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Money comes and goes 1
しおりを挟むオーキッドタウンの歓楽街は大繁盛だ。
宿屋に酒場に娼館、各種アダルトショップをはじめとする店舗はネオン瞬く夜ともなると盛況を呈し往来には女を買う男と男に買われる女、または逆の組み合わせか、同性間での背徳の性戯に耽る人々がごったがえす。
特定の店に属さぬ街娼が屯うレッドライトスポットには合法非合法問わず薬物の売人も混ざり、蓮っ葉な嬌声や甘ったるい睦言、乱闘の怒号が飛び交う中で商売にいそしむ。
そんな街の片隅に一人の少年がいる。
両耳に複数の安全ピンを刺し、耳朶にはシルバーのイヤーカフスを光らせて、胸元には毒を塗したドロップスじみて軽薄なネオンを弾くドッグタグ。
燕のエンブレムが入ったネイビーと白が基調のスタジャンを羽織り、下は黒いタンクトップとダメージジーンズというラフな服装に履き潰したスニーカー。典型的な家出少年スタイルだ。
年の頃は12・3か、まだ十代の半ばにも届いてない。反骨精神旺盛に逆立った髪はネオンに映えるイエローゴールド、玉蜀黍の房のような明るい金髪は人目を引くが、それにも増して秀麗な面差しが通行人を振り返らせる。
まるで掃き溜めに鶴、いや燕だ。かっきりと端正な弧を描く眉の下、優雅に長い睫毛が縁取る切れ長の双眸。整った鼻梁と薄い唇のバランスが素晴らしいが、生意気に尖った顎と下がり気味の口角に癇癖の強さが浮き出ている。
ほんの少し目立ち始めた喉仏が、美しく引き締まった細首に男になりきる前の危なっかしい色香を加える。ただ暇そうに立っているだけで絵になる、まれに見る上玉だ。
少年の右手にはナイフがある。
物騒だと眉をひそめる者はここにはいない、そんなごく当たり前の良識を持ち合わせたものはそもそも犯罪と薬物の温床である歓楽街になど足を運ばない。
スリ追い剥ぎ窃盗強盗強姦が日常茶飯事と化した末法の世、自衛の武器も持たず歓楽街に足を踏み入れたら殺されても文句は言えない。ナイフに銃にアイスピックにドライバー、ここを訪れる人間は大なり小なり身を守る武器を携帯してるのが常識だ。
リズミカルにナイフを投げ上げてキャッチ、延々とそれをくりかえす。
虚空に旋回する銀の軌跡を目で追い、二回転三回転と増やしていく。もう手慣れたもので目を閉じていても楽勝だ。コイツを相棒にしてざっと一年、毎日練習を積んだおかげで、今では手の延長の如く自由自在に扱える。暇さえあれば投げて遊ぶ癖がついてしまって、うっかり目撃でもしようものなら心配性の兄の寿命が縮むのは必至。
少年の前を通る人間の多くが、老若男女の別なく歩調を落とし、綺麗な野良猫でも見つけたような目を向けてくる。
露骨に下心が透ける、好色そうな視線を向けてくるヤツもいる。鬱陶しい。ナイフをもてあそぶ一挙手一投足に纏わり付く熱っぽい視線を堂々無視する少年のもとへ馬鹿な男が近付いてくる。
「見ねぇ顔だが新入りか?よそからきたのか」
「…………」
「一人?いま暇?ずっとナイフを投げて遊んでるが器用なもんだ、ぶすっと刺さっちまうんじゃねーか心臓に悪い。血を見る遊びが好きなのか?」
「…………」
「刺激がほしくてクスリでも買いにきたか?小遣い稼ぎの売り専か?立ってるだけで広告塔、目立ちまくりだ。男も女もお前さんに興味津々、ヤりたくてうずうずしてる。そんな細っけぇ腰を無防備にさらしちゃずこばこ突いてくれっておねだりしてるようなもんだぜ?この時間にここに居るってことは、まぁそーゆーこったろ?はなからお互い納得ずく合意の上ってわけだ」
男娼にしては愛想がない。家出少年にしては怯えがない。
どちらともつかぬ無言にもめげず、細腰になれなれしく腕を回し、引き締まったジーンズの尻をいやらしくなでまわす。
「新品?中古?遊んでそうだし済か?処女は面倒くせェしどっちでもいいが……ああ、悪ぃがスキンを切らしててさ。生でいいか?いいよな?そのぶん弾むからさァ。売り専なら始末の仕方くれぇ知ってるよな?シャワー使って掻きだすんだよ、奥まで指突っこんで。なんなら教えてやろうか、ふたりっきりでしっぽりと」
腰を這う手の蠢きはたとえようなく猥褻だ。
デニムの生地越しにねっとり臀部を揉みしだいて感触を楽しみ、まだ出してもない精液を掻きだすよう窄まりを撫で上げて、興奮してきた男が熱っぽく囁く。
「で、いくら?」
スワローは男の首に片手を回しにっこり笑う。
脈ありか?
調子に乗った男がタンクトップの内側に手を潜らせておっぱじめようとした瞬間……
半弧を描いたナイフが手の甲を刺し、傷口が勢いよく血をしぶく。
「あぎゃあああああああああっ!?」
わけもわからず絶叫する男、出血した手の甲を押さえのたうつ尻を蹴飛ばしナイフを回すスワロー。
「売り物じゃねぇよ」
「てめぇよくも、慰謝料払っ……」
振り返った男の頸動脈にひたりと冷えた感触。
すかさず押し当てたナイフでぺちぺち首筋を叩き、剣呑に底光りする目でほくそえむ。
「慰謝料?払ってくれンの?そうだなそうだな、俺の大事な時間をクソくだらねぇ事に使わせた罪は重いよな?人んケツ捏ね回して気色わりぃ息吹きかけやがって、おかげでこちとらただでさえイライラしてたのに殺意が急沸騰だ。知ってる?売血はいい金になるんだぜ。ここでそのぶっとい頸動脈かっさばいて1リットル搾っていいか?」
「イ、イカレてやがる……クスリが頭にまで回ってやがんのか、口とケツから泡噴いて死ねガキ!」
「スキンはつけろよ。短小なりに最小限の礼儀だ」
スワローの笑みと鮮やかなナイフ捌きに恐れをなして遁走する男、人ごみを押しのけ蹴散らし去っていく背中に一言突っこんでナイフの切っ先で地面を削る。
「七人目……っと。野郎にモテて嬉しいか微妙なトコだな」
右側が七、左側が四。
暇潰しに声をかけてきた男と女の人数を数えてしるしを刻み、再び通りを見渡す。
待ち人来たらず、求める姿はそこになく舌打ちがでる。
「あの駄バトが……帰巣本能すら退化したのかよ」
ピジョンは迷子になる天才だ。新しい街にくるたび袋小路にまよいこむ。
待ち合わせの時間に大幅に遅れた兄に毒づき、手首を返してナイフを放りざま壁に凭れ直す。
場所は間違ってない。
目印の看板はそこにある。あのムッツリスケベが牛柄のマイクロビキニに爆乳を包んだカウガールを見間違えるはずがない、1マイル先からだって見つけるはずだ。店の名前は「ミルクタンクヘヴン」、未婚で処女だが何故か母乳のでる風俗嬢をおいてるのが売りらしい。
「最低のセンス」
まったくどうでもいいが、ピジョンは隠れ巨乳好きだ。兄のエロ本を堂々と盗み見ているスワローが断言する。
スワローは大きなあくびを一発かます。
今夜は母のもとに客がきている。男がいる間は帰れない。スワローは母と男が激しい喘ぎ声を上げてる横でも高鼾をかける図太さの持ち主だが、ピジョンはそうもいかない。思春期真っ只中の男の子には少々刺激が強すぎるし嫌がる客も多いので、母の仕事中は近くの街に夜遊びに繰り出すのが日課だ。
別れたのは四時間ほど前か、ここで合流する手筈だった。
スワローが古着屋を冷やかしたり喧嘩を売ったり買ったり声をかけてきた女の子や男と気が向いたら遊んでやってる間、兄がどこでなにをしてるかは知らない。この年で一日中べったりも気持ち悪い。あのネクラのこった、古本屋でペーパーバックの推理小説でも立ち読みしてやがるんだろうと高をくくっていたが……
さがしにいく?めんどくせえ。
むかえにいく?お断りだ。
そう思う一方で妙に胸が騒ぐ。
「ほいほい変なヤツに付いてったりしてねえよな……あの馬鹿、ちょっと親切そうなそぶりを見せりゃコロリとだまされっからな。オツムの中身は母さん譲りのちょろさだ」
なんで弟が兄貴の心配するんだ?逆じゃねーか。帰りが遅くたって心配してやる義理はねぇ、アイツももう14だ。同じ年でガキ作って親父になってる奴はごろごろいる、母さんだって確かそんくらいでピジョンを孕んだはず……
きた。
「お待ちかねのお兄サマのお帰りだ……あの野郎なんでまた泣いてやがんだ?」
嫌な予感がする。
腰を上げたスワローの視線の先、歓楽街の雑踏の中をとぼとぼと歩いてくる少年。一年前より体の丈に合ったモッズコートの下は安っぽいプリントTシャツとスラックス。赤みがかった金髪……俗にいうピンクゴールドの髪は繊細な猫っ毛だ。
ピジョンはへぶへぶ泣きながら、ずるずる足を引きずりやってくる。相変わらず小突きたくなる歩き方だ。
片手に何かをぶら下げてる。何だ?
「……ガスマスク?」
というか、よく見たら髪はボサボサに乱れてコートとシャツは皺くちゃだ。またぞろ不良に絡まれて小突き回されたのだろうか?外出するたび災難に見舞われるお約束だ。
目の前まで来たピジョンを見上げ、スワローは軽快にナイフを回す。
「レイプでもされたの?」
首を横に振る。
「そりゃよかった。だれかさんの食い残しはまっぴらだかんな」
「お、俺、おれ」
「はーいはーい息吸ってー吐いてー」
「すうーはあー」
ピジョンが馬鹿正直に従い深呼吸する。
「んで、どうしたの。またいじめられたのかよ」
「話せば長くなるんだけど……」
目を真っ赤に潤ませぐすっと洟を啜り上げる。
声変わりはすっかり終えた。少し背が伸びて顔の輪郭が引き締まり、着々と大人に近付いてる。それでも童顔の部類だろう、14歳にはとても見えない頼りなさだ。生来の線の細さと柔和な風貌に加え、子どもっぽさの抜けない言動が年齢を低く見積もらせる。
ピジョンはスワローの隣にちんまり座る。
膝を抱きかかえてモッズコートに包まり、言いにくそうに口ごもる。
「……貯金。全額とられた」
「はあ?」
耳を疑う。
ピジョンは俯いてくりかえす。
「だから貯金。俺が何年もかかってコツコツ貯めたの。全部で15万ヘルはあるかな……」
「テメェ鳩の巣にンなへそくりためこんでやがったのか。いや待て、なんだって貯金を全額持って街にきたんだ?馬鹿じゃねぇか?」
「車の中においとくのだって危ないよ、前にとられたじゃないか」
「あー……」
そんなこともあった。
ピジョンがベッドの下に突っ込んだ手提げ金庫を壊し、うまうまと彼の全財産をせしめようとした客がいたのだ。
「あの時はお前と母さんが袋叩きにして取り返してくれたからよかったけどさ……あれ以来肌身離さず持ち歩いてないと不安でしょうがなくて」
「で、その汚ェモッズコートの懐に突っこんできたのか」
「汚くない。毎日洗ってる」
頑として訂正する兄にスワローはあきれて言葉もない。
母の客には手癖が悪い連中が多く、ちょっとよそ見しようものなら兄弟の小遣いまでくすねていく始末だ。それを警戒する気持ちはわからないでもないが……
「俺の全財産。没収された」
「誰にだよ」
「知らない人」
「……あのさ、話が読めねーんだけど。強盗?スリ?追い剥ぎ?」
「お前と別れてすぐ会って、いい店知ってるから遊ばないかって誘われて……親切そうに見えたからついてったんだ」
「ナンパかよ。貞操観念ゆるがばだな、四十路すぎの売女の股ぐらよか始末におえねーぜ」
「ホントは古本屋で推理小説立ち読みしようと思ったんだ」
ピジョンは新しい街にくるとまず古本屋に立ち寄る。読書が趣味なのだ。
「せっかく声かけてもらったのに断るのも悪くて……付いてった先はバーで、その人は常連さんだった。お店の人たちと陽気に挨拶してたよ。だから安心しちゃったんだ……」
前置きすっとばしてテメェが後生大事に抱えてるブツの入手経路を聞いちゃだめか?
スワローはうずうずする。好奇心に逸る弟の目線の催促にもてんで気付かず、鈍感なピジョンはじらすようガスマスクをひねくりまわす。
『ポーカーしようぜ』
初めて入る店にきょどるピジョンに、男はそう持ちかけたのだそうだ。
「ンなサッカーしようぜみてえなノリで……あーいいや大体読めた」
「話し始めたんだから最後まで聞いてよ」
片手を立てて先を制すスワローにピジョンが見捨てられてはならじと食い下がる。
「初心者にはやさしく手ほどきしてくれるって言ったし、みんないい人そうだったし、つい口車にのせられて。俺も後に引けなかったし」
「テメェが死ぬほどギャンブルに弱い自覚ある?勝利の女神にそっぽ向かれてケツの毛剥かれてこりねぇワケ?」
「ケツに毛なんて生えてないし」
「違くて!そこじゃねえし!」
「お前が言うほどポーカー弱くないよ」
「そこでもねえし!!いや弱ェよ気付けよババぬきん時だって指かけた段階で顔にでまくりなんだよ、やるたんびにボロ負けして小遣い毟り取られてンだろが!必ずジョーカーを引くからジョーカーにストーキングされてる男って不名誉な称号もらったろ」
ピジョンはギャンブルが弱い。これはもう死ぬほど弱い。賭け事全般の才能がなさすぎる。なのに何の因果か下手の横好きで、毎回無謀な賭けに出てはすっからかんに身ぐるみ剥がされる。
「俺は弱くない。ただ……いつもちょっとだけツイてないのさ」
ピジョンが変にむきになる。ギャンブルが弱い事実を断じて認めたくないのだろう。その粘り強さを他の所で使えよ。スワローは小馬鹿にしたよう鼻を鳴らす。
「それで?」
「男の人の友達も一緒にみんなでポーカーしようって流れになって、俺もまぜてもらったんだけど、ただじゃつまらないしお金を賭けようってことになって。最初は絶好調だったんだ、珍しくツイててさ。フルハウスに次いでストレートフラッシュなんて久々だよやった!すごいな天才勝利の女神の寵愛を独り占めかって褒められちゃって、まぁ俺もホントいうと自分にはそっちの才能あるんじゃないかって常々思ってたからまんざらじゃなくってさ。なんていうの?機を見る才能みたいな?テクニカルフィンガーみたいな?むしろカードの方からやってくる……」
「負けたんだろテメェはよ!!」
遂にキレる。
「なに得々とドヤ顔でのたまってんだそりゃ上げて落とすイカサマの常套手口じゃねぇか、そいつら全員グルで担がれたんだよ駄バト!!」
「駄バトって言われると地味に一番傷付くんだよ……」
「ハトがカモられて恥ずかしくねぇのかよ!!」
「最初は気付かなかったんだよカモられてるって!みんな親切ないい人たちで」
「ぜーんぶまるっとお芝居だってのざまーみろ!」
「兄さんにむかってなんてこと言うんだ!もっと敬って謝って!」
「尊敬に足る要素が1ミクロンもねーよ!」
喧々諤々互いの胸ぐらを掴み合って幼稚な口論をくりひろげる。
足が出る手が出る、互いを小突き回して髪を毟り服を引っ張る兄弟の上でミルクタンクヘヴンの看板がけばけばしく輝く。
「よーくわかった勝負に熱くなったテメェは担がれてるのも知らず有り金ぜんぶテーブルにのっけたんだな、自業自得じゃねーか!」
「し、仕方なかったんだ。さ、最後らへんは無理矢理……あんなに優しかったのにがらりと態度が変わって、途中で逃げるなんて許さねえぞとか、きっちり耳揃えて払えって脅されて……じゃないと身ぐるみ剥いで素っ裸にして叩き出すって。や、やだったけど、痛いのはもっとやだし」
コイツの泣きっ面を見るとひっぱたきたくなる。
兄の胸ぐらを乱暴に突き放し、せいぜい憎たらしく口角を吊り上げる。
「で、お可哀想なピジョンちゃんはすかんぴんで放り出されたわけか。おかえりノーマネーマイブラザー。失ったモノはもどらねぇ、すっぱり諦めな」
「む、無理だよ……何年かけて貯めたと思ってるのさ?ちまちまアクセやドリームキャッチャー作って売って、街へ行くたびラジオや車の修理を請け負って、ものすごい苦労して貯めたんだよ?すっごい大変だった、汗が酢になるくらい努力をした。母さんのお客の靴だってせっせこ磨いたし……」
ピジョンが同情引いて哀れっぽく訴える。言われてみれば、コイツがお客の靴磨きをしてる現場を何回か目撃したっけ。よくやるもんだと感心したが、小遣いめあてだったのか。
皺だらけの紙幣を手のひらで几帳面に均してはほくそえむ、あまり健全ではない兄の笑顔を思い出し、スワローはどうでもよさげに聴く。
「ンなに貯めてどうすんだよ?鳩小屋にでも移住すんの?」
ピジョンが抱いた膝に目を落とし、俯けた顔に迷いを浮かべる。
繊細な感受性が見え隠れする横顔をネオンがパープルに染める。
「……約束したろ」
「あン?」
「……賞金稼ぎになるって」
あっけにとられる。
ピジョンは時折口ごもりながら、続けることで想像が現実になるんじゃないか恐れるように、細く震える声を紡ぐ。
「……一年前に。忘れちゃった?」
「……ねえよ」
「ホントになるかわかんないけど。俺だってまだ迷ってるし。でもさ……なるとしたら色々いるじゃん」
「何が」
「お金とか」
それは間違いない。ピジョンがスカした疑問の目を向けてくる。
「スワロー、お前ちゃんと調べた?賞金稼ぎになる方法」
「さわりだけ」
「調べてないんだね……」
だろうと思ったと溜息一つ、ピジョンが説明に繋げる。
「この国の賞金稼ぎは免許制かつ登録制なんだ。免許を発行してもらうにはまず中央……正式名称は中央保安局に行かなきゃいけない。一応付け加えとくと、賞金稼ぎになる時には指紋と顔写真の提出が求められる。無戸籍者でもなれるけど、その場合は身元保証人のサインと血判が必要になる。中央は遠いよ?行って帰ってくるだけで時間とお金がかかる。どうするの?母さんに送ってもらう?俺はやだ、そこまで甘えたくない。母さんにはもうなるべく迷惑をかけたくない。免許だって取得時にお金がいる、あっさりただでもらえるわけじゃない、しちめんどくさい手続きが要るんだよ。じゃないと賞金稼ぎが増えすぎちゃうからね……いまだって飽和状態なのに収拾つかない」
スワローに滾々と説教し、膝の上に場違いなガスマスクをのっけなおす。
「……実際なるならないは別として、将来に備えて貯めといて損はない」
もう何年か後に独り立ちする時の為に。言葉にはせず匂わせてだまりこみ、口はばったく付け足す。
「……俺もおまえも、いつかはあそこをでてくんだから」
死ぬまでずっと一緒ってわけにはいかない。
俺達はいつか大人になる。
その時はもうすぐそこまできてる。
今この国で子どもでいるのを許される時間は極めて短い。大人になれずじまいで死んでしまう子どもたちも大勢いる。
ピジョンだって、本当はずっとあそこにいたい。あの狭苦しいトレーラーハウスで母や弟とぬくぬく巣篭っていたい。でもそれはだめだ、許されない。体を売りつつ息子を養う母の苦労を知ればこそいずれは古巣を発たねばならないと決意を強くする。
故にちまちま貯金していた。
手作りアクセを売って稼いだ微々たる小銭や、客がたまによこす駄賃をかき集めては、ゴツい南京錠を掛けた手提げ金庫に保管していたのだ。
「……母さんの客に元空き巣がいて災難だったな」
「ピッキングは反則だ」
「ガキの貯金にまで手ェ付けるなよ大人げねぇ」
スワローがうんざりする。ピジョンは力なく笑う。
「将来の積立て預金がパアになったよ」
しばらく二人黙り込んで往来の雑踏を眺める。近くのホットドッグ屋台から食欲誘う匂いが漂ってくる。空腹をごまかすため、ピジョンが手持無沙汰に靴紐をいじり芸術的な結び方をする。
「お腹減った……」
「靴紐かじってれば?」
「靴紐は食い物じゃない」
「俺の誕生日プレゼントだろ。有り難く食えよ」
「その文法はおかしい。理屈もおかしい」
「でも好きだろ」
「ひとを靴紐フェチみたいに言うなよ」
「違うのかよ?俺がくれてやったの大事にとってあるくせに」
「あれはお前のプレゼントだから……」
「気に入ってんじゃん」
「蛇の抜け殻よりかはマシかな。心臓止まるかと思った」
「いまだに蛇は摂氏50℃超すと中身が蒸発して皮だけ残すって信じてんの?」
「蛇はたくさんいるしそういう種類もいるかもしれない」
「母さんとおんなしこと言ってやがる……」
「世界は広いから」
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「年々いやがらせの手が込んでくるよね」
「こないだの誕生日にゃ兄貴お気に入りの推理小説やったろ」
「ご丁寧に犯人の名前にアンダーライン引いたヤツね」
「だって気になんじゃん。誰が殺ったか引っ張られっとイライラすんだろ」
「推理小説を結末から読む邪道に俺の気持ちは永久にわからない」
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スワローが地雷を踏み、ピジョンが普段の温厚さをかなぐり捨てブチギレる。
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ピジョンが盛大に吹きだし激しくむせる。
「好きだろ?」
「好きっ……じゃないし!何言ってんだよ声小さくしろよ聞かれるだろ!?」
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「目隠ししても暴れて見たがるから意味ないって、もっと早く気付くべきだった」
「隠されるとかえって気になんじゃん」
腕の中で暴れる弟の体温と感触、さらには手に噛み付かれる痛みがぶりかえして顔を顰める。
それにしても腹が空いた。すぐそこからいい匂いが流れてきて……
「なに食べてんだよ!?」
「見りゃわかんだろ」
横を向く。スワローがいつのまにかホットドッグをがっついてる。ひもじい兄に見せつけるよう豪快に頬張って、親指についたケチャップを意地汚くなめとる。
「ん。結構イケる」
「……俺の分は?」
気まぐれが起こす奇跡かさもなくば一抹の慈悲を期待して、物欲しげに見詰めるピジョンの顔面にホットドッグの包み紙を放る。
「それでもなめてな」
ひらひらと宙を舞って顔面に貼り付いた包み紙をのろくさひっぺがし、地獄で贋金を掴まされたような顔をするピジョン。愕然と見開かれた目にはありありと絶望が浮かんでいる。
もうだれも信じない表情。
「……スワローのローはアウトローのローだ」
「ピジョンのPはPeeのP?それともPussyのPか」
笑いつつからかうスワローにもはや言い返す気力もなく背中を丸める。さすがにやりすぎたか?ピジョンが丁寧に包み紙を均して広げ、ほんの僅かなすられたケチャップとマスタードに舌をつける。
「味がしない……」
「なめるのかよ!」
なんて意地汚い生き物なんだ。
絶句するスワローをよそにピジョンは未練たらしく包み紙をぺろぺろする、それはもう犬のようにすみずみまでさもしく舐めまわす。しまいには泣きながら舐めあげる。
「うう、うっ、ひぐ」
「あー……」
……ちょっとだけ気の毒になってきた。どう頑張っても何の味もしない包み紙を乱暴に投げ捨て、傍らに転がるガスマスクの存在を漸く思い出し、それを両手で抱えて装着。
年代物のゴツいマスクが顔面を遮り、しゃくりあげる嗚咽が低くくぐもる。
「……すげーいまさらだけど、そのガスマスクはなんなわけ」
「くれた」
「物々交換かよ」
「……すかんぴんで帰すのも可哀想だからって」
お人好しなガキを詐欺にかけて全財産だましとって、相手も気が咎めたのだろうか。いらなくなったガスマスクをポイと放ってよこしたわけだ。
「そーいや汚染区域が近いか。量産品の中古が大量に出回ってんだな」
スワローは不躾に兄が被るガスマスクを観察する。呼気を吐くたび不規則に間延びした音がたち、口元を保護する部分に繋がったチューブが白く曇る。
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核兵器を撃ち込まれ、または原発の事故が原因で放射能に汚染された土地は立ち入り禁止の汚染区域に指定され付近一帯ではガスマスクや放射能の計測器が流通しているが、それにしたってコイツは古い。
第一次、第二次大戦中に製造された代物かもしれない。
スワローはピジョンからやや離れて蹲り、人さし指の上でバランスをとってナイフの尻を立たせる。
行き交う十人中十人がスワローを振り返り、ついでにピジョンを流し見ていく。
兄に一瞥くれる通行人に睨みを利かせ追い払うも断じて下心はなく、どちらかといえば見世物に近い感覚だと思い直す。
フルフェイスのガスマスクを被った少年が道端で泣いていたら自分だっておもわず二度見する。
ヤジロベエの如く小揺るぐナイフがまっすぐ安定するのを待ち、わざとらしくはしゃいだ声をだす。
「立った!立った!レオナルドが立った!」
弟の指の上でお行儀よく直立するナイフをじとりと見、ピジョンが不機嫌げに唸る。
「最低だなそのジョーク」
「和ませようとしたんだよ」
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「ケツにナイフ突っ込まれて生きてるヤツそう多かねーだろ」
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「それもそうか……あ、保安局で聞けばわかるかも」
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……が、コイツはお気に入りのナイフを手放したくなくて屁理屈をこねてるだけだ。弟の思惑などピジョンはすっかりお見通しだ、だてに長く一緒に暮らしてない。
遺族の心情的にはどうなのだろうか?息子を筆頭に多くの子供をいたぶり、時に死に至らしめた忌まわしいナイフでも欲しがるものだろうか。凶器を兼ねる形見の扱いは悩ましい、通常は遺族に返還されると聞くが……そもそもスワローがナイフをがめた事はピジョン以外知らないのだ。存在しないはずのものをどうやって返すんだ?
どうしたら遺族にとって一番よいのか、子どもがいないピジョンにはわからない。彼女すらいない。
自分のバックバージンを奪ったナイフを平然と使い回す弟の神経こそどうかしている。
言うなら今しかない。
言いたくないけど言うしかない。
この為にわざわざマスクを嵌めた。コイツと目を合わすのを避けるために、コイツの顔を見ずに済ませる為に……
覚悟を決めて大きく深呼吸、やけにうそ寒く空虚な胸元へ拳をもってくる。
「……もうひとつ謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「んだよ」
ナイフで遊びながら興味もなさそうに促すスワローにしっかり向き直る。
ガスマスクの奥の素顔をやりきれずに歪め、膨れ上がる屈辱と悲哀、それらを凌駕する自責に震える声をおそるおそる吐きだす。
「ドッグタグとられた」
唐突にナイフが落下、アスファルトではねた。
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