タンブルウィード

まさみ

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十話

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久しぶりの逢瀬を愉しんでから足取り軽くアパートへ帰り、ゴツい南京錠とチェーンを解錠する。
デスパレード・エデン界隈は物騒だ。
押し込み強盗や空き巣は日常茶飯事、用心の為に南京錠は月一で取り換えている。月の上旬はピジョンの誕生日、下旬はスワローの誕生日が暗証番号になっている。
ダイヤルを回して番号を照合すれば、小気味よい手ごたえと共にカチリと蝶番が開く。
このアパートは夜でも寝静まることがなく、常にだれかがどこかで馬鹿騒ぎをしている。
しかし夜明けもほど違い時間帯とあって、彼らが居を構える四階には束の間の平穏が訪れている。
近隣の住民は飲んだくれるか喚き疲れて寝てるのか、天井を挟んだ上階からびっこをひく足音が聞こえてくる他はいたって静かだ。
ドアを開けて玄関へ踏み入り、再びチェーンを掛ける。
七面倒くさい手続きだが、やっておかないとピジョンがうるさい。
スワローは数日ぶりの我が家を特に感慨もなく見渡す。古臭い部屋だ。壁紙はかびて傷みが激しく、フローリングはキズだらけ。洗濯室ランドリーは別所にあるのでわざわざ出向くのが億劫だ。玄関を入って真っ直ぐ行くと居間に通じ、古道具のソファーが配置されている。
ここが目下、スワローピジョンの巣箱だ。
なお部屋を借りるまでには語るも涙聞くも涙の紆余曲折があったのだが、長くなるので割愛する。主に一人暮らししたいとピジョンがごねてスワローがキレるのが様式美だ。
生あくびをかまして歩みを進めたスワローは、ソファーで眠りこける二人に眉をひそめる。
「……オイこら、なんでテメエがいんだよ」
不機嫌に尖った視線の先、ソファーから半ばずり落ちて熟睡する劉。
劉の足元に目をやれば、同じソファーに凭れてピジョンが健やかな寝息をたてている。
「俺のアパートに図々しく転がりこみやがって……てめェもてめェだ、人の留守中に間男引き入れてんじゃねェぞ」
劉は腐れ縁の悪友だが、自分の留守中に許しを得ず転がり込んだとあれば話は別だ。
スワローは縄張りを荒らされるのが我慢ならないタチだ。
一応断っておくと、スワローは兄と共同で部屋を借りてるだけであって、別にここは「スワローの」アパートではない。所有格で語るのは大いなる間違いだ。
「聞いてンのかよ」
「ふがっ」
劉の鼻を摘まんで文句をたれるも、肝心の二人が熟睡中で無反応ときて馬鹿らしくなる。
よく見ればあちこち傷だらけだ。借金取りにフクロにされて逃げ込んだのを、絆されたピジョンが匿ったんだろうか?
叩き起こして事の子細を問い質してもよかったが、なにせ疲れている。
強行軍で依頼をこなしたその足でオンナとホテルにしけこんで、眠気と倦怠感をカクテルした脳内麻薬が頭をいい具合に蕩かしている。
もう一回劉の鼻を強く捻って放し、腰に手を突いて室内をうっそり見回す。
小腹が空いた。
何かないか。
無遠慮な大股でキッチンへ直行、めぼしいものはないか棚をあさって行儀よく並んだシリアルの箱を片っ端からポイ捨て、コンロに放置された鍋のふたをとってのぞきこむ。
白い粥のような液状の何かを一匙すくい、呟く。
「……ミルク粥か」
この際贅沢は言ってられねえ。すっかり冷めきったそれを温め直す手間も惜しみ、持ち上げた鍋から直接口へながしこむ。

ミルク粥は思い出の味だ。
兄弟どちらかが寝込んだ時、母が必ず作ってくれた。
ピジョンの料理の腕前は微妙だ。せいぜい並程度だが、アイツが作る粥は不思議と懐かしい味がする。
胃に優しいものといえばミルク粥とすっかり刷り込まれた兄は、まことに不本意ながらスワローが怪我をしてベッドで謹慎を余儀なくされるたび、腹を壊したわけでもない弟の為にせっせと母仕込みのミルク粥を作って食わせようとする。馬鹿だろ。前に一度そう腐したら、「早く治るおまじないだよ。それにほら、消化にいいもの方がいいしさ」と意味不明なことほざきやがったっけ。

今回は俺じゃねえ。
劉に作ったのか。

最後の一滴まで飲み干して空になった鍋を置き、規則正しい寝息に満たされた居間へと戻ってくる。
劉とピジョンは仲良く寄り添い眠っている。
「…………」
微笑ましい光景にモヤモヤが膨れ上がる。
そばに脱ぎ捨てられたシャツを一枚拾い、通りすぎざまファサッと劉の顔面に落とす。
「ぅぐ……」
シャツを被せられ息苦しげに呻く劉に完全に背を向け、ソファーに凭れて足を投げ出した兄の正面にまわりこむ。
「ピジョン?寝てんの?」
語尾を上げて訊くも返事はない。本当に眠ってるようだ。
わざわざ部屋まで運んでやる義理はない、重いしだるいし疲れる。第一なんでこの俺様がンなことしなきゃなんねえんだ?
スワローは無防備ずぎる兄の寝顔へ手を伸ばし、首筋から鎖骨にかけてうねる鎖をいたずらっぽく辿る。
「おかえりくらい言えよ」
人さし指の先端でくりかえしきらめく鎖をなぞり、熱い吐息に絡めて囁く。
「ひょっとして……俺んこと、待ってた?」
自惚れだろうか。
責任感が強くなにかと保護者ぶりたがる兄が、弟を待ちくたびれて居間でうたた寝したなんて証拠どこにもないのに、そうに違いないと心の片隅で確信する。
一方で劉の容態が心配で張り付いていた可能性もある。状況を鑑みればそっちのほうがしっくりくるのだが……
「なあオイ」
答えがないのが不満だ。
意地悪い気持ちが沸き起こり、タグの鎖を指に巻き付け軽く引っ張る。
瞬間、シャツの下へと続くもう一本の鎖が目にとまり仄暗い嫉妬が疼く。

力任せに引きちぎりたい。
寝ている今ならそれができる。

引きちぎって、ぶん投げて、あとは知らんぷりしてりゃいい。他の野郎の手垢が付いたクソ忌々しい十字架が、コイツの心臓の上を我が物顔で領してるのが許せねェ。
そこはずっと、俺の俺だけの場所だったのに。
兄の心臓を横取りした十字架を毟り取りたい衝動が燃え上がる。
お揃いのタグを押しのけ兄の胸を占める十字架を窓から投げ捨て、素知らぬふりをきめこみたい誘惑に揺れる。

知らず顎が力み、奥歯を強く噛み縛る。

コイツの心臓に他のヤツが巣食ってるみてェで癪だ。
敬愛する師匠からの贈り物だか餞別だか知らねェが、テメェはだれに断ってそこにいやがる?

おそろいのドッグタグがいつのまにか十字架にとってかわった。
コイツが肌身離さず身に付けるものが増えた。

「…………くそったれ」

ああむしゃくしゃする、煙草が喫いてェ。
でも部屋で喫うとヤニで壁紙が汚れるだの匂いが付くだの口うるさくどやされる。
スワローは鎖を掴んだまま、弛んだ口の端から一筋よだれをこぼし、しあわせそうに眠り呆ける兄ににじりよる。
「……なんでバックでヤリたがんのかって?」
スワローは加減が下手だ。
もう少し力を籠めたら鎖がちぎれて珠がはじけとぶ。
浮いた鎖の下から垣間見える首筋に咲く一際鮮やかな痣……昨晩スワローが吸った内出血の痕。
だれにいつ付けられたかとっくに忘れてしまった自分の痣と全く同じ位置に、ピジョンのそれはある。
「聞いたよな、お前」
バックはいやだ、ちゃんと顔が見たい、抱き合いたい。
いじらしくそうせがむのを突っぱねて、めちゃくちゃに抱いた記憶は新しい。

理由は簡単だ。
笑っちまうほどシンプルだ。

意外に長い兄の睫毛に息を吹きかけ、十字架の表面にカリッと爪を立てる。
「ンなの決まってんじゃん」
口の端が忌々しげに釣り上がり、とんでもなく邪でふしだらな笑みを刻む。
尖った爪先で十字架を引っ掻き、眠りに意識を明け渡したピジョンが無防備無抵抗なのを良い事に、兄の膝の間に大胆に割り込んでいく。
ピジョンの肌は男にしてはなめらかで手ざわりがいい。
兄の頬に片手をあてがい、もう片方の手で顎を上向け、ピジョンが起きている時には絶対出さない声で本音を紡ぐ。

「まともに顔見たら、加減がきかねェ」

安全弁ストッパーが壊れる。

「最中の顔見たら、ぶっ壊しちまうぞ」

ピジョンが壊れるまで、欲望を吐き出しきる。

これでもスワローは全力で手加減している、ピジョンを抱き潰さないようセックスは週三に控え不特定多数のセフレにばらけさせている、それでもぶっちゃけいっぱいいっぱいなのだ、本当の本音を言えばピジョンの身体なんて知ったこっちゃない正面切ってガツガツいきたい、でも正常位で致したら必然的に目障りな十字架を突き付けられる、俺とペアのタグと他人の十字架が縺れあった光景を否応なく目の当たりにするはめになる。

ピジョンの胸に仲良く並んだタグと十字架。
俺と俺以外の男の痕跡。

コイツは行為中も絶対タグと十字架を外さねェ、外せと命令すりゃ渋々聞くだろうが十字架を過剰に意識してるのがバレて芋蔓式に嫉妬まで暴かれるのは死ぬほどいやだ。

「テメェの胸にぶらさがるしんきくせーそれ、ヤッてるときに見せ付けられる身にもなれよ」

目障りだ、消えちまえ、視界から消えてなくなれ。
背後から組み敷いて犯すならいやなもの全部見なくてすむ、切なく濡れた声と汗ばんだ背中にだけ集中していられる、コイツの中に燻る俺以外の野郎の影だとか残滓だとかどうしようもねェこと勘繰って煉獄に焼かれ死ぬほど嫉妬に狂って滅茶苦茶な抱き方しねェですむ。

「声だけでもヤベーのに死ぬほど感じまくってるツラを至近距離で見た日にゃどうなるか……お前さァ、煽るだけ煽って責任とれんの?」

お前の感じてる顔を余さず目に焼き付けたい願望と欲望を、そうなったら戻れなくなる絶望が瀬戸際で食い止める。

どこまで?
どこまでも。

加減が下手な自覚はある、だからこそ最後の一線は越えないギリギリで踏ん張った。無節操な噛み付きはその代償、兄の肌に歯型を刻んだ瞬間だけ厄介すぎる独占欲がほんの少し癒される。

前に一度、ピジョンに酷くしたことがある。
きっかけはささいなこと。それが手遅れになるまで膨れ上がって、ブチギレたスワローはピジョンを縛った上でいろいろなことをした。
ようやく縄を解いてやったとき、ピジョンはショック状態を呈し、『ごめ、ごめん、俺が悪かった、ごめん』とわけもわからず泣いて謝って、完全に怯えきった瞳でスワローを凝視していた。
まぬけな話、全部終わったあとになって初めて「やりすぎた」と気付いた。

恐怖と絶望に凍り付いた瞳は二度と忘れられそうにない。
ピジョンがクインビーを見たのと、そしておそらくは自分がレイヴンを見たのと同じ目。
原初的な嫌悪のかたまりの瞳。

あの時の二の舞はごめんだ。
だから俺は、わざとコイツの顔を見ないようにして俺の中の汚い欲望をギリギリ押さえ付けている。じゃないとあんまりにも脆すぎるコイツをあっけなくぶっ壊しちまうから。

スワローは皮肉っぽく片頬笑み、寝ている今だからこそ正面から向き合える兄へ首をかしげてみせる。

「訳が聞けて満足?おっと勘違いすんな、バックが好きな理由は気持ちいいからってのはマジだ、嘘は吐いちゃいねーよ。俺は気持ちいいことが大好きだ、お前だってそうだろ?バックでガツガツ犯されてケツん中がうねりまくってんのが証拠だ。キスしてーだとか抱き合いてーだとか、ガキのままごとじゃねーんだ。もうそのへんはいーだろ別に、お互いいい加減大人なんだ、物分かりよくちゃちゃっといこうぜ。俺もお前も母さん譲りのビッチだ、キスとかハグとかまどろっこしい茶番にかまけて本番切り詰めるなァ本末転倒だろ?お前は大人しく俺の下になってりゃいい、そうすりゃたっぷりかわいがってやっからさ」

おどけて、ふざけて、悪ぶって。
そうして自らを茶化し、虚勢で大口を叩いて、俺達はこれでいいんだと痛々しいほど意固地に兄の寝顔に言い聞かせる。
今この場で起きているのはスワローただ一人。
返事がないのは百も承知で空疎な独り語りを続ければ、生活感にあふれた部屋の隅々に、カサカサに乾いた枯れ草の如く妙にはしゃいだ声が転がっていく。

本当はびびってんじゃねーのか。
俺とヤッてる最中のピジョンの目にあの表情が浮かんでいたら、レイヴンやクインビーに向けたのと同じ戦慄がありありと浮かんでいたら、また知らないうちにやりすぎて今度こそ壊しちまったら……

「…………てめェがエロすぎるって、もうちょい自覚しろよ」

お前の淫らさが、俺をおかしくする。

折り曲げた中指と人さし指の背で兄の頬に触れ、それをゆるゆると自分の唇に持っていく。
まるで無意味な間接キス。
長い睫毛を儚く伏せ、赤錆の瞳をさざなみだて、指に写し取った体温と残り香に心を寄せる。

寝てるあいだは優しくできる。
起きてるあいだは兄貴風を吹かす憎たらしさが先に立って口答えせずにはいられない。
他のヤツならだれだろうがどうってことない、正常位だろうが後背位だろうが鼻歌まじりにこなしみせる。なのにピジョンが相手となると行き過ぎる危うさにまともに目すら見れない有り様だ。
向き合うと歯止めがきかない。ならいっそ見なけりゃいい。コイツの胸ででかい面するだれかの十字架も、俺への怯えと嫌悪を封じ込めて震える瞳も、俺を焚き付けておかしくさせる何もかも見ないふりして翼の名残りの肩甲骨に口付けりゃいい。それならまだ大丈夫、皮膚に包まれたまろやかな骨を甘噛みしてるあいだは空恐ろしい衝動を御しきれる。

なんで俺は兄貴を大事にできないのか。
大事にし方ってのが、とことんわからないのか。

「『大事にする』は、俺にとっちゃ何もしねーことだもんな」

カーテンの隙間から埃っぽい朝日が射しこむ。
透明な光に洗われた十字架がちゃちなタグを押しのけて輝き、ピジョンの横顔に淡い陰影を一刷けする。ほんの一瞬見とれるスワローの前でかすかに睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がっていく。
セピアがかった赤錆の瞳が瞬き、鮮明に弟の姿を映す。
「……あ……おはよスワロー……もう朝?」
「ああ」
「朝ごはんミルク粥でいい?ちょっと作りすぎちゃって」
「もうねえ」
「は?」
「全部食った」
「えぇ~~~……」
「まだぬけねーのかよ三人分作る癖」
「習慣って怖いね」
ピジョンが生あくびに次いで伸びをし、ソファーでうなされる劉にぎょっとする。慌てて彼の顔に被さってシャツを払いのけ、犯人に違いないスワローをキッと睨む。
「窒息したらどうするんだ!」
「濡らさなかったなァ慈悲だ」
耳垢をほじってすっとぼけるスワローを呆れ顔で睨み付けてから、「まあいいや」と気を取り直して立ち上がる。
「帰ってきたら話したいことがあったんだ。劉経由で面白いネタが手に入ってさ」
「そりゃ奇遇だな、こっちもオンナからとっときのネタ仕入れてきたぜ」
「ちゃんと避妊した?」
「ゴム使った。ていうか開口一番それかよ」
「無差別子作りテロでできた甥や姪の連帯保証人にされたくないしね」
ウンザリ顔のスワローをよそに何故か床に倒れたシリアルの箱を拾い上げ、中身をボウルに移しがてら、ピジョンはある予感に突き動かされて提案する。
「いっせーの、で」
「りょーかい」
「いっせーの……」
「「黒後家蜘蛛ブラックウィドウ」」
兄弟の声が明朗にそろい、白々と朝日に浄められたキッチンに響き渡った。
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