101 / 295
Chicken stampede
しおりを挟む
アタイが生まれた農場はひどい場所だった。
「cock-a-doodle-doo!」
金切り声で慄く妹分の首ねっこを、毛むくじゃらの太い手がむんずと掴んで引っ張りだす。
親父に捕まった妹分はヒステリックに絶叫、ケージに阻まれて手も足も出せないアタイに助けを求める。
「その子をはなせ鬼畜野郎、殺るならアタイを先にしな!」
目と鼻の先で妹分がもがき苦しむ。
この憎たらしい金網さえ破れれば手が届くのにと悔しさで歯軋り、全体重をかけた渾身の蹴りをかます。
だけども金網はがしゃんと撓うだけで、やるせない無力感と絶望を噛み締める。
「うるせえ腰抜けども、汚ェ声で啼き騒いでっとぶった斬るぞ!」
親父が盛大に唾を撒いて息巻く。
「嫌だ死にたくないお願いよ……」
逆さ吊りの妹分が泣きじゃくる。
アタイたちにはどうすることもできない、檻に閉じ込められて見ているだけ。むくつけき親父は毎日仲間を連れ去っていく。
片手には黒光りする不吉な斧。
巨大な刃が鈍くギラ付く。
「その子を傷付けたらただじゃおかない、アルコールでぶよぶよの肝臓噛みちぎってやる!」
ケージの正面に張られた金網に何度アタックして脅せど無駄、親父は哀れな妹分を片足で固定。黄ばんだ歯を剥いてせせら笑い、勢いよく腕を振り抜く。
「あばよ」
「駄目―――――――」
醜悪な容貌に漲る狂気と嗜虐の笑み。凶悪無比な屠殺者の笑顔。
風切る唸りに続いて甲高い断末魔が空気を切り裂く。
鮮血の弧を描いて生首が飛び、恐怖の絶頂で目を見開いたまま、乱雑に藁が敷かれた地面を転々とはねる。
「ちっ、手間かけさせやがって。いきがいいのは結構だがな」
妹分の細首を斧で切り飛ばした親父が舌打ち、血の滴りをゴム長靴で蹴散らす。
さっきまで生きて動いていた身体から、瞬く間に鼓動とぬくもりが消え失せていく。
姐さんと姐さんと慕ってくれた可愛い子だった。
おまけに気立てが良くて器量よし、惚れ惚れするような歌声を聞かせては皆の荒んだ心を癒す喉自慢だった。
「なんてこった……」
「まだほんの小娘じゃねェか」
「血も涙もねェ」
周りの連中が口々に同情する中、アタイの頭は痺れて働かず、藁床に横たわる骸に凍結した凝視を注ぐ。
あの子はもう微動だにしない、ただの冷たい肉の塊になってしまった。
「これりゃ精が付きそうだ」
鬼畜が不気味に笑い、切断面もあざやかな生首を掲げて搾り、たっぷりと血を飲み干す。
スプラッタな光景に戦慄、檻に閉じ込められた仲間たちが身を竦める。
仮にも生まれてから今まで育ててきたってのに、一抹の容赦もなければ血も涙もない。どんなに抵抗や懇願したって、コイツがアタイたちに情けをかけた試しは一度もない。
いえ、そもそもコレが目的なの?
アタイたちを屠る為に育ててるの?
アイツはアタイたちを農場に監禁して、解体するのを楽しんでいる。今日の犠牲者はどの子にしようか、端から端まで犇めく檻を覗いて、獲物を選ぶ冷血な目が忘れられない。
アタイたちが怯え泣き叫ぶほど興奮して、目の前で首や脚をぶった斬っちゃ搾りたての生き血を飲み干す、狂ったパフォーマンスを嬉々として演じてみせる。
信じらんない、なんて悪趣味。
「もうだめだおしまいだ、次はおいらだ」
「何言ってんのよ、希望をもたなきゃ」
「母ちゃんも妹も弟もみんなやられちまった、みんなアイツに食われちまったんだ。畜生、これが人間のやることか」
「煮るか焼くのか炙んのか、どうせバラされんならひと思いに首から逝ってくれ、生殺しは願い下げだ」
親父が去ったあと、暗闇に残された仲間たちは我が身を儚み悲嘆に暮れる。
皆檻に閉じ込められているから顔は見えず、声だけでやりとりするの。
糞尿垂れ流しの不潔な場所。ろくに掃除もしてもらえないから病気でばたばた死んでく仲間も多い。病気でくたばった仲間の死体は雑に積み上げられて、焼却炉に放り込まれていく。
まさにこの世の地獄。
明日には友達や恋人が、あるいは自分が指名されるかもしれないロシアンルーレット。
片っぽが檻から引き出され、死に別れる恋人たちはいやってほど見飽きた。黄色いくちばしで母親を呼ぶ子どもたちの声が耳に焼き付いて離れない。
あの子の死体がどこかへ持ち去られたあと、不幸な境遇を嘆き悲しむのに飽きた連中が、恐々と噂話を始める。
「なあ聞いたか、隣の農場じゃレースをやってんだとさ」
「レースってどんな」
「聞いて驚け見て震えろ、俺たちを横一列に並べて素っ首ぶった斬って、だれが一番多く歩けるか競わせるんだよ。倒れたらそこでおしまい、名付けて首なしチキンレース」
「うわおっかねえ」
「うちらも出荷されちまうかもな」
絶対脱獄してやる。
アタイは心に決めた。
勇を鼓して武者震い、金網を一心不乱に突く。
「なにしてんだアイツ」
「とうとうオツムがイカレちまったのか」
「あんなことしたって出れるわけねーのに」
「体力使い果たして処分されるのがオチだぜ」
「うるさいわね正真正銘の骨なしチキンども、引っ込んでなさい。アンタたちのようなタマなしと違ってアタイは絶対諦めない、1インチ先に広くて素晴らしい世界が待ってんだもの」
「だいたい外に出てどうするんだ、俺たちゃお袋のお袋のそのまたお袋の代からずうっと農場暮らしじゃねえか。出荷する為に産み落とされたのに、何がいるかもわからねえ娑婆でやってけんのか。あっちは弱肉強食って噂だぜ」
「家畜根性が染み付いちゃって情けない、外に何があるかなんて自分の目で見なきゃわかんないでしょ。母ちゃんの母ちゃんのそのまた母ちゃんの代から檻暮らしなら、いざ飛躍してご先祖の悲願をはたしてやろうって気概はないわけ?」
「本当だって、ホルスタインのドナから聞いたんだ。おんもは怖いぞ」
「外は危険がいっぱいよ、氷の塊が降ってくるんでしょ」
「鉄のかたまりが走ってるんだ」
「野牛の群れに轢かれたら平たくなっちまうぞ」
「ローストになるよりペーストになるほうが万倍マシ」
同胞から口々に制されても、一旦走り出した情熱は止まらない。
アタイは敢然と啖呵を切り、金網一枚隔てたむこうに犇めく、無個性なケージ群を見回す。
「好きなだけ言ってなさいなキングオブチキンども、殻の付いたひよっこはお呼びじゃないのよ。アタイはバラされるのも首なしチキンレースに強制出荷もまっぴらごめん、娑婆の空気を吸わずに死ねるもんですか!」
アタイは必死の形相で金網をねじ切りにかかる、脚で何べんもキックして撓ませてすかさず突付く、アタイはまだ若くて健康だから体力はありあまってる、体当たりのくり返しで自慢の白肌が傷付いたってかまうもんか、こちとらワイルダネスなタフネスが売りよ。
不屈の闘魂、あるいは類稀な精神力がアタイの爪を研ぎ澄まし続けたの。
アタイはどん底の逆境でも希望を捨てずどんどこ奮い立った。来る日も来る日も爪を研いで体当たりを続けた。
「あきらめなって、何度挑戦したって無駄だ」
「自慢の身体がボロボロじゃねえか、折角肥え太ったのにもったいねえ、べっぴんさんがだいなしだ」
「がしゃがしゃうるさくて眠れねー、いい加減にしろ」
「なあなあセックスしようぜ、どうせ短え命ならヤリまくって子孫残したもん勝ちじゃん」
「だまらっしゃい!アタイはね、心まで家畜に成り下がりたくないの!」
来る日も来る日も仲間たちをバラされてトサカにきてる。
沸々燃え滾るその怒りを、絶望から希望を生み出す原動力にする。
周囲には諦念が蔓延していた。
みんな生気が失せて、金網から口だけ出し、樋に撒かれた餌をのろくさ啄む。
辛気くさい空気に耐えかねて、アタイは怒鳴る。
「アンタたちはこんなとこで終わっていいの、外へ出たくないの?」
「確かにここはひでぇとこさ、俺たちゃ生まれた時から飼い殺し。けど食わしてもらってんのも事実だ」
右隣の檻に押し込められた男がうんざりぼやく。
「小娘のとばっちりはごめんだよ、どのみち老い先短い身の上、静かに過ごしたいのさ」
今度は左隣のおばさんが。
「っ……」
アタイは涙ぐむ。
「ねえ、悔しくないの?こんな臭くて汚い檻の中でおっ死んで。病気でくたばんなくたって、いずれはバラされて出荷よ?アタイがお腹を痛めた子たちだって、一握りの例外除いておいしくいただかれちゃうのよ」
ケージにしがみついて訴えるけれど、みんな白けた表情でそっぽをむく。
「俺たちゃそーゆー運命に生まれ付いたのさ」
「家畜として生まれ家畜として死ぬさだめ」
「心まで去勢されてるのね」
……なんて、非難できるほど偉い立場じゃない。
コイツらはただ日々を生きるだけで精一杯、与えられる餌を欲したところで罪じゃないとわかっている。生き物は本能に抗えないようにできてるんだから。
みんなアタイと目を合わせようとしない。等しく倦み疲れて諦めきった表情には、生気のかけらも感じられない。
「……アタイはいや。娑婆へ出たい」
「まだそんな」
右隣の男があきれるけど、強引に断ち切る。
「飛べないトリはただの畜肉。アタイはこの爪で自由を掴む」
金網に遮られた虚空をまっすぐ見詰め、未知なる情熱と憧憬に駆り立てられて宣言。
屠殺場には自由がない。ここを出る理由なんてそれで十分。
アタイはクソまずい餌なんか目もくれず、野暮な野郎の野次なんて完璧シカトで、肌が切り裂かれて血が流れたってかまうもんかとひしゃげた金網に力一杯組み付く。
脱獄の極意はノック・キック・アタックの三段活用。
アタイの目には惨たらしく散っていった仲間の末路が焼き付いている。
おいしく食べてもらえるならまだ報われる、本当に最悪なのは……
「酔いどれ親父があたり構わずぶん回す斧で遊び半分に叩っ斬られちゃ惨めすぎるじゃない。毎日毎日仲間が屠られてくのを見てるなんて耐えらんない、外がどんな過酷な世界だってここよりきっとマシなはず」
「けっ、勝手にしろ」
右隣の男が捨て台詞を吐いてフテ寝をきめこむ。左隣のおばさんもこうべをたれて引っ込んだ。
アタイは夜通しケージと格闘し、どんどんボロボロになっていった。
ケージはなかなか頑丈で、捨て身で体当たりしても跳ね返されるだけ。でも絶対弱音は吐かない。無念の死を遂げた親兄弟や妹分のぶんまで、夢を叶えるって誓ったの。
歪んだ金網をキッと睨み、こりずに蹴りを見舞い、雄叫びを上げて頭突きをくれる。瞼の裏には可愛い妹分の最期が、耳には悲痛な断末魔が焼き付いてる。
何もできずただ見ているしかできなかった自分が悔しい、悔しくて許せない、あの子を見殺しにしてしまった後悔に苛まれて金網に飛び蹴りをかます。
次の瞬間ずぼっといい音がし、片足が見事に網目に嵌まる。
「ちょ、ちょっと」
ミスったわ、アタイともあろうものが。懸命にばた付いて引っこ抜こうとすれど、付け根まではまり込んで上手くいかない。
農場の扉が開いて一条の光がさす。
朝日の訪れと共にゴツい斧をひっさげた男がやってくる。
「よお腰抜けども、今日解体されんのは誰だ」
ケージをぎょろりと眺め渡す男の目が、見苦しくもがくアタイの上でとまる。
ああ……終わった。
アタイ、頑張ったけどダメだった。とうとう選ばれる時がきた。
「なんだ、ボロボロじゃねえか」
男がアタイの檻の前で立ち止まり、不審げに睨め付ける。アタイは虚勢を張り、顎を引いて睨み返す。ホント言うと、脚はがくがく震えていた。
金網に嵌まり込んだ片脚は頑としてとれず、極度の緊張と恐怖で鳥肌が縮みあがる。
「金網がへこんでやがる……テメェのしわざかよおてんばさんめ、こんなに散らかして」
「こないで!さわったら食いちぎるわよ!」
闘気で身体を膨らませて威嚇する。親父は馬鹿にしきってほくそえむ。体格差じゃ勝ち目がない、親父がケージを開けてアタイの片脚を無造作に……
その時。
「な、なんだ!?」
皆が一斉に騒ぎだす。
最初何が起きたかわからなかった。ケージに閉じ込められた仲間たちが同時に咆哮を上げ、めちゃくちゃに暴れだす。アタイの右隣の男が金網に体当たり、左隣のおばさんが力一杯ひん曲げにかかる。
「あ、あんたたち……」
宙ぶらりんにされ、逆さまの視界で驚く。
「責任とれよ小娘、テメェの頑張りを見てたら火ィ付いちまった」
「若い子ががむしゃらに頑張ってんのに悟ったふりはできないでしょ」
「お前のせいで……夢、見ちまったよ」
「俺たちも本気だしゃ飛べるんだ、この支配からの脱獄だ!」
屠殺場で起きた反乱は加速度的に広がっていく。
親兄弟を食い物にされ溜まりに溜まった鬱憤を爆発させた同胞たちが、自分が傷付くのも構わず暴れ回る。
「うるせえ静かにしやがれ、全員締められて吊るされてェか!」
猟奇的な事を口走る親父。隙あり。
「ぐげっ」
宙吊り姿勢から反動に乗じ、無防備な下顎に蹴りの一撃。続けざまあらん限りの憎しみこめて手の肉を噛みちぎる。
「家畜の分際でなめやがって、ただじゃおかねえ!!」
激怒した親父がめちゃくちゃに斧をぶん回して藁床を刻む。地面に着地したアタイは僅差で斧を回避、一目散に突っ走る。
「いくわよ大脱走!!」
すぐそこまで迫る親父の手と尾羽を掠める斧を躱し、ケージの金網を突付いて破るのを手伝い、仲間たちに脱出を促す。
「親父は混乱してる、今よ!」
「やった、自由だ!」
「首なしチキンレースに出場しなくていいんだ!」
「さらば屠殺場、さらば戦友よ!」
火事場の馬鹿力とはよく言ったものでアドレナリン全開、エンジンフルスロットルでケージを突き破った仲間が真っ赤に燃えるトサカを振り立て全方位に散開。無軌道に走り回って親父を攪乱、間抜けなタップを踊らす。
「邪魔すんじゃねえ、おっ、おわわ」
行く手を遮られて蹴っ躓いたかと思いきや、倒れたその身体に仲間たちが群がりゆく。
「うえっ、ぺっ、口に羽が……やめろ突付っくな、家畜の分際で人間様に下剋上か!」
「あんちゃんの仇だ、くらえ!」
「母ちゃんを返して!」
自業自得、因果応報。親父は仲間たちに噛まれて悲鳴を上げる。たまらず暴れた拍子に飼料袋をひっくり返し、頭っから餌をかぶる。
「ぎゃああああああああああああ!」
野太い断末魔が長く長く尾を引く。アタイは無我夢中でひた走り、中途半端に開かれた扉から遂に娑婆へと飛び出す。
眩いばかりの光の洪水の洗礼を受け、はてしない大地と青空が視界に拓ける。
胸に吸い込む空気が甘い。
狭くて臭い檻の中とは大違い、おもいっきり羽を伸ばしてまっしぐらに駆けていく。勝利の雄叫びを上げる仲間たち、どの顔も生き生きと輝いている。
「アタイたちとうとうやったのね……」
「ああ、お前のおかげだ。お前が俺たちを引っ張ってくれたんだ」
「やめてよ」
照れるアタイの右から抜けた若い男が、焦りを顔に出して振り返る。
「のんびりやってちゃすぐ追い付かれるぞ、時間稼ぎは長くもたねえ」
「せっかく娑婆にでれたんだ、とっ捕まってなるもんか。連れ戻されたら今度こそ……」
続く言葉は言わなくてもわかる。アタイは深呼吸し、さっぱりした顔で断言する。
「みんな、ここでお別れよ」
「え……」
「ばらばらに逃げましょ。そしたら追い付かれない、きっと誰かは生き残る」
ひとかたまりになった後続が互いに顔を見合わせる。結論はすぐにでた。
「……元気でな」
「ええ、アンタも」
アタイたちに涙は似合わない。親指の代わりに鉤爪を立て武運を祈り、ひとりまたひとり仲間たちと別れていく。
右へ左へ道を分かち、ある者は草っぱらに飛び込んである者は藁を積んだリヤカーにちゃっかり飛び乗って群れからぬけていく。
みんな、どうか無事で。
叶うものならまた会えますように。
とうとうアタイは一人になった。仲間は誰もいない。親父は追ってこない。農場から大分離れたように思うけどどうかしら、よくわからない。何日も飲まず食わずで走り続けて体力は限界、眩暈がする。
外の世界は弱肉強食だった。
ドラ猫や野犬にさんざん追い回され人には石を投げられた。
アタイは地面をほじくり返してミミズを啄み、泥水を啜って飢えをしのいだ。踊り食いしたミミズは結構イケた。クソまずい飼料よりずっとマシ、なんたって鮮度が段違い。狩りは大変。慣れるまでコツがいった。アタイはすぐにみすぼらしく痩せ細った。
「も、だめ……お腹すいた……」
乾いた岩盤は固い。割れない、掘れない。ここんとこ日照り続きで、雨が降らないから飲み水もない。
みんな元気でやってるかしら。ひもじい思いしてなきゃいいけど。親父に捕獲されてませんように。
アタイひとり野垂れ死ぬなら自業自得だけど、仲間を巻き添えにして破滅に導いたんなら、罪悪感で潰れちゃいそうだわ。
「後悔なんてするもんですか……」
アタイは自由。
アタイは幸せ。
少なくともあのままあそこにいるよりずっとマシだと自分に言い聞かせ、一歩一歩、遅々とした足取り略して千鳥足で進んでいく。
娑婆の空気は甘くておいしい。
ミミズもおいしい。
泥水はそこそこ。
無限の青空が広がる娑婆に飛び出し、初めて水たまりで転げまわる喜びを知った。
鉤爪で力強く大地を蹴り、駆け回る爽快感を知った。
声には張りと艶が出て、太陽が昇るたび感動で胸が震えたわ。
やだ。
死にたくない。
ミミズを踊り食いしたい。
生への執着と裏腹に限界を迎えた身体が傾ぎ、道半ばで倒れ込む。
脱水症状かしら。耳の奥がガンガンする。
急激に意識が遠ざかり視界が暗く狭まっていく。
白くて大きな鉄のかたまりが猛スピードで横切っていく。アタイの少し先で止まる。騒々しい物音がして、何かが駆け寄ってくる。
「大変だ、大丈夫?」
誰かがアタイを抱き起こして覗き込む。逆光を背負って薄暗い。
「近くの農場から逃げてきたのかな、ボロボロじゃないか」
「野良なんてほっとけよ、時間がもったいねえ」
「お前には血も涙もないのかよ、可哀想だろ」
顔の中心に目を凝らす。人間だ、まだ若い。せいぜい雛に毛が生えた程度……多分オス。毛の色は綺麗な金でさらさらしてる。
人のオスはぐったりしたアタイを注意深く抱き上げ、コートで大事に包む。反射的に手の甲を噛む。
「いたっ!」
「突付かれたのかよどんくせぇ」
「う、うるさい」
「さわんないで、アタイにひどいことする気でしょ畜産業者みたいに」
痛そうに顔をしかめたオスが振り返って誰かにこたえ、またこっちに向き直って、弱々しく微笑んでみせる。
「怖がらないで。だいじょうぶ」
「ンなの捨てちまえ、病気もってるかもしんねーだろ」
どうやらもうひとりオスがいるらしい、大股に近付いてくる気配がする。金毛のオスの隣にひょこっと沸いたのは、やっぱりオスだ。
「怪我してるのにほっとけない」
「まさか飼うのか」
「いいだろ別に」
「なあ母さん、ピジョンのアホがまた汚ェの拾ったんだけど」
「今度はなあにー?ウサギ、モグラ、スカンク?待ってあててみせる、プレーリードッグでしょ」
態度がデカい方のオスが白い鉄のかたまりに叫べば、綺麗なソプラノのメスの声が返って来る。
「どれもどっぱずれだよ、ただの臭くて汚ェ死にぞこないの牝鶏だ」
「まあ素敵、これから毎日生みたて新鮮なたまごが食べられるわね!レシピが増えそうでわくわくしちゃう」
「母さんに聞いた俺が馬鹿だったよ」
態度がデカい方のオスが額を手で覆って嘆き、態度がデカくない方のオスが、アタイのずたぼろの翼をやさしくなでる。
「お前は今日からうちの子だよ」
この子の腕の中で息絶えるならそれもいいかもしれない。
あったかい手が気持ちよくって、アタイはまどろみのうちに目を閉じた。
不吉な前フリをしたけど別に死んじゃないから安心して、ご存知の通りアタイってしぶといのよ。翼に包帯巻いてもらって、ピペットで水を飲んだら息を吹き返したわ。
アタイを拾った人のオスはピジョンと言った。おまけはスワロー。
ピジョンとスワローは兄弟だった。全然似てなくてびっくり、鳥類でたとえるとハトとツバメくらい別物。
人間はアタイたちと違ってお腹から直接生まれるって聞いたけど、生命の神秘ってヤツかしら。この世は不思議なことだらけだわ、トリ頭には思いもよらない。
「ごはんの時間だよキャサリン、たんとお食べ」
ピジョンはまだ雛だ。多分。人間は成長が遅いからよくわからないけれど、大人のオスって感じはしない。全然しない。アタイの餌はピジョンが直接手でくれる。
乾燥したトウモロコシの粒とか食パンのかけらとか、レタスの葉っぱとかにんじんのしっぽとか、たまにはミミズも。
「キャサリンはなんでもよく食べるいい子だね、きっとすぐ大きくなる」
「アタイは立派な大人のメスよ、これ以上でかくなんないから」
「頑張れば空だって飛べるよ。応援する」
ピジョンはいい子だけどアタイの話をちっとも聞かないのが難点ね、女心がわかってないのよ。
人間との意思疎通は難しい。ピジョンはアタイの言葉を勝手に解釈しちゃ、うんうん一人で納得して頷いてる。
ピジョンがケージを調達してきた時は、全力で抵抗した。
「ちょ、キャサリンやめ、どうして暴れるのさ!?ケージが気に入らないのかい、素敵なうちなのに」
「冗談ポイよ、せっかく逃げてきたのにまた檻に逆戻りなんて。アタイは何にも縛られず自由に生きるの、狭っ苦しいケージは願い下げ!」
アタイが暴れ狂うと心優しいピジョンは決まって哀しい顔をし、ケージに入れるのを断念する。
「しょうがないな……いやならいいよ、無理強いしない。入りたくなったら入ればいい」
「本当?」
「気持ちはわかる、窮屈なのはやだろ」
鉤爪キックの跡があちこち付いたピジョンにオーケーをもらい、ぱっと顔を輝かせる。するとスワローがやってきて、アタイとラブラブのピジョンを貶す。
「友達いねえからって牝鶏とお喋りする癖直せよ寂しんぼっち、相当来てるぜ」
「いいじゃん誰も見てないんだから」
「俺が見てる」
「頼んでないよ」
スワローはピジョンにちょっかいかけるのが生き甲斐なの、相当な暇人ね。
コイツはピジョンと大違い、アタイにちっとも優しくない。
隙あらば片脚掴んでぶらさげたり、挙句ぶん回してほっぽり投げたり、扱いがてんでなっちゃない。牝鶏をただのたまご製造機か非常食と見なしてるのよ、きっと。
ピジョンたちは車で移動しながら生活してる。車っていうのは走る鉄のかたまりで、鶏よりずっと速く飛ばせる。
ここでの暮らしはまずまず快適、食べる物には困んないしピジョンとママンはとっても優しくしてくれる。まめにアタイの面倒を見て、餌や水を取り替えて、掃除もサボらずしてくれる。劣悪な農場に比べたら待遇は雲泥の差、自然産卵ペースも上がってくる。
番いがいないせいで全部無精卵だけど、お腹を痛めた有精卵が料理されちゃうのは哀しいから、かえってよかった。
ピジョンはアタイを助けてくれた。
無精卵ならいくらでも産んであげる。
ある日、ピジョンがアタイに聞いてきた。
「キャサリンはどこから逃げてきたの。飼われてたんだよね」
「……昔の事は忘れた。言いたくないの」
「そっか、ボロボロだったもんね……思い出したくないならいいよ別に、今が幸せならそれで」
「ここの暮らしは悪くないわ、毎日いっぱい食べさせてもらって感謝してる。水浴びも気持ちいいし。シャワーっていうのアレ、勝手に水がでるなんてすごい発明」
「俺もキャサリンと出会えて幸せだよ。白くてあったかくてふわふわで、抱いてるだけで癒される」
フィーリングで会話が成立する奇跡に乾杯。
鶏と人間じゃもちろん言葉は通じないけど、どことなく哀しい調子の啼き方でピジョンには気持ちが伝わるの。
ピジョンは毎日のようにスワローにいじめられちゃあべそかいてる。人間の世界も弱肉強食の掟は変わらないのかしら、鶏だったらとっくに間引きされてるでしょうね。
今夜もまた、ピジョンはアタイを抱っこしてめそめそしてる。スワローに蹴りだされて逃げてきたみたい。車の後ろには荷物がごった返して、狭い。
「いい加減泣き止みなさいな」
「慰めてくれるの?優しいね」
「オスでしょ?兄さんでしょ?突付かれたら突付き返すのがトリの常識、丸まって敗けを認めちゃだめ、マウントとるのよ」
「スワローってば酷いんだ、俺に……」
ピジョンが洟をすする。
アタイは翼を立てて説教する。
「自分の寝床は自分で守る!しゃっきりなさい!アタイを朝まで抱いてあっためたってたまごは孵んないわよ」
どうしてこー手がかかんのかしら?弟みたい。
翼の先端をぐりぐり頬にねじこんでせっつけば、ピジョンが「痛いやめてキャサリン頬っぺに羽が刺さる」と弱る。
「めーっけ」
ピジョンが固まる。振り返ればスワローがいた。
「ベッド抜け出して何してんだ。鶏姦?」
「ほっとけよ」
「寒ィだろ」
「キャサリンがいるから平気」
ピジョンがアタイを抱き締めてスワローに背を向ける。ドクドク跳ねる心臓の鼓動が、接した胸板から伝わってくる。スワローが腕組みして壁に凭れ、意地悪い一瞥をよこす。
「また夜中に隠れてオナニーか」
「だ、誰のせいだと……お前が寝かせてくんないから」
「火照りを冷ましにきたってか」
ピジョンがほんの僅か頷いて、アタイの羽毛に顔を埋める。体温が高い。どんどん上昇してく。
スワローが大あくびで身を起こす……と見せかけてふらりとやってきて、おもむろにピジョンの肩を掴む。
「待」
「火照って眠れねーんだろ?ヌくの手伝ってやる」
「そうじゃな、ちが、待てスワローやめろって母さんにバレる」
「母さんならぐっすりおねんねしてるよ」
「いいから離れろよ余計なことしなくていい、今からベッドに戻って大人しく、ッあ」
ピジョンの手をすり抜けて床へ着地、見上げる。
スワローがピジョンを壁に追い詰めてのしかかり、シャツの上から胸をまさぐるのが見えた。
ピジョンと暮らし始めてびっくりした事、人のオスには乳首がある。乳牛にあるあの乳首よ。ピンク色で尖った形も一緒。
スワローはシャツ越しにピジョンの乳首をふにふに揉みまくって、搾乳するみたいに根元から搾り上げる。
「スワロー、いやだ」
「何が嫌だよ、すっかり尖ってんじゃん。先端がコリコリしこってら」
「っあ……ふ……」
ピジョンが恥ずかしげに目を伏せる。頬っぺたは上気して、なんていうかメスの顔。
アタイはぴんときた。またアレが始まる。アレを見るのは初めてじゃない。ピジョンはアレが嫌で、夜毎アタイのところに逃げてくるのよ。
「スワロー、くすぐった、ッは、よせ」
「乳首だけで下ごしらえできちまうのか、便利な身体だな」
「お前っ、の、せいだろ」
ピジョンが息だけで切なく喘ぐ。目は熱っぽく潤み、膝がかくかく震えてる。スワローが舌なめずり、シャツの上から乳首を含んで舐め転がす。
「~~~~~~~んぅっ」
ピジョンの身体はとっても敏感。スワローに乳首をなめられただけで、とってもいい声をだす。アタイはピジョンの足元から、二人の行為を興味深く観察する。
アタイ知ってる。これは交尾よ。
オス同士で番うとき、スワローはピジョンをメスにする。もちろんオス同士だからピジョンの中で出しても孕まないけど、スワローはピジョンとするのが大好きで、しょっちゅうなめたり擦ったり揺すったりしている。
「あっ、たんっ、まスワロー、それっ変、シャツの上からされると」
「じれったい?」
「じゃなくて、はぁあ」
「股間も固くなってんじゃん」
ピジョンとスワローの交尾は生殖を目的にしてない。アタイにはそれが不思議。スワローがたまごを産めないピジョンにこだわる理由はなに?
スワローの手がピジョンのズボンにかかり、下着ごとずりおろす。ピジョンのアレは赤くそそりたって、いやらしい汁をたらす。
「びんびんに勃起してる。すげえな、乳首だけで勃っちまうのか」
「お前がねちっこくするから、ッは、いじるなよ……」
スワローの手がピジョンのアレをさすったり引っ張ったりする。ピジョンのアレがおっきく膨らんでいく。
手の甲を噛んで声を我慢するピジョンに対し、スワローは股間を激しくかきまわす。
「スワロー、やっ、んんッ、ふぁあ」
ピジョンがびくびく跳ね、ふやけきった顔で喘ぐ。いやがってるのか喜んでるのか、アタイにはわからない。
「ッは、キャサリンが見てる」
「まざりたがってんのかもな」
ピジョンが気持ち良さそうに喘ぎ、スワローが前を寛げて、ピジョンのよりでっかいアレを取り出す。アタイが見たどのミミズよりも太くていきがいい。
「いやだむこういけ、これ以上はホントおさまんなくなる」
ピジョンが半べそで助けを求める、必死に腕を突っ張ってスワローをひっぺがしにかかる、スワローは言うこと聞かずにピジョンを責め立てる。
ピジョンの腹を片手でまさぐり、片手でペニスをぐちゃぐちゃ捏ねて、勝ち誇ったように言ってのける。
「イくまで許してやんねーから」
スワローの股間に生えたミミズが直立した瞬間、勝手に身体が動く。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!?」
猛然と羽ばたいて、赤いミミズにとびかかる。
「このクソドリふざけんな何考え、っでやめろ馬鹿突っ付くな」
「馬鹿はお前だ馬鹿早くその見苦しいのしまえって、ミミズと勘違いしてるんだよきっと」
「ざっけんなミミズたあ太さが全然違ェだろうが、ピジョン早くこのクソドリしまえよそれか蹴り出せ!」
「夜中にほっぽりだしたらトリ目でコケちゃうだろ、人の心がないのかよ!」
ミミズ!ミミズ!アタイのミミズ!
慌てふためいたピジョンがスワローのジーパンをせっかちに引き上げにかかる、その手を啄んでどかす、急いでたせいでジッパーがアレを噛んでスワローが「いっぐぎ」と絶叫、両手を股に突っこんで悶絶する。
「スワロー大丈夫か、でもお前が悪いんだぞキャサリンをクソドリとかいうから、コイツは人の言葉がわかるんだ」
「わかるかボケ!!」
「おいで、いい子だ」
ピジョンが片膝付いて両手を広げ、理性が立ち戻ったアタイはその胸にダイブする。スワローはまだもんどり打って床に転がってる、大袈裟ね。
ピジョンがアタイに感謝のまなざしを向け、すべすべのお肌で頬ずりする。
「ありがとキャサリン、俺のこと助けてくれたんだろ」
「いいって事よ」
一声鷹揚に返し、床に突っ伏したスワローをふふんと勝ち誇って見下す。
「子分の面倒を見るのもアタイの仕事だもん」
アタイはキャサリン。
大脱走《チキンスタンピード》の立役者にして弱肉強食《バードトライアングル》の頂点に君臨するオンナ。
「cock-a-doodle-doo!」
金切り声で慄く妹分の首ねっこを、毛むくじゃらの太い手がむんずと掴んで引っ張りだす。
親父に捕まった妹分はヒステリックに絶叫、ケージに阻まれて手も足も出せないアタイに助けを求める。
「その子をはなせ鬼畜野郎、殺るならアタイを先にしな!」
目と鼻の先で妹分がもがき苦しむ。
この憎たらしい金網さえ破れれば手が届くのにと悔しさで歯軋り、全体重をかけた渾身の蹴りをかます。
だけども金網はがしゃんと撓うだけで、やるせない無力感と絶望を噛み締める。
「うるせえ腰抜けども、汚ェ声で啼き騒いでっとぶった斬るぞ!」
親父が盛大に唾を撒いて息巻く。
「嫌だ死にたくないお願いよ……」
逆さ吊りの妹分が泣きじゃくる。
アタイたちにはどうすることもできない、檻に閉じ込められて見ているだけ。むくつけき親父は毎日仲間を連れ去っていく。
片手には黒光りする不吉な斧。
巨大な刃が鈍くギラ付く。
「その子を傷付けたらただじゃおかない、アルコールでぶよぶよの肝臓噛みちぎってやる!」
ケージの正面に張られた金網に何度アタックして脅せど無駄、親父は哀れな妹分を片足で固定。黄ばんだ歯を剥いてせせら笑い、勢いよく腕を振り抜く。
「あばよ」
「駄目―――――――」
醜悪な容貌に漲る狂気と嗜虐の笑み。凶悪無比な屠殺者の笑顔。
風切る唸りに続いて甲高い断末魔が空気を切り裂く。
鮮血の弧を描いて生首が飛び、恐怖の絶頂で目を見開いたまま、乱雑に藁が敷かれた地面を転々とはねる。
「ちっ、手間かけさせやがって。いきがいいのは結構だがな」
妹分の細首を斧で切り飛ばした親父が舌打ち、血の滴りをゴム長靴で蹴散らす。
さっきまで生きて動いていた身体から、瞬く間に鼓動とぬくもりが消え失せていく。
姐さんと姐さんと慕ってくれた可愛い子だった。
おまけに気立てが良くて器量よし、惚れ惚れするような歌声を聞かせては皆の荒んだ心を癒す喉自慢だった。
「なんてこった……」
「まだほんの小娘じゃねェか」
「血も涙もねェ」
周りの連中が口々に同情する中、アタイの頭は痺れて働かず、藁床に横たわる骸に凍結した凝視を注ぐ。
あの子はもう微動だにしない、ただの冷たい肉の塊になってしまった。
「これりゃ精が付きそうだ」
鬼畜が不気味に笑い、切断面もあざやかな生首を掲げて搾り、たっぷりと血を飲み干す。
スプラッタな光景に戦慄、檻に閉じ込められた仲間たちが身を竦める。
仮にも生まれてから今まで育ててきたってのに、一抹の容赦もなければ血も涙もない。どんなに抵抗や懇願したって、コイツがアタイたちに情けをかけた試しは一度もない。
いえ、そもそもコレが目的なの?
アタイたちを屠る為に育ててるの?
アイツはアタイたちを農場に監禁して、解体するのを楽しんでいる。今日の犠牲者はどの子にしようか、端から端まで犇めく檻を覗いて、獲物を選ぶ冷血な目が忘れられない。
アタイたちが怯え泣き叫ぶほど興奮して、目の前で首や脚をぶった斬っちゃ搾りたての生き血を飲み干す、狂ったパフォーマンスを嬉々として演じてみせる。
信じらんない、なんて悪趣味。
「もうだめだおしまいだ、次はおいらだ」
「何言ってんのよ、希望をもたなきゃ」
「母ちゃんも妹も弟もみんなやられちまった、みんなアイツに食われちまったんだ。畜生、これが人間のやることか」
「煮るか焼くのか炙んのか、どうせバラされんならひと思いに首から逝ってくれ、生殺しは願い下げだ」
親父が去ったあと、暗闇に残された仲間たちは我が身を儚み悲嘆に暮れる。
皆檻に閉じ込められているから顔は見えず、声だけでやりとりするの。
糞尿垂れ流しの不潔な場所。ろくに掃除もしてもらえないから病気でばたばた死んでく仲間も多い。病気でくたばった仲間の死体は雑に積み上げられて、焼却炉に放り込まれていく。
まさにこの世の地獄。
明日には友達や恋人が、あるいは自分が指名されるかもしれないロシアンルーレット。
片っぽが檻から引き出され、死に別れる恋人たちはいやってほど見飽きた。黄色いくちばしで母親を呼ぶ子どもたちの声が耳に焼き付いて離れない。
あの子の死体がどこかへ持ち去られたあと、不幸な境遇を嘆き悲しむのに飽きた連中が、恐々と噂話を始める。
「なあ聞いたか、隣の農場じゃレースをやってんだとさ」
「レースってどんな」
「聞いて驚け見て震えろ、俺たちを横一列に並べて素っ首ぶった斬って、だれが一番多く歩けるか競わせるんだよ。倒れたらそこでおしまい、名付けて首なしチキンレース」
「うわおっかねえ」
「うちらも出荷されちまうかもな」
絶対脱獄してやる。
アタイは心に決めた。
勇を鼓して武者震い、金網を一心不乱に突く。
「なにしてんだアイツ」
「とうとうオツムがイカレちまったのか」
「あんなことしたって出れるわけねーのに」
「体力使い果たして処分されるのがオチだぜ」
「うるさいわね正真正銘の骨なしチキンども、引っ込んでなさい。アンタたちのようなタマなしと違ってアタイは絶対諦めない、1インチ先に広くて素晴らしい世界が待ってんだもの」
「だいたい外に出てどうするんだ、俺たちゃお袋のお袋のそのまたお袋の代からずうっと農場暮らしじゃねえか。出荷する為に産み落とされたのに、何がいるかもわからねえ娑婆でやってけんのか。あっちは弱肉強食って噂だぜ」
「家畜根性が染み付いちゃって情けない、外に何があるかなんて自分の目で見なきゃわかんないでしょ。母ちゃんの母ちゃんのそのまた母ちゃんの代から檻暮らしなら、いざ飛躍してご先祖の悲願をはたしてやろうって気概はないわけ?」
「本当だって、ホルスタインのドナから聞いたんだ。おんもは怖いぞ」
「外は危険がいっぱいよ、氷の塊が降ってくるんでしょ」
「鉄のかたまりが走ってるんだ」
「野牛の群れに轢かれたら平たくなっちまうぞ」
「ローストになるよりペーストになるほうが万倍マシ」
同胞から口々に制されても、一旦走り出した情熱は止まらない。
アタイは敢然と啖呵を切り、金網一枚隔てたむこうに犇めく、無個性なケージ群を見回す。
「好きなだけ言ってなさいなキングオブチキンども、殻の付いたひよっこはお呼びじゃないのよ。アタイはバラされるのも首なしチキンレースに強制出荷もまっぴらごめん、娑婆の空気を吸わずに死ねるもんですか!」
アタイは必死の形相で金網をねじ切りにかかる、脚で何べんもキックして撓ませてすかさず突付く、アタイはまだ若くて健康だから体力はありあまってる、体当たりのくり返しで自慢の白肌が傷付いたってかまうもんか、こちとらワイルダネスなタフネスが売りよ。
不屈の闘魂、あるいは類稀な精神力がアタイの爪を研ぎ澄まし続けたの。
アタイはどん底の逆境でも希望を捨てずどんどこ奮い立った。来る日も来る日も爪を研いで体当たりを続けた。
「あきらめなって、何度挑戦したって無駄だ」
「自慢の身体がボロボロじゃねえか、折角肥え太ったのにもったいねえ、べっぴんさんがだいなしだ」
「がしゃがしゃうるさくて眠れねー、いい加減にしろ」
「なあなあセックスしようぜ、どうせ短え命ならヤリまくって子孫残したもん勝ちじゃん」
「だまらっしゃい!アタイはね、心まで家畜に成り下がりたくないの!」
来る日も来る日も仲間たちをバラされてトサカにきてる。
沸々燃え滾るその怒りを、絶望から希望を生み出す原動力にする。
周囲には諦念が蔓延していた。
みんな生気が失せて、金網から口だけ出し、樋に撒かれた餌をのろくさ啄む。
辛気くさい空気に耐えかねて、アタイは怒鳴る。
「アンタたちはこんなとこで終わっていいの、外へ出たくないの?」
「確かにここはひでぇとこさ、俺たちゃ生まれた時から飼い殺し。けど食わしてもらってんのも事実だ」
右隣の檻に押し込められた男がうんざりぼやく。
「小娘のとばっちりはごめんだよ、どのみち老い先短い身の上、静かに過ごしたいのさ」
今度は左隣のおばさんが。
「っ……」
アタイは涙ぐむ。
「ねえ、悔しくないの?こんな臭くて汚い檻の中でおっ死んで。病気でくたばんなくたって、いずれはバラされて出荷よ?アタイがお腹を痛めた子たちだって、一握りの例外除いておいしくいただかれちゃうのよ」
ケージにしがみついて訴えるけれど、みんな白けた表情でそっぽをむく。
「俺たちゃそーゆー運命に生まれ付いたのさ」
「家畜として生まれ家畜として死ぬさだめ」
「心まで去勢されてるのね」
……なんて、非難できるほど偉い立場じゃない。
コイツらはただ日々を生きるだけで精一杯、与えられる餌を欲したところで罪じゃないとわかっている。生き物は本能に抗えないようにできてるんだから。
みんなアタイと目を合わせようとしない。等しく倦み疲れて諦めきった表情には、生気のかけらも感じられない。
「……アタイはいや。娑婆へ出たい」
「まだそんな」
右隣の男があきれるけど、強引に断ち切る。
「飛べないトリはただの畜肉。アタイはこの爪で自由を掴む」
金網に遮られた虚空をまっすぐ見詰め、未知なる情熱と憧憬に駆り立てられて宣言。
屠殺場には自由がない。ここを出る理由なんてそれで十分。
アタイはクソまずい餌なんか目もくれず、野暮な野郎の野次なんて完璧シカトで、肌が切り裂かれて血が流れたってかまうもんかとひしゃげた金網に力一杯組み付く。
脱獄の極意はノック・キック・アタックの三段活用。
アタイの目には惨たらしく散っていった仲間の末路が焼き付いている。
おいしく食べてもらえるならまだ報われる、本当に最悪なのは……
「酔いどれ親父があたり構わずぶん回す斧で遊び半分に叩っ斬られちゃ惨めすぎるじゃない。毎日毎日仲間が屠られてくのを見てるなんて耐えらんない、外がどんな過酷な世界だってここよりきっとマシなはず」
「けっ、勝手にしろ」
右隣の男が捨て台詞を吐いてフテ寝をきめこむ。左隣のおばさんもこうべをたれて引っ込んだ。
アタイは夜通しケージと格闘し、どんどんボロボロになっていった。
ケージはなかなか頑丈で、捨て身で体当たりしても跳ね返されるだけ。でも絶対弱音は吐かない。無念の死を遂げた親兄弟や妹分のぶんまで、夢を叶えるって誓ったの。
歪んだ金網をキッと睨み、こりずに蹴りを見舞い、雄叫びを上げて頭突きをくれる。瞼の裏には可愛い妹分の最期が、耳には悲痛な断末魔が焼き付いてる。
何もできずただ見ているしかできなかった自分が悔しい、悔しくて許せない、あの子を見殺しにしてしまった後悔に苛まれて金網に飛び蹴りをかます。
次の瞬間ずぼっといい音がし、片足が見事に網目に嵌まる。
「ちょ、ちょっと」
ミスったわ、アタイともあろうものが。懸命にばた付いて引っこ抜こうとすれど、付け根まではまり込んで上手くいかない。
農場の扉が開いて一条の光がさす。
朝日の訪れと共にゴツい斧をひっさげた男がやってくる。
「よお腰抜けども、今日解体されんのは誰だ」
ケージをぎょろりと眺め渡す男の目が、見苦しくもがくアタイの上でとまる。
ああ……終わった。
アタイ、頑張ったけどダメだった。とうとう選ばれる時がきた。
「なんだ、ボロボロじゃねえか」
男がアタイの檻の前で立ち止まり、不審げに睨め付ける。アタイは虚勢を張り、顎を引いて睨み返す。ホント言うと、脚はがくがく震えていた。
金網に嵌まり込んだ片脚は頑としてとれず、極度の緊張と恐怖で鳥肌が縮みあがる。
「金網がへこんでやがる……テメェのしわざかよおてんばさんめ、こんなに散らかして」
「こないで!さわったら食いちぎるわよ!」
闘気で身体を膨らませて威嚇する。親父は馬鹿にしきってほくそえむ。体格差じゃ勝ち目がない、親父がケージを開けてアタイの片脚を無造作に……
その時。
「な、なんだ!?」
皆が一斉に騒ぎだす。
最初何が起きたかわからなかった。ケージに閉じ込められた仲間たちが同時に咆哮を上げ、めちゃくちゃに暴れだす。アタイの右隣の男が金網に体当たり、左隣のおばさんが力一杯ひん曲げにかかる。
「あ、あんたたち……」
宙ぶらりんにされ、逆さまの視界で驚く。
「責任とれよ小娘、テメェの頑張りを見てたら火ィ付いちまった」
「若い子ががむしゃらに頑張ってんのに悟ったふりはできないでしょ」
「お前のせいで……夢、見ちまったよ」
「俺たちも本気だしゃ飛べるんだ、この支配からの脱獄だ!」
屠殺場で起きた反乱は加速度的に広がっていく。
親兄弟を食い物にされ溜まりに溜まった鬱憤を爆発させた同胞たちが、自分が傷付くのも構わず暴れ回る。
「うるせえ静かにしやがれ、全員締められて吊るされてェか!」
猟奇的な事を口走る親父。隙あり。
「ぐげっ」
宙吊り姿勢から反動に乗じ、無防備な下顎に蹴りの一撃。続けざまあらん限りの憎しみこめて手の肉を噛みちぎる。
「家畜の分際でなめやがって、ただじゃおかねえ!!」
激怒した親父がめちゃくちゃに斧をぶん回して藁床を刻む。地面に着地したアタイは僅差で斧を回避、一目散に突っ走る。
「いくわよ大脱走!!」
すぐそこまで迫る親父の手と尾羽を掠める斧を躱し、ケージの金網を突付いて破るのを手伝い、仲間たちに脱出を促す。
「親父は混乱してる、今よ!」
「やった、自由だ!」
「首なしチキンレースに出場しなくていいんだ!」
「さらば屠殺場、さらば戦友よ!」
火事場の馬鹿力とはよく言ったものでアドレナリン全開、エンジンフルスロットルでケージを突き破った仲間が真っ赤に燃えるトサカを振り立て全方位に散開。無軌道に走り回って親父を攪乱、間抜けなタップを踊らす。
「邪魔すんじゃねえ、おっ、おわわ」
行く手を遮られて蹴っ躓いたかと思いきや、倒れたその身体に仲間たちが群がりゆく。
「うえっ、ぺっ、口に羽が……やめろ突付っくな、家畜の分際で人間様に下剋上か!」
「あんちゃんの仇だ、くらえ!」
「母ちゃんを返して!」
自業自得、因果応報。親父は仲間たちに噛まれて悲鳴を上げる。たまらず暴れた拍子に飼料袋をひっくり返し、頭っから餌をかぶる。
「ぎゃああああああああああああ!」
野太い断末魔が長く長く尾を引く。アタイは無我夢中でひた走り、中途半端に開かれた扉から遂に娑婆へと飛び出す。
眩いばかりの光の洪水の洗礼を受け、はてしない大地と青空が視界に拓ける。
胸に吸い込む空気が甘い。
狭くて臭い檻の中とは大違い、おもいっきり羽を伸ばしてまっしぐらに駆けていく。勝利の雄叫びを上げる仲間たち、どの顔も生き生きと輝いている。
「アタイたちとうとうやったのね……」
「ああ、お前のおかげだ。お前が俺たちを引っ張ってくれたんだ」
「やめてよ」
照れるアタイの右から抜けた若い男が、焦りを顔に出して振り返る。
「のんびりやってちゃすぐ追い付かれるぞ、時間稼ぎは長くもたねえ」
「せっかく娑婆にでれたんだ、とっ捕まってなるもんか。連れ戻されたら今度こそ……」
続く言葉は言わなくてもわかる。アタイは深呼吸し、さっぱりした顔で断言する。
「みんな、ここでお別れよ」
「え……」
「ばらばらに逃げましょ。そしたら追い付かれない、きっと誰かは生き残る」
ひとかたまりになった後続が互いに顔を見合わせる。結論はすぐにでた。
「……元気でな」
「ええ、アンタも」
アタイたちに涙は似合わない。親指の代わりに鉤爪を立て武運を祈り、ひとりまたひとり仲間たちと別れていく。
右へ左へ道を分かち、ある者は草っぱらに飛び込んである者は藁を積んだリヤカーにちゃっかり飛び乗って群れからぬけていく。
みんな、どうか無事で。
叶うものならまた会えますように。
とうとうアタイは一人になった。仲間は誰もいない。親父は追ってこない。農場から大分離れたように思うけどどうかしら、よくわからない。何日も飲まず食わずで走り続けて体力は限界、眩暈がする。
外の世界は弱肉強食だった。
ドラ猫や野犬にさんざん追い回され人には石を投げられた。
アタイは地面をほじくり返してミミズを啄み、泥水を啜って飢えをしのいだ。踊り食いしたミミズは結構イケた。クソまずい飼料よりずっとマシ、なんたって鮮度が段違い。狩りは大変。慣れるまでコツがいった。アタイはすぐにみすぼらしく痩せ細った。
「も、だめ……お腹すいた……」
乾いた岩盤は固い。割れない、掘れない。ここんとこ日照り続きで、雨が降らないから飲み水もない。
みんな元気でやってるかしら。ひもじい思いしてなきゃいいけど。親父に捕獲されてませんように。
アタイひとり野垂れ死ぬなら自業自得だけど、仲間を巻き添えにして破滅に導いたんなら、罪悪感で潰れちゃいそうだわ。
「後悔なんてするもんですか……」
アタイは自由。
アタイは幸せ。
少なくともあのままあそこにいるよりずっとマシだと自分に言い聞かせ、一歩一歩、遅々とした足取り略して千鳥足で進んでいく。
娑婆の空気は甘くておいしい。
ミミズもおいしい。
泥水はそこそこ。
無限の青空が広がる娑婆に飛び出し、初めて水たまりで転げまわる喜びを知った。
鉤爪で力強く大地を蹴り、駆け回る爽快感を知った。
声には張りと艶が出て、太陽が昇るたび感動で胸が震えたわ。
やだ。
死にたくない。
ミミズを踊り食いしたい。
生への執着と裏腹に限界を迎えた身体が傾ぎ、道半ばで倒れ込む。
脱水症状かしら。耳の奥がガンガンする。
急激に意識が遠ざかり視界が暗く狭まっていく。
白くて大きな鉄のかたまりが猛スピードで横切っていく。アタイの少し先で止まる。騒々しい物音がして、何かが駆け寄ってくる。
「大変だ、大丈夫?」
誰かがアタイを抱き起こして覗き込む。逆光を背負って薄暗い。
「近くの農場から逃げてきたのかな、ボロボロじゃないか」
「野良なんてほっとけよ、時間がもったいねえ」
「お前には血も涙もないのかよ、可哀想だろ」
顔の中心に目を凝らす。人間だ、まだ若い。せいぜい雛に毛が生えた程度……多分オス。毛の色は綺麗な金でさらさらしてる。
人のオスはぐったりしたアタイを注意深く抱き上げ、コートで大事に包む。反射的に手の甲を噛む。
「いたっ!」
「突付かれたのかよどんくせぇ」
「う、うるさい」
「さわんないで、アタイにひどいことする気でしょ畜産業者みたいに」
痛そうに顔をしかめたオスが振り返って誰かにこたえ、またこっちに向き直って、弱々しく微笑んでみせる。
「怖がらないで。だいじょうぶ」
「ンなの捨てちまえ、病気もってるかもしんねーだろ」
どうやらもうひとりオスがいるらしい、大股に近付いてくる気配がする。金毛のオスの隣にひょこっと沸いたのは、やっぱりオスだ。
「怪我してるのにほっとけない」
「まさか飼うのか」
「いいだろ別に」
「なあ母さん、ピジョンのアホがまた汚ェの拾ったんだけど」
「今度はなあにー?ウサギ、モグラ、スカンク?待ってあててみせる、プレーリードッグでしょ」
態度がデカい方のオスが白い鉄のかたまりに叫べば、綺麗なソプラノのメスの声が返って来る。
「どれもどっぱずれだよ、ただの臭くて汚ェ死にぞこないの牝鶏だ」
「まあ素敵、これから毎日生みたて新鮮なたまごが食べられるわね!レシピが増えそうでわくわくしちゃう」
「母さんに聞いた俺が馬鹿だったよ」
態度がデカい方のオスが額を手で覆って嘆き、態度がデカくない方のオスが、アタイのずたぼろの翼をやさしくなでる。
「お前は今日からうちの子だよ」
この子の腕の中で息絶えるならそれもいいかもしれない。
あったかい手が気持ちよくって、アタイはまどろみのうちに目を閉じた。
不吉な前フリをしたけど別に死んじゃないから安心して、ご存知の通りアタイってしぶといのよ。翼に包帯巻いてもらって、ピペットで水を飲んだら息を吹き返したわ。
アタイを拾った人のオスはピジョンと言った。おまけはスワロー。
ピジョンとスワローは兄弟だった。全然似てなくてびっくり、鳥類でたとえるとハトとツバメくらい別物。
人間はアタイたちと違ってお腹から直接生まれるって聞いたけど、生命の神秘ってヤツかしら。この世は不思議なことだらけだわ、トリ頭には思いもよらない。
「ごはんの時間だよキャサリン、たんとお食べ」
ピジョンはまだ雛だ。多分。人間は成長が遅いからよくわからないけれど、大人のオスって感じはしない。全然しない。アタイの餌はピジョンが直接手でくれる。
乾燥したトウモロコシの粒とか食パンのかけらとか、レタスの葉っぱとかにんじんのしっぽとか、たまにはミミズも。
「キャサリンはなんでもよく食べるいい子だね、きっとすぐ大きくなる」
「アタイは立派な大人のメスよ、これ以上でかくなんないから」
「頑張れば空だって飛べるよ。応援する」
ピジョンはいい子だけどアタイの話をちっとも聞かないのが難点ね、女心がわかってないのよ。
人間との意思疎通は難しい。ピジョンはアタイの言葉を勝手に解釈しちゃ、うんうん一人で納得して頷いてる。
ピジョンがケージを調達してきた時は、全力で抵抗した。
「ちょ、キャサリンやめ、どうして暴れるのさ!?ケージが気に入らないのかい、素敵なうちなのに」
「冗談ポイよ、せっかく逃げてきたのにまた檻に逆戻りなんて。アタイは何にも縛られず自由に生きるの、狭っ苦しいケージは願い下げ!」
アタイが暴れ狂うと心優しいピジョンは決まって哀しい顔をし、ケージに入れるのを断念する。
「しょうがないな……いやならいいよ、無理強いしない。入りたくなったら入ればいい」
「本当?」
「気持ちはわかる、窮屈なのはやだろ」
鉤爪キックの跡があちこち付いたピジョンにオーケーをもらい、ぱっと顔を輝かせる。するとスワローがやってきて、アタイとラブラブのピジョンを貶す。
「友達いねえからって牝鶏とお喋りする癖直せよ寂しんぼっち、相当来てるぜ」
「いいじゃん誰も見てないんだから」
「俺が見てる」
「頼んでないよ」
スワローはピジョンにちょっかいかけるのが生き甲斐なの、相当な暇人ね。
コイツはピジョンと大違い、アタイにちっとも優しくない。
隙あらば片脚掴んでぶらさげたり、挙句ぶん回してほっぽり投げたり、扱いがてんでなっちゃない。牝鶏をただのたまご製造機か非常食と見なしてるのよ、きっと。
ピジョンたちは車で移動しながら生活してる。車っていうのは走る鉄のかたまりで、鶏よりずっと速く飛ばせる。
ここでの暮らしはまずまず快適、食べる物には困んないしピジョンとママンはとっても優しくしてくれる。まめにアタイの面倒を見て、餌や水を取り替えて、掃除もサボらずしてくれる。劣悪な農場に比べたら待遇は雲泥の差、自然産卵ペースも上がってくる。
番いがいないせいで全部無精卵だけど、お腹を痛めた有精卵が料理されちゃうのは哀しいから、かえってよかった。
ピジョンはアタイを助けてくれた。
無精卵ならいくらでも産んであげる。
ある日、ピジョンがアタイに聞いてきた。
「キャサリンはどこから逃げてきたの。飼われてたんだよね」
「……昔の事は忘れた。言いたくないの」
「そっか、ボロボロだったもんね……思い出したくないならいいよ別に、今が幸せならそれで」
「ここの暮らしは悪くないわ、毎日いっぱい食べさせてもらって感謝してる。水浴びも気持ちいいし。シャワーっていうのアレ、勝手に水がでるなんてすごい発明」
「俺もキャサリンと出会えて幸せだよ。白くてあったかくてふわふわで、抱いてるだけで癒される」
フィーリングで会話が成立する奇跡に乾杯。
鶏と人間じゃもちろん言葉は通じないけど、どことなく哀しい調子の啼き方でピジョンには気持ちが伝わるの。
ピジョンは毎日のようにスワローにいじめられちゃあべそかいてる。人間の世界も弱肉強食の掟は変わらないのかしら、鶏だったらとっくに間引きされてるでしょうね。
今夜もまた、ピジョンはアタイを抱っこしてめそめそしてる。スワローに蹴りだされて逃げてきたみたい。車の後ろには荷物がごった返して、狭い。
「いい加減泣き止みなさいな」
「慰めてくれるの?優しいね」
「オスでしょ?兄さんでしょ?突付かれたら突付き返すのがトリの常識、丸まって敗けを認めちゃだめ、マウントとるのよ」
「スワローってば酷いんだ、俺に……」
ピジョンが洟をすする。
アタイは翼を立てて説教する。
「自分の寝床は自分で守る!しゃっきりなさい!アタイを朝まで抱いてあっためたってたまごは孵んないわよ」
どうしてこー手がかかんのかしら?弟みたい。
翼の先端をぐりぐり頬にねじこんでせっつけば、ピジョンが「痛いやめてキャサリン頬っぺに羽が刺さる」と弱る。
「めーっけ」
ピジョンが固まる。振り返ればスワローがいた。
「ベッド抜け出して何してんだ。鶏姦?」
「ほっとけよ」
「寒ィだろ」
「キャサリンがいるから平気」
ピジョンがアタイを抱き締めてスワローに背を向ける。ドクドク跳ねる心臓の鼓動が、接した胸板から伝わってくる。スワローが腕組みして壁に凭れ、意地悪い一瞥をよこす。
「また夜中に隠れてオナニーか」
「だ、誰のせいだと……お前が寝かせてくんないから」
「火照りを冷ましにきたってか」
ピジョンがほんの僅か頷いて、アタイの羽毛に顔を埋める。体温が高い。どんどん上昇してく。
スワローが大あくびで身を起こす……と見せかけてふらりとやってきて、おもむろにピジョンの肩を掴む。
「待」
「火照って眠れねーんだろ?ヌくの手伝ってやる」
「そうじゃな、ちが、待てスワローやめろって母さんにバレる」
「母さんならぐっすりおねんねしてるよ」
「いいから離れろよ余計なことしなくていい、今からベッドに戻って大人しく、ッあ」
ピジョンの手をすり抜けて床へ着地、見上げる。
スワローがピジョンを壁に追い詰めてのしかかり、シャツの上から胸をまさぐるのが見えた。
ピジョンと暮らし始めてびっくりした事、人のオスには乳首がある。乳牛にあるあの乳首よ。ピンク色で尖った形も一緒。
スワローはシャツ越しにピジョンの乳首をふにふに揉みまくって、搾乳するみたいに根元から搾り上げる。
「スワロー、いやだ」
「何が嫌だよ、すっかり尖ってんじゃん。先端がコリコリしこってら」
「っあ……ふ……」
ピジョンが恥ずかしげに目を伏せる。頬っぺたは上気して、なんていうかメスの顔。
アタイはぴんときた。またアレが始まる。アレを見るのは初めてじゃない。ピジョンはアレが嫌で、夜毎アタイのところに逃げてくるのよ。
「スワロー、くすぐった、ッは、よせ」
「乳首だけで下ごしらえできちまうのか、便利な身体だな」
「お前っ、の、せいだろ」
ピジョンが息だけで切なく喘ぐ。目は熱っぽく潤み、膝がかくかく震えてる。スワローが舌なめずり、シャツの上から乳首を含んで舐め転がす。
「~~~~~~~んぅっ」
ピジョンの身体はとっても敏感。スワローに乳首をなめられただけで、とってもいい声をだす。アタイはピジョンの足元から、二人の行為を興味深く観察する。
アタイ知ってる。これは交尾よ。
オス同士で番うとき、スワローはピジョンをメスにする。もちろんオス同士だからピジョンの中で出しても孕まないけど、スワローはピジョンとするのが大好きで、しょっちゅうなめたり擦ったり揺すったりしている。
「あっ、たんっ、まスワロー、それっ変、シャツの上からされると」
「じれったい?」
「じゃなくて、はぁあ」
「股間も固くなってんじゃん」
ピジョンとスワローの交尾は生殖を目的にしてない。アタイにはそれが不思議。スワローがたまごを産めないピジョンにこだわる理由はなに?
スワローの手がピジョンのズボンにかかり、下着ごとずりおろす。ピジョンのアレは赤くそそりたって、いやらしい汁をたらす。
「びんびんに勃起してる。すげえな、乳首だけで勃っちまうのか」
「お前がねちっこくするから、ッは、いじるなよ……」
スワローの手がピジョンのアレをさすったり引っ張ったりする。ピジョンのアレがおっきく膨らんでいく。
手の甲を噛んで声を我慢するピジョンに対し、スワローは股間を激しくかきまわす。
「スワロー、やっ、んんッ、ふぁあ」
ピジョンがびくびく跳ね、ふやけきった顔で喘ぐ。いやがってるのか喜んでるのか、アタイにはわからない。
「ッは、キャサリンが見てる」
「まざりたがってんのかもな」
ピジョンが気持ち良さそうに喘ぎ、スワローが前を寛げて、ピジョンのよりでっかいアレを取り出す。アタイが見たどのミミズよりも太くていきがいい。
「いやだむこういけ、これ以上はホントおさまんなくなる」
ピジョンが半べそで助けを求める、必死に腕を突っ張ってスワローをひっぺがしにかかる、スワローは言うこと聞かずにピジョンを責め立てる。
ピジョンの腹を片手でまさぐり、片手でペニスをぐちゃぐちゃ捏ねて、勝ち誇ったように言ってのける。
「イくまで許してやんねーから」
スワローの股間に生えたミミズが直立した瞬間、勝手に身体が動く。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!?」
猛然と羽ばたいて、赤いミミズにとびかかる。
「このクソドリふざけんな何考え、っでやめろ馬鹿突っ付くな」
「馬鹿はお前だ馬鹿早くその見苦しいのしまえって、ミミズと勘違いしてるんだよきっと」
「ざっけんなミミズたあ太さが全然違ェだろうが、ピジョン早くこのクソドリしまえよそれか蹴り出せ!」
「夜中にほっぽりだしたらトリ目でコケちゃうだろ、人の心がないのかよ!」
ミミズ!ミミズ!アタイのミミズ!
慌てふためいたピジョンがスワローのジーパンをせっかちに引き上げにかかる、その手を啄んでどかす、急いでたせいでジッパーがアレを噛んでスワローが「いっぐぎ」と絶叫、両手を股に突っこんで悶絶する。
「スワロー大丈夫か、でもお前が悪いんだぞキャサリンをクソドリとかいうから、コイツは人の言葉がわかるんだ」
「わかるかボケ!!」
「おいで、いい子だ」
ピジョンが片膝付いて両手を広げ、理性が立ち戻ったアタイはその胸にダイブする。スワローはまだもんどり打って床に転がってる、大袈裟ね。
ピジョンがアタイに感謝のまなざしを向け、すべすべのお肌で頬ずりする。
「ありがとキャサリン、俺のこと助けてくれたんだろ」
「いいって事よ」
一声鷹揚に返し、床に突っ伏したスワローをふふんと勝ち誇って見下す。
「子分の面倒を見るのもアタイの仕事だもん」
アタイはキャサリン。
大脱走《チキンスタンピード》の立役者にして弱肉強食《バードトライアングル》の頂点に君臨するオンナ。
0
お気に入りに追加
147
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】♡喘ぎ詰め合わせ♥あほえろ短編集
夜井
BL
完結済みの短編エロのみを公開していきます。
現在公開中の作品(随時更新)
『異世界転生したら、激太触手に犯されて即堕ちしちゃった話♥』
異種姦・産卵・大量中出し・即堕ち・二輪挿し・フェラ/イラマ・ごっくん・乳首責め・結腸責め・尿道責め・トコロテン・小スカ
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
僕はオモチャ
ha-na-ko
BL
◆R-18 エロしかありません。
苦手な方、お逃げください。
18歳未満の方は絶対に読まないでください。
僕には二人兄がいる。
一番上は雅春(まさはる)。
賢くて、聡明で、堅実家。
僕の憧れ。
二番目の兄は昴(すばる)。
スポーツマンで、曲がったことが大嫌い。正義感も強くて
僕の大好きな人。
そんな二人に囲まれて育った僕は、
結局平凡なただの人。
だったはずなのに……。
※青少年に対する性的虐待表現などが含まれます。
その行為を推奨するものでは一切ございません。
※こちらの作品、わたくしのただの妄想のはけ口です。
……ので稚拙な文章で表現も上手くありません。
話も辻褄が合わなかったり誤字脱字もあるかもしれません。
苦情などは一切お受けいたしませんのでご了承ください。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる