タンブルウィード

まさみ

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八話

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「痩せてるわりに重いね……」
「アレだ、着痩せするタイプってヤツだ」
「アロハシャツ一枚で着痩せもなにもないと思うけど」
「るっせェ、愛と欲望が詰まってんだよ。これしきで弱音吐くな、スワローなら軽々しょってくぞ」
「アイツと一緒にするなよ……運ばれてる分際で態度でかいぞ、階段上るの大変なんだから。もう肺が死ぬ、乳酸が活性化して息がヨーグルト臭くなって死ぬ」
「なあ……素朴な疑問があるんだが、いいか」
「何」
「なんで表玄関エントランスのエレベーター使わねえの」
「夜中に怪我人連れて帰って、大家になんて言い訳するんだよ?床に落ちた血汚れは油分多いから取れにくいってさんざん嫌味言われるに決まってる、終わるまで待ってたら俺はともかく劉は死ぬんじゃない?」
「なるほど……」
「エレベーターも調子悪い。永遠に故障中って貼り紙がある」
「先に言え」
「まあ永遠にってのは住民が書き加えたジョークだけど……実際永遠に停まってても不思議じゃないね」
「男二人宙吊りで閉じ込められたらぞっとしねえな」
「アダムとイブになれないしね。天井外して自力で脱出するしかない、ロープが切れたらジ・エンドだ」
「はは。笑える」
「昔エレベーター内で未解決の殺人事件が起きたとか人が蒸発したとか言われてるし……」
「はッ、幽霊にびびってんの?」
「ほっとけよ。話戻すけど、スワローにおぶわれたことあるの?」
「あ~……まあな、依頼で組まされた時にいろいろあってさ。逃げ足にゃそこそこ自信あったんだが、テメエが走るよか俺が背負った方が早いとかぬかしやがってあの野郎……ぶっちゃけそのとーりだがよ」
「俺が先生のトコで修行してる時だね。アイツとコンビ組める人間が俺以外にいるなんて驚いた」
「振り回されてただけさ。アイツは好き勝手やる、血を見ると加減がきかなくなって大暴走、おかげでこっちはいい迷惑だ」
「ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ?」
「だって兄さんだし……」
「弟の不始末は兄貴の責任ってか」
「着いたよ」
アパートの側壁に据え付けられた外階段を上り、さっきとおなじルートで四階に到達。
ゴミだらけの廊下を劉をひきずり歩いて進む。
「ふう……」
「お疲れさん」
「心ない応援どうも」
劉はピジョンの肩に体を預けきってぐったりしている。減らず口は強がりだ。
外階段を経て漸く廊下へ帰還したピジョンは汗だくで息も荒く、これではどちらが重傷かわかりゃしない。ひと一人背負って長い階段をえっちらおっちら上るのは足腰を酷使する重労働だ。
しかも肩を貸しているのは極端な痩せぎすといえど成人男性、反対側の肩には愛用のスナイパーライフルを掛けている。何度放り出したくなったか……誤解ないよう断っておくと、放り出したくなったのは人騒がせな友人の方だ。
ピジョンはさっきと同じ手順でロックを解錠する。念のため劉に見えないよう体をずらすのも忘れない。劉はご近所さんで友達だが、物騒なご時世とあって南京錠の番号を知られるのは避けたい。
「ただいま」
ドアを開けて玄関へ入れば劉が妙な顔をする。
「だれもいねーじゃん。スワローは?」
「まだ女の子のとこじゃない?たぶん。今日は帰らないか、帰っても遅いよ」
「あー昼間の……下半身がお盛んでうやらましいこった、仕事が終わって即かよ」
「仕事が終わったあとは気が逸って仕方ないとか言ってた。そのぶん女の子と遊んで発散してるのさ」
「待てよ、じゃあ今のただいまは?」
劉の訝しげなツッコミに、ピジョンはほんのわずか頬を染める。
「……いいだろ別に。マナーだよマナー」
劉が万事こんな調子なのでピジョンの扱いも比較的雑だ。
年上にして目上の師には丁寧な物腰と敬語で接するが、何故か劉にはまったくそんな気がおきない。
日頃の生活態度が物を言うのだろうか?劉の言動を見ていると少しばかり年上である事実をしばしば忘れそうになる。
部屋の中は相変わらず散らかっている。留守中にお片付けしてくれる親切な小人さんがいるでもなし当たり前だ。留守にしてた三十分弱の間に見違えたら怪奇現象だ。
「うぅ……痛てェ畜生……」
「あと五歩だから頑張れ頑張れ」
「その二度くりかえすのやめろよ、小馬鹿にされてるみてェでムカツク」
弱々しくぼやく劉をおろし、片方の肘掛けを枕がわりに後頭部をのっけてソファーに移す。
怪我に障らぬよう慎重に寝かし終え、続いてスナイパーライフルを下ろし、背中が軽くなった解放感に深々と一息。
「ちょっと待ってて」
台所へ行って蛇口を捻り、コップに一杯水を汲む。
それをソファー前のテーブルに置いて、すぐ取り出せるよう手近な戸棚にしまってある救急箱をとりだす。
劉は震える手でコップを掴みおいしそうに嚥下する。
ピジョンは傍らに座って救急箱の蓋を開け、包帯と消毒液とガーゼと絆創膏、治療セット一式を几帳面に並べる。
「腕だして」
「クスリはやってねェ」
「注射痕見るんじゃないよ」
「ハイ」
「うわ細……ちゃんと食べてる?」
「食ってる。煙を」
「固形物を主食にしなよ」
「仙人リスペクトだよ」
「廃人になるよ」
「ニコチン点滴してくれ……」
「医療行為と殺人行為をごっちゃにするな」
金欠なのか小食なのか、ここ数日まともに食べてないと開き直った劉にあきれる。
清潔な脱脂綿にたっぷり消毒液を染ませて簡単に拭いたあと、青く静脈が浮かんだ貧相な腕へ手際よく包帯を巻いていく。
「劉の国では仙人は霞を食べて生きる伝説があるんだっけ」
「俺の国って行ったことねェよ。華僑何世だと思ってやがる」
「何世?」
「知るか」
「色々まざってるよね。あ、変な意味じゃなくて」
「いまさらだろ?髪と瞳の色で一発だ」
ダークブラウンの毛先を引っ張り、同じ色の瞳で自嘲する劉は傷だらけだ。
打撲と裂傷その他もろもろ……自慢の眼鏡も片方の弦が曲がって斜めに傾いでる。
「くそ……好き勝手やりやがって」
鼻梁にずれたまま修理に出すか新調するしかない眼鏡に舌打ち、感心の表情でピジョンに向き直る。
「上手いもんだな」
「スワローにやってるから慣れた。しょっちゅうキズ作ってくるし」
「自分の怪我はどうすんだ、スワローにやってもらうのか?」
ピジョンは肩を竦め、劉の右腕の痛々しい擦り傷を包帯で覆っていく。
「アイツは荒っぽいから……気が立ってるとわざと痛くするし、自分でやったほうがマシ」
「大変だな……」
劉が心底同情する。
賞金稼ぎになってから怪我は日常茶飯事だ。
子供の頃から擦り傷だらけだったが、今はナイフや銃弾が掠って拵えた物騒な負傷が増えた。
賞金稼ぎ専門の医者および闇医者はストリートにごろごろしてるが、何かあるたび世話になってたら出費が馬鹿にならない。
節約のため一定範囲内の怪我は自分たちで手当てするよう心がけており、主にピジョンの医療スキルは飛躍的に向上した。
苦痛に顔を歪める劉に「じっとして」と注意、そばかすの浮いた鼻の頭にぺたりと絆創膏を貼る。
「手先だけは器用でね。それに加えてスワローは小さい頃から街の子と喧嘩やら母さんの馴染みと喧嘩やらしてたし……」
「手当てしてやってたのか」
「まあね」
弟の世話はもちろんだが、自分の怪我は自分でなんとかしてた。スワローに任せると無駄にハラハラするし、悪ふざけで傷口に消毒液をぶっかけられないともかぎらない。
ピジョンの体にある痣や擦り傷の三分の一は、スワローに小突かれてできたものだ。
「できたよ」
「うぅ……痛てぇ……」
「見かけによらずタフだね、擦り傷程度だった。骨も折れてないし……ざっと応急処置はしたけど、あとで医者に行くのお勧めするよ」
「口の中切れてる」
「そこはさすがにどうしようもない」
スワローなら消毒だとか言ってキスしてくるけど。
言わなくていい一言は胸に畳み、救急箱を戸棚に返す。
劉は包帯と絆創膏にまみれて憮然としている。
起き上がれる程度には気力と体力が回復したのか、ソファーの背凭れに深く背中を沈め、半分死んでいるような気怠い声を投げかける。
「あ~……そのなんだ。マジ助かった。さっきの狙撃お前が?」
ソファーに凭せたスナイパーライフルとピジョンの横顔を怖々見比べる。
「……いい腕じゃん」
「手を吹っ飛ばしただけだから止血が早ければ大事に至らない。医者に駆け込めば指も繋がるし……あたりに落ちてなかったってことは直後のどさくさでも忘れず拾って帰ったんだろうね。さすがは現役のギャング、胆が据わってる」
「……『だけ』?」
「だけ。あ、でも弾丸で吹っ飛ばしたから断面がアレか……やっぱ無理かも。悪いことした」
劉がちょっと、かなり、結構引くもすぐ気を取り直す。
「アイツらがどうなろうが知ったこっちゃねェよ。むしろ死んでてほしい、報復考えると気が重いぜ」
「俺たちの繋がりはバレてない、しばらく安全なはずだ」
「希望的観測だろ?ギャングの情報網なめるな」
「かち合わないよう逃げ道も選んだ、向こうは敵対組織が送り込んだ刺客のしわざと誤解してる。複数勢力入り乱れての抗争真っ只中なんだ、まずそっちを疑うよ。悲観してもしょうがない、命拾いした現実を喜びなって」
劉の短所は卑屈でネガティブな性格だ、物事をなんでも悪い方へ考えたがる。
ピジョンにも共通する性格面ではあるが、「鬱だ、死のう」が口癖の劉に比べたら自分は随分能天気な人間だと痛感する。
劉のネガティブ思考に引きずられないよう前向きに気分を切り替え、キッチンへ赴く。
「なんか作るよ」
「料理できんの?」
「そこそこは」
スワローとの二人暮らしも長い。ピジョンも少しは自炊ができる。
劉の鳥ガラのような体を見、何か栄養のあるものを食わせなければと使命感に駆り立てられ、コンロの摘まみを回し鍋を火にかける。
ソファーにただひとり手持無沙汰になった劉は居心地悪さをごまかすようにしきりと貧乏揺すりをし、戸棚に陳列されたシリアルの箱や缶詰、テーブルに投げ置かれた雑誌を物珍しげに眺めてぱらぱらめくる。
その口からぽろりと疑問が零れる。

「……なんで助けたんだ?」

本当に不思議そうな……自分にはそうされる価値も資格もないと諦観した人間に特有の、倦怠感にひたりきった声。

わざわざ振り向かなくても表情は想像できる気がした。
ピジョンはどう答えようか迷い、結局どう答えたところで劉は満足も納得もしないだろうと思い直して正直に告げる。
「う~ん……成り行き、かな」
「は?」
「先生が言ってたんだ、私の目に映ることで私に関係ないことなんてひとつもないって」

どうして助けたか聞かれても、そうしたいと思ったからしか理由がない。
自分にはたまたまそうする力があって、たまたまそうできるタイミングに恵まれた。
だから、した。

「友達を見捨てるの寝ざめ悪いし……」
「はッ。ダチね。だからか」
ソファーにそっくりかえった劉が皮肉っぽく嘲笑い、ピジョンは紙パックを傾けて鍋にミルクを投入する。
ミルクに浸した炊米をヘラでゆっくりかきまぜて、冗談っぽく続ける。
「どうせろくでもないことやらかしてヤキ入れられてるんだろうと思ったけど」
「余計なお世話だ」
「あたり?」
劉が口を閉ざす。少し調子にのりすぎたようだ。
摘まみを回して火を停め、カウンターに鍋を移す。
ミルクで柔らかく似た米を皿に二等分し、匙を添えて劉のもとへ持っていく。
伊達眼鏡を外し、ひん曲がった弦をなんとか復元できないか未練たらしくひねくりまわしていた劉が顔を上げる。
「……なにこれ」
「ミルク粥。母さん直伝」
「……病人じゃねーんだけど」
「口の中切れてるんだろ?だから噛まなくていいものにした」
ピジョンがそう言い返すや、大人しく眼鏡をかけなおした劉が口を結んでは閉じ、なんとも微妙な表情で黙り込む。
くすぐったげな……照れていると評してもいいだろう顔で匙をひったくり、できたての粥をひとすくい。ふーふーと息を吹きかけ冷ます。
「ホンっトよく気が付くな。嫁かよ」
「介護人だよ」
「てか何でてめーまで……俺に付き合うことねーし、怪我人でもなんでもねーんだからフツーの食えばいいじゃん」
「一人分作るのもかえって手間だよ」
ああいえばこういう劉にちょっとだけ拗ね、自分も匙をとってミルクで煮た粥を口に運ぶ。
おいしい。劉も黙々と食べている。
「おいしい?」
「別にフツー」
「……そっか」
無言で立ち上がり隅っこへ行って体育座り。
ちょこんと膝を立てて揃え、皿を抱え込んで俯きがちに匙を動かすピジョンに劉はあせる。
「……あ~待てちがうって。俺のフツーはよそのフツーと違くて、そこそこいいほうのフツーってかそのへんの微妙なニュアンスがどーにも伝わりにくいってか……並じゃなくて上に近い中、ほとんど上って言っていい上出来な中なんだよ」
慌ててフォローする様子にピジョンは吹きだし、匙の先端を咥えた劉が露骨に安堵する。
「そこそこいいほうのフツーって……褒めてるのかよそれ」
「うるせえ、褒め慣れてねーんだから大目に見ろ」

劉はピジョンの大事な友人だ。
結局の所、報復を恐れず助けた理由はそれに尽きる。

啜ってるうちに食欲がでてきたのか、劉がはふはふ言いながら夢中で粥をながしこみ、ピジョンもそれにならってちまちまミルク粥を食べる。
猫舌なのでひとすくいごと息を吹きかけ冷まし、「で?」と聞く。
「どうして殴られてたの?」
「ある賞金首のネタ渡せって脅されたんだよ……」
劉が憂鬱げにぼやく。
本人の言質がとれた。情報を右から左に捌いて小遣い稼ぎをしているという噂は事実だったらしい。
ピジョンは敢えてそこには触れず、匙を咥えたまま疑問符を顔に浮かべ小首を傾げる。
「フツーに売っちゃダメなの?袋叩きになる意味がわからない」
「アイツらたァ因縁があんだよ」
「劉が?」
「いんや。その賞金首が」
黒後家蜘蛛ブラックウィドウ?」
「―知って……いや、聞いてたのか?」
まずい。
途端に眼鏡越しの双眸が剣呑に細まり、だらけきった物腰に猜疑心と警戒心が漲る。
口に運びかけた匙を途中で止め最前のなまぬるい空気から一変、ピジョンの真意と既知の範囲を推し量るように油断ない視線を突き刺す劉に、降参して両手を挙げてみせる。
「ごめん、好奇心に負けた。一応言い訳しとくと、スコープ覗いたら敵の唇の動きが見えて反射的に」
「読唇術か?」
劉がぽかんと口を開ける。
ピジョンは胡坐をかいてライフルを引き寄せ、スコープに片目を付ける。
「先生の有り難い教えだよ。狙撃手の使命は狙撃のみに非ず、索敵も重要なりってね。スコープは遠距離の敵を拡大視する、それは弾を的に当てる為に不可欠な機能だけど……さらに狙撃手の技能を上乗せすれば敵陣の動向も把握できる」
「簡単に言ってっけど誰でもできんの?」
「精度を上げるなら修練が必要、でも大雑把になら俺でもできる。先生直伝の特訓を受けたからね……」
読唇術は遠く離れた人の会話をすべて読み取るスパイ技術と描写されがちだが、実際は聴覚障害者がコミュニケーションの必要性に迫られて生み出した技術であり、習得には長い時間を要する。
ピジョンが読唇術を体得するには半年かかった。
「本当の読唇術は至近距離でも全ての会話を正しく理解できるかむずかしいけれど、先生がよかったからね。曖昧な部分は前後の脈絡や想像で補って、全体像をぼんやり描くのは可能だ。敵の作戦をスパイして前線に素早く伝えられれば何手も先にいける」
狙撃手を暗殺のみに使い潰すのをのよしとしない師は、前衛のサポートに徹する隠密要員としてピジョンを一から叩き上げた。
劉は真面目な顔でピジョンの話を聞いていたが、ミルク粥をあらかたたいらげると同時に匙を投げ、あきれはてて首を振る。
「……よくやるぜ」
「え?」
「二重の意味でごちそうさん。全部スワローのためだろ?」
斜に構えた指摘に虚を衝かれ、わかりやすい動揺が広がる。
言葉に詰まったピジョンをよそに足を崩してリラックス、ふてぶてしい笑みを顔一杯に浮かべて畳みかける。
「そこまでしてカワイイ弟のお役に立ちてェってか?俺にゃよくわかんねー感情だな、あんなクズのためによく尽くせんな、いじめられんの好きなドМなの?」
ピジョンは言葉に詰まり、何か言い返そうと口を開いてはまた閉じ、それを二度ほど繰り返して悔しげに俯く。
「前線で好き放題大暴れする弟を支えてーから狙撃を練習した、読唇術を学んだ、後方支援に回った。あたり?」
「……アイツのためだけじゃない」
漸く一言しぼりだし、隅々までなめたようにキレイな二人分の空皿を回収してシンクへ持っていく。
「俺はスワローみたいにナイフも使えない、前線にでる度胸もない。だったらせめてうしろで役に立ちたい、コイツになら背中を任せていいって思える人間になりたい」
バックはいやだけど。
心の中で付け加えて、蛇口を捻って水を出す。

「弱虫でもできることがあるって、証明したいんだ」

俺はとことん凡庸で愚鈍だから、普通の人の何倍何十倍も努力しなきゃだめなんだ。一人前になれないんだ。一流なんてまだ先だ。スワローを追い越すなんて今の調子じゃ見果てぬ夢だ。
でも先生はこんな俺に言ってくれた、こんな呑み込みの悪い俺に愛想を尽かさずしっかり鍛え上げてくれた。

一人前の狙撃手になるのが今の俺のささやかな目標だ。

師の期待に応えたい。
師の檄に報いたい。
禁断の関係に溺れてどん底まで堕ちきる前に、師がくれた十字架に恥じない立派な人間になりたい。
師にたまわったこの十字架こそ、今の俺の安全弁だ。

さりげなく十字架を握り締めて目を瞑るピジョンに何を思ったか、劉が気まずげに頭をかいて詫びる。
「…………わり、言いすぎたわ。恩人だって忘れてた」
「そこは忘れないで欲しいかな」
悪い人間じゃないんだよな。
終始アンニュイでだらしなく服は悪趣味で口も顔色も目付きも悪いが、劉が実は人一倍傷付きやすく優しい人間であるとピジョンはよく知っている。だからこそ三年も友達付き合いを続けている。

なんだかんだでピジョンもまた、この面倒くさい男が好きなのだ。
好きだからこそ、その面倒くささが許せるのだ。

「そもそも友達少ないしね……」
「なんか言ったか?」
「なんでもない」
子供の頃はスワローだけが遊び相手だった。
キマイライーターや師のようにかしこまらず、プライベートで交流し気安くタメ口叩ける友人の存在は有り難い。プレッシャーに押し潰されそうな日々の中、くだらない馬鹿話でほっと息を抜ける。
少ない友達は大事にしようと心に決め、首をひねって劉を見る。
「許すなら交換条件。黒後家蜘蛛ブラックウィドウのこと教えてくれ」

一日も早く一人前と認められるには手柄を上げることだ。
賞金稼ぎとして成果を出せば、師の恩に報いれる。
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