タンブルウィード

まさみ

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三話

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「おいでキャサリン。だっこしたげる」
「コケコーッ!!」
ケージの扉を開けて、中でうるさく騒ぐキャサリンを差し招く。
あんまり暴れると母さんや弟が起きてしまうので、唇の前で「しー」と指を立てる。元気よく羽ばたいてモッズコートの懐にダイブしたキャサリンを受け止め、隅っこに移動する。
キャサリンは凶悪な目をした鶏だ。ほぼ一年前、どこからか脱走してさまよっていたところをピジョンが保護した。飼い主が誰かわからずどこへ帰したらいいかもわからないので、以来ピジョンが責任をもって世話している。
母は動物を飼うのに反対しない。
ピジョンが捨て猫や捨て犬を拾ってくるのはこれが初めてじゃない、子供の頃から行く先々で衰弱した犬猫を拾ってきては「あらあらまあまあ」と母に微笑まれ「またかよ」とスワローにどやされていた。
だってほっとけないんだもん、しかたないじゃないか。
ほっといたら死んでしまうのがわかりきっていて薄情なことはできない。
さすがに鶏を拾ってきたのにはびっくりしていたけど、今ではすっかり家族の一員だ。毎朝卵を提供してくれるので、料理のレパートリーにスクランブルエッグが追加された。現代において卵は貴重品だ。家畜はわかりやすい財産の目録で、鶏や豚、牛馬を多く所有しているほど有力者として地方で権勢を誇る。
「お前が来てくれてホント大助かりだ、毎朝新鮮な卵に預かれるし……だっこすればあったかいし」
「コケ―」
「ふふ。くすぐったい」
キャサリンの羽毛に顔を埋め、モッズコートごと包んで懐をぬくめる。
キャサリンは人慣れしてない気難しい性格の雌だ。大人しく抱かせてくれるようになったのは最近で、それ以前はケージに指を入れようものなら一面に羽毛を撒き散らしヒステリックに暴れ狂った。懐くのに時間がかかったぶん愛着は強い。辛抱強く餌をやり水を替え、「おはよう」「おやすみ」「元気?」とまめに声をかけ続けた努力が報われた感慨はひとしおだ。単に鶏しか話し相手がいないピジョンを憐れんだのかもしれないが……
孤独なピジョンにとってキャサリンは可愛い妹分であり、母や弟に言えない事も話せるかけがえのない親友だ。
ピジョンはもふもふに肥えたキャサリンを抱きしめて、今日の出来事を回想する。

「ずるいぞ、反則だ!」
声を荒げて憤る兄に対し、テーブルを蹴って傾かせたスワローはいけしゃあしゃあとぬかす。
「はァ?何が?手や足を出しちゃだめなんてルール最初からねえぞ」
「テーブルを足で傾けてこっちに倒したじゃないか!」
「勝負は勝負、決着は付いたろーが。異論は聞かねーぜ、腹を括って行ってこい」
「この……減らず口ばかりの屁理屈野郎!」
「知ってる?世の中にフェアなもんなんてねーの、俺は世界のルールにならっただけさ」
耳の穴をほじって促すスワローをなじっても後の祭りだ、ナイフはピジョンの方をさして倒れている。アンフェアに抗議したところで結果は覆せない。
健闘を祈るグッドラック
ナイフをもてあそぶスワローにけしかけられ、不承不承母へ直談判にいく。
取り置きしておいた母の分のサンドイッチを盛った皿に、戸棚の奥のシートから切り取った錠剤とコップ一杯の水を添え、全部を盆にのせて運んでいく。
トレーラーハウスの中はごちゃごちゃしている。脱ぎ捨てられた服や雑誌が混沌と散らかり放題、まさしく足の踏み場もない。
客が来るときはもう少し綺麗にしているのだが、今日はその予定もないので怠惰を極めたていたらく。綺麗好きなピジョンがいくら掃除と整頓を頑張っても、自堕落な性分の弟と母がすぐ散らかすので追い付かない現状がもどかしい。トレーラーハウスの中間にカーテンレールがあり、それが思春期の兄弟と、仕事場を兼ねる母の部屋を簡単に仕切っている。ピジョンは崩れかけた雑誌の山を踏み越え、洗濯してないシャツやズボンや下着を迂回する。
「入るよ、母さん」
「うぅ~?」
一応断ってからカーテンを開く。母はこちらに背を向けてベッドに寝ていた。毛布がこんもりと人型に盛り上がっている。娼婦の稼ぎ時は日が沈んでからだ。仕事が仕事なため朝は遅く、昼過ぎまで惰眠を貪っている。低血圧なのが関係してるのかもしれないけど……サイドテーブルに盆を置くピジョンの傍らで、母がむくりと起き上がる。
「ふわぁ……もうこんな時間?寝すぎちゃった」
「昨日も遅かったから仕方ないよ」
ふやけきったあくびをし、子どもっぽく目を擦る母をフォローする。少女趣味なフリルをあしらった純白のネグリジェが寝起きのあどけない顔によく似合うが実年齢は三十路すぎだ。よく見ると目尻に小皺がある。兄弟どちらとも似てない光沢ある金髪は、しっとり艶めく亜麻色と表現したほうがしっくりくる。
波打ち流れる髪の間からのろくさ手を伸ばし、もそもそとサンドイッチを摘まむ。
「いただきます……コンビーフ?」
「スワローのリクエストでね」
「ピジョンの味がするぅ……真心テイストだわ……あっいっけない、お祈り忘れてた」
寝ぼけまなこで呟き、サンドイッチを頬張りながらむにゃむにゃと十字を切る。
「イエスさま、たくさんのごちそうをありがとう。たべるもののないひとたちもたすけてあげてね。以下略」
「毎度あっさり風味だね」
「だって長いんだもの。ママいま食べるのに忙しくて」
もう三十路すぎなのにいつまでも夢見る少女のような母さん。あぶなっかしくてほっとけない母さん。この人をひとりにして本当に大丈夫だろうか?おいていってもいいのだろうか。一人じゃブラのホックも留められないのに?見た目も味も破壊的な料理しか作れないのに?
毛布にもぐったまま、息子の手作りサンドイッチをしあわせそうにぱくつく母に注意する。
「寝ながら食べると喉に詰まるよ」
「だいじょーぶ、ママは食っちゃ寝のプロだもの」
「いばることじゃないよ……ベッドも汚れるし」
「ピジョンは心配性ね、これくらい払えばへーきへーき。いざとなればキャサリンが食べてくれるし」
「キャサリンは残飯処理係じゃないでしょ」
「じゃあピジョン食べる?」
「食べないよ!息子を鶏と同列に扱わないで!」
「怒っちゃいやよ、私のかわいい小鳩ちゃん。ほんの冗談じゃない」
どこまでも楽観的な様子で無邪気に笑う。本題を切りだすタイミングをはかりあぐね、苦悩を深める息子の内心に気付きもせず、年若い母は自堕落に寝転がって食事をとっている。
塩辛いだけのコンビーフサンドを口に運んで咀嚼と嚥下をくりかえす母を前にぐっと拳を握り込み、挑むよう顔を上げる。
「あのさ母さん」
「なあに?」
母が顔も上げず聞く。ピジョンは視線を揺らし、まずは小手調べの一球を投げる。
「俺、今年で16だよね」
「うん」
「スワローはもう14。もう立派な大人……は言い過ぎだけど、十分に大きくなった」
「そうね……もうそんなになるのね」
母が頷いて遠い目をする。息子たちに等しく遺伝した赤茶の瞳が感傷に潤み、成熟した横顔が聖母のような慈愛を宿す。母がどこを見ているかピジョンはわからない。自分が知らない、母が決して話したがらない過去の方向だろうか。
次の瞬間、予想外の出来事が起きる。
「うわっ!?」
母がおもむろに腕をさしのべピジョンをぎゅっと抱きしめたのだ。
「か、母さん……突然どうしたのさ、重いよ」
「ううーん、なんかじーんときちゃって。ふたりともいつのまにかこんなに大きくなったのね、オムツでよちよち歩きしてたのがあっというまね」
うろたえたじろぐピジョンに頬ずり、首の後ろに腕を回してかき抱く。まるで恋人に甘えるような抱擁。押し付けられた豊満な胸が柔く潰れどぎまぎする。母にハグされるのは初めてじゃない、子供の頃から日常的に何万回とくりかえされてきた事だ。母はハグが大好きだ。挨拶代わりに息子たちに抱き付いてはピジョンに恥ずかしがられスワローに鬱陶しがられてきた。けれど今この時ばかりは、前振りのせいもあって特別な意味合いを感じてしまう。母がずり落ちないよう咄嗟に支え、不器用に背中をさする。
「いつの話してるの……俺はもう赤ん坊じゃないよ」
「そうね、そうよね。ピジョンはすっかり立派なお兄ちゃんだわ、こんな素敵な息子をもって果報者よ。早起きが苦手な私の分まで家事を手伝ってくれるし、ベッドにまで食事を運んでくれるし……」
「それが仕事だもの、母さんは俺達を育てる為に身を削ってがんばってるんだから……料理したり洗濯物干すくらい当たり前さ」
そうだ、母は頑張ってる。十代半ばでピジョンを産んでから、女手ひとつでずっと頑張ってきたのだ。
ピジョンは母の苦労を一番近くで見てきて身につまされている。ある時は乱暴な客に髪を掴んで引きずられ、ある時は顔を殴られて痣を作り、それでも体を売り続けたのは育ち盛りの息子たちを養うためだ。
「本当にいい子ね。大好きよ」
「大袈裟だよ……」
甘ったるく囁いて息子の頭をなでる。ピジョンはこれに弱い。これをされると強く出れない。16にもなって母親によしよしされ面映ゆい反面、こみ上げる幸せを噛み殺しきれず、自然と頬がゆるんでしまう。視界の端でカーテンが怪しく揺れる。スワローのヤツ、聞き耳立ててるな?
盗み聞きする弟の気配に咳払い。ぬるい空気に流されかけた自制心を引き締め直し、心を鬼にしてしなだれかかる母をひっぺがす。
「母さんはさ、俺達が突然いなくなったらどうする?」
「え……?」
息子にふりほどかれ愕然とする母。見開かれた目が困惑に揺れ、次いで絶望に染まっていく。親に捨てられた幼い女の子のようなその顔……痛々しいほどのあどけなさを剥きだした、まだ三十を少しでたばかりの女性の顔。
言葉足らずを反省し、人さし指と親指で三角を作ってしどろもどろ付け加える。
「えっと、たとえばだよ?俺とスワローがある日このトレーラーハウスを出て、母さんが一人になったら……もしもの話だからね?別に母さんを捨てるとか見放すとかじゃないからそこはしっかり安心して、でもほら、俺達がいないほうが広く使えるし、のびのび快適だし……お客さんだって喜ぶし。母さんにとったらいいこと尽くしじゃないかって最近よく考えるんだ」
半分以上スワローの受け売り、弟から借りた言葉だ。あたふたと取り乱し、しょっぱい言い訳を重ねるピジョンを母はなんともいえぬ悲哀の表情で凝視していたが、やがて華奢な腕が再び伸びてくる。
避けられない。避けようという気すらおきなかった。
「いいのよ心配しないで」
「………っ」
「ピジョンとスワローは私がお腹を痛めて産んだ子よ、変な遠慮なんかしないで頂戴、ここはあなたたちの家なんだから。これまでもこれからもずっと……変わらない居場所よ。望むならずっとここにいていいの」
母の腕は甘い枷だ、抱擁されると反抗の気力が根こそぎ削がれる。カーテンの向こうで見張るスワローの気配にも増して乳飲み子の頃から馴染んだぬくもりには抗いがたい。
息子の繊細な前髪をかきあげ額にやさしくキスをする。
「…………」
拒もうと手を上げ、自分の首に巻き付く肘にかけ、それをまた力なくおろす。
無力感を握り潰してもう一度掲げた手で母の背を軽く叩き、息子の務めとしてハグを返す。自分に望まれた役割、求められた役柄を忠実にこなす。
喉元まで出かけた言葉がむなしく霧散、ぬるい諦念に浸って目を閉じる。
ずるいよ、母さん。
こんなことされたんじゃ、話せない。
母の事は愛してる。だからこそ本当のことは言えない、がっかりさせたくない、幻滅させたくない。
手塩にかけて育て上げた息子たちが突然出ていくと告げたらショックを受けるに決まってる、母を哀しませることなどピジョンもスワローもこれっぽっちも望んでない。
「だいじょうぶだよ母さん、どこにもいかないよ」
「……ホント?」
「うん」
「あーびっくり心臓止まるかと思っちゃった!もーピジョンてば脅かすのはよしてちょうだい、かわいい息子が手品の煙みたいに突然消えちゃったらママどうしたらいいかわかんないわ、頭からブスブス煙吹いて思考回路がショートしちゃう!」
大袈裟に胸をなでおろし安心する母にぎこちなく苦笑い、内側から胸を刺す罪悪感に耐える。
ごめんスワロー、ごめん母さん。
黙って見ている弟とだました母とに心の中で謝罪する。ピジョンは盆の上の錠剤をさして呟く。
「ピルここにおいてくね。食べ終わったらシンクにお皿だしといて」
「らじゃー!」
元気よく返事する母に背を向け、逃げるようにその場を去る。カーテンを捲り、しょげかえって出戻ったピジョンを不機嫌に腕を組んだスワローが待ち受ける。
「……んなこったろーと思った」
「……ごめん」
一発殴られる覚悟はしていた。また信頼を裏切ったのだ。
恥ずかしくて後ろめたくてスワローの顔が見れない、どうあがいたってまっすぐ目を見る勇気がない、今すぐ消え入りたい衝動に駆られて靴紐がほどけかけたスニーカーと睨めっこする。
黙って立ち尽くす兄にスワローが不気味な静けさをまとって詰め寄る。
「母さんと俺、どっちが大事なの?」
スニーカーの先端を軽く踏まれる。靴紐が汚れて捩れる。もう泣きたい。でもスワローは許してくれない。吐息のかかる至近距離で手厳しく追及され、ピジョンは深々とうなだれるしかない。
「そんな聞き方ずるい……選べるわけないじゃないか」
母も弟もどっちも大事、ピジョンにとって大事な家族だ。究極の二者択一すぎて答えが出せない。
「腰抜け」
「!ッぐぅ、」
「お前にゃがっかりだ」
靴裏に体重がかかる。スワローがあらん限りの憎しみを込めてピジョンの足をぐりぐり踏みにじり、憤然たる大股でトレーラーハウスの出口へ赴く。片足を抱えて悶絶しながら弟の背中に追い縋るピジョン。
「どこ行くんだよ!」
「知ったことか。テメェにゃ関係ねえ」
「いつ帰るの?」
「テメェが童貞捨てた頃」
「~っ、勝手にしろ!」
「あーあー勝手にするさ、せいぜいぱーっと気晴らしにいってくるさ!これ以上テメェのような煮え切らねーヘタレとツラ突き合わせてたらムカムカしすぎてどうになっちまうぜ!」
見損なったぜ兄貴と、冷たく突き放す背中がそう言っていた。足音荒く出ていくスワローがどんな表情を浮かべていたか、とうとう確かめられずじまいだった。

回想終了。
「……というわけなんだ。キャサリンはどっちが悪いと思う?俺が悪いのかな」
コケ―とキャサリンが鳴く。
「……だよね。悪くないよね。悪いのはアイツだよね。最初にズルしたのアイツだし、俺ははじめからやだったんだ。俺達ふたりが決めたことなんだから一緒に言うならまだわかる。なんで俺にばっかやなこと押し付けるのさ……酷いよ、あんまりだ、理不尽だ、こんなのってない」
丸く膨らんだキャサリンを抱きしめて愚痴る。
キャサリンはコケコケと相槌っぽいのを打ちながらピジョンの腕や胸をやたらめったら突付きまくる。
「……元気づけてくれた?」
「コケ―」
「いい子だねお前は」
あちこち啄まれたコートを毛羽立たせ悄然と呟く。
「俺の味方はお前だけだよキャサリン……」
『知ってる?鶏姦は癖になるんだぜ』
最悪のタイミングで甦ったスワローの揶揄に慌てて首を振る。キャサリンのケージは荷台にある。トレーラーハウスの前部が母の仕事場兼私室、後部が兄弟共有のスペースで、さらに最後部にあたる荷台はカーテンで仕切られている。キャサリンを抱いて蹲るピジョンからは、カーテンに阻まれてベッドが見えない。
「……もう寝たかな……」
スワローと顔を合わせる気まずさから荷台に逃げ、キャサリンを抱いて蹲っていたが、それももう限界だ。
この頃ピジョンは夜になるときまって荷台にこもる。
キャサリンに餌をやる、ケージを掃除するというのは単なる口実で、本音はスワローと同じベッドで寝るのを極力避けたいからだ。
ピジョンが16歳になって数日が経過した。
「…………なんだってできないこと言っちゃうかな、俺の馬鹿」
三年前に勢い交わしてしまった約束を思い出すにつけ、当時の自分を呪い殺したくなる。若気の至りですまされる過ちではない。
確かに言った。言いましたとも。当時はふたりともまだ子どもで生半可な知識しか持たず体もできあがりきってなかった。セックスは互いに負担をかける。ましてや兄弟同士の近親相姦なんて不道徳な行い、ピジョンの良心と常識に照らせば断固として容認しがたい。
その場しのぎの先延ばしの口約束……期限が満了したらその時にまた身の処し方を検討しようと、未来の自分にぶん投げて楽観していた。
16歳の誕生日をむかえてからピジョンはいつ弟にヤられるか、一分一秒たりとも気が抜けない綱渡りの日々を送っている。
スワローが少しでも大きな音をたてようものならびくりとし、何かの拍子に体が触れ合おうものなら「ひっ!?」と声が出る。意識しすぎだとわかっていても恐怖心から来る生理的な拒絶反応はいかんともしがたく、過敏なリアクションで応じてしまう悪循環だ。
さらに不気味なのは沈黙を守るスワローの態度だ。
「……アイツなんで何も言わないんだ。まさか忘れたのか?」
アイツの性格上俺が忘れたふりしてたらキレそうなものなのに、一切それには触れてこない。見て見ぬふりのしらんぷりだ。
こっちはいつ食われるかびくびくしてるのに……揃えた膝の上にちんまりおさまるキャサリンは、途方に暮れた飼い主を激しく突付きまくる。愛情表現が痛い。
「いたっいたいよやめてキャサリンいたいってば!」
「コケコーッ」
「もう……お前まで俺をいじめるの?暴君はもう間に合ってるよ」
拾ってやった恩を仇で返されても強く出れないのがピジョンの長所にして短所だ。
荷台の手狭な暗がりに身を潜めていると母や弟の寝息まで闇を縫って伝ってきそうで、すぐ近くまで忍び寄る衣擦れの幻聴に悩まされる。いや……忘れてるならそれがいい、それが一番。弟と寝るなんてとんでもない、神の教えに背く行為だ。スワローは相変わらずちょっかいをかけてくるけど、ピジョンが泣いて嫌がれば最後まですることはないし、ギリギリ寸止めで勘弁してくれる。
なのにどうして不安なんだ?スワローがあの約束をすっかりド忘れしてるんだとしたら、仮にそうだとしたら……
「……俺に飽きたのかな」
俺の体に興味がなくなったのか?
ピジョンは哀しげに俯き、キャサリンを懐に抱きこんだまま自らの貧相な体をまさぐる。シャツの脇から手を入れて痩せた腹筋、ドッグタグが這う胸板をなでさすってがっくりと肩を落とす。成長著しいスワローとは対照的に背は殆ど伸びず筋肉も付きにくい体質ときては、将来性はほぼ見込めない。スワローと並んだら格段に見劣りする。アイツはモテまくりだし、わざわざ俺みたいなみすぼらしいのを構わなくても遊び相手には不自由してない。
アイツはもう俺なんかどうだっていいんじゃないか?
「…………」
生唾を呑み、下腹を不器用にまさぐったていた手をズボンの膨らみに添える。
三年前と比べ、体は日々成熟して大人になりつつある。
マスターベーションの頻度も増えた。プライバシーのない環境の為人目を盗んで自分を慰めるのも難儀するが、ペニスを夢中でしごくたびきまって思い浮かぶのはスワローの顔やアイツにされた事だ。
雑誌で目にした女性のヌードや初恋の子の顔、さらには下着姿の風俗嬢を一生懸命呼び出そうとしても、スワローの巧みな指遣いや意地悪な笑みに散らされて、夜毎ベッドの中で思い通りにされる残像が浸蝕してくるのだ。
「っ……、」
いやなのに、忘れたいのに、アイツのせいですっかりおかしくなってしまった。アブノーマルな快楽を仕込まれた体は夜になると疼いてたまらず、やり場のない熱を逃がすのに苦労する。膨れ上がる一方の浅ましい期待と増大する不安、その時がくるのを待ち焦がれているのか怯えているのか自分でもわからない。
アイツにさわってほしいだなんて。
「嘘だ……」
体が火照って仕方ないだなんて。
ここ数日間、ピジョンは夜毎荷台に逃げてくる。荷台にこもってすることといえばオナニーだ。
眠りに就いた母や弟の耳を気にしながら、カーテンを隔てたすぐそこの弟の気配に背徳的な興奮を味わいながら、声を噛み殺し自分を慰める虚しい行為をくりかえすのだ。
こんなことしたくないのに手が勝手に……気持ちよくなりたくて言うことを聞かない。
頭ではいけないとわかっている、抗う理性と反比例して火照りを持て余した体が疼く、タブーを犯す興奮が煽り立てられる。母さんごめんなさい俺は変態だと何十回も何百回も詫び小刻みに震える手でジッパーをじれったげにおろしていく。
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