少年プリズン

まさみ

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三百四十五話

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 所長室では尋問が行われていた。
 神経質なまでに整理整頓が行き届いた執務机は鏡のような光沢を放っている。
 黒革の椅子に身を沈めた但馬の足元には一匹の犬がいる。
 荒い息を吐くドーベルマンの頭を気まぐれに撫でながら、机を隔てて対峙する少年をねめつける。机のちょうど正面に用意された椅子に座らされているのは、明るい藁色の茶髪の少年。
 俯き加減でいるため前髪に隠れた表情は定かではないが、完璧な造作の目鼻立ちから稀に見る美形であることが窺い知れる。
 粗末な囚人服を纏った少年はしかし、椅子に腰掛けた体勢から顔を上げようともせず、意識があるのかどうかも疑問な様子で沈黙している。
 所長はしばし嬲るような目つきで少年を眺め、声をかける。
 「寝ているのかね?私の前で眠るのを許可した覚えはないが」
 少年がごくかすかに反応する。形良く尖った顎が上がり、両目の位置に被さった前髪が散らばる。緩慢な動作で顔をもたげた少年が、焦点の合わない目で虚空を見る。
 色素の薄い睫毛が震え、隻眼が薄く開く。
 しかし片方の目は開かず、眼帯に覆われている。硝子めいた透明度の瞳が虚空を彷徨いやがて所長の顔を凝視、嘲りの色を浮かべる。

 「Good morning.ご機嫌いかが?」

 からかうような調子の声を投げかけられ、所長は鼻を鳴らす。
 椅子に束縛されたレイジの消耗は激しく、虚勢の笑みを作った顔には憔悴の色が透けている。
 疲労困憊、椅子の背凭れにぐったり背中を預けたレイジはしかし、誰にも物怖じせぬ揺るぎない瞳で真っ直ぐに所長を射止める。
 「だいぶ疲れている様子だが、体の調子はどうだね」
 答えを承知で尋ねれば、少年が喉を鳴らす。喉の奥で笑ったのだ。
 「最高だね。すこぶる調子いいよ。一晩中中体の奥を掻き回されたせいで火照って火照ってしょうがねえ」
 「快楽に貪欲だな。そんなにこの玩具がお気に召したのか」
 所長が皮肉に笑い、机上に転がる無機質な卵を摘み上げる。
 最前まで少年の体の奥で緩い振動を続けていた機械の卵、コードレスのローター。
 「私としては内臓が出血するまで入れておきたかったのだが、快楽に狂われ話ができなくなっても困る。直腸の奥まで挿入したせいで抜くのに手間がかかったな」
 手のひらで卵をもてあそびながら意味ありげにレイジを見る。
 「君に質問だが、昨日は合計何回射精したんだ?」
 「あててみろよ」
 羞恥にたじろぐでもなく、大胆不敵に切り返すレイジに笑みを深める。
 「ずっと独りで耐えていたのか、自慰で抜いたのか?頼むから抜いてくれと同房の人間に泣きついたか?まさかな。君はプライドが高いから一晩中一人で耐えていたはず、同房の人間に恥ずかしい秘密を知られるのを避けてずっとベッドに突っ伏していたはずだ。違うか」
 「黙れよ」
 「同房の人間に説明を避ける気持ちは理解できる。まさか肛門の奥にローターを入れられたなんてそんな恥ずかしいこと言えるわけがない。肛門の奥にローターを入れられ絶えず前立腺を刺激され感じていたなんて、勃起が持続し射精が連続し快楽に溺れていたなんて話せるわけがない」
 手のひらでローターをもてあそび、所長が言う。
 「奴隷を作る秘訣は快楽と苦痛を交互に与えること。私はそれを実践したまでだ」
 優越感に浸りつつ、昨晩の出来事を回想する。
 目の前の少年に命令し裸にさせ四つん這いにし、肛門を指で馴らし、奥までローターを挿入した。
 排泄器官に異物を挿入される不快感に少年の顔が歪むのを目の端で眺め、嗜虐の愉悦に酔い痴れ、体の奥で振動を続けるローターのせいで自力で立ち上がることすらできなくなったレイジをそのまま房に帰した。
 本能で生きる動物は快楽に忠実、ならばそれを逆手にとって躾けてやろうではないか。
 「さあ、昨日の続きをしようではないか。君も一晩経って気が変わったのではないか?そろそろ素直になりたまえよ」
 厳かに尋問再開を告げ、椅子の背凭れに凭れかかる。
 レイジは欠伸を噛み殺す表情で不満を訴えていたが、やがてうっそりと口を開く。
 「あーあ、死ぬほど退屈。早く房に帰りてえ。あんたとおしゃべりするのは飽きたんだよ、所長さん。悪趣味な玩具ケツに突っ込まれたせいで昨日はろくに寝てないんだ、さっさと房に帰ってベッドに倒れこみたいんだよこっちは。わかってる?わかったんなら帰してくれないかな。はっきり言って俺、あんたタイプじゃないんだよ。タイプじゃねえ男と長時間ツラ突き合わすの拷問だよな。退屈で退屈で尻がむずがゆくなってくる。ずばり言ってやろうか所長さん?俺、反吐でるほどあんたが嫌いみたいなんだ。今こうやって座ってる間も暇つぶしにあんたを殺す方法考えてるくらい」
 誰をも魅了する笑顔であっさり暴露したレイジを、所長もまた余裕の笑みで迎えうつ。
 相手の出方を窺う沈黙が落ちる。
 「私が知りたいのは、君が持ち逃げした物の行方だ」
 机上に肘を付いた所長ががらりと口調を変えて本題を切り出す。
 手近な書類をめくり、文面に目を走らす。
 そこに記されているのは眼前の少年がフィリピン政府から身柄を引き渡され、東京少年刑務所に収監されることになった経緯。かつてレイジが犯した事件の詳細。

 「レイジ、君は非常に面白い経歴の持ち主だ。英語の憤怒、憎悪。呪われた名を授けられし悪魔の落とし子。かつて君が所属した反政府組織は徹底抗戦をくりひろげ軍に多大な被害を及ぼした。君は組織では主に軍関係者の暗殺を請け負っていた。ふむ、なかなか目のつけどころがいい。女子供を暗殺に使うのは標的の油断を誘う常套手段とはいえ、君の暗殺成功率は群を抜いている。現在判明している限りでも二十五人の軍関係者が君に殺されている。まさしく殺しのプロたる鮮やかな手口、殺害方法はナイフによる刺殺・銃による射殺・ベルトによる絞殺まで多岐にわたるが殆ど証拠を残さぬ手口は見事と言うほかない」

 「お褒めにあずかり光栄。溶けた鉛を耳の穴に流し込んだことは書いてないか」
 人を食った戯言を無視、続ける。
 「だが、遂に悪運尽きて悪魔の所業が明るみに出た。要人暗殺に失敗した君は組織から切り捨てられ囚われの身となった。本来ならすぐに殺されるはずだった君がこれまで命を永らえてきたのは、君が逮捕される原因となった事件で消えたある物の行方をフィリピン政府が追っているからだ」
 「ある物って?」
 「君がいちばんよく知っているはずだろう」
 所長が口の端を吊り上げ嘲弄する。
 「四年と半年前、君がフィリピンで逮捕されるきっかけとなった事件。マニラの米軍基地に視察に来た日本の政治家が殺され、事件現場から『ある物』が消えた。フィリピン政府は今も総力を挙げてその行方を追っているが、杳として知れない。君も当時苛烈な尋問を受けたが、とうとう在り処を吐かなかった」
 一呼吸おき、威圧的に声を低める。
 「……『あれ』をどこにやった?素直に吐けば減刑を検討する、生きてここを出ることも不可能ではない」
 「あれとかそれとか抽象的なこと言われてもわかんねっつの。イエロージャップとの会話は疲れる」
 堂々としらばっくれるレイジの前で席を立つ。
 銀縁眼鏡の奥、爬虫類めいて冷血な双眸が酷薄な光を宿して細まる。椅子に座ったレイジは口元を不敵に歪めて威圧感をはねつけていたが、両手を挙げて降参の意を示し、おどけたように首を竦めてみせる。
 「はいはい、わかりました。俺の負け。あんたが喉から手が出るほど欲しがってる『あれ』はポケットの中に」
 皆まで言わせず所長が行動にでる。
 レイジのズボンを掴み、ポケットに手を突っ込み、中をまさぐる。野心にとりつかれ目を血走らせ、ズボンの尻ポケットを掻き回した所長が快哉を叫ぶ。
 「あった、あったぞ!フィリピン政府が捜していた『あれ』を遂にわが手に……」
 勝ち誇り、頭上高く手を掲げた所長の眼下で笑い声が爆発する。
 椅子から転げ落ちんばかりに背を仰け反らせ爆笑するレイジをあっけにとられたふうに見下ろした所長は、自分の手が掴んだそれに視線を移し、一杯食わされたと悟る。
 所長がレイジのポケットから取り上げたのは、箱入りコンドームだった。
 「はははははははっははははははっ、嘘、嘘に決まってんじゃん!そんな簡単に見つかったら苦労しねえよ、あっというまに問題解決であんたは昇進だ!おめでたいね所長、さすがはタジマの兄貴だ。兄弟揃って大間抜けもいいとこだ、さっきのあんたときたら傑作だったぜ、全世界に自慢するようにコンドームの箱突き上げちゃってさ!何それ天然、天然ボケの一発ギャグってやつ!?」
 コンドームの箱を掴んだ所長の顔が恥辱に染まり、全身に怒気が迸り、雰囲気が悪化する。笑い上戸の少年が狂ったように手足をばたつかせる様を眺め深呼吸、コンドームの箱をぐしゃりと握りつぶし腕の一振りで投げ捨てる。
 放物線を描いた箱が壁に跳ね返り、絨毯の上に落ちる。 
 「……そうか、あくまで私に反抗する気か、躾けの必要があるか」
 憎悪に濁った声で吐き捨て、扉を一瞥。
 廊下を近付いてくる靴音。余裕ある足取りで机にもどり椅子に腰掛けた所長が、わざとらしく話題を変える。
 「ところでレイジ。さっき連絡が入ったが、君の同房者が食堂で騒ぎを起こしたらしいぞ」
 「は?」 
 レイジが即座に笑い止む。放心した表情でこちらを仰ぐレイジの反応に気をよくして付け加える。 
 「食堂で椅子を振り回し暴れて多数の負傷者をだしたらしい。一度独居房に送られたそうだが、詳細に事情を聞きたいから直接ここに呼ぶことにした。そろそろ到着するはずだ……どうした、顔色が悪いぞ。同房者との再会だ、もっと喜んだらどうだ?」
 机上で五指を組み、その上に顎を載せる。
 「彼をここに呼んだのは君と同房だと聞いたからだ。なんでも君はこれからここに来る囚人に特別感情移入してるらしい、君たちは特別親しい間柄らしい。俗に言う『親友』とやらか?ふん、家畜の分際で生意気な。ならば親友と一緒に尋問を行おうではないか。私の配慮に感謝したまえよ、君」
 「ロンが、ここに来る?」
 信じられないといった面持ちでレイジがくりかえす。嘘だと思いたい、嘘であってほしいと祈るような口調で。所長は笑顔で首肯する。
 少年の表情が半笑いで硬直、何か言おうと口を開くと同時に扉が開き、看守に挟まれた小柄な少年が入室する。
 生意気そうな顔をした癖の強い黒髪の少年だった。意志の強さを表す眉の下、敵愾心剥き出しの三白眼が爛々と輝いている。
 癇の強そうな薄い口元を引き結んだ強情な様子からは、相手が所長だろうが一歩も引かない気迫が感じられた。
 「食堂で発生した乱闘の首謀者、ロンを連れてきました」
 「ご苦労」  
 渦中の少年を連行した看守を鷹揚にねぎらい、視線を正面に戻す。
 レイジは衝撃を受けた様子で入り口付近に立ち尽くすロンを見つめていた。看守に挟まれて入室したロンは、机の前、椅子に座らされたレイジに気付くが早く駆け出そうとしたが、「勝手な真似をするな!」と肩を掴んで引き戻される。
 ロンは後ろ手に手錠をかけられたまま、レイジの背に手を伸ばしたくても伸ばせない悔しさを噛み締めているようだ。
 「……待てよ、なんでロンを呼ぶんだよ。聞いてないぜ、こんな展開」
 顔の皮膚の下に焦燥が透けて見える。
 笑い出したくなる衝動を自制し、落ち着き払って追い討ちをかける。
 「……書類を読んで知ってはいたが、君は幼少時より拷問の訓練を受けたせいで苦痛に耐性があるようだ。君を痛めつけたところで利益はない。だが、『彼』ならどうだ?今更隠しても無駄だレイジ、入室時の反応ですべてが判明した。ロンが入室した時、君の表情は劇的に変化した。最前まで私を笑っていた顔から一切の余裕が消し飛んだ」
 淡々と事実を指摘すれば、レイジの顔が悲痛に歪む。
 ぎりっと音が鳴るほどに唇を噛み、眼帯に覆われてない方の目に凶暴な光を宿し、殺意を凝縮した眼差しを叩きつける。
 愉快だ。愉快で愉快でたまらない。
 必死に笑いを噛み殺し、椅子から動けないレイジを見返す。レイジは現在、椅子の背凭れに両手を回され手錠をかけられている。
 両手が自由なら即座に殴りかかるか素手での殺害を試みても不思議ではない状況下だが、同房者を人質にとられた状況下でそんな暴挙にでるほど彼は愚かではない。
 所長は事前調査でレイジの人となりを把握していた、同房者のロンに彼が特別感情移入してることも二人が特別親しい間柄にあることも当然承知していた。だからこそ、所長室にロンを召喚したのだ。ロン自ら問題を起こしてくれたのは好都合だった、彼を所長室に呼び出しレイジを脅迫する口実ができた。この機を利用しない手はない。
 飼い主の興奮が伝染したようにハルが鳴き、膝に前脚をかけて甘えてくる。
 ハルの頭を愛しげに撫でながら看守に目配せ、ロンをレイジの隣に並ばせる。看守に小突かれてレイジの隣に立たされたロンは、不安と怯えを隠せない表情でこちらを探っている。
 「レイジ、君の母親は反政府組織の人間だった。母親を人質にとられた君はどんな非道な命令にも従わざるを得ず、組織に飼い殺しにされる運命だった」
 「それがなんだってんだよ」
 薄茶の瞳に激情がさざなみだつ。
 殺気立った少年を宥めるように微笑し、続ける。
 「悲劇と過ちはくりかえす。大事な人間を人質にとられたら、君はまた同じことをするのではないかね?」
 椅子に座ったまま顎をしゃくれば心得たと看守が頷き、ロンの頭を押さえ込む。看守二人がかりで床に這わされたロンが「やめろっ、離せよ!」と抗議の声を発するも完全に無視される。
 レイジの顔が引き攣る。
 自分を痛めつけられるのには耐えられても大事な人間を傷付けられるのには耐えられない、それがレイジの致命的な弱点であり人間的な脆さ。
 所長は邪悪な喜び滴る笑みを満面に広げ、非情な命令を下す。

 「命令だ。今この場でロンを犯せ」

 「!?………っ、何言ってんだこの変態!!」
 ロンが叫ぶ。看守もさすがに狼狽する。だが、この場で最も動揺したのはレイジだ。一瞬表情が固まり、ぎこちない動作でロンに向き直る。ロンの視線とレイジの視線が虚空で衝突、絡み合う。
 手を伸ばせば届く距離にいるのに決して触れ合えない二人を憐れむように蔑むように所長が目を細める。
 「聞こえなかったのか?ロンの服を剥いで犯せと命令したのだ。何を躊躇う、家畜風情に。この私が看守の実態を知らないとでも思ったか、囚人を脅して関係を持っている看守がいることくらい当たり前に知っている。さあ私が見ている前で犯せ、レイジが見ている前で強姦しろ」
 「黙れよブラザーファッカー、ロンに手え出したら殺すぞ!!」
 レイジが犬歯を剥いて食い下がる。ずたずたに傷付けられた野性の豹がそれでも最期の力を振り絞り何かを守ろうとするように、耳障りに手錠を鳴らして椅子から身を乗り出し牽制する。
 だが、所長は動じない。
 レイジが必死になればなるほど笑いが止まらないとでもいうふうに邪悪な笑みを深めて、当惑する看守に重ねて促す。
 「どうした、犯さないのか。所長の命令に逆らう気か。私に逆らうなら処分するが、それでもいいのか。君たちも内心では喜んでいるはずだ、所長公認で性欲処理ができて狂喜しているはずだ。ロンの体に目をつけてる看守は他にもいるはずだ。どうしても命令を拒否するというなら彼らを呼ぶまでだが」
 「犯していいんですね?本当にいいんですね?」
 「所長に許可貰えるならそりゃ喜んで犯りますが……」
 ロンを押さえ込んだ看守の目が欲望にぎらつきだす。体を這いまわる手がやがて服の中に潜り込み、性急な愛撫が肌を擦る。所長の許可を得た看守二人がごくり生唾を飲み込み、ロンの服の内側に手を入れて夢中で肉を貪りだす。薄い胸板をまさぐり痩せた腹を揉みしだきズボンの内側のペニスを手に取る。
 「やめろはなせ、はなせよ変態!俺にさわるな畜生、離れろよくそっ……レイジの前で他の男に犯られるなんざ冗談じゃねえ、男に犯られて感じてたまるか、今すぐ命令取り消せタジマの兄貴の変態やろっ……あ、はっ……」
 腰が萎え、姿勢が崩れる。
 ズボンの内側に潜り込んだ手がペニスを扱き上げて股間が固くなる。ロンの背中に汗ばんだ腹をぴたり密着させ覆い被さった看守が、シャツの背中に手を探り入れ、尻の柔肉を揉みほぐす。ロンの正面の看守が体の表面をまさぐり、ズボンの股間に手を入れて自慰を手伝う。体の裏も表も看守に蹂躙されたロンが甘い泣き声を漏らす。
 発情した猫の鳴き声。
 「やめろ」
 極限まで目を見開き、レイジが呟く。看守はやめない。上着がはだけて裸身を露出、ズボンごとトランクスを引き下げられたロンの姿態に欲情を掻き立てられ、ますます手を加速させる。ロンが激しくかぶりを振り肩を揺らす、そうやって看守の手を払いのけ逃れようとするも体格の良い大人に二人がかりで来られてはどうにもならない。
 「やめ、さわんなっ……は、あ、あっあっああっ……!」
 ロンが涙ぐむ。レイジの顔が焦燥に歪み、感情が爆発する。両手は手錠で拘束されたままにレイジが身を捩り暴れる、椅子のスプリングをぎしぎし軋ませロンから離れろと全身で訴える。
 「お前ら、俺のロンに何勝手な真似してんだよ!!いいかよく聞けアスホールのマザーファッカーども、ロンにさわっていいのはこの世で俺だけだ、ロンを抱いていいのはこの世に俺ひとりなんだ!ロンは俺の物だ俺の相棒だ、俺の物に手え出す奴は地獄に落とされても文句言えねえぞ、ロンにさわった指十本全部切り落としてケツの穴に突っ込んでやる!!」
 「ロンを助けたいか」
 醜態を晒すレイジをひややかに見下し、所長が含み笑う。死に物狂いに暴れた反動で椅子が横倒しになり、レイジもまた床に倒れる。床に激突した衝撃で眩暈に襲われたレイジの上に屈み込み、その前髪を掴んで無理矢理顔を起こし、誘惑を吹きこむ。
 「レイジ、君に選択の権利を与える」
 耳朶に囁かれたレイジがよわよわしく瞼を開く。レイジの眼前では今しもロンが犯されつつある。上着とズボンを脱がされ裸に剥かれ、背中に覆い被さった看守に尻の柔肉を割られ、前方の看守に股間をまさぐられ勃起し、激しい恥辱に苛まれ頬を染めている。
 「ひっ、あっ、あふっ……あ、レイ、ジ、見る、なっ……」
 看守の手で目隠しされたロンが嫌々と首を振る。背中に覆い被さった看守が肛門の窄まりを探り当て、指を入れる。ロンの背中が仰け反り、喉から悲痛な嗚咽が漏れる。
 生きながら心臓を抉られるような顔でロンが陵辱されゆく光景を凝視するレイジの前髪を掴み、所長は言った。

 「ロンが犯されるか自分が犯されるか、今ここで選びたまえ」

 ロンを見捨てて自分が助かるか、ロンを庇って自分が犯されるか。
 お前にはそのどちらかしかないと暗に匂わせて。
[newpage]
 「ロンが犯されるか自分が犯されるか、今ここで選びたまえ」
 兄弟揃って狂ってやがる。 
 自分が助かりたければ俺を見殺しにするしかない、俺を助けたければ自分が犠牲になるしかない。
レイジの顔が凍りつき、見開かれた目から感情が消失。レイジの前髪を纏めて掴んだ所長の顔には邪悪な喜び滴る笑み。
 俺を庇って自分が犯されるか、俺を見殺しにして自分が助かるか激しい葛藤に苛まれ苦悩に閉ざされたレイジの顔を至近距離で観察し嗜虐心を疼かせている。
 前髪を毟られる激痛にも増してレイジの顔を歪ませる過去の記憶、思い出すのもおぞましい出来事の記憶。
 現実にあった悪夢。ほんのガキの頃、レイジは組織から逃亡を企てた。母親と二人生きる道を探して無謀にも外へと飛び出した。
 ガキの浅知恵と笑いたきゃ笑えばいい、レイジはその頃必死だったのだ。
 ただ母親と二人平和に暮らしたくて、ささやかな幸せが欲しくて、「普通」の生活に憧れて、自分たち親子を束縛する組織の監視の目が届かない場所へ逃げようとした。レイジは必死だった。ガキの浅知恵と言っちまえばそれだまでだけど、ガキの頭で一生懸命に考えて、マリアの幸せを何より一番に祈って命がけの脱走計画を実行に移した。
 でも、それが裏目に出た。レイジの脱走は失敗した。
 レイジはお袋と二人とっ捕まった。
 そして罰を受けた、二度と組織を裏切ろうなんて気を起こさないように。レイジはかつて今と同じ状況で同じ選択を迫られた、眼前で母親を犯されるか自分が犯されるか選べと数人がかりで取り押さえられ強要された。
 レイジは信心深いフィリピン娘のマリアが兵士に強姦されて出来た子供、もとより祝福されない子供だった。
 マリアはレイジを虐待した。
 自分と似ても似つかぬ髪と瞳の子供を見るたび犯された時の恐怖がよみがえった。殴った、蹴った、髪を毟った、引っ掻いた、首を絞めた。俺がお袋から受けてきた虐待よりもっと凄まじい、もっと酷い、惨たらしい虐待。だけどレイジはマリアを愛し続けた、殴られても蹴られても髪を毟られてもぼろぼろになっても献身的にマリアを愛し尽くし続けた。
 レイジにはマリアしかいなかった。
 だからレイジは、自分が犯されるのを選んだ。
 マリアを見殺しにするくらいなら凶暴な男たちに犯されたほうがマシだと現実を受け容れた。マリアを見捨てて自分だけ生き延びても意味がない、マリアと一緒に幸福になれなければ意味がないのだ。レイジは多分、マリアに過去の悪夢を追体験させたくなかったのだ。
 今また男たちに犯されればマリアは自分を孕んだときの記憶を喚起せざるえない、村を焼かれ家族を殺され兵士たちに輪姦されたおぞましい出来事を反芻せざるえない。
 誰よりマリアを愛していたレイジが母親が再び犯される運命を許容するはずない、全力をもって拒否したはず。苦渋の決断。
 どれほど辛い選択だったか、心中は計り知れない。
 しかし、レイジの心は粉々に打ち砕かれた。
 レイジがどちらを選んでも組織の人間はその反対に行動する予定だったのだ。マリアはレイジの眼前で男たちに犯された。レイジは何もできず、母親が男たちに犯される現場を見ているしかなかった。
 無力感、敗北感、罪悪感……絶望。心臓を食い破り荒れ狂う激情。
 自分が選択を誤ったせいで最愛の人間が犯された、自分のせいでマリアが酷い目に遭わされた。
 レイジは今でも当時の出来事を覚えている。忘れられるわけがない。今でも夢に見るに決まってる、悪夢にうなされるに決まってる。
 言わなくてもわかる。
 十字架を撫でる手は許しを乞う手。レイジは今も十字架に触れ、かつて守れなかったマリアに謝罪し続けているのだ。
 愚直なまでに純粋に、哀切なまでに真摯に。
 但馬は、同じ選択をレイジに強いた。俺が犯されるか自分が犯されるか選べとレイジに要求した。
 許せねえ。
 「………くそったれが……」
 腹の底で汚泥が煮立つ。視界が真紅に染まるほどの憤怒。体の裏表を這いまわる手の不快さよりもうなじを湿らす吐息の熱さよりも俺を激昂させたのは、優越感に浸りきった所長のにやけ顔。
 殺意が沸騰する。怒りで体が震える。
 一体コイツはどれだけレイジを傷つければ気がすむ、トラウマを抉れば気がすむんだ?レイジはもう十分傷付いたってのに十分すぎるほど自分を責めてるってのにコイツはこのクソ野郎はまだレイジを苦しめる気でいやがる、まだまだまだまだまだ俺のレイジを苦しめる気でいやがる!!
 許せない絶対に。
 感情が爆発した。
 「タジマの兄貴の変態野郎今すぐレイジから離れろそのツラ犬の小便で洗って目え覚ませ、寝言ほざくのもいい加減にしやがれてめえ、なんだよそのイカレた選択はよ!?俺が犯されるかレイジが犯されるかどっちかしかねえなんて最悪だ、どっち選んだって待ち受けるのは地獄じゃねえか、俺はごめんだ、レイジが犯されるとこ指くわえて見るのなんざ冗談じゃねえ!いつまでレイジにさわってんだよ狂犬家、レイジの髪一本だってお前にさわる権利なんざねんだよ、髪の先から小指の爪に至るまでレイジの体は全部全部俺の物なんだよ!!」
 喉から絶叫が迸る。
 看守二人がかりで押さえ込まれたまま死に物狂いに身をよじり喉膨らませ怒鳴り散らす、レイジをこの手に取り返そうと滅茶苦茶に暴れて咆哮する。
 椅子に縛り付けられ床に倒れたレイジは、壊れた人形じみた動作で顔を上げ、凍り付いた瞳で俺の狂乱を見つめていた。硝子のように脆く硬質な瞳に激情の余波が走る。
 瞳が、砕け散ってしまいそうだ。俺はこんな悲痛な表情を見たことがない。レイジの顔は、一瞬で時間が逆行した錯覚を抱かせた。瞬き一回の内に時間が逆戻りして子供に戻っちまったような感じ。
 マリアが犯された時もきっと同じ表情をしてたんだろう、捨てられた子供みたいに孤独が焼き付いた表情。
 レイジにこんな顔、させたくなかった。
 こんな顔、見たくなかった。
 「レイジ、真に受けるんじゃねえ!どうせどっち選んだってコイツが約束守るはずねーんだ、どっち選んだって最悪のことが起きるに決まってるんだ!お前が全部背負いこむことねえよ、変態の戯言に付き合ってお前が苦しむ意味なんかどこにもねっ……あっ、ひ!!」
 勢い良く喉が仰け反り、語尾が跳ね上がる。
 俺の背中にぴたり汗ばんだ腹を密着させた看守が、唾液に濡れた指を肛門に入れてきた。くちゃり、と淫猥な音がした。肛門の窄まりを探り当てた指が直腸の襞を掻き分け奥へと忍び込み、気色悪さに肌が粟立つ。
 「敏感な体。男に飢えてる」
 「こっちも敏感だぜ。ちっちぇえ癖してびんびんに勃ってやがる」
 俺の股間をまさぐってたもう一人の看守が嘲弄する。俺のペニスは勃起していた。しつこく扱かれて先端に汁を滲ませていた。ケツの穴に潜り込んだ指が卑猥に蠢く、ペニスを握った手が上下する。前から後ろから同時に責め立てられて知らず腰が跳ね、声が漏れる。
 こんな姿レイジに見せるくらいなら舌噛み切って死んだほうがマシだ。
 恥辱で顔が火照り、快感で息が上がり始める。
 涙の膜が張った視界にレイジが映る。
 「やめろよ」 
 低い声でレイジが言う。祈るような縋るような調子の声。
 「ロンに、さわるな。ロンは関係ねえ、俺がやったことにこれっぽっちも関係ねえ、ロンはただ偶然俺と同房になっただけで俺がフィリピンでやったことなんか何も何も知らねえ、俺が殺した連中のことも俺が持ち逃げした物のことも何も知らないんだよこいつは、だからこいつ犯したって意味ないんだ、神様に、いや、マリアに誓って真実を話してるんだよ俺は!!」
 椅子ごと床に横倒しになったレイジの顔筋が痙攣、泣き笑いに似て表情が崩壊する。眼帯がずれ、片目の傷跡が外気に晒される。
 背凭れに回された手を擦り合わせ手錠を外そうと試みて、それが駄目なら椅子ごと移動しようとしきりに身をよじる。椅子ががたがた鳴る。少しでも俺に近付こうと必死に身をよじり続けるレイジを見下ろし、所長は憫笑する。
 「ロンは、そいつは俺のやったこととは何も関係ないんだ!俺とは何も関係ない赤の他人、たまたま監獄で一緒の房になっただけのうざったいガキで実際うんざりしてたんだ、喧嘩弱っちくせに口ばっか達者でマジむかついてたんだ!ああいい気味だ、せいせいするよ!そうやってめそめそ泣きべそかいてろよ子猫ちゃん、おうちでママのおっぱい吸ってるのがネンネにゃお似合いだ、今だから言うけどお前のことなんか大っ嫌いだ、虫唾が走んだよお前のツラ見ると、くたばっちまえよ甘ったれのマザーファッカー!!」 
 レイジが狂気渦巻く笑顔を湛えて俺に罵詈雑言を浴びせる。
 椅子をガタガタ鳴らして俺を罵倒しながらレイジが吐き捨てる。
 「上等だ、選んでやるよお望みどおりに!お前を庇って犯されるなんざお断りだ、そこまで面倒見切れねえよ、犯すんならロンを犯せよ!!」
 
 レイジが。
 俺を、裏切った?

 「…………!っ、」
 衝撃で言葉が出てこない。床に椅子ごと横倒しになったレイジは隻眼を爛々と光らせ俺を見つめている、口元には開き直った笑みが浮かんでいる。邪悪な顔。
 レイジは選択した。俺を見殺しにして自分が助かる道を選んだ。
 そんなまさか。レイジが俺を裏切るはずない。俺の為にペア戦に挑んでサーシャに片目を切り裂かれて、それでも戦い続けたレイジが俺を裏切るわけがない。
 衝撃に心が麻痺したまま、看守に二人して体の裏と表をまさぐられていた俺は、床に倒れ伏せたレイジの目に思い詰めた色が宿っているのに気付く。俺を裏切り保身を選んだはずなのに、俺を見殺しに自分だけ助かる道を選び取ったはずなのに、俺の分まで苦痛を抱え込む覚悟を決めたかのように……
 そして、気付いてしまった。
 「お前、わざと」
 レイジは俺を見殺しに自分だけ助かる道を選んだんじゃない、その反対だ。 
 床に倒れ伏せたレイジの表情が安堵に緩み、粉々に砕かれたプライドをかき集め、再び不敵な笑みを作る。俺が見慣れた無敵の笑顔。その瞬間、わかってしまった。レイジはどこまでも一途に俺を守ろうとしてる。かつてレイジは選択を誤った、組織の人間の邪悪な思惑を見抜けず間違った選択をしてマリアを汚された。
 だからレイジは。
 レイジは、
 「……お前、ばかだよ。へたな嘘つきやがって」
 邪悪な人間の裏の裏をかき、自ら憎まれ役を買って出た優しさが身にしみる。
 同じ間違いは犯さない。過ちは二度とくりかえさない。
 レイジはきっと、看守二人に押さえ込まれて裸に剥かれた俺の姿を母親と重ねて見ているのだ。
 「お前なんか大嫌いだ、ロン。犯られちまえ」
 きっかりと俺の目を見据えて嘘を塗り重ねるレイジ。俺は、唇を噛む。
 レイジの「大嫌い」が、俺には「愛してる」と聞こえる。
 「それが君の選択か?」
 冷酷な声音が割って入る。レイジの傍らに片膝付いた所長が興味深げな表情を覗かせる。縁無し眼鏡の奥、酷薄な双眸が瞬く。床に突っ伏したレイジと看守に押さえ込まれた俺とを等分に見比べ、思案げに唇をなぞる。
 「ならばよろしい、望み通りにしてやろう」
 「!!痛っ、あっあ」
 ぐい、と強引に膝を押し開かれ肛門が外気に晒される。恥ずかしい体勢をとらされた俺の背中にズボンの股間を寛げた看守がのしかかる。濡れた音をたて肛門から指が引き抜かれ、熱い塊をおしあてられる。
 赤黒く勃起した、醜悪な性器。
 欲情に息を荒げた看守が俺の腰を掴んで尻を上げさせる。どくどく脈打つ肉の塊が尻の狭間の窄まりに触れ、肛門が裂ける激痛を予期し、体が強張る。
 視界の端、床に倒れたレイジの目が極限まで見開かれる。
 わかってる。わかってる。お前が自分を責める必要なんかこれっぽっちもない。お前は最後まで必死に俺を守ろうとしてくれた、庇おうとしてくれた。それだけで十分だ。ガキの頃、お前はマリアを助けようとして献身を逆手にとられた。だから今度は「逆」を選んだ。わざと露悪的に振る舞って、俺を裏切ったふりをして、俺を助けようとした。
 わかってるから、安心しろ。お前を憎んだりしないから。
 だから、そんな顔しないでくれ。
 「違う」
 薄目を開けて視線を彷徨わす。視界の端、レイジが呆然と呟く。
 「なんでだ。なんで違うんだ。『あの時』は選択を間違えた、俺が逆を選べばマリアは犯されずにすんだんだ、傷付かずにすんだんだ。あの時と同じ状況で違う選択をして、なんで同じ結果になるんだよ?こんなのってなしだぜ、神様。俺、あんたのことちょっとは信じてたのに。柄にもなくあんたに祈ったのに、なんでまたくりかえすんだよ」
 詰問というにはあまりに静かな口調。祈っても祈っても願いを叶えられず絶望したレイジの胸では、傷だらけの十字架が輝いてる。
 首を項垂れたレイジの顔に前髪が被さり、表情を覆い隠す。両手が自由なら十字架を握りしめ折り砕いていたかもしれない。だがしかし、レイジの両手は椅子の背凭れに戒められて十字架に縋ることすらできない。
 いいんだ、レイジ。
 首を項垂れたレイジに心の中で呼びかける。もう十分だ。何もかもお前が抱え込む必要なんてない。現実は思い通りにいかない。お前がどんなに足掻いたって頑張ったってどうにもならないことはあるんだ。瞼を閉じ、暗闇に自我を没する。うなじで弾ける熱い吐息、裸の背中をさする手……せめて声をあげないよう唇を噛み締めて衝撃に備える俺の耳を、絶叫が貫く。
 
 「なんでそんなに俺を嫌うんだよ、神様!!」

 レイジの叫び。
 「くそったれくそったれイエス・キリストのくそったれ、たった一度、たった一度くらい俺を救ってくれたっていいじゃねえか、この先一生報われなくたって構わねえから今この瞬間だけ慈悲垂れてくれたっていいじゃんか!俺はもうとっくにあんたに期待するのやめたあんたに縋るのをやめたんだ、でもそれでも最後にもう一度だけ信じさせてほしかったのに、俺の大事な奴を助けてほしかったのに……」
 レイジが叫ぶ、血を吐くように。 
 『I hate you、I leave you、I kill you、I rage you!!!!』
 全身全霊で神への呪詛を放つ。
 現実は、いつだって救いがない。そんなこととっくにわかりきっていた。俺は今この瞬間も何もできずただ犯られるのを待つだけ、椅子に縛り付けられたレイジもまた俺に手を伸ばすことすらできない。
 「友人を助けたいか」
 絨毯に片膝付いた所長が耳朶で囁く。叫び疲れてぐったりしたレイジは、それでも一縷の希望に縋るように首肯する。所長が我が意を得たりとほくそ笑み、椅子の背後に回る。手錠の鎖が擦れ合う金属音に続き、レイジが椅子から転落。唐突な心変わりに驚愕した俺の眼前、椅子から分離されても相変わらず手錠はかけられたまま、両手の自由を封じられ両膝を屈したレイジに所長が顎をしゃくる。
 「ならば相応の誠意を示してもらおう」
 所長の足元にはハルがいる。イヌ科の特徴の異様に長い舌を出してはっはっと息を吐いている。
 ハルの頭を撫でながらレイジを見下ろした所長が、人間味の欠落した笑みをちらつかせる。

 「ハルのペニスをしゃぶれ」

 ………に、を言ってるんだ」
 問いかけたのは俺。冗談かと思ったが、所長の目は真剣だった。俺を押さえ付けた看守もさすがに息を呑み事の成り行きを見守っている。ハルのペニスをしゃぶれ?犬に、フェラチオしろってのか。俺が見てる前で犬に奉仕させようってのか、レイジに。衝撃に麻痺した頭に現実が浸透するにつれ、猛烈な吐き気が込み上げる。
 「やめろ、レイジ。そいつの言うことなんか聞くな、お前が、王様が、犬畜生のペニスなんかしゃぶる姿東棟の囚人どもが見たらどう思うよ?やめろよ、なあ。お願いだから、………」
 喉が異常に渇く。何度も唾を嚥下し途切れに途切れに訴えるが、レイジは反応しない。絨毯に膝を屈したまま、凄まじい葛藤を宿した目でハルを見つめている。所長に顎をしゃくられたハルが虚空に脚を掲げて絨毯に転がる。
 仰向けに寝転がり、無防備に腹を見せたハルへと膝でにじり寄るレイジ。
 褐色の喉仏が動き、前髪の隙間から覗いた隻眼が思い詰めた光を宿す。 
 「………コイツのペニスをしゃぶれば、ロンを放してくれるんだな。口だけでイかせりゃいいんだな」
 やめろ。
 やめてくれ。
 やめろやめてくれそこまですることない犬のチンコなんかしゃぶることないプライド捨てることない俺の為にそこまですることない王様、やめてくれレイジ!!お前のそんな姿見たくない俺は見たくないお前が犬のチンコしゃぶるとこなんか見たくない、頼む誰か、誰でもいいからやめさせてくれ鍵屋崎サムライヨンイルホセ安田、お願いだから今この瞬間レイジが所長の命令通り犬にフェラチオする前に殴りこんできてくれ!!!
 「ああああああああああっあああああああっあああっああああああっ!!!!」
 「暴れるんじゃねえ!」
 「手足押さえつけろ!!」
 誰も助けに来ない、誰もレイジを止めない。なら俺がやるしかねえ。俺は滅茶苦茶に暴れる、上着とズボンを奪い取られて素っ裸になりながら看守二人を弾き飛ばしてレイジに駆け寄ろうとするも、警棒で肩を殴られ床に這わされる。痛い。激痛に涙が滲む。意味不明な奇声を撒き散らし、床を蹴って身悶える俺を二人がかりで床に固定した看守の視線の先、レイジがゆっくりと頭を垂れて犬の股間に顔を埋めー…… 
 レイジが、犬のペニスを口に含む。
 「……はっ、あ……」
 両手が使えない為に、こまめに顎の角度を変えて犬に奉仕する。犬の股間に顔を被せ、尖ったペニスに舌を絡める。唾液を捏ねる音が淫猥に響く。所長は笑っていた。嗤っていた。絨毯に寝転がったハルの股間に上体を突っ伏し、尖ったペニスを唇で食み、丁寧に舌を這わせるレイジを見下ろしてご満悦だった。
 レイジは苦痛を堪えるような表情で徐徐に膨張しだした犬のペニスを舐め続ける。
 「ふっ、う………でかすぎて口に入んねえっつの……」
 犬のペニスが急激に体積を増し、口腔を圧迫する。首を伸び縮みさせ、顔を傾げ、発情した軟体動物めいた舌でペニスの筋を舐め上げる。倒錯的な光景。顔に被さった前髪の隙間から時折覗く目は朦朧と濁っている。口に入りきらない大きさに膨張したペニスに飢えたようにしゃぶりつき、上から下へ、下から上へと舌を這わせて唾液を塗りこんでいく。
 口の端から垂れた唾液が首筋を滴り、シャツに染み込む。
 ハルの息が加速度的に荒くなる。
 「っ、は、は、はぁ……はは、両手使えねえと不便だな。手が使えたらもっと早くイかせられるのに、口だけだと難易度高いぜ」
 「レイジ、やめてくれ」
 こんなレイジ見たくねえ。俺の心の叫びを無視、レイジは一方的な奉仕を続ける。俺に背中を向けてハルを気持ちよくさせるのに集中する。後ろ手に手錠かけられ、床に両膝付いた獣の体勢から犬の股間に顔を埋めてぺちゃぺちゃと濡れた音をたてる。
 首筋から流れ落ちた金鎖が鈍くきらめき、虚空にぶらさがった十字架が不安定に揺れる。
 長く優雅な睫毛を伏せ、時折挑発的な角度で顎を傾け、引き締まった首筋と鎖骨を晒す。
 ハルの息遣いと腰の動きが速くなる。
 ペニスに舌を絡めて唇で刺激するくりかえしに顎が疲れてきたらしく、弱々しくレイジが首を振る。それでもまだやめない。
 ハルの腰の運動が速くなり、レイジの口に含まれたペニスがさらに膨張―――

 絶頂が訪れた。

 「!!かはっ、」
 射精する寸前、口からペニスを抜いたレイジの顔面にねばっこい白濁が飛び散る。先端の孔から勢い良く弧を描いて迸った精液を顔にかけられたレイジが苦しげに咳き込む。褐色の肌に扇情的なまでに映える白濁……犬の、精液。両手を戒められてるため顔に付着した白濁を拭うこともできず、放心した表情で虚空を見据えるレイジをよそに所長がハルを呼び寄せる。
 「よしよし、いい子だ。性欲処理ができてよかったな、ハルよ。何、まだ足りないのか?ははっ、ハルは欲張りだな!いいだろうハルは交尾したい盛りの三歳の成犬、フェラチオだけで満足できぬなら穴に挿入して楽しめばいい!人間だろうが犬だろうが関係ない、種族の差異などささいな問題だ、ハルが続きをしたいなら飼い主の私が止める気など毛頭ない!!」
 生理的嫌悪を禁じえず、凄まじい吐き気と戦いながら俺と看守が凝視する中、力尽きて絨毯に寝転がったレイジの背中を踏み付けて所長が深呼吸する。
  
 「いいだろう、そうまでしてロンの身代わりになりたいというなら可愛いハルの相手を務めてもらおうではないか」

 極限まで目を見開いた俺の前、床を蹴り跳躍したハルが突出した口腔から涎を撒き散らしレイジに襲いかかる。
 よく訓練された動きでレイジの背にのしかかりズボンを剥ぎ取り、凶器のように勃起したペニスを―――――

 ―「レイジいいいいいいぃいいいいいいぃいいいいいいいいいいいっっ!!!」―

 ああ。
 レイジが、犬に犯される。
[newpage]
 ビバリーがいなくなっちゃった。
 食堂での乱闘騒ぎから三日経過、首謀者のロンと凱、とばっちりくらった不幸なビバリーが独居房送りなってから三日が経った。
 僕はその場にいた。乱闘騒ぎが起きたまさにその時現場に居た。
 悲鳴と罵声が交錯する階下の惨状に何事だと手すりから顔を出せばキレたロンがおっかない顔で椅子ぶん回してたところで、小柄な体に怒気を漲らせ、突っかかってくる囚人片っ端から殴り倒すロンの変貌におしっこちびりそうだった。
 椅子を盾に武器にレイジを馬鹿にした囚人を容赦なく攻撃するロン、頭上に高々振り上げた椅子で顔面を直撃、鼻っ柱をへし折られ脳天かち割られ顔面朱に染めた囚人が死屍累々と残飯にまみれ床に倒れ伏せた惨劇の現場を二階席からぼんやり眺め、僕は「あーあ、やっちゃった」と心の中で嘆いた。
 馬鹿だなロン、そんなことしたって意味ないのに。
 大事なお友達馬鹿にされて頭に来るのもわかるけど、そんなことしたってレイジは簡単に戻ってこないのにと醒め切った気持ちでロンの大暴れを見物してたら、箸を放り捨てたビバリーが手すりに足をかける。
 「リョウさんはここにいてください、ロンさん助けに行ってきます!」
 正義の味方よろしく義憤に燃えてロン救出に向かったビバリーを僕はただ見送るしかなかった。
 ビバリーが勢い良く手すりを蹴って宙に身を躍らせた時も、決死のダイブを試みたビバリーの背中に「じゃあね」と手を振り食事を再開した。
 ところがどっこい、ご飯を口に運ぼうとしたそばから手の震えが箸に伝わってぼろぼろ零しちゃう。口に入れるご飯より零す量のが多い悲惨な状況で、スープやらご飯やら僕が食べ散らかした残骸でテーブルは汚れてる。
 哀しいかな、ビバリーの介添えがなければ一人でご飯もできない。
 なんでこんなことになっちゃったのと運命を呪ってみても遅い。少なくとも数日前まで僕はこんなじゃなかった、ここまで酷くはなかった。親鳥に餌をねだる雛みたくビバリーに「あーん」しなくても一人でご飯食べれたしテーブル汚したりもしなかった。

 原因はわかってる。これも全部静流のせい。

 ちょうど前の晩、僕の房にホセがやってきた。
 就寝時刻を過ぎて他の囚人が寝静まった頃合にいきなり。
 僕とビバリーの房を見渡し、ホセは嘆かわしげにかぶりを振った。
 『幻滅です。君にはがっかりしました、リョウくん』
 開口一番ダメ出しを食らった。僕が正常な状態ならムッとしたはずだけど、生憎その時の僕はオクスリの効果で頭がポーっとしてて、笑いが止まらないハイテンション。
 失望の面持ちでホセに見られてもてんで構わず、ベッドの上で飛び跳ねてた。実際僕の房はひどい状態だった。
 毛布は捲れてマットレスは裂かれて綿がはみだして、天井高く埃が舞い上がっていた。床にはスザンナの死骸と手足がもげたテディベア、割れ砕けた注射器が転がっていた。
 まさしく足の踏み場もなく寝る場所もない危険地帯。
 『我輩の依頼をお忘れですか?君には以前、地下探索をお願いしたはずですが……突破口の報告もなし成果もなし、様子を見にはるばる来てみれば覚せい剤の乱用が祟って本人はハイになっている。ハッピークライシスでとても話が出来る状態ではない。やれやれ、どうやら我輩は出遅れたようだ。もっと早く、手遅れになる前に訪れるべきでしたね』
 『手遅れってなにさ、失礼だね。僕こんなに幸せなのに』
 ベッドの上で飛び跳ねながら大袈裟に両手を広げてみせる。
 僕の足元にはビバリーが突っ伏してる。
 一日中僕の大はしゃぎに付き合わされて疲労困憊、ぐーすか居眠りしてるビバリーに同情の一瞥をくれ、ホセがため息を吐く。
 『一体どうしたことですか、これは。少なくともつい先日まで君はこんな風ではなかった、情報屋として頼れる存在だった。覚せい剤中毒の症状がこんなに急激に悪化するのはおかしい。何かショックな出来事もあったんですか?我輩でよければ相談にのりますが』
 『余計なお世話。ショックなことなんてなにもなにもないってはは、僕今すっごい幸せなんだ、空でも飛べそうな気分なんだ!足の裏が無重力でお空をひとっ飛びでママに会いにいけそうなの、だからジャマしないで、今お月様にタッチする練習してるんだから』
 配管剥きだしの天井に手を伸ばす。
 勿論、お星様もお月様も見えやしない。だけどその時の僕は幸せで、無重力の浮遊感に包まれて、ホセとビバリーの存在をまるっきり無視してベッドの上で飛び跳ねていた。
 ベッドを撓ませて体を弾ます僕から距離をおき、黒縁メガネを押し上げるホセ。
 『……利用価値のない駒には興味がありません。では、我輩はこれにて失礼します。お大事に』 
 冷たくよそよそしい口調で別れを告げて、無関心に身を翻す。
 ホセの背中を追うつもりはこれっぽっちもなかった。ホセも二度と振り向かなかった。
 鉄扉を閉じる間際、ホセが小声で呟くのが聞こえた。
 『本来ならばヨンイルくんが花火を打ち上げた日に訪ねる予定だったのですが、道化の馬鹿騒ぎに巻き込まれて致命的な足止めを食らいました。まったく、我輩はツイてない。あの日に君を訪ねていれば今後の予定を変えずにすんだかもしれないのに』
 後半は愚痴だった。
 僅かに後悔の念を滲ませた口調で呟き、ホセはさっさと立ち去った。僕はもう用済みだと背中で告げて。
 大事な客を逃したのに僕は全然ショックを受けてない、残念にも思わなかった。
 結局ホセが立ち去ったあとも一晩中ベッドの上で跳び続けて明け方にはぐったり体力を消耗した。さようならホセ、お元気で。僕は僕の気持ちが赴くまま生きる。辛いこと嫌なことなんて何も思い出したくない、楽しいことだけ覚えていたい。だからこないだの事も忘れた、ヨンイルが花火を打ち上げた夜に僕の身に起きたことを無かったことにした。
 辛い記憶は封印するに限る。
 クスリの力を借りて忘れ去ってしまえばいい、それが僕の基本方針。
 僕はまたクスリ漬けの生活に戻った。
 クスリの使用量は前よりもっと増えた。そりゃもう格段に。
 ビバリーは口うるさく僕に言った、「このままじゃダメ人間になっちゃいますよリョウさん!」と必死にクスリをやめさせようとした。でも、僕は聞かなかった。
 ビバリーうざったい。
 ロンに壊された注射器の他にも当然というか勿論、予備の注射器を隠し持ってた僕は懲りずに堂々とクスリを打ちつづけた。ビバリーの前だろうが関係ない。僕がクスリを打つのを止める権利はビバリーにない。
 ビバリーは注射器取り上げようと必死に僕に掴みかかった挙句、顔面引っ掻かれ生傷だらけになった。
 『リョウさんクスリやめてください、やめるの無理ならせめて量減らしてください!リョウさん最近おかしいっス、こんなんじゃいつか頭がパーになっちゃいます!今はまだ時々素面に戻れるけどじきにあっちに行ったまま戻ってこれなくなる、僕の声も届かなくなる、嫌っスよそんなの、スザンナ失った挙句にリョウさん失うのご免被るっス!』
 『まったくどこまでお人よしなのさビバリーってば、スザンナ殺害したの僕だよ、僕がスザンナ殺したんだよ?見てたでしょ、君の目の前でスザンナ落っことしたの。なのにまだ僕のこと心配してるの、友達ヅラしてクスリやめさせようってムダな努力すんの?ばっかみたい。僕のことなんか放っとけよ、うざいんだよ二ガー、汚い手でさわんなよ!』
 ヒステリックに泣き叫ぶ僕に口汚く罵られ唾吐かれてもへこたれず、ビバリーは真剣に食い下がる。
 僕の肩を掴んで正面に顔を固定、悲痛に思い詰めた目で続ける。
 『スザンナも大事だけどリョウさんも大事だ、壊れたスザンナより生きてるリョウさん優先して何が悪いんスか!?』
 スザンナ命のビバリーらしくもない発言に、一瞬手を止める。
 今しも猫の威嚇音を発しビバリーの顔を引っ掻こうとしてた僕は、その目が涙で潤んでることに狼狽する。
 うるうる涙ぐみながら僕を叱責するビバリー、スザンナへの哀悼の念と僕への友情の間で引き裂かれた悲痛な顔。切迫した様子で説得を試みるビバリーを突き飛ばし、頭から毛布を被り、息を止める。
 うざいうざいうざい、ビバリーなんか消えちまえ。
 僕のことなんか放っとけよもう、心配なんかするなよ。
 頭がぐるぐるする。ビバリーに心配してもらう価値なんか僕にはない。ビバリーは僕には勿体ないくらいイイ奴で、イイ友達で、だからビバリーと一緒にいるのが辛い。ビバリーに優しくしてもらう資格がないことを始終痛感させられ居たたまれない。
 『何も知らないくせに』
 そうだ、何も知らないくせに。
 僕の身に起きたこと何も知らないくせに、友達ヅラすんなよ。
 毛布の中から吐き捨てれば、気配を消して枕元に近付いたビバリーが、しょげかえった様子で呟く。
 『話してくれなきゃなにもわかんないっスよ』
 気弱に萎んだ声。いつも能天気に笑ってるビバリーらしくもない声。僕は毛布の中で息を殺し、ビバリーが去るまで寝たふりを続けた。
 相談なんかできるわけない。
 あんなこと、言えるわけない。
 ビバリーに軽蔑されるのは嫌だ。毛布に包まった僕の枕元でビバリーが動く。床から何かを拾い上げて埃を払う気配。ビバリーが遠慮がちに毛布の端を捲り上げ、僕の横にそっと、それを忍ばせる。
 手足のもげたテディベア。ママからの贈り物。
 『………おやすみなさいリョウさん』
 寝つきの悪い子供をなだめるように毛布の上から背中をさすり、ビバリーが立ち上がる。
 裸電球が消え、房が暗闇に包まれる。
 ビバリーが隣のベッドに潜り込む気配、衣擦れの音。
 ビバリーが隣のベッドに横たわったのを確認、慎重に毛布から顔を出し暗闇に目を凝らす。

 僕に寄り添うように毛布に入ったテディベア。
 労わる手つきでぬいぐるみの埃を払ったビバリー。

 不意に泣きたい衝動に襲われた。目が潤んで視界に水の膜が張った。泣いちゃダメだと自分に言い聞かせ、毛布の中に潜り込み、ぎゅっとテディベアを抱きしめる。テディベアに顔を埋め、嗚咽を堪える。ビバリーに啜り泣きを聞かれるのが嫌でテディベアに噛み付く。
 クスリの副作用のせいか感情のブレが激しくなってる、喜怒哀楽の移り変わりが激しくてすぐに涙がでてくる。
 テディベアを噛んで嗚咽を堪える僕の耳に、毛布越しに声が届く。
 『僕、リョウさんの友達やめませんから。スザンナ殺したリョウさんのこと藁人形五寸釘で打ちたいくらい恨んでますけど、やっぱりリョウさんのこと……好きっスから』
 「その、健全な意味で」と決まり悪げに付け加えてビバリーが寝返りを打つ。こっちに背中を向けたビバリーを一瞥、ぬくもりを貪るようにテディベアを強く強く抱きしめる。
 わかってる。ビバリーが僕を心配してることは十分すぎるほどわかってる。だからこそ、言えないことがある。軽蔑されるのが怖くて内緒にするしかない出来事がある。
 静流の罠に嵌められたことは、絶対に言えない。
 ビバリーがショックを受けるから。
 僕と同じ側にひきずりこんでしまうから。
 僕がいる日陰をビバリーに歩ませたくない。だから僕はテディベアを抱いて口を閉ざす、生まれて初めて出来た友達みたいな存在に嫌われたくなくて嘘をつく、クスリで頭がパーになった演技をする。クスリでイカれた演技をし続けるかぎり僕と静流の秘密は守られる、永遠に。
 そして僕は、安っぽい演技力を総動員してビバリーを騙しぬくことを決めた。

 そのビバリーが消えた。
 食堂で勃発した乱闘騒ぎに巻き込まれて独居房送りになった。もともとビバリーは何も悪くない、ただ巻き込まれただけ、ロンを助けようとしただけなのだから。
 でも、そんなこと誰に説明したらいい?誰に訴えたらいいの?
 目撃者は大勢いる。あの時食堂に居た連中全員が証人だと言っても過言じゃない。ビバリーが手すりから飛び降りた決定的瞬間を目撃した連中は少なくとも五十人を下らない。
 ビバリーが捕まったのは運が悪かったとしか言いようがない。
 あの時どさくさまぎれに大暴れしてたのはビバリーだけじゃない、凱だけじゃない。騒ぎに便乗してストレス発散とばかり大暴れしてた連中は他にも大勢いる、いちいち捕まえてたらきりがない、独居房が定員オーバーになっちゃう。
 ぶっちゃけ僕もその一人。ビバリーがロンを救いに決死のダイブを試みてのち、二階で見物するのに飽いた僕は一階に移動、乱闘に加わった。手近な椅子を振り上げ振り下ろし長机に飛び乗ってダンスをした。
 ……ここだけの話、ちょっとはしゃぎすぎた自覚はある。
 でも、僕と同じ位派手に暴れた連中なら大勢いる。
 その中でロンとビバリーと凱の三人だけ独居房に送られたのは見せしめの意味が強い。暴れた連中片っ端から放り込んでたらきりがないから、代表者三人を罰して事態を収拾させたわけ。
 いかにも「上」が考えそうなことだ。

 いや、違う。
 僕は「見逃された」んだ。

 「ほんとは君もお仕置きされる予定だったんだけど、リョウくんは特別に見逃してあげたんだ」
 今日、ビニールハウスで会った曽根崎に直接そう言われた。ホースで水撒きしてた僕にいそいそ近寄ってきた曽根崎が、ご褒美を期待するワンコのみたいにはっはっと荒い息を吐く。
 「見逃してくれたって、どういうことさ曽根崎さん」
 「リョウくんはビニールハウスの仕事をよくするいい子だから、いつも頑張ってくれてるご褒美に上手く同僚をまるめこんで独居房送りを取り消させたんだ。本当は君も独居房送りになる予定だったんだよ?けど、独居房送りになった三人に君の分まで罪を被せてごまかしたってわけさ。彼らにはちょっと可哀想なことしたけど仕方ない、可愛いリョウくんを無傷で守る為だもの」
 悪びれたふうもなくしれっと言ってのける曽根崎の顔面に、気付けばホースを向けて水をぶちまけていた。
 「手が滑った」と適当言ってごまかした僕は、事件の真相を知って動揺してた。僕の分まで罪を被って独居房に送られたビバリー。ロンと凱はこの際どうでもいい、あいつらがどうなろうが知ったこっちゃない。でもビバリーは同房の相棒だ。僕の大事な友達だ。本人が知らないとはいえ、僕の分まで罪を着せられて独居房送りになったビバリーを見捨てちゃおけない。
 「お願い曽根崎さん、ビバリーを独居房から出して。ビバリー僕の同房なの、僕の友達なの。一週間もあんなとこいたら気がおかしくなっちゃうよ」
 「無茶だよリョウくん、彼ら三人は乱闘騒ぎの主犯なんだから……最低一週間は独居房から出れない決まりになってる。ということは、あと四日の辛抱だね」
 指折り数えて曽根崎がうそぶき、苛立ちが募る。
 あと四日?簡単に言うな。
 あと四日も独居房に閉じ込められてたら頭がおかしくなる。ビバリーは僕を庇って独居房に入れられたも同然。
 焦燥感に駆り立てられる僕を同情たっぷりに見下ろし、「ここだけの話」と曽根崎が耳打ちする。
 「初日に独居房に出された子がいたんだ。ほら、君よりほんの少しだけ背がおっきい、目つきは悪いけど可愛い顔した……」
 「ロン?」
 「そう、彼。所長命令で彼だけ先に独居房を出されたんだけど、また事件を起こして独居房に逆戻り。その事件ってのがなんと」
 思わせぶりに言葉を切った曽根崎が注意深くあたりを見回し、正面に向き直る。
 恐ろしく真剣な表情で、何かに怯えるように声を落とし、口を開く。
 「呼び出された所長室で、所長の頭を写真立ての角でガツンとやっちゃったんだ。その場にいたわけじゃないから実際見てないけど、看守の間じゃ有名な話。囚人の間に広まるのも時間の問題。所長は額に怪我をして、しばらくは囚人の前にでてこれない。乱闘騒ぎの事情聴取に呼び出された囚人がそんな事したもんだからほかの二人までとばっちり食って拘禁期間延びてるらしいよ」
 「マジ?」
 語尾が甲高く跳ね上がる。
 衝撃の事実を知らされた興奮に心臓の鼓動が高鳴る。ロンが所長を殴った?なんだってそんなことを?……決まってる、またレイジ絡みだ。乱闘騒ぎが起こる数分前にレイジが看守数人に連行された。折悪しく行き違ったロンは囚人の揶揄に逆上、椅子を振り上げた。レイジ絡みで乱闘起こしたロンが所長に手を出した理由といえばまたレイジ絡みしか考えられない。
 「一緒に捕まった子達は気の毒だけど、所長の怒りがしずまるまで出してもらえないんじゃないかなあ」
 間延びした口調で曽根崎が推測し、意味ありげな目つきで僕を見る。いやらしい目。何を意味してるかピンときた。
 「ところでリョウくん、庇ってあげたお礼に今日これから……」
 「ごめん曽根崎さん、僕それどころじゃない」
 曽根崎にフェラしてる場合じゃない。強制労働が終わったら即ビバリーに会いに行かなきゃ。独居房送りになってから今日で三日、ビバリーの体調が心配だ。そろそろ気が狂いだしてるかもしれない。
 ホースを握る手が震え、圧迫された口から垂れた水がちょろちょろ足元を濡らす。がっかりした曽根崎に背中を向けて水撒きを続けながら、物思いに耽る。
 ビバリーの為に僕が今できることってなんだろう。
 友達として、何ができるだろう。
 
 強制労働終了後。
 ビバリーのいない房に帰った僕は、夕食前にある人物を訪ねる一大決心をした。
 「僕が帰ってくるまでいい子にしてて」
 テディベアの額にキスし、毛布をかける。もげた手足は綿を詰め、不器用に縫い合わせた。とても元通りとはいかない不恰好な仕上がりだけどこれはこれで愛嬌がある、ということにしとく。
 この三日間で僕が学んだことといえば必死に止めてくれる人間がないとクスリも味気ないってこと。親身に心配してくれる人間がいないと注射器にも手が伸びない。
 ビバリーがいなくなってからというもの、一種の願掛けでクスリを断ってたおかげでだいぶ体調が回復した。僕がクスリをやらずにいい子にしてればビバリーが帰ってくると、「リョウさんただいまっス」と鉄扉を開けてくれるに違いないとむなしく期待して、注射器と覚せい剤を封印したのだ。
 けど、じっと待ってるだけじゃビバリーは帰ってこないと気付いた。
 そして僕は行動を起こすことにした。
 テディベアを寝かし付けて房を出る。
 勝手知ったる廊下を歩き、目指す人物の房へ向かう道すがら、囚人の噂話を小耳に挟む。
 「知ってっか?例の親殺しとサムライが喧嘩別れしたらしいぜ」
 「そうか、ついに来るべきときか来たか。もとからあの二人じゃ無理だと思ったぜ、理屈屋メガネとお堅いサムライじゃあ相性最悪だもんな。今までよくもったほうじゃねえか?サムライの忍耐力あっぱれあっぱれ」
 「いや、原因はサムライのほうにあるらしい。聞いたか?サムライが新しく来た奴と浮気したって」
 「まじ?サムライが?アイツそっちの気あったっけ」
 「先に誘ったのがどっちかわかんねえけど、メガネの房を出て新入りと一緒にいんのは事実らしいぜ」
 「モテるねえ。羨ましい」
 「親殺しの様子はどうだ?サムライにフラれてさすがにへこたれてるか」
 「見た感じいつもどおり、しれっと取り澄まして図書室で本選んでたけどな。気のせいかちょっと痩せたかも」
 「これ以上痩せてどうすんだよ。男にフラれたショックで拒食症なんてしょっぺえな」
 好き放題に噂話をがなりたてながら通り過ぎた囚人を見送り、廊下の真ん中に立ち竦む。サムライと鍵屋崎が喧嘩別れしたことは知ってたから今さら驚かない。僕の足を止めたのは、彼らの噂に出てきた名前。不快感に吐き気を催す名前。噂好きな囚人たちが賑やかに遠ざかったのを確認、激しい動悸を鎮めようと廊下の壁に凭れる。
 ばっかみたい。本人と行き違ったわけでもないのに、動揺してどうするっての?
 自分で自分を嗤おうとして失敗、顔が恐怖に引き攣る。廊下の奥、さっき通りすがった囚人たちが集団で歩いてきた方向から一人の少年がやってくる。さらさらと流れる黒髪、切れ長の目、赤い唇……白鷺のように優美な肢体、清楚な容貌の美少年、静流。
 「!………っ、」
 静流を見た瞬間、体が拒絶反応を起こす。全身に電流が駆け抜ける戦慄。
 壁に背を付けてあとじさった僕に気付き、静流がにっこり微笑む。   
 「ちょうどよかった、これから君の房に行こうとしてたんだ。手間が省けた」 
 気安い口調で言い、僕の前で立ち止まる。ズボンの尻ポケットに手を入れて取り出したのは、茶褐色の小瓶。
 僕の手を取り小瓶を握らせた静流が、耳朶に口を近付け、囁く。
 「このまえ君から借りたクロロフォルム、確かに返したよ。免疫がない相手には効果抜群だった。看守間でも有名なドラッグストアの異名は伊達じゃないね」
 ひんやりした手で僕の手を包み、上下にさする。逃げたくても逃げられない。静流に手を握られた瞬間体が硬直、慄然と立ち竦む僕の全身を冷や汗が流れる。心臓が爆発しそうに高鳴る。眼前の笑顔が記憶に重なる。あの日あの夜僕に手錠をかけて嗤いながら房を出て行った静流、入れ替わりやってきた看守たちに輪姦されて僕は――
 「しず、る。きみ、あのことは誰にも」
 誰にも言ってないよね、と念を押そうとして、唇に人さし指をおしあてられる。
 人さし指で唇を封じた静流が僕を安心させるように微笑み、流し目で周囲に人けがないのを確認。
 僕の唇からゆっくり人さし指を外した静流が、誰もが好感もたざる得ないはにかみ笑いを覗かせる。
 「勿論だれにも言ってない。これからも言うつもりがないから安心して。君が僕に従ってる限りは、ね」
 それは脅迫。
 自分に逆らえばすべてを暴露するという脅迫。
 僕の手に茶褐色の小瓶を預け、上機嫌に歩き出す。僕は小瓶を握ったまま、緊張に乾いた唇を舐めて静流にかける言葉をさがす。僕は静流が怖い。だが、恐怖と同じだけ好奇心を感じてもいる。静流は一体何を企んでいる、何が目的で東京プリズンに来た、クロロフォルムを誰に使用した?……わからないことだらけだ。
 好奇心猫を殺す。
 こないだの一件で身にしみたはずの教訓。
 わかっている、わかっている、好奇心は身を滅ぼすと。それでも僕は声をかけずにいられない、叫ばずにはいられない。内気な笑顔の裏に狂気渦巻く本性を隠し、今もこうして東京プリズンを闊歩する少年の真意を尋ねずにはいられない。 
 「静流、君、サムライに何するつもり?東京プリズンに来た本当の目的ってなんなの!?」
 サムライと鍵屋崎が喧嘩別れした原因もこいつにあると直感、廊下の真ん中に孤独に立ち竦み、遠ざかる背中に呼びかける。
 コンクリ壁に殷々と声が跳ね返る。片手に握った小瓶の中で、液体が揺れる。 
 靴音が止む。静流が立ち止まる。僕の延長線上で振り返った静流が赤い唇を綻ばせ、嘲弄の笑顔を作る。
 「そろそろ本当の目的を話してあげようか」
 清冽に流れる黒髪の奥、邪悪な光を宿した双眸が細まり、毒された本性を醸す。
 僕の目をまっすぐ見据え、漆黒に濡れた目に殺意爆ぜる激情をさざなみだて、おそらくは東京プリズンに来て初めて本心を口にする。
 東京プリズンに来て初めて、心からの願いを口にする。

 「僕が東京プリズンに来たのは帯刀貢を殺すためだ」
 
 僕が見てる前で初めて静流の笑みが消え、おそらくこれが本来の顔だろう虚無が曝け出された。
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