから……賞金稼ぎとして一本立ちする為にも、今ががんばり時なんです」
「夢を追いかけるのは若者の特権よ」
小鳩ちゃんから離れて足を組む。
引き際を心得てるのがいいオンナの条件。チャンスはまた巡ってくるでしょうし、ゴリ押しで嫌われたら本末転倒。
紅茶のお代わりを注ぎ足しながら、私生活に探りをいれる。
「その後弟クンはどう?相変わらず?」
「しょっちゅう出歩いてて帰ってきたりこなかったりですね。どこで何やってるのか、トラブルおこしてないといいけど」
あの子の場合、トラブルに巻き込まれてないかよりその原因になってないか危ぶむのが正しいわ。
「また取り立てに押しかけられたら心臓がもちません」
「外歩くたんびに知らない女や男にカネ返せツケ払え認知しろって追っかけ回されるんですって?」
「スワローの名誉の為に一応断っとくと最後はないです、避妊だけはちゃんとするのが数少ない美点なんで」
「連帯保証人欄にホイホイサインするからそうなるのよ」
「アイツ、俺の字をまねて勝手にサインを」
「カジノ通いで破産するのも時間の問題ね。スロット中毒なんでしょ?」
「ピンボールにハマってた頃はまだ可愛げあったんだけど」
「一緒に遊ばないの?」
「共倒れますよ」
苦笑いで肩を竦める。身近に弟クンの素行を相談できる相手がいないのか、珍しく饒舌ね。
「俺より稼いでるくせに金が出てく一方です。借金膨れ上がって自滅しても知らないぞ」
後半は本人への愚痴。アップルティーをちびりと啜る横顔に苦労人の悲哀が滲む。
アタシは人さし指で顎を支え、前々から温めてた疑問を呈する。
「不思議よねェ。アナタたちって全ッ然似てなくて相性も悪いのに、なんで離れないの?家賃を折半できるほうが都合いい?」
「なんでだろ……よくわからなくなってきました」
感慨深げに呟き、当惑の表情に一匙、愛情に限りなく近い腐れ縁の嫌気を足す。
「ただ……アイツをひとりにしとくと心配で」
「お兄ちゃんは心配性ね」
「離れて暮らしてた時もあるんですけど、無茶苦茶やってたみたいだから」
「お目付け役が必要?」
「なんだろうな、アイツの尻拭いをするのが俺の仕事っていうか……存在意義?違うな……一番近い言葉は」
「被害者?」
戯れに尋ねれば、思いもよらない指摘に軽く目を見開いて、その言葉を噛み締めるように緩慢に首を振る。
「ぺてん師のかも、えじきって意味なら当たらずも遠からずだけど、アイツの被害者だとは思ってませんよ」
「ひどい目にあわされてるのに?」
「だいたい酷いけどときどき優しいから困るんです」
「ダメ男から離れたくても離れられないDV被害者みたいね」
小鳩ちゃんの目が諦観に沈み、赤く澄んだカップの水面に己の顔を映す。
「子供の頃、よく犬や猫を連れ帰ったんです。目が合っちゃうとほっとけなくて……トレーラーハウスで旅してたから、お荷物が増えるって弟はキレたけど、母さんは笑って許してくれたっけ。家族が増えるのは嬉しいって」
「おおらかな人ね」
「自慢の母です。で、俺が拾ってきた犬や猫にアイツはきまってちょっかいかけまくるんだけど、ペットが死んだら必ずそばにいてくれる。飼ってたネコがぽっくり逝った朝も……さんざん減らず口叩きながら、死体を抱いて動かない俺の背中をずうっと温めてくれた」
「いい話ね」
「ひねくれてるから誤解されやすいけど、根は悪いヤツじゃない。アイツは優しいけど、優しさを見せるのを恥だと思ってる。優しさと弱さをごっちゃにして、自分にも弱みがあるのを恥じてるんだきっと」
弟を庇って懸命に言い募り、胸元のドッグタグを片手で握り締める。
「アイツがなにを一番嫌ってるって、アイツが憎んでる優しさの根っこが、俺と繋がってることです」
兄より強くてかっこいいはずの自分が、兄と弱みを共有してる真実に我慢ならないのだと。
「俺はこれまで、自分の人生の被害者になってるような賞金首をたくさん見てきました。だから言えるけど……俺は被害者じゃないし、被害者だとも思ってません。そう思った時もたしかにあるけど……」
「弟クンのツケを永遠に払わされ続けるような人生でもそう言える?」
ちょっぴり意地悪い気持ちになって皮肉れば、小鳩ちゃんは真剣な様子で考え、安らいで丸まった鶏をやさしくなでる。
「俺が出会った賞金首は、生まれる前にしょいこまされた誰かのツケを死ぬまで払わされ続けてるような人ばかりでしたよ。彼らが最初から100%の悪人だったとは思いたくないし、いまも思えない」
「思えない、より思いたくない、が先にくるのがアナタらしいわね」
「弟の尻拭いができるのは兄さんしかいないから」
アイツには俺がいなきゃだめだと、柔和に凪いだ横顔が心の内を代弁している。
あるいは、そう思いたがってるのかしら。彼の口ぶりはまるで、弟の尻拭いをするのは兄の特権と誇っているようにも聞こえたわ。
小鳩ちゃんは虐げられる一方の犠牲者じゃない。
ただ虐げられるだけの被害者は、こんな強くて澄んだ目をしない。
この子が妙に気になるのは、時々見せるこの目のせい。
最上級のルビーよりなお気高く、悲哀や絶望に染まりなお他者を愛し尊ぶのをやめない、鳩の血色の瞳。
ティーカップの中身を飲み干し、シュガー・ルゥを名残惜しげに返して腰を上げる。
「ごちそうさまでした、そろそろお暇します。またくるね、キャサリン」
「コケ―」
「ホントすぐ来るから。俺の顔忘れないでね」
「コケッ」
「キャサリンのことよろしくお願いします」
「シュガー・ルゥはアタシの家族も同然よ、アナタたちが家賃を滞納しない限りオーブンにぶちこまないから安心してちょうだいな。クリスマスにチキンが売り切れてたらちょっとわからないけど」
「くれぐれもお願いしますね?」
小鳩ちゃんが不安げに顔を曇らせて念を押すのを笑って流し、シュガー・ルゥと一緒に見送りにでる。玄関先で丁寧にお礼を言って辞す小鳩ちゃんへ、ばちこんとウィンクを決める。
「ポルノ出演の件、弟クンと検討してね?」
シュガー・ルゥの爪痕がくっきり残る顔で、実に感じよくにっこりと微笑んで、アタシの小鳩ちゃんは言った。
「お断りします、ミスター・リー」
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