タンブルウィード

まさみ

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十話

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アパートが軒を接する峡谷の底、褪せた青空は細長く区切られている。
横道には用途不明の樽や空き瓶を詰めた木箱が積み上げられ、外壁には錆びた配管と雨樋が取り付けられていた。ここならば人目につかず事に励める。ジェニーを伴って横手の路地に場所を移したスワローの耳朶を、発情した吐息がくすぐる。
「部屋には弟たちがいるから」
廃材でごった返した手狭な路地を回り込めば裏口に通じてるらしい。濡れ衣を着せられ逃げ帰ったガキどもは今頃どうしてるのか、部屋でふてくされてる頃合いだろうか。まあやることは変わらない、中でも外でも場所にはこだわらない、最低限身を隠せるスペースとてっとりばやく突っこめるこなれた穴があればそれでいい。外聞や世間体を重んじる繊細さははなからスワローに備わってない。
近所の人目を気遣い、白昼の表通りから死角となる路地へと大人しく移動したジェニーは、媚びた笑みを含んだ目元でスワローを咎める。
「大胆なのね、驚いちゃった。いつもあんなことしてるの?」
「望まれた時だけさ」
「あたしが望んでるように見えた?」
「まあな」
「じゃあ今なにを考えてるかわかる?」
「さあな」
もったいつける女は嫌いだ、面倒くさい。でもまあ暇潰しにはなりそうだ。ピジョンが待つトレーラーハウスにはまだ帰る気にならない、アイツと顔を合わせて平静を保てる自信がない。ジェニーが壁に凭れスワローの首に腕を回す。自然前傾してのしかかる格好になったスワローは、ジェニーのおくれ毛をかきあげて耳朶にキスをする。
「もっとしたい、とか?」
共犯者の目配せを交わし、仰け反る首筋に煽るように唇を這わす。えてして今の子供たちは早熟だ、十代前半でいとも簡単に童貞や処女を捨てる。ジェニーも初体験ではないらしい、雑貨屋で会った時からスワローを憎からず思ってアプローチを仕掛けてきたのはこうなるのが前提だった。下心を仕込まないサービスなど世の中にありはしない。
「あっ……、」
なめらかな首筋を貪られ切ない吐息を漏らす。男を受け入れるのに慣れた甘ったるい喘ぎ声。次第に息を荒げつつも、急き立てるようキスを迫るスワローを制す。
「ね、ねえ、ちょっと話そう。コレも嫌いじゃないけど……お互いの事まだなんにも知らないし。外の話聞きたいってのはホントよ」
両手でやんわりとスワローを突き放し、憧憬と期待が相半ばする夢見がちなまなざしを送る。
生まれた街を出たことがなく外の世界に憧れているというのは満更リップサービスじゃなかったらしい。
よそ者のスワローに接近したのも彼に纏わり付く外の匂いに惹かれてか、仲良くなって彼が旅した土地の話を聞きたいというのが本来の動機か。
店を訪れるつど徐徐に慣らし世間話を切り出すはずが、いかに自身も乗り気とはいえ、とんとん拍子の急展開にさすがに困惑を禁じ得ない。
「あなたのこと聞かせてよスワロー、ずっと旅してるって言ってたじゃん。町はずれの丘むこうのガソリンスタンド、あそこに停まってるトレーラーハウスがおうち?」
町では噂になってるらしい。
興ざめの舌打ち一つ、スワローが退く。
「だれから聞いた?町の連中か」
「アパートの人とかお店の人とかいろいろ。あなたのお母さんのお客よ」
一瞬言い淀んだのはスワローへの配慮だろうか。
現在母のもとに通い詰める客の大半は街の住人だ。
稼ぎの大半を貢いでいたのがばれ、ド派手な痴話喧嘩をやらかして妻子に出て行かれた甲斐性なしもいるらしい。
スワローは自業自得で片付けるが保守的な住人はそうもいかず、母が男をたぶらかし家庭を崩壊させたと逆恨みする。旦那や恋人を寝取られた女たちの嫉妬は凄まじく、張本人がうっかり街に踏み入ろうものなら総出でリンチを受けかねない。
息子から見ても母は若く美しく、頭が少し鈍い。他人の悪意に鈍感にできている。売春自体は合法化されてるが、同業者間でも縄張り争いや客を寝取った寝取らないの小競り合いは尽きず、ましてや特定の街や勢力に属さず、長期間一か所に留まらない「流し」は後ろ盾がないため吊るし上げられやすい。
ジェニーが後ろ手を組んで壁にもたれかかり、興味津々といった調子で口火を切る。
「ずっと旅してるの?大変じゃない?お母さんの稼ぎで生活してるの?」
話の長い女は嫌いだ。質問の連投に内心舌打ちしたくなる。だがこれも前戯の一環と割り切って、好奇心旺盛なティーンエイジャーの話に付き合ってやる事にする。
対面の壁に腕を組んで凭れ、スワローは淡々と応じる。
「母さんの稼ぎだけじゃカツカツだから他にもいろいろ。手作りのアクセやスクラップ置き場からかっぱらったガラクタを修繕して、町に持ってって売ったりしてるぜ。交渉次第じゃイイ金になる」
「なに売ってるの?」
「壊れたラジオとかトースターとかスタンドとか。兄貴がその手のことにくわしいんだ、ちまちました手作業が好きなんだよネクラは。アクセは主にビーズ細工。ワイヤーをペンチでねじって星やハートの形に曲げたピアスやペンダントも……ああ、ドリームキャッチャーもな。何年か前に別の町で知り合ったインディアンに作り方を教わったんだ」
「ドリームキャッチャーってインディアンに伝わる悪夢除けのお守りだっけ?蜘蛛の巣みたいな……」
「そうそれ、麻紐や革紐を編んで作るんだ。たまに路上にシートを敷いて広げてる」
「見たことないなぁ。どこでやってるの?」
「表通りの隅っこの方。悪目立ちすっと因縁ふっかけられっからな、よそ者がデカいツラすんなってさ」
娼婦としての稼ぎだけでも息子ふたりを養えないことはない。が、経済的な余裕はない。育ち盛りの男の子ふたりを抱えて車を転がす暮らしは何かと物入りだ。少しでも母の助けになればとピジョンが提案し、行く先々で手製の雑貨やアクセサリー、修繕したガラクタを売りさばき始めた。
ピジョンはそういう細かい手作業が苦にならないどころか地道で地味な労働にこそ喜びを見出す性分だから、小遣い稼ぎ程度の足しにはなってる。
アイツの拵える雑貨や装身具はそこそこ見栄えがいい。
最近は手作り雑貨の商いに飽き足らず便利屋のまねごとまで始めた。体の不自由な老人や怪我人病人の使い走りを担い、食糧や煙草など、ちょっとそこまで入り用のものを買ってくるのだ。ピジョンは困ってる人をほっとけないたちだ。おまけに頼まれたら断れない極度のお人よしときてる。片道で行き倒れたくたばりぞこないを見かねて当初は親切心から引き受けたのだろうとスワローは睨んでいる。
ジェニーが軽薄に肩を竦め、大人ぶったため息をつく。
「よそ者っていっても馴染んでるひともいるんだけどね」
「マジで?」
「向かいのアパートに住んでる男の人。何か月か前に引っ越してきたんだけど時々うちにも買いにくるよ、足が悪くて遠くへ行けないんだって」
ジェニーが路地から僅かに覗く、往来を隔てたアパートへ顎をしゃくる。この街に足の悪い芸術家がそう何人もいるとは思えない。
「それ自称アーティストの?」
「そう、そのひと!なんだ知ってたの。画家だから絵具とか画材が入用だけど、その手の専門店て一軒っきゃないのよね。うちにはさすがにおいてないし……」
「この規模なら一軒ありゃ恩の字だろ」
「痛いとこつくね。まあそんなわけで、お兄さんが使いパシられてるとこ結構見かけるよ。いいひとだね」
「いいひとどまりな」
はたしてピジョンが「いい人」以外の感想を異性に持たれた事があっただろうか。せめて十分は人の記憶に残る努力をしろとどやしたい。「いい人」の頭に「どうでも」の空耳が聞こえそうな淡白さで、ついでのようにあっさり言い放ったジェニーが怪訝な顔をする。
「何か言った?」
「なんでもねえ。で、そいつは馴染んでんのか。どんな手ェ使ったんだか、たらしこむコツをならいてーもんだ」
「カンタンよ、引っ越してきた時に隣近所に挨拶回りして少なくないチップをはたいたの、これからよろしくって」
「聞いて損した、結局金じゃねーか」
「筋を通すのは大事よ」
「耳そろえてショバ代払えば新入りも仲間に入れてやるってか」
「街に入るとき自警団に止められなかった?ガソリンスタンドの近くで検問張ってたはずだけど」
「あー、そんなのがいたようないなかったような」
「その時お金を渡せばすんなり通してもらえたはずよ。街の中でのことは保証できないけど」
「入るのは簡単、無傷で出られる保証はねェってか。おー怖。今思い出した、金払えなきゃタダでやらせろってニヤケて脅した親父か。母さんが唾吐いて、俺たちが砂入りストッキングでぶん殴った隙に強行突破したけど」
「す、すごい……むちゃくちゃだわ」
「検問たって勝手に張ってンだろ?いちいち通行料せしめようなんざがめついんだよ、自警団唄うんなら外じゃなく中を守れよ」
「返す言葉もないていたらくよ」
一家が街はずれのガソリンスタンドに滞在している最大の理由は実はそこにある。
「ガキの頃からずっとそんなだ、車を転がして町から町へお引越し。一か所に落ち着いたこたねーな」
「燕は渡り鳥だもんね。やっぱり暖かいところが好き?」
「寒いトコよかマシ。ってもどこもたいして変わんねーか」
「いいなあ、楽しそう。あたしも早く大人になってここをでたい。なんにもなくてつまんないんだもん、男の子はぱっとしないし。毎日毎日うるさい弟の世話に追われて、けちんぼな店の親父にどやされてうんざり。帳簿付けまで任せきりのくせにお給金渋いのよ、やめちゃおっかな」
「あそこで店番してたから俺と会えたんだろ」
「……うん。それはラッキーだったかな」
ジェニーが顔を赤らめてはにかみ、にわかに目を輝かせ前に乗り出す。
「ねえ、ここより大きい町にもいたんでしょ?だったら賞金首や賞金稼ぎに会った?」
「見たことはある」
「ホント!?」
「食い逃げやシケた傷害沙汰で上げられた三流中の三流だけど」
「なーんだ。まあそりゃそうよね、レアリティ高いビッグネームとそうそう遭遇できるわけないか。長く手配されてるクビほど逃げ足早くてそこらじゅうに匿ってくれるコネもってるし」
ジェニーが残念そうに肩を竦める。
露骨に落胆した表情、がっかりした様子に苦笑いを誘われる。彼女もまた同年代のごたぶんに漏れず、大陸中を騒がせ日々話題を提供する賞金稼ぎと賞金首の活躍に夢中なのだ。なにせ子供向けのお菓子のおまけに賞金首のデータを記載したブロマイドやトップランカーの賞金稼ぎのブロマイドが梱包されている世の中だ。
奇しくもジェニーの背後の壁には、現在指名手配中の賞金首の顔写真を刷ったポスターがでかでかと貼り出されていた。
凶悪な人相の無頼漢から虫も殺せないような軟弱な風貌の優男、小便くさい幼女からけばけばしい化粧を引いた絶世の美女に至るまで、老若男女千差万別の犯罪者の顔を正面きって印刷したポスターには、出身地や身長・体重など現在判明している個人情報の他、その三倍のフォントサイズで一様に同じ見出しが踊っている。

『DEAD OR ALIVE OR VICTIM』
生か死か贄か。
賞金首に課される犠牲とは即ち、彼らが犯した罪の代償。
被害者や遺族、または賞金を担保する第三者が取り決めた、彼らの罪の清算に足る「犠牲」。

手配書を見詰めるスワローの視線を追ったジェニーが、一人一人指折り数えて諳んじる。
「ブラックウィドウ・マリー、103件の結婚詐欺と82件の強姦・強盗殺人の容疑で指名手配中。現役娼婦にしてセックス中毒の快楽殺人者、性行為中に相手を酷くなぶるのを好む真性のサディスト。被害者の性器及び肛門にはバールのようなもの、ドリル、スパナ、バーナーなど玩具の他にも多数の異物挿入の痕跡あり。死因は内臓破裂による失血死と大量の薬物を打たれたことによる中毒死オーバードース。ヴィクテムは通り名の由来とトレードマークを兼ねる、背中の『黒後家蜘蛛の刺青』。賞金額560万ヘル」

「スコルピオ・ジョージ、212件の殺人の容疑で指名手配中。元凄腕の殺し屋で最凶の毒針使い。自分の雇い主だったマフィアのボスを毒殺後その細君と駆け落ち、行方をくらます。古今東西あらゆる毒物のスペシャリスト、当人も脅威だが飼育するサソリを自在に操りターゲットを仕留める陰険な手口で悪名を広めている。賞金額800万ヘル、ヴィクテムは『オリジナル強壮剤の特許』」

「ネイキッド・クインビー、現在個体確認されている中で最年少7歳の指名手配犯。特異な能力で他者を洗脳し傀儡と化す、今世紀最大最悪の集団ヒステリー事件の黒幕。彼女の精神汚染で暴徒化した観衆が要人のパレードを襲撃、千単位に及ぶ死傷者をだした。賞金額は2800万ヘル、ヴィクテムは子宮、または卵子。ただし健康な状態でのみ有効」

ポスターからポスターへと渡り歩いて得々と解説するジェニーの後を引き継ぐスワロー、交代で手配書の口上を朗読していく。

ヴィクテム―『贄』とは、逮捕時に命だけは見逃すのを条件に、罪と釣り合う対価を賞金首に支払わせる公的制度だ。
尤もわかりやすい例をあげれば強姦魔の命を助けて機関に引き渡す代わりに去勢を施す、強盗や詐欺師に残り一生費やさせ奪われた財産の全額返済を望む、片目を潰された人間が片目を、片腕を切り落とされた人間が片腕を要求する……などだ。
ヴィクテムは何も金銭や体の一部、カタチあるものばかりとは限らない。
それは被害者本人、被害者が既に死去していた場合、賞金を懸けた人間の一存で決まる。

名前を剥奪された者もいる。
過去を剥奪された者もいる。

ある極悪人は家名を捨てるのを条件に五体満足で民営の刑務所に収監されたが、獄中で発狂した。彼にその犠牲ヴィクテムを課したのは賞金を懸けた本人……素行不良の息子を恥じて勘当した、実の父親だった。収監に際し正式に提出された書類からも彼の本名は抹消され、看守や周囲の人間も最期まで「名無し」として扱った。囚人が葬られた墓には「身元不明ジョン・ドゥ」と刻まれたというから徹底している。

目には目を、歯には歯を。奪われたモノは奪い返す、それがこの世界のルールだ。
生者から奪ったものは死後も奪われ続けるさだめなのだ。
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