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a sharp knife
しおりを挟む「はあっ、はあっ、はあっ……」
ピジョンは体力がない。ちょっと走るとすぐ息が切れる。
彼は目下、忽然と姿を眩ました弟を捜索中だ。
弟が急にいなくなるのは珍しい事じゃない、日常茶飯事の年中行事とさえいえる。
アイツは一人かくれんぼの天才だ。
かくれんぼ選手権があれば一等賞を狙えるのではないかとピジョンは常々本気で考えている。
どうしてかアイツは視界から兄が消えるとすぐにキレてモノに当たり散らす癖がある。
先日などドラム缶を蹴倒したら、そのドラム缶を始点にドミノ倒しが発生する大参事を招いてしまった。あんなに癇癖が強くては将来が思いやられる、少しは忍耐を学んでほしい。
以上の事情から弟を捜すのはすっかりなれっこだ。アイツは名前が示す通り自由奔放な風来坊、一箇所にじっとしてるということがまずない。落ち着きない性格は誰に似たのか、ちょっと目を離すとすぐいなくなる。自由気ままに気まぐれに、ベッドの隙間や車の下を這い回って服を汚しにかかるのだ。
ピジョンはほんの小さい頃から母に代わって弟の子守をしてきた。這い這いして脱走する弟の足を引っ張って連れ戻し、あわやトレーラーハウスから転落する所を抱き上げてと、八面六臂の大活躍をしてきたのだ。
兄として当然の義務を果たしたまでとはいえ弟のピンチを何度も救ってきたのだからもっと褒められてもいいはずだ、もうちょっと報われてもいいはずだ。
尊敬のまなざしを向けられても罰は当たらないと内心自負している。そうさ俺はアイツのヒーローなんだ、もうちょっと敬われてしかるべきだ、なんたって兄さんだもの。弟の虐げによく耐えたで賞とかでそのうち表彰されるかもしれない。ぼんやり顔で妄想の飛躍もピジョンの得意とするところだ、じゃないと現実が辛すぎる。
生まれ育った環境から遊び相手が兄しかいないので、二人でかくれんぼするのが通例だが、自分に鬼の番が回ってくるつど癇癪を起こすのでほとほと困り果てている。仕方なくピジョンが毎回損な役回りを引き受ける羽目になる、エンドレス鬼のターンだ。
そんなわけで、いつのまにか弟をさがすのばかりうまくなってしまった。
「ったく、どこいったんだ……世話ばかりかけるんだからもう」
顎に伝う汗をシャツの裾で拭ってぼやく。
現在一家が居住するトレーラーハウスは乾燥した荒野にとまっている、赤茶けた地肌を晒すだだっ広い地面には疎らに生えるサボテンや隆起する岩山の他に太陽を遮るものとてない。風に吹かれて転がっていく枯草が荒廃した景観にさらに侘しい風情を添える。子供の足ではそう遠くには行けないはず、必ずこの近くにいるはずだ。
ピジョンはおんぼろスニーカーを突っかけ弟を捜し歩く。途中外気にさらされ左頬の痣が疼く。
「っ……」
おもわず左頬に手をあてがい、痣ができた経緯を思い返して哀しい顔をする。傷の痛みそのものより胸を苛む無力感の方が余程辛い。だがすぐにこんな暗い顔をアイツに見せるわけにいかないと切り替えて弟捜しに集中する。
「みーっけ」
紛れもない、弟の後ろ姿だ。
「おーいスワロー!」
両手を上げて振り回す。弟の肩がぴくりと反応する。だが振り向かない。兄の方は見もせず何かに集中するフリをしている。無視しているのだとしたら演技が下手だ、過剰に意識してるのが背中の強張りで丸わかりだ。ピジョンは軽くジャンプして前よりもっと派手に両手をぶん回し、馬鹿みたいに声を張り上げて叫ぶ。
「そこにいたのかスワロー、さがしたんだぞ!いいか、俺がいくまでそこ動くなよ?絶対だぞ!砂漠はキケンがいっぱいだからな、サソリにトカゲにヘビにサボテンに……どわっ!?」
言ってるそばから自分が転んでしまった。それはもう綺麗に諸手を挙げて、万歳のポーズでこけた。
「いててて……」
見れば靴紐がほどかけている。これを踏んづけて蹴躓いたのだ。弟を捜すのに夢中で不覚にも見落としていた。視線を感じて振り向く。弟が音速で顔を戻す。何もない所でコケるという大変器用な芸当を披露した兄の、その赤っ恥の醜態をガン見していたのだ。
おそらくは「何してるんだコイツ」という世界中の人間を代表するあきれ顔で。
羞恥で頬が火照りだす。唇を噛み締め、努めて平静を装い立ち上がる。服に付いた土埃を手早くはたき落とし、咳払い一つ、今度は余裕ぶった大股で目的地に近付いていく。
コートのポケットに悠々と指をひっかけ、ポーカーフェイスの下に動揺を押し込めてやってくる兄に、スワローは「こんな恥ずかしいヤツ赤の他人だ」と宣言するが如く意固地に背中を向け続ける。
弟のすぐ後ろでスワローは立ち止まり、腰を屈めて訊く。
「なにしてるのスワロー。さがしたんだよ」
「…………」
「砂遊び?俺もまぜてよ」
「…………」
「一人かくれんぼ選手権があればお前が優勝だね」
「何もないところで転ぶ選手権があれば兄貴が優勝だな」
「不名誉な選手権だなあ。優勝してもいいことなさそう」
「何もないところで転べる靴がもらえる」
「ちょうどよかった、このスニーカー底が抜けかけてるんだ」
やっと会話にこたえてくれた。弟の歓心を買おうとあれこれ喋りかけ涙ぐましい努力を続けていたピジョンは心の中で快哉をあげ、内容はさておきキャッチボールが成立した事実にひとまず安堵する。
膝をそろえてしゃがむ。
弟がガツガツ勢いよく右手を上下させる。棒状のモノで柔い砂地を掘り返しているようだ。
ピジョンは至近距離から弟の後頭部を、その後ろ姿をまじまじと観察する。
髪色は燦然と輝くイエローゴールド、太陽の色や玉蜀黍の房の色に近い眩い黄金。モップのように乱れた髪は、ろくに撫で付けてもないせいであちこちハネ放題にとっちらかってる。肩あたりまで無造作に伸ばしっぱなしなのでパッと見女の子に間違うが、面と向きあってもはたして何人が性別を見抜けるか?意志の強そうな弧を描く眉と整った鼻梁、いつも不機嫌そうに口角が下がった唇。薄汚れていてもどことなく品が漂う華奢で愛らしい風貌は、狼に育てられた高貴な生まれの野生児とふれこまれたら納得してしまいそうだ。気性は怖いもの知らずの山猫よりだが。
襟足からはみ出た後ろ髪が気になり、一房すくう。
「髪伸びてきたね。切らないの?」
「…………」
ザクザク。
「切ったげようか。俺けっこう上手いんだよ、母さんにも褒められたし。将来はいい床屋になるって……剃刀使うのはちょっと怖いけどさ、ザクッと一気にいっちゃいそうで……聞いてるスワロー?」
「…………」
ザクザク。
「まかせてくれたら最高に男前にしてあげるよ」
ザクザク。
「もう、人が話してるんだからこっち見」
弟の肩を掴んで振り向かせようとし、乗り出した姿勢で硬直。
弟が右手に鷲掴み、ザクザクと力を込めて振り下ろしてる棒を戦慄きながら指さす。
「お前それ……なっ……えっ!?どこから!?」
「母さんのベッドの下のおもちゃ箱」
「おもちゃはおもちゃでも大人のおもちゃ箱だろっ……!」
兄弟の母は娼婦だ。女手一つで二人の息子を育ててきた。彼女のベッドの下には商売に使う性玩具を詰めたトランクがあり、ピジョンとスワローはそれを「おもちゃ箱」と言い慣わしている。
スワローは右手に握り締めたアナルパールで、何かに取り憑かれたように一心に、ザクザク豪快に蟻地獄を掘り返していた。
険しい表情でアナルパールの先端を蟻地獄に突っ込む幼い弟、衝撃的な光景に戦慄。
「返しなさい!」
反射的に取り上げにかかるもスワローの反応の方が早い。ピジョンの手は虚しく空振り、スワローは前にも増して熱心に棒を突きこんで蟻地獄の底を攻め続ける。兄へのあてこすりも兼ねているのだろうか?スワローは自分のモノを取り上げられるのを何より嫌い根に持つ。遊びを中断されても機嫌を損なう。
ピジョンは娼婦の息子だ。アナルパールの用途くらい知ってる。使用中の光景をうっかり目撃してしまったことさえある。もっともアナルパールを突っ込まれて激しく喘いでいたのは、ベッドに四つん這った男のほうだが……母さん攻める方が生き生きしてるよね。
ごくりと生唾を呑み、ピンポンサイズの球が十個連なった、妙にぐねぐねと柔軟にうねり狂うラバーの棒を指さす。スワローの小さな手との対比が際立つ蠢きが一層グロテスクでおぞましい。
まだ十にも届かないいたいけな子どもが、至って無造作にアナルパールで蟻地獄をほじくり返すなど狂気の沙汰だ。ピジョンは頬をひくつかせつつ、蟻地獄を穿つパールを怖々と指さし上擦る声で問う。
「お前……使い方知ってるの?」
「しらね。何に使うの?」
「えっ」
墓穴を掘った。
まずい。ピジョンは上手いごまかし文句を考える。スワローは手を止め、じっとピジョンを睨みつける。こいつ目つきが悪い。あんなもの弟にさわらせちゃいけない、でもなんて説明する、真実を言うのか?だめだ刺激が強すぎる、コイツはまだ子供だぞ!
良識が一刻も早く弟の手からアナルパールを取り上げろと叫ぶ、良心が嘘を吐くのはいかがなものかと真面目ぶって責める。スワローはいつになく純粋な疑問の眼差しで、口をぱくつかせるピジョンを見つめている。使用シーンは両手で目隠ししていたから見てないはず、けれど両手が塞がっていたピジョンは子供には刺激が強すぎる一部始終をばっちり目撃してしまった。
こいつは二つ年上の兄が答えを知ってると信じこんでる、期待を裏切っちゃいけない……
頭から煙を吹きそうに苦悩した挙句、凄まじい葛藤をねじ伏せ意を決し口を開く。
「それはね。蟻地獄の深さを測る道具だよ」
神様母さんごめんなさい、俺はとんでもない嘘吐きです。
良心と良識が綱引きした結果、今まで生きてきた中で最大の欺瞞を働かせる。
どうしても弟に真実を告げる勇気が出なかった。告げなくてよかったと思う。
ピジョンは手真似も交えて実演し、即興の芝居を打つ。
「そうやってずぼずぼ突っ込んで、球が何個入るかでぐりぐり深さを測るんだ」
「へえ~兄貴のくせに物知りじゃん」
「ひっかかる言い方だな……」
「いま六個目まで入った」
「けっこう深い。地球のおへそに繋がってるのかもね」
「すげー七個目。トンネル開通しちゃうぜ」
蟻地獄を抉って抉って抉って七個目のボールをねじこむ弟の、無表情はそのままに浮かれはしゃぐ様子を眺め、引き攣り気味の半笑いで良心の疼きを耐え忍ぶピジョン。
無邪気は時として残酷で恐ろしい。子供って罪作りだ。どうか穢れを知らぬまま大人になってくれ。
心の中で十字を切って祈りを捧げるピジョンをよそに、スワローはアナルパールを抉り、回転させ、穿孔し、嬉々として蟻地獄を突き崩す。まるで小さな暴君だ。
手に持った道具本来の用途を云々せずとも、あまり健全な遊びじゃない。ピジョンは声を少し強くして弟の行き過ぎた悪戯を咎める。
「やめなよ。蟻がかわいそうじゃないか」
「…………」
「やめろってば」
「…………」
スワローはシカトをきめこむ。ピジョンはさすがにムッとし、蟻地獄を挟んだ向かいにまわりこむ。弟の対面に移動したピジョンは、スワローの目をまっすぐのぞきこむ。
「まだ怒ってるのか、ナイフがほしいってごねて母さんに断られたの」
鋭い舌打ち。スワローがアナルパールを投げ出し、それまで耽っていた遊びをあっさりやめる。
熱が冷めたらもう一顧だにしない、気まぐれを通り越した薄情さが少しばかりうそ寒い。
このむらっけの多さが将来の対人関係に影響しないといいけれど……女の子をとっかえひっかえ泣かせる悪い男にだけはならないでほしいと気を揉むピジョンと相対し、スワローは不服そうに口を尖らす。
「……なんでだめなんだよ」
「だってあぶないじゃないか。お前まだ子供だろ、ナイフなんかどうすんだよ、切れるし痛いよ」
「兄貴と一緒にすんな、そんなヘマすっか」
「母さんだって心配する、子どもは刃物なんか持っちゃだめだ。ほかに欲しいものはないの?」
ようやくこっちを見てくれた。ピジョンは安堵し、早速懐柔にとりかかる。憮然とするスワローの方へ身を乗り出し、感情に任せて怒るでも叱るでもなく、むくれ顔の弟と根気よく向き合って返事を待ち続ける。
できる範囲で要求に応じようと取引を持ちかける兄を不満たらしい上目遣いで一瞥、呟く。
「ある」
「なに?なんでも言って」
「南半球」
スケールがでかすぎる。
「なんでさ?なんで南半球なのさ?戦争終わってから死の灰降り積もった汚染区域だよ?」
「んじゃユーラシア大陸」
「んじゃって繋げた割にスケールのでかさ変わってないよね?ていうかなんでユーラシア大陸」
「万里の長城をすべり台にしててっぺんからすべりてぇ」
「無邪気すぎるのか豪快な馬鹿なのか兄さんお前のことがよくわからないよ」
「わからねえ兄貴がわりい」
弟の本気と正気を判じかね、言葉の後半に徒労が滲む。
ピジョンの顔が俄かに引き締まり眼光が真剣味を帯びる。
「待って、それって万里の長城がほしいって言えばすむことじゃない?」
「夢はでっけぇほうがいいだろ。ただでもらえるんならビッグな方ぶんどりてぇ」
「……一応聞くけど、大陸とか南半球もらってどうするの」
「王様になる」
「王様に」
「ヌーディストの国を作ってヌーディストの女を侍らして死ぬまで楽しく暮らす。男も女もババアもジジィも赤んぼもみんなマッパ、メシ食う時も寝る時もマッパ。なんかおもしろそうじゃん」
「風邪ひくよ」
「南半球は暖かいからひかねーよ。そんなことも知らねーの?」
そういえば戦争が起きる前、南半球のオーストラリア大陸にはヌーディストビーチがあったとか……そこでは全裸が法律だったとか、母の客に聞いたような覚えがある。あの人はどこでそんな傍迷惑な情報仕入れてきたんだ。時々俺の弟はものすごい馬鹿なんじゃなかろうか不安になる。それがまさに今だ。
「裸の王様はよしときなよ」
ダメ出しの連続にスワローが寛大にため息を吐く。
「しょうがねえ、テキサス州で手を打つか」
「土地以外で欲しいものないの?」
「株」
「転がすのはまだ早い。そうだ、ボールにしない?蹴って遊ぶと楽しいよ」
さすがにやきもきしてピジョンが突っこめば、スワローは突然キレて、兄めがけ砂をぶっかける暴挙にでる。
「ンな子どもだまし納得すっか!」
「ちょ、スワローやめ、口に砂がぺっぺっ!」
両手でひっくり返す勢いで砂を浴びせかけられ狼狽するピジョン、口の中に混ざりこんだ砂がざらつき気持ち悪い。
スワローは腹立ちおさまらず、そばに転がったアナルパールを完全に据わった目で再び手にとるや、火を熾すよう急回転させ蟻地獄の底を穿ち抜き、しまいには大量の砂を蹴落とし地団駄踏み荒らす。
哀れ住み家を追われた蟻たちが行列を作りほうほうのていで逃げ出すのを見て、普段の穏やかさをかなぐり捨てたピジョンが唾と一緒に砂を吐き捨て本気で怒る。
「蟻を虐待するのはやめろよ、可哀想じゃないか!お前がやってるのはただのやつあたりだぞ!」
「こいつらちっちゃくてちょこまかして目障りだ!」
「弱いものいじめは最低だ!」
「なんで俺の誕生日プレゼントに俺が欲しいの言っちゃだめなんだよ、兄貴も母さんもちゃんちゃら頭おかしいぜ!」
アナルパールをめちゃくちゃにぶん回し兄の鼻先につきつけるスワロー、ちび怪獣かさもなくばミニマム台風かと暴れ狂う剣幕に気圧されあとじさった拍子に尻餅ついたピジョンが金切り叫ぶ。
「どうしてもナイフじゃなきゃだめなの!?」
「どうしても」
「なんでだよ!」
「ぎらぎら光って強くてかっこいいから」
「そんな理由で……!?」
愕然とするスワローの前に立ち塞がり、兄の柔らか頬っぺにアナルパールの先端をぐりぐりねじこんで凄む。
「くれんの?くれねえの?どっち?」
「いたたやめろって頬骨の上でぐりぐりごりごりされると痛いんだ」
「じゃあもっと痛くしてやる。ほらほら、ほっぺたマッサージでこりがとれるだろ」
「やめろってば!それは人にむかってそーゆー使い方をするもんじゃない、もっと下に使うんだ!」
「このあたり?」
「っあ、そんなぐいぐい……無理矢理押し込むなっ……」
「ここか?ここがいいんだろ?なんとか言ってみろよええおい」
「っうく、こりがほぐれる……!」
「知ってるぜ、ひどくされるのが好きなんだろ」
「兄さんを処置なしのドMのように言うんじゃない!!あっだめポカポカしないでポカポカはやめて馬鹿になる!!」
「もう手遅れだろ、俺より先に生まれたくせにへぶへぶ泣くな!!」
アナルパールを仕置き道具にするのは本来の用途から然程外れてないが間違っている。しつこくローリングされるうちに痛気持ちいい未知なる快感が目覚めはじめしかし弟が手にして遊ぶ道具の真実を告げる度胸はなく、怒りだすのも卑怯におもえてピジョンは譲歩にでる。
「……かわりじゃだめなのか?」
ピジョンの声音には縋るような切迫した響き。腕を交差させて頭を庇う兄をアナルパールでぽかぽか殴りまくっていたスワローが急停止、猛攻の手を緩めて真剣に考える素振りをする。
「ぎらぎら光って、強そうで、かっこいい」
自分に噛んで含めるように区切ってくりかえし、ピジョンが喉に唾を送る。
「それなら満足?」
ピジョンはへたれて足を崩し、眼前に仁王立つスワローに念を押す。スワローは何か言おうとしてやめ、喉までこみ上げたかたまりを強引に飲み下し、戦慄く手にアナルパールを握り締めて兄を見下ろす。
自分と全然似てない二つ上の兄。
赤みがかった金髪……俗にいうピンクゴールドの髪は繊細な猫っ毛で、肌に擦れるとくすぐったく、そばによるとオイルの甘い匂いがする。またラジオをいじってたのか?蹴り壊してやりゃよかった。組み立てては分解して分解しては組み立てて、一体何が楽しいんだかちっともわかりゃしない。
やや神経質そうな細い眉とメランコリックに潤んだ赤錆の瞳、地味に整った目鼻立ち。
母や弟のように目を惹く美形ではない、その無難な整い方が彼の印象を無個性に薄めている。
コイツは俺と母さんに全然似てねえ。
線が細く優しげな風貌はナイーブな感受性を秘めて、べッドの上で静かに読書でもしてるほうが遥かにお似合いだ。わざわざ俺の尻を追っかけ回す苦労なんてしょいこまなくていいんだ。俺は頼んでないのにコイツが勝手についてくるんだ。
そんな気の優しい兄の左頬に、できたてほやほやの青痣がある。
やり場のない苛立ちが急沸騰、真新しい痣をわざと強めにつく。新鮮な痛みにピジョンがたまらず膝をつく。
「痛ッ……!」
「兄貴なんか大っ嫌いだ!」
アナルパールを投げ捨て一散に走り出す「待てよスワロー!」背後でピジョンが何か言ってる、片手をさしのべ大声で呼び止めるが知ったこっちゃない、とどめとばかり後ろ足で砂を蹴りかけピジョンの咳を遥か後方に置き去る。
「はあ、はあ、はあ……」
スワローは兄と会わないよう大きく迂回し、トレーラーハウスの停車地点にもどってくる。
車内には戻らず、車の側面に沿って回り込んで最後部に行く。開け放たれた荷台によじのぼって腰掛け、燻る苛立ちを声にして荒々しく吐き捨てる。
「……あの駄バト」
「めーっけ」
突如視界が柔らかな闇に覆われる。隙間から僅か漂白された光がさす。目隠しされたが声でバレバレだ。
背後に迫るはしゃいだ声が追い討ちをかける。喋るたびに吹きだしに音符が舞い散りそうなのほほんとした雰囲気。
「だーれだ?」
「あばずれの若作り」
「ちょっとぉ~若作りとかあばずれとかひどくない!?訂正して!もっとかわいく言って!」
あばずれはあばずれだろ。いいトシして語尾を抗議調にはねあげるなよ。年甲斐もなくおちゃめな振る舞いに息子の方が恥ずかしくなる。仕方なくリクエストに応え、できるだけ柔らかい言い方をする。
「オツムがメルヒェン母さん」
「正解!」
正解でいいのか。いいんだな。
どこから沸いたのか、神出鬼没にかけてはスワローに負けず劣らずの母がいそいそと息子の隣に腰かける。ふたり並ぶとスワローと親子というのがはっきりわかる、目鼻立ちの彫り深い優雅な美貌。背中に流した金髪から匂いたつ香水の香りが鼻腔をくすぐって、スワローはくしゃみをひとつ放つ。
少女趣味な純白のサンドレスの片膝を立て、幼い息子に寄り添う母が言う。
「また喧嘩したの?」
「あいつがむかつくことばっかいうからだ」
「ピジョンは私とあなたをとりもってくれたのよ」
「余計なこった」
「あのね、母さんだっていじわるで言ってるんじゃないの。ただスワローにはまだちょーっとナイフは早いかなって思うのよ、あなたってばとんだやんちゃですぐキレて暴れるしナイフなんて持ってたら微笑ましい兄弟喧嘩がスプラッターな流血沙汰になっちゃうでしょ。母さん血の海をお掃除するのはいやよ、血は落ちにくいんだから。あ、わたしの可愛いピジョンが切り刻まれちゃうのも断固反対よ!」
スワローは答えない。唇を一文字に引き結んで偏屈に黙りこくり、母の躁的饒舌トークにそっぽを向く。世界中敵ばかりと主張する背中と攻撃的に尖った肩が会話を拒絶しているが、母は一切おかまいなしに息子の肩になれなれしく片手をおく。
「ねえ、ホントはなんでナイフがほしいの?」
問いかける母は見向きもせず、肘を使って邪険に手を払う。母はサンドレス越しに膝を抱えて視線を上に逃がす。世界のはてまで広がる澄んだ青空を一羽、惚れ惚れするような軌跡を描いて燕が横切っていく。
「あ、ほら見て燕さん」
「さん付けるな気色わりぃ」
「だってかわいいんだもん」
「かわいかねぇ」
スワローはどんどん不機嫌になっていく。燦燦と降り注ぐ太陽の光が、トレーラーハウスの影を荒野に濃く引く。青空を舞う燕の軌跡を眩げに細めた目で追いながら、唐突に話題を変える。
「スワローってホントはいい子よね」
「なんでだよ」
「ピジョンの誕生日ちゃんと覚えてお祝いしてあげたでしょ?」
「そんな覚えねーよ」
「うそ!うそうそうそうそっぱち!お母さんはぜんぶまるっとお見通しよ。去年は何をあげたの?待って思い出す、当ててみる……あのにょーんてした……うねうねくねくね曲がる……リコリス味のグミでしょ?」
とぼけてるのか本気で忘れてるのか、悩む演技も堂に入った母の、知恵の輪を引っ張るごとし手まねを交えた回答をスワローは極めてぶっきらぼうに正す。
「靴紐」
「そう、靴紐!あの時のピジョンすごーーーーく微妙な顔してたわね!で、なんで靴紐にしたの?」
とっておきの秘密を分かち合うよう、口の横に片手を立てて囁く。スワローは面倒くさげに呟く。
「非常食になるかと思って」
「真面目に言ってる?」
「食い意地張ってっから小腹が空いた時にかじってりゃちょうどいいだろ。拾い食いが趣味の駄バトにゃお似合いだ」
「ピジョン落ち込んでたわよ。何の味もしないって」
「噛んだのかよ!?」
「試しに一回。無味無臭だったわ」
「お前もかよ!!」
この親にしてこの子あり。落ちてるモノでも平気で口にする食い意地の張ったピジョンならまあわかるが、母さんまで靴紐をしゃぶってたとは……想像すると脱力誘うシュールな光景だ。
スワローは長々と溜息を吐きだして頭を抱える。
まったく反省してないどころか、機会があれば絶対にまたやらかす確信犯に愉快犯の狡猾さで舌を出す母。
「靴紐のカタチをしたグミとか粋なサプライズがひそんでるんじゃないか期待して……」
「ねえよ」
「じゃあなんで靴紐にしたの?」
「…………」
だんまりを通すかどうするかしばし悩む。はぐらかす手もあった。とぼけてもよかった。
至近距離からスワローをのぞきこむ母の目は、兄と同じ穢れ知らずの純真さのかたまりで、詐欺にかけてだまくらかすのはひどく簡単そうに思えた。ナイフがあればおもわず抉りたくなる円らな小鳩の目。
頬杖の上にぶすくれた顔をのっけて、青空をのどかに旋回する燕に視線を放って、至極どうでもよさげに呟く。
「……好きだと思って」
「靴紐が?」
「喜ぶかと」
「靴紐で?」
「暇さえありゃ靴紐結んでほどいてしてるじゃん。俺がちびの頃絶対外れねー結び方教えてやるとかはしゃいでたし」
「あー、ピジョンの得意技ね!ほかにもほらアレ、イアン・ノットだっけ?世界一早く結べる結び方。両端で輪を作ると同時にお互いを引っぱることで完成するのよね。ちょう結びにうさぎ結びにイアン・ノット改良型に……全部で18通り?あんなに種類があるなんてびっくりしちゃった、ピジョンは物知りさんよね。国士無双の靴紐博士としてギネスに申請すべきレベルだわ」
「親馬鹿すぎる……」
「前に実演してもらったけど手の動きが早すぎてなにがなんだかちんぷんかんぷんだったもの!我が子ながら意外すぎる才能だわ」
母はスワローに凭れかかって、あくまで突っ張る息子の肩に優しく腕を回す。
「靴紐はいくつあっても困らないものね。ピジョンのはよく切れるし。一昨年はなんだったかしら」
「蛇の抜け殻」
「そうそう蛇の抜け殻!……ってなんで?ピジョン別に蛇は好きじゃないでしょ。むしろ泣くでしょ」
「珍しかったし、つい」
何故兄の誕生日に蛇の抜け殻をプレゼントしたのか、実は当時の心情をさっぱり覚えてない。単純に珍しい拾い物をしたから兄に見せて褒めてもらおうとしただけかもしれない。靴紐に関しては母に告げた通りの動機だ。ピジョンの靴紐は何故かよく切れる。日頃スワローを追っかけ回してるせいで傷みが激しいのかもしれない。
眉八の字の憂い顔さえ庇護欲かきたてる美しさで母が嘆く。
「ピジョン、お墓立てて埋めてたわよ」
「え?は?なんで?抜け殻を?」
びっくりしすぎて頬杖を崩してしまう。やっと振り向いた息子へ顔を近付け真剣な目で言う。
「あの子ね……あなたがくれた抜け殻を萎んで枯れた蛇の死体と勘違いしたみたいで」
「馬鹿すぎだろ」
素で評す。あのバカ兄貴は蛇が脱皮する生き物だって常識も知らないのか?それでわざわざ墓を作って埋めたのか?いやあのアホの事だ、墓に埋めるだけじゃ気が済まずご丁寧に跪いて十字を切って弔ったに決まってやがる。
「私が言ったって言っちゃだめよ?……抜け殻を持って立ち尽くすピジョンとたまたま行き会ったお客が面白がって、暑すぎると蛇は中身が蒸発してこうなるんだぞって吹き込んだのよ。あの子ってばすっかり信じちゃって……」
可哀想で今だにホントのことが言えないのと、あっけらかんと懺悔して秒速で気を取り直す。
「まあ蛇もたくさんいるし、そういう種類がいてもおかしくないわよね」
「生物学的におかしーだろ気付けよ」
なんでも前向きにとらえすぎるのが母の最大の長所にして短所だ。付き合うスワローもだんだん疲れてきた。もはや意地を張り通して怒っているのも馬鹿馬鹿しい。
トレーラーハウスの荷台のへりに並んで腰かけ、青い空を縦横無尽に切り裂く燕を眺める。
「なんでナイフが欲しいか教えてくれる?」
「兄貴を的にして投げて遊ぶ」
スワローが短い呼気と共に鋭く腕を振り抜き、空飛ぶ燕にナイフを投げるまねをする。
母は口元だけで笑い、息子の本心を見透かすような透徹した目を向けてくる。スワローが一番苦手とする目だ。ママはなんでもお見通しなんだからバラされる前に白状しちゃいなさいよとやんわり脅す目。
「びびって漏らすぞアイツ。したら傑作だ」
「うそばっかり」
「うそじゃねえよ」
「何日か前まではそんなこと言ってなかったでしょ。どうして急にナイフがほしいなんて言い出したの」
母の腕がキツく絡み付いてくる。肩と肩が密着し、官能的な吐息が首の産毛をくすぐる。
スワローは唇を噛んで俯く。兄の頬の痣が脳裏をよぎる。
どうして俺の兄貴と母さんはこうそろいもそろって鈍感なんだ?いや、母さんは鋭いのかもしれない。全部わかった上で俺に言わせようとしてるんだ。
「ンなの決まってる」
スワローは己の手を見下ろす。あまりに小さすぎて何も掴めない手。
ゆっくりと開き、閉じ、また開く。
無力感を染み渡せる儀式のような、後悔の念を指先のすみずみまで反芻するような動作。
どうしてあの時止められなかった?守れなかった?帰りの客と揉めた時咄嗟に庇いに入った兄貴、怒りの形相で客が振り上げた拳、頬げたを殴り飛ばされて見事な青痣が。
俺の手にナイフがあれば。
ナイフさえあれば。
「ナイフがあれば、兄貴と母さんに手えだす奴みんなぶっ殺せるだろ」
身を守る武器ひとつないから、大事なものを理不尽に奪われる。行きがけの駄賃や帰りがけの憂さ晴らしのような「ついで」の暴力によって、めちゃくちゃにぶち壊される。
暴力をねじ伏せるにはもっと強い暴力に頼るしかない。
あの男がピジョンを殴ったことに大した理由はない。たまたまそこにいた、じゃまだった、ちょこまかして目障りだった。そう、スワローが蟻地獄を蹴散らした理由とほぼ同じだ。
母を買いに来た男にとってピジョンとスワローの幼い兄弟はいてもいなくてもどうでもいい存在で、たまたま視界に入ってイラっとしたから薙ぎ払った程度に過ぎないのだ。傷付けてやろうという害意さえ存在しない暴力。脊髄反射の蛮行。
スワローは険に尖った目つきで虚空を睨みつける。兄に危害を加えた憎い男の残像がそこに焼き付いてでもいるように、母の玩具を持ち出し蟻地獄で遊んでいた時の時の無邪気さは鳴りを潜め、凝縮された憎悪の波動を放つ。指が食い込むほど両の手のひらを握り込んだスワローの告白を母は静かに受け止め、自分を責めるよう目を伏せる。
「じゃまだって言われたんだ。ここは俺のうちなのに、じゃまだって」
『じゃまだガキ、ひっこんでな』
『テメェがちらつくと興ざめだ、どっかいっちまえ』
ここは俺が生まれた場所、帰ってくる場所なのに。俺と兄貴と母さんの家なのに。
物心ついた時からトレーラーハウスで旅していたスワローにとって、ここは母が客をとる仕事場であると同時に家族が暮らす家だ。自分の家に遊んで帰るのは当たり前だ。なのに邪魔だと言われてた、追い立てられた。まるであっちが家主であるかのように、母を独占することがさも当然の権利だといわんばかりに。
「……んで揉めた。言い争いになって、あっちがキレて殴られそうになって……」
「ピジョンが止めてくれたのね」
「ん」
「かわりに殴られた?」
「……ん」
「あの痣はそれで……理由を話さないから変だと思ったの。言えばスワローが叱られて、私に心配かけると思ったのかしら?馬鹿な子」
そう呟いた母はひどく哀しげだ。乱暴な客を迎え入れた自分の見る目のなさを悔いているのだろうか?まだ子供のスワローにはよくわからない。母は束の間剣呑に目を光らせ考えに耽っていたが、再びスワローに向き直った時、いつもどおりのタフで美しい笑顔が輝いていた。
「今の話を聞いて考えたんだけど……やっぱりあなたにナイフは早いわ」
「母さん!」
じれったげに叫んだ唇に細くしなやかな指がふたをする。謎めいた笑みが一段深まる。何を考えてるかわからない、ぞっとするほど美しい微笑み。吸い込まれそうに澄んだ瞳に強靭な意志が宿っている。
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「それじゃあますます駄目よ、オーケーはだせないわ」
「なんでだよ!?」
「私がするから」
毅然と断言、あっけにとられるスワローに共犯者と示し合わせるような不敵な笑みを投げる。
「ねえスワロー、ピジョンが殴られた時私は何をしていたと思う?」
「わかんねえよ、そんなの……」
「寝ていたの。それはもうぐっすりと。第三ラウンドまでやって疲れちゃって、昼過ぎまで熟睡してたわ」
母が軽薄に肩を竦め、サンダルを突っかけた素足で宙を蹴る。
「そのせいで表の騒ぎに気付かなかったの。可愛い息子たちがガラの悪い男に絡まれてるのなんてちっとも知らずお間抜けに眠りこけてたワケよ。どう思う?最低でしょ?とんだマヌケママ略してTММよ!しかもたった今真実を知ったのよ、遅すぎるでしょ!ピジョンは何度聞いてもハッキリ言わないの、自分とお客の板挟みになって私が困ると思って……息子に気を遣わせるなんて母親失格でしょ?あの子ってば、自分と秤にかけて私がお客を選ぶと思ってるのかしら。ぶっちゃけ私は見る目がないわ、この目はとんだ節穴よ!息子をいじめるようなクズを引っ張り込んでのうのうと高鼾をかいてるんだもの、母さん今自分に猛烈に腹を立ててるの」
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最愛の息子たちが二人して黙りこくり犯人を隠し立てるので、鈍感な母は誰に仕返せばいいかわからない。
「勇敢で奔放な私の可愛い燕ちゃん」
子守唄めいた囁きに乗じて息子の首に腕を回し、おくれ毛をかきあげてこめかみにキスをする。
「その復讐を私に頂戴」
ママがママを挽回するチャンスを頂戴。
「スワローばっかかっこつけるのはずるい。ママだってピジョンの仇を討ちたい」
「…………」
「こないだのお客がショットガンおいてったの。ほら、砂漠で密猟もといハンターをしてるハリーおじさん。ちょっとゴツくて重いけど練習したらちょっとだけ扱えるようになったわ、今度アイツがきたらお尻に風穴ブチ開けてやるの、私たちのかわいいピジョンに酷いことしたお仕置きよって!そしたら二度とこないわよ、私とアナタで一緒にチカラを合わせて追っ払いましょ。今度はママとスワローがピジョンを守るのよ」
「……母さんはそれでいいのかよ。大事な金ヅルだろ」
スワローが漸く口を開く。腕捲りして気炎を吐く母を見る目には露骨な猜疑心。普段からズレた言動故に、正気を量りかねているようだ。母はあでやかに破顔し、愛情たっぷりにスワローに頬ずりする。
「あなたたち以上に大事なものなんてなにもないわよ」
母の腕の中は温かくいい匂いがする。懐かしい匂いに包まれ、棘を抜かれたスワローは安らいで目を閉じる。ショットガンどころかナイフだって不釣り合いな細腕のどこに、こんな無敵の強さがひそんでいるのだろうか。世界でたった二人きり、母と兄だけがスワローの本当に欲しいモノをくれる。
スワローを胸から引き剥がした母がにっこり笑って言いきる。
「じゃあピジョンと仲直りしてきて」
「いやだ」
「可哀想に、あの子ってば泣いてるわよ。スワローに振られて傷心なんだわ」
「知るかってんだ」
「あなたのことを世界でいちばん理解してるあの子のことだもの、今度の誕生日にはあっと驚くプレゼントを用意してるはずだわ。ナイフなんて目じゃないステキなもの、とびっきりのサプライズよ」
「……マジ?」
大袈裟に誇張して言えば、スワローがやや興味を引かれて見上げてくる。母は微笑んで首肯する。そこで懐から出した双眼鏡を正眼に構え、レンズを覗きこんで照準を絞る。
「あ、ピジョンがいる!あなたが蹴り散らかした蟻地獄をせっせと固めて直してる、ホントいい子ね。がっくり肩を落として……可哀想に、つれなくされてこたえたのね。大好きな弟のためにとっておきのサプライズを用意したのに、ナイフの方がいいだなんていわれちゃ落ち込むでしょうね」
「…………」
「せっせせっせ両手で砂をかき寄せて整形して……あの子ってほんと細かい手作業好きよね、砂遊びのプロフェッショナルだわ。どうする?このままだと何時間もやってるわよ。ねえスワロー、もうすぐお昼だしひとっ走り呼んできてくれない?」
「しかたねぇな」
双眼鏡にかぶりついた母がわざとらしく声を張り上げ兄の様子を微に入り細を穿ち実況するたび、斜にした全身で聞き耳を立てていたスワローがいかにも億劫げに舌打ち一回、荷台から飛び下りてまっしぐらに駆けていく。急速に遠ざかる背中が斜面を滑りおりて兄と合流、何事か言い合うのを微笑んで確認後に双眼鏡をおろす。
枯草が縺れて転がる赤茶けた荒野と、その上に無限に広がる青空とのコントラストに挟まれて、ほんのちょっぴり寂しげに呟く。
「……兄さんが先なのね」
『ナイフがあれば、兄貴と母さんに手えだす奴みんなぶっ殺せるだろ』
人は大事な方を咄嗟に立てる生き物だ。そうするとスワローの一番は実の母をさしおいて兄ということになる。それを少しだけ残念に思うも、血を分けた息子たちが互いを一番において助け合っていくのなら、相対的に生き残る目が上がる。
何故って、すごく速く飛ぶ燕ととても長く飛ぶ鳩がつがえば無敵なのだから。
乾いた荒野の彼方まで転がりゆく枯草のように、シャープな軌跡を曳いてあざやかに舞う燕のように、二羽一対の最強タッグは青空尽きせぬ世界のはてまで飛んでいけるのだから。
「仲良すぎてちょっとジェラシーよね」
最愛の息子たちが元気にじゃれあう姿を眺め、うるさく騒ぐ声を聞きながら、荷台に腰かけて爽やかなそよ風に髪を遊ばせていたが、ふと悪戯心が芽生えて再び双眼鏡を覗く。
レンズの向こうで何かを言うピジョンにスワローが逆上、兄がせっかく盛り直した蟻地獄を無慈悲に蹴散らかし大暴れする。ピジョンが今にもべそかきそうな顔で抗議し、スワローが手足をぶん回して高笑いする。
あれはきっと、兄の関心を奪った蟻地獄が気に食わなかったのだ。
両手に支えた双眼鏡を胸元におろし、母は苦笑いする。
「……ちょーっとやきもちが過ぎるかしらね」
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